本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。ともかく、大きなアスファルトの塊を見つけたので、「掘り出してしまおう」と思って、今日はせっせと掘り出して。周辺の土を大量に崩したので、親にも手伝ってもらって、残りの時間は土の片付けに専念して。

で、いろいろと思うことはあるわけですが、「人肉中毒は危険」といっても、例えば昔、戦国時代とかは、今よりも当たり前にそのあたりに死体が転がっていただろうし、食環境も悪くて、誰でも「自分に合った」ものが食べられたわけではないと思う。じゃあ、そういう時代に生きた人達は、どうやって「人肉中毒」にならずに生きていたの? と思うわけで。そうすると、「そういう時代ほど、暴君とか独裁者というものは誕生しやすくなる。それは、一方では為政者が人肉中毒で残虐性と狂気を発揮するからだけれども、そうならない人達は麻薬中毒と同じで、面倒な思考を嫌ったりとか、本能的に生存に必要な目先のことにしか関心がなくなるので、庶民の中にそういう人達ばかりが増えると、暴君が発生しそうな兆候が見えても、無関心な人ばかりになって、事前に防ぐ、ということができなくなる。また、暴政に晒されても、そういう自覚すら持てなくなるから、対応能力もなくなる。そういうことを防ぐためには、いろいろな能力の乏しい庶民レベルから、自らの意思を鍛えたり、洞察力を身につけられるようにして、多少の人肉中毒に陥っても、正気を保てる人が多いようにしていくしかない。だから、一つには、自らに合った食物をできる限り選んで、危険なものにはなるべく手を出さないように、己を知ることをしなければならない。また、子育ての段階で、子供ができる限り精神的に安定してバランスの取れた子供に育てると、多少のストレスには負けない大人に育つので、自然と意思の力は鍛えられることになる。だから、現代的な『育児理論』とかそういうものは、肉中毒の症状から、子供や社会をどう守るのか、という観点から作られているので、それが徹底している先進国ほど、暴政とか争乱は起きにくくなる。」と言われるわけで。大抵の人からは、「誰でも肉の毒そのものに、多少は抵抗力を持っているものだから、普通に親戚が亡くなって葬式に参列した、とかその程度のことで、重篤な人肉中毒を発症する人はごく少ない。だけど、富の王家の伝承のように、「死体」を避けて、狂気の発動を極端に避けるためには、親の葬式にも出ずに清浄を保つ、とかそういうことになる。女王卑弥呼が、宮殿の奥深くに閉じこもって、穢れを避けて暮らしたのも、死体はそこらへんにゴロゴロある時代であるので、正気を保つため。」と言われるわけで-;。でも、結局は「アル中」と同じで、それは誰でもなるものだけれども、少々穢れに触れただけではそれほどの異常は生じるものでもないもの。でも、大量に摂取すれば人格の荒廃と狂気をもたらすし、そこから逃れ得るのは、毒にあまりにも強いので影響を受けない人か、あまりにも弱すぎるのでわずかな接触でも気分が悪くなって、それ以上の摂取が無理な人だけ。そして、育つ過程で、生育環境が悪くてストレスに普通でない反応を示すような、意思の力が弱い人が陥りやすいのも、アル中と同じ、と言われる。だから、普通の生活をしている人はほぼほぼ問題ないのだけれども、医者とか坊主とか葬儀屋とか、死体に濃厚に触れうる人はより危険度が増す。人肉食が当然とされる食文化の人々は、成人の通過儀礼として人肉を敢えて食べさせ、どの程度の症状が出るのか、どの程度その毒に耐えうるのか、ということを一人一人判断して、最終的なその人の「階級」を決める習慣がある。それが、エレウーシスとかそういう「密儀」であるわけだから。食べて異常を来す人は「下の階級」にせざるを得ない。毒に強い耐性を持つ人で、優れている人が指導者に選ばれるのは当然のこと、と言われるわけで-;。要するに薬物中毒一般と同じで、普通に中毒になると「いろんなことを普通に考えることが嫌になってできなくなる」人が多いわけで、そういう中に特殊な狂気を発動してくる人が混じる、とそういうことねえ? と思うわけで。敵はそれを自分達が世界を征服するために利用しようとする、味方はそれに対してどう対抗するかを常に考える、とそういうことなんだ、と思う。

