さて、時間があったら、自分たちのことを「書いて欲しい」と、正ちゃんと与正ちゃんから言われる気がするので、時間があるから書くことにする。というか、オリンピックの期間中、いろいろなことがあったわけだけれども、何よりも痛感したのは、「アジアとは西欧とは全く別の「道理」で動く世界だ。」ということである。
西欧社会では、いわゆる「良い人」、「悪い人」を決める際に、その社会的基準が強固に決まっているように思う。要するに「十戒」ではないけれども、「盗むな、犯すな、殺すな」という社会人として行動する際の文章化された基準が徹底して決められていて、それは国家とか部族とか人種とか言語とか、そういう枠を超えて広く浸透している。だから、それを守る人は「良い人」だし、守らない人は「悪い人」と、たとえ裁判官でなくても、誰でもそういうことがわかりやすいように社会の仕組みがそうなっているのが西欧なのだと思う。そして、裁く側の人、たとえば王様とか裁判官とか、そういう人たちにもその基準はそのまま当てはまる。だから、他者から言われずとも、ある程度はどこでも「法治国家」的だし、最低限の常識とされることを守らなければ、たとえ王様であっても他人から信頼されたり、広く支持を集めることはなくなる。
で、一方東アジア圏はどうなのかというと、諸葛孔明がわざわざ「法治国家」の概念を提唱したのが二千年くらい前であって、ではその前はどうだったのかといえば、要するに完全な専制君主制である。「馬鹿」の語源ではないけれども、王様が「鹿のことを馬と呼べ」と言えば、それが法律であり、それが正しいのであって、「そんな馬鹿な」って言っちゃった人の方が、首をはねられるお馬鹿さんである、というのが古来からのアジア的常識であったらしくて。1万年以上も続く中国古来の文化・文明からいくと、諸葛孔明なんて、「つい最近出たばっかりのはな垂れ小僧」という扱いであるらしくて。「人権」というものをどう思うか? と訪ねたら、「そんなものはばっちい連中の手先のジャンキーが麻薬でラリった状態で書いたものでしょ。」って言われた、っていうか、言われてみればその通りかも、というか、それが「アジア的常識」であるらしくて@@。だいたい、誰にそう言われたのかというと、それは正ちゃん、ということになる。そもそも、正ちゃんってどこの誰? ということになる。
昨年の年末年始では、韓流のアーティストと言われる人たちが割と多く歌番組に出ていた気がする。そういう人たちは大抵は、当時は味方ではなかった気がするわけですが、だいたい、「日本の外に出れば、そこには日本の国とは違う道理が存在する。国に帰れば、上の命令に従わざるを得ないし、従わなければ日本の国よりも簡単に粛正の対象になる。だいたい、韓国の芸能界に自殺する人が多いのは何故だと思うのか。」と言われる気がするわけで。それはいわゆる「粛正」と思うわけですが、では彼らの大部分の「上」は何者なのか、ということになる。それは要するに「北」と言われるわけで。国が違うことも、38度線も関係なく、強力な「目の力」で彼らを支配する者、お手軽に粛正を行う者は、そこにいる、ということで。だから、「韓流」と呼ばれる人の大部分は、いったん成功を目指せば、個人的な意思で「仕事」は選べない。誰かを呪えと言われれば、呪いたくない、と思ってもやらなければならない、と言われる気がするわけで。だいたい、年末がそんな調子であったわけで。
で、オリンピック期間中にいろんな人と結縁するわけだけれども、アジアというのは住む地域によって、家格も決まるし序列も決まる、とまず言われる。もちろん、「目の力」の強い人がのし上がる実力社会であることは、西欧と同じだけれども、集団で考えると、中原出身の名家が一番上、その次が中国周辺の国々出身の名家、さらに辺境の純粋な倭人の家系なんて下の下、って言われる気がするわけで@@。中国本土出身の名家は何万年も東アジアの文化・文明を牽引してきた人たちだから、それだけで家格は「上」と言われる。だいたい、今の日本だって、上層部は蛙の目の人たち、蛇の目の人たち、原始キリスト教徒の子孫、って具合で、大部分は最近日本の外からやってきた渡来人ばっかりで、純粋な倭人が支配層にいることは少ないでしょ、と言われる気がする。蛙の人たちは、元々中国本土出身で、「皇」という神を出す家柄だから、家格としては上の方も良いところらしくて。で、アジア圏というのは、儒教的上意下達思想が徹底しているので、要するに上の人にはぺこぺこする、下の人は踏みつけにする、のが「常識」であるらしくてー;。幸か不幸か、あたくしは上の方の家柄に生まれたので、人々はそれなりに私に対してぺこぺこしてもあんまり恥にはならないらしくて。なぜなら、大抵の場合私の方が上の方の家から出ているからである。では、同族の中ではさらに古くて上の方の家柄であるモソの人々は、中国全体から見るとどういう家格なのですか? と訪ねると、それはやはり少数民族であるので、矛盾しているように見えるけれども、全体からみれば彼らの家格は下になる、と言われる。だから、彼らを人々が敬ってくれるかどうかは、蛙の目の王族が、「自分たちよりも上」とみなして敬えば、他の中原の部族からも敬ってもらえる、蛙の目の人たちが「今は自分たちの方が上」と言って威張れば、他の部族もそれにならう、って言われる気がするわけで。要するに、西欧の「善し悪し」の判断は客観的であるけれども、アジアではそれはすべて「相対的」に判断されるもののような気がする。要するに古くからのしきたりによる家格と、現在の実際に実力のある家柄がどこなのか、ということで総合的に判断されることになる。そうして、決まった「一番偉い人」の言うことが「良いこと」なのであって、内容はどうでもよいらしくてー;。まさに「馬でも鹿でも」って世界である-;。
