昨夜も雨が降ったので、水をくみ出したり、様子を見ながら穴に潜ったり、寝たりして。帰る時に、親といろいろ話をしたわけですが、トリイ大先生のカウンセリングのことを述べると「現実感がわかない」と述べるわけで。だいたい、私にそんな高度な精神科の知識があるわけではないので、いろんなことが言えるはずがないのは、「客観的」にわかりきっているわけですが、親は「現実感がわかない」と言う。でも、解離障害の人が述べる「現実感がわかない」とは、要するに、その人が「現実のものとして認めたくない事項」を指すものであるので。親にはただ、何故、自分がトリイのことを「現実の物として認めたくない」のかを考えて貰うしか無いわけで。母親の問題点の一つは、「現実感がわかない」と述べたことについて、すぐに「それは嘘だ」と決めつけてしまうことにあるのです。例えば、インスタ中毒のお嬢さんのことなんか、「やらせ」だ、と決めつけてしまうわけで。だから、母親が認めたくないことを言った人のことは、本当のことを言っていても、すぐに「嘘つき」と決めてしまう傾向があるわけで。トリイの言ったことを認めたくなければ、トリイの言ったことを「嘘」だと決めつけるだろうし、トリイの言ったことを書いている私のことを「嘘つき」だと言うかもしれない、と思う。そこに、母親の病の深さと問題点があるわけです。でも、母親は、蛙の王家の話しかしなかった。その人たちはその人たちで、問題がありまくるわけで、加藤君は「もう王家のために働くのがいやになっちゃった」って言って愚痴ってくるし、4番目の子は「身の置き所がない」って言ってくるわけですがー;。自分の問題点をきちんと見据えて、私と話をするつもりはないんだなー、と思っただけです。でも、それは母親の中では、私のことを「嘘つき」だって決めつけてることと同じなんだ-、その病気が治らない限りは、ってそうなるのです-;。
でもって、本日のトリイ大先生のご講義の内容です。
さて、時間の軸に沿って話を進めるために、今度は太陽女神のお父さんの話をしましょう。お父さんを精神医学的に語る上で、一番分かりやすいキーワードは、「気にしない。気にしない。」です。こういう言葉は、お父さんが、「現実に起きていることを現実だと認めたくない場合」にしょっちゅう発せられます。家の畑に誰かが侵入して、除草剤をまいて、木や作物をどんどん枯らせてしまう。それが目に見えて明らかなのに、お母さんがいくら具体例を突きつけて説明しても、お父さんは「認識した、認識した。でも、気にしない、気にしない。」と述べて、現実に対応する意欲を見せません。現実には、まるでなかったことのようにふるまいます。これは、「現実に起きていることを目の当たりにして動揺した際に、動揺を無理矢理押さえ込もうとすると、現実に起きていることに現実感が持てなくなって、現実でないものを見ているような気分になること」、と説明されます。だから、結果的には、現実なのに「現実ではなかったこと」にされてしまいます。すなわち、お父さんの心の中では、「除草剤はまかれていない」ということになり、その説明のために、「雨が足りなかったから」とか、そういう理由が作られることになります。でも、それは事実ではないから、「妄想」です。現実の真実を認めたくないために、新たな妄想を作り上げてしまい、現実に起きたことには「現実感」が持てないのです。こういう状態を「現実感の喪失」といいます。お父さんには、他人が家の敷地内で除草剤をまいている、という事実に対して、どうしても現実感が持てないのです。お母さんが、インスタグラム中毒の若い娘さんの例に、どうしても現実感が持てなくて「やらせだ」と言ってしまうのと同じ心理なのです。そして、このように現実に起きていることと、当人が認識していることの間に「解離」がみられることを「解離性障害」といいます。こういう人は、現実を客観的に見ることができません。その前提としての「何が現実なのか」を、理解できていないからです。
お父さんも、お母さんも、全体としては社会生活に適応して生きてきた普通の人です。現実のものとして、客観的な見方をできるものもたくさんあります。でも、「自分が現実のものとして認めたくないもの」だけ、客観的に見れなくなるのです。
