本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業はだいたいいつもの通り。ちょっと色々とあったわけですが、なんとか通路にあった大きなコンクリートガラも出すことができた、ということで。

何でも貪欲に食べてしまう、という「饕餮(とうてつ)」が、「天の父なる神」である「雷神」だとすると、これは西欧の印欧語族の主神であるゼウス、ユーピテル、トール、テシュブといった神々と同じ子音を持つ同語源の神であり、性質もほぼ同じ、ということになります。西欧の神々は「頭だけの神」なんてことはありませんから、元は五体満足な神とされていて、その妻は「月の女神」あるいは「地母神」でした(陰陽的には、「月の神」も「大地の神」も同じ物だからです)。ギリシャ神話にはティーターノマキアーというエピソードがあります。ギリシャ神話において、天上の神々の王権がウーラノス、クロノス、ゼウスと移り変わることは有名です。ティターンはクロノスの兄弟の巨人達で、ゼウスが父であるクロノスに戦いを挑んだ時に、クロノスの側につきました。長い戦いの後に勝利をつかんだゼウスは、不死身であったティターンを、大地の底のそのまたそこにあるタルタロスという深淵に封印しました、という話です。この「タルタロス」も子音から見て語源は「饕餮」であると思われます。でも、「大地」に属する饕餮ですから、「殺された蚩尤」のことでもあると思われます。あるいは、饕餮は玉とか、青銅器の鍋とか、大地から掘り出されたものに掘られましたから、「大地から産出された太陽(饕餮)の化身」とも言えると思う。そういうことを併せて考えると、「タルタロスの深淵」とは「饕餮の掘られた鼎」であって、そこに敗れたティターンが放り込まれた、ということは、みんな鍋に犠牲として入れられ、煮られて、食われ、勝者であるゼウスの霊性の肥やしになってしまった、ということですよねえ? と思う。「タルタロス」とは大地から掘り出されたゼウスの化身である金属のことなのです。

ということは、ティターノマキアーというのは、ゼウスとその仲間がティターン(巨人)を倒して、殺して生け贄にした神話、ということで、饕餮(黄帝)が、蚩尤を倒して、殺して生け贄にした神話、と非常に大きな相関関係があることになります。要するに、ティターノマキアーはギリシャ神話であって、だいたい紀元前1500年くらいから確率されてきた、と思われるのですが、そこで語られている内容は、紀元前3000年頃にまで遡る、黄河文明による長江文明の侵略の戦いのこと、ということになります。ただし、そこで倒される相手は、西欧の神話らしく、クロノス(すなわち「熊」)ということになって、雷帝ゼウスを擁する人々と、熊トーテムの人達との間に争いがあったこともうかがえます。ティターノマキアーと同様の神話は、ギリシャ神話の前身といえるヒッタイト神話にもみられますので、西欧における起源は紀元前1700年くらいまで遡るのかもしれません。メソポタミアにおける「天の牡牛」を倒した、とされるギルガメシュ叙事詩のことまで考慮すれば、紀元前2000年頃まで遡れるかもしれません。古代ローマ人は、神話に関しては、大部分をギリシャ神話に依存していますので、ティターノマキアーが、西欧における一番詳細な「タク鹿の戦い(黄帝が蚩尤を打ち破ったとされる戦い)」といえます。

しかも、ティターノマキアーは、ギリシャ人の主神ゼウスが主役ですから、彼らの先祖は、「タク鹿の戦い」で、黄河文明側にいて、かつ、饕餮(黄帝)を、自分たちの祖神と考えていた人達、ということになります。饕餮の体は「牛か羊」とされています。すなわち、饕餮を崇めていた人達は、牛トーテムか羊トーテム、ということになります。牛トーテムは、水牛トーテムから変化したもの、ということで分かります。では、羊の方は? ということになります。古代中国で、羊トーテムといえば羌族です。そして、龍山文化のことから、牧畜も発展してきていますので、牛や羊の牧畜を営む人達が、「タク鹿の戦い」に大きく関わっていたし、彼らが印欧語族の先祖と通婚して、祭祀のやり方や牧畜を教え、その子孫が西欧に移動して、ヒッタイト、ギリシャ・ローマ文明を形成したのだと考えられます。だから、その子孫達は、住む場所が変わっても、先祖の偉大な業績を記憶していたのでした。

