本日の日誌

さて、本日の問題点が一つあります。お母さんは、出かける時に、お姉さんがいんげんを採っていたら、「お前のやることは父親にそっくりだ。」と言って非難しました。ものすごく基本的なことですが、子供に親の悪口を言ってはいけません。子供は両親の双方から成っているものですし、親を選んで生まれて来ることはできません。片方の親の悪口を言われるということは、自分の半分を否定されたのと同じことです。その言葉を受け入れてしまうと、子供は自分の半分の存在を自分で責めるようになりますし、その点を「他人から責められるべき点」と考えるようになります。なんで、何も悪いことをしていない人が、他人から責められなければならないのでしょうか? そうすると、常に悪いこともしていないのに、自分が悪者のような気持ちになってしまって、精神的に不安定になります。精神的に不安定な人は、社会に出た時に、それこそ外は「ストレス社会」ですから、ストレスに非常に弱くなります。そうすると、お仕事を続けよう、とか頑張ろう、という意欲が持ちにくくなります。仕事こそが、現代人にとって、最大のストレスであることが多いからです。だから、子供がちゃんとお金を稼ぐ子になって欲しかったら、片方の親が、もう片方の悪口を子供に言ってはいけないのです。お母さんは、こう述べると、「自分は片親の悪口を聞かされて育った(母親が父親の悪口を言った、あるいはその逆)けれども、ちゃんとお金は稼いでいた。」と言うかもしれません。でも、幼少期の環境が悪くて、解離性健忘の気味がありますし、結婚してからは、軽い失感情症状態に陥っていて、知識活動が低下していましたから、仕事はちゃんとやっていたとしても、しわ寄せは全て家庭と子育てに来ています。仕事は家庭と子育てを犠牲にしながら、なんとか続けられていたに過ぎないのです。

昨夜の家族の会話からも明らかですが、太陽女神のお姉さんは、妹が「家族ではなくて、誰か他人の言うことを聞いて家を建てているようにみえる」と述べていました。お母さんは、それを信じたくないので、太陽女神が「一人で家を建てている」ようにふるまいます。彼女が一人でそんなことをやったりできそうもないことは、客観的に明らかなのに、もかかわらず、です。そして、お父さんはといえば、何を言っても無駄そうなので、何も言って貰えないまま、事情を理解することもありません。「娘のわがままで家を建てている」と、心の中で思っているのは、そんなことなのかもしれません。だから、家族の中で誰が一番「客観的」に物事を見て判断できているのか、というと、それは明らかに、太陽女神のお姉さんだ、ということになります。彼女は彼女なりに、太陽女神の行動を客観的に的確に分析できています。

