本日の日誌

木曜日に「VS嵐」を見たら、Sexy Zoneの中島健人君が対戦相手で出ていて、メソメソ泣いている6番目の子のことを指して、「自分や佐藤勝利やマリウスと同じ立場なのに、なんでその人だけヒステリー起こしてるの。」と呟くわけで。6番目の子は「ヒステリーじゃない、好きな人が他の男と結婚して、ただ悲しいだけ。」と言うわけで。たぶん、ごく一部の人以外は「ヒステリー」だと思ってるんだろうな、きっと、と思って-;。

どうも、最近、まだ穴もそれほど完璧に掘っていないのに、みんな過敏すぎ? と思って。家に帰ってネットを確認したら、2番目の子のブログが更新されていたのですが、そこを見て見たら、ご当人の写真がアップされていて! これって、ブログ開始以来、初めてのことじゃないですか、と思う。ちょっと貫禄がついて、おじさんになったな、と思う。私もきっとおばさんになっただろうな、と思うわけで。でも、今更写真が出たところで、これから先の予定は変えられないし? と思うわけで。蛇の兄さんからは、「最初の3人のうちで、誰が一番かっこいいか忘れないように!」って言われるわけですし。

で、「MUSIC STATION」を見たら、「まえあし」の玉森君、香取君と仲の良い玉ちゃんからは、「香取の神が、誰のために引退するのかを忘れないで。」と、でっかい声で言われるわけで。それから、X JAPNAのライブについて、「YOSHIKIが満身創痍」というのは、親も気が付いたようですけれども。そこにもう少しだけ考えてみて欲しいのは、結局その一言をお互いに捕まえて、ああやって出すために、そのためライブも同然だった、と言う事実であって。頸椎の椎間板ヘルニアの手術は、傷が完治するまでに半年かかると言われてる。でも、兄さんは2ヶ月もしない内にステージに立って、見ているだけでもしんどそうなのに。でも、そのおかげで、その言葉が表に出せる。そうやって、自分達を助けるために、現実感を持たせようとして、それだけのために我が身を削るような真似をしてくれている人がいる、ということから目をそらしたらいけない、と思うわけです。

そして、金曜日はKinKi-Kidsの20周年の日、ということで、あちこちでKinKiの番組が見られたわけで。少年倶楽部のプレミアではNEWSと一緒にいくつか歌を唄っていて。その中の「まだ恋を知らない君へ」は、2番目の子の歌だと思う。でも、7番目の兄さんには、「この歌に惑わされずに、自分達のところに来て欲しい。」と切に言われる。その一方で、加藤君はなんだかやる気を無くしているし、小山君は頭痛だけじゃなくて、目眩も起こしていて、微妙に目の焦点も合ってなかったのではないのか、という気がして-;。でも、小山君からも、相葉君と同様敵意を感じる気がするわけで-;。その二人は、これからどんどん人相が悪くなるのかもーー、となんとなくそう思ったのですがー;。あとは中堅どころの要人である手越君からも、「中堅の人達の意見も、7番目の子と同じです。」と言われるわけで。

しかも、2番目の子も、「自分が、自分が」と言っている子だったし、「首席を取る」って言ってたし、冗談を言われたと思ってこちらが笑うと、「なにがおかしいの? 笑われて、すごく傷ついた。」と言ってくる人であったので、その人も自己愛性パーソナリティー障害の傾向が強い人で、もしかしてダビデ王家の血をどこかで引いてるんだ? 1番目の子も、なんだいやみばっかり言っていた気がするし? と思うわけで。ともかく、「蛙の王家の言いなりになって、蛙の人たちだけを優遇するのが当たり前」とは言いたくないし、言える自分でもない気がするわけで。1番目の子、あるいは2番目の子と結婚して、「蛙の王家の言いなりになって、蛙の人たちだけを優遇するのが当たり前」という思想を押しつけられたら困る、と思うわけで。富の王家の方は、「多民族国家」は、各民族に対して、公平かつ公正な王であるべし。」というヒッタイト由来の強固な思想を持っているわけで。なんとなく、自分もそちらへ行った方が、気楽に暮らせる気がして。そのためにも、現実感を持てるように、お母さんへの働きかけを続けて欲しい。結局は、それが誰のためにもなることだから、と言われるわけです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。「VS嵐」を見て、「THE MUSIC DAY」の光一君の回を見て、後は大野君の回の「夜会」を少しだけ。

で、今朝は車を運転している時に、何度かぼーっとしていることがあった気がして。自分ではそんな気が無いのに、どうもそんな感じで、2度ほど冷や冷やして。土を片付けていたら、「自分でもショックを受けていることがある」と言われるわけで。

それは、よく考えてみると、やはり、ジブリが映画製作を再開する件について、母親が言ったことだと思うのです。親は私の日記を元に言ったのだから、私の日記を「忘れてしまった」とは言えないわけで、どの部分を覚えていて、どの部分を忘れてしまうことにしているのか、自分で決めて言っているのです。で、畑の植物が枯れてしまうことを、何度でも「何でだろう?」と父親が繰り返して言うように、自分が現実のものだと思いたくないことだけ忘れすことにして、「何でだろう?」と言うわけで。

それは、ジブリが映画制作を再開する件についてですから、そもそも鈴木さんの「カンヤダ」の連載の動機が、「神婚を円滑に進めるため」だということから、否定する気での発現であって。それを正当化するために、宮崎監督が、共産主義的な発現を過去に行っていた、と、そこだけは自分がどこかのマスゴミから拾ってきた記事から引用するわけで。いつも言っていることですが、「マスゴミに書かれている(あるいは語られる)事は、なにがしかの意図が含まれているものだから、それを受け止める際には、その意図まで知らなければならない。でないと、正確に言いたいことが理解できない。」と、ずっと述べてきました。それに、宮崎監督の「ものの考え方」を知るには、彼の作った作品群を見て、その内容を考察するのが、一番「介在するメディアの脚色」を外して、色眼鏡でなく見れる道であると思う。「もののけ姫」のヒロインの名前が「サン(英語で「太陽」)」、「千と千尋」は「荻野千尋(八坂刀売の暗示)」、「ハウル」では「ソフィー(ギリシャ語で叡智の女神の名)」なわけだから、それだけを見ても一定の傾向があることは確かだし、それらの名前を持つ「人物」になにがしか伝えたいことがあるから、彼の映画は、世界中で大ヒットしていることも理解できる。母親はそれを、自分たちが「有名人である」と述べる。そこは認めている。でも、大事なのは、「これから神婚を円滑に進めていくこと」となると、そこだけは意図的に記憶から外しているから、やはり、それを面白くなく思っていることは明らかです。しかも、宮崎監督が共産主義的思想を持っているかもしれない人物、と述べて、うかうかと親の言葉に振り回されれば、彼を「敵扱いしかねない」ということで、暗に「その人は敵だ」と吹き込もうとしているわけで。監督に対する敵意は明らかなわけです。しかも、監督が作り続けてきた映画の内容は「全部無視」ということで-;。「神婚を円滑に進めようとしている人」が気に入らなければ無視していて欲しい、敵意を向けるまでのことはしないで欲しい、と言ったはずだけど? ということで、どうもそれにかなりショックを受けていて、今朝はぼーっとしていたようでー;事故を起こさなくて良かった、と思って。

