本日の日誌

一昨日は特に夢も見ず。作業はだいたいいつもの通り。石がけっこうゴロゴロと出てきます。そして、昨夜はなんだか夢を見て。なんだか、まだ学生で、マラソンコースを決めて設計する役目、というかそんな感じで。点検をしたり、走っている人と一緒に走ったりする、という夢で。なんだか、私がそういう設計をする人なんだよ、と言われたのかなあ? と思う。

羌族の風習として、「戊の日には畑を耕してはならない。戊が土に属し、耕作すれば土を犯すことになると考えられているためである。」というものがあるそうです。犬が土に属する、とすると、女神信仰がある場合には、犬の属性は「女神」になりますが、蚩尤が「土」に割り当てられている場合は、男神かもしれません。そこのところははっきりしません。犬は牧羊犬にもなりますし、狩猟にも役に立ちます。西欧では、ここに馬が加わって、人と犬と馬が、神話的な「戦士」の形として一体化されて語られますのです、その原型の信仰がここにあるといえます。彼らは、犬に特別な神聖性を持たせているといえます。

また、中国の伝説に、修羊公という仙人がいます。ある王様が、仙術を学ぼうと思って、修羊公を招いたのですが、いつまでたっても仙術を教えてくれないので、「先生はいつお帰りになりますか?(とっとと帰れ、ということ)」と嫌みをいったところ、修羊公は石の羊の姿になって消えてしまい、その脇腹に「お別れを申し上げます」と書いてあったそうです。王様はその石の羊を大切にとっておいたのですけれども、それもいつの間にか消えてしまった、とのことで。この、「石の羊」は、羌族の「白い水晶の羊」を連想させます。でもなんで、人を騙して煙に巻くような仙人なんだろう、と思う。

また、昔刑法を定めた人が、羊を生け贄に捧げて、異変があった方を敗訴とする、という裁判法を定めたそうで。これは「羊神判」といったそうです。この刑法を定めた人も羌族の出であったそうで。中国周辺部のチベット・ビルマ系の少数民族は、シャーマンが神(精霊)と人々とをつなぐ存在、とされています。古代殷の王族が祭祀者であったことを考えると、古代中国の「王」というのは、人々の中から選ばれたリーダー、というよりもシャーマンが変化したもの、と言えそうです。これらのことから、羌族のシャーマンというのは、裁判の判決とか、一族内の政治方針を、「占う」ふりをして、「神のお告げ」のふりをして自由に決める権利があったのではないのか、と思われます。父系で家父長制の強い人々であるほど、家の中では父親がなんでも自由に決めてしまう。家の外の部族内のことは「天の羊の父」の言葉を伝えるシャーマンが勝手に決めてしまう、ということになります。そうして、つじつまが合わないような結果が出ても、適当に煙に巻かれてしまう、と-;。

ギリシャ神話に、「アルゴナウタイ」というものがあります。テッサリアーの王子イアーソーンは、叔父である王から疎まれて、ギリシャから遠く離れたコルキス(現在のジョージア)から、金羊毛を取って来るように命じられます。そこで、ギリシャ中から英雄を募って、アルゴー号という船に乗って出発した、という物語であって。金羊毛とは、神から授かった魔法の黄金の羊を、最終的に再び神に対する犠牲に捧げて、その皮をコルキスの王が樫の木に打ち付けたものであった、と言われています。「金羊」という言葉から、「太陽の化身の羊」であったことがうかがえます。これは何らかの呪術的な意図で、やはり「守護」を目的として行ったものなので、イアーソーンは、それを奪うことを求められたのだといえます。それと共に、この物語で「コルキス」とされた場所は「反羊」の思想を持っていた、あるいは「自分たちは「羊」よりも上位の人間である」と主張していた場所、といえます。羊を狩って護符にできるのは、羊よりも上位の部族、あるいは少なくとも同格の人々、といえるからです。イアーソーンは、コルキスの王女メーディアを味方につけ、彼女を妻にする、という約束で、金羊毛を盗み出すことに成功します。でも、このメーディアというのがけっこうな魔女であったので、逃げる途中で、一緒に連れてきた幼い弟を殺して、追っ手をまいてしまいます。そして、テッサリアーへ戻ってくると、メーディアは王の娘達の前で、老いた雄羊を切り刻んで鍋で煮て、若返らせて取り出した、という魔術を見せます。父親を若返らそうと思った娘達は、父王を同様にして鍋で煮ましたが、王はそのまま死んでしまいました。妻のおかげでイアーソーンは王位につけましたが、こういう妻に嫌気がさして、離婚し、新たな妻と結婚しようとします。起こったメーディアは、花嫁を殺して失踪してしまったのでした。