先週の木曜日の「ニノさん」は、「偉人の隣人」とかというもので、「有名な人の近くにいる人を呼んで話を聞こう」という企画であって。「名探偵コナン」の作者の漫画家青山先生の担当編集者が登場して、トリックの作り方とかを話していて。青山センセイ自身は、ものすごく忙しくて外出することも滅多にないらしいのですが、なぜかスケジュールが空いていたとのことで、「ニノさん」の登場していて。「コナン」といえば、連載は少年サンデー、アニメは日テレ、ということで、アニメですら20年以上続いているし、毎年公開されるアニメの映画版は興行収入が630億になるビッグプロジェクトらしくて。で、何故これが気になったかというと、これを見たのが土曜日で、土曜日の昼間に作業をしていたら、ふっと大名家のおっちゃんが降臨してきて「青山君は、味方ではないけど、扱いやすい人だ。」と言ったからで。アニメ版コナンは、好きで騒ぎが起きる直前まで見ていて。コナンのプロデューサーは、日テレのアニメ部門の生え抜きの人で、諏訪道彦、という。この人は、大学卒業後、日テレに入社してアニメ部門に就任し、いろいろなアニメをヒットさせた、ということで、今では取締役に名前を連ねるくらい出世しているようなのですが。どうにも、どこかで大名家と繋がっているでしょ? と思う。大名家の当主の考え方は特殊であって、ともかく「武家の社会は『ご恩と奉公』なので、敵とか味方とか関係なく、一定の『奉公』を示してくれる人には、こちらも公平に一定の『ご恩』を返さなければいけないもの。」というものであって、青山センセイは、おっちゃんにとっては、「敵だけれども、一定の奉公はしてくれる人」であるらしくて。で、彼の作中のコナン君と同じく、「人を見る目の洞察力」は優れた人らしくて。センセイ曰く、「太陽女神が、一番普通の人らしく生活していたのは、埼玉に住んでいた時期である。そこで何を好んで食べていたかといえば、親の管理下にある時に食べられなかった豚肉をたらふく使ったカレーをお腹いっぱい食べていたわけで、豚肉食が「普通の人並み」の生活をもたらした一番の原因を思われる。一方、牛肉を食べるようになってからは、本人訴訟を起こしたりしているわけで、そういう才能があることは優れた人の証拠でもあるけれども、「普通の人並みの生活」という観点からすれば「普通」とは言いがたく、理性は保たれていても攻撃性が増している。普通と思われる範囲での適度な攻撃性と判断力を保つためには、適度に豚肉を食べるべき」ということらしくて。もう少し豚肉を食べる量を増やして貰うように、今は戦いの最中だから、といわれるわけで@@。要するに、センセイは私を直接鑑定するために「ニノさん」に出たのですねえ? と思うわけで。

日テレはジブリの映画にも出資しているし、今やアニメは日本が世界に誇る一大産業である。その中枢に、ジブリの賢人達とか、出雲神族の上層部の人間がいるということは、けっして偶然ではないし、富の王家はそうやって富を得て、お金を必要なところに回すことにたけている、と言われるわけで。しかも、子供向けのアニメは、友情の大切さとか、自分自身が洞察力を働かせて頑張ることの大切さとか、男の子は好きな女の子を守るために頑張らなきゃいけない、とかそういうことを子供達に教える役目も果たすので。そうやってお金や思想を、世間に回している、ということで。

で、二宮君が、コナン君を描いた色紙を青山センセイから貰っていたので、ちょっと「いいなー」と思ったというか、いずれ守達神に直接会うことがあれば、見せて貰おう、と思ったわけで。そうしたら、センセイから、「謁見する時には、そんなに欲しければ描いてあげるよ。」と言われたわけで@@。「でも、あなたに描くなら、描くのはコナン君ではなくて、蘭ちゃんでしょ。守達神のところにコナン君、太陽女神のところに蘭ちゃんの色紙があれば、それで二人はお似合いのカップルでしょ。」と言われて。それはそうかもしれない、と思う、というか、それが日頃、自分から「ああして欲しい、こうして欲しい」とほとんど言ってこなくて、6番目の子のサポート役に徹している守達神の望みなんだなあ、と気が付いて。コナン君は、本当は幼なじみの蘭ちゃんと同じ年なのに、謎の組織に謎の薬を飲まされて、年が一回りも若くなってしまったので、正体を隠して大好きな蘭ちゃんと一緒に暮らしているわけで。年が13も若いコナン君と、姥桜の蘭ちゃんですか? と思わず突っ込むわけですがー;。コナン君の本名は「新一」というので、おそらく本来は7番目の兄さんを想定したものであると思うのですが、守達神の功績を考慮して、彼の願いがこういう形で許されたのだと思う。私も、こういう形で望みを言って貰えると、それはそれで安心します。なにせ、「婿」の兄さん達の数が多すぎて、いろいろと大変だからー;。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は午前中を中心に雨が降っていて、かつ家人を病院に連れていかなければならない日であったので、「仕事」はお休みにして、運転手に専念して。

「建築基準法に適さない瑕疵があることが確実の建築物の引き渡し」について親と少し話したのですが、ものすごく厳密に言うと、契約的には「建築基準法に適した建物を業者は建てなければならない」という文言が盛り込まれていなくても、法律的にはそうしなければ「ならない」ものだし、そのために各種法令はあるのだし、工務店を監督するための建築設計士や行政があるわけだから。法令に違反するような瑕疵のある建築物なんて、いくら建ててもらっても、材料費すら支払う義務は施工主にはないわけです。(取り壊して、法令に適したモノを建て直せ、と言うことはできる。)

