昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、床下から一応木のとっこを1つ掘り出して、もう1本は長すぎるので、途中で一応折っておいた。親は、1本はコウゾで、1本はカラマツではないか、と言うわけですが。そうやって目に見えている以外に、どれくらい入っているのだろうな、と思う。2本のとっこは、十字に組み合わされていたので、また一つ十字が外れたわけです。
テレビの方は、昼食の時も見ることになったので、今まで見ていなかった「Miss デビル」とか見てみる。勝利君の「かわいい新入社員ぶり」が可愛いわけですが、やっぱり、全然会社員らしくない菜々緒姉さんを見ているのが楽しい、と思う。で、最新のお話はマタハラの話で、該当する部長が「部下を応援する」と口先では言いながら、実は会社の体裁のために部下を利用して、脅していたりしていた、というお話。でも、産休とか育休というのは難しい問題なので、上辺だけ制度がある、とかそういうことだけではなくて、「こういう場合にはこのように対応する」という社内のマニュアルがきちんと成文化されていないと、本当はいけないと思う。でないと、ドラマみたいな感じで、子供を産む予定のない人にばっかりしわ寄せがいくことになるし。それで、残業代がつけばまだましで、つかなかったりしたら最悪だから。でも、「こういう場合にはこうする。負担はこうやって分け合う。」とあらかじめ決めて、それこそ入社する時点で社員がそれを示されていれば、それが不満な人は入社しないだろうし、納得していれば、自分が子供を産んでどうの、産まないでどうの、とは言えなくなる。日本というのは、そういう細かくて、現場にとって一番大切なことが、なあなあにされがちな気がするわけですが。でも、男性の部長が『「部下を応援する」と口先では言いながら~』の部分、で、最後にはそんなていたらくなのに、『おまえらをまとめていくのがどんなに大変か!』という感じで開き直った部分は、なんとなく一番最初の職場とか、2番目の子を思いだしたわけで。なんというか、それこそ恩着せがましいこと、嫌みなことは言ったりやったりするわけですが、結局人を責めて、自分の思いどおりにしたいんだよねえ?? という感じであって。それも度が過ぎると、何を言いたいのか、何をやりたいのか、さっぱり分からないわけです。ともかく、テレビは何を見ても、内容なんかどうでも良いらしいので、月曜日の「NEWS ZERO」とかも録画して見せようかと思う。
で、なんとなく家人が話をしているのを聞いたのですが、『味方だって本当に味方かどうかは分からない。』とかって言うわけで。その人は、気にいらないとなれば、こちらが「見て良い」と言わないテレビを平気で見て、味方に迷惑をかける人なのだし。父親は人を手伝うふりをして、平気で人の大切にしている植物を傷つける人だし。そもそも、リウマチに効用のあるものを傷つけても、家の中で一番のリウマチ持ちはあなたなんじゃん? と思うわけですが。二人とも、そうやって「やりたくない」とか「やりたい」という理由で、いとも簡単に人の信頼を裏切る人達なわけですが。頭があんまりよろしくなくても、猜疑心だけは一人前なんだなーー、と思って-;。人に裏切られたくなかったら、まず自分が裏切らないようにしよう、という発想があんまりないんだよねー;。なんでなのかは良く分からないわけですがー;。
で、最近は季節柄、スズメが交尾している姿を見かけるわけで。そうすると、蛇の兄さんに「あれを見て、自分(蛇の兄さん)に会いたいと思わないのが問題だ。」と言われる気がするわけで@@。「え、でも、私の方はそういうことにもう枯れかけてるお年頃なんですけど??」 と思うわけですが。兄さんは最近新しいことを思いついたようで。私がご飯を食べて、眠くなってぼーっとしていると、「そうしてる時にHを迫ったら怒られなさそう。」とか言うわけで-;。結婚したら、食後に兄さんに襲われそうだーー、と思うわけですが-;。私が怒る気力もなくしている隙を狙う気らしいです-;。