羌族は「西羌の本は、三苗より出る、羌姓の別(支流)なり。」と後漢書にあるそうです。三苗とは、中国神話に登場する悪神で、長江流域に本拠地があった、と考えられていました。現在の羌族は、中国西部に住んでいて、チベット・ビルマ語族の言葉を話しますが、古代においては中国各地に住み、他の部族とも交流していたと考えられています。彼らの生活は「チャン族はおもに農業に従事し、牧畜業も兼ねる。また伝統的な「アニミズム」が信仰されており、宗教生活におけるタブーも存在する。たとえば子供が生まれると、鬼を連れてくる恐れがあるので、面識のない人が部屋に入ることをもっとも忌む。そのために入口に赤い旗をかけて見知らぬ人の立ち入りを禁止する。もし家畜の豚,羊,牛などが子供を産むと、産まれた家畜の数と同数の棒を敷居に束ねておく。それは見知らぬ人の立ち入りを忌むことを示す。もし見知らぬ人が入ると、母親の家畜の乳が出なくなると考えている。子供たちは魔よけのために普段、銅の鏡をかけ、帽子にホラ貝をつける。また、見知らぬ人がこれらの物にも触ってはならない。台所の鉄の五徳を脚で踏んではならない。さもないと、天神を怒らせることになるためである。許(シュイ:シャーマン)を招いて病人のために鬼祓いをしてもらう場合、他人は室内に入ってはならないため、その家の門前にしばしば麦わらで作った人形や馬などを目印として置いておく。戊の日には畑を耕してはならない。戊が土に属し、耕作すれば土を犯すことになると考えられているためである。以上のように「アニミズム」の宗教がチャン族の生活に極めて重要な影響をもたらしている。(Wikipediaより)」なのだそうです。また「彼らの宗教は多神教であるため、数多くの神が存在する。その中でも彼らがもっとも崇拝してきたのは「天神(太陽神)」である。天神は万物を主宰し、人間と家畜に禍福を及ぼす神であると考えられた。この天神を主神として山の神,火の神,羊の神,水の神,土地の神と続き、全部で10数種類もの神が存在するが、「万物有霊」の考えから「着物の角」から「体の垢」、「吐息」にいたるまで、ありとあらゆる万物に霊が宿ると信じられている。このように形あるものから形のないものまで崇拝するのであるが、形のない神々に対しては「白石神」といって石英をその神々に見立てて崇拝する。これは彼らの「白石伝説」に基づく考えなのであるが、伝説では強敵の戈基(ガァチィ)人を神の啓示によって倒したチャン族は戦勝を記念して神を祀ろうとしたが、神に形がなかったため、夢(神の啓示)で見た石英を神の象徴として崇めるようになったという。この「白石伝説」はチャン族の儀式で必ずシャーマンによって唱えられ、彼らの神話として語り継がれてきた。チャン族の宗教で欠かせないのがシャーマン(巫師)である。シャーマンはチャン族の言葉で「許(シュイ)」と呼ばれ、生産にも従事している宗教職能者であり、神と通交し、悪魔とも接触するので、人々が祀る神々以外に彼自身の保護神を持っている。彼は民族の歴史や伝説に通じ、さまざまな神話物語と故実の由来などを暗誦しており、各種の記録されていない呪文を唱えることができ、神通力を発揮する法器をもっていた。そのため人々は彼が自然を自在に操る才能を備え、風雨を呼ぶことができ、家畜と作物を繁殖させ、運命の吉凶を変える能力をもっていると信じた。シャーマンはさらに医者でもあり、どのような病気も治療できるとされた。それゆえにシャーマンは長年にわたってチャン族の社会生活で重要な地位を占め、人々の精神上の指導者というべき存在であった。(Wikipediaより)」ということだそうです。

