昨夜は特に夢も見ず。本日は、石掘りをしながら、話をどう進めようか考えていたら、ふっと「トトロ」の顔が浮かんで、宮崎監督が降臨してきて。とっても、珍しいこと、と思ったのですが。監督から、「お父さんとお母さんは、似たような自己愛性パーソナリティ障害と解離性障害を抱えている。でも、お母さんの家系には自殺したお母さんの従兄がかなり大勢いるし、お父さんの方は多少はいても、それほどではない。お父さんは、なんだかんだ言って威張るけれども、それは妻とか子供を『思い通りに動かしたい』という思いが強い。でも、お母さんの家系の方は、お母さんのお母さんのように、不満を述べて当たり散らすような、攻撃性の強い人が多い。その違いを考えてみよう。」と言われて。お母さんの母方の家系には近親婚がみられ、かつお母さんの叔父さんで優秀な人は軍人になっている。昔でも、もっと優秀な人が就く平和的な職業はあっただろうけれども、叔父さんは軍人を選んだのだから、元々そういう素質があるのである。お母さんの母方の家系は、足利尊氏から出ていると思われるけれども、尊氏も優秀な軍人であった。その先祖の八幡太郎義家も優秀な軍人だった。だから、精神的に疾患であるかないかを問わず、人を傷つけることを何とも思わない、そういう性格を持って受け継いできた人達とも言える。軍人や武士は人を殺すことが仕事だから。で、源氏の性格の特徴といえば、「肉親、特に召したの肉親に酷薄である。」といえる。尊氏は弟の忠義や庶子の息子を殺している。八幡太郎義家は、肉親ではないけれども、後三年の役で、自分を裏切った人物を、なまくらなのこぎりで首を撥ねて殺す、という残酷なことをしている。義家の直系の頼朝は、弟の義経や範頼を殺した。二人とも、「もっと寛容さがあっても良かったのではないか」と思われるような理由で殺されている。というよりも、範頼なんて、翻意は何もなかったのに、「疑わしい」と思われただけで殺されている。こういう「目下の肉親に酷薄」という気性がどこから来ているかというと、清和源氏の先祖と言われる清和天皇の更に先祖に当たる、桓武天皇がそのような性格である。彼は同母弟の早良親王を謀反の疑いで殺している。桓武天皇の子供平城天皇も、異母弟を殺している。そして、彼らの更に先祖にあたる天智天皇は従兄の有馬皇子を殺しているし、後には弟の大海人皇子を殺そうとした。天智天皇の娘の持統天皇は甥に当たる大津皇子を殺した。
天智天皇は、皇極天皇と舒明天皇の息子であって、推古天皇が亡くなって、後継者がいなくなった時に、別の家系から立てられた皇子女の夫婦であった。二人が夫婦になったことで、設立された新たな家系であって、天智天皇はその長男である。近親婚によってできた子供であるので、パーソナリティ障害を有していた可能性が高い。プライドが高く、攻撃的な性格である。彼は、それまでの政治の有力者であった蘇我氏を滅ぼし、「大化の改新」を行った。舅を無実の罪で殺し、愛妻を大いに嘆かせたが、妻の気持ちを顧みるような男ではなかった。「大化の改新」の際に、母親である皇極天皇は、息子の所行に大いにあきれかえったが、実の息子のことであるので、深くとがめることはなかった。そこから、天智天皇の子孫の繁栄は始まったのである。
要するに、「立場の弱い目下の肉親に対して酷薄」な性格は、天智天皇に由来すると言える。これは、精神的に病気の人にも、そうでない人にも発現している。だから、太陽女神の母方の祖母は、夫や子供達に対しては発作的に突き当たることがあったけれども、親には従順でそんな面は見せなかった。お母さんは、気に入らないことがあると、子供に突き当たり気味である。時に、子供の方が、「生存の危機」を感じるようなことまでやる。しかも、太陽女神のお姉さんは、「妹なんか死んじゃえ」とよく述べる人であって、知能的に、表面を取り繕えない人であるから、正直な本音が出てしまうのだけれども、お母さんに対しては「死んじゃえ」とは言わない。目下に冷たく、あくまでも、そういう性格が遺伝して発現している。
古代の天皇家の気質は、この天智・桓武型と、嵯峨型に分かれる。嵯峨天皇は桓武天皇の息子であったが、親族の誰かを謀反の罪に陥れることなく、大勢に増えた皇族を身分の序列に従って整理し、臣下に下すべきは下して、それぞれに生きる道が立つようにして、「皇族」という大家族の上に家長として君臨した。嵯峨天皇の子孫の嵯峨源氏は、一番格式の高い「源氏」と見なされ、後の時代まで政界に君臨した。清和源氏や桓武平氏がどんどん武士化していったのとは対象的である。それだけ、嵯峨天皇は知的に優れ、大家族を纏めていける人物であった。この性格は、母方の藤原氏に由来する。藤原氏の祖である藤原不比等は4人の男子を持ち、異母兄弟であった彼らは互いに非常に仲が良かった。そして、兄弟力を合わせて、妹の光明皇后とその夫の聖武天皇を支えていた。このように、一族を仲良くまとめて、一家をもり立てていこう、という気性は不比等に由来し、藤原氏宗家は後の時代に至るまで、同族内で争いはあっても、互いに殺し合うようなことは滅多に行わなかった。藤原氏と天皇家は強力な婚姻関係を結んだので、その子孫からは、天智・桓武型か、嵯峨型の人物がよく現れるようになった。
