昨夜は特に夢も見ず。「VS嵐」を見て、「THE MUSIC DAY」の光一君の回を見て、後は大野君の回の「夜会」を少しだけ。
で、今朝は車を運転している時に、何度かぼーっとしていることがあった気がして。自分ではそんな気が無いのに、どうもそんな感じで、2度ほど冷や冷やして。土を片付けていたら、「自分でもショックを受けていることがある」と言われるわけで。
それは、よく考えてみると、やはり、ジブリが映画製作を再開する件について、母親が言ったことだと思うのです。親は私の日記を元に言ったのだから、私の日記を「忘れてしまった」とは言えないわけで、どの部分を覚えていて、どの部分を忘れてしまうことにしているのか、自分で決めて言っているのです。で、畑の植物が枯れてしまうことを、何度でも「何でだろう?」と父親が繰り返して言うように、自分が現実のものだと思いたくないことだけ忘れすことにして、「何でだろう?」と言うわけで。
それは、ジブリが映画制作を再開する件についてですから、そもそも鈴木さんの「カンヤダ」の連載の動機が、「神婚を円滑に進めるため」だということから、否定する気での発現であって。それを正当化するために、宮崎監督が、共産主義的な発現を過去に行っていた、と、そこだけは自分がどこかのマスゴミから拾ってきた記事から引用するわけで。いつも言っていることですが、「マスゴミに書かれている(あるいは語られる)事は、なにがしかの意図が含まれているものだから、それを受け止める際には、その意図まで知らなければならない。でないと、正確に言いたいことが理解できない。」と、ずっと述べてきました。それに、宮崎監督の「ものの考え方」を知るには、彼の作った作品群を見て、その内容を考察するのが、一番「介在するメディアの脚色」を外して、色眼鏡でなく見れる道であると思う。「もののけ姫」のヒロインの名前が「サン(英語で「太陽」)」、「千と千尋」は「荻野千尋(八坂刀売の暗示)」、「ハウル」では「ソフィー(ギリシャ語で叡智の女神の名)」なわけだから、それだけを見ても一定の傾向があることは確かだし、それらの名前を持つ「人物」になにがしか伝えたいことがあるから、彼の映画は、世界中で大ヒットしていることも理解できる。母親はそれを、自分たちが「有名人である」と述べる。そこは認めている。でも、大事なのは、「これから神婚を円滑に進めていくこと」となると、そこだけは意図的に記憶から外しているから、やはり、それを面白くなく思っていることは明らかです。しかも、宮崎監督が共産主義的思想を持っているかもしれない人物、と述べて、うかうかと親の言葉に振り回されれば、彼を「敵扱いしかねない」ということで、暗に「その人は敵だ」と吹き込もうとしているわけで。監督に対する敵意は明らかなわけです。しかも、監督が作り続けてきた映画の内容は「全部無視」ということで-;。「神婚を円滑に進めようとしている人」が気に入らなければ無視していて欲しい、敵意を向けるまでのことはしないで欲しい、と言ったはずだけど? ということで、どうもそれにかなりショックを受けていて、今朝はぼーっとしていたようでー;事故を起こさなくて良かった、と思って。
それに、親が姉に対して、「妹娘がこう言っている」と私の言ったことを言ったら、姉が「えー、妹の世話ばかりしに行って、その逆じゃん」と、とてもびっくりした、という話をしたことがあって。親は「お前がそう思うなら、姉妹で考えが違うままでいくしかない」みたいなことを言った? と、それこそうろ覚えで覚えているわけですが、それも、私のところに来て、いろいろやりながら、私の勧化とか悩みは全部無視して、姉の問題の解決ばかり私に手伝わせていた、という一番重要なことは姉に言っていないままで、言わせたことでしょう? と思うわけで。私から見れば、間違った情報を姉に与えて、間違った答えをわざわざ誘導させて、それを母親が私に、またわざわざ言った、としか思えない。要するに、「姉はお前が間違っている、と言っている」と告げて、暗に私を非難しているわけです。まずは、正確なことを述べれば? と思うわけですが、それは元々姉が何て言うのかを誘導して出させた発現であると思う。そして、姉がもっと賢ければ、「妹の方がわがままなことを言っている」と考えて、妹に対して、間違った情報から敵意を持つようになる案件でもある、と思うわけで。
