本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。どうも天気図を見ると、梅雨前線が南下したので、ようやく晴れ間が出てくるようになってー;。でも、現場はまだ泥ぐちゃなので、水を汲み出したり、合羽を干して乾かしたりする以外は、一日中ほとんど寝て骨休めをしていて。

でもって、兄さん達には、要するに母親の抱えている問題は、幼少期の異常な親子関係によって、頻繁に解離性健忘が引き起こされる結果、現実の事実に対する客観的な認識が持てないこと、と、精神的に幼くて、「最終的な目的を持って行動すること」ができないこと、と言われるわけで。父親の方の問題はもっと精神的には成熟している時点での問題であって、要は「自分が欲するものを飲み食いできれば、それ以外のことはどうだっていい」ということで、医者に平気で嘘をつくのも、家族に対して不誠実なのも、全部原因はそこであるわけだから。でも、食事に関する問題は、結果として健康被害が出るから問題なわけで、逆に言えば健康被害さえ出なければ何を食べても構わないものであって、周囲に対する被害の程度も分かりやすい。でも、母親の方は、小児の精神的な防御反応が大人になってもそのまま続いて、異常をきたしているので、「最終的な明確な目的」というものがなくて、その場その場でのものだから。だから、お母さんの方は、大人が持つような「行動の最終的な目的」というものをあまり持たず、人生の目的としては、普通に収入があって、普通に安穏と暮らせれば良い、とかその程度のものしかない。そして「特定の目的」を果たすために、道筋をつけて行動していくということはとても苦手だし、そういう複雑な過程が必要なものはたいてい面倒くさがって投げ出してきてる。でも、頭の良い人だから、日常生活の中で何か問題が起きれば、常にその場その場のその場しのぎで対応してきて、そうすることで、ほぼ無目的で生きていることの代償行為としてきてた。だから、その場その場でのとっさの判断でうまく対応することは、お母さんは家族の中で誰よりも上手い。

要するに、そういうお母さんの性質は、「子供を医学部に入れれば、自動的に医者になって安穏と暮らせる」という具体性のない軽い目的で子供を医学部に入れて、でも現実には、それを実現するためには周到な準備と強い目的意識が必要と判明した時点で、そういう作業を面倒くさがって、「子供の好きにすればいい」で物事を放り出して、後は何もかも「子供が悪いせい」にして終わらせてしまっているところに現れているわけで。子供からみれば、「あんたが医者になれって言ったのに、面倒なことを何故子供に全て押しつけて放り出したあげくに、子供を悪者にするのか?」ということになる。それは、特別な家に生まれたから、とかそういうことではなくて、医者になるために勉強している子供には、全員多かれ少なかれ、必要とされる作業であるのに、親はそれを放棄している。まあ、だから子供の方は、そういう親だと思っているから、最後の病院で問題が起きたときには、最悪家の中で自分が悪者にされないために「労働組合でもどこでも一緒にいって、どれだけ異常なところなのか、自分の目で見て見ろ。それでもまた、「子供が100%悪いと言えるのか?」」って、そういう期待しかしてなかったわけで。そうしなければ、親自身が「再び医者をやれ」って言ったにも関わらず、また自分だけが100%悪者にされるだけ、って子供の方が分かってるからである。何度もおかしな世界に放り込んでくれた親自身の責任は、「そんなところだったとは思わなかった」とかそんな一言の程度で済まされて、時間がたてばまた懲りもせずに、都合の悪いことは全部忘れて「医者をやれ」って言う親だって、子供の方が分かってるのである。

でも、そういう母親の状態を甘く見ない方が良い。例えば、母親は父親の家族と比較して、自分の所は、母親は良くなかったけれども、父親は良い人であったし、兄弟姉妹は仲が良かった、とそう言う。娘の方は、そういう話をしょっちゅう聞かされてきてたから、子供の頃からそういうものなんだ、と思って来た。でも、大人になって、何かあれば自分だけが100%の悪者にされて、しかもその根拠が100%事実無根のもの、ということを何度でも経験してきて、そもそも母親の理論に根本にある「記憶」がしょっちゅう書き換えられていることに気が付くわけで。ということは、自分に関することだけで無く、母親と彼女の実家の家族との関係の記憶も「書き換えられている」可能性があるということに気が付かなければいけない。母親の述べている「兄弟姉妹は仲が良かった」という言葉がどこまで事実であるのか、「父親は良い人であった」という言葉もどこまで真実であるのか疑わなくてはいけない。彼女の記憶は、大筋では間違っていないかもしれないが、細かな部分は「自分の見たところでは6割、多ければ7割は書き換えられている」って、7番目の兄さんに言われるわけで@@。「大草原の小さな家」のローラ・インガルスの場合と同様で、ローラの主観での家族の記憶と、客観的な家族の事実の間には、細かい部分で食い違いがたくさん出てくる。でも、ローラもお母さんも、とても頭の良い女性であるので、一見すると「書き換えられた記憶」と「事実」の間には整合性があるように話が整えられていて、表面的な話からはその問題点が発見しにくいものである。娘である太陽女神がそれに気が付くのは、それだけ深く母親と付き合っていて矛盾を感じる点がいくつもあることと、女神自身が精神医学をきちんと学んだ医者だからであって、普通の人では簡単に太刀打ちできないくらいにお母さんは頭が良いのである。だから、お母さんが述べる実家での自身の家族関係については、「6,7割は事実に基づいていないこと」、そこまで悟ることができて、始めて医学部で潰した10年は無駄ではなかった、って言えるといって良いくらいだと思っておいた方がいい、って7番目の兄さんに言われるわけで@@。

