本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。昼寝をしている時に夢を見て。なんだか町おこし? みたいなことに関わっていて、温泉があるから行ってみよう、みたいな話になって行ってみたら、山の峠というか頂上にホテルのようなものがあって、設備も整っているけれども、お客があまり来ないので、お客が来たときだけ開ける、という感じであって。設備を見ようとしたら、ものすごく高いところにはしごで上らなければならなくて、でも、途中で危ない箇所があって、目的地までたどり着けない、という夢で。だいたい、今の状況が折り返し地点というか、峠なんだろうな、と思う。いろいろと軌道に乗ってくれば、作業も進むと思うのです。

作業の方は、朝ご飯の時間が遅く感じたり、いろいろとまだ慣れていないところがあって。部屋の整理も終わっていないし、いろいろな作業の進行状況を記録していたメモ帳が、1冊、いつの間にかどこかに消えてしまっているし。驚いているところなわけです。いつの間に、どこに消えてしまったんだろう? と思う。

昨夜は「少年倶楽部」と「MUSIC STATION」を見て。お味方は、なんとなくうれしそうではあるけれども、手放しで喜べない、という感じであって。昨日は、古い家で水道が漏水しているらしい、ということが分かってその対応に行ったり、電気、電話、テレビの始末をしたり、車の検査に行ったりしていたので、いろいろなことをやった、というかやり過ぎた、というかそんな気がして。Mステを見た直後から、家人の一人がいろんなことをぐだぐだと言い出して。しかも、イライラしていると大声になるので、うるさくて-;。敵はほかにすることがなければ、家族の中をひっかき回そうとしてくるのだと思う。だから、みんな、手放しで喜べないんだなあ、と思って。でも、今日は週末だったし、晴れたし、作業に集中できた一日だったのでした。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は雨なので、作業はお休みで、部屋の片付けをしたり、いろいろな所用を足しに出かける。

出先でテレビのニュースを見ていたら、5月までに米朝首脳会談が行われる予定、と報道されていて。確か、この間までトランプさんは、「戦争をする」とかって騒いでいたんじゃなかったっけ? と変に思う。でも、そもそも日米韓を取り巻くここのところの北朝鮮情勢というのは、「すぐにでも戦争が起きる」みたいにマスメデイアが騒ぎながら、実際は朝鮮戦争以来戦火は起きていない状態であって、北東アジアの外交を、敵が作り出してきた茶番の対立の構図から、もっと現実に即したものに変えていく予定、と言われる気がするわけで。要するに、そういう茶番の構図は蛙の王家が許可を出して、敵が作り出してきたもの、ということで、蛙の王家の権威が失墜して「上」が入れ替わると、今まであった茶番の構図も維持する必要がなし、ということになるようで。表向きの首相からは、「6番目の子が外交を転がしてる。」と言われる気がするわけで。2番目の子は、私の家が良くなってくると、勝ち越した分を自分の病院を大きくすることに使ってしまう。でも、6番目の子は北東アジアの外交を整えようとするし、表向きの外交でも関係が改善されて、今まで以上に正ちゃんの日本における影響力が強くなれば、私の護衛の力も強くなる、と言われる気がするわけで。「夫として2番目の子と、自分とどちらがふさわしいのかということを、良く妻神に売り込んでおくように、って言われた。」と言われる気がするわけですがー;。でも、蛇の王家の上の方が売り込みたいのは蛇の兄さんの方でしょ? と思うわけで。どこに対しても押しの強い6番目の子だ-、と思う。オリンピックが終わったら、オリンピックほど派手ではないけれども、パラリンピックが始まる。平昌を使った「外交」はまだまだ続く、と言われる気がするわけで。パラリンピックにはV6の三宅君とか、風間君が関わってるんだよねえ? と思う。

一方、蛙の王家の象徴ともいえる「善光寺」の方は、誰かが誰かを刑事告訴する、とか、あんまり神々しい宗教関係らしからぬ俗っぽいごたごた騒ぎが起きているようなので、ごたごたしているんだろうな、と思う-;。でも、いい年して、それなりの立場の人が何をやっているんだろうね? とは思う-;。