で、親としては「お金を払ったらそれで終わり」みたいな気分なわけですが、通常では、建てた建物にメンテナンスが必要な場合には、工事をした電気屋さんとか、工事をした水道屋さんに補修をお願いすることを前提にしていろいろな法令的な取り決めがあるわけだから、厳密に言えば、業者に原因がある瑕疵が支払後に発覚した場合には、当然瑕疵の修復とか、損害賠償を求め得ます。別に「払ったら終わり」ということではないわけですが、悪徳業者はだいたい裁判とかに持ち込まないと話が進まない、とかそういうことになるので、手続きが面倒くさいから、支払い前に分かっていることはカタをつけてしまうことが好ましいわけで。相手が誠実な業者であれば、必ずしもそういうことではないわけです。

だから、今回、工務店側が言ってきたことは、2重に意味があるわけで。本音は、ともかくもう、「これ以上掘らせるな」ということしかない。掘れば掘るほど、敵が不利になるからです。でも、表向きの意味は、彼らの言動から明らかなように、「できるだけ多く支払いをさせたい」ということにあるわけで、下手をすると「完了検査を済ませた」ことを理由として「瑕疵は無い」とか、そういう図々しいことを言いかねないと思うので。「法的な手続きのために、やむを得ず役所を誤魔化すとしても、今後瑕疵がなかったこととして本件を取り扱うつもりはない」ということは、表向きに明確にしておきたかったわけです。呆れるようなぼったくりの請求書が図々しく送られてくるようなら、そもそも法律の原則に則って「支払い義務がそもそもあったっけ?」と言わなければならなくなるかもしれないからです。でも、施工主の「支払い義務の停止」の原因が「工務店と建築設計士が隠蔽したがっている瑕疵」にある場合には、支払いをしなくても、彼らはどこにも訴え出られないでしょ? 隠蔽しなければならないんだからさ? ということになるわけで。結論から言えば、最終的に必要だと思われる予防線は、こちらとしては当然に張るけれども、「何言ってんだ?」くらいのことしか言われていない、とそういうことになるわけで。

古代ローマの歴代の皇帝の中には、年を経るごとに言動に異常を来して、自滅している人が何人もいる。それは歴史家からは、「古代ローマの上水道管には鉛が含まれていたので、鉛中毒の症状だったのではないか。」と言われたりするわけです。でも、古代のローマ人は、貴族も市民もみな同じ上水道を使っていたわけだから、皇帝だけがそれが原因で狂うのはおかしな話なのです。それに、イエス・キリストは、自らの組織が「新興宗教」として頭角を現していて時期に、エルサレムへ行ったら弾圧されて、身に危険が及ぶ可能性がある、と知っていたのにエルサレムに乗り込んで、結果ローマの手に落ちている。その点で、彼は「エリサレムへ乗り込んで、自らの勢力を更に拡大したい」という欲望に勝てなかった。すなわち判断が狂っていたのです。そして、手の付けられない暴君であった雄略天皇。結局臣下は、その家系そのものを見放して、用意周到に何代もかけて滅ぼしてしまうしかなかった。おそらく、その人も年を経るごとに残虐さを伴う狂気が増して行ったのだと思う。でも、それは「何故?」と問うと、「それが人肉中毒の症状で、年を経る毎、食べれば食べるほど症状は悪化するもの」と言われるわけで。古代ローマの皇帝とか、古代の天皇とか、そういう昔の人ではなくて、私が若い頃からよく知っている人で、明らかに年を経る毎に「言動がヘン」と感じる人がいる。そして、私の周囲の人達の言動も、確かに若い頃から「ヘン」ではあったけれども、でも、最初に働いた職場では、「勝手な人が多い」という以上のことは、どうにもあまり感じなかった気がするわけで。で、次に働いた職場でも、いろいろ嫌がらせは受けたけれども、でも、上司の「個人的な嫌悪」以上のヘンさは感じなかった、というかそんな感じであって。組織的に露骨なまでに「異常だ」と感じたのは、3番目の職場であって。これも、私自身のことではないけれども、私が年を経る毎に「周囲の狂気が増している」気がするわけで。で、遂に、工務店自らが「自分と建築設計士が共謀して、違法建築物を建てている」って施工主にカミングアウトする時代が来ましたよ。それが事実だと言うことは分かっているけれども、どうみても言動としては「異常」でしょうが、と思うわけで-;。誰が建築物を「違法状態」にしているとしても、責任があるのはその時期に現場に関わっていた工務店と設計士だぜ? と思うわけですが。

で、何故こうなるのか? と問えば、「人は上位に来る神に精神的に支配されている。上位の神が人肉中毒によって狂気を増せば、下位の神々の言動も狂気を増す。」と言われるわけで。工務店の社長の間抜けの極みの発言の原因は「鹿島の神」のご乱心ですか、そうですか? ということで。どうにも、危うい状態なので、ローマ人の中にすら、もっと正気で「人肉の毒」に強い神に交替させた方が良いんじゃないか、という意見を持つ人が出るくらいらしくってですねえ?

