本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。深夜過ぎから雨が降って、9時頃まで降り続いていたので、午前中の作業はお休みして、部屋の掃除をする、というか、親にしてもらうー;。自分では、どうにも整理整頓できない性格なのでー;。この半年くらい、作業と、裁判だのなんだののゴタゴタで、身の回りの整理整頓とか全然できていなかったので、部屋がだいぶすっきりする。

そして、神様の話に戻るわけですが、農耕民の思想には、必ず「神が死ぬ」という話がつきまとう、と言われる気がするわけです。それは、肥料というものがない昔は、枯れた植物を肥料にする、とか、生きたものを殺して肥料にする、とか、そうすることで収穫が増えて安定する、ということを昔の人でも経験で知っていたので、ハイヌウェレ型神話のように、祭祀で生きている人を切り刻んで埋めるということになる。殺された人の命は、収穫された植物と一体化されるわけで、収穫されたものは「神からもたらされたもの」とされますから、殺された人が神と同じもの、となります。そして、人々が自分の部族の中だけで生きて生活しているうちは良いのですけれども、異なる部族と接触して、共に暮らすようになると、部族同士の力関係が生じて、だいたい上位の部族の人々が、下位の部族の人々の「神」を、それこそ「死んで人々の役に立て」と言って、犠牲にしてしまう、ということが生じます。要するに、下位の部族の指導者になり得るような優れた人を選択的に殺して、反乱を抑えようとするようになる。そうすると、殺された神は、たいてい神々しい太陽神とか、天空の神、とか言われる代わりに、「冥界神」として、祟り神とか、穢れた神という扱いを受けるようになります。そして、死んだ神に対して、同じ部族のものから、更に「神と同一のものとなれ」という理屈で犠牲が立てられることになる。そうすると、下位の部族はますます弱体化が進むことになります。

古代中国の殷は、最初は多くの部族の寄り合い国家でしたが、後に一つの家系が台頭し、家長が専制君主となって君臨しました。中国には、ゲイ神話という神話があり、これはある日、天空に10の太陽が現れたので、地上は暑すぎて困ってしまった。そこで、ゲイという弓の名手が9つの太陽を射落として、地上に平安を取り戻した、という神話です。この神話は、それぞれに太陽神を頂く複数の部族が、国家の主導権を争った結果、特定の一つの部族が勝ち残ったことを示唆する神話だし、殷の歴史と相関関係があると思われます。そして、殷の王は黄帝(太陽神)の子孫である祭祀者として、祭祀も行っていました。多くの中国の人々は、黄帝を祖神と考えていましたから、彼らの頂点に君臨する皇帝とは、「生きた黄帝」であり、その祭祀者でもある、といえます。それは、日本の天皇が天照大神の子孫であり、かつ天照大神の祭祀者であるのと相関関係にあります。要するに、太陽神の子孫が、先祖の太陽神を祀る、という思想は古代中国からもたらされた、といえます。

ライバルの部族の太陽神を蹴落として、唯一絶対の黄帝の子孫となった殷の王家は、時代が下ると鬼神信仰が盛んになり、祭祀の際に大量の人間の生け贄を捧げるようになりました。特に羌族から多くの生け贄が立てられたのです。それにしても、「鬼神」とは何なのでしょう? ということになります。「鬼」とは「死者」のことですので、「死んだ神」とは、例えば太陽神をそれぞれにあがめる部族が10あったとしたら、殺されて負けてしまった残りの「9つの死んだ太陽」のこと、となります。そうすると、皇帝は敗北した部族の神の祭祀権までもを奪い、かつ、「死んだ神」を冥界神として、「自分たちの神の元へ行け」と述べて、敗北した部族をどんどん生け贄にしたわけです。それが、殷の末期の姿でした。しかし、「死んだ神」も元は太陽神なわけですから、支配し、祭祀権を奪うためには、本来の名前を奪い「黄帝と同じもの」として習合させてしまうわけです。そうすると、「黄帝は生と死を司る神」とされて、医薬神としての性質も持つことになる。