「自己愛性パーソナリティ障害」の特徴の中には「有名人や権威のある人と知り合いであることを自慢する」というものがあり、娘が「太陽女神」であること、いろんな王家の血を引いている、ということはまさに「自慢できるもの」なので、そこは記憶障害を起こさない-;。でも、「「王家」というからには、いろんな家臣がいて、いろんな従う人達がいて、そういう人達がいて、支えられているのが当然であって、家臣のいない王家なんかないも同然」ということはあまり考える気もないらしくて、そういうことは興味を持たない。下手すると、宮崎監督のように、中傷の対象にして、平然と「敵認定」して、私に同意を求めようとする、ということで。
また、そういう人は「自らの目標達成のために、知人を利用したりという行為をする」とある。妹を暗に押さえ込むために、平然と姉を利用している。そのために、姉妹の仲がどうなるかは考えない。あくまで、目的は「自分だけが好ましい結果に持って行く」ためだから。
そして、「わがままかつ傲慢な性格のため、あまり自分の意見を言えない友達を従えて、あたかも自分が一番偉いかのように振る舞う」ということで。これは子供の頃の、遊び友達を選ぶ母親の性格そのまま、ということでー;。
こういう性格の人、自分達のためを思ってくれて、いろいろやってくれている人達でも、それが気に入らなければ、平気で「敵扱いする人」。そして、大人になると、大抵、一番思い通りに動いてくれるのは、「身内」ということで、「身びいき」はものすごく激しくなる。例えば、父親の従兄関連の建築設計士は「絶対に許さない」と述べる。自分を陥れようとしたから? と思う。でも、自分を陥れる第一歩の道を敷いてくれた叔母は「好きだ」述べる。娘とその父親との仲が悪くなるように「親が子を殺すか、子が親を殺すか」って不吉なことを述べて「呪って」くれた姉も「好きだし感謝してる」、と述べる。その二人はともかく身内だし「自分だけ」には親切だったから。娘を殺そうとしてることは、どうでもいいんだよね? と思うわけで。私から見れば、どちらの親戚もどっちもどっちである。だって、どちらも私を殺そうとしてるのだもの。だから、できるだけ近づかないし、必要に応じて必要なおつきあいをする程度にしなければならないし、それこそ今までのことで「お返し」できる機会があれば、それも随時検討はするかもしれないけれども? という程度に過ぎない。だって、他に、今やらなければいけないことがたくさんあるし。
こうやって、一方では「身びいき」がとても激しくて、一部の「目下の身内」で気に入らない者に対しては、死に追いやるほど厳しくて、結局「自分の目的のため」に、子供を利用することをなんとも思わない人。そういう性格は、精神病的には「自己愛性パーソナリティ障害」と言うわけですが。性格的には、天智・桓武型と言われるわけで。「三笠宮家や春宮家の苦労を考えるように。」と言われる。なるほど、そのあたりにも「天智・桓武の子孫」と述べるに相応しい人がいるらしい、と思うわけで-;。そこんちのじいさんと同じ性格かい! とか微妙なことを思ってしまうわけですがー;。
でも、その源流がどこにあるのかと言えば、天智天皇の更に上ということになる。例えば、イエス・キリストは、自分はただの大工の息子のくせに、「ダビデ王家の血」を引くことをとても自慢にしていた。新興宗教を興して、「自分が一番偉い人」みたいに振る舞っていた。でもって、更にその先にさかのぼれば、ダビデ王そのものが、王としては有能であったけれども、気に入らない長男は殺す、忠義を貫いてくれた部下は、その妻を寝取りたいから殺す、でも全体としては身びいきがものすごく強くて、ユダ族ばっかりえこひいきしていた、ということで。それで一番ひどい目にあった人達がエフライム族であったので、エフライム他の人達は、ソロモン王が死ぬと、北イスラエル王国を建設して、南ユダ王国から離反して、そこに12枝族の結束は崩れた。そして、その後二つの王国は一つに戻ることなく滅亡してしまうわけで。
そして、さらに時代が下るとイエス・キリストがローマからの独立を目指して出現する。彼はローマに殺されたけれども、その後のごたごたで、結局古代ユダヤの人々は、「全員、故郷から出ていくように」とローマから命令されて、世界中に散らばることとなり、キリスト教そのものはローマに召し上げられて、利用され尽くすことになった。人々は世界中に散らばると、寄る辺を失うから、何か政変とかがあれば、一番立場が弱くて攻撃の対象にされやすい。その最大にして最悪の例が、ナチス・ドイツの大虐殺ということで。
