本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日も朝から作業をするけれども、6時半ではまだ薄暗くて作業に出にくくなった。

作業は、南側の土を削って、中に埋められている小石をよりだしているわけですが、掘っていると、腐った木の枝が何本か出てくる。また奥の方から、中くらいのアスファルトの塊が出て、その周辺から大きめの石が数個出る。

おととい、隣家の主人に、車を停める位置について、いろいろと言われた。で、そもそも道路というのは、車を通すだけでなくて、一時的に荷物を置いたりとか、そういうことに使用しても構わないものだと思うわけです。特に我が家の場合、自分たちに所有権がある土地の上でやっていることだから、必要に応じて、車から家に運ぶ荷物を一時的に置いたりしても、全然問題のない行為だと思う。そして、道路の使用権は隣家と5分5分で持っているわけだから、工事期間中に、荷物の運び下ろしを必要に応じて、一日に数十分づつ、2、3回行って、その間道路を占有しても、文句を言われる筋合いではないと思う。道路全体としては、権利は半分でも、基本的には自分たちの土地の上で行っていることだからです。でも、隣家はいつでも100%自分たちが使えなければいけない、という感じで、宅配便とか、道路を使用する必要性がない人達にも、隣家の独断で道路を使用させなければならない、と言う。それでは、「困った時にはお互い様の精神で譲り合う」ということにならない、と思うのです。隣家に荷物を運び込むときには、第三者でさえ道路を優先して使えるのに、我が家は自分の荷物を運ぶ時にすら遠慮しなければならない、と言うのです。そして、私としては、一度隣家に譲歩して、門扉からずらして車を置くことすら、嫌なのです。門扉に車をつけられれれば、そもそも道路に荷物を置く必要性すらないし、狭い道だから、どこへ停めても数センチずれただけで、すれ違いはできなくなるし、毎日毎日、「ここなら通れる。」とか「そこならどけ。」とかっていちいち世話を焼かれるのは嫌なわけです。相手の言うとおりにして、道路に荷物を置いているのだから、そのことで苦情を言われるのも嫌だ。だから、そんなに「通れる、通らない」で苦情を毎日言われるのであれば、私たちが使用する数分は、相手方に道路の使用を、全面的に遠慮して欲しい、と思うのです。そうすれば門扉まで直接車をつけられるし。

で、相手方が「出るところへ出る」とか「通勤時間帯に車を停められて迷惑している」とか言うものですから、本当にそんなんことになっているかどうか、「出るところへ出る」ために証拠集めしなければならない、と思い、隣家の車の出入りを記録したりし始めたのです。

で、兄さん達が言うには、「石やゴミもだいぶ掘り出したのだから、そろそろその効果が実感できるようになってきても良い時期なのに、逆に家周辺でのいやがらせが増してきている。家の近くには味方の名字の家が何軒かあるのに、そこが敵に対しての圧力になるように適切に機能していないし、そうんしないのは総本家の差し金。」と言われる。要するに、総本家は白河上皇と同じで、自分の権力を維持したいから、私の「夫」には、自分の息のかかった人間を配置して、それで私を押さえさせるつもり、ということで。でも、私が「親政」を行うようになれば、「権力」というものは、私とその側近が動かすことになる。そもそも、「太陽女神」の制度は、いろんな人の声が届く人を上に立てて、一定の公平かつ公正な政治システムを守っていこう、とそのためのものであって、だからこそその権力は大きい代わりに一代限りであって、実子がいても引き継ぐことは許されない。子供が次代の太陽女神に相応しい人物でない限り、と言われる。だから、総本家がいつまでも、「太陽女神の後見」として権力を握ったままにしようとしていることの方が問題、と言う人はけっこう多いし、蛙の人達の中でもそう考える人は私に味方してくれる、ということらしくて。

