本日の日誌

さて、本日、トリイ大先生から宿題を授かったわけです。それは、姉と私の育ちからの差についてです。「お姉さんと、あなたが育つ過程で、お姉さんの養育に関わって、あなたの養育に関わらなかった人がいます。それが、お姉さんとあなたの差です。」そう言われた。で、それで親に聞いてみたら、そういった人達は何人かいて、全員私が生まれる前後に「突然に」死んでいることを発見した。彼らはなんで死んだのですか? 本当に自然死なの、それ? と思う。世の中って、こういうところなんだなー、と突きつけられて。それで、始めて、蛙の王家が何故、トリイのカウンセリングを受けることに大反対なのかに気づかされて。家に帰ったら、兄さん達から「相葉君のことは、敵と心得るように。好意を持つなどもってのほか。」と言われるわけで。蛙の人たちと、蛇の目の人達は、深く混血習合しているから、ここまで事態が明らかになって、太陽女神が富の王家の方に来れば、蛙の目の人達の中からも、富の王家の方に引き抜くことができる人は出てくるでしょう、と言われる。まっすーなんかは、すでに引き抜かれている人。でも、相葉君は引き抜けない人ってことのようなのですが。

でもって、武井咲ちゃんは、蛙の人たちの王族の出なわけですが。彼女は、「女の子は愛に生きるべき」って考える人なので、私の味方なわけです。で、彼女に言われた。「あなたにもまだ甘いところがある。義理の叔母さんが病気になったとき、叔父さんは叔母さんにとても優しくしてたってあったでしょ。叔父さんにとって、叔母さんはものすごく恩義のある大切な奥さんだったのです。あなたはお母さんの気持ちを考えて、息子が妻と協力して、実の父親を殺したのだろう、とは言わなかった。妻がそういうことに協力してくれたから、その妻は夫にとって「ものすごく恩義のある大切な妻」だったのです。そして、息子は今度は、敵の側についた娘と組んで、父親が得た財産を全て敵の手に渡そうとしている。お母さんは、父親の財産を敵の手に渡したくないと思ったら実家に戻らなければならなかった、お母さんが父親の財産を敵の手に渡したいと思ったのなら実家に戻らないままでよかった。その結果、お母さん自身が、父親の財産を敵の手に渡すと選んだ。世の人々は、お母さんはそういう選択をする人だ、と考える。世の中とは、そういうところなのだ、とただそれを知って欲しいのです。なぜなら、どうせ今から選択し直す必要はないからです。太陽女神自身の財産は、もう溜まっているところには、ある、と、それだけのことだからです。ただ、『世の中とはそういうものだ』と知って欲しいのです。」要するに、自分が今やっていることが、先の先までどう影響を与えるかを読んで、世の中を渡っていかなければいけないし、それができて当然、特に「王族」なら、ってそういうことを言いたいのだと思うのですが。甘いどころじゃないですよ。私の方も、もうヘトヘトだ、と思うわけですが。でも、上に立つ人は、そうやって先の先まで読めなければ、大勢の部下の命を守っていくことができないし、結果としてどんどん部下を、味方を殺すだけですよ、って言われる。「王族」のお姫様からの忠言なわけです<(_ _)>。要するに、好意を持つべきでない相手には、絶対に好意を持ってはいけない、まずはそれを心がけなければならない、とそういうことなのではないでしょうか。

で、本日のトリイ大先生のご講義について。朝からいろんなことがあって。

まず、出かけている時に、車の中で自律神経発作を起こしました。症状は、めまい、はきけ、腸の蠕動運動の更新(幸い下痢にまでは発展せず)。暖かくして、まずは休んで、その後カイロとタオルを買って暖めたら症状は改善して、お昼ご飯はおいしく食べられました。

車中で親と話したこと。お姉さんが、次の日の天気予報をお母さんに伝える時に、メモをして伝えている、と。そのメモの内容が不充分で、雨が降る際に前線の雨なのか、雷雨なのかが分からない。しかも、天気図を眺めて天気を予想するのが好きなのに、それもできない、とのこと。最初に言ったことは、「天気予報を伝えるのに、メモするなんて。私だったら、メモをしなくても、ちゃんと覚えていられるのに。」ということでした。これが、まず問題点その1とその2になります。