これはギリシャ神話の中でも、かなり陰惨さを感じさせる神話ですが、「豊穣の釜」で供物を煮て、結果を得る、というのは「饕餮を用いた祭祀」を彷彿とさせます。そして、メーディアというのは、メドゥーサと同じ子音で、その起源は古代エジプトのメヒト女神といえますから、母系の大母、あるいは大母の化身の女王、というべき存在で、弟は、彼女の利益になるために捧げられた犠牲、といえます。要するに、物語の中の「コルキス」は、母系の国で、女王が祭祀を行い、男兄弟の生殺与奪の権限も女王にあった国、ということになります。そこでは、太陽といえども、羊もまた「餌」であり「犠牲」の一つに過ぎないのです。でも、イアーソーンは父系の人ですから、そういう母系の習慣とは衝突してしまう。しかも、アルゴナウタイそのものが、英雄を集めて母系の国へ、父系の人々が略奪に行く、という話です。(しかも計略によって宝物を手に入れています。)そして、物語の最後は、メーディアノ失踪で終わるので、金羊毛がどうなったのかははっきり分かっていません。樫の木から解放されたので、元の天に戻って太陽の運行を続けたのかもしれません。そうすると、これは、イアーソーンがコルキスから、太陽も、太陽の祭祀者も奪った、という物語にもなります。要するに「金羊毛」とは「それを身につけたメーディアのことそのもの」であるともいえます。羊は獅子である彼女に捧げられた犠牲でした。ということで、メーディアと金羊毛の行方はどうなったのでしょう? 夫の仕打ちに嫌気が差して、天岩戸の中にこもってしまったのでしょうか? ということになります。ということは、これは、ティターノマキアーと同様、父系の人々が、母系の太陽信仰の人達を襲って略奪した物語、ということになり、これもまた古代中国で行われた「たく鹿の戦い」が投影された物語、ということになります。そうすると、母系の人々の敵は「羊の太陽」ってことにもなるのではないでしょうか。メーディアは「羊の皮を被った獅子の太陽女神」だったのでした。

ということは、「天上世界でスサノオに乱暴狼藉を働かれて、天岩戸の中にこもってしまった天照大神」の物語も、アルゴナウタイと同じ起源の物語であると分かります。彼女は、「鹿の皮を被った虎の太陽女神」といえます。須佐之男命が、彼女の領域に入り込んで暴れたので、天照大神は失踪してしまったのでした。泣きわめくのが得意な須佐之男命が、父系の雷神のことを指すのであれば、これもまた「たく鹿の戦い」が投影された物語、といえます。ということで、奇妙なことに、アルゴナウタイの物語の続きは、日本神話の中にあるといえることになってしまうのです。でも、「四面楚歌」の言葉にあるように、周り中が「楚の歌」ばかりだからといって、絶望したり、その中に出ていってはいけないわけです。というか、私は項羽でない、と思うわけですが-;。その人より、もうちょっと頭は悪くない、と思うわけで-;。だいたい、四面楚歌の話って、中学の国語の教科書に載っていた気がするわけで。誰のためにこの話載せたのでしょうか? 私の為?? とかって今なら思うところなのですが。

で、今朝、テレビ番組を録画のセットをしようと思って、なにげなくテレビをつけたら、「ZIP」をやっていて、新曲を披露する、とかってことで、キンプリの兄さん達が映っていて。「生放送ですよ」と言われるきがするわけで@@。すごいタイミングだー、というか、そもそもテレビをつけよう、という気になったのも、偶然ではないだろう、と思う。そうしたら、兄さん達に「あまり難しく考えないで、相手は「羊の王」なんだから、王の本拠地の羊の肉を饕餮で煮て食えばいいんですよ。」と言われる気がするわけで@@。そうすると、相手を支配できるだけでなく、「羊の皮を被ったメーディア」に変身できる気がするわけで。でも、いろいろと調べてみたら、けっこう手に入れるのが、大変でもないけれども、少々手がかかりそうであって。そこのところの羊の肉は、ごく一部の店と、東京方面に卸されてるのみである。でも、普通、「特産品」って、その土地の人なら誰でも気軽に普通に食べるような、そういうもののことを言うんじゃないの? と思う。でも、なぜかそこの肉は、流通量はごく少ないのに、特産品扱いされていて、町中に「羊の絵」があふれてる。なんだか、歪んでない? と思う。ともかく、その肉は「王侯の食べ物ですよ」と言われる気がするわけで。結局口にできるのは、王が同格と認めた者か、一時的にその力を分け与えたい者のみ、ということにしてる、ということのようで。誰かが勝手に饕餮で煮たりしないように管理されているものらしくてー;。まあ、面倒でもそのうちに手に入れられれば、と思うのでした。