それに、親が姉に対して、「妹娘がこう言っている」と私の言ったことを言ったら、姉が「えー、妹の世話ばかりしに行って、その逆じゃん」と、とてもびっくりした、という話をしたことがあって。親は「お前がそう思うなら、姉妹で考えが違うままでいくしかない」みたいなことを言った? と、それこそうろ覚えで覚えているわけですが、それも、私のところに来て、いろいろやりながら、私の勧化とか悩みは全部無視して、姉の問題の解決ばかり私に手伝わせていた、という一番重要なことは姉に言っていないままで、言わせたことでしょう? と思うわけで。私から見れば、間違った情報を姉に与えて、間違った答えをわざわざ誘導させて、それを母親が私に、またわざわざ言った、としか思えない。要するに、「姉はお前が間違っている、と言っている」と告げて、暗に私を非難しているわけです。まずは、正確なことを述べれば? と思うわけですが、それは元々姉が何て言うのかを誘導して出させた発現であると思う。そして、姉がもっと賢ければ、「妹の方がわがままなことを言っている」と考えて、妹に対して、間違った情報から敵意を持つようになる案件でもある、と思うわけで。

「自己愛性パーソナリティ障害」の特徴の中には「有名人や権威のある人と知り合いであることを自慢する」というものがあり、娘が「太陽女神」であること、いろんな王家の血を引いている、ということはまさに「自慢できるもの」なので、そこは記憶障害を起こさない-;。でも、「「王家」というからには、いろんな家臣がいて、いろんな従う人達がいて、そういう人達がいて、支えられているのが当然であって、家臣のいない王家なんかないも同然」ということはあまり考える気もないらしくて、そういうことは興味を持たない。下手すると、宮崎監督のように、中傷の対象にして、平然と「敵認定」して、私に同意を求めようとする、ということで。

また、そういう人は「自らの目標達成のために、知人を利用したりという行為をする」とある。妹を暗に押さえ込むために、平然と姉を利用している。そのために、姉妹の仲がどうなるかは考えない。あくまで、目的は「自分だけが好ましい結果に持って行く」ためだから。

そして、「わがままかつ傲慢な性格のため、あまり自分の意見を言えない友達を従えて、あたかも自分が一番偉いかのように振る舞う」ということで。これは子供の頃の、遊び友達を選ぶ母親の性格そのまま、ということでー;。

こういう性格の人、自分達のためを思ってくれて、いろいろやってくれている人達でも、それが気に入らなければ、平気で「敵扱いする人」。そして、大人になると、大抵、一番思い通りに動いてくれるのは、「身内」ということで、「身びいき」はものすごく激しくなる。例えば、父親の従兄関連の建築設計士は「絶対に許さない」と述べる。自分を陥れようとしたから? と思う。でも、自分を陥れる第一歩の道を敷いてくれた叔母は「好きだ」述べる。娘とその父親との仲が悪くなるように「親が子を殺すか、子が親を殺すか」って不吉なことを述べて「呪って」くれた姉も「好きだし感謝してる」、と述べる。その二人はともかく身内だし「自分だけ」には親切だったから。娘を殺そうとしてることは、どうでもいいんだよね? と思うわけで。私から見れば、どちらの親戚もどっちもどっちである。だって、どちらも私を殺そうとしてるのだもの。だから、できるだけ近づかないし、必要に応じて必要なおつきあいをする程度にしなければならないし、それこそ今までのことで「お返し」できる機会があれば、それも随時検討はするかもしれないけれども? という程度に過ぎない。だって、他に、今やらなければいけないことがたくさんあるし。

こうやって、一方では「身びいき」がとても激しくて、一部の「目下の身内」で気に入らない者に対しては、死に追いやるほど厳しくて、結局「自分の目的のため」に、子供を利用することをなんとも思わない人。そういう性格は、精神病的には「自己愛性パーソナリティ障害」と言うわけですが。性格的には、天智・桓武型と言われるわけで。「三笠宮家や春宮家の苦労を考えるように。」と言われる。なるほど、そのあたりにも「天智・桓武の子孫」と述べるに相応しい人がいるらしい、と思うわけで-;。そこんちのじいさんと同じ性格かい! とか微妙なことを思ってしまうわけですがー;。

でも、その源流がどこにあるのかと言えば、天智天皇の更に上ということになる。例えば、イエス・キリストは、自分はただの大工の息子のくせに、「ダビデ王家の血」を引くことをとても自慢にしていた。新興宗教を興して、「自分が一番偉い人」みたいに振る舞っていた。でもって、更にその先にさかのぼれば、ダビデ王そのものが、王としては有能であったけれども、気に入らない長男は殺す、忠義を貫いてくれた部下は、その妻を寝取りたいから殺す、でも全体としては身びいきがものすごく強くて、ユダ族ばっかりえこひいきしていた、ということで。それで一番ひどい目にあった人達がエフライム族であったので、エフライム他の人達は、ソロモン王が死ぬと、北イスラエル王国を建設して、南ユダ王国から離反して、そこに12枝族の結束は崩れた。そして、その後二つの王国は一つに戻ることなく滅亡してしまうわけで。

