昨夜は、寝る前に親と中学生の頃の「騒音騒動」の話をして。親は、それは隣の家の息子のドラムのことではなく、別の隣家の工場の機械の音のことであった、と言う。「仕事で機械を回しているのだから、それを止めろ、ということは、『仕事を辞めろ』ということと同じだから、『それはできない』と言った記憶はある。」と言う。よく考えてみると、確かに一時期その工場の機械の音が妙にうるさく感じていたことがあった気がする。特に夏は窓を開けているので、音を遮ることができず、ちょっと困っていた。でも、工場の機械だから、回しているのは大抵昼間か夕方、夜でも早い時間帯なので、昼間家を空けて学校に行っている学生だから、それほどは困っていなかった。土曜日の夕方とかに、「ちょっと迷惑だな。」と思った程度であって。「最近、うるさい」と思ったことを親に口に出して言ったことはあった気がする。でも、対応まで求めたことはなかったはず。求めたのは、あくまでもドラムの音の方だから。だから、結局親の記憶の中では、私は他人の仕事の邪魔をする悪い娘、ということで、いつでも悪いのは私。偽りの記憶を作り上げてまで、悪者にされてる。解離性健忘で失った記憶の穴埋めに、自己愛性パーソナリティ障害で作り上げた「下の娘に対して攻撃的な妄想」が入り込んでいるのです。
で、それ以外に、学生時代、結局、家の中で一番たいへんであったのは、下の娘だった、と母親は気がついたわけで。それは良いこと、というか、まあ一歩前進だったわけですが。姉娘はそれを聞いて、「自分は妹に協力しない」みたいなことを言っていた。(でも、次の日の朝は「妹の協力しなきゃ」みたいなことを言っていたようなのですがー;。)こちらも変な人といえば、変な人であって。
要するに「千と千尋」とは、千尋が私、湯婆が姉であって、学生時代の私の姿、今の家(黄泉の国にある呪いの家)では、姉は別のところと契約して働かねばならず、妹はその姉のために心身を砕いて働かなければならなかった。妹のおかげで姉は労働契約を維持できていた。でも、お父さんとお母さんは、食べてはいけないものばかり食べて、妹が姉のために、心身を削っていることも、家族のために頑張っていることも知らなかったし、人間に戻った後も、何が起きたのか忘れてしまっていた(解離性健忘の暗示)、ということなのだと思って。ハクは、蛇の兄さん、湯婆が猫かわいがりしていた坊は、姉がかわいがっていた飼い猫のこと、ということで。湯婆は、千尋に仕事はくれますが特にかわいがっているわけではなく、ずいぶん邪険にしているわけで。それと対象的に「銭婆」という魔女が出てくるわけで、こちらは千尋に「何もしてあげられない」と言いつつ、親切にしてくれるわけで。その名前を持ちだして、「大人の社会は何でもお金で換算するのがルール」ってのたまう「銭ゲバ師匠」がいたな、そういえば、と思って。そっか、その人も昔から、一応千尋のことを妹のように思って心配はしてくれていたわけだ、と気がついて。アメリカ人らしく、ずけずけとものを言う手厳しい師匠なわけですが-;。で、最後に、千尋が湯婆に数ある豚の中から、お父さんとお母さんを見つけ出さなければいけない、と言われて。千尋は「二人ともここにはいない」と答える。そう、二人とも、パーソナリティ障害を煩っていて、彼らの目の前に娘はいても、その娘は本物の娘ではなく、彼らは心の中の、自らの妄想が作り上げた娘としか会話をしない。だから、お父さんとお母さんはいくら目の前にいても、その心は「ここにはいない」ということになる。それに気がつきなさい、とそういう映画だったんだな、と思って。
でも、母親が言った通り、「千と千尋」は家に置いておいてはいけない映画であって。何故? それは過去のものだから、いつまでも過去にしがみついてはいけないのだから、置いておいてはいけないものなのです。