でも、死者に関わることは「穢れ」ですから、「太陽神に習合させた多くの死んだ神」の性質の方に引きずられて、黄帝はしまいには、本来の太陽神としての性質をほとんど失ってしまうことになりました。黄帝のこのような性質は、日本の天照大神の性質に大きく投影されている、といえます。複合的な太陽女神である天照大神は、天上世界にあるときは唯一絶対の太陽女神ですが、姿と名前を変えると、時に焼け死ぬイザナミ、斬り殺されるカグツチ、同じく斬り殺される保食神、そして斬り殺される早乙女(鹿の神)となります。多くの殺される女神群は、蛙の王家が実際に征服し支配してきた部族の神々であり、それを古代中国式に蛙の王家の太陽女神と習合させたものを、また飛鳥から奈良時代の国史編纂に併せて、再分離したもの、といえます。だから、今でもこの思想の日本における震源地である場所では、殺される「鹿の太陽女神」と「神々しい天照大神」を一緒にして祀っている、といえます。それが「近戸皇大神社」といえます。その祭り方は、神様を祀るのではなくて、鬼神を祀るやり方といえるのではないか、と思います。だいたい、出入り口を「死者の巣窟」であるお寺が封印しているわけですし。古代の殷では、王は神界(冥界)と人界を行き来できる存在、と考えられていました。あの山奥の神社が「冥界」であるとすると、そこを祀っている張本人も、人界と冥界を行き来する人々、ということになるのかもしれませんが、だいたい日本の国の神話では、死んだ神が下された穀物を死んだ神が育てて、それをみんなで食べて死者のままでいる、ということになっていますから、そこを祀っている人々も「死者」なわけです。王様は、「生者」なので、死者の祭りには参加しません。そこが、古代殷とは、違うところなわけです。王様は「死者」に神様を祀らせて、管理させている。その「死者」がこの国では、ローマ式原始キリスト教と、と言えるわけです。どうも、今のところ、死者の祟りを追い払うには、「訴えてやる」と脅すのが現代流の「お祓い」らしいですー;。まあ、向こうからアクションを起こせば、いくらでもお相手するんだけどさあ? ということでー;。

一方、西欧の神々はどうかと言いますと、農業系の神々の変遷は古代中国と似通っていました。古代エジプトの蛙の女神であるヘケトは、太陽女神の姿を失い、「生と死を司る魔術の女神」とされました。ヘケトのギリシャ寄りの女神であるヘカテーは、蛙の女神としてのトーテムを失い、冥界の女神とされています。ただし、西欧の女神達は、古い時代にはニンフルサグのように「生と死の境界の神」とされたり、時代が新しくなると「デーメーテールとペルセポネー」のように、対になって生と死を繰り返すことで、農耕に必要な季節のサイクルを表現する意味を強く持つようになりました。中にはメドゥーサのように「殺されて利用される女神」も出てきますが、多くの女神は主神としての地位を失う代わりに、主神の家族の地位を占めて、完全に「黄泉の国」のもの、とされたものは少なかったように思います。なぜかといえば、古代中国では、農耕民同士が覇権を競った結果、どの部族の「太陽神」が一番強いのか、ということになったのですが、西欧では遊牧民(狩猟民)が支配者として、農耕民を征服することが多かったため、双方が共存する上で、それぞれの「太陽神」が習合する際に、「殺される神」の性質の方向に神々が引きずれらなかった、ということがあったと思います。遊牧民(狩猟民)の神は、猛獣であり、北方では熊が多く、南の方では獅子や豹のようなネコ科の動物がトーテムとされました。農耕民は生け贄を捧げて、それを肥料として使用するわけですから、結局はその結果実った穀物を食べてしまうわけです。要するに、結局死者の化身を食べてしまうことになります。一方、狩猟民にとっては、熊と言った猛獣は食料でもありますが、他の動物を襲って食べて生きる逞しさや獰猛さが、生命力、活力の象徴ともされて尊ばれたわけです。特に狩猟民の軍事化が進むと、「神のように勇猛になりたい」という思想が生まれる。そして、生きた動物はどんな猛獣であっても、いずれは老いて衰え、他の動物に食べられたりすることになりますから、神の化身である王は「老いてはならない」「いつまでも若く猛々しく人々を導く存在でなければならない」という思想が生まれて、王は尊重されるけれども、老いると殺されてしまう、という思想が生まれました。