そして、さらに時代が下るとイエス・キリストがローマからの独立を目指して出現する。彼はローマに殺されたけれども、その後のごたごたで、結局古代ユダヤの人々は、「全員、故郷から出ていくように」とローマから命令されて、世界中に散らばることとなり、キリスト教そのものはローマに召し上げられて、利用され尽くすことになった。人々は世界中に散らばると、寄る辺を失うから、何か政変とかがあれば、一番立場が弱くて攻撃の対象にされやすい。その最大にして最悪の例が、ナチス・ドイツの大虐殺ということで。

南の人達からは、「現実感が持てない」とか言ってないで、もっと客観性を持てるようにした方が良い。ナチス・ドイツのことも、ごく初期の内から「やばい連中」だと見抜いて、ヨーロッパからアメリカとかに逃げ出してしまったユダヤ人もわずかにはいて、そういう人達は行った先で成功したりして、苦労をせずに済んだ。でも、ナチスの言動に「現実感が持てない」と言ってヨーロッパに残った人達は、強制収容所にどんどん送られたし、ガス室に入れられても「現実感が持てなかった」かもしれないけれども、まずは生き残ることが一番大切なのに、それでは何の意味もない、と忠告されるわけで。ちゃんと家族全員が生き残るのに、何が必要なのか、助けてくれるのは誰なのかを、しっかり理解して、そういう人達に敵意を向けないようにするべき、と言われる。

で、本日は「富の王家のご当主」が降臨してきてたわけですが、おっちゃんは「あなたはダビデ王のような性格ではないよね。」と述べるわけで。少なくとも、身びいきばっかりして、味方なのに、他部族の人だけ潰そうとするようなことはしないつもり、というか、そういう苦労をダビデ王にさせられてエフライム族の子孫だよね? 富の王家はね? と思うわけで-;。おっちゃんが「太陽女神」をわざわざ引き抜く気になったのは、彼女が不比等・嵯峨型の気性の持ち主で、ダビデの気性をあまり受け継いでいないことが、一番の原因なんだ-。だいたい、古代の北イスラエル王国と、南のユダ王国は隣同士で、共通の敵に対して同盟を結んで共に戦ったこともあるけれども、直系の王族同士の婚姻関係が不自然なくらい「ない」気がするわけで。お互いに、根本的にどれだけ嫌い合っていたのかうかがえるわけで。富の王家のおっちゃんに言わせれば、古代イスラエルの崩壊も、ナチス・ドイツの大虐殺も、「ダビデが王にならなければ、起きなかったこと」ということで-;。でも、現代的には、蛙の王家にとっての「華僑」のように、南の人達も世界中に散らばって、各国の政治に影響を与えうる存在である。要するに、南の人達と同盟を再び結んで、南北の共同の王を立てられれば、富の王家は、世界に対して、蛙の王家と同等の影響を与えうる。でも、南の人達は、王となるにはダビデ王家の末裔でなければダメ、と言う。でも、ダビデ王家の末裔っていうと、ダビデ王家の劣化コピーみたいな人が多くていやだし、ということで。そこに、たまたま不比等・嵯峨型の女神がいたから、引き抜く気になった、ということで-;。そういうことなのかー、気に入って頂けてどうも、と思うわけで。

要するに、富の王家は、ダビデ王家の気性を嫌って、その血筋と強固に混血することを好まない。それこそ、「必要に応じて」ということで。一方の蛙の王家はそんなことは考えない。ダビデ王は有能な軍人であり、政治家でもあったのだから、必要な遺伝子は取り込んで、要は生まれてきた子供に「親の言うことを聞け。更にその上の王家の言うことを聞け。」と育てれば、それで良い、としか考えない。太陽女神の母親の母親を、近親婚の結果、ダビデ王家の気質が強い家から迎えたのは、そういう気質を受け継いだ子供が生まれれば、富の王家はその子を嫌って、「敬して遠ざかる」という態度を取るしかない。そうすれば、南北の共同の王も擁立もなく、蛙の王家が優位な地位にあることに代わりはない、ということで。そんなこんなで、せっかく太陽女神が生まれたのに、敵との競り合いで負けちゃって、一番住んではいけないところにはまり込んでいるし、あんまり声も届かないし。それもこれも「蛙の王家」がいろいろと陰謀を巡らせたせい。引っ越しに関して、女神が家族の中で非常に苦労しているのも、蛙の王家の陰謀のせい。」ということで、それで蛇の目の兄さん達は、公然と蛙の王家と対立しているらしくて。苦労なんてもんじゃないですよ? 都合の悪いことは何でも忘れて、今度はどこに矛先を向ける気やら? ってそう思わずにいられないわけですがー;。

で、「カンヤダ」の連載で、ドイツに嫁いだタイ人女性の苦労について、「ドイツで暮らす、というわりには、そこの社会に対する理解と心構えがなさすぎる。」点とか、「仏教が貧困に対して何の救いにもなっていない。」という感想を書いた記憶があるのですが。そうしたら、今週号の連載では、タイの政府が社会的に、そういう国際花嫁になる人達向けの対策をどう行っているのか、ということが書かれていて、そして、「タイは仏教国である」という絵が掲載されていて。まるで、私の感想に対する「返答」のようだ、と思ったのですが。こうやって、自分が書いたことがメディアに投影され、まるでメディアとやりとりをしているかのような、そういうことも、騒ぎが始まる前から何度もあって、そういうことも今に続くまでの「現実感」の維持に役立っているわけですが。さすが、ジブリの三賢人である鈴木さんだー、こんなに知的な文章を「返答」で頂いたことは初めてです、と思ったのですが。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日あたりから本格的な「夏」な気がして。午前中は、朝からできるだけ掘って、午後休むことにして。だいたい、バケツに1日6杯前後を目安に作業しているので、山盛りにして、平らだったら7杯ちょっとぐらいできたのではないか、と思う。地面の下に突きさっさいた水道管を抜くときに崩した土がまだ片付いていないで、その後の雨で流れ込んだか、湧いた水で土がべとべとしていて。片付けるのに、後2日くらいかかるのではないか、と思うのですが。

