昨夜は特に夢も見ず。本日は、土台の下の土が崩れ気味だったので、崩れた土を片付けて。それで、脆く埋められた土は、だいたい落として片付けられたのかな、と思うのです。とっこはこれから掘るのです。
月別: 2017年10月
本日の日誌
昨夜は特に夢も見ず。本日も土台の下を掘って。一番奥のとっこを掘り出すためには、周りをかなり大きく掘り崩す必要があるし、それを取らないと、もっと奥にある黒いビニールの北限が分からないわけです。だから、その準備段階で、石が詰まった土を再び掘り始めて。しばらくはそういう日々になりそうです。
昨夜は潤君がゲストの「いってQ」と翔君がゲストの「行列」を見て。潤君が、タイの「田植え祭り」というローカルなお祭り、というか現地の人にとっては、田植えに絡めた娯楽、というかそんな感じのお祭りだと思うのですが、そこに参加する、という内容であって。現地の人達の「声」が直接具体的に私に届いた気はあんまりしないわけですが。「勝って欲しい」というか、祈りというか願いに近い「目の力」を送ってくれる人達はわりと多かった気がするわけで。妻神が好きすぎて、一生懸命頑張ってる若い神のことは、「微笑ましい」と思って見ていた人が多かった気がするわけで。蛇の兄さんが外国に行ったときとは、人々のリアクションが違う、と思って。兄さんは、兄さん自身が王族だし、神様だし、表向きにも正式に妻神と結婚する人、そうなって当然の立場の人、とみんな思ってそう期待するけれども、好きになった妻のために、ただただひたむきに頑張る6番目の子のことは、ただただ「微笑ましい」らしくて。なんだか「新鮮だー」と思って。6番目の子に「こういうのもいいでしょ。」と言われたので、「うんうん」と思って。そもそも潤君が海外ロケに出かけて現地の人と触れ合うような、そういう企画は少ないよねえ? と思ったわけです。今週のMステには嵐がゲストで出るし、土曜日は「しやがれ」のスペシャルだし、しばらく嵐付けになりそうです。
で、ローマのキリスト教が、ヨーロッパで古くから伝統的に続けられてきた「人肉食の儀式」の権利を独占している、というところまでは書いたわけですが。でも、分からないことはいくつかあるわけで。そもそも、「エレウシスの密儀」そのものは、ギリシャの三相女神に捧げられていたものだから、女神が中心の「母系の儀式」といえます。で、その女神達のうち、コレー(乙女)、とデーメーテール(壮年の女性)は、人にたとえれば、生きた人に相当します。でもペルセポネー(老いた老婆にして黄泉の女王)は、死者です。で、彼女は女神なのに、何故死んだのだろう、死ななければならなかったのだろう? と思う。人が老いたら亡くなるのは自然のことですが、ペルセポネーの死は、「冥界の王ハーデースに突然誘拐された」、という神話で表されていて、「老いて普通に自然死した」という印象を受けない。予期せぬ時に、唐突に死ななければならなかった、という印象を受けるわけです。でも「神」であるものが何故突然、唐突に死ななければならない羽目になるのだろうか? と思う。そうすると、それは「夫に起因する死」だから「寡婦殉死」でしょ、と言われるわけで。それはヨーロッパ発の文化で、夫が死んだら、妻も強制的に死ななければならない、というものです。でも、それは男系の文化であって、三相女神は母系の文化の神々でしょ? と思う。そうすると、「ヨーロッパにおける多神教は、母系の文化を持つ人々と、男系の文化を持つ人々との同盟と習合の結果だから、女神の末路については、男系の思想が適応されている。でも、現実に母系が優先される場合、それを回避する方便も確立されている。要するに、老いたる女神が死ななければならないのは、「夫が先に死ぬ」からであって、男系の文化で女性の地位が夫に依存するときには、どんなに身分の高い女性でも、夫が亡くなったときに、その存在価値はなくなる。でも、夫が先に死ななければ、彼女は死ぬ必要はない。要するに、夫が先になくなったら、次により若くて新しい夫を求めれば、彼女は「寡婦」になることはなく、死ぬ必要もなくなる。西欧における「神の死と再生」は、こういう理論の上に成り立っているので、「エレウシスの儀式」も、老いた女神に対して若い夫(犠牲の赤ん坊)を与えることで、女神の命を永遠にするためのものだし。それにローマにしても王権を支えていた有力な女神の一柱はディアーヌであって、ディアーヌの聖地であったネミの森には、常に女神の「夫」である屈強な若い男の奴隷が皇帝の代理人として常駐させられていた。