その3。その後、雨対策のお買い物に出かけて、太陽女神は赤ん坊の発達についての話をお母さんにしてみました。お母さんは、「生まれて1年くらいは、母親がつきっきりで面倒をみなくてはならない。」と述べました。女神は、生後1ヶ月の赤ん坊でも、ただ泣いて生活の欲求を満たすだけでなく、遊んで欲しい時には、親に対してそういうアプローチができる、という話をしました。それは、彼女が小児科のポリクリに行ったときに、検診で甲状腺機能低下症が疑われる、生後1ヶ月の赤ん坊を見たことがあったからです。甲状腺機能低下症になると、人は活発さを失いますが、赤ん坊はとても活発な感じの乳児であったので、病気ではないことは一目で分かりましす。でも、お母さんは、子供がかわいいから、先生の話を一生懸命聞こうとします。でも、赤ちゃんの方は、そんなことお構いなしに、お母さんに遊んで貰おうとして、手を伸ばしたり、何か言ったりするので、お母さんは落ち着いて先生の話を聞くことができません。それを見ていた太陽女神は、自分が赤ん坊の扱いにたけていれば、お母さんが話を聞いている間、赤ちゃんを抱き上げてあやしてあげるのに、と思いました。でも、そういうことはやったことがないので、怖くてできませんでした。なにせ、他人の子供のことでうから。だから、人間の赤ん坊とは生後1ヶ月でも、「どうやったらお母さんと遊んで貰えるのか」ということを自分で考えているし、そのために行動もしてるし、そうやってお母さんを動かすにはどうしたら良いか知ろうとしている。そういう知的な活動ができることが「人間」なんだ、と思ったのです。だから、自分に対するお母さんは、どうだったのだろうか? と思ったので、そのことを女神はお母さんに聞いてみました。そうしたら、お母さんは「あまりそう思ったことはない」と述べました。これが3つめの問題点です。

お父さんは、解離性障害による「現実感の喪失」と「解離性健忘」を持っている人です。しかも、失感情症で、知識活動も低下がみられます。でも、お父さんには嘘をつく性質もあります。たとえば、病院の先生に、煙草をすっているのに、「すっていない」といいます。お母さんは「そんなことで嘘をついても仕方がないのに。」と思ってあきれますが、お父さんは失感情症で、「他人が自分をどう思うのか」ということに無頓着なので、その場だけしのげればよい、とそれしか考えません。だから、そう行動します。人の感情というものは、不可解なもので、「都合の悪い現実」を目の当たりにすると、それを完全に「妄想」に置き換えて忘れてしまうこともありますし、自分で嘘だと知っていても嘘を並べて逃れようとすることもある。その2つは完全に区別されていなくて、「2割は嘘だけれども、8割は妄想」とか、その逆に「8割は妄想だけれども、2割は嘘」と思っていることもあるのです。だから、その人がつく「嘘」と「妄想」の間には連続性があるのです。人をだます詐欺師なんかは、他人に嘘をつき続けていると、しまいには自分が本当のことを言っている気分になる、と述べる人がいます。嘘と妄想の境界が、当人にとっても曖昧なのです。そういう点で、お父さんは現実を客観的に認識できない場合には「嘘と妄想」の世界に生きています。そして、「除草剤をまかれるはずがない」といったん思い込むと、「除草剤がまかれている」と述べたお母さんの発言まで忘れてしまいます。だから、お母さんに対して「お前は、俺に対して嘘を言う女だ」と言って、攻撃する、ということはほとんどありません。それは娘達に対しても同様です。

お母さんの性格の中にも、やや「失感情症」の傾向は見られます。例えば、天気予報については、詳細な日本周辺の天気図まで見て、自分で予想してみる、という知的な活動を好みます。普通の人は、そこまでしないで、「明日の天気は晴れときどき曇りで、ところにより雷雨」という程度で満足してしまいます。だから、普通の「天気予報」は、そこまでしか述べないものがとても多い。天気予報に関しては、お母さんの方が知識活動も、意欲もものすごく盛んなのです。でも、それができにくい場合に、どうするのか、ということになると、「お金がかかるならやる必要はない」となります。強力な「失感情症」の意欲の突出は、インスタ中毒のお嬢さんのように、「やりたいことのためなら、いくらお金を使っても構わない」となりますので、そこまではお母さんの「天気予報に対する意欲」は強くないのです。だから、「失感情症」というよりは、やや、その傾向が見られる、ということになります。しかし、お母さんの全体の知識活動は、実は低下しているのです。「天気予報」というものに対して、太陽女神ですら持っていないほどの意欲と知識を持てるお母さんですから、本来は他の分野に対しても、太陽女神に負けないくらいの知性をもってのぞめるはずなのです。でも、お母さんはこう言います。「子供を産んでから、もの覚えが悪くなって、勉強がやりにくくなった。」要するに、それまでなら、どんな本の内容でも、水を飲むように吸収できて困ったことのなかったお母さんであったのに、それ以後はそういうことが難しくなりました。「本を読む」ということは、文字を読んで、その内容を理解する、という高度な知識活動ですので、そういう活動全体の意欲が低下しているのです。「子供を生んでから」と述べていますので、おそらく子育てがストレスになって、多少の感情の抑圧がきて、やや「失感情症」の傾向が出、それで知識活動全体が低下しているのです。本来のお母さんの姿は、天気予報に対する鋭い洞察力と分析力の中に残されています。