あとは、最近の6番目の子は、好きな人が他の男と結婚しそう、ということで泣いていることが多くて。何故、その人が繊細だ、と思うのかというと、だいたい一緒に暮らすようになったら、その人も、好きな人の世話をしたくてたまらないタイプらしいのですが、言ってくることが、「髪の手入れをしっかりしたい」とか、なんかそういう感じで、こだわってるところには、きっちりしっかりこだわりそうなことを言ってくるので。「生きた盆栽」扱いされそう、というか、彼が満足するまでしっかり面倒見て貰えそうなので。それで、繊細な人だ、と思うのですが。でも、最近は泣いていることが多いので、大野君と守達神は「マリッジ・ブルーでしょ。一緒に暮らして、あれもこれも世話しなきゃ、って、そっちに夢中になれば、屈託も忘れるはず。」と言う気がするわけで。「マリッジ・ブルー? それは女の人がなるものなんじゃないの?」と微妙に思うわけですが。7番目の兄さんは「自分はそういうの(男の人が思い通りにならないとメソメソ泣くこと)が一番嫌い」と言うわけですが-;。でも、6番目の子がやる気にならないと、周りが困るのも事実。「その人がスイッチだから。」って、守達神なんかは言うわけですが。

で、家の近所では、外壁の塗装が流行しそうで、隣の家がそろそろ予定では終わりそうなのですが、今度はそのまた隣家が工事をしそうです。そうやって、我が家の敷地内に石を埋め込む隙を狙っていそうです。

そして、帰りの車の中で、親と話していて、ジブリの話になり、「宮崎監督が引退を何度も繰り返し、また映画を作ると言っていたけれど、それは何でだろう。」と言って、親はちょっと笑っていたように思う。それで、またまたびっくりするわけで。それは、私が日記に書いたから知っているのだと思う。理由は、「カンヤダ」の連載を始めて、長い間目を掛けていた娘が、無事に嫁ぐために一肌も二肌も脱いで下さるつもりだからだし、だからこそ出来上がってくるものは、その代償のために製作される「呪いの映画」なのだろう、と思うのですが。でも、「アニメ映画は子供の見るもの」だし、我が家はもうそういうものには手を出さない方針なので、どんな「呪いの映画」を作っても、我が家にはもう影響がない、ということで、そういう配慮の元に全ては動いているわけで。そのようなことも日記に書いておいた、と思うわけですが。いつも驚かされる、というのは、これが例えば父親であったら、「自分が信じたくない」と思ったことは、宮崎監督のことまでそっくり忘れてしまいそうなのに、母親の方は「信じたくない」と思うこと以外のことは覚えていて、「なんで、映画を撮るんだろう。」と言い出すことなわけで。そういうときの母親は、いつも笑っている気がする。彼女の心は、そういう時に、何を見ているのだろう、と思う。どうも、都合の悪いことの「部分」だけを忘れてしまう人の気持ちが、私にはさっぱり分からないのです。全部忘れてしまう人は、「全部忘れてしまいたいんだろうな。」とは分かる気がするわけですがー;。

でも、ともかく、そういう反応を示す背景は、「他人が他人を純粋に思いやる気持ち」が、全く理解できない人なのだからだろうな、と思う。だいたい、それがちょっとでもできたなら、天智天皇は蘇我倉山田石川麻呂に「謀反の罪」を着せて、殺したりしなかっただろう、と思う。全くの遺伝だ、そりゃ、と思うわけで-;。天智天皇は舅を殺すときに、愛妻の舅にどんなに良くして貰ったか、ということは全く考えてもいなかった、ということで-;。それが、状況を客観的に見て、感謝すべき人に感謝できる、ということに全く繋がっていない気がするわけで。嵯峨天皇は、兄の平城天皇が、異母兄弟の伊予親王に、謀反の罪を着せて殺した時、なんて思って兄の所業を見ていたのだろう? と思う。それはまあ、昔のことだから良いのだけれども、今、この現代社会で、そうやって偏った物の見方しかできないと、誰が敵なのか、誰が味方なのかが客観的にさっぱり見れなくて、ただ上っ面で自分が「いいな」と思った人としか付き合ったり、関心を持たなくなるし、それが結局敵につけ込まれる原因になると思う。ただただ、それを気をつけないといけないな、と思うのです。

でも、こういうことを書くと、いろんな人から、「でもあなたは、他人の気遣い、というものが理解できる人でしょう?」と言われる。宮崎監督の映画の最初に、必ず登場するメイちゃんを見れば、監督がその子の健やかな成長を、どんなに願い、心を砕いてきたか、ということは、それを一目見ただけで、「誰にでもあからさまに分かる」ものなんじゃないの? とそう思うのだもの。きっと「誰にでも」と思ってしまうところが、私の独りよがりなのでしょうがー;。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は、石掘りをしながら、話をどう進めようか考えていたら、ふっと「トトロ」の顔が浮かんで、宮崎監督が降臨してきて。とっても、珍しいこと、と思ったのですが。監督から、「お父さんとお母さんは、似たような自己愛性パーソナリティ障害と解離性障害を抱えている。でも、お母さんの家系には自殺したお母さんの従兄がかなり大勢いるし、お父さんの方は多少はいても、それほどではない。お父さんは、なんだかんだ言って威張るけれども、それは妻とか子供を『思い通りに動かしたい』という思いが強い。でも、お母さんの家系の方は、お母さんのお母さんのように、不満を述べて当たり散らすような、攻撃性の強い人が多い。その違いを考えてみよう。」と言われて。お母さんの母方の家系には近親婚がみられ、かつお母さんの叔父さんで優秀な人は軍人になっている。昔でも、もっと優秀な人が就く平和的な職業はあっただろうけれども、叔父さんは軍人を選んだのだから、元々そういう素質があるのである。お母さんの母方の家系は、足利尊氏から出ていると思われるけれども、尊氏も優秀な軍人であった。その先祖の八幡太郎義家も優秀な軍人だった。だから、精神的に疾患であるかないかを問わず、人を傷つけることを何とも思わない、そういう性格を持って受け継いできた人達とも言える。軍人や武士は人を殺すことが仕事だから。で、源氏の性格の特徴といえば、「肉親、特に召したの肉親に酷薄である。」といえる。尊氏は弟の忠義や庶子の息子を殺している。八幡太郎義家は、肉親ではないけれども、後三年の役で、自分を裏切った人物を、なまくらなのこぎりで首を撥ねて殺す、という残酷なことをしている。義家の直系の頼朝は、弟の義経や範頼を殺した。二人とも、「もっと寛容さがあっても良かったのではないか」と思われるような理由で殺されている。というよりも、範頼なんて、翻意は何もなかったのに、「疑わしい」と思われただけで殺されている。こういう「目下の肉親に酷薄」という気性がどこから来ているかというと、清和源氏の先祖と言われる清和天皇の更に先祖に当たる、桓武天皇がそのような性格である。彼は同母弟の早良親王を謀反の疑いで殺している。桓武天皇の子供平城天皇も、異母弟を殺している。そして、彼らの更に先祖にあたる天智天皇は従兄の有馬皇子を殺しているし、後には弟の大海人皇子を殺そうとした。天智天皇の娘の持統天皇は甥に当たる大津皇子を殺した。