彼らのシャーマンは男性です。要するに、祭祀は男性が行っています。「天神(太陽神)」とは男性神のことなのでしょう。そして、彼らは男系の人々です。形のない神々に対しては「白石神」といって石英(水晶)をその神々に見立てて崇拝する、とあります。これは現在では下級神に対する扱いですが、重要な戦いの時の「お告げ」の神の象徴である、男系の天神の文化で「お告げ」をするのは、「天の父なる神」であるのでえ、本来は水晶は太陽を示すものだったのだと思います。要するに、彼らの太陽神は、一見すると「白い羊」であるように思えます。饕餮の体が「羊」であったとすると、彼らの「白羊」こそが饕餮といえます。でも、饕餮が地において「水晶」の化身であることは隠されています。何故でしょう? 彼らの前身の信仰である、西王母が「白虎」だからではないでしょうか? 要するに、白虎とは「水晶の虎」のことであり、「水晶」といえば「白虎」というくらい有名だったので、彼らは本当の本来の姿を隠すために、太陽神から「水晶」の要素を外してしまったのではないか、と思います。そして、大母が「下級神」に変更されると、彼女の象徴の「水晶」も下級神の象徴にされてしまったのでした。また、彼らは台所の「鉄の五徳」も「天神の化身」と考えているようですので、鍋ではなくて五徳(これも金属)を、饕餮の化身と考えていることが分かります。これも、黄河文明との共通点です。

また、産後の穢れを払う守護として、「赤い旗」や「棒」を用いています。「棒」は男性原理の象徴であり、また「赤い色は蚩尤を示すともされ、赤旗を「蚩尤旗」と言う(Wikipediaより)」だそうですから、彼らは「蚩尤」を「護符」として使っていると思われます。子供達は、魔除けの「銅の鏡」を身につける、とされていますが、これは首狩り族が首を護符にした名残と思われます。蚩尤は「獣身で銅の頭に鉄の額を持つ」とされていますから、彼らが護符にしているのは蚩尤の頭そのもの、といえます。これらのことを総合して考えると、現在の羌族とは、「殺した蚩尤を護符として使役している黄帝の子孫である」といえそうです。でしたら、彼らの本来のトーテムは水牛か牛であるはずなのに、それがかなり早い時期に「羊」に変更されてしまっていると思われるのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業はだいたいいつもの通り。ちょっと色々とあったわけですが、なんとか通路にあった大きなコンクリートガラも出すことができた、ということで。

何でも貪欲に食べてしまう、という「饕餮(とうてつ)」が、「天の父なる神」である「雷神」だとすると、これは西欧の印欧語族の主神であるゼウス、ユーピテル、トール、テシュブといった神々と同じ子音を持つ同語源の神であり、性質もほぼ同じ、ということになります。西欧の神々は「頭だけの神」なんてことはありませんから、元は五体満足な神とされていて、その妻は「月の女神」あるいは「地母神」でした(陰陽的には、「月の神」も「大地の神」も同じ物だからです)。ギリシャ神話にはティーターノマキアーというエピソードがあります。ギリシャ神話において、天上の神々の王権がウーラノス、クロノス、ゼウスと移り変わることは有名です。ティターンはクロノスの兄弟の巨人達で、ゼウスが父であるクロノスに戦いを挑んだ時に、クロノスの側につきました。長い戦いの後に勝利をつかんだゼウスは、不死身であったティターンを、大地の底のそのまたそこにあるタルタロスという深淵に封印しました、という話です。この「タルタロス」も子音から見て語源は「饕餮」であると思われます。でも、「大地」に属する饕餮ですから、「殺された蚩尤」のことでもあると思われます。あるいは、饕餮は玉とか、青銅器の鍋とか、大地から掘り出されたものに掘られましたから、「大地から産出された太陽(饕餮)の化身」とも言えると思う。そういうことを併せて考えると、「タルタロスの深淵」とは「饕餮の掘られた鼎」であって、そこに敗れたティターンが放り込まれた、ということは、みんな鍋に犠牲として入れられ、煮られて、食われ、勝者であるゼウスの霊性の肥やしになってしまった、ということですよねえ? と思う。「タルタロス」とは大地から掘り出されたゼウスの化身である金属のことなのです。