太陽女神が、お父さんに対して「不思議」だと思っていたことがいくつかあります。それは、お父さんの知的活動について、です。お父さんは、学校の先生をしていたわけですから、本来の知能はそれなりにあるはずです。しかも、「門前の小僧」の通り、自分が知らないことでも、繰り返し他人に教えていれば、自然に覚えてしまったこともいくらでもあるだろうに、それにしては持っている知識が乏しすぎる。小学校の歴史で出てくる、女王・卑弥呼のことも知らないし、となります。これは、精神医学的には「知的活動が低下している」となります。知的活動が低下しているので、実際の知能よりお馬鹿さんに見えます。その一方で、お父さんは、かつては陶芸、今は畑仕事、というように、特定の分野だけには、非常に強い意欲を傾けます。でも、知的活動が低下しているので、「種をまく時期がいつなのか」をお勉強する意欲が持てなくて、お勉強できません。お母さんは「10年も畑仕事をしておいて何故?」と思いますが、知能の割に、お勉強する意欲が持てなさすぎるのです。そして、お母さんが嘆くように、お父さんは水回りのこととか、家の敷地の整備にも全く意欲を見せません。そういう「力仕事」は、本来家庭の中で男性の役目なのに、お母さんはそれを一人でやってこなければなりませんでした。要するに、お父さんもやはり、失感情症に陥っているのです。特定の意欲は突出していますが、それ以外のことには意欲を持てません。そして、「知的活動に意欲を持てない」という典型的な「失感情症」ですので、そもそも、自分が執着していること以外には、どんなお勉強でも、する気がないのです。だから、お父さんは、「現実感の喪失」という解離性障害と、弱冠の失感情症を発症している人、となります。
こういう現象は、幼少期の親との関わりが原因で生じることが多いのですが、太陽女神もお母さんも、お父さんが幼少の頃、親とどんな風にかかわって、親をどう思っていたかということは知りません。でも、今、どう思っているかは知っている。お父さんのお母さん、すなわちお母さんにとってのお姑さんは、お母さんの実の父親からは「ろくでなし」と見えるような人でした。子供達が小さい頃は、よく叩いた人だそうです。でも、今お父さんは「いい親だった」と思っています。だって、自分でそう言うのですもの。お母さんは、「親が生きているときには、たいして好きな親でもなかったくせに。」と言ってあきれます。お父さんは、母親が「ろくでなしの暴力親だった」という現実を認めたくないのです。だから、真実の親の姿は記憶から消してしまって、「子供のために苦労した、いい親だった。」と思うことにして、そう言っているのです。今では、自分でもそう思っているのです。こうやって、「自分が現実だと認めたくない過去の事実」をどんどん事実でない「妄想」に置き換えてしまっていくことを、「解離性健忘」といいます。これも解離性障害の一種です。要するに、「現実感の喪失」と「解離性健忘」が駆使される結果、お父さんは「現実のものとして認めたくないもの」を、どんどん「妄想」に書き換えているのです。こういう作業が、日々、お父さんの心の中で行われています。
お父さんの対人関係について、お母さんはこう述べています。「自分よりも学歴の低い、頭の悪い人達と付き合うのを好む。そして、そういう人達を、自分では利用しているつもりで、逆に利用されている。」と。これは太陽女神から見ても、その通りであって、お父さんは付き合っている人達の、悪意ある本性を見抜くことができません。「安くやってやる」という言葉に踊らされて、敷地の整備をやってもらうはずの人に、敷地内に大量のゴミを埋め込まれても、そのことにすら気がつかないのです。しかも、自分が信頼していた人が、悪意ある人だと現実に認めたくないので、事実を知っても、「従業員がやったことで、当人は知らないこと」とかって言って、現実の事実を認めようとしません。どうしても、お父さんは、その点に現実感を持てないのです。だから、言い訳の妄想だけを考えつくようになっています。そして、その妄想の方を自分でも信じています。
それにしても、お父さんは、何故「自分よりも学歴の低い、頭の悪い人達を利用することを好む」のでしょうか。お父さんは、彼らの人柄を理解していて、その人柄を信用していたり、尊敬しているから付き合っているわけではありません。あくまでも、「自分の目的のために利用する」ために付き合っているのです。では、幼い頃の、お父さんにとって、「自分よりも頭が悪くて、利用できる人」とは誰だったのでしょうか。お父さんのお父さんは、学歴はともかくとして、頭は良く、裁判の書類も自分で作成することができる人でした。子供達の学業の進路を決めたのも、ほぼこのお祖父さんでした。お父さんの生きた時代も「子供は親のいうことをきくもの」という価値観がまかりとおっていましたから、子供達は男親のいうことを聞いて、どこに進学するのか、とかそういうことを決めていたのです。