本日の日誌

昨夜から断続的に雨が降って、非常に嫌な一日であって。朝、親に「朝ご飯のパンを買い忘れた」と言われたので、どうしようかな、と思ったのですが、4番目の子に「おいしいお弁当を買って貰えば」と言われたので、そうすることにして。でもって、現場に着いたら、途端にどしゃぶりのような大雨が降って、あっという間に坑道の奥に水が流れ込んで-;。午前中はずっと強めの雨が降っていて。結局一日中水のくみ出しで終わってしまって。梅雨前線が日本列島の上に居座っていて、北陸を中心に大荒れ、ということで、しばらくそんな状態が続くらしくて。親が排水用のポンプを買おう、と言っているので、それはいずれは少し楽になると思うわけですが、ともかく、それまでは大変だと思うわけで。

で、水を排水していたら、隣家の人に「側溝に泥が詰まるので迷惑だ」というようなことを言われて。結果的には「どこに泥が詰まっているのか教えて下さい」と言ったら、相手は引っ込んでしまったのですが。一応、あちこちに排水用のミニ溝を掘って、そしてそういうものをなるべく潰さないように、「水は道路の舗装していない部分に流せ」って7番目の兄さんに言われて。しばらく天気が荒れれば、そればっかかー、と思うわけで。穴掘りの作業はいつまで続くのだろうか、と喰らい気持ちになるわけで。敵は、埋め戻すように圧力しかかけてこないわけですし。

で、本日は「THE MUSIC DAY」であったので、7番目の兄さんは「今日はヘマしない」ってずっと言ってくるわけで。私の方は「ヘマすれば」って言って、二人でずっとじゃれていて。丁度家に帰ったら、亀梨君と山下君が歌を唄っているところであったので、KinKi-Kidsの番にも嵐の番にも間に合ったのですが。ともかく、7番目の兄さんは「こんな楽しい機会は滅多にない」って言って楽しそうだし、6番目の子と余波をくらった相葉君は、締め上げられて「頭が痛い」と言うわけで-;。6番目の子は最後には「今日は早く帰って寝る」って、珍しい弱音を吐いていた気がするわけですが。7番目の兄さんは、ご当人曰く「ボロも出ず」にラブソングも歌い上げたわけですが、その代わりに「本音」が漏れないように、私のことも締め上げてくれたので、こっちもけっこう頭痛が来たわけで-;。「目の力」で締め上げられるよりは、本音がボロボロ聞こえた方がマシ、と思うわけですが、ご当人的には「相手に言う気のない本音がボロボロ漏れるなんて、ふがいのないことは嫌」ということらしくて。「SmaSTATION!?」を見たら、5番目の子に「『一生、好きな人と結婚できない運命で悲しい』って本音がもう相手にばれてるんだから、ボロボロ聞こえても問題ないと思うのは自分だけ?」って突っ込まれたわけですが、きっとそれはご当人以外に全員が思っているのではないか、と思うわけで-;。一方の6番目の子は、「本当に好きな相手なら、『結婚したい』と言って、何が悪いのか。何を遠慮する必要があるのか。」と、そういう人なわけだから、その二人が仲良くできるわけがないでしょうが、どちらも頑固な人だし、ってそれは割と言われるわけで-;。

穴をどこまで掘るのか、いつまで掘るのか、というのは悩ましい問題であって-;。だいたい、人々の言うことを総合すれば、今のままでも7番目の兄さんであれば「気」を通せるであろう、と言われる。蛇の兄さんは「表玄関の下だけをしっかり掘っておけ」と言うし、だいたい兄さんはもうかなり前から埋め戻せってけっこう言っていたわけで-;。でも、たいていの人は「階段の下に注意」と言うわけで、たぶん中央の大通りあたりは、最低減掘っておくのが安全牌なんだろうな、と思うわけですが、ちょっと外れたところから水道管が出て来たりして困るわけで-;。あまり早くに埋め戻してしまえば、外にいる兄さん達に大きな代償を払わせることになるであろう、と思うので、それはやりたくないのですが、いつまでも穴掘りもしていたくないのも事実であって-;。7番目の兄さんには、「もう半年くらいコツコツと粘ってみて、そこでまた考えよう。その頃には、最低減の表玄関の扉の前と、今問題になっている木の枝と、タール土くらいは掘り出せているだろうし。その時点で大きなゴミがあれば、それも掘り出すし、あまり問題がなければ、中央部分だけ、親と二人で速攻で掘ることにして、他を埋め戻してしまっても良いのではないか。」と言われるわけで。でもまあ、ともかく裏の奇妙な玉砂利の下に何かないか、確認してみるよ、だいたいヘンなモノはそういう所に埋まっているから、と思うわけで-;。