だから、そういうお母さんが、分離不安からさまざまな中傷を仕掛けて振り回そうとしてくることについては、振り回されすぎないように注意するように。そして、「太陽女神自身に向けられた不当な中傷は、女神に直接指示を出している、自分自身に対する文言であることは承知しているから、女神が一人で不当な中傷を受けている、とも思い悩み過ぎないように。」と、7番目の兄さんに言われるわけで。7番目の兄さんは、表向き妻神と結婚する気がないので、お姑さんとかに余計な気を遣う気も全くないわけで。そういう、義理の親へのご機嫌織取りやごますりは、表向きの夫になる蛇の兄さんが思い切りやればいいこと、ってそういう人なわけだから。蛇の兄さんのほうは、すり鉢を用意してごまする気が満々の人なんだよね、まあ、世の中ってそういうところなわけですがー;。

本日の日誌

結局昨夜は一睡もできず-;。で、本日も雨降りの中出かけるわけで。ともかく、兄さん達からは「遅くても5時までには家を出るように」と言われるわけで。

で、本日発売の週刊誌の表紙は長瀬君であって。一作業して、朝ご飯を食べていたら、「結局、一番の問題は、お母さんが記憶を書き換えてしまうことなんだよね。」と言われるわけで。そうなんだよね。幼少期の分離不安が、今現在は子供との分離不安へと移行して、自分が認めたくない、と思うこと、自分にとって都合が悪いと感じること、がどんどん記憶から消されて、別のことに自動的に上書きされているわけでー;。日常の付き合いはそれでも何とか流れていくわけですが、ちょっと揉めたりすると、私は事実を基にして話そうとする、親は書き換えた記憶を基にして話をしようとするか、でなければ「元にする情報がない」ので、適当に思いついた妄想で話をする、だから、話が全然かみ合わなくて、100%接点のない話になってしまうわけで-;。で、母親が改ざんしてしまう「記憶」とは、だいたい子供の自立とか、親子の分離に関する問題なので。それは、年を取って「物忘れ」とか、そういうことではないわけです。それはもっと若い頃からそうなわけ。でも、異常な母子関係を指摘して、もっと正常な関係の構築を求めても、「嫌な親なら見放せばいい」とか、そういうことしか言わないので。結局、異常な状態を指摘して改善を求めても、異常な対応しか要求されないから、そこでも話はかみ合わないわけです。

でも、ともかく異常な共依存状態に陥った母子関係は、私の若い頃には神婚の進行を大きく阻害してきた。しかも、現在でもその結果として求められることは、一般的に当たり前だと思われている「一夫一妻制」ではなくて、伝統的な「一妻多夫制」であるのだし、しかも蛇の兄さんは表向きは結婚したままで渡御して、婿として認めて貰わなければならないのだから、それこそそういう尋常ならざる事態の連続に柔軟に対応して貰うことなわけだから、と言われるわけで。まあ、そんなことはどうとでもなるでしょ。だいたい、50近い女がですねえ、結婚しようが、娼婦になろうが、大人として自分自身で「そうやって生きる」と決めたら、誰にも口を出す権利なんかないし、口を出させるようなら、それこそ「一人前の大人」とは言えないじゃん、と思うわけで。

で、今になって困ることは、なんだか「上から目線」とかって言って不当に非難されたりすることなわけで。で、それを叔母とかと同じ行動だって言って非難されるわけです。それはどうしたもの? と思うわけで。そうしたら、「上辺が叔母さんと同じ行動になるのは当たり前のことでしょ。叔母さんは、身の周りのことを極力自分でやらないで、何をしていたのかといえば「目の力」を使って、敵と話をして、弟一家をどうやって引っかき回すのか、ということだから。敵でも味方でも、常時強力な「目の力」を使い続ければ、消耗する。消耗を最低減に押さえるために、叔母さんはそうしていた。そして、太陽女神に関しては、家族の誰も、味方と繋がるだけの「目の力」を使えないんだから、全部自分でやるしかない。だから、消耗を押さえるために、本能的に身の周りのことは最低減のことしかやらなくなる。で、必要なことだけ家族に言うと「自分では何もやらないで、命令だけする」って言われる。しかも娘が言っていることは、夫達に「そうしろ」と言われてやっていることなのに、娘が自分で勝手に言っているように言いつのる。子供との分離不安から来る記憶の改ざんで、母親の中では「婿達」の存在が認められていないか、でなければ消されてしまうので、そういう反応になる。お母さんは「誰でも好きな人と結婚すればいい、自分は口出ししない。」と言うけれども、そんなことはなんの意味もないことであって。子供はすでに成人している大人なんだから、結婚しようと思えば、親の許しなんかあってもなくてもするに決まっている。でも、今現在の問題は親が「子供が常時強力な「目の力」を使って、婿達と必要な話をしているから、それを支えていくのが親の義務」だと、全く思っていないこと。」と言われるわけで。「婿達」のことは、有力な数人を覗いて、涼ちゃん以下の大勢の人達は、「見ても覚えられない」とか、そんな言い訳でほぼ無視されて、「見るだけでも見て見よう」とか、そういう扱いすら受けていないけれども、だからといって、彼らがお母さんの真の望み通りに消えてなくなるわけでもないわけだから、ということで-;。