太陽女神自身は、「目下の者」に突き当たることは好きではなかった。さんざん、世間に出ていろんないやがらせは受けてきたけれども、自分よりも立場の低い臨床検査技師にも、いろいろやられたけれども、悪いのはそれをやらせている、もっと上の人間だ、と考えて、直接嫌がらせしてくる人のことはそれほど恨まなかった。その代わりに、働いている病院は訴えて、上は厚生労働省に至るまで、その責任を問いたい、と考えていた。彼女は、代田橋で働いていた時も、会社でいろいろないやがらせは受けた。でも、心の底では彼女はそこの社長を今でも尊敬していて、機会があればもう一度挨拶に行きたいくらいだと考えている。なぜなら、社長は部下が失敗をした時には、注意はしたけれども、それを原因にして責任を取らせるようなことは絶対にしなかった。「会社で起きたことの責任は、全て社長である自分にある。」とそう言っていた。そういうことができる人も少ないので、太陽女神はその点を尊敬していたのである。
ということで、育った環境とか、本来持っている精神病的な人格傾向とか、そういうもの以外に、もっと根本的に根深い遺伝的な「性格」というものがあるんだ? と気がついて。そういう「性格」は、病気を持っている人にも、いない人にも、そういうこととは関係なく遺伝して発現してくるものだから。そして、監督に言われた。「先祖の中には、理由にもならないようなささいなことで、目下の近親に不信感を持って、死に追いやるような人が何人もいた。お母さんも、そういう性格を受け継いできて、太陽女神に突き当たる傾向があるかもしれない。特に、大学とか、高校あたりから、お姉さんの方が、自分よりも優遇されてきた、と思うのであれば、どこかでお母さんの意向に逆らって、恨みを買っている可能性がある。それを探しなさい。」と言われて。それで、そういえば、親は西校に行かせたかったけれども、私は長野高校に行く、と言って行ったな、と気がついて。お昼休みに、それを親に話してみたら、西校を進めたのは割と軽い気持ちで、というようなことを言おうとしていた気がするわけですが。でも、当時の記憶からすれば、そこは母親の母校でもあるので、かなり強く進められた気がするわけで。で、もっと話してみたら、子供の頃は、仲の良い子と良くない子との差が極端で、自分に100%賛成してくれる子とばかり遊んでいた、と言われて。どこか、自分にとって100%でないと、許せない、と思うところがあるかもしれない、と言われた。大人になって、社会に出れば、100%自分に対するイエスマンなんて人は滅多にいなくなるので、大人の世界としての人付き合いは、それはそれとして、ほどほどに付き合っていくことを覚えるけれども、子供に対してはその思いが全面的に出過ぎてたのかもしれない、と思う。特に頭の良い妹の方は、大きくなればどんどん自分の頭でものを考えるようになるので、100%親の思い通りになるわけもないのだけれども、それが面白くなくて突き当たる。もしかしたら、お母さんの従兄達に自殺者が多いのも、親のそういう気性が原因なのかも、と思う。その代わり、そういう人達は100%思い通りになって慕ってくれている人達には親切なので、尊氏も頼朝も部下には慕われていた。その酷薄さは、身内に特に際立っていた。
で、親には、私が姉ばかりえこひいきしていた、と考えていることを姉に話したら、姉の方もびっくりしていた、と言われた。姉から見れば、親は妹の世話にばかり出かけていたから、である。妹の方が、よっぽど得をしていた、と姉は思っているらしい。それは、妹の世話をしに来ても、世話はするけど、それ以外は上の空で、姉の問題ばっかり話して、二人でそのことばっかり相談していたことまで話してくれないとフェアではないと思う(苦笑)。「千と千尋」ではないけれども、お母さんはそこにいても、心がそこにいないから、いてもいないのと似たようなものだった気がする。
で、夕方も少し作業をして。そうしたら、ふっと「ハウル」で、ソフィーが尋ねてきたお母さんを見送った時に、「仲直りできて良かった」って言ったことを思い出した。土台の下はどんどん掘られて、二人で力を合わせれば、いずれは裏口まで綺麗にできるはず。そうしたら、徐々に埋め戻して、工事をできるだけ進めて、その先は引っ越しだから。もし、兄さんが迎えに来たら、妹はソフィーが家を出たように出て行く。だからといって、親子や家族であることが変わるわけではないけれども、滅茶苦茶な家の中の状態を、母と娘と二人だけで、知恵を絞って、力を合わせて乗り越えてきた関係は終わって、新たな人間関係が始まる。だから、その時が近いから、その準備のために、今のうちに二人でお互いの性格を良く話し合って、知り合って、「仲直りしておきなさいよ」って、そういうことなんだな、とふっと気がついて。それで、今日は宮崎監督が来てくれたんだ、それを伝えるために。まるで、トトロのように、と思ったのでした。