そういう若い「夫」が常に存在する限り、女神は寡婦になる必要も、死ぬ必要もなく、その生命は永遠であり、女神が永遠である限り、彼女が保証しているローマの王権も永遠であるわけ」と言われるわけで。だから、西欧の女神の名前を得る時には、一妻多夫であって、かつ自分よりも先に死にそうもない年の若い夫が当然必要となる、と言われるわけで@@。妻の方が先に死ねば、夫の生死によって殉死する必要はない、と言われるわけで@@。それで30近くも年下の求婚者が目白押しなんだ? というか、富の王家が目指すものは、まさに西欧の神々の名前をも得られる、西欧型の「母系」の形なんだー、と思うわけで。たぶん、私よりも先に死にそうもない「夫」は何人もいると思うわけですが-;。
本日の日誌
昨夜は特に夢も見ず。本日もせっせと土台の下を掘って。昨日掘り出したとっこの周囲をできるだけ綺麗にして。で、目立つとっこは残り一つになったので、その周囲も少し掘って。そして、奥にある黒いビニールの袋のようなものも概要を知りたいと思って、おおよその幅掘り出して。で、石が詰め込まれている土がまだたくさんあるので、そこも掘り崩さなければ、と思った、というところで今日の作業は完了であって。今日は天気も良くて、良い一日でした。
昨日の続きで、エレウシスの人食いの儀式は、おそらく古代のヨーロッパではどこでも見られたものであろう、と思うわけで。でも、キリスト教の時代になると、表向きは、それは「異教の悪しき風習」として、弾圧され消え去るわけです。それにはいくつかの事情があるわけですが、キリスト教そのものは、「神への犠牲に捧げられた」のは「イエス・キリストただ一人」とされ、それ故にイエスだけが神と一体となった存在であり、イエスが死を持って人類の罪を贖ったとか、とされるわけです。でも、ミサなんかではパンを「イスの肉」、ワインを「イエスの血」と称して飲み食いさせるわけですから、かつてはそうやって人肉を儀式で食べていた風習があったことがうかがわれるわけで。キリスト教は、そうやって古代世界で普遍的に行われていた生け贄の儀式を、「イエス一人だけのもの」と特化させることで、他の生け贄の儀式を禁じてしまった、ともいえます。生け贄になるのも、一種「選ばれた人」ではあるので、そういう特別な人はイエスだけ、と述べているのです。でも、そもそもキリスト教とは、生きているイエスが作り出した新興宗教であったわけですから、「イエスだけが唯一絶対の犠牲となる存在(イエスのみが死すべき存在)」だという教えでは、本来なかったはずなのです。だって、教祖様が死んでしまうことが前提なら、なんのために新興宗教を興すのか? ということになるからです。しかも、紀元前後のユダヤの新興宗教というのは、ほとんどが「ローマからのユダヤの独立」を命題に掲げており、たいていは政治色の強いものだから、過激ではあっても現実的に「生きる」ということは大切にしていたと思うのです。イエスの弟子の中にも、政治的に過激な思想を持つことが明らかな人が何人もいました。だから、今現在のキリスト教の教えはイエスが作り出したものとは言いがたいのです。今のキリスト教の教えは、イエスの死後、その死を都合良く利用しようとした人々が作り出したものなのです。で、その最大の目的は、ヨーロッパ周辺で広く行われていた「麦の種まきに緘する人肉食の儀式」を禁止することでした。もっといえば、その「儀式」を行う特権は「教会にのみ存在する」と広言することであったのです。そして、その「権利」を彼らは実に残酷で、都合の良いやり方で行使してきたのです。
本日の日誌
昨夜は特に夢も見ず。昼寝をしている時になんだか夢を見て。まだ学生で、学年が上がったので、なかなか会えなくなった友達に会いに行って、その帰りに帰ろうとしてどこかの病院に迷い込んでしまって、そこから出ようとしてもうまく出れなくて、地下に潜って、狭いトンネルみたいなところから抜け出そうとしたら、「まだ貫通していないから駄目」とかって言われる夢で。で、昨日の夜は、なんだか大きなデパートみたいなところで、斎宮の宮と二人で買い物をする、という夢を見て。で、春宮も唐突に出て来て、何か話をして。このお二人の夢を見るのも珍しい、と思って。