で、もっと「お犬様」と「石の羊」について書きたかったわけですが、夜になって、いろいろとニュースがあって。なんだか、鹿児島の動物園で、飼育員がホワイトタイガーに襲われて死亡したらしくて。誰か、十字に関係する人が白虎に食い殺されそう、とかあるのですかね? と思う。というか、嫌みだよねえ? と微妙に思う。

それから、有名な画家の絵で、女の子が赤い風船を持っている図の絵が、オークションにかけられて、落札された直後に裁断されてしまったそうで。なんというか、女の子が持っている赤い風船は「太陽」の象徴のように思えたわけで。誰か、そういうものを「他人の手に渡すくらいならバラバラにしてしまいたい」と思う人でもいるんだろうか? と、これまた微妙に思う。

ということで、「天岩戸」の話から、当たり前のように「四面楚歌」が出てくるあたり、理知的で軍略家だよね、と兄さん達に言われる気がするわけで。情緒的に動揺を誘うようなネタには、あんまり心を動かされない、ということでー;。廉君のことを「さすがに仕事が早い」と、褒め称える人が今日も多かった気がするわけで。キンプリの兄さん達もすごいな、と思う。でも、最後の「ZERO」で、日記を書くのに夢中になりすぎて、ちょっと失敗してしまってー;。次からは、気をつけます<(_ _)>、ということで;。古代ローマの人々は、まるで自分たちのことをあまり知られたくないかのように、ほとんど独自の神話を残さなかった。それとは対照的に、古代ギリシャの人々は体系だった神話を山ほど残しているわけで。そして、ギリシャ神話は、世界でも類を見ない有名な神話群であって。彼らは何故、これだけの神話を残そうと思ったのだろうか、とそれをなんとなく不思議に思うのでした。

本日の日誌

一昨日は特に夢も見ず。作業はだいたいいつもの通り。石がけっこうゴロゴロと出てきます。そして、昨夜はなんだか夢を見て。なんだか、まだ学生で、マラソンコースを決めて設計する役目、というかそんな感じで。点検をしたり、走っている人と一緒に走ったりする、という夢で。なんだか、私がそういう設計をする人なんだよ、と言われたのかなあ? と思う。

羌族の風習として、「戊の日には畑を耕してはならない。戊が土に属し、耕作すれば土を犯すことになると考えられているためである。」というものがあるそうです。犬が土に属する、とすると、女神信仰がある場合には、犬の属性は「女神」になりますが、蚩尤が「土」に割り当てられている場合は、男神かもしれません。そこのところははっきりしません。犬は牧羊犬にもなりますし、狩猟にも役に立ちます。西欧では、ここに馬が加わって、人と犬と馬が、神話的な「戦士」の形として一体化されて語られますのです、その原型の信仰がここにあるといえます。彼らは、犬に特別な神聖性を持たせているといえます。

また、中国の伝説に、修羊公という仙人がいます。ある王様が、仙術を学ぼうと思って、修羊公を招いたのですが、いつまでたっても仙術を教えてくれないので、「先生はいつお帰りになりますか?(とっとと帰れ、ということ)」と嫌みをいったところ、修羊公は石の羊の姿になって消えてしまい、その脇腹に「お別れを申し上げます」と書いてあったそうです。王様はその石の羊を大切にとっておいたのですけれども、それもいつの間にか消えてしまった、とのことで。この、「石の羊」は、羌族の「白い水晶の羊」を連想させます。でもなんで、人を騙して煙に巻くような仙人なんだろう、と思う。