なんで、私は「人肉の毒」に強いってみな思うのですかね? と問うと、まず「そういうものは酒と同じで、弱い人は死体の匂いを嗅いでいるだけで中毒症状を起こす。」と言われる@@。でも、そんなものを直接「食べ続けたこと」なんてないですよ? 宴会でフランス料理のフルコースとか食べたことはあるけれども、「自分のための皿」なんて年に1回くらいのことで、それも合計3回くらいじゃん? 大学にいた時代から数えても、せいぜいが6,7回、と思うわけで。そうしたら、「死体を解剖したメスで切りつけられて怪我をしたことがあったでしょ。傷口から死体の成分が直接体内に吸収されている。あなたにとっての最大の『人肉の天秤』はそれであって、そこからどのような狂気が発動してくるのかを、敵はずっと観察していた。」と言われるわけで@@。だから、うかつに医者だの歯医者だの看護師だのになって「死の穢れ」にまみれるようなことはあってはならない。まみれればまみれるほど、人肉中毒に陥って、敵のいいなりになるしかならなくなるから。ということらしくて。だから、あれだけ死体をつつき回しておいて、「医者はもうやらない」と言って平然としているということは、それだけで中毒症ではない。しかも、例の大震災では、被災者を一人でも多く助けようとして多くの言霊を使ったけれども、苦しんでいる人達を見て、喜びを感じ「もっと苦しめば良い」とは思わなかった。それが、「人肉中毒のもたらす残虐さの狂気」は発動していない証拠、と言われるわけで-;。で、東京を去る前に、一番好んで食べていたものは何か? と聞かれるわけで。東京を去る直前に、「これからはもう好き勝手に肉もたらふく食べられないだろう。」と思って、お安いオージー産の牛肉で作ったビーフカレーをしこたま食べたわけで。まさに、それが東京時代の私の「最後の晩餐」になったわけで-;。東京時代の最後は、お値段的にそればっかり食べていた-;。そうして、裁判の書類を書き、何かを書いて戦っていたわけで。だから、「牛肉を食べて攻撃性が増すのだから、あなたは誰がどう見ても人肉中毒ではなくて、牛肉中毒でしょ。でも、そのせいで無作為に他人を攻撃したりはしていないから、西欧人からみれば、それは「肉中毒」の症状とは認められない程度にしか過ぎない。」と言われるわけで@@。理論的に言えば、「人肉よりも牛肉の方が禁忌」と言われるわけですがー;。でも、牛中毒は敵にとっては痛し痒しであって、最近では特に牛肉がお安くなっているので、食べようと思えば、それは敵と取引をしなくても手に入る品物であるので、敵はそういう相手を拘束しにくいわけです。肉が主食の西欧の人々にいろいろと期待されるのは、人肉を始めとして、「肉全般の毒」に強い体質だからなんだ? 肉を食べ続けて年をとっても、比較的正気を保てるから? と思うわけで-;。

で、家に帰ってから「ブンブブーン」を見たわけで。本日のゲストは貫地谷さんであって。貫地谷さんは「蛙の目」の女性であって、蛙の目の人で、吉備津彦命の配下の人である。彼女からはただただため息をつかれて、「私はいろいろと言う立場ではないから」と言われただけであってー;。チーズカルビ屋の姜さんにもため息をつかれるわけですが、なにか申し訳ない気はするわけですが、7番目の兄さんの前で言いたいことは言わせて貰えないだろうな-、と思うわけで-;。でも、吉備津彦命のことを思い出して、そういえばその人も「蛙の目」の人なんだなー、と今更ながらに気が付いて。周囲から「今になってそんなことで、毎日直接顔を合わせていた大学時代は何だったのか?」って突っ込まれるわけですがー;。そんなこと言われたって、わかんなかったものは分かんなかったんだし、と思うわけで-;。それで、いろんな動画を見ていて気が付いたのですが、なんでその3人は医者を辞められないのですか? とふと気が付くわけで。「彼らは、ただ太陽女神を助けるためだけに、行く必要もない医学部へ行って、人肉中毒になっているのです。だから、味方が手厚く守って、中毒の狂気が増さないように、かつ禁断症状を起こさないように、量を厳密に調整して肉を供給され続けられなければならない。だから、医者は辞められない。それは、ただあなたのためにそうなったのです。」と、貫地谷さんにため息をつかれるわけで@@。ため息の原因はそれかーーー、と気が付かされるわけで。多くの人に迷惑をかけてここまで来たことは知っている。でも、だからといって、その人達を特別扱いしなければいけいもの? とふと思うわけで。ダライ・ラマのおじいちゃんからは、「釈尊はどんなものを食べて中毒に陥っても、自らの意思を鍛えて、人としての正気を保つように、と述べた。それは、その人自身にしかできないことだから、それを実践することを「悟り」と呼ぶし、自力本願というのです。釈尊はそうするために家族を捨てて、一人で己の道を歩んだのだから、あなたも釈尊と同じように自分の道を行きなさい。」と、ただそう言われるわけで。チベット仏教の「活仏」とは「生きた仏」であって、代々生まれ代わると言われている。では、そうだとすれば、彼らはいったいそもそも「誰」の生まれ代わりなのですか? と思う。そうしたら、「それは一番最初に仏になった人でしょ?」といろんな人に言われるわけで。おじいちゃんは、自分がただの「シッダルタ太子」と呼ばれていた頃のことをどのくらい覚えているのだろう? と思う。そうすると、「だいたい、エリザベス女王と同じくらい」と言われるわけで@@。貫地谷さんには申し訳ないと思うけれども、その人達のところへは行けない、と思う。他に、「来て欲しい」と言ってくれる人達がいるのなら、そこへ行きたいからです。それだけのことなのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は現場に出かけて、まずは水の始末から始めよう、と思っていたのですが、幸いにも坑道の奥の方の水が引いていたので、わずかですが掘り出しを再開できて。