だいたい、最近思うことですが、2番目の子のいうところの「お願いしろ」とかっていうのは、私が彼にやって欲しいと思うことを「お願いする」のではなくて、彼が私に対してやりたいと思うことを、こちらから察して「お願いしろ」と、そういうことなんだよねえ? と思う。では、夫婦になったときに、私がして欲しいことは、いつどうやって言えばいいの? と思う。それを言ったら、無視されるか、ヒステリーを起こして大騒ぎされるようでは、とてもそんな相手とは夫婦としてやっていけないじゃん、というか、自分がやりたい、と思うことは自分でやればいいでしょ、なんでわざわざ私が「お願い」しなければできないし、やらないのか、さっぱり分からない、と思うわけで。「夫」としては、6番目の子の方がよっぽど立派でしょ、と思う。でも、6番目の子は、わざわざ2番目の子の目の前で私といちゃいちゃして見せて、「妻に一番愛されているのは自分だ。」って見せつけたいらしいです。どこまでも「どSだー、その人。」と思うわけですが-;。

3月はいろいろと忙しいので、まずは生活のリズムをきちんと整えるように。そのために、3月は時候のご挨拶のお手紙を休んでもいい。蛇の兄さんにだけ手紙を出し続けてくれれば、どうせそれをみんな読むから、と言われる気がするわけで。けっこう、そのご好意には甘えるかも、と思うわけで。いろいろと落ち着かなくて、まだまだ忙しいのです。

本日の日誌

昨夜はなんだか夢を見て。蛇の兄さんに会いたいのに、なんだかどこかのホテルみたいなところに閉じ込められていて、周囲の人に次々と与太者みたいな男とお見合いさせられて、兄さんに会えないので、思い切って、助けてくれる人を頼って逃げ出して、兄さんに連絡を取ろうとしたら、少しだけつながって、「忘れてないよ」と言われる、という夢で。

本日は作業の方も、割と普段通りこなせて。でも、午後になったら、元の家で漏水が発生していることが発覚して、水道を止める手続きをしたり、漏水検査の予定を入れたり。ついでに、電話、水道、郵便の整理もしなければ、ということになって。

で、お昼寝の時にも夢を見て。桐谷君がなんだか三太郎のCMの姿で出てきて、自分が「いつも出かけるときに気を遣ってくれてありがとう。」とお礼を言っている夢で。目が覚めて、新しい家でいろいろとあっても、頑張って臨機応変に対応していかなきゃいけないんだな、と気がつくわけで。生活が落ち着くまでには、もう少しかかりそうだ、と思ったのでした。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は、なんとか作業ができるまでにいろんなことが片付いたので、作業を少しずつ再開する。でも、お昼頃には所用で出かけたので、兄さんたちには、まず生活のリズムを取り戻すように、と言われる。

ネットニュースに光一君のミュージカルが1600回公演を記録した、と出ていて、写真も掲載されていて。なんとなく、それを見て外に出たら、7番目の兄さんに、「ほっておくと食事の量を、いつもよりも減らされそうだから、ちゃんと食べさせて貰うように。」と言われる。細かいところまで兄さんたちに気を使わせてるなー、と思う。

で、以前に「電球が切れている」と言われた電灯に新しい電球をつけたら、点灯しなくてびっくりする。機械そのものが壊れている(あるいは壊した)ことは、調べたときにわかっているはず、と思う。そんなささいなことで嘘をついている、ということは、もう直す気もないし、そもそも引き渡す前に、みんな片付けてしまおう、と思っているのだと思ってびっくりする。だって、そうしたらばれないから。

それからネットニュースで、韓国から北朝鮮に特使が派遣されて、金正恩氏と会談したとかで、4月には板門店で南北首脳会談も開催されるそうで、なんだか融和ムードが高まっているようで。これも、正ちゃんと「朋友」になったせい? と思うわけですが、ともかく韓国の特使は紫色とか青色とか、よろしくない色のネクタイをつけていて、正ちゃんが「目の力」で、「そんな色を身につけている奴には負けない。」と言っていた気がするわけで。なんだか不思議だー、と思う。