古く老いた王は死なねばならず、そうして新しく活気にあふれた王が即位しなければならないのです。農耕に併せた行事とは関係なく、「冬至に弱った太陽神に犠牲を捧げて再生させる」という祭祀は、遊牧民(狩猟民)的な祭祀といえます。そうすることで、神は老いと若返りを繰り返し、永遠に生きて人々の上に君臨する存在となるのです。そういう文化では、王は神の化身かもしれませんが、老いたる王を若く再生させる、ために祭祀を行う「神官」の存在が重要となります。古代中国のように、勝者となった神の子孫である王が、敗者の側の神々(穀霊)を好き勝手に使用する(食べる)、という発想はそこにはありません。敗者は、新しい王に食べられて、新しい王の中で、新しい命を得、永遠の者となるからです。そして、猛獣は夜狩りをすること、遊牧民の神である動物はたいてい「有角獣」であることから、彼らの神の性質は「太陽」というよりは「月」に近くなります。そういう遊牧民と農耕民の神々が習合している文化が西欧ですので、神のトーテムの姿は複雑になるのです。神は農耕の豊穣を司るときは蛙であり、牧畜の豊穣を司るときは雌牛であり、軍神であるときは雌獅子であって、そのいずれもが神のトーテムで同じものである、という風になるのです。そして、多くの場合女神は「月の女神」とされますが、その中に「太陽神」としての性質が混ざることも多々あるのです。西欧の男性神は女神を変化させたものが多いので、男性神も似たり寄ったりの性質になります。こういう事情から、西欧では軍神が冥界神も兼ねることが多いのですが、古代中国と違って、「冥界神=鬼神(死者)」ということにはなりませんでした。西欧の冥界神は猛獣であり、人々に死をもたらして、自らは永遠に生きる神ですから、穢れていても、生きている神であって、「死んでいる神」ではないのです。だから、彼らは、完全な「黄泉の国の住人」となることはまれで、「生と死の境界を司る」ことが多くなったのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。深夜過ぎから雨が降って、9時頃まで降り続いていたので、午前中の作業はお休みして、部屋の掃除をする、というか、親にしてもらうー;。自分では、どうにも整理整頓できない性格なのでー;。この半年くらい、作業と、裁判だのなんだののゴタゴタで、身の回りの整理整頓とか全然できていなかったので、部屋がだいぶすっきりする。

そして、神様の話に戻るわけですが、農耕民の思想には、必ず「神が死ぬ」という話がつきまとう、と言われる気がするわけです。それは、肥料というものがない昔は、枯れた植物を肥料にする、とか、生きたものを殺して肥料にする、とか、そうすることで収穫が増えて安定する、ということを昔の人でも経験で知っていたので、ハイヌウェレ型神話のように、祭祀で生きている人を切り刻んで埋めるということになる。殺された人の命は、収穫された植物と一体化されるわけで、収穫されたものは「神からもたらされたもの」とされますから、殺された人が神と同じもの、となります。そして、人々が自分の部族の中だけで生きて生活しているうちは良いのですけれども、異なる部族と接触して、共に暮らすようになると、部族同士の力関係が生じて、だいたい上位の部族の人々が、下位の部族の人々の「神」を、それこそ「死んで人々の役に立て」と言って、犠牲にしてしまう、ということが生じます。要するに、下位の部族の指導者になり得るような優れた人を選択的に殺して、反乱を抑えようとするようになる。そうすると、殺された神は、たいてい神々しい太陽神とか、天空の神、とか言われる代わりに、「冥界神」として、祟り神とか、穢れた神という扱いを受けるようになります。そして、死んだ神に対して、同じ部族のものから、更に「神と同一のものとなれ」という理屈で犠牲が立てられることになる。そうすると、下位の部族はますます弱体化が進むことになります。