ということで、中原の諸侯からある程度「皇帝」の名前を貰えるようになった。オリンピックでは北からも与正ちゃんや美女軍団が派遣されてきた、ということで表向きは平和ムードである。で、そうやって結縁を重ねた結果、どっかの国の将軍様の声も直接届くホットラインが形成された。で、言われたことは「朋友(中国語でいうところの「親友」)になりたい。」@@。えー、でも、その人たちは、ばっちい人たちの仲間なんじゃないの? とか思うわけで。そうすると、「朝鮮半島の金氏姓の人々は遼河文明の末裔であって、数も多く、元から朝鮮半島では最大の勢力を誇る人たちです。」と言われるわけで@@。「親友になりたい」から始まって、しまいには「日本風に親しみを込めて「正ちゃん」って呼んでくれて良い。」と言われる気がするわけで。高射砲で気に入らない人を吹き飛ばすような「お友達??」と微妙に思うわけですが。でも、「邪魔な身内をとっとと片付ける、って蛙の王家も同じことをしてるでしょ。こそこそとやるのか、公然とやるのかの違いだけでしょ。そもそも、本来、そういうことを公然とやるのが正当なアジア式。」と言われるわけで@@。あくまでも古来からの伝統文化にのっとって生活している人達には、西欧の人々のいうところの「人権」なんて、完全に他人事なんだーーー、アジアにとってはアジアの常識と伝統こそが正義って信じてるでしょ? と思う。というか、もうそのあたりで、「外交」というものにはなんだかぐったりと疲れを感じたわけで-;。要するに、北東アジア出身の名家である彼らからすれば、彼ら自身は男系の人々でも、中国出身の名家の出である私にぺこぺこすることは恥にはならない。むしろ、「皇帝」に自分の存在を認めてもらって、「あなたこそが北東アジア最大の要」って言ってもらえることの方が伝統的に大切なことー、と言われる気がするわけで。でも、実際その人が北東アジア最大の実力者でしょ、こちらがお墨付きを与えても与えなくても、現実がそうなんだから、お墨付きを与えて助けてもらえる分は助けてもらった方が、得策。しかも、私たちも彼らも直では北東アジア出身であって、「目の力」が近くて私に声が届きやすい人たちなんだから、表向きの主義主張なんか関係なく、声の届く人を味方にすることが大事、って6番目の子に言われる気がするわけで。そんなこんなで、正ちゃんと与正ちゃんにいろいろと助けてもらえるようになった。それで、敵に対してもよりいろいろと言えるし、対策も立てられるようになった、ということで。
で、敵なんてアジアの中では、権力者に使われる道具に過ぎない。蛙の王家だってそうしているのだし、って言われる気がするわけで。だから、あなたもそうなりなさい、と言われる気がするわけで@@。ともかく、正ちゃんは人肉の毒にも強く、正気の人だし、親は親で一番跡取りにふさわしいしっかりした息子を後継者にしたのだから、そういう点では親も正気で常識のある人であったし、アジア的にはごくごく「まともな人」といわれるわけで。というわけで、正ちゃんが味方をしてくれるようになってから、いわゆる「韓流」と呼ばれる人たちからの敵意は激減した気がするわけで。なんと言って良いのか分からないわけですが、6番目の子曰く、「アジア的」には目上の者は目下の者に奉仕を求めることはできるけれども、その報酬に相手の望むことを必ずしも全て与える必要はない。だから、つきあい方さえ分かればアジア的外交もそう難しいことではない、ということらしくてですねえ@@。その最大の例は、「封神演義」における女禍と呼ばれる女神のふるまいと同様と言われる。女禍様とは、女仙を束ねる最高位の女神であって、殷を滅ぼすように部下の妲己に命じて、妲己はその役目を果たしたのだけれど、「やり方が悪い」と難癖をつけて妲己の首をはねてしまった女神である。上に立つ人は、そういうことを好き勝手にやって良いのが、典型的なアジア式、と言われるわけで@@。その代わり、中国の人は「面子」というものをものすごく大切にするし、誰かが自分を助けてくれると、それこそ子々孫々まで恩義に来てくれたりする義理堅いところもある。それは、上意下達の思想が徹底しているからこそ、そういう中での「他人の親切」というものは、とても貴重なものだから、と言われる。だから、そこでも、「良い人」「悪い人」の基準は、自分に良くしてくれるのか、くれないのか、っていう相対的なものだよねえ? と思う。そこからいくと、正ちゃんと与正ちゃんは、「皇帝」にとって「良い人」だし、最高位の「皇帝」にとって「良い人」なら、それが全てでしょ、というのが果てしのないアジア式思考、ということで。外交って疲れる、と思うわけですが、驚くような「お友達」が増えた気がするわけで。
で、ここまで味方を増やしたのなら、家に何か「紫色」のものを少し入れて、正式に「皇帝」を自ら名乗るように、とエリザベスのおばあちゃんに言われる気がするわけで。敵もその存在の前では、召使いに過ぎないもの、である。で、それを買って家に入れたら、始末すべき携帯を始末して、次は「所変え」って言われる気がするわけで。「だって、どうせ工務店と設計士とはガチで喧嘩する気でしょ?」って6番目の子に言われるわけで。ええ、まあ、気分的にはそんなもの、というか、召使いに召使いらしく振る舞わせるのが、皇帝の初仕事ですか? という気がしないでもない。正ちゃんから、召使いに入り交じって働いたりするな、目下の者の前では渋面を作っておけ、と言われたので、昨日はなんとなくそうしてみたわけですが-;。たぶん、その兄妹からは「帝王教育をしっかりしないとだめだ。」と思われていそうな私な気がするわけで-;。いつも助けていただいています<(_ _)>、ということで。