で、本日は天気予報では午前中雨、とのことだったのですが、午前中は晴れて、午後夕立が来て。でも、その割には割と掘れて、とっこもまた新たに一つ出たのでした。で、一番最南端の土の中に、タールの塊が少し入っていて、それを削り落として。そのすぐ北側に大きな黒いビニールが入っているので、それも徐々に掘らなければならないわけで。で、昨日は「買って欲しい」と言われていたソフトをまた少々買って。そうして穴を掘っていたら、「そもそもエレウシスとはなんのことだと思うのか。」と尋ねられるわけで。ギリシャにあるエレウシスの遺跡は、古代の豊穣の女神デーメーテールの聖地であって、デーメーテールとその娘ペルセポネーの死と再生の神話に関する密儀があった場所なわけです。その神話は、デーメーテールの愛娘ペルセポネーが冥界の神ハーデースに誘拐されて黄泉の国でハーデースの妻にされてしまうわけです。で、娘がいなくなったデーメーテールは女神としての仕事を放棄して地上を彷徨い、エレウシスでその地の王子の乳母となって、人間に身をやつして暮らしていたのですが、王子を「不死の存在」に変えようとして、特殊な薬を体に塗って、火であぶっていたら、そこを王妃に見つかって、騒がれたために王子は不死の存在になりそこね、正体がばれたデーメーテールは「自分を祀るように」と言い残してエレウシスを去った、と言われており、それが密儀の始まりと言われているわけで。で、神話ではデーメーテールは遂に娘がハーデースに誘拐されたことを知るわけですが、ペルセポネーは冥界の食べ物を食べた後であったので、完全に地上に戻ることが許されず、1年のうち2/3は母親と共に地上で暮らし、残りの1/3は冥界で夫と共に暮らすこととされ、ペルセポネーが冥界に下る時期には、母親のデーメーテールは悲しむので、世界は冬になってしまうのです。ということで、これは季節の循環を現す神話ですし、そもそも、ペルセポネーは娘時代にはコレー(乙女)という名前であったとされるので、コレー(乙女)、デーメーテール(壮年の女性)、ペルセポネー(死した老いたる老婆)は、西欧につきものの「三相」を示す一対の女神であって、「同じもの」とみなされるそうで。この3組の女神が、人生も示すし、命そのものの「循環」も現すわけです。でも、死したるペルセポネーを蘇らせるためには、相応の「犠牲」が必要とされたはず。「不死」とされようとした幼い王子とは、ペルセポネーの命と引き替えに、というか冥界でペルセポネーの新しい「愛人」となるために焼き殺された男の赤ん坊のことでしょ? と思うわけで。だいたい、こういう儀式は農業と関連があって、西欧では麦の種蒔きは秋から冬にかけて行われるので、種蒔きの時期の前後にこういう儀式が行われて、人々は赤ん坊と共に冥界に下り、冥府の女王と同じテーブルについて、同じもの(すなわち焼いた赤ん坊)を食べて、新しい命を得て若返った女神が次の収穫の時期に豊穣をもたらしてくれるのを祈る、し、場合によってはお酒なんかが入って乱交状態になり、そうやってできた通常外の赤ん坊が次の儀式での犠牲になる、とか「エレウシス」とはそういう祭祀だったのではないの? と思うわけで。だから、これが西欧に広く広まる「クリスマス」と同じモノだよね? と思うわけで。そうすると「エレウシス」という言葉の意味は? と聞かれるわけで。「エレ」という言葉はそもそも「神」という意味だから、それは「ウシス神」とでも呼ぶべき地名だよね? と思う。そうすると、ギリシャ後での「ウシス」は、エジプトでの「ウシル」すなわち「オシリス」のことでしょ、と言われるわけで@@。要するに、「エレウシス」で行われるのは、オシリスの死と、麦としての再生の神話の再現で、冥界に送られる子供は生きたまま焼かれたんだ? と思うわけで。そういうことは、古代の西欧ではどこでも当たり前のように行われていたことで、だからこそ西欧の神々は人食いの「悪魔」なわけですがー;。コレーとは、トルコの古い時代の太母キュベレーのことで、ローマではリーベラと呼ばれ、デーメーテールはディアーヌ、ペルセポネーとはウェスタとなる、と言われるわけなのですが。
本日の日誌
昨夜は特に夢も見ず。本日は、午後から雨との天気予報であったので、午前中できるだけ作業することにして。崩れた土を全部片付けて、その奥に突き刺さっている棒を掘り始めたのですが、粘土質っぽい土の中にビニールが埋まっていたりして、相変わらず掘りにくいのです。で、午後は雨が降ったので、ずっと昼寝の続きで寝ていて。
去年使っていた電気ストーブが壊れてしまったので、新しいものを買って貰って。来年のカレンダーも買って、そろそろ年末ムードなのです。で、現場に置いておいたトイレットペーパーが一晩で2,3個消え失せていて。こういう細かい嫌がらせもされるわけです。
昨夜は「TOKIOかける」を見て寝て。6番目の子にはなんだかとても心配されている気がして。でも今日も新しいとっこを発見したし、掘らないわけにいかないしー、と思うわけで。今日もそんな一日だったわけです。