でも、お父さんの身近に頭の悪い人もいました。それは、お父さんのお母さんです。要するに、太陽女神の父方のお婆さんは、お父さんにとって、「うまく目的に沿って利用する親」だったのですし、これが真実のお父さんと、そのお母さんとの「親子関係」だったのです。そういう母親との人間関係が、大人になってからのお父さんの「対人関係」に持ち込まれているのです。お父さんは、実の母親を無意識下で信頼していたように、母親に似ているところのある「他人」を信頼しているのです。ということは、お父さんは、お父さんのお母さんのことをけっこう好きだったのです。でも、失感情症の傾向が強いので、彼らが自分のことをどう思うのかは、あまり頓着せず、多少分析的になっています。でも、暴力的な母親を「良い母親」だと思うくらいだから、客観性を伴った分析としては不充分です。
そもそも、子供はどうやって、「客観的なものの見方」とか「現実感」を手に入れるのでしょうか。赤ん坊が最初に接触する存在は母親です。赤ん坊には、本能的に心の中に理想的な「母親像」があって、それに沿って実の母親との接触をはかり、コミュニケーションを取ろうとするのです。本能的に理想とする母親とは、優しくて、お乳をくれて、自分の面倒を見てくれる存在です。その母親に甘え、頼ることで、子供自身も人間として成長しようとするのです。でも、現実の母親は100%理想的とは限りません。母親として欠点のある人もいます。でも、大抵の場合は、子供がそこそこに育つように面倒を見てくれますから、子供は現実の親と接触して、理想の親と現実の親を比較して、そこに差をみつけたり、一致点を見つけたりします。そうやって、「母親」というものを、自らの精神活動で分析して、初めて「自分の親は、○○のような親だ」と認識できるようになります。そこで、最初に持っていた「理想の母親像」と「現実の母親像」が統合されて、一つの具体的な人間性と個性を持った「母親」の真の姿を理解できるのです。これが、最初の「現実への客観的なものの見方」になります。その後は、例えばおもちゃを見たら、まずそれがどういうものなのか想像してみる、実際に触って遊んでみる。そこに、想像との差や一致点を見いだす。要するに、最初に母親との接触で行ったような、分析と認識行動がことあるごとに繰り返されて、子供は自分以外の「外」のものを現実的かつ客観的に認識できるようになるし、そうやって知識や経験は増えていきます。物事を客観的に見れるようになると、更に理想を追求するために、物事を改良すべき点とか、新たな物品や概念を生み出す、というような、更に発展した思考が可能になります。
だから、最初に自分の中の「具体的な母親像」を客観的に作り上げることができないと、物事を分析して、客観的に見る方法が自己の中でうまく確立できず、現実にあるものと自分の心の中にあるものを一つに纏めて、分析して、イメージを統合していくとういう作業が苦手になって、現実にあるものと心の中で認識しているものとの間に「解離」が生じる「解離性障害」に陥って、「現実感の喪失」等の症状が生じてきます。それは特に、「その人が現実のものとして認めたくないもの」に顕著になります。例えば、お父さんの場合は「余所の人が家の敷地内で除草剤をまく」ということで起きます。信じたくないから、ろくに調べもせずに「ありえない」と言ってしまう。
赤ん坊が、「理想の母親像」と「現実の母親像」を一致させて統合させることができない場合とは、どんな場合でしょうか? それは、両方の落差が激しすぎて、いくら分析しても一つに纏めることができない場合に生じ得ます。現実の母親が、面倒を見てくれなかったり、子度が恐怖を感じるような行動をとり続けると、「面倒を見てくれる優しい母親」と「現実の母親」の差があっまりにも大きいので、認識に解離が生じる。そうすると、子供はつじつまの合わない、歪んだ母親像を生み出すのです。お父さんの場合ですが、お父さんのお母さんは、子供に対しては、暴力的な人でした。「優しくて面倒を見てくれる母親」像とは、あまりにもかけ離れた人であったので、お父さんは理想と現実が統合された「客観的な母親像」というものを作り上げることができず、お父さんの中の「母親像」は時間の流れと共に変化しているのです。そして、お父さん自身では、無意識のうちに、「自分よりも頭が悪くて、暴力的な、利用するだけの母親」が、「理想の母親」だと思っているのです。しかも母親を「客観的」に見ることができないから、自分の無意識下の「母親像」が歪んでいて、変だということにも気がつけません。