で、異常な母子の共依存関係については、それをしっかり認識して貰うためでなければ、いったい何のために「ビリー・ミリガン」が送られたのか? って言われたわけで@@。「ビリー・ミリガン」に「トリイ・ヘイデン」ですか? そういった書物は、私が医学部を飛び出した直後に流行したもので、幼児虐待に起因する人格障害と、それに関するカウンセラーについての書物である。「ビリー・ミリガン」とは、幼少期に継父から気まぐれで生き埋めにされるような虐待を受け続けたために、多重人格症を発症した人。トリイ・ヘイデンとは、親に虐待されて育ったために、社会に適応できず問題を抱えた子供達専門のカウンセラーです。何故、彼らの書物を読むように私が仕向けられたのか? それは母親の抱えている問題をしっかり認識するため。彼女が陥っているのは幼少期の虐待に起因する「解離性健忘」であると知るため、といわれるわけで。解離性健忘は、多重人格症の3歩くらい手前の状態であって、それは子供が周囲から受ける虐待から自分自身を精神的に守るための防御反応として起こるわけです。自分自身の精神の拮抗を守るために不都合と思われることはどんどん忘れて、別の記憶に書き換えられていく。そして、そういう防御反応でも足りないほど虐待が激しければ多重人格症へと移行する。その「防御反応」が、親からの正常な自立を果たしていないために、今になっても子供との分離不安が募ると、日常的に顔を出すようになっている。そのため、自分自身がしょっちゅう口にしている「親としての義務」が何なのかすら分からなくなっている。親としての最大の義務は、子供を精神的に自立させて、きちんと「大人の世界」へ送り出すことです。経済的に自立できるか否かは、仕事に恵まれているのか否か、とか病気であるか否かとかそういうことに左右されるから、経済的に自立できていることを「自立している」とは言わないんだよね、特に精神医学の世界ではね、と言われるわけで。

まあ、それはそれで、結局は今の状況を、できるだけ説明して、何度記憶から抹消され続けても、説明し続けるしかないわけですがー;。でも「解離性健忘」ですか? うちの親のはけっこう程度は酷いですよ? ということは、それははからずも幼少期に受けた「虐待」がけっこう酷かったことを意味するわけですが、でも普通に「親にしょっちゅう殴られた」とか「しょっちゅう嫌みを言われた」とか、その程度のことではそういう症状は起きないのではないですか? 普通じゃない「虐待」を受けるからそういう反応を起こすと思うのですけれども? と思うわけで。でも、その原因となった「虐待」が何なのかはこちらからは探れない。何故なら、当人にとってはそれは「なかったこと」になっていて、綺麗さっぱり記憶から抹消されてしまっていることだから。それこそ催眠術でもかけて、古い無意識下の記憶でも掘り起こせない限り、原因は見つけられない。でも、誰にも「知られるはずは無い」とたかをくくって、祖父母はうちの親に何をしたのですかね? 親は「母親には可愛がって貰ったことはない、父親は良い人だった」とそんなことしか言わないわけですが、その二人が真実に「どんな親だったのか」は、消えてしまった彼女の記憶の中にしかないのではないのですかね? と思うわけで。

それはともかく、6番目の子と7番目の兄さんの、この20年近い年月の間での「神婚」に関する役割が分かった、と思うわけで。6番目の子は、ともかく私自身に「自分が何者であるのか」をどう認識させるのかに情熱を傾けていた。7番目の兄さんは、自ら精神医学の専門書を手にとって、異常な母子の共依存関係を私にきちんと認識させようとしていた。何故なら、それが「神婚」の進行を妨げる大きな要因になっているから、ということで。まあ、答えは見つけられたけれども、カウンセリングは私にはできないよ、「当事者」だから、と思うわけで(苦笑)。まあ、できる対症療法を模索してみましょう、と思うわけですが。昨日は北さん、今日は長瀬君に大いにお世話になった一日だったのでしたー;。

本日の日誌

とりあえず要点のみ。昨日は「THE MUSIC DAY」のさわりを見て寝る。渡辺美里ちゃんがゲストに出ていて、「我の名前はアメン・ラー。ローマ人を辞める気はないけれども、できる配慮があればしてあげよう。」と言われて、彼女がローマ人の中で得ている名前を教えてくれた。で、なんで今更そういう気になったのか、といえば、たとえローマ人でも、受けることが可能な医療は受けて然るべき、と述べたかららしくて。

