本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、奥の方に崩れた土を片付けて、奥の方の土も少し削る。プルーンの木の断片が少しずつ出る。今日も、割と石が出たのでした。

昨夜は「嵐にしやがれ」を見る。家に帰ると、4番目の子が降臨してきて「明日は「NEWS ZERO」」と言うわけで。「自分も含めて、たいていの人は『嫌われるかもしれない』ではなくて、まずは忘れられずに見て貰うのに必死なのに、7番目の兄さんの悩みは、贅沢な悩み。」とぼやくわけで-;。「そうだねえ。『好き、の反対は、嫌い、ではなくて、無関心だ』、って言うものねえ。」と思う。

6番目の子からは、「愛心覚羅家が宣統帝の問題ではなく、皇后の話を持ち出したのは、『女性に寛大だ』と言われる太陽女神がどう反応するのか試したのでしょ。男性の問題だと、『それは男の人の話でしょ? 男性は、「自分のことは自分でやれ」』って突き放されるかもしれない、と思って。」と言われる-;。別に、それほど極端な男性差別主義者ではないよー、と自分では思うわけですが-;。でも、「満州国」といえば、私の叔母がそこに開拓団の人として行っていたのであって。彼女は、どういう具合か、終戦になる前に内地に帰ってきてしまっていたので、いわゆる「満蒙開拓団の悲劇」とか、そういうこととは無縁であったけれども。でも、もともと、一族の特徴で自分勝手な人であったかもしれないけれども、私たちが知っている「帰ってきた叔母」は、なんだかんだと理由をつけて弟の家に入り込んで、赤ん坊の私を殺そうと画策していた節があるし、一番末の叔父さんの奥さんは、心臓病とかで突然死しているし、叔母はその人とも同居していたことがあるし。義理の叔母さんは、本当はなんで亡くなったのだろうか、と思う。そして、満州から戻ってきた叔母は、どう見ても、それまであったかも定かでないけれども、まともな倫理観が更に欠落していたようにしか見えないわけで。いったい、満州で「何を食べさせられてきた?」その後も、某「学会」とやらを通じて、「何を食べさせられ続けてきた?」と思う。何か、良心が完全に麻痺するものを食べさせられていたのではないか、と思う。

だから、日中戦争とは、満蒙開拓団とはいったい何だったのか、と改めて思う。当時の日本軍の中枢には、私たちから見て「敵」が大勢いた。そして、大陸で多くの犠牲者を出したし、「五族共和」というおためごかしを建前にした人種差別で、多くの人々を苦しめた。でも、その後にやってきた「八路軍」だって、「敵」だし、文化大革命でも多くの人々が酷い目にあってる。蛙の王家の本態が2000年以上前に、日本にやってきた「華僑」であるなら、彼らにとって最大の「神」とは日本風の「天照大神」ではなくて、中国の「皇」であるはず。そもそも彼らは長江文明の生き神である「皇」を排出する家系のはず。一方の黄河文明の生き神が「帝」だから、「皇帝」とは、二つの異なる生き神の素質を兼ね備えて、中国全土を支配できる「目の力」を持っている生き神、というのが本来の意味なのである。だから、始皇帝以前も、以後も、実力のある人々は自ら「皇帝」になろうとして、覇を競ってきた。でも、現在の中国に「皇帝」は表向き存在しない。だって、「共産中国」だし。いったい、誰が、中原で真に「皇帝」となり得る「神」が誕生する前に、敵の手に売り渡したのか、と直訴が来る気がするわけで。誰が支配者になっても、長江流域には蛙の目の人達が大勢住んでいるのだから、「声」さえ届けば、王家は彼らに対する支配を続けることで、彼の国に影響力を与え続けることができる。でも、真の「皇帝」が立てば、王家は支配権を「神」に渡さなければならない。まあ、そういうことは、いろいろと今のことに関係していると思う。

中国の人は、ご先祖様大事が強いし、一族郎党の団結とか、そういうものをものすごく重要視するので。太陽女神が、そういう伝統に従う人であると、蛙の王家に対する苦情なんて、とても恐ろしくて口にできないわけだけれども、もっかのところ、女神と総本家は交戦中であって、中華思想から見ると「とんでもない不良の女神」なので(苦笑)。いろいろな苦情が中原の名族からも出てくるようになったらしい。「大塔合戦」のこともそうだけれども、蛙の王家は、自分たちの都合で騒乱を好き勝手に起こすくせに、自分たちは「旗揚げしない」とかって口実を作って戦闘には参加しないし、他の人がどんな悲惨な死に方をしても、知らんぷりで非道である、という苦情がそもそも大名家から出ているので。日中戦争でも、私の周囲の近親には誰も死者で出ていないし。そこの「王家」はいろいろと問題ありでしょ。おかげさまで「皇帝」は東洋的な専制君主ではなくて、西欧式のリベラル主義者になってしまったじゃん? と思うわけで-;。しばらく、6番目の子には東洋からの苦情が殺到しそうだーー、と思ったのですが-;。

そして、結局私が病理に行くようになったのは、そういう状況にしかならなかったのは、「人肉中毒」の程度が、総本家が好き勝手に操るには不充分だとみたので、一番死体に多く触れるところに追い込んだね? と思うわけで。だから、最後の病院では意味も無く解剖ばっかりやらされた気がする。どういう効果を期待してのことだったのかは、今なら分かる。でも、6番目の子は「大学を飛び出して「死体」というものに全く未練を持たなかった時点で、「人肉の毒には強い」と思っていた。」と言うわけで。諦めずに頑張り続けた兄さん達の努力の結果が今だねえ、と思う。でも、中国の食文化はそもそも「何でも食べるというものだし、それこそ近現代に入るまで「食人」も否定されていなかったので。上に立つべき人は人肉の毒にも強くて当然、という考えは根強いらしい。だから、当代はそういう「皇帝」が出たねえ、と考える人が多い、ということで。そもそも、昔は「日本」なんていう国はなくて、「倭」とは古代中国の辺境の地名に過ぎないので、古くからの家の人達から見ると、「日本」なんて国もない。その地は「中国」の一部だし、蛙の王家は今でも「中国の数ある王家の一つ」って思ってる人が多いんだよねえ? と改めて思う。共産中国なんぞを建てて、「皇帝」を排除しようとすることは、「中華思想」そのものへの裏切り行為、って言われる気がするわけでー;。でもまあ、私自身が、そういう思想は、どうも「自分のこと」としてピンと来ないわけですが-;。