お母さんは若い頃から、お父さんが家のことを、いつもお父さんの家族(お姉さん)に相談してしまうことが不満でした。また、お母さんは自分のお父さんを理想の男性と思う傾向が強いのですが、夫はそういう人ではありませんでした。だから、いつもお母さんはお父さんが不満でした。一方、お父さんの方も、お母さんに不満を抱いていました。それは、お母さんがお父さんの「理想の女性」ではなかったからです。お父さんの理想は「自分よりも頭が悪くて、暴力的な女性」でした。周囲から見れば、お母さんはそういう妙な「理想像?」に比べれば、よほど良い妻であり、母であったわけですが、お母さんが一般的な良き妻、良き母になればなるほど、お父さんの不満は募るのです。だから、お父さんは、お姉さんが生きている間は、お姉さんが「理想の母親像」の代理でした。お姉さんが亡くなった後は、「自分よりも頭が悪い知人」がその代替となりました。お母さんに対する妙な理由の「不満」は解消されることがありません。このように、自分が赤ん坊の頃に、母親との間の正常な「統合と分離」を経験して、「客観的なものの見方」を形成することができない人は、他者には理解不能な歪んだ価値観を持つことがあって、それがその人の人間関係全体、特に夫婦関係に大きな影響を与えうることとなるのです。お母さんの方も、「心の中の理想の母親像」と「現実の母親像」を統合することができず、「母親像」に関しては「子供に冷たい母親像が良い人」というイメージが多少ありました。そして、お母さんにも特定の事柄に対し「現実感の喪失」が起きています。要するに、お母さんとお父さんは、夫婦揃って、解離性の人格障害を抱えており、「現実を客観的に見るという能力」が弱まっていました。お父さんの方は、それに加えて失感情症からきていると思われる知識活動の低下が生じているように思います。物事を勉強して知識を得よう、という気持ちが乏しくなるので、当然物事を見る視野も狭くなるのです。
親と子供の関係は、「子供の進学」とか「進路」に関して重要です。経済的にも重要ですが、精神的にも重要なのです。お父さんの場合、お祖父さんは子供達に「できうる限りの教育を授けよう」としていたように見えます。お父さんの一番上のお姉さんは、女学校に行かせて貰ったことを、とても自慢していました。頭が良ければ、もしかしたら、長野高等女学校(今の西校)に行かせてもらっていたかもしれないし、もしそうなっていたら女子大学にだって行かせてもらっていたかもしれません。でも、子供の頭脳の方が、そこまで望めそうもなかったのです。お父さんの、場合、お祖父さんは最初、長野中学(今の長野高校)に行かせようとしていました。でも、合格しなかったので、1年の浪人の後、師範学校(今の教育学部の前身)に進学させました。それは戦中の話でしたので、戦後、お父さんは新制度の教育学部に移行して、そこを卒業しました。お父さんのお父さんの教育方針は、「子供達に、可能な限りの教育を授ける」というものでした。最初、長野中学に入れるつもりだったのだから、「先生にするために師範学校に入れた」わけではないのです。そこしか受からなかったから、そこに入れたのです。要するに、お祖父さんは職業訓練の前提として、「○○の仕事につけるために進学させる」ということはしない人でした。あくまでも、進学の目的は「子供に教育を受けさせる」ことだったのです。その結果、お父さんは先生になりました。長野中学に進学していたら、もっと上の大学に進学して、他の職業についていたかもしれません。
ところが、お父さんの場合はそうではありませんでした。音楽の先生であったお父さんは、子供達に、小さい頃からピアノを無理矢理習わせていました。お母さんは「あまり無理強いすることはないのに。」と考えて、そう述べました。そうしたら、お父さんはこう答えました。「ピアノが弾けなければ先生にはなれない。」お父さんの心の中では、子供が将来就く職業まで、親が決めることにされていました。お祖父さんの教育方針を見ると、必ずしもそうではなかった形跡がいくらでもみられます。お父さんは何故お祖父さんの教育方針を受け継がなかったのでしょうか? どのような心の動きがそこにあったのでしょう? それは語られることがなかったので分かりません。お父さんの心の中の記憶は、いつの間にか、「子供の職業は親が決めるもの」と、父親の行ったこととは別のものにすりかえられてしまっていたのかもしれません。それは分かりません。でも、太陽女神のお父さんとは、このような人であるのです。