そして、夜の間に夢を見て。蛇の兄さんと一緒に東京に行って、兄さんにスタッフに紹介される夢で。どこかにちょっと石井が出てきてた気がして。兄さんは、将来的には家族の面倒も見てくれる気の人なわけですが。それが実現するかどうか、私にも良く分からないから、あんまり強調しないわけですがー;。兄さんからは「自分を捨てて弁護士になる気だ!」って苦情を言われるわけで-;。迎えに来てくれれば、なりませんとも、と思うわけですが。そして、目が覚めたらKinKi-Kidsの「もう君以外愛せない」がかかっていて、7番目の兄さんが「これが自分の歌だよ」って言ってくれて。その後、嵐の「I’ll be there」がかかって。嵐の曲は、誰のお歌なのかは分かるわけですが、歌詞が難解なので、まだ親には紹介していないわけで。なんだか「目の前の闇をかきわけて」「たどり着くCrazyなんとか」と歌っているわけで。自分自身が、家族のことで気がつかなくて、見えていなかった闇を明らかにしていったら、「家全体の狂気にたどり着く」と言われた気がしてはっとして。みんな、できることはできるだけやろうとしてくれているわけです。両親は解離性健忘とパー祖練りティ障害を煩ってる。姉は、親ほどではないけれども軽度の妄想性障害を持っていて、知能がやや低い。自力で、客観的に「普通」というものを知ろうとして奮闘してきた私は、「普通すぎるところが普通じゃない」と言われる始末-;。でも、ここでやっと、「自分以外のみんなが変、だから普通だったら、テレビに出ている人達のちょっとした発言、雑誌なんかの記事のちょっとした言葉の端で、気がつけるはずのことを誰も気がつけない。みんな、そういう細かいところい気がつけるどころか、ご当人が半分妄想の世界に住んでいるし。だから、気がつけるのは自分だけ。」と気がつくわけで。
で、朝。親に、「(最近)お前がいろいろとイライラしたのは、自分の寂しい気持ちを親に分かって貰えなかったからなんだ。」と言うわけで。だいたい、そもそものとっかかりは、兄さん達に「現場が心配だから、現場で寝ていてもいいから、早めに家を出るように。」と言われたことに始まるわけで。それまでにも、テレビを見ていて、その場にそぐわないことを言われたり、あまりにもひどい、と思うことを言われて、注意すると「お前がそんな風に思っているとは知らなかった」とか、逆に逆ギレされて、非難されたことは何度もあった。でも、親が病気だとは思わなかった頃は、「いい年して、一般的な礼儀くらいわきまえていてもいいでしょ?」というくらいしか思っていなかった。でも、一番ひどいと思ったのは「ニノさん」を見て、大久保なんとかという女が「一番面白いと思う」と、わざわざ言ったこと。その女は敵なんだから、そもそも相手にしてはいけない存在なのだから、何を思おうが口にしてもいけない存在だし。しかも、その回には、いろんな毒舌女が何人もいたのに、わざわざその女を「ご指名」してた。私は、二宮君と添い寝した夢を見たことがあるので、その日は二宮君とゲストの亀梨君が「添い寝してるだけー」って言って、二人だけで楽しそうに寝るパフォーマンスをしていた。そういうことの積み重ねはいくつもあって、そうやって今起きていることの「現実感」は、細い蜘蛛の糸をたぐるように維持されてる。母親は私の日記を読んでいるから、そのことに気がつこうと思えば気がつけたはず。でも、気がつかなかっただろうし、そのことも指摘すれば言い訳するだけだろうし、無視する気であれば、無視してればいいや、と思って何も言わなかった。母親が兄さん達のことを口にするのも嫌がっているのは知っていることだから。でも、それだけでなくて、大久保某をわざとほめた。何故? その回では、楽屋で寝ただけの女を連れ込む歌手の話が出ていて、「あれ何?」みたいな話をしていた。そうしたら、大久保某だけがわざわざ二宮君と亀梨君に「あなた達も楽屋に連れ込んでいる寝ただけの女っていません?」って、彼らを中傷するようなことを言っていた。そういう攻撃的なことを言っていたのはその女だけだった。その二人を中傷するようなことを言う女を「面白い」と述べることは、この私自身を中傷するようなことを言う人物を「面白い」と言うことと同じだから。兄さん達を無視するだけなら良いけれども、明らかな攻撃、しかも女性関係に関する攻撃は、妻神との仲を裂くことを意図したものだから、非常に悪意に満ちた攻撃的な発言なのに、それを「面白い」と述べるということは、当然兄さん達に対する攻撃的な気持ちの表れだし、私に対する攻撃でもある、と私が思うのは当然なので。その点については何も言わなかったけれども、「敵を相手にしてはいけない」ということは、何度も言った。それがまず基本だから。そうすると、それに対しては「面白いと思ったことを面白いと言って何が悪い」と言っていつも抵抗された。我が家を、自分の娘を攻撃することを平気で言うことが面白い、と思うあなた自身が、自分が何をやっているか分かってやっているのか? ということになる。無視されてるだけでなく、攻撃されるようになったら、警戒するのは当たり前のことだし。