で、結局、歴史的に何があったかというと、雄略天皇の時代に、常陸国の鉄を巡って大きな争乱があり、鉄を直接支配下に置きたかった雄略天皇は常陸国に征討軍を送り込んで、それに反対する地元住民を残虐なやり方で弾圧したわけです。でも、暴君であったので、そのことは誰も止められなくて。結果、何代もかけて、雄略天皇の家系そのものが中央の政界から排除されてしまい、継体天皇が立つことになったわけです。中央の政治はそれでひとまず落ち着いたとしても、常陸国を中心とした北関東には、雄略天皇が送り込んだ建御雷神を信仰する人々が、居座って土着の豪族と化し、直接北関東を支配しただけでなく、次の征服先として奥州を虎視眈々と狙っていたわけです。それだけでなく、本来の常陸国造家の祖神である「香島神」を、「建御雷神」と「同じ神」であるとして勝手に宮を乗っ取り、常陸国一の宮の主神の座を奪ってしまったわけです。だから、敵の勢力の方が強くて、敵が直接「建御雷神」を任命し続ける限り、常陸国では本来の国主となるべき「香島神」を立てられない、ということになりました。でその一方で北関東の諸豪族は、平安時代に入ると桓武平氏の高持王とか、清和源氏の源義家を東国に引き込んで、建御雷神の名による東国の平定と、奥州への侵攻をもくろみ続けていたわけで。彼らの野望は、源頼朝が奥州藤原氏を征服した際に完成するわけで、結果頼朝が関東武士団に奥州を細切れにして分け与えることになり、その後千年もの間、奥州に神はなく、人々はただ北関東からやってきた侵略者達に食い散らかされるままであったわけです。だいたい、仙台の伊達氏とかも、頼朝に領地を分けてもらった人達だったと思う。富の王家と蛙の王家にとって、組織が弱体化してくると、一番大切なのは、まずは彼ら自身の本地を守ること、そして中央での権力をまずは維持すること、になりますので、誰の本地でもない奥州と北関東は、どうしてもまず一番最初に切り捨てられる存在になってしまっていたのです。でも、当代に至って、敵に対抗出来る言霊を持つ東国出身の神が国主に相応しい、と人々の大きな支持を得るようになり、富の王家の太陽女神が信濃国守、武蔵国守、陸奥国守を兼任することとなったので、常陸国造家那珂氏から、正式に藤原氏の血を引く神に、本来の彼らの祖神である「香島神」の名を、偽りの「鹿島神」から奪還して、国守の地位を得て欲しい、という要請が来るようになったわけで。那珂氏とは、中臣氏、すなわち藤原氏のことです。要するに、彼らの「祝」である紀香姉さんと一緒に、鹿嶋神宮に行け、とそういうことね? と思うわけです。姉さんが現世における「香島神」の代理人となるべき、一族の頭領だからです。

で、そうするとどうなるかというと、常陸国で「香島神」の方が、「建御雷神」よりも上位に来ることになる。それは、ローマのユーノー・ウェスタが、ローマのユーピテルよりも上位に来ることでもあるので、常陸国内の問題というだけでなく、ローマを中心とした西欧社会にとっても大きな問題であるわけです。だから、そうなるとユーピテルの存在価値は、どっかの当の前原代表と同じくらいになってしまって、「どこにいるの?」という程度になってしまう。それは、敵としては何としても阻止したいこと、であるので、いろいろといやがらせをしてくるわけで。