古代中国の殷は、最初は多くの部族の寄り合い国家でしたが、後に一つの家系が台頭し、家長が専制君主となって君臨しました。中国には、ゲイ神話という神話があり、これはある日、天空に10の太陽が現れたので、地上は暑すぎて困ってしまった。そこで、ゲイという弓の名手が9つの太陽を射落として、地上に平安を取り戻した、という神話です。この神話は、それぞれに太陽神を頂く複数の部族が、国家の主導権を争った結果、特定の一つの部族が勝ち残ったことを示唆する神話だし、殷の歴史と相関関係があると思われます。そして、殷の王は黄帝(太陽神)の子孫である祭祀者として、祭祀も行っていました。多くの中国の人々は、黄帝を祖神と考えていましたから、彼らの頂点に君臨する皇帝とは、「生きた黄帝」であり、その祭祀者でもある、といえます。それは、日本の天皇が天照大神の子孫であり、かつ天照大神の祭祀者であるのと相関関係にあります。要するに、太陽神の子孫が、先祖の太陽神を祀る、という思想は古代中国からもたらされた、といえます。

ライバルの部族の太陽神を蹴落として、唯一絶対の黄帝の子孫となった殷の王家は、時代が下ると鬼神信仰が盛んになり、祭祀の際に大量の人間の生け贄を捧げるようになりました。特に羌族から多くの生け贄が立てられたのです。それにしても、「鬼神」とは何なのでしょう? ということになります。「鬼」とは「死者」のことですので、「死んだ神」とは、例えば太陽神をそれぞれにあがめる部族が10あったとしたら、殺されて負けてしまった残りの「9つの死んだ太陽」のこと、となります。そうすると、皇帝は敗北した部族の神の祭祀権までもを奪い、かつ、「死んだ神」を冥界神として、「自分たちの神の元へ行け」と述べて、敗北した部族をどんどん生け贄にしたわけです。それが、殷の末期の姿でした。しかし、「死んだ神」も元は太陽神なわけですから、支配し、祭祀権を奪うためには、本来の名前を奪い「黄帝と同じもの」として習合させてしまうわけです。そうすると、「黄帝は生と死を司る神」とされて、医薬神としての性質も持つことになる。でも、死者に関わることは「穢れ」ですから、「太陽神に習合させた多くの死んだ神」の性質の方に引きずられて、黄帝はしまいには、本来の太陽神としての性質をほとんど失ってしまうことになりました。黄帝のこのような性質は、日本の天照大神の性質に大きく投影されている、といえます。複合的な太陽女神である天照大神は、天上世界にあるときは唯一絶対の太陽女神ですが、姿と名前を変えると、時に焼け死ぬイザナミ、斬り殺されるカグツチ、同じく斬り殺される保食神、そして斬り殺される早乙女(鹿の神)となります。多くの殺される女神群は、蛙の王家が実際に征服し支配してきた部族の神々であり、それを古代中国式に蛙の王家の太陽女神と習合させたものを、また飛鳥から奈良時代の国史編纂に併せて、再分離したもの、といえます。だから、今でもこの思想の日本における震源地である場所では、殺される「鹿の太陽女神」と「神々しい天照大神」を一緒にして祀っている、といえます。それが「近戸皇大神社」といえます。その祭り方は、神様を祀るのではなくて、鬼神を祀るやり方といえるのではないか、と思います。だいたい、出入り口を「死者の巣窟」であるお寺が封印しているわけですし。古代の殷では、王は神界(冥界)と人界を行き来できる存在、と考えられていました。あの山奥の神社が「冥界」であるとすると、そこを祀っている張本人も、人界と冥界を行き来する人々、ということになるのかもしれませんが、だいたい日本の国の神話では、死んだ神が下された穀物を死んだ神が育てて、それをみんなで食べて死者のままでいる、ということになっていますから、そこを祀っている人々も「死者」なわけです。王様は、「生者」なので、死者の祭りには参加しません。そこが、古代殷とは、違うところなわけです。王様は「死者」に神様を祀らせて、管理させている。その「死者」がこの国では、ローマ式原始キリスト教と、と言えるわけです。どうも、今のところ、死者の祟りを追い払うには、「訴えてやる」と脅すのが現代流の「お祓い」らしいですー;。まあ、向こうからアクションを起こせば、いくらでもお相手するんだけどさあ? ということでー;。