南の人達からは、「現実感が持てない」とか言ってないで、もっと客観性を持てるようにした方が良い。ナチス・ドイツのことも、ごく初期の内から「やばい連中」だと見抜いて、ヨーロッパからアメリカとかに逃げ出してしまったユダヤ人もわずかにはいて、そういう人達は行った先で成功したりして、苦労をせずに済んだ。でも、ナチスの言動に「現実感が持てない」と言ってヨーロッパに残った人達は、強制収容所にどんどん送られたし、ガス室に入れられても「現実感が持てなかった」かもしれないけれども、まずは生き残ることが一番大切なのに、それでは何の意味もない、と忠告されるわけで。ちゃんと家族全員が生き残るのに、何が必要なのか、助けてくれるのは誰なのかを、しっかり理解して、そういう人達に敵意を向けないようにするべき、と言われる。
で、本日は「富の王家のご当主」が降臨してきてたわけですが、おっちゃんは「あなたはダビデ王のような性格ではないよね。」と述べるわけで。少なくとも、身びいきばっかりして、味方なのに、他部族の人だけ潰そうとするようなことはしないつもり、というか、そういう苦労をダビデ王にさせられてエフライム族の子孫だよね? 富の王家はね? と思うわけで-;。おっちゃんが「太陽女神」をわざわざ引き抜く気になったのは、彼女が不比等・嵯峨型の気性の持ち主で、ダビデの気性をあまり受け継いでいないことが、一番の原因なんだ-。だいたい、古代の北イスラエル王国と、南のユダ王国は隣同士で、共通の敵に対して同盟を結んで共に戦ったこともあるけれども、直系の王族同士の婚姻関係が不自然なくらい「ない」気がするわけで。お互いに、根本的にどれだけ嫌い合っていたのかうかがえるわけで。富の王家のおっちゃんに言わせれば、古代イスラエルの崩壊も、ナチス・ドイツの大虐殺も、「ダビデが王にならなければ、起きなかったこと」ということで-;。でも、現代的には、蛙の王家にとっての「華僑」のように、南の人達も世界中に散らばって、各国の政治に影響を与えうる存在である。要するに、南の人達と同盟を再び結んで、南北の共同の王を立てられれば、富の王家は、世界に対して、蛙の王家と同等の影響を与えうる。でも、南の人達は、王となるにはダビデ王家の末裔でなければダメ、と言う。でも、ダビデ王家の末裔っていうと、ダビデ王家の劣化コピーみたいな人が多くていやだし、ということで。そこに、たまたま不比等・嵯峨型の女神がいたから、引き抜く気になった、ということで-;。そういうことなのかー、気に入って頂けてどうも、と思うわけで。
要するに、富の王家は、ダビデ王家の気性を嫌って、その血筋と強固に混血することを好まない。それこそ、「必要に応じて」ということで。一方の蛙の王家はそんなことは考えない。ダビデ王は有能な軍人であり、政治家でもあったのだから、必要な遺伝子は取り込んで、要は生まれてきた子供に「親の言うことを聞け。更にその上の王家の言うことを聞け。」と育てれば、それで良い、としか考えない。太陽女神の母親の母親を、近親婚の結果、ダビデ王家の気質が強い家から迎えたのは、そういう気質を受け継いだ子供が生まれれば、富の王家はその子を嫌って、「敬して遠ざかる」という態度を取るしかない。そうすれば、南北の共同の王も擁立もなく、蛙の王家が優位な地位にあることに代わりはない、ということで。そんなこんなで、せっかく太陽女神が生まれたのに、敵との競り合いで負けちゃって、一番住んではいけないところにはまり込んでいるし、あんまり声も届かないし。それもこれも「蛙の王家」がいろいろと陰謀を巡らせたせい。引っ越しに関して、女神が家族の中で非常に苦労しているのも、蛙の王家の陰謀のせい。」ということで、それで蛇の目の兄さん達は、公然と蛙の王家と対立しているらしくて。苦労なんてもんじゃないですよ? 都合の悪いことは何でも忘れて、今度はどこに矛先を向ける気やら? ってそう思わずにいられないわけですがー;。
で、「カンヤダ」の連載で、ドイツに嫁いだタイ人女性の苦労について、「ドイツで暮らす、というわりには、そこの社会に対する理解と心構えがなさすぎる。」点とか、「仏教が貧困に対して何の救いにもなっていない。」という感想を書いた記憶があるのですが。そうしたら、今週号の連載では、タイの政府が社会的に、そういう国際花嫁になる人達向けの対策をどう行っているのか、ということが書かれていて、そして、「タイは仏教国である」という絵が掲載されていて。まるで、私の感想に対する「返答」のようだ、と思ったのですが。こうやって、自分が書いたことがメディアに投影され、まるでメディアとやりとりをしているかのような、そういうことも、騒ぎが始まる前から何度もあって、そういうことも今に続くまでの「現実感」の維持に役立っているわけですが。さすが、ジブリの三賢人である鈴木さんだー、こんなに知的な文章を「返答」で頂いたことは初めてです、と思ったのですが。