で、敵はどうでるのかねえ? と思っていたら、今朝、家の水道の一つが、詰まっている上に出しっ放しにされていて、廊下が水浸しになっていて-;。でもって、例によって工務店の主人であるネプトゥーヌスが、「穴を埋めて、違法建築物を正規の建築物として料金を支払え」と脅してくるわけで。だいたい、2,3日前から、「おかしなことはおかしい、と言えるようでなくてはならない。」と神家党のおっちゃんなんかに言われていたわけで。いくら、違法建築物が建築されていることを、役所がぐるになって黙認していたとしてもですねえ? 施工主が、業者から「違法建築を隠蔽して正規の建物の料金を払わないとただではすまさない」と脅されているのですけれども、役所はそういう違法建築物に完了検査を出す方針だと理解して良いのか、と直接問い合わせられたら、役所は何て返事をせざるを得ないですかねえ? と思うわけで-;。「おかしなことはおかしい」と言うのはこのことだと思ったのですが。業者違法建築物を建てて、施工主に「違法建築物ではないとして料金を支払え」って言うなんてとんでもない。違法建築物であることが明らかであれば、なおのこと役所に通報して、悪徳業者を監督してもらうのが「常識」でしょうが、というのがまともな見解だと思うのですが。どのみち自分に損になるようなことの隠蔽工作になんか協力する気はないわけで。普通、そういう場合は、料金を支払わせるのでは無くて、口止め料を支払うのが常識でしょ? と思うわけですが。それを言って、こちらが「脅迫している」と言われるのは嫌だから言わないだけであってー;。常識のない連中の相手をするのは、疲れるわけです。でも、敵の行動も様式化して分かりやすくはあるわけで、今日は「香島神」の名乗りを上げることの邪魔に押しかけて来られたわけです。私がいつどこで、誰とどんな神社に参詣するのかは私の個人的な問題であるので、くだらん妨害工作なんかする暇があったら、ゴミの一つも掘っていけ、というのがむしろ妥当な意見だろうと思うのです。

奥州と北関東の本来の住民の間には、このように雄略天皇の東征以来、彼らの「正しい神」を取り戻したい、という1500年にわたる悲願があり、敵は自らの圧政を続けるために、それを阻止しようとしてる。どうも、どこかの芸人に伊達氏の一族の者がいる、と「しやがれ」で見た気がするわけで。表向きは、彼は仙台のエリート一族の中で、芸人になった変わり種、と評される。頼朝以来、東北の征服者の一人となった伊達氏は、今でも仙台の政財界を牛耳る名門中の名門です。そして、今はテレビでしか「神」と結縁できないような時代であるので。その人は別に「変わり種」であるわけではない。むしろ、その人は一門の命運をかけて、「神」の再来を阻止するために、選ばれて送り出されてきた人であって、だからこそこの後に及んで「しやがれ」に出たりするんじゃん? だって、その番組は「神」が必ず見る番組だから、ということで。そういうことをしみじみと感じた一日だったのでした。

本日の日誌

昨夜は「お泊まり」であって、深夜0時に水のくみ出し、朝の4時から5時にかけて水のくみ出し、9時から12時まで、また水をくみ出して、午後買い物に出かけて、お昼ご飯を食べて昼寝をして、帰宅、ということで。朝方、作業をしている内に雨はどんどん小降りになっていったわけですが、夜中に大量の雨が降ったので、くみ出しを始めたときには、坑道の中にも水が流れ込んでいる状態であって-;。せめて、4時と言わずに、2時間おきくらいに起きれば良かった、と思ったのですが、後から穴の中に潜って見たら、たまっていた水のほとんどが澄んだ湧き水であったので、流れ込んだ水がたまったのではないのなら、早めに起きてもどうしようもなかったかな、と思って。朝方も4時に起きようと思っていたのですが、3時半に目が覚めて、7番目の兄さんに「ミズの様子を見に行くように」と言われたので、早めに見に行ったのです。それはまあ良かったことかな、と思って。

で、坑道の奥の水をくみ出しに潜ったら、奥の奥の方で、あまり勾配のないところに広く浅く水がたまっていて。水位が浅いので、機械でくみ出すこともままならず、手動で頑張ったのですが、2/3くらい汲みだしたところで、どうにも嫌になって、疲れてしまって。しかも、合羽に穴が開いていたのか、長靴はドロドロ、シャツもドロドロで、ずいぶん汚れてしまって、着替えも用意していなくて。午後は、着替えとか必要なものを買いに出かけたわけです。夏には、汗をかくのでちゃんと着替えを用意していたのですが、最近はそういうことにあまり気を遣わなくなっていて。これを機会に、冬に向けてまた汚れても良いような着替えをしっかり準備しておかねば、と思うのです。でも、昨夜は選挙の速報があったので、変則的に天気予報をチェックしつつ「ZEROチーム」と結縁できて助かったわけで。

で、選挙の方ですが、自民党が単独過半数を制して、その次が枝野代表の立憲民主党、第3位が百合ちゃんの希望の党、ということで。元左翼で多少時代遅れになりつつあるとはいえ、バリバリのリベラル派の枝野が代表って、民進党とやらはどうなったのさ? と思ったのですが、どうも前原と組むのが嫌で、希望の党入党を希望したけれども、公認を断られて、自分で政党を立ち上げた、という経緯が表向きはあったらしくて。各地で枝野フィーバーとやらを巻き起こして、野党第1党に躍り出たらしくて。例の大震災で大活躍した「えだのん」ですねえ? 何か関係があるの? となんとなくそう思うわけで。