そして、作業をしている時に、ふっと「そもそも玉泉寺は木曽義仲の家臣が建立したもので、その子孫が今でも檀家総代をしている。木曽義仲を支えたのは下社であって、義仲は北陸道を通って京都に攻め込む時に、わざわざ善光寺に参詣している。そういう事実から見ても、下社と善光寺と玉泉寺のある山中の住民と、更に京の都との間には、特別なツテやコネがあったからこそ、義仲の家臣はわざわざあそこに隠れ住むことができたし、京都から住職を招くことができた、ってそのくらいのことは推察しなければ。」と言われる。一方、上社が応援したのは頼朝であって、その功績で上社は鎌倉幕府の重臣であったわけで、義仲と頼朝の従兄弟同士の対立には、上社と下社の対立もかなり影を落としているのである。ともかく、そういう「状況から察すること」が全然できない家人が一人いて、それでいて「『新平家物語』とか読むのが好き。」とか言うわけで-;。なんにも読んでないでしょ、って突っ込みを入れたくなるわけですが-;。頼朝の家系は、京の都とは何かと対立的で、陰謀だの毒殺だので、直径は結局数代で絶えてしまっている。表の歴史上にはあまり現れてこないけれども、一見して仲良くやっていたように見える下社(とその後ろにいる荻野の総本家)と上社の対立が、相当に根深いものであることを理解するように、と言われる気がするわけで。根深いどころじゃないでしょー、上社の側についたら、露骨に殺されそうなんだけど? と思う。でも、一方では福山君が劇場版コナンの主題歌を担当することになった、というニュースなんかが出回るわけで。「コナン」は日テレの看板アニメ番組であって、主題歌は長らくビーイングが独占状態であったし、去年は倉木さんの「渡月橋」がヒットしてる。それなのに、いきなりアミューズの福山君のところに主題歌の話がいくの? と思う。コナンのプロデューサーは「諏訪」という人であって。星野さんちの源ちゃんもたびたび潤君と会食していることをテレビの歌番組でカミングアウトしていたし、我が家が良くなればなるほど、表向きにも今までバラバラであった味方同士の距離が近くなっている気がするのです。そして、「敵の埋めた根っこを掘り出したら、やっと新しい家に根っこを下ろせるようになった。」と言われる気がするわけで。陰湿なやり方で、頼朝一家を絶滅に追い込んだ張本人は誰だ? それは、上社を弱体化させたくてやったの? とふと思う。頼朝の二の舞にならないように気をつけないと、と思うわけです。

本日の日誌

さて、時間があったら、自分たちのことを「書いて欲しい」と、正ちゃんと与正ちゃんから言われる気がするので、時間があるから書くことにする。というか、オリンピックの期間中、いろいろなことがあったわけだけれども、何よりも痛感したのは、「アジアとは西欧とは全く別の「道理」で動く世界だ。」ということである。

西欧社会では、いわゆる「良い人」、「悪い人」を決める際に、その社会的基準が強固に決まっているように思う。要するに「十戒」ではないけれども、「盗むな、犯すな、殺すな」という社会人として行動する際の文章化された基準が徹底して決められていて、それは国家とか部族とか人種とか言語とか、そういう枠を超えて広く浸透している。だから、それを守る人は「良い人」だし、守らない人は「悪い人」と、たとえ裁判官でなくても、誰でもそういうことがわかりやすいように社会の仕組みがそうなっているのが西欧なのだと思う。そして、裁く側の人、たとえば王様とか裁判官とか、そういう人たちにもその基準はそのまま当てはまる。だから、他者から言われずとも、ある程度はどこでも「法治国家」的だし、最低限の常識とされることを守らなければ、たとえ王様であっても他人から信頼されたり、広く支持を集めることはなくなる。

で、一方東アジア圏はどうなのかというと、諸葛孔明がわざわざ「法治国家」の概念を提唱したのが二千年くらい前であって、ではその前はどうだったのかといえば、要するに完全な専制君主制である。「馬鹿」の語源ではないけれども、王様が「鹿のことを馬と呼べ」と言えば、それが法律であり、それが正しいのであって、「そんな馬鹿な」って言っちゃった人の方が、首をはねられるお馬鹿さんである、というのが古来からのアジア的常識であったらしくて。1万年以上も続く中国古来の文化・文明からいくと、諸葛孔明なんて、「つい最近出たばっかりのはな垂れ小僧」という扱いであるらしくて。「人権」というものをどう思うか? と訪ねたら、「そんなものはばっちい連中の手先のジャンキーが麻薬でラリった状態で書いたものでしょ。」って言われた、っていうか、言われてみればその通りかも、というか、それが「アジア的常識」であるらしくて@@。だいたい、誰にそう言われたのかというと、それは正ちゃん、ということになる。そもそも、正ちゃんってどこの誰? ということになる。

