本日の日誌

今日はお風呂上がりに、丁度時間が当ったので、「しやがれ」を見て。6番目の子が、「(自分は)かわいいでしょ?」と聞いてくるので、「かわいいなー」と思うわけで。これってやっぱり、6番目の子の「目の力」に巻き込まれ過ぎているのかなあ? と思うので、7番目の兄さんに聞いてみたら、「あなたが本当に好きだと思う男と一緒に暮らして幸せになることで、誰かに対して気が咎める必要はないでしょ。」と言われるわけで。NEWSの小山君のこととか、親のこととか、微妙にひっかかることはいくつもあるわけですが。蛇の兄さんのことは? と問うと、「その人は正式な夫になるべき立場に生まれついているからそうなるだけで、妻神から男として一番に好きになって貰えるかどうか、という点では、他の人と立場は全く同じでしょ。」と言われて。「そういうもの?」と思うのですが。

でも、蛙の人たちの態度は、全体的に3つに分かれていて、NEWSの王族の人とか、「王族」とつく人達は武井さんちの咲ちゃん以外は敵意が強い気がするわけで-;。(咲ちゃんは「女の子は好きな人と幸せになるべき」という人だから、厳しいことは言わない。)総本家の「忠実な臣下」の人達は個人的には敵意はなくても「困ってる」と言ってくることが多いし。そして、私に好意的な人達はだいたい、個人的に蛇の兄さんか6番目の子か7番目の兄さんが好きで頑張っている人達、ということで。ともかく、好意的な人達の間では、総本家が太陽女神の「まともな後見」としては頼りになりそうもないので、まっすーを中心として「婿」の兄さん達が「同族の保護者」としてきちんと機能しなければ、と思っているらしくて。(4番目の子は6番目の子に直接振り回されるし、身内が総本家に近い臣下すぎて、自分で主体的に動きにくい人達なので、残りの「蛙の目」の婿さん達の中では、一番年長のまっすーがそうやって動いているらしくて。)

で、今日、親に「校内暴力とかは肉食と関係があるのか?」と聞かれたので、自分でも「それはどうだろう?」と思うわけですが、兄さん達にも聞いてみたわけで。そうしたら、「子供というものは、自我がまだしっかり確立していないので、その動向は周辺の環境に大きく影響される。幼い子供だと、周辺の環境に関係なく親が「絶対」の存在であるけれども、中学生くらいになると、社会的な自分の立場もだんだん自覚するようになるので、世の中では「自分の親」だけが絶対の存在ではないし、学校の先生もそういう立場ではない、と理解するようになる。でも、自分自身の社会的立場が確立できていない人がほとんどなので、将来的に自分が社会の中でどう生きていくのか模索する時期と言える。そういう社会的に不安定な時期に、「絶対的な存在」から、『学校で先生を馬鹿にして騒ぎを起こせ』と言われる。そういう筋からの要請であれば、社会的に咎められるような結果にはならないし、大抵は親や一部の教師もそういう行動を影では容認したり、下手すると煽っていたりするものだから。結果、標的とされた教師等がいくら生徒に虐められても、激しい暴力を受けたり、死んだりということがない限り、学校の窓程度が何枚壊されようが、親も先生も誰も咎めない、ということになる。こういうことは個別では、『あの学校は荒れている』とか『その学校は荒れていない』とか、そういう話題にしかならないけれども、上の方では『教育制度をどうこう変えよう』というようなきっかけになるので、だいたい制度を変えたい、と上が思ったときに、自分の都合の良いように変えるために騒ぎを起こさせることが多いので、騒ぎが起きる事そのものは肉食中毒でもなんでもないと言える。でも、興奮した生徒が、見境がなくなって、教師や生徒を無差別に刺殺し出したりするようなことがあれば、それはその生徒が騒ぎのせいで、肉食中毒による残虐な欲望を抑えきれなくなって、症状が前面に出て来た、と言えるようになると思う。日本における「校内暴力」の事例は、むしろ中国の文化大革命時の「紅衛兵」に例えると分かりやすいと思う。彼らは学生といった若者から組織され、毛沢東直属の組織の配下にあって、教師やときには自分の親にさえ鉄拳制裁を加えた。それは彼らにとっては、親よりも教師よりも「絶対的」な存在から命じられたことだから、騒ぎが収まれば大半の者は何事もなかったかのように普通の社会生活に戻っていき、その行為を大きく咎められるようなほとんどなかった。」と言われるわけで。そうやって、操られやすいのは、大人よりも子供の方なので、敵はそうやって子供を操って暴力行為に及ばせることも多いわけです。