富の王家のおっちゃんからは、私が大学の時の状況は、誰にもうまく動かすことができなかったのに、結局私が飛び出す決意をして、実際に飛び出したのは、最後の1年であるので、誰がそうさせたのか、その年にKinKi-Kidsがデビューしたのだ、ということを決して忘れないように、と言われる気がするわけで。実際のところ、送られた歌の数々から見るに、音楽家の兄さんは、2番目のことうまくいきそうもない、ということが決定的になった時点から、そこを辞めさせるべきだと思っていたと思う。でも、そちらに舵を向けようとしても話はなかなか進まないし。だから、結局7番目の兄さんが陣頭指揮をとって、総力を挙げて引き出すことにしたし、それで何とかうまくいったのだと思う。あの時のことは親にも言ったけれども、親の私に対する対応も、私が予想していたよりもずっと甘かったと思う。自分でも不思議だ、と思ったくらいに。だから、そういう親の態度に関しても、外からの何らかの強力な働きかけがあった、と言われたら、それはその通りで、「さもありなん。」と、むしろ、そっちの方が納得できるわけで。兄さん達は、とかく、私には甘いと思う。まあ、大部分の人は私の家臣であるわけだし。でも、それで今までとても助かってきたのです。だから、今回の騒ぎにしても、私に宅建の資格をまず取らせて、途中で何かあって、働かざるを得なくなっても、医者の仕事だけはしないで済むように、最大限の配慮はされてるし、それがあるから私も兄さん達についていけるところまでついていこう、と思ったわけで。でも、結局、埼玉で一人暮らしをして良かったことは、何をやるにしても、一人でやらなければならないわけで、やる、と決めたことは完璧でなくても、やろうと思った程度には一人でもできる、ということは、それはやっぱり自分でいろいろ動くことの自信につながったと思う。それまでは、一人で新幹線の切符の手配とかもしたことがなかったわけだから、そういうことが自分でできる、する、ということが「自立」でもあると思う。お金だけ稼げても、そういう日常的なことができなかったら、そういう人は自立している人ではないよねえ? と思う。それから、いろんな人に出会うことができた、ということも大きかったと思う。遊びにでかければ、今でいうフリーターのように、私よりももっとその日暮らしで、でも、石井のおっかけだけは熱心にやっている人とかいるし。仕事に行けば、同棲している売れないミュージシャンの彼氏を自分が働いて養っているような子がいるし。みんな、貧しくても、私よりも更に将来的な保証のない生活でも、そうやって自分の生き方を自分で決めて生きてるんだなあ、と実感させられる。端からみれば、「何やってるの?」と思うような生き方でも、みんな自分で考えて生きているし、そうやっていろいろな人がいるし、それが世の中なんだなあ、と思うわけで。だから、何というか、人の生き方を自分の物差しで偏見を持って見てはいけないんだなあ、ということをものすごく実感できた気がするわけです。「公平」とか「平等」という言葉は自分のために求めるものでもあるけれども、まず、自分が人に対して「公平」であり、「平等」でなければいけないものなのだと思う。
でも、姉なんかは今でも、私が学生時代に親に車を買って貰ったこととか妬むわけで。実際のところ、私自身も、学生の身分だったら、中古の安い車を買って貰って、適当に乗り潰すまで乗って、社会人になったら自分が稼いだお金で、自分の欲しい車を変え、と一般論としてはそんなものだと思う(苦笑)。そして、そういう点では、なんだかんだ言って、親は私にはあまかったし、それは姉の言うとおりであったと思う。では、何故そうなったのかといえば、兄さん達に言わせれば、「中古なんか買ったら、それこそすぐに事故を起こすように細工した車を売りつけられかねない。確率としても、一番安全性の高いものを買わせるのは当たり前のこと。」と言う気がするわけで。だから、ずっと昔から、兄さん達は私を守るために「目の力」を使い続けてきたのだと、そう思うし、実感できる。そうやって、外部からの無言の働きかけがなければ、うちのケチな親が、学生の子供に新車なんか買ってくれるはずがないでしょうが、と、それも今でも思うわけですが(苦笑)。