で、出かけている時に、親と揉めるわけですが、親が出鱈目なことを並べ立てる上に、「親の義務」がどうのとか言い出すので、どうも頭が混乱するわけで。どうやって、自分の気持ちをうまく纏めるべきなのだろうか? と思っていたら、北山君が降臨してきて、「そもそも、お姉さんが荷物を運んでいるのは、お母さんや妹をサポートするためにやっているのだから、サポートする側が、妹に『自分をサポートして荷物を運べ』と言うのは本末転倒している話。しかも、通路が狭くて二人で荷物を運べないから、妹が遠慮して荷物を運ばないのは、事実なので、通路の広さを客観的に確認せずに妹を中傷するのは100%お母さんが悪い。しかも、お姉さんがトイレに行っている隙なんかに、荷物を運べ、ということは、お姉さんの行動をいちいち観察していて、気を配って荷物を運べ、って言っているのと同じことなんだから、そんなことに気を使うくらいなら、それこそ『荷物を全部自分で運べ』って言われた方が、余計な気を使わなく済んで、自分のペースで気楽に荷物を運べるわけで。そもそも、妹が要求していることは、『荷物を運んで欲しい』ということではなくて、『所定の場所に自分の物を置いておいて欲しい』ということなんだなら、それをやらないでおいて、荷物を運んでいることだけ恩着せがましくすることもおかしい。だいたい、家族の中だから、『所定の場所に~』という話で済むけれども、世間に出れば、他人の物を、当人の断りもなく、持ち主が見つけられない場所に置くことは立派な「窃盗」であり「犯罪」なので。犯罪者が、自分の気の向いたことを気の向いた時だけ助けてやっているから感謝しろ、と言うなんてなんて、それは隣のローマ人や工務店の主人が言ってきていることと全く同じ。妹は神であり、それこそ頑固で融通の利かない「夫」を20人以上も抱えている身だし、常時「目の力」を使って味方と情報の交換をしている状態なのだから、集中力や気力の全てはそれに注がれており、「身の周りの掃除をしない」の例の通り、そもそも20代の頃から、身の周りのことに気を配るような余裕が全くない状態におかれて、ただなりふり構わず生きてくることしかできない状態であったわけで。「目の力」は使いすぎると精神的に破綻を来す。ASKAさんの例の如く、hide兄さんの例の如く、そして父方の一番上の叔父さんの如く、使いすぎたら廃人になるしかないもの。だから、お母さんにとっては、歴史的に有力な「王族」とか「神官」というものは、人々を搾取して贅沢をしているもの、という認識しかないかもしれないけれども、何故彼らがそれを許されているかと言えば、その代わりに強力な「目の力」で情報を集めたり、判断したりして、人々を守っているし、その結果自分のことに構う余裕がないし、自分の身の周りのことにまで気を使えば、精神的に破綻する確率が高くなる、ってみんな知っているからなので。サポートをする気があるのならあるで、妹に余計な負担をかけないようにきっちりサポートするのが当然だし、中途半端に都合の良いことだけサポートして、「サポートしてやってるんだから、逆に感謝して自分をサポートしろ」なんて、言うならするな、とそう言ってやるのは当たり前のこと。しかも妹が要求していることは「窃盗をするな」ということなんだから、それを無理難題なことみたいに大騒ぎする方が間違っているに決まってる。」と、そう言われるわけで。だいたい、母親の抱えている「問題」というのは、「子供を育てる時に、自分の親のやったことを参考にするしか無い」とか、何かにつけて「親」のことを持ち出すことであって。だいたい、親なんていようがいまいが、20歳過ぎたら、自分のやったことは自分で責任をとる、というのが当たり前の世の中であるので、20歳過ぎて子供を産んだら、子供は自分の親のやったことを参考にして育てるのでは無くて、自分自身が自分の責任で育てるものなので。表向きの子育てのやり方も、方法論も時代によって違うものだから、そもそも親のやったことを引き合いに出すこと自体が、親から自立できていない証拠。「子供が親から自立する」とは、どういうことなのか。それは経済的に自立する、とか離れて暮らす、とか、「親を見放した」と言えば自立したことになるわけではないので。子供が、いつまでたっても「親が」「親が」と繰り返して、自分の頭で物事を考えたり、判断したりしようとしないこと、それが「自立ができていない」ということだから。結局母親は、80歳を過ぎても、自分の親から精神的に自立できていない人、であって「親」というものに捕まったままなのである。