天智天皇は、皇極天皇と舒明天皇の息子であって、推古天皇が亡くなって、後継者がいなくなった時に、別の家系から立てられた皇子女の夫婦であった。二人が夫婦になったことで、設立された新たな家系であって、天智天皇はその長男である。近親婚によってできた子供であるので、パーソナリティ障害を有していた可能性が高い。プライドが高く、攻撃的な性格である。彼は、それまでの政治の有力者であった蘇我氏を滅ぼし、「大化の改新」を行った。舅を無実の罪で殺し、愛妻を大いに嘆かせたが、妻の気持ちを顧みるような男ではなかった。「大化の改新」の際に、母親である皇極天皇は、息子の所行に大いにあきれかえったが、実の息子のことであるので、深くとがめることはなかった。そこから、天智天皇の子孫の繁栄は始まったのである。

要するに、「立場の弱い目下の肉親に対して酷薄」な性格は、天智天皇に由来すると言える。これは、精神的に病気の人にも、そうでない人にも発現している。だから、太陽女神の母方の祖母は、夫や子供達に対しては発作的に突き当たることがあったけれども、親には従順でそんな面は見せなかった。お母さんは、気に入らないことがあると、子供に突き当たり気味である。時に、子供の方が、「生存の危機」を感じるようなことまでやる。しかも、太陽女神のお姉さんは、「妹なんか死んじゃえ」とよく述べる人であって、知能的に、表面を取り繕えない人であるから、正直な本音が出てしまうのだけれども、お母さんに対しては「死んじゃえ」とは言わない。目下に冷たく、あくまでも、そういう性格が遺伝して発現している。

古代の天皇家の気質は、この天智・桓武型と、嵯峨型に分かれる。嵯峨天皇は桓武天皇の息子であったが、親族の誰かを謀反の罪に陥れることなく、大勢に増えた皇族を身分の序列に従って整理し、臣下に下すべきは下して、それぞれに生きる道が立つようにして、「皇族」という大家族の上に家長として君臨した。嵯峨天皇の子孫の嵯峨源氏は、一番格式の高い「源氏」と見なされ、後の時代まで政界に君臨した。清和源氏や桓武平氏がどんどん武士化していったのとは対象的である。それだけ、嵯峨天皇は知的に優れ、大家族を纏めていける人物であった。この性格は、母方の藤原氏に由来する。藤原氏の祖である藤原不比等は4人の男子を持ち、異母兄弟であった彼らは互いに非常に仲が良かった。そして、兄弟力を合わせて、妹の光明皇后とその夫の聖武天皇を支えていた。このように、一族を仲良くまとめて、一家をもり立てていこう、という気性は不比等に由来し、藤原氏宗家は後の時代に至るまで、同族内で争いはあっても、互いに殺し合うようなことは滅多に行わなかった。藤原氏と天皇家は強力な婚姻関係を結んだので、その子孫からは、天智・桓武型か、嵯峨型の人物がよく現れるようになった。

太陽女神自身は、「目下の者」に突き当たることは好きではなかった。さんざん、世間に出ていろんないやがらせは受けてきたけれども、自分よりも立場の低い臨床検査技師にも、いろいろやられたけれども、悪いのはそれをやらせている、もっと上の人間だ、と考えて、直接嫌がらせしてくる人のことはそれほど恨まなかった。その代わりに、働いている病院は訴えて、上は厚生労働省に至るまで、その責任を問いたい、と考えていた。彼女は、代田橋で働いていた時も、会社でいろいろないやがらせは受けた。でも、心の底では彼女はそこの社長を今でも尊敬していて、機会があればもう一度挨拶に行きたいくらいだと考えている。なぜなら、社長は部下が失敗をした時には、注意はしたけれども、それを原因にして責任を取らせるようなことは絶対にしなかった。「会社で起きたことの責任は、全て社長である自分にある。」とそう言っていた。そういうことができる人も少ないので、太陽女神はその点を尊敬していたのである。

ということで、育った環境とか、本来持っている精神病的な人格傾向とか、そういうもの以外に、もっと根本的に根深い遺伝的な「性格」というものがあるんだ? と気がついて。そういう「性格」は、病気を持っている人にも、いない人にも、そういうこととは関係なく遺伝して発現してくるものだから。そして、監督に言われた。「先祖の中には、理由にもならないようなささいなことで、目下の近親に不信感を持って、死に追いやるような人が何人もいた。お母さんも、そういう性格を受け継いできて、太陽女神に突き当たる傾向があるかもしれない。特に、大学とか、高校あたりから、お姉さんの方が、自分よりも優遇されてきた、と思うのであれば、どこかでお母さんの意向に逆らって、恨みを買っている可能性がある。それを探しなさい。」と言われて。それで、そういえば、親は西校に行かせたかったけれども、私は長野高校に行く、と言って行ったな、と気がついて。お昼休みに、それを親に話してみたら、西校を進めたのは割と軽い気持ちで、というようなことを言おうとしていた気がするわけですが。でも、当時の記憶からすれば、そこは母親の母校でもあるので、かなり強く進められた気がするわけで。で、もっと話してみたら、子供の頃は、仲の良い子と良くない子との差が極端で、自分に100%賛成してくれる子とばかり遊んでいた、と言われて。どこか、自分にとって100%でないと、許せない、と思うところがあるかもしれない、と言われた。大人になって、社会に出れば、100%自分に対するイエスマンなんて人は滅多にいなくなるので、大人の世界としての人付き合いは、それはそれとして、ほどほどに付き合っていくことを覚えるけれども、子供に対してはその思いが全面的に出過ぎてたのかもしれない、と思う。特に頭の良い妹の方は、大きくなればどんどん自分の頭でものを考えるようになるので、100%親の思い通りになるわけもないのだけれども、それが面白くなくて突き当たる。もしかしたら、お母さんの従兄達に自殺者が多いのも、親のそういう気性が原因なのかも、と思う。その代わり、そういう人達は100%思い通りになって慕ってくれている人達には親切なので、尊氏も頼朝も部下には慕われていた。その酷薄さは、身内に特に際立っていた。