昨年の年末年始では、韓流のアーティストと言われる人たちが割と多く歌番組に出ていた気がする。そういう人たちは大抵は、当時は味方ではなかった気がするわけですが、だいたい、「日本の外に出れば、そこには日本の国とは違う道理が存在する。国に帰れば、上の命令に従わざるを得ないし、従わなければ日本の国よりも簡単に粛正の対象になる。だいたい、韓国の芸能界に自殺する人が多いのは何故だと思うのか。」と言われる気がするわけで。それはいわゆる「粛正」と思うわけですが、では彼らの大部分の「上」は何者なのか、ということになる。それは要するに「北」と言われるわけで。国が違うことも、38度線も関係なく、強力な「目の力」で彼らを支配する者、お手軽に粛正を行う者は、そこにいる、ということで。だから、「韓流」と呼ばれる人の大部分は、いったん成功を目指せば、個人的な意思で「仕事」は選べない。誰かを呪えと言われれば、呪いたくない、と思ってもやらなければならない、と言われる気がするわけで。だいたい、年末がそんな調子であったわけで。

で、オリンピック期間中にいろんな人と結縁するわけだけれども、アジアというのは住む地域によって、家格も決まるし序列も決まる、とまず言われる。もちろん、「目の力」の強い人がのし上がる実力社会であることは、西欧と同じだけれども、集団で考えると、中原出身の名家が一番上、その次が中国周辺の国々出身の名家、さらに辺境の純粋な倭人の家系なんて下の下、って言われる気がするわけで@@。中国本土出身の名家は何万年も東アジアの文化・文明を牽引してきた人たちだから、それだけで家格は「上」と言われる。だいたい、今の日本だって、上層部は蛙の目の人たち、蛇の目の人たち、原始キリスト教徒の子孫、って具合で、大部分は最近日本の外からやってきた渡来人ばっかりで、純粋な倭人が支配層にいることは少ないでしょ、と言われる気がする。蛙の人たちは、元々中国本土出身で、「皇」という神を出す家柄だから、家格としては上の方も良いところらしくて。で、アジア圏というのは、儒教的上意下達思想が徹底しているので、要するに上の人にはぺこぺこする、下の人は踏みつけにする、のが「常識」であるらしくてー;。幸か不幸か、あたくしは上の方の家柄に生まれたので、人々はそれなりに私に対してぺこぺこしてもあんまり恥にはならないらしくて。なぜなら、大抵の場合私の方が上の方の家から出ているからである。では、同族の中ではさらに古くて上の方の家柄であるモソの人々は、中国全体から見るとどういう家格なのですか? と訪ねると、それはやはり少数民族であるので、矛盾しているように見えるけれども、全体からみれば彼らの家格は下になる、と言われる。だから、彼らを人々が敬ってくれるかどうかは、蛙の目の王族が、「自分たちよりも上」とみなして敬えば、他の中原の部族からも敬ってもらえる、蛙の目の人たちが「今は自分たちの方が上」と言って威張れば、他の部族もそれにならう、って言われる気がするわけで。要するに、西欧の「善し悪し」の判断は客観的であるけれども、アジアではそれはすべて「相対的」に判断されるもののような気がする。要するに古くからのしきたりによる家格と、現在の実際に実力のある家柄がどこなのか、ということで総合的に判断されることになる。そうして、決まった「一番偉い人」の言うことが「良いこと」なのであって、内容はどうでもよいらしくてー;。まさに「馬でも鹿でも」って世界である-;。

ということで、中原の諸侯からある程度「皇帝」の名前を貰えるようになった。オリンピックでは北からも与正ちゃんや美女軍団が派遣されてきた、ということで表向きは平和ムードである。で、そうやって結縁を重ねた結果、どっかの国の将軍様の声も直接届くホットラインが形成された。で、言われたことは「朋友(中国語でいうところの「親友」)になりたい。」@@。えー、でも、その人たちは、ばっちい人たちの仲間なんじゃないの? とか思うわけで。そうすると、「朝鮮半島の金氏姓の人々は遼河文明の末裔であって、数も多く、元から朝鮮半島では最大の勢力を誇る人たちです。」と言われるわけで@@。「親友になりたい」から始まって、しまいには「日本風に親しみを込めて「正ちゃん」って呼んでくれて良い。」と言われる気がするわけで。高射砲で気に入らない人を吹き飛ばすような「お友達??」と微妙に思うわけですが。でも、「邪魔な身内をとっとと片付ける、って蛙の王家も同じことをしてるでしょ。こそこそとやるのか、公然とやるのかの違いだけでしょ。そもそも、本来、そういうことを公然とやるのが正当なアジア式。」と言われるわけで@@。あくまでも古来からの伝統文化にのっとって生活している人達には、西欧の人々のいうところの「人権」なんて、完全に他人事なんだーーー、アジアにとってはアジアの常識と伝統こそが正義って信じてるでしょ? と思う。というか、もうそのあたりで、「外交」というものにはなんだかぐったりと疲れを感じたわけで-;。要するに、北東アジア出身の名家である彼らからすれば、彼ら自身は男系の人々でも、中国出身の名家の出である私にぺこぺこすることは恥にはならない。むしろ、「皇帝」に自分の存在を認めてもらって、「あなたこそが北東アジア最大の要」って言ってもらえることの方が伝統的に大切なことー、と言われる気がするわけで。でも、実際その人が北東アジア最大の実力者でしょ、こちらがお墨付きを与えても与えなくても、現実がそうなんだから、お墨付きを与えて助けてもらえる分は助けてもらった方が、得策。しかも、私たちも彼らも直では北東アジア出身であって、「目の力」が近くて私に声が届きやすい人たちなんだから、表向きの主義主張なんか関係なく、声の届く人を味方にすることが大事、って6番目の子に言われる気がするわけで。そんなこんなで、正ちゃんと与正ちゃんにいろいろと助けてもらえるようになった。それで、敵に対してもよりいろいろと言えるし、対策も立てられるようになった、ということで。