普通の正常な「親子関係」であれば、子供が小さい内は、親は躾をする存在でもあるけれども、何かあったときに子供を全面的に守ってくれる存在でもある。幼少期の「正常な親子関係」は、子供が「親に全面的に守って貰えている」という信頼関係と自信の上に築かれる。親は子供にとってそういう存在だからこそ、時に厳しい躾を行っても、信頼関係は維持される。でも、子供が成長すれば、今度は親の価値観ではなく、自分の価値観で物事を判断しようとするようになる。親の行ってきたことには批判的になる。それが「反抗期」の始まりである。その結果、外に出て自分でいろんなことを行うようになるし、親の保護下にあったときよりも失敗は増えるかもしれない。でも、そうして自分で経験を積んだ結果、親にとっても子供にとっても、「親子は互いに異なる人格を持った存在だし、大人になったからにはそれぞれの人格を尊重して、今度は大人として対等に付き合うべき存在」となる。それが「自立」ということだから。そこで、親子関係が破綻して、以後は離れて暮らして口もきかない、というのは正常な「自立」ではない。お互いを尊重しあいつつ、必要な時には家族として支え合い、助け合う。そうやって、今度は大人同士の新たな信頼関係が築かれる。それが正常な「自立」であって、それはその人の人間関係の全てに影響を与える。兄さん達だって、お互いに好き嫌いは激しいし、言いたいことを言い合うわけだけれども、でも「目的を同じにしている」ことに関しては互いに協力しあうし、助け合うし、その点に関する信頼関係だけが強固に結ばれていて、それが兄さん達を一つにまとめているし、「家族」という単位から始まって、「仲間」とか「友達」の安定した信頼関係とは、互いに「いざという時に助け合える、支え合える」という信頼の上に築かれるものである。だけど、母親は自分の親から正常に「自立」できていない。子供の頃の虐待から始まって、大人になって「実の親は頼れないけれども、婚家の親は(何故か)まだ頼れる」という判断の下に、「実の親を見放した」ことが「自立」だと考えている。でも、「婚家の親の方が頼れる」という言葉の通り、実態は、幼少期に実の親との正常な関係を築けていないから、その結果親との激しい「分離不安」を来しており、大人になってそれが「婚家の親を頼る」という方法に「代替」を求めているだけであって、子供が親に対して正常にとる反抗期もとってなければ、正常な自立の過程も経ず、いつまでも親から「自立」できていない。で、婚家の親も既に亡い今は、子供にその代替を求めている。要するにそうやって「代替」を求めている限り、親からは自立できない。で、今現在の母親の「親」とは姉娘のことに他ならず。姉が妹の物を「窃盗」すれば、非難されて当然だけれども、母親は幼児が自分の親のすることを全て正当化するのと同じ理論で、非難する妹の方を逆に非難したり、中傷したりして憚らない。あまりの出鱈目さに泣いて抗議すると、今度は「言い分に困ると泣き落としをする」とかって、また出鱈目なことを並べ立てるから、本気で娘と真面目に向き合って話をする気がないのは明白なのだけれども、言い分があまりにも出鱈目すぎて、話のとっかかりが見つからなくて私が困っているから、北山君が助っ人に来てくれたわけで-;。母親が実の親との深刻な分離不安を起こして、その結果姉娘に異常な形で共依存していても、普通の家庭であったら兄さん達は「お構いなし」とするであろうけれども、今はそういう家庭内の「歪み」に敵も蛙の王家も情け容赦なくつけ込んでくる状況なので。姉娘に対して異常な関係をやめられないにしても、妹娘に対しては親として「正常な自立」を目指すべきだ。妹娘が要求しているのは、「他人のものを窃盗するな」「できる範囲でサポートしてくれる気があるのなら、サポートする相手に負担をかけるようなやり方はやめてくれ」という、世間一般に出ても、ごく常識的なことだけなのだから、ということで。母親が実の親との深刻な分離不安を来している、という点が「神婚」に対して、どういう影響を与えるのか、ということを兄さん達、特に精神医学に詳しい7番目の兄さんは非常に心配しているわけで。

で、心配はともかく、そもそも「蛙の王家」とは何者なのです? 富の王家の人達よりも威張ってますよねえ? と思うわけで。で、結局西欧の「王家」というのは、長くても1000年くらいの歴史、ということで、実力主義が徹底している場所では、「古い家柄」はあっても、そのまま権力を維持できている家はほとんどないわけで。日本の天皇制は2000年近くの歴史を持っていて珍しがられる。その裏にいる富の王家はヒッタイト帝国の時代まで含めて3500年の歴史を誇る。でも、東アジアで「名門中の名門」と自負してる蛙の王家は、「長江文明」を作った古蜀の王家の末裔で20000年の歴史を誇る。だから、そもそも桁が違う。生き残るためのしたたかさなんて、とても富の王家なんか足下にも及ばない人達である。中国本土は共産化されてしまっているけれども、多くの「同族」は、政府が誰になろうがあんまり強力に支配できないような山間僻地に少数ずつ暮らしており、表向きはどんな政府に忠誠を誓っても、自分達の流儀を変えずに閉じこもって生きている。一方、政治や経済を動かし得る「力」を持っている人々は、共産化の国をとっとと抜け出して「華僑」として世界各地に散らばり、やはり自分達だけのコミュニティーを作って「中国人」で有り続けている。その一方で、住んでいる国の経済に大きな影響力を与えて、間接的に政治をも動かしている。だから、蛙の人たちは彼らの「太陽女神」の力が正常に働いて、多くの神々の上に君臨する存在となれば、「全世界をその掌中に握れる人達」であって、富の王家は彼らから見れば「使いっ走り」程度にしか過ぎないもの、って言われるわけで-;。

だから、太陽女神が「富の王家」の方に出そうになればなるほど、蛙の王家の方からは「「男娼」の妻で良いのか。もし、自分の存在が表の世界に漏れ出ることになれば、それは結局は多くの男娼を手玉に取る「娼婦の女王」という扱いしかされなくても、それでも良いのか?」と念押しが来るわけで。そして北さんからもわざわざ確認が来るわけで。例えば、筆頭は、表の世界では、長い付き合いの女優の彼女がいて、その一方でAV女優とも体だけの関係を続けていて、更に他の女の影も絶えない「だらしない男」とされている。しかも、そういうネタが漏れると、事務所の力で全部もみ消そうとして貰うようなゲスさ加減である。そういう男に対して「愛している」とか「信じている」と述べるのであれば、どういう観点からそう述べるのか。