お母さんが、お姉さんに対する愚痴を述べたので、「それは違うでしょ。お母さんは天気予報を覚えていられるけれども、お姉さんは覚えていられないからメモを取る。それは、「天気予報を伝える」というお姉さんなりの方法であるのだし、お母さんとお姉さんは別の人間なのだから、同じようにしないからといって、攻められるはずのことではないでしょう。」と述べました。これが、問題点その1です。「お母さんとお姉さんは別の人間なのだから、同じように行動する必要はない」、これは大人の世界のルールです。でも、子供が赤ん坊で、まず「生き方」というものを示さなければならない場合には、子供は親の行動を模倣しますし、子供が小さい内は母子はそうやって同じ価値観を持って、一体化して行動します。要するに、お母さんの頭の中は、子供に対して「自分と同じ価値観を持って、一体化すべし。」という考えが、相手はもう50を過ぎた人であるのに、まだそういう考えで満ちているのです。だから、お姉さんのことを一人の人間としてみておらず、「自分と同じよう」であることを要求する。それが「母子の分離ができていない」ということなのです。太陽女神が、今取り組んでいる問題がこれなのです。

太陽女神が、「結婚して東京に行く。自分の面倒は見てくれる人がいる。」と日記に書いて、数ヶ月後に急にお母さんは「何故須坂ではダメなのか? 今度は自分は面倒を見に行ってやらないから。」と怒り出しました。何故、日記に書いた当時にそう言わなかったのか、と尋ねると「そうは思わなかったから。」と述べました。そして、「6番目の子にだまされているのではないのか。」とも言った。でも、太陽女神は、開口一番の「何故須坂ではダメなのか?」が全てだと考えていました。娘が遠くへ行ってしまうことが、「母子の分離ができていない」母親の一番の不満だと、考えている、というよりも知っているのです。なぜなら、それで非常に苦労をしてきているからです。

その件はいったん収束しましたが、その次には、今度は食事の量を急速に、無断で、減らされる羽目になった。その時は、「分離不安による成熟拒否」だと思いました。子供が子供のままなら、いつまでも親元を離れていかないからです。

それが収束すると、今度は「感謝しろ」コールです。子供が親のしてくれたことに「感謝する」のは、親子の間に特別な関係があることを強調することです。

で、それも終わったと思ったら、今度は「お姉さんが自分と同じでようでない」という不満を聞かされました。表面上は穏やかだったかもしれませんが、これが太陽女神にとって大打撃であって、今までそのようなことを母親に要求され続けてきて、どんなに大変だったかが一度に思い出されたのです。で、雑誌を買いにコンビニに寄ったら、フラフラして、めまいがする。「遂に、耐えきれなくて、心身症的反応が来た。」と太陽女神は思いました。指導医のトリイ・ヘイデンは、「そうやって、親に分離を拒否されて、どんなに苦しいと思うか。あなたは常日頃、自分の感情の表出をあまりしないけれども、そうやって「苦しい」と思うことも感情の表出です。自分では、どうにもならなくて、病院にやって来ざるを得ない精神疾患の患者さんの苦しみがどんなものなのか、自分の体験を通して学びなさい。」と言いました。そうしたら、太陽女神は「鬼!」と言いました。そうやって、言い返せることも、人とコミュニケーションを取るには、大切なことなのですよ、とトリイは太陽女神に言ったのです。で、現場についたら、吐き気と便意が生じましたので、結局、過去の体験のフラッシュバックと、緊張感の高揚と、冷えたせいで自律神経失調発作を起こした、と太陽女神にも分かったので、彼女はその治療を試みました。自分で自分の治療が行えるんだから、指導医が気を遣う必要なんかない、とトリイは述べます。でも、お母さんには、もっと娘は娘、自分は自分、という気持ちを常日頃から、日常生活のあらゆる場面で、持って貰う必要はあると思います。