で、降りに触れて、数日前から、そもそも「東征」という言葉があって、それは通常は「ヤマトタケル」の事績として言われるけれども、正史から消されている「東征」がある、と言われるわけで。それは、雄略天皇の時代に行われた東征であって、倭王武に比定される雄略天皇は南宋への使者に「自分は諸国を征服した」と言わせているし、雄略天皇の時代に千葉にも朝廷の政庁が設置いされたわけだから、雄略天皇の時代(5世紀)に東国に大きな政治的変動があったことは事実だし、そういうことは大抵は軍事的行動を伴うものだし、雄略天皇は身内を次々と殺して天皇になった人で、その後は新羅、高句麗と戦い、臣下を粛正し、と「軍事的行動」が大好きな暴君であったので、東国の支配に乗り出す時だけ、平和的に動くはずもない、ということで。で、彼が何故北関東を直接支配下に置きたい、と考えたかというと、それは茨城で鉄が採れるから、ということで。それが、現在の「鹿島臨海工業地帯」に通じる茨城の古代からの主要な産業であったわけです。でも、正史における雄略天皇の事績から、彼の「東征」は削除されている。何故なら、暴虐であった彼らの家系は武烈天皇で途絶えて、その後戦乱の後に立った継体天皇は、富の王家と蛙の王家が共同で立てた人ですが、応神・仁徳天皇の子孫でもあったため、彼にとって「本家筋」である雄略天皇の東国の住人に対する「暴政」の記録は不都合である、とされて消されてしまっているわけで、その事績は「常陸国風土記」の「行方郡」(現在の鹿島の神の本拠地がある地域)の項で、「東征軍」が地元の住民に対して行った残虐行為の記録が残されているだけなわけです。それは「建借間の命」が行ったこととされ、その名前が残されているのが鹿島神宮です。でも、鹿島神宮の主祭神は「建御雷神」であって「建借間の命」ではない。東北でも似たようなことはあって、例えば「志波姫神社」という神社があっても、主祭神は志波姫ではなくて木花咲耶姫(富士山)であったりする。で、「建借間の命」と「建御雷神」は同じ神である、と言われたりするわけですが、それがそもそも大間違い、ということで。守田廼神社の主祭神が八幡神だからといって、「八幡神」と「守達神」が同じ神である、というのと同じくらい妙な話、ということで。神社に、元々の祭神の名前が残されているのに、主祭神の名前が入れ替わって乗っ取られている、ということはよくあることなわけです。そういう場合、敵が押しつけてくるのは敵の神サマだけれども、神社を守っている人々が心の奥底で祀っているのは、本来の神である、というのは良くあることであって。

以前に仙台に行った時に、思い立って陸奥総社と塩竈神社へ行ったことがあるわけです。陸奥総社は、多賀城の脇にあって、奥州中の神々を合わせて祀っているもので、主祭神は、塩竈神社とほぼ同じ塩爺系の神であるわけです。その名は「八塩道老翁神&八塩道老女神」だから、どう見ても敵の神の名前に見えるわけで。でも、例によって神社というものは、「神」が直接乗り込んでいった場合、境内で一番「目の力」の強い神が事実上の「主祭神」になるわけで、総社で今現在、一番「強い」神は、栗原郡の明神大社の主である「志波姫」、塩竈神社では摂社の皇太宮の主である天照大神と言われるわけで@@。だいたい、「神」がそういう場に乗り込んでいくときには、「主祭神」の名乗りを上げるために乗り込んで行くわけで。そういう風に言われると、なんで自分はあの時、総社と塩竈神社に行こうと思ったんだろう? と思う。今なら誰かに言われて、と分かると思うけれども、昔はただ「行ってみたい」と思ったから行った、と自分でも思うわけで。だいたい、「塩道神」とは何? と思う。「建御雷神」は文字通りの雷神だから、西欧に行けば西欧の「雷神」であることは理解できる。では「塩の神」とは? と思ったら、それは「海水の女神ティアマト」のことでしょ? と言われるわけで。それは、アナトの「荒魂」の方、と思うわけで-;。だいたい、西欧の神々の「荒魂」って言ったら、「暴君の神サマ」を言い換えただけのものでしょ? と思うわけで-;。「志波姫」とは、「諏訪姫」が訛った言葉だと思うわけで、それは当然「八坂刀売」のことだし、だいたい志波姫神社には八坂大神が合祀されていることが多くて、本来出雲系の神であったことが覗えるわけで。でも、塩竈神社には塩爺が海の向こうからやってきた建御雷神の軍勢を歓迎したという伝承も残されており、敵の勢力も北関東から多く入り込んできているわけです。だから、かつての名神大社は村社に格下げされて、志波姫の名前は、どこの神社の「主祭神」の名前にも残されていない、ということで。全部、「富士山」におきかえられてしまっているわけで。でも、神社に痕跡が残るとおり、そもそも奥州の采配は、富の王家と、東国の采配を任された神家党が共同で行うべきものだし、源義家に滅ぼされるまで奥州安倍氏がその任に当たっていたわけで。それ以来、茨城と奥州の直接の支配権を味方はどうしても取り戻すことができず、奥州は敵に食い散らかされるままであったわけです。