ということで、富の王家は、隣家の仕掛けてきた騒ぎに対して、「太陽女神の保護を行いたいと思う者は、蛙の王家と敵対している者でも、働きに応じて正式に召し抱えるし、臣下が蛙の王家と敵対している問題は、富の王家が代わりに引き受ける。」と正式に王の名前で発布した、と言われる。で、それに合わせて、私の直属も富の王家と強調して動く、ということで、要するに、対総本家の問題の解決は6番目の子の采配に一本化された、と言われる。しかも、富の王家の発布は、蛙の王家に対する宣戦布告も同然なので、この問題に関しては、「しばらく箝口令がしかれることになった。」と言われる。で、これが昨日のことであって、思っていた以上の人員が一日であつまったので、今日になって一定の決着がついたらしくて。

曰く、ここまで神婚を長引かせた原因は、主に総本家と2番目の子にあるので、2番目の子とは離婚。2番目の子と1番目の子の一族郎党は蛙の王家から富の王家の旗下に入り、そこで太陽女神に対する忠誠心があることを示さなければならないし、総本家の当主の処遇はその働き次第で最終的に決定することとする。蛙の王家が任命権を持っていた「月読」の名前は、1番目の子と2番目の子から剥奪して、6番目の子と7番目の兄さんに譲渡される。ただし、1番目の子は特に太陽女神に対していやがらせをしたわけではないので、形式的な「夫」の地位は維持される。2番目の子を管轄するのも富の王家となる、と言われる。で、私に対しては、「2番目の子のお歌」と、1番目の子と2番目の子の「無我童子」は破棄するように。今後、過去の思い出したくないことを思い出させる男とは、2度と関わる必要はないし、そうして忘れてしまいなさい、と言われる@@。そして、今後、太陽女神が正式に誰と結婚しようと、蛙の王家は干渉しないこと、ということで。なんだか蛇の兄さんが大喜びしそうな内容だぞ? と思う。そして、結局私の部屋に残る「横綱」は蛇の兄さんだけになるのかな、と思う。

で、こういうことの効果はすぐには実感できないかもしれないけれども、近隣の味方の家は直接6番目の子の指揮下に入るので、今までよりは味方は近くにいることになる。だから、隣家の主人のいやがらせには負けないように、と言われる。周りがいくら警告を出して助けようとしても、自分たちがほいほいと敵の言いなりになってたら、助けられる者も助けられないわけです。

でも、隣家の主人の図々しさに対して、私の方もけっこう激しくて、朝の5時半に相手の家の前で、親と一緒に「今が通勤時間帯だって言ったくせに通勤してない。」と聞こえよがしに言うし、車の出入りを記録するし、車は言われたところに停める気もないし、相手に「出るところに出る」と言われると「出るところに出れば」と当たり前に言い返す、ということで。我が家の親ではないけれども、そのあたりの住民は本来的には敵でも味方でも、「表面上は穏やかに波風立てない」という気風であるので、隣家の主人は、そういう田舎では「図々しい強面」で通ってきた人だし、だからこそ隣家に配置されているので、そういう人相手にいろいろと言うというのは、田舎ではあり得ないような「猛将」ぶりで、実のところ敵だの味方だの言っても周囲の人はみんな田舎者だから、その姿に多くの人が「ドン引き中」と蛇の兄さんに言われる-;。しかも、裁判の書類が自分で書ける人だから訴訟を起こしてもらっても全然困らないし。板橋なんて貧しい人の吹きだまりみたいなところで、関東で3番目くらいに不良が集っているところだから、そういうところで、町のヤンキー相手にやりあっていたような人には「常識」な行為は田舎では、すごいことに見えるから、と言われる-;。でも、それを見た蛙の一般庶民の人は、「この女なら本気で6番目の子と組んで、総本家の当主に謀反の罪を着せるかも。そうなったら、この女の方が権力者だから、こっちの機嫌を取らないとまずい。」と思う人が多いらしくて@@。庶民感情ってそういうもの? と思うわけですが。庶民にとっては、こういう騒ぎは、会社の平社員が社長の交代劇を見ているようなもので、どちらがなってもあんまり自分たちの生活に直接関係のないものだから、負けそうな方について睨まれるよりも、勝ちそうな方のご機嫌を取るのが普通でしょ? と言われる@@。だから、自分がどんなに「強い」かを一般庶民に知らしめるためにも、負けてはいけないんだー、こちらが勝てそうなら、それだけ味方が増える、って世の中ってそういうものなんだ、と思ったのでした-;。