1.マスコミとは嘘を平気で書くものだから、マスコミの嘘なんか信じないから「信じている」し「愛している」

のか、それとも

2.その人がそういう行動をしているのは、彼なりの事情があるからで、彼の本当の気持ちがどこにあるのか理解しているから「信じている」し「愛している」

のか、どちらなのか? と問われるわけで。それはもう、いやもう、笑うしかないでしょ。兄さん達は、自分達が「男娼」だって罵られても、誰も「そうでない」とは否定しないので。なんでしたっけね? 「多くの男娼を手玉に取る娼婦の女王」だっけ? 兄さん達のやっていることをどうのこうのと言いつのって、自分だけ小綺麗な世界で「お医者サマの奥様」とかやってたって意味ないでしょ。それが「事実」であれば、そう呼ばれることに何か不都合が出てくるのですかね? ということで。「文姜以来の傑物って言われるようになるよ。」って言われる気がするわけで-;。それは、2700年くらい前の羌族の王女で、太陽女神であった人のことでしょう? と思うわけですが。実の兄と男女の仲になって、自分の夫を殺した女性である。でも、政治家としては超一流であって、彼女が生きている間、その地域の政治は安定していて人々は安寧に暮らすことができた。(ちなみに、彼女が殺した旦那との間に生んだ息子は、しっかり父親の跡を継いで国王になったわけですがー;。)古代中国の歴史上で、「なんで実の兄と不倫して夫を殺した」のかが「最大の謎」とされる女性である。でも、私から言わせれば、同族婚を重要視する蛙の王家の人々から見れば、「実の兄」こそが彼女の「正式な夫」であって、表向きの夫は、父親の後を継いで婚家を乗っ取るための男の子を産む政略結婚の相手にしか過ぎなかったんだよ。だから、目的を果たしたら、夫は用なしになって殺されてしまった。でも、表沙汰になってもならなくても、蛙の王家はそうやって20000年もの間、東アジアに君臨し続けた人々の集合体でしょ? そのしたたかさに際限はなく、単なる世間知らずのひよっこに過ぎなくても、私もまたその血を引いていることはお忘れ無く、と思うわけで-;。でも、今のところ裏山に住んでいるお偉いさん達とは気が合わないわけで。だから、何を言われようが、富の王家のアナーヒットちゃんでけっこう、と思うだけなわけだからー;。それ以上でも、それ以下でもないわけです。でも、ここまで書いたら、たまたま目にした近藤さんに「自分は太陽女神をそんな目に合わせるために事務所に入ったわけではありません。」と言って泣かれてしまったわけで-;。こうやって、いろんな人が、「目の力」を使って言いたいことを言ってくるし、一人一人が重要人物で気を遣わなければいけない相手だから、自分の周りのことにあんまり気を遣う余裕がないのですけれども? と思うわけで-;。何と呼ばれても構わないから、まずは睡眠時間を下さい、とそう思うだけです(泣)。

本日の日誌

昨夜はいろいろとあって一睡もできなくてー;。本日は、雨はだいぶ降らなくなってきたのですが、ともかくまだ地面はぬかるんでいて、水をくみ出さないとどうしようもなくて。いろいろと買うモノがあったのであちこちに出かけて。なんとはなしに、6番目の子と7番目の兄さんのことを考えながら車の運転をしていたら、ふっと「ともかく、あの二人は気性が違いすぎるから大変でした。」って誰かに言われて、誰だろう? と思って、横を見たら、羽鳥さんの立て看板が立っていて-;。昨日は、ご迷惑をおかけしましてー;、と思ったのですが-;。

本日の日誌

昨夜から断続的に雨が降って、非常に嫌な一日であって。朝、親に「朝ご飯のパンを買い忘れた」と言われたので、どうしようかな、と思ったのですが、4番目の子に「おいしいお弁当を買って貰えば」と言われたので、そうすることにして。でもって、現場に着いたら、途端にどしゃぶりのような大雨が降って、あっという間に坑道の奥に水が流れ込んで-;。午前中はずっと強めの雨が降っていて。結局一日中水のくみ出しで終わってしまって。梅雨前線が日本列島の上に居座っていて、北陸を中心に大荒れ、ということで、しばらくそんな状態が続くらしくて。親が排水用のポンプを買おう、と言っているので、それはいずれは少し楽になると思うわけですが、ともかく、それまでは大変だと思うわけで。

で、水を排水していたら、隣家の人に「側溝に泥が詰まるので迷惑だ」というようなことを言われて。結果的には「どこに泥が詰まっているのか教えて下さい」と言ったら、相手は引っ込んでしまったのですが。一応、あちこちに排水用のミニ溝を掘って、そしてそういうものをなるべく潰さないように、「水は道路の舗装していない部分に流せ」って7番目の兄さんに言われて。しばらく天気が荒れれば、そればっかかー、と思うわけで。穴掘りの作業はいつまで続くのだろうか、と喰らい気持ちになるわけで。敵は、埋め戻すように圧力しかかけてこないわけですし。