一方、西欧の神々はどうかと言いますと、農業系の神々の変遷は古代中国と似通っていました。古代エジプトの蛙の女神であるヘケトは、太陽女神の姿を失い、「生と死を司る魔術の女神」とされました。ヘケトのギリシャ寄りの女神であるヘカテーは、蛙の女神としてのトーテムを失い、冥界の女神とされています。ただし、西欧の女神達は、古い時代にはニンフルサグのように「生と死の境界の神」とされたり、時代が新しくなると「デーメーテールとペルセポネー」のように、対になって生と死を繰り返すことで、農耕に必要な季節のサイクルを表現する意味を強く持つようになりました。中にはメドゥーサのように「殺されて利用される女神」も出てきますが、多くの女神は主神としての地位を失う代わりに、主神の家族の地位を占めて、完全に「黄泉の国」のもの、とされたものは少なかったように思います。なぜかといえば、古代中国では、農耕民同士が覇権を競った結果、どの部族の「太陽神」が一番強いのか、ということになったのですが、西欧では遊牧民(狩猟民)が支配者として、農耕民を征服することが多かったため、双方が共存する上で、それぞれの「太陽神」が習合する際に、「殺される神」の性質の方向に神々が引きずれらなかった、ということがあったと思います。遊牧民(狩猟民)の神は、猛獣であり、北方では熊が多く、南の方では獅子や豹のようなネコ科の動物がトーテムとされました。農耕民は生け贄を捧げて、それを肥料として使用するわけですから、結局はその結果実った穀物を食べてしまうわけです。要するに、結局死者の化身を食べてしまうことになります。一方、狩猟民にとっては、熊と言った猛獣は食料でもありますが、他の動物を襲って食べて生きる逞しさや獰猛さが、生命力、活力の象徴ともされて尊ばれたわけです。特に狩猟民の軍事化が進むと、「神のように勇猛になりたい」という思想が生まれる。そして、生きた動物はどんな猛獣であっても、いずれは老いて衰え、他の動物に食べられたりすることになりますから、神の化身である王は「老いてはならない」「いつまでも若く猛々しく人々を導く存在でなければならない」という思想が生まれて、王は尊重されるけれども、老いると殺されてしまう、という思想が生まれました。古く老いた王は死なねばならず、そうして新しく活気にあふれた王が即位しなければならないのです。農耕に併せた行事とは関係なく、「冬至に弱った太陽神に犠牲を捧げて再生させる」という祭祀は、遊牧民(狩猟民)的な祭祀といえます。そうすることで、神は老いと若返りを繰り返し、永遠に生きて人々の上に君臨する存在となるのです。そういう文化では、王は神の化身かもしれませんが、老いたる王を若く再生させる、ために祭祀を行う「神官」の存在が重要となります。古代中国のように、勝者となった神の子孫である王が、敗者の側の神々(穀霊)を好き勝手に使用する(食べる)、という発想はそこにはありません。敗者は、新しい王に食べられて、新しい王の中で、新しい命を得、永遠の者となるからです。そして、猛獣は夜狩りをすること、遊牧民の神である動物はたいてい「有角獣」であることから、彼らの神の性質は「太陽」というよりは「月」に近くなります。そういう遊牧民と農耕民の神々が習合している文化が西欧ですので、神のトーテムの姿は複雑になるのです。神は農耕の豊穣を司るときは蛙であり、牧畜の豊穣を司るときは雌牛であり、軍神であるときは雌獅子であって、そのいずれもが神のトーテムで同じものである、という風になるのです。そして、多くの場合女神は「月の女神」とされますが、その中に「太陽神」としての性質が混ざることも多々あるのです。西欧の男性神は女神を変化させたものが多いので、男性神も似たり寄ったりの性質になります。こういう事情から、西欧では軍神が冥界神も兼ねることが多いのですが、古代中国と違って、「冥界神=鬼神(死者)」ということにはなりませんでした。西欧の冥界神は猛獣であり、人々に死をもたらして、自らは永遠に生きる神ですから、穢れていても、生きている神であって、「死んでいる神」ではないのです。だから、彼らは、完全な「黄泉の国の住人」となることはまれで、「生と死の境界を司る」ことが多くなったのです。