そうこうしているうちに、これと前後して食事の量を意図的に減らされるとか、新たな攻撃的行動が始まっていた。親が言うには「食べてるものが心配だから」、だけれども、今まで当人に無断で食事の量を減らしたことはないので、「親としての威光を勝手に振りかざし始めた」しかも、娘を害する方向で、とすぐに分かる。これも一種の攻撃的行動だから、更に警戒感が強くなるのも当然のこと。しかも、当人は、「そうは思わなかった」と言う。そうなると思おうが、思わなかろうが、人を飢え死にさせることなどやってはいけないこと、だという判断がもうつかなくなってるし、それを悪いとも思わないほど、攻撃性は強くなっていた。
そこに、「朝早く行くように」と言われたら、今度はものすごい抵抗を示してきて、「お前の言うことは何でも聞いているけど、全部は聞けない。」とか「姉が荷物を運んでいることに、感謝の気持ちがない。」とか言い出した。私の言うことではなくて、兄さん達が私たちのためを思って言っていることでしょう。あなたが、兄さん達を無視することは勝手だけれども、私が「朝早く行くように」と言ったのではないことは明らかなので、そこで見当違いの非難をされるのは迷惑だし。しかも、平日は早く出かけても、休日になると「休みだし、ゆっくり行く」とかって勝手に決めてしまって支度をしないし。これで、なんとか、早く出勤するリズムを作りたい私は、まともに話をするとっかかりも持てずにイライラしていたわけで。別に寂しいとか思ってない、兄さん達の真剣な進言に従おうとする娘の気持ちを理解できないどころか、敵意に満ちた行動ばかりされるから、どこまで兄さん達と私に対して敵意が強いんだろう、と思ってイライラしていたのです。そりゃ、家は兄さん達の言葉に従って建てているけれども、家族全員を黄泉の国から救い出すためのものであるのに。何故、助けてくれようとしている人達に敵意を示すのか、その人達が嫌であれば、せめて「無視する」くらいに留めておけば良いのに、とそう思っていただけだ。
で、昨日親と話していた時に、「千と千尋」は家に入れてはいけないものでしょ? と聞かれた。もちろん、あれは大きなヒントではあるけれども、その通りであって。家に入れて良いのは、「ハウル」の方であって、それは家にある。それから、昨日親に「蛇の兄さんまでは家に形代があるから、現実感が持てるけれども、他の人にはそれはない。」と言われていて。宮崎監督の映画で「ハウル」は、「千と千尋」の次に作られたもので。「荒れ地の魔女」に老婆になる呪いをかけられて家を出た少女ソフィーは、ハウルという魔法使いの「動く城」に潜り込んで家政婦として居座る。ハウルはなかなかのイケメンなので、ソフィーは一瞬にして心奪われてしまっている。ハウルの城に一緒に住んでいたのは、ソフィーについてきた「かかしのカブ」とハウルの弟子の「マルクル」、そして火の悪魔「カルシファー」である。そして、後には「荒れ地の魔女」まで転がり込んでくる。ハウルは、卒業した学校の先生に追われていたので、一同はそれから逃げまくる。当時の私も、「大学に戻れ」という圧力から逃げ回っていたから、自分に関係のある話だとはずっと思っていたわけで。でも、ソフィーと同様、私も自分の置かれている状況をどうやったら良くしていけるのかがさっぱり分からなくて。物語の終盤で、唐突にソフィーのお母さんが尋ねてくる。お父さんは、もうとっくの昔に亡くなっている。お母さんは、「再婚したから、またみんなで一緒に暮らそう。」と言う。そのくせ、ソフィーのことにはてんで無関心で、その場にいた荒れ地の魔女のことを「大家さんね」とか、とんちんかんなことばかり言う。ソフィーは「あたしは今のままでいいの」と言ってお母さんを帰す。お母さんが帰った後、小さなマルクルが「行かないでソフィー」と言ってソフィーに抱きつく。ソフィーは「あたしはどこにも行かないわ。」と答える。マルクルが「僕ら家族?」と尋ねる。「家族よ。」とソフィーは答える。この場面はけっこう好きであって、良く覚えていて。いろいろ事情があって、家族と暮らせない人達、元は他人の人達が寄り集まって、また「家族」を作ってる。小さいながらも暖かい家庭だし、いいな、と思う。