また、昔刑法を定めた人が、羊を生け贄に捧げて、異変があった方を敗訴とする、という裁判法を定めたそうで。これは「羊神判」といったそうです。この刑法を定めた人も羌族の出であったそうで。中国周辺部のチベット・ビルマ系の少数民族は、シャーマンが神(精霊)と人々とをつなぐ存在、とされています。古代殷の王族が祭祀者であったことを考えると、古代中国の「王」というのは、人々の中から選ばれたリーダー、というよりもシャーマンが変化したもの、と言えそうです。これらのことから、羌族のシャーマンというのは、裁判の判決とか、一族内の政治方針を、「占う」ふりをして、「神のお告げ」のふりをして自由に決める権利があったのではないのか、と思われます。父系で家父長制の強い人々であるほど、家の中では父親がなんでも自由に決めてしまう。家の外の部族内のことは「天の羊の父」の言葉を伝えるシャーマンが勝手に決めてしまう、ということになります。そうして、つじつまが合わないような結果が出ても、適当に煙に巻かれてしまう、と-;。

ギリシャ神話に、「アルゴナウタイ」というものがあります。テッサリアーの王子イアーソーンは、叔父である王から疎まれて、ギリシャから遠く離れたコルキス(現在のジョージア)から、金羊毛を取って来るように命じられます。そこで、ギリシャ中から英雄を募って、アルゴー号という船に乗って出発した、という物語であって。金羊毛とは、神から授かった魔法の黄金の羊を、最終的に再び神に対する犠牲に捧げて、その皮をコルキスの王が樫の木に打ち付けたものであった、と言われています。「金羊」という言葉から、「太陽の化身の羊」であったことがうかがえます。これは何らかの呪術的な意図で、やはり「守護」を目的として行ったものなので、イアーソーンは、それを奪うことを求められたのだといえます。それと共に、この物語で「コルキス」とされた場所は「反羊」の思想を持っていた、あるいは「自分たちは「羊」よりも上位の人間である」と主張していた場所、といえます。羊を狩って護符にできるのは、羊よりも上位の部族、あるいは少なくとも同格の人々、といえるからです。イアーソーンは、コルキスの王女メーディアを味方につけ、彼女を妻にする、という約束で、金羊毛を盗み出すことに成功します。でも、このメーディアというのがけっこうな魔女であったので、逃げる途中で、一緒に連れてきた幼い弟を殺して、追っ手をまいてしまいます。そして、テッサリアーへ戻ってくると、メーディアは王の娘達の前で、老いた雄羊を切り刻んで鍋で煮て、若返らせて取り出した、という魔術を見せます。父親を若返らそうと思った娘達は、父王を同様にして鍋で煮ましたが、王はそのまま死んでしまいました。妻のおかげでイアーソーンは王位につけましたが、こういう妻に嫌気がさして、離婚し、新たな妻と結婚しようとします。起こったメーディアは、花嫁を殺して失踪してしまったのでした。

これはギリシャ神話の中でも、かなり陰惨さを感じさせる神話ですが、「豊穣の釜」で供物を煮て、結果を得る、というのは「饕餮を用いた祭祀」を彷彿とさせます。そして、メーディアというのは、メドゥーサと同じ子音で、その起源は古代エジプトのメヒト女神といえますから、母系の大母、あるいは大母の化身の女王、というべき存在で、弟は、彼女の利益になるために捧げられた犠牲、といえます。要するに、物語の中の「コルキス」は、母系の国で、女王が祭祀を行い、男兄弟の生殺与奪の権限も女王にあった国、ということになります。そこでは、太陽といえども、羊もまた「餌」であり「犠牲」の一つに過ぎないのです。でも、イアーソーンは父系の人ですから、そういう母系の習慣とは衝突してしまう。しかも、アルゴナウタイそのものが、英雄を集めて母系の国へ、父系の人々が略奪に行く、という話です。(しかも計略によって宝物を手に入れています。)そして、物語の最後は、メーディアノ失踪で終わるので、金羊毛がどうなったのかははっきり分かっていません。樫の木から解放されたので、元の天に戻って太陽の運行を続けたのかもしれません。そうすると、これは、イアーソーンがコルキスから、太陽も、太陽の祭祀者も奪った、という物語にもなります。要するに「金羊毛」とは「それを身につけたメーディアのことそのもの」であるともいえます。羊は獅子である彼女に捧げられた犠牲でした。ということで、メーディアと金羊毛の行方はどうなったのでしょう? 夫の仕打ちに嫌気が差して、天岩戸の中にこもってしまったのでしょうか? ということになります。ということは、これは、ティターノマキアーと同様、父系の人々が、母系の太陽信仰の人達を襲って略奪した物語、ということになり、これもまた古代中国で行われた「たく鹿の戦い」が投影された物語、ということになります。そうすると、母系の人々の敵は「羊の太陽」ってことにもなるのではないでしょうか。メーディアは「羊の皮を被った獅子の太陽女神」だったのでした。