で、親には、私が姉ばかりえこひいきしていた、と考えていることを姉に話したら、姉の方もびっくりしていた、と言われた。姉から見れば、親は妹の世話にばかり出かけていたから、である。妹の方が、よっぽど得をしていた、と姉は思っているらしい。それは、妹の世話をしに来ても、世話はするけど、それ以外は上の空で、姉の問題ばっかり話して、二人でそのことばっかり相談していたことまで話してくれないとフェアではないと思う(苦笑)。「千と千尋」ではないけれども、お母さんはそこにいても、心がそこにいないから、いてもいないのと似たようなものだった気がする。

で、夕方も少し作業をして。そうしたら、ふっと「ハウル」で、ソフィーが尋ねてきたお母さんを見送った時に、「仲直りできて良かった」って言ったことを思い出した。土台の下はどんどん掘られて、二人で力を合わせれば、いずれは裏口まで綺麗にできるはず。そうしたら、徐々に埋め戻して、工事をできるだけ進めて、その先は引っ越しだから。もし、兄さんが迎えに来たら、妹はソフィーが家を出たように出て行く。だからといって、親子や家族であることが変わるわけではないけれども、滅茶苦茶な家の中の状態を、母と娘と二人だけで、知恵を絞って、力を合わせて乗り越えてきた関係は終わって、新たな人間関係が始まる。だから、その時が近いから、その準備のために、今のうちに二人でお互いの性格を良く話し合って、知り合って、「仲直りしておきなさいよ」って、そういうことなんだな、とふっと気がついて。それで、今日は宮崎監督が来てくれたんだ、それを伝えるために。まるで、トトロのように、と思ったのでした。

本日の日誌

昨夜は、寝る前に親と中学生の頃の「騒音騒動」の話をして。親は、それは隣の家の息子のドラムのことではなく、別の隣家の工場の機械の音のことであった、と言う。「仕事で機械を回しているのだから、それを止めろ、ということは、『仕事を辞めろ』ということと同じだから、『それはできない』と言った記憶はある。」と言う。よく考えてみると、確かに一時期その工場の機械の音が妙にうるさく感じていたことがあった気がする。特に夏は窓を開けているので、音を遮ることができず、ちょっと困っていた。でも、工場の機械だから、回しているのは大抵昼間か夕方、夜でも早い時間帯なので、昼間家を空けて学校に行っている学生だから、それほどは困っていなかった。土曜日の夕方とかに、「ちょっと迷惑だな。」と思った程度であって。「最近、うるさい」と思ったことを親に口に出して言ったことはあった気がする。でも、対応まで求めたことはなかったはず。求めたのは、あくまでもドラムの音の方だから。だから、結局親の記憶の中では、私は他人の仕事の邪魔をする悪い娘、ということで、いつでも悪いのは私。偽りの記憶を作り上げてまで、悪者にされてる。解離性健忘で失った記憶の穴埋めに、自己愛性パーソナリティ障害で作り上げた「下の娘に対して攻撃的な妄想」が入り込んでいるのです。

で、それ以外に、学生時代、結局、家の中で一番たいへんであったのは、下の娘だった、と母親は気がついたわけで。それは良いこと、というか、まあ一歩前進だったわけですが。姉娘はそれを聞いて、「自分は妹に協力しない」みたいなことを言っていた。(でも、次の日の朝は「妹の協力しなきゃ」みたいなことを言っていたようなのですがー;。)こちらも変な人といえば、変な人であって。

要するに「千と千尋」とは、千尋が私、湯婆が姉であって、学生時代の私の姿、今の家(黄泉の国にある呪いの家)では、姉は別のところと契約して働かねばならず、妹はその姉のために心身を砕いて働かなければならなかった。妹のおかげで姉は労働契約を維持できていた。でも、お父さんとお母さんは、食べてはいけないものばかり食べて、妹が姉のために、心身を削っていることも、家族のために頑張っていることも知らなかったし、人間に戻った後も、何が起きたのか忘れてしまっていた(解離性健忘の暗示)、ということなのだと思って。ハクは、蛇の兄さん、湯婆が猫かわいがりしていた坊は、姉がかわいがっていた飼い猫のこと、ということで。湯婆は、千尋に仕事はくれますが特にかわいがっているわけではなく、ずいぶん邪険にしているわけで。それと対象的に「銭婆」という魔女が出てくるわけで、こちらは千尋に「何もしてあげられない」と言いつつ、親切にしてくれるわけで。その名前を持ちだして、「大人の社会は何でもお金で換算するのがルール」ってのたまう「銭ゲバ師匠」がいたな、そういえば、と思って。そっか、その人も昔から、一応千尋のことを妹のように思って心配はしてくれていたわけだ、と気がついて。アメリカ人らしく、ずけずけとものを言う手厳しい師匠なわけですが-;。で、最後に、千尋が湯婆に数ある豚の中から、お父さんとお母さんを見つけ出さなければいけない、と言われて。千尋は「二人ともここにはいない」と答える。そう、二人とも、パーソナリティ障害を煩っていて、彼らの目の前に娘はいても、その娘は本物の娘ではなく、彼らは心の中の、自らの妄想が作り上げた娘としか会話をしない。だから、お父さんとお母さんはいくら目の前にいても、その心は「ここにはいない」ということになる。それに気がつきなさい、とそういう映画だったんだな、と思って。

でも、母親が言った通り、「千と千尋」は家に置いておいてはいけない映画であって。何故? それは過去のものだから、いつまでも過去にしがみついてはいけないのだから、置いておいてはいけないものなのです。