で、敵なんてアジアの中では、権力者に使われる道具に過ぎない。蛙の王家だってそうしているのだし、って言われる気がするわけで。だから、あなたもそうなりなさい、と言われる気がするわけで@@。ともかく、正ちゃんは人肉の毒にも強く、正気の人だし、親は親で一番跡取りにふさわしいしっかりした息子を後継者にしたのだから、そういう点では親も正気で常識のある人であったし、アジア的にはごくごく「まともな人」といわれるわけで。というわけで、正ちゃんが味方をしてくれるようになってから、いわゆる「韓流」と呼ばれる人たちからの敵意は激減した気がするわけで。なんと言って良いのか分からないわけですが、6番目の子曰く、「アジア的」には目上の者は目下の者に奉仕を求めることはできるけれども、その報酬に相手の望むことを必ずしも全て与える必要はない。だから、つきあい方さえ分かればアジア的外交もそう難しいことではない、ということらしくてですねえ@@。その最大の例は、「封神演義」における女禍と呼ばれる女神のふるまいと同様と言われる。女禍様とは、女仙を束ねる最高位の女神であって、殷を滅ぼすように部下の妲己に命じて、妲己はその役目を果たしたのだけれど、「やり方が悪い」と難癖をつけて妲己の首をはねてしまった女神である。上に立つ人は、そういうことを好き勝手にやって良いのが、典型的なアジア式、と言われるわけで@@。その代わり、中国の人は「面子」というものをものすごく大切にするし、誰かが自分を助けてくれると、それこそ子々孫々まで恩義に来てくれたりする義理堅いところもある。それは、上意下達の思想が徹底しているからこそ、そういう中での「他人の親切」というものは、とても貴重なものだから、と言われる。だから、そこでも、「良い人」「悪い人」の基準は、自分に良くしてくれるのか、くれないのか、っていう相対的なものだよねえ? と思う。そこからいくと、正ちゃんと与正ちゃんは、「皇帝」にとって「良い人」だし、最高位の「皇帝」にとって「良い人」なら、それが全てでしょ、というのが果てしのないアジア式思考、ということで。外交って疲れる、と思うわけですが、驚くような「お友達」が増えた気がするわけで。

で、ここまで味方を増やしたのなら、家に何か「紫色」のものを少し入れて、正式に「皇帝」を自ら名乗るように、とエリザベスのおばあちゃんに言われる気がするわけで。敵もその存在の前では、召使いに過ぎないもの、である。で、それを買って家に入れたら、始末すべき携帯を始末して、次は「所変え」って言われる気がするわけで。「だって、どうせ工務店と設計士とはガチで喧嘩する気でしょ?」って6番目の子に言われるわけで。ええ、まあ、気分的にはそんなもの、というか、召使いに召使いらしく振る舞わせるのが、皇帝の初仕事ですか? という気がしないでもない。正ちゃんから、召使いに入り交じって働いたりするな、目下の者の前では渋面を作っておけ、と言われたので、昨日はなんとなくそうしてみたわけですが-;。たぶん、その兄妹からは「帝王教育をしっかりしないとだめだ。」と思われていそうな私な気がするわけで-;。いつも助けていただいています<(_ _)>、ということで。