ということは、「天上世界でスサノオに乱暴狼藉を働かれて、天岩戸の中にこもってしまった天照大神」の物語も、アルゴナウタイと同じ起源の物語であると分かります。彼女は、「鹿の皮を被った虎の太陽女神」といえます。須佐之男命が、彼女の領域に入り込んで暴れたので、天照大神は失踪してしまったのでした。泣きわめくのが得意な須佐之男命が、父系の雷神のことを指すのであれば、これもまた「たく鹿の戦い」が投影された物語、といえます。ということで、奇妙なことに、アルゴナウタイの物語の続きは、日本神話の中にあるといえることになってしまうのです。でも、「四面楚歌」の言葉にあるように、周り中が「楚の歌」ばかりだからといって、絶望したり、その中に出ていってはいけないわけです。というか、私は項羽でない、と思うわけですが-;。その人より、もうちょっと頭は悪くない、と思うわけで-;。だいたい、四面楚歌の話って、中学の国語の教科書に載っていた気がするわけで。誰のためにこの話載せたのでしょうか? 私の為?? とかって今なら思うところなのですが。

で、今朝、テレビ番組を録画のセットをしようと思って、なにげなくテレビをつけたら、「ZIP」をやっていて、新曲を披露する、とかってことで、キンプリの兄さん達が映っていて。「生放送ですよ」と言われるきがするわけで@@。すごいタイミングだー、というか、そもそもテレビをつけよう、という気になったのも、偶然ではないだろう、と思う。そうしたら、兄さん達に「あまり難しく考えないで、相手は「羊の王」なんだから、王の本拠地の羊の肉を饕餮で煮て食えばいいんですよ。」と言われる気がするわけで@@。そうすると、相手を支配できるだけでなく、「羊の皮を被ったメーディア」に変身できる気がするわけで。でも、いろいろと調べてみたら、けっこう手に入れるのが、大変でもないけれども、少々手がかかりそうであって。そこのところの羊の肉は、ごく一部の店と、東京方面に卸されてるのみである。でも、普通、「特産品」って、その土地の人なら誰でも気軽に普通に食べるような、そういうもののことを言うんじゃないの? と思う。でも、なぜかそこの肉は、流通量はごく少ないのに、特産品扱いされていて、町中に「羊の絵」があふれてる。なんだか、歪んでない? と思う。ともかく、その肉は「王侯の食べ物ですよ」と言われる気がするわけで。結局口にできるのは、王が同格と認めた者か、一時的にその力を分け与えたい者のみ、ということにしてる、ということのようで。誰かが勝手に饕餮で煮たりしないように管理されているものらしくてー;。まあ、面倒でもそのうちに手に入れられれば、と思うのでした。

で、もっと「お犬様」と「石の羊」について書きたかったわけですが、夜になって、いろいろとニュースがあって。なんだか、鹿児島の動物園で、飼育員がホワイトタイガーに襲われて死亡したらしくて。誰か、十字に関係する人が白虎に食い殺されそう、とかあるのですかね? と思う。というか、嫌みだよねえ? と微妙に思う。

それから、有名な画家の絵で、女の子が赤い風船を持っている図の絵が、オークションにかけられて、落札された直後に裁断されてしまったそうで。なんというか、女の子が持っている赤い風船は「太陽」の象徴のように思えたわけで。誰か、そういうものを「他人の手に渡すくらいならバラバラにしてしまいたい」と思う人でもいるんだろうか? と、これまた微妙に思う。

ということで、「天岩戸」の話から、当たり前のように「四面楚歌」が出てくるあたり、理知的で軍略家だよね、と兄さん達に言われる気がするわけで。情緒的に動揺を誘うようなネタには、あんまり心を動かされない、ということでー;。廉君のことを「さすがに仕事が早い」と、褒め称える人が今日も多かった気がするわけで。キンプリの兄さん達もすごいな、と思う。でも、最後の「ZERO」で、日記を書くのに夢中になりすぎて、ちょっと失敗してしまってー;。次からは、気をつけます<(_ _)>、ということで;。古代ローマの人々は、まるで自分たちのことをあまり知られたくないかのように、ほとんど独自の神話を残さなかった。それとは対照的に、古代ギリシャの人々は体系だった神話を山ほど残しているわけで。そして、ギリシャ神話は、世界でも類を見ない有名な神話群であって。彼らは何故、これだけの神話を残そうと思ったのだろうか、とそれをなんとなく不思議に思うのでした。