ということは、ティターノマキアーというのは、ゼウスとその仲間がティターン(巨人)を倒して、殺して生け贄にした神話、ということで、饕餮(黄帝)が、蚩尤を倒して、殺して生け贄にした神話、と非常に大きな相関関係があることになります。要するに、ティターノマキアーはギリシャ神話であって、だいたい紀元前1500年くらいから確率されてきた、と思われるのですが、そこで語られている内容は、紀元前3000年頃にまで遡る、黄河文明による長江文明の侵略の戦いのこと、ということになります。ただし、そこで倒される相手は、西欧の神話らしく、クロノス(すなわち「熊」)ということになって、雷帝ゼウスを擁する人々と、熊トーテムの人達との間に争いがあったこともうかがえます。ティターノマキアーと同様の神話は、ギリシャ神話の前身といえるヒッタイト神話にもみられますので、西欧における起源は紀元前1700年くらいまで遡るのかもしれません。メソポタミアにおける「天の牡牛」を倒した、とされるギルガメシュ叙事詩のことまで考慮すれば、紀元前2000年頃まで遡れるかもしれません。古代ローマ人は、神話に関しては、大部分をギリシャ神話に依存していますので、ティターノマキアーが、西欧における一番詳細な「タク鹿の戦い(黄帝が蚩尤を打ち破ったとされる戦い)」といえます。

しかも、ティターノマキアーは、ギリシャ人の主神ゼウスが主役ですから、彼らの先祖は、「タク鹿の戦い」で、黄河文明側にいて、かつ、饕餮(黄帝)を、自分たちの祖神と考えていた人達、ということになります。饕餮の体は「牛か羊」とされています。すなわち、饕餮を崇めていた人達は、牛トーテムか羊トーテム、ということになります。牛トーテムは、水牛トーテムから変化したもの、ということで分かります。では、羊の方は? ということになります。古代中国で、羊トーテムといえば羌族です。そして、龍山文化のことから、牧畜も発展してきていますので、牛や羊の牧畜を営む人達が、「タク鹿の戦い」に大きく関わっていたし、彼らが印欧語族の先祖と通婚して、祭祀のやり方や牧畜を教え、その子孫が西欧に移動して、ヒッタイト、ギリシャ・ローマ文明を形成したのだと考えられます。だから、その子孫達は、住む場所が変わっても、先祖の偉大な業績を記憶していたのでした。

羌族は「西羌の本は、三苗より出る、羌姓の別(支流)なり。」と後漢書にあるそうです。三苗とは、中国神話に登場する悪神で、長江流域に本拠地があった、と考えられていました。現在の羌族は、中国西部に住んでいて、チベット・ビルマ語族の言葉を話しますが、古代においては中国各地に住み、他の部族とも交流していたと考えられています。彼らの生活は「チャン族はおもに農業に従事し、牧畜業も兼ねる。また伝統的な「アニミズム」が信仰されており、宗教生活におけるタブーも存在する。たとえば子供が生まれると、鬼を連れてくる恐れがあるので、面識のない人が部屋に入ることをもっとも忌む。そのために入口に赤い旗をかけて見知らぬ人の立ち入りを禁止する。もし家畜の豚,羊,牛などが子供を産むと、産まれた家畜の数と同数の棒を敷居に束ねておく。それは見知らぬ人の立ち入りを忌むことを示す。もし見知らぬ人が入ると、母親の家畜の乳が出なくなると考えている。子供たちは魔よけのために普段、銅の鏡をかけ、帽子にホラ貝をつける。また、見知らぬ人がこれらの物にも触ってはならない。台所の鉄の五徳を脚で踏んではならない。さもないと、天神を怒らせることになるためである。許(シュイ:シャーマン)を招いて病人のために鬼祓いをしてもらう場合、他人は室内に入ってはならないため、その家の門前にしばしば麦わらで作った人形や馬などを目印として置いておく。戊の日には畑を耕してはならない。戊が土に属し、耕作すれば土を犯すことになると考えられているためである。以上のように「アニミズム」の宗教がチャン族の生活に極めて重要な影響をもたらしている。(Wikipediaより)」なのだそうです。また「彼らの宗教は多神教であるため、数多くの神が存在する。その中でも彼らがもっとも崇拝してきたのは「天神(太陽神)」である。天神は万物を主宰し、人間と家畜に禍福を及ぼす神であると考えられた。この天神を主神として山の神,火の神,羊の神,水の神,土地の神と続き、全部で10数種類もの神が存在するが、「万物有霊」の考えから「着物の角」から「体の垢」、「吐息」にいたるまで、ありとあらゆる万物に霊が宿ると信じられている。このように形あるものから形のないものまで崇拝するのであるが、形のない神々に対しては「白石神」といって石英をその神々に見立てて崇拝する。これは彼らの「白石伝説」に基づく考えなのであるが、伝説では強敵の戈基(ガァチィ)人を神の啓示によって倒したチャン族は戦勝を記念して神を祀ろうとしたが、神に形がなかったため、夢(神の啓示)で見た石英を神の象徴として崇めるようになったという。この「白石伝説」はチャン族の儀式で必ずシャーマンによって唱えられ、彼らの神話として語り継がれてきた。チャン族の宗教で欠かせないのがシャーマン(巫師)である。シャーマンはチャン族の言葉で「許(シュイ)」と呼ばれ、生産にも従事している宗教職能者であり、神と通交し、悪魔とも接触するので、人々が祀る神々以外に彼自身の保護神を持っている。彼は民族の歴史や伝説に通じ、さまざまな神話物語と故実の由来などを暗誦しており、各種の記録されていない呪文を唱えることができ、神通力を発揮する法器をもっていた。そのため人々は彼が自然を自在に操る才能を備え、風雨を呼ぶことができ、家畜と作物を繁殖させ、運命の吉凶を変える能力をもっていると信じた。シャーマンはさらに医者でもあり、どのような病気も治療できるとされた。それゆえにシャーマンは長年にわたってチャン族の社会生活で重要な地位を占め、人々の精神上の指導者というべき存在であった。(Wikipediaより)」ということだそうです。