でもって、人の手には負えないような騒動が奥州に起きた際には、だからこそ、どうやって収集をつけるのかが、直接「国主」に問い合わせが来るわけで。敵の代表である建御雷神は内々に「原発を爆発させるように」と意向を示すけれども、そんなこと表向きに言えるわけもないわけで。総社に押しかけて国主の名乗りを自分でも知らない内に上げていた方は、表向きに公の場で「水をかけろ」と言ったし、敵に「黙れ」と述べたし、それが地元の住民に支持されたし、「世界」もそうやって自分自身の「務め」を果たせる神を歓迎した、ということで。兄さん達には、「自分のことを一番最初に神と認めて、支持してくれた東北の人達のことを決して忘れないように」と言われるわけで。年に一度は、東北に関する募金箱を見つけたらわずかでも良いから募金するように、と言われているわけで。だから、ときどきはそれをやっているし、それが「神は東北のことを忘れていない」という証になるわけです。そういう国主が地元の人々の多くの支持を得たから、奥州安倍氏の子孫が宰相になったのは決して偶然では無い。その人は本来の役目を「神の意向」として果たすために、富の王家と蛙の王家から宰相に任命されているので、ただ自分の役目を果たしているに過ぎない、と言われるわけで。だからまあ、我が家はあの地震のおかげで、誰がどう得をしている、とか言ってはいけないわけです。それを言い出せば、結局は「一番得をしているのは、自分達が何をすべきか理解できるようになったあなた達でしょ。」と言われるだけだし、大勢の人の命が奪われたようなことで、誰かが得をするようなことがあったとしても、そういうことをあからさまに言って、大勢の人の死で得をするような賤しい人間だ、みたいなことを味方に対して言ってはいけないと思うわけで。

でも、じゃあ「えだのん」はどうなのですか? 官房長官として、あの地震で大活躍したことが今の人気にも繋がっているのではないの? と思うわけで。そうしたら、それこそ、「あの地震で「誰かが得をした」と言える人物がいるとしたら、「えだのん」がそれでしょ。だって、あの人は大活躍もなにも、あなたがmixiに書いたことをオウムのように言っていただけだって、あなた自身が一番良く知っているでしょ? 他に頼りになる人がいないから、彼は彼で神に頼った。それで、こちらへの借りが大きくあるから、彼は元々味方ではなくても、今後はこちらのスポークスマンとして働くしかないし、そもそも氷川神社を擁する埼玉から立っている人なんだから、国主の意向に従うのも当然だし。」と言われるわけで@@。表向きでは、自民党が過半数を制して第1党、その次が立憲民主党と言われている。でも、宰相は富の王家の譜代の家臣、第2党の党首は武蔵国国主のスポークスマン、第3党の党首の百合ちゃんはディアーヌの人。だから、各自の主義主張なんてあんまり関係なくて、どうせ誰が上になっても同じようなことしかやらないのが「政治」なので。衆議院の465議席の内、381議席、すなわち8割強は、太陽女神の采配の元にあるし、それが「勝つ」ということだと考えなければいけない、と言われるわけで。塩竈神社の一番は志波彦(諏訪神)じゃないんだ? と思ったら、剛君に「それを言うなら、奥州の都督には八坂大神(7番目の兄さん)の方が、まだなんぼかましでしょ。」と言われるわけで-;。いやもう、本日はお二人に散々お世話になった一日だったわけで。緊急時に、7番目の兄さんにどうにもならないことは、誰にもどうしようもないことだなあ、と思ったのですが。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は、台風の接近のため、天気予報では一日中雨であって、朝か小雨が降っていて。現場に着いて、水を汲み出して、買い物に出かけたわけですが、なんだかピリピリしてしまう、というか焦る感じがあって。で、途中でものすごく大きな「総務省消防庁」と書いてある消防車に出会って、びっくりして。親も新聞の天気予報を読んで心配していて、これは、「水に注意」という警告だなあ、と思って、親とも話して、今夜は現場に泊まり込むことにして。夕方は水を汲み出して、いったん早めに家に帰ったわけです。で、道中で大きなトラックにものすごく幅寄せさせられたりして、怖かったりしたのですが、いろいろと支度をして現場に戻ってきて。そして再び水を汲み出して。戻ってきたときには、空は小康状態で「このまま晴れるか?」という感じでしたが、兄さん達には「これからが心配」と言われるわけで。で、今日は翔君が生出演する選挙速報があるので、それを見ながら夕ご飯を食べて。台風は明日の明け方から朝にかけて一番近づく、ということで、雨足はまた強くなっていて。今、日記を書きながら「くみ出しに行かないと」と思っているところなわけです。