お姉さんは、お母さんから見れば、「小さい頃に直接面倒を見てあげられなかったから、自分の手元に戻ってきたときには、どうにもならなかった」子供でした。「どうにもならない」というのは、お母さんの言うことを素直に聞かない、就職をさせようとしても、お母さんの選んだ仕事を「いやだ」と言う、とそういうことなのだと思います。その代わりに、仕事がいやで、辞めたければ、結婚すればいい、と考えてお母さんにせっつき、結婚相談所に登録しました。子供の頃は、お小遣いが少ないと、お母さんのお財布からお金を抜き取って、お小遣いを値上げしてもらいました。こういうことからも分かるように、お姉さんは、「いや」なことは「いや」と言える子でしたし、自分の感情を表に出すことで、自分の気持ちをお母さんに分かって貰うことが「できる子」でした。要するに、感情の表出がちゃんとできて、必要に応じて、他人ともコミュニケーションが取れる子だったのです。感情の表出がちゃんとできて、かつ物事を客観的に見ることができる子は、要するに「普通の子」です。太陽女神は、そもそも非常に幼い頃から、失感情症を発症していて、ものすごい分析屋でしたが、感情を表に出してお母さんと上手にコミュニケーションを取ることは苦手でした。子供の頃の太陽女神は、「お母さんは私の気持ちを分かってくれない」と思うことが多かったのです。それは「分かってくれない」のではなくて、自分自身が気持ちをうまく伝えられない子供だったのです。だから、普通の子に育ったお姉さんと、普通の子ではなかった太陽女神の「成長の差」を見るには、「お姉さんの養育にだけ関わった人々」を知らなければならないのです。その人達が、お姉さんを、「思うことがある点については、ちゃんと意思表示できる子」に育ててくれたのです。だから、「まとも」に育ったのは、実は太陽女神ではなくて、お姉さんの方だったのです。でも、お母さんの方は、「ちゃんと意思表示ができる子」ではなくて、「言うことを聞く子」が「いい子」だと思ってるので、「言うことを聞く太陽女神」の方が、「いい子」であるように錯覚していただけなのです。お姉さんの方が普通の子でしたが、家庭環境が悪かったので、情緒不安定なところがあっただけなのです。それから、「意思表示の仕方」にも、社会的に見て適切でない点がありましたが、お姉さんの方の「普通でない点」は、そのくらいでした。お姉さんの養育に関わったのは、父方の祖母、母方の祖父、義理の叔母さん、叔父さん(お父さんの弟)、学校の仕事で出会ったUさんくらいでした。父方の祖母と叔父さんは、子育てに宛てになるような人達ではなかったと思います。Uさんも、預かった子供に怪我をさせるくらいですから、ちゃんと面倒を見てくれていたのかは疑問です。でも、母方の祖父は、子供の扱いが上手で、特に女の子に優しい人でした。義理の叔母さんは、彼女の甥とお姉さんを良く遊ばせていたそうですし、お姉さんもそのお友達のことを今でも覚えていますから、その頃のことはお姉さんにとって、「よい思い出」に満ちていたと思われます。要するに、母方の祖父と義理の叔母さんが、「親に遊んで欲しい乳幼児」であったお姉さんの思いをある程度、お母さんの代わりに受け止めてくれたので、お姉さんは彼らをお母さんの代理として、「客観的な母親像」を形成し、その結果客観的なものの見方ができるようになったのです。そして、自分の感情を抑圧することもなかったので、感情を表出することも、ある程度普通の子供のようにできるようになりました。叔父さんも子供がある程度育てば、一緒に遊んだりできる存在になり得たかもしれません。でも、こういう人達は、太陽女神の養育には関わりませんでした。なぜなら、女神が生まれる前後に、どういうわけか全員がほぼ突然に亡くなっているからです。お姉さんを「普通の子」に育ててくれた人達だけが亡くなっているのです。

一方、太陽女神は、自分でも記憶にないくらいから、自分の感情を抑圧することを覚えていました。その最初の兆候も、自分が覚えていないくらい幼い頃にあります。自分の子供の頃の話として、お母さんは「お前は一緒に買い物に行くと、その時にはお菓子を買って、と言わない。そして、後になってから「買ってくれなかった」と文句を言う変な子だった。」と言いました。要するに、お菓子を買って欲しい時に、「買って欲しい」と言えないのです。お菓子をものすごく買って欲しいと、心の中で思っているのに、自分でそう思っていることに気がつけないから、言えないのです。そして、その思いは、時間がたってから、ようやく意識の表面に出てくるのです。それではじめて、「お菓子を買って欲しい」と言えるようになるわけですが、その時はもうお店にはいませんから、「私が買って欲しい時に買ってくれなかった」となるのです。失感情症のせいで、感情の表出が適切な時間にできないのです。お母さんは、おそらく娘のそういうところを「わがまま」だと思っていたのではないでしょうか。彼女は単に病気だったのです。その一方で、お母さんは、感情を上手に表すことができない子のことを「思い通りになるいい子」だと感じる部分もありました。それも単に病気だったのです。「思い通りになる」のは、自分が何をしたいと思っているのかを自分で理解する力が弱いから、そして、お母さんの言うとおりに動くことが、いろんな面から「自分にとって有利である」と頭で判断していたからです。そして、親に依存している幼い子にあるように、「親と同じ価値観を持とう」ともしていました。そういう知能だけは、非常に「一を聞いて、十を悟る」ような、優れた子供であったのです。