彼らのシャーマンは男性です。要するに、祭祀は男性が行っています。「天神(太陽神)」とは男性神のことなのでしょう。そして、彼らは男系の人々です。形のない神々に対しては「白石神」といって石英(水晶)をその神々に見立てて崇拝する、とあります。これは現在では下級神に対する扱いですが、重要な戦いの時の「お告げ」の神の象徴である、男系の天神の文化で「お告げ」をするのは、「天の父なる神」であるのでえ、本来は水晶は太陽を示すものだったのだと思います。要するに、彼らの太陽神は、一見すると「白い羊」であるように思えます。饕餮の体が「羊」であったとすると、彼らの「白羊」こそが饕餮といえます。でも、饕餮が地において「水晶」の化身であることは隠されています。何故でしょう? 彼らの前身の信仰である、西王母が「白虎」だからではないでしょうか? 要するに、白虎とは「水晶の虎」のことであり、「水晶」といえば「白虎」というくらい有名だったので、彼らは本当の本来の姿を隠すために、太陽神から「水晶」の要素を外してしまったのではないか、と思います。そして、大母が「下級神」に変更されると、彼女の象徴の「水晶」も下級神の象徴にされてしまったのでした。また、彼らは台所の「鉄の五徳」も「天神の化身」と考えているようですので、鍋ではなくて五徳(これも金属)を、饕餮の化身と考えていることが分かります。これも、黄河文明との共通点です。

また、産後の穢れを払う守護として、「赤い旗」や「棒」を用いています。「棒」は男性原理の象徴であり、また「赤い色は蚩尤を示すともされ、赤旗を「蚩尤旗」と言う(Wikipediaより)」だそうですから、彼らは「蚩尤」を「護符」として使っていると思われます。子供達は、魔除けの「銅の鏡」を身につける、とされていますが、これは首狩り族が首を護符にした名残と思われます。蚩尤は「獣身で銅の頭に鉄の額を持つ」とされていますから、彼らが護符にしているのは蚩尤の頭そのもの、といえます。これらのことを総合して考えると、現在の羌族とは、「殺した蚩尤を護符として使役している黄帝の子孫である」といえそうです。でしたら、彼らの本来のトーテムは水牛か牛であるはずなのに、それがかなり早い時期に「羊」に変更されてしまっていると思われるのです。