で、今改めて思うと、ハウルは蛇の兄さんなのだ、と思う。では他の面子は? と思う。そうしたら、ソフィーにとても親切で優しいけれども、かかしだから口のきけないカブのことを思い出した。そして、私にとても親切で優しいけれども、口で話をするのが苦手な兄弟子が一人いることを思い出した。それならマルクルは? と思う。ソフィーより年下で、ソフィーのことを姉のように、母のように慕っていて、ソフィーをとても家族にほしがっている男の子。13も年下なのに、えらく焼き餅焼きなのですけれども? と思う。ジブリの人達は、「人形ではないけれども、7番目の兄さんと、6番目の子はそこにいるでしょ。それでも、お母さんは認めたくないから、認めようとしないかもしれないけれども。」と述べる。そっかー、ハウルはけっこうわがままでソフィーを振り回すし、7番目の兄さんは無口だし、6番目の子は、なんかすごいのですけれども、みんなどこか普通じゃないけれども、みんなで仲良く暮らしたら、良い家族になれるよ、ってそういう映画なんだ、あれ、と思って。ソフィーのお父さんは、生きていてもいなくても精神的には似たようなものなので亡くなったことになっている、お母さんは現実を認めようとしないでとんちんかんんはことばかり言う。でも、ソフィーは大事な兄さん達がいる「今のまま」が一番幸せだよ、と言われる気がする。では、カルシファーは? と思う。「カル」ってつく悪魔がいるでしょ。それとの縁は、契約は切らなければいけないって言われる。たぶんそれはその後に「スモーキー」ってつくと思う。カルシファーはたばこの煙を吸うと、どんどんおかしくなっていく「カールスモーキー」なわけだー;。では荒れ地の魔女は? と思う。荒れ地の魔女の方のソフィーに対する敵意はけっこう強いのだけれども、ソフィーの方はけっこう魔女に対して好意的である。魔女はソフィーを呪うけれども、呪いの解き方は、自分では分からない。そういえば、子供の頃から、姉には「お前なんか死んじゃえ」って呪いをかけ続けられてきたっけ。油断していると、本当に実行しかねないんじゃないかと思うほど、けっこう嫌われている気がするわけでー;。でも、その人は一人では生きていけない人だから。お母さんとお父さんは、たぶん先にこの世を去らざるを得ない。そうなっても、みんな家族だから、ちゃんと助けていくから、と兄さん達は言ってくれる。それが「ハウル」だから、そこを目指しているから、それだけは家に入れて良いことになっている。だけど、サリマン先生とも、カルシファーとも縁は切らなくてはいけない。それで最後に思い出したけれども、ソフィーには一人妹がいた。町でお店で働いていて、しっかり者で、お金儲けも上手そうである。お姉ちゃんに「しっかりしなきゃダメよ」って言ってくれるベティーである。彼女のモデルは誰? そっか、それはソフィーを姉妹のように思ってくれている銭ゲバ師匠のもう一つの姿だ、とやっと気がつくわけで-;。
で、朝。親に、「(最近)お前がいろいろとイライラしたのは、自分の寂しい気持ちを親に分かって貰えなかったからなんだ。」と言われたことを思い出して。私の心の中に、兄さん達がいる、ということを認めない限り、ソフィーのお母さんと同じく、うちの母親も娘の心に沿ったことは言えないし、言う気がなくて、それで何でも済まそうとする。ソフィーのお母さんも、ハウルのこともカブのこともマルクルのことも見えていなかったし、認めてもいなかったので。
でも、「ハウル」の中では、私は小さなマルクルがソフィーに抱きついて、「僕ら家族?」と聞くシーンが一番泣ける。二人とも、元々の家族の中ではいつも孤独を感じていて、一人きりだった。だから、互いが互いを必要とするのは、当然のこと。なんだけど、焼き餅焼きの大炸裂は困るよ? と思うわけなのですが-;。