で、本日は「THE MUSIC DAY」であったので、7番目の兄さんは「今日はヘマしない」ってずっと言ってくるわけで。私の方は「ヘマすれば」って言って、二人でずっとじゃれていて。丁度家に帰ったら、亀梨君と山下君が歌を唄っているところであったので、KinKi-Kidsの番にも嵐の番にも間に合ったのですが。ともかく、7番目の兄さんは「こんな楽しい機会は滅多にない」って言って楽しそうだし、6番目の子と余波をくらった相葉君は、締め上げられて「頭が痛い」と言うわけで-;。6番目の子は最後には「今日は早く帰って寝る」って、珍しい弱音を吐いていた気がするわけですが。7番目の兄さんは、ご当人曰く「ボロも出ず」にラブソングも歌い上げたわけですが、その代わりに「本音」が漏れないように、私のことも締め上げてくれたので、こっちもけっこう頭痛が来たわけで-;。「目の力」で締め上げられるよりは、本音がボロボロ聞こえた方がマシ、と思うわけですが、ご当人的には「相手に言う気のない本音がボロボロ漏れるなんて、ふがいのないことは嫌」ということらしくて。「SmaSTATION!?」を見たら、5番目の子に「『一生、好きな人と結婚できない運命で悲しい』って本音がもう相手にばれてるんだから、ボロボロ聞こえても問題ないと思うのは自分だけ?」って突っ込まれたわけですが、きっとそれはご当人以外に全員が思っているのではないか、と思うわけで-;。一方の6番目の子は、「本当に好きな相手なら、『結婚したい』と言って、何が悪いのか。何を遠慮する必要があるのか。」と、そういう人なわけだから、その二人が仲良くできるわけがないでしょうが、どちらも頑固な人だし、ってそれは割と言われるわけで-;。

穴をどこまで掘るのか、いつまで掘るのか、というのは悩ましい問題であって-;。だいたい、人々の言うことを総合すれば、今のままでも7番目の兄さんであれば「気」を通せるであろう、と言われる。蛇の兄さんは「表玄関の下だけをしっかり掘っておけ」と言うし、だいたい兄さんはもうかなり前から埋め戻せってけっこう言っていたわけで-;。でも、たいていの人は「階段の下に注意」と言うわけで、たぶん中央の大通りあたりは、最低減掘っておくのが安全牌なんだろうな、と思うわけですが、ちょっと外れたところから水道管が出て来たりして困るわけで-;。あまり早くに埋め戻してしまえば、外にいる兄さん達に大きな代償を払わせることになるであろう、と思うので、それはやりたくないのですが、いつまでも穴掘りもしていたくないのも事実であって-;。7番目の兄さんには、「もう半年くらいコツコツと粘ってみて、そこでまた考えよう。その頃には、最低減の表玄関の扉の前と、今問題になっている木の枝と、タール土くらいは掘り出せているだろうし。その時点で大きなゴミがあれば、それも掘り出すし、あまり問題がなければ、中央部分だけ、親と二人で速攻で掘ることにして、他を埋め戻してしまっても良いのではないか。」と言われるわけで。でもまあ、ともかく裏の奇妙な玉砂利の下に何かないか、確認してみるよ、だいたいヘンなモノはそういう所に埋まっているから、と思うわけで-;。