そして、夜の間に夢を見て。蛇の兄さんと一緒に東京に行って、兄さんにスタッフに紹介される夢で。どこかにちょっと石井が出てきてた気がして。兄さんは、将来的には家族の面倒も見てくれる気の人なわけですが。それが実現するかどうか、私にも良く分からないから、あんまり強調しないわけですがー;。兄さんからは「自分を捨てて弁護士になる気だ!」って苦情を言われるわけで-;。迎えに来てくれれば、なりませんとも、と思うわけですが。そして、目が覚めたらKinKi-Kidsの「もう君以外愛せない」がかかっていて、7番目の兄さんが「これが自分の歌だよ」って言ってくれて。その後、嵐の「I’ll be there」がかかって。嵐の曲は、誰のお歌なのかは分かるわけですが、歌詞が難解なので、まだ親には紹介していないわけで。なんだか「目の前の闇をかきわけて」「たどり着くCrazyなんとか」と歌っているわけで。自分自身が、家族のことで気がつかなくて、見えていなかった闇を明らかにしていったら、「家全体の狂気にたどり着く」と言われた気がしてはっとして。みんな、できることはできるだけやろうとしてくれているわけです。両親は解離性健忘とパー祖練りティ障害を煩ってる。姉は、親ほどではないけれども軽度の妄想性障害を持っていて、知能がやや低い。自力で、客観的に「普通」というものを知ろうとして奮闘してきた私は、「普通すぎるところが普通じゃない」と言われる始末-;。でも、ここでやっと、「自分以外のみんなが変、だから普通だったら、テレビに出ている人達のちょっとした発言、雑誌なんかの記事のちょっとした言葉の端で、気がつけるはずのことを誰も気がつけない。みんな、そういう細かいところい気がつけるどころか、ご当人が半分妄想の世界に住んでいるし。だから、気がつけるのは自分だけ。」と気がつくわけで。

で、朝。親に、「(最近)お前がいろいろとイライラしたのは、自分の寂しい気持ちを親に分かって貰えなかったからなんだ。」と言うわけで。だいたい、そもそものとっかかりは、兄さん達に「現場が心配だから、現場で寝ていてもいいから、早めに家を出るように。」と言われたことに始まるわけで。それまでにも、テレビを見ていて、その場にそぐわないことを言われたり、あまりにもひどい、と思うことを言われて、注意すると「お前がそんな風に思っているとは知らなかった」とか、逆に逆ギレされて、非難されたことは何度もあった。でも、親が病気だとは思わなかった頃は、「いい年して、一般的な礼儀くらいわきまえていてもいいでしょ?」というくらいしか思っていなかった。でも、一番ひどいと思ったのは「ニノさん」を見て、大久保なんとかという女が「一番面白いと思う」と、わざわざ言ったこと。その女は敵なんだから、そもそも相手にしてはいけない存在なのだから、何を思おうが口にしてもいけない存在だし。しかも、その回には、いろんな毒舌女が何人もいたのに、わざわざその女を「ご指名」してた。私は、二宮君と添い寝した夢を見たことがあるので、その日は二宮君とゲストの亀梨君が「添い寝してるだけー」って言って、二人だけで楽しそうに寝るパフォーマンスをしていた。そういうことの積み重ねはいくつもあって、そうやって今起きていることの「現実感」は、細い蜘蛛の糸をたぐるように維持されてる。母親は私の日記を読んでいるから、そのことに気がつこうと思えば気がつけたはず。でも、気がつかなかっただろうし、そのことも指摘すれば言い訳するだけだろうし、無視する気であれば、無視してればいいや、と思って何も言わなかった。母親が兄さん達のことを口にするのも嫌がっているのは知っていることだから。でも、それだけでなくて、大久保某をわざとほめた。何故? その回では、楽屋で寝ただけの女を連れ込む歌手の話が出ていて、「あれ何?」みたいな話をしていた。そうしたら、大久保某だけがわざわざ二宮君と亀梨君に「あなた達も楽屋に連れ込んでいる寝ただけの女っていません?」って、彼らを中傷するようなことを言っていた。そういう攻撃的なことを言っていたのはその女だけだった。その二人を中傷するようなことを言う女を「面白い」と述べることは、この私自身を中傷するようなことを言う人物を「面白い」と言うことと同じだから。兄さん達を無視するだけなら良いけれども、明らかな攻撃、しかも女性関係に関する攻撃は、妻神との仲を裂くことを意図したものだから、非常に悪意に満ちた攻撃的な発言なのに、それを「面白い」と述べるということは、当然兄さん達に対する攻撃的な気持ちの表れだし、私に対する攻撃でもある、と私が思うのは当然なので。その点については何も言わなかったけれども、「敵を相手にしてはいけない」ということは、何度も言った。それがまず基本だから。そうすると、それに対しては「面白いと思ったことを面白いと言って何が悪い」と言っていつも抵抗された。我が家を、自分の娘を攻撃することを平気で言うことが面白い、と思うあなた自身が、自分が何をやっているか分かってやっているのか? ということになる。無視されてるだけでなく、攻撃されるようになったら、警戒するのは当たり前のことだし。

そうこうしているうちに、これと前後して食事の量を意図的に減らされるとか、新たな攻撃的行動が始まっていた。親が言うには「食べてるものが心配だから」、だけれども、今まで当人に無断で食事の量を減らしたことはないので、「親としての威光を勝手に振りかざし始めた」しかも、娘を害する方向で、とすぐに分かる。これも一種の攻撃的行動だから、更に警戒感が強くなるのも当然のこと。しかも、当人は、「そうは思わなかった」と言う。そうなると思おうが、思わなかろうが、人を飢え死にさせることなどやってはいけないこと、だという判断がもうつかなくなってるし、それを悪いとも思わないほど、攻撃性は強くなっていた。

そこに、「朝早く行くように」と言われたら、今度はものすごい抵抗を示してきて、「お前の言うことは何でも聞いているけど、全部は聞けない。」とか「姉が荷物を運んでいることに、感謝の気持ちがない。」とか言い出した。私の言うことではなくて、兄さん達が私たちのためを思って言っていることでしょう。あなたが、兄さん達を無視することは勝手だけれども、私が「朝早く行くように」と言ったのではないことは明らかなので、そこで見当違いの非難をされるのは迷惑だし。しかも、平日は早く出かけても、休日になると「休みだし、ゆっくり行く」とかって勝手に決めてしまって支度をしないし。これで、なんとか、早く出勤するリズムを作りたい私は、まともに話をするとっかかりも持てずにイライラしていたわけで。別に寂しいとか思ってない、兄さん達の真剣な進言に従おうとする娘の気持ちを理解できないどころか、敵意に満ちた行動ばかりされるから、どこまで兄さん達と私に対して敵意が強いんだろう、と思ってイライラしていたのです。そりゃ、家は兄さん達の言葉に従って建てているけれども、家族全員を黄泉の国から救い出すためのものであるのに。何故、助けてくれようとしている人達に敵意を示すのか、その人達が嫌であれば、せめて「無視する」くらいに留めておけば良いのに、とそう思っていただけだ。