そして、問題点その2。「やってもらったことには感謝した方がいいのではないですか。」と、太陽女神は述べました。そうしたらお母さんは、「雷雨と前線の雨の区別もつかない」と言いました。お母さんは、お姉さんが中途半端に助けてくれても感謝の気持ちを持てません。かつて、太陽女神は、お姉さんが中途半端に荷物をつけてくれたことに対して、「やるならやるでしっかりやって欲しい」と述べました。そうしたら、お母さんは「気をつけていないお前が悪い。中途半端ではあっても、やってもらったことに対する感謝の気持ちがない。」と述べました。親は子供の鏡といいますので、自分がやらないこと、すなわち自分では感謝する気がないようなことを、子供にだけ「感謝すべきである」と、要求すべきではないと思います。それこそ、子供の方に不公平感が生じて、親子の信頼関係が壊れるからです。親が一方で、子供との分離を拒否していながら、一方で信頼関係を壊すような真似をするから、子供は困ってしまうのです。

そして、問題点その3。トリイ・ヘイデンは太陽女神にたずねました。「お母さんは、子供の面倒はきちんとみてくれた、というかミルクを飲ませる。湯浴みをさせる。下の世話をする。そういうことはきちんとしてくれました。でも、子育てをストレスに感じる女性は大勢います。おそらく、赤ん坊の方からの「遊んで欲しい」「構って欲しい」というサインは、ほぼ見落としがちだったのだと思います。お母さん自身にも、赤ん坊の頃に母親と遊んで貰ったという経験は乏しかったのでしょう。普通の子供は、母親がそういう態度を取ると、自分が親となったときに、赤ん坊と一緒に遊んであげない、親と同じような人間に育ちます。でも、あなたは「赤ん坊と遊んであげたい」と思う人です。それが何故なのかを考えてみて下さい。」と。その答えは一つです。太陽女神は、ごく小さな赤ん坊の頃に、お母さんに甘えて遊んで欲しい、とサインを送っても、見落とされがちでした。それで、ものすごく寂しかったのですが、その気持ちは「無駄なこと」だと思うようになると、寂しいと思う気持ちも、次第に心の奥底に閉じ込めてしまって、表面上では、寂しいと思うことすらしなくなりました。その代わりに、母親の行動を客観的に分析して、「自分が母親だったら、赤ん坊と遊んであげるのに」と思うようになりました。生後1ヶ月の赤ん坊に対して、そう思うということは、太陽女神自身、かなり赤ん坊の頃に、すでにそう思うようになっていたのです。非常に知的で、分析的な「人間」の赤ん坊です。そういう子供は、その点については、成長しても親と同じ行動はとらなくなって、親とは異なる行動を取るようになるのです。でも、そういう「分析屋」な性質は「失感情症」の症状でもあります。すなわち、太陽女神は、すでに幼い頃から、「失感情症」を発症していたのです。

そして、話は最初に戻りますが、太陽女神のお父さんは、誰かが信じたくないことを言ってきた場合には、言われたことすら忘れてしまう人でした。だから、信じて貰えなくても、その後の実害はあまりありません。それに、子供の方が主導で好き勝手やっても、それもわりとすんなり諦めてくれる人です。一方、お母さんの方は、相手の言うことを「嘘だ」と思って、いつまでも言った内容は覚えています。そして、解離性健忘で、ときどき「妄想」を真実だと思う人なので、誰かが「言った内容と自分の妄想」を組み合わせて「言われた内容」だと思っていることもあります。で、そういうことを覚えていますので、何かあると相手のことを「お前は嘘つきだ」とか「お前はおかしい」と言って責めます。何もかも忘れてしまう人は、ほっておけば実害がありません。ほっておくと、いつまでたっても人の言ったこと、あるいは言わないことを取り上げては「うそつきだ」とか「頭のおかしい」と言い続ける人と、全部忘れてしまってくれる人。いったい、どちらの方が、親としては子供にとって「やっかいな人」なのだとお母さんは思いますか? それはお母さん自身で考えて見て下さい。でも、一回言って、信じて貰えなくても、その後実害がないと分かっているから、「別に説得する必要はない。そんなこと無駄なこと。」と、太陽女神はお父さんに対して述べるのです。説得は試みても、説得されたことすら相手は忘れてしまいますが、ほっとけば、こちらが好き勝手やっても、ほぼ実害なしの相手だと、それは子供の方が、ちゃんと知っているのです。