で、結局、親にどこまで理解して貰えるのか、ということになるわけですが。長野県というのは、特に北信は保守的であって、一般的に親は子供が芸能活動なんかをするのは好まないわけで。うちの親からすれば、それは「収入の定かで無い不安定な仕事だから。成功すれば良いけれども、成功しなければどうなるのか?」とか、そういう理屈なのだと、親自身はそう思っているのだと思う。でも、もっと「芸能」というものの根本をしっかり考えてみなければいけないわけで。だいたい、今はともかく昔の「芸能人」というと、旅芸人の一座の出とか、そういう人も多かったわけで。そういうもののルーツは、古くは平安時代の白拍子とかまで遡る。後白河院と白拍子の関係ではないけれども、母親の藤原璋子と二代続けて、彼らは「白拍子」にはまってパトロンであり続け、その芸を「芸術」の域にまで高めた。後の時代の「能」とかも室町幕府の初期の将軍達に保護されて「芸術」となった。でも、彼らの前身は「旅芸人一座」であって、各地で興業を行って芸を見せる人達でもあるし、そういう人達の常として、客と寝る仕事もしてた。要するに、芸をする男娼、娼婦というのが彼らの実態であって。何故、権力者が彼らを保護するか、というと目的は一つだけであって、自由気ままに各地を移動できる彼らから、様々な情報を得る、あるいは彼らに様々な情報を流させる、という要するに「スパイ」として使いたいから保護していたわけです。だから、最高権力者と、浮き草のような生き方をしている最低減の身分の人達が何故か仲良し、という構図ができあがる。で、中世に入ると、有力な寺社も「勧進」という形で似たようなことを始める。「勧進」というのは、氏子が各地を巡って、自分達の神社の効能なんかを宣伝して御布施を集めるし、その際に面白い話をしたりしてお客を集めたり、客と寝て娯楽を与える、とそういう行為であって。諏訪大社も江戸時代末期までそういう「勧進」を積極的に行っていた。歌舞伎の発祥となる「出雲の阿国」も、元は出雲大社の勧進に発祥するものなわけです。で、「出雲の阿国」なんかはそうだと思うのですが、各地に放たれて諜報活動をしている人は、表向きの仕事が評判が良かったり、パトロンから強力な援助を受けたりすれば、それこそ一般の人よりも収入は多いし、表向きは良い生活ができる、ということになる。その構図は、江戸時代まで続くし、例えば歌舞伎なんかは、男優しか許されない世界であって、かつ大奥の女中たちの接待なんかにも良く使われた世界であって。何故、政治の中枢に近い人達が、芸能人の周りをうろつくかといえば、情報を集め、発信する目的があるからなわけです。で、結局目的のためなら、性生活も犠牲に支払うのが「道理」だから、要は「男娼」ってことなわけで。彼らは「士農工商」の身分制度からいえば、それよりも下の「賤民」なんだー、例えどんなに収入があって、派手な生活をしていても、ということで。で、江戸時代の「士農工商」という身分そのものが「完全」なものではないわけで。そもそも、武士は貴族に仕える者で、「下層階級の貴族」なわけです。だから身分としては「王族・貴族・士農工商・賤民」となる。そういう構図からみれば、いくらお金だけあっても「河原乞食は河原乞食」だし、「王族」からみれば、彼らは単なる駒に過ぎないんだ-、必要に応じて命はいくら奪っても構わない存在だって、そういうことなわけで。だから、保守的な蛙の王族の多い地域の人々は、必要も無いのに、子供を芸能人にしようとしたりはしない。それは収入云々の問題ではなくて、王族が賤民なんぞと必要もないのに関わる必要なんかないから、ってそういうことなわけで。裏山の適当な地方公務員風情が、自分よりも桁違いの収入を持ってる兄さん達のことを「賤しい河原乞食」呼ばわりして、それが当たり前なのが「世の中」なのでー;。結局のところ、味方の「声」が届くようになれば、総本家からは「王族の頂点に立つ「神」、しかも「太母」になる能力を持っている神が、本気で一番賤しいところまで降りてくつもりなのか?」と言われるわけで。あんた達は、荻野あたりに引っ込んでないで、そろそろ本気で「生まれ故郷」とやらの四川省に帰れば? と思うわけですが、どう生きるにしても、そういう「身分」に関わることはもっと真剣に考えるように、といろんな人に言われる気がするわけで-;。要するに、収入は一般の勤務医程度でも、王族のお医者様と結婚するのか、収入はあっても賤しい男娼と結婚するのか、ってそういうことね、と思うわけで。6番目の子と7番目の兄さんの「結婚観」が、真っ二つに分かれるのもその点にあるわけで、6番目の子は「愛と信頼」さえあれば、身分の差は乗り越えられる世界を作っていけると信じてる。でも、7番目の兄さんは「身分の差によるけじめ」はしっかりつけて生きるべき、と考えている。それで、私自身は? と問われるわけなのですが。

で、結局思いは一人の女性の人生の上に馳せられる。若く、美貌があり、家族がいて、収入もある、一見すれば人もうらやむような立場の人である。彼女は聡明でもあって、病気というものにも気を配れる人であった。健康に気をつけていたので、ある日、自分の胸の早期の乳がんが、すなわち「小さなしこり」がることを発見した。病院で検査した結果、病気はStageIIa、リンパ節郭清と乳房の切除を行えば90%の治癒が見込める状態であった。病気に関してきちんとした認識を持っていれば、治療は適切に行われるはずであった。というか、認識のない人であっても、医者に「手術した方がいいですよ」って言われたら、普通は手術をすると思う、なんといっても癌だし。ところが、病気は1年半近く、ほぼ何もしないも同然でほっておかれた。なんでだ、って思う。自分で早期発見ができるような知識のある人なら、病気の恐ろしさも、治療の必要性も、ほっといたらどんな多大な苦痛を伴うのかも理解できていて不思議はないはずなのに。だから、なんでだ、と思う。でも、結局彼女の属する世界は、一番「最底辺の世界」だ。なんらかの事情で、どうなるのか分かっていても、「放置せよ」と言われたら、そうするしかない世界なんだ、ってそれだけのことって言われる。なんでなの、私だったらとても納得はできない、自分のために戦うし、戦うことしかできないだろう、と思う。そうすることができることそのものが「特権的な贅沢」だって言われても、それが分不相応であっても、納得できないことには戦うしかできない。だって、家族がいて、お金があるのに、自分自身に醜い腫瘍ができて、自分の肉体が腐っていくことをただ見続けているしかできないなんて、許されないなんて、とても、我慢できることではない。そんな気持ちは、私には理解できない。敵とか味方とか関係ないじゃん、とそう思うから。だから、どこまで穴を掘るのか迷う理由は、そうやって「命」というものが、あまりにも軽く扱われている世界にいる兄さん達に大きな負担をかけたくない、と思うからなわけですが、でもこちらも女と年寄りだけなので、自分達の命も大切なわけで-;。まあ、様子を見つつ、半年くらい粘るというのは妥当な案であるかもしれないと思う。でもまあ、私自身はお偉いお上品な「王族様」を夫に選ぶほど、男性の趣味はよろしくないタイプだと思うけれどもねえ? ということで-;。身分なんか、知らんがな、ふざけんな、と特に裏山に対して思うわけですが。