で、昨日親と話していた時に、「千と千尋」は家に入れてはいけないものでしょ? と聞かれた。もちろん、あれは大きなヒントではあるけれども、その通りであって。家に入れて良いのは、「ハウル」の方であって、それは家にある。それから、昨日親に「蛇の兄さんまでは家に形代があるから、現実感が持てるけれども、他の人にはそれはない。」と言われていて。宮崎監督の映画で「ハウル」は、「千と千尋」の次に作られたもので。「荒れ地の魔女」に老婆になる呪いをかけられて家を出た少女ソフィーは、ハウルという魔法使いの「動く城」に潜り込んで家政婦として居座る。ハウルはなかなかのイケメンなので、ソフィーは一瞬にして心奪われてしまっている。ハウルの城に一緒に住んでいたのは、ソフィーについてきた「かかしのカブ」とハウルの弟子の「マルクル」、そして火の悪魔「カルシファー」である。そして、後には「荒れ地の魔女」まで転がり込んでくる。ハウルは、卒業した学校の先生に追われていたので、一同はそれから逃げまくる。当時の私も、「大学に戻れ」という圧力から逃げ回っていたから、自分に関係のある話だとはずっと思っていたわけで。でも、ソフィーと同様、私も自分の置かれている状況をどうやったら良くしていけるのかがさっぱり分からなくて。物語の終盤で、唐突にソフィーのお母さんが尋ねてくる。お父さんは、もうとっくの昔に亡くなっている。お母さんは、「再婚したから、またみんなで一緒に暮らそう。」と言う。そのくせ、ソフィーのことにはてんで無関心で、その場にいた荒れ地の魔女のことを「大家さんね」とか、とんちんかんなことばかり言う。ソフィーは「あたしは今のままでいいの」と言ってお母さんを帰す。お母さんが帰った後、小さなマルクルが「行かないでソフィー」と言ってソフィーに抱きつく。ソフィーは「あたしはどこにも行かないわ。」と答える。マルクルが「僕ら家族?」と尋ねる。「家族よ。」とソフィーは答える。この場面はけっこう好きであって、良く覚えていて。いろいろ事情があって、家族と暮らせない人達、元は他人の人達が寄り集まって、また「家族」を作ってる。小さいながらも暖かい家庭だし、いいな、と思う。

で、今改めて思うと、ハウルは蛇の兄さんなのだ、と思う。では他の面子は? と思う。そうしたら、ソフィーにとても親切で優しいけれども、かかしだから口のきけないカブのことを思い出した。そして、私にとても親切で優しいけれども、口で話をするのが苦手な兄弟子が一人いることを思い出した。それならマルクルは? と思う。ソフィーより年下で、ソフィーのことを姉のように、母のように慕っていて、ソフィーをとても家族にほしがっている男の子。13も年下なのに、えらく焼き餅焼きなのですけれども? と思う。ジブリの人達は、「人形ではないけれども、7番目の兄さんと、6番目の子はそこにいるでしょ。それでも、お母さんは認めたくないから、認めようとしないかもしれないけれども。」と述べる。そっかー、ハウルはけっこうわがままでソフィーを振り回すし、7番目の兄さんは無口だし、6番目の子は、なんかすごいのですけれども、みんなどこか普通じゃないけれども、みんなで仲良く暮らしたら、良い家族になれるよ、ってそういう映画なんだ、あれ、と思って。ソフィーのお父さんは、生きていてもいなくても精神的には似たようなものなので亡くなったことになっている、お母さんは現実を認めようとしないでとんちんかんんはことばかり言う。でも、ソフィーは大事な兄さん達がいる「今のまま」が一番幸せだよ、と言われる気がする。では、カルシファーは? と思う。「カル」ってつく悪魔がいるでしょ。それとの縁は、契約は切らなければいけないって言われる。たぶんそれはその後に「スモーキー」ってつくと思う。カルシファーはたばこの煙を吸うと、どんどんおかしくなっていく「カールスモーキー」なわけだー;。では荒れ地の魔女は? と思う。荒れ地の魔女の方のソフィーに対する敵意はけっこう強いのだけれども、ソフィーの方はけっこう魔女に対して好意的である。魔女はソフィーを呪うけれども、呪いの解き方は、自分では分からない。そういえば、子供の頃から、姉には「お前なんか死んじゃえ」って呪いをかけ続けられてきたっけ。油断していると、本当に実行しかねないんじゃないかと思うほど、けっこう嫌われている気がするわけでー;。でも、その人は一人では生きていけない人だから。お母さんとお父さんは、たぶん先にこの世を去らざるを得ない。そうなっても、みんな家族だから、ちゃんと助けていくから、と兄さん達は言ってくれる。それが「ハウル」だから、そこを目指しているから、それだけは家に入れて良いことになっている。だけど、サリマン先生とも、カルシファーとも縁は切らなくてはいけない。それで最後に思い出したけれども、ソフィーには一人妹がいた。町でお店で働いていて、しっかり者で、お金儲けも上手そうである。お姉ちゃんに「しっかりしなきゃダメよ」って言ってくれるベティーである。彼女のモデルは誰? そっか、それはソフィーを姉妹のように思ってくれている銭ゲバ師匠のもう一つの姿だ、とやっと気がつくわけで-;。

で、朝。親に、「(最近)お前がいろいろとイライラしたのは、自分の寂しい気持ちを親に分かって貰えなかったからなんだ。」と言われたことを思い出して。私の心の中に、兄さん達がいる、ということを認めない限り、ソフィーのお母さんと同じく、うちの母親も娘の心に沿ったことは言えないし、言う気がなくて、それで何でも済まそうとする。ソフィーのお母さんも、ハウルのこともカブのこともマルクルのことも見えていなかったし、認めてもいなかったので。

でも、「ハウル」の中では、私は小さなマルクルがソフィーに抱きついて、「僕ら家族?」と聞くシーンが一番泣ける。二人とも、元々の家族の中ではいつも孤独を感じていて、一人きりだった。だから、互いが互いを必要とするのは、当然のこと。なんだけど、焼き餅焼きの大炸裂は困るよ? と思うわけなのですが-;。