で、結局、親にどこまで理解して貰えるのか、ということになるわけですが。長野県というのは、特に北信は保守的であって、一般的に親は子供が芸能活動なんかをするのは好まないわけで。うちの親からすれば、それは「収入の定かで無い不安定な仕事だから。成功すれば良いけれども、成功しなければどうなるのか?」とか、そういう理屈なのだと、親自身はそう思っているのだと思う。でも、もっと「芸能」というものの根本をしっかり考えてみなければいけないわけで。だいたい、今はともかく昔の「芸能人」というと、旅芸人の一座の出とか、そういう人も多かったわけで。そういうもののルーツは、古くは平安時代の白拍子とかまで遡る。後白河院と白拍子の関係ではないけれども、母親の藤原璋子と二代続けて、彼らは「白拍子」にはまってパトロンであり続け、その芸を「芸術」の域にまで高めた。後の時代の「能」とかも室町幕府の初期の将軍達に保護されて「芸術」となった。でも、彼らの前身は「旅芸人一座」であって、各地で興業を行って芸を見せる人達でもあるし、そういう人達の常として、客と寝る仕事もしてた。要するに、芸をする男娼、娼婦というのが彼らの実態であって。何故、権力者が彼らを保護するか、というと目的は一つだけであって、自由気ままに各地を移動できる彼らから、様々な情報を得る、あるいは彼らに様々な情報を流させる、という要するに「スパイ」として使いたいから保護していたわけです。だから、最高権力者と、浮き草のような生き方をしている最低減の身分の人達が何故か仲良し、という構図ができあがる。で、中世に入ると、有力な寺社も「勧進」という形で似たようなことを始める。「勧進」というのは、氏子が各地を巡って、自分達の神社の効能なんかを宣伝して御布施を集めるし、その際に面白い話をしたりしてお客を集めたり、客と寝て娯楽を与える、とそういう行為であって。諏訪大社も江戸時代末期までそういう「勧進」を積極的に行っていた。歌舞伎の発祥となる「出雲の阿国」も、元は出雲大社の勧進に発祥するものなわけです。で、「出雲の阿国」なんかはそうだと思うのですが、各地に放たれて諜報活動をしている人は、表向きの仕事が評判が良かったり、パトロンから強力な援助を受けたりすれば、それこそ一般の人よりも収入は多いし、表向きは良い生活ができる、ということになる。その構図は、江戸時代まで続くし、例えば歌舞伎なんかは、男優しか許されない世界であって、かつ大奥の女中たちの接待なんかにも良く使われた世界であって。何故、政治の中枢に近い人達が、芸能人の周りをうろつくかといえば、情報を集め、発信する目的があるからなわけです。で、結局目的のためなら、性生活も犠牲に支払うのが「道理」だから、要は「男娼」ってことなわけで。彼らは「士農工商」の身分制度からいえば、それよりも下の「賤民」なんだー、例えどんなに収入があって、派手な生活をしていても、ということで。で、江戸時代の「士農工商」という身分そのものが「完全」なものではないわけで。そもそも、武士は貴族に仕える者で、「下層階級の貴族」なわけです。だから身分としては「王族・貴族・士農工商・賤民」となる。そういう構図からみれば、いくらお金だけあっても「河原乞食は河原乞食」だし、「王族」からみれば、彼らは単なる駒に過ぎないんだ-、必要に応じて命はいくら奪っても構わない存在だって、そういうことなわけで。だから、保守的な蛙の王族の多い地域の人々は、必要も無いのに、子供を芸能人にしようとしたりはしない。それは収入云々の問題ではなくて、王族が賤民なんぞと必要もないのに関わる必要なんかないから、ってそういうことなわけで。裏山の適当な地方公務員風情が、自分よりも桁違いの収入を持ってる兄さん達のことを「賤しい河原乞食」呼ばわりして、それが当たり前なのが「世の中」なのでー;。結局のところ、味方の「声」が届くようになれば、総本家からは「王族の頂点に立つ「神」、しかも「太母」になる能力を持っている神が、本気で一番賤しいところまで降りてくつもりなのか?」と言われるわけで。あんた達は、荻野あたりに引っ込んでないで、そろそろ本気で「生まれ故郷」とやらの四川省に帰れば? と思うわけですが、どう生きるにしても、そういう「身分」に関わることはもっと真剣に考えるように、といろんな人に言われる気がするわけで-;。要するに、収入は一般の勤務医程度でも、王族のお医者様と結婚するのか、収入はあっても賤しい男娼と結婚するのか、ってそういうことね、と思うわけで。6番目の子と7番目の兄さんの「結婚観」が、真っ二つに分かれるのもその点にあるわけで、6番目の子は「愛と信頼」さえあれば、身分の差は乗り越えられる世界を作っていけると信じてる。でも、7番目の兄さんは「身分の差によるけじめ」はしっかりつけて生きるべき、と考えている。それで、私自身は? と問われるわけなのですが。

で、結局思いは一人の女性の人生の上に馳せられる。若く、美貌があり、家族がいて、収入もある、一見すれば人もうらやむような立場の人である。彼女は聡明でもあって、病気というものにも気を配れる人であった。健康に気をつけていたので、ある日、自分の胸の早期の乳がんが、すなわち「小さなしこり」がることを発見した。病院で検査した結果、病気はStageIIa、リンパ節郭清と乳房の切除を行えば90%の治癒が見込める状態であった。病気に関してきちんとした認識を持っていれば、治療は適切に行われるはずであった。というか、認識のない人であっても、医者に「手術した方がいいですよ」って言われたら、普通は手術をすると思う、なんといっても癌だし。ところが、病気は1年半近く、ほぼ何もしないも同然でほっておかれた。なんでだ、って思う。自分で早期発見ができるような知識のある人なら、病気の恐ろしさも、治療の必要性も、ほっといたらどんな多大な苦痛を伴うのかも理解できていて不思議はないはずなのに。だから、なんでだ、と思う。でも、結局彼女の属する世界は、一番「最底辺の世界」だ。なんらかの事情で、どうなるのか分かっていても、「放置せよ」と言われたら、そうするしかない世界なんだ、ってそれだけのことって言われる。なんでなの、私だったらとても納得はできない、自分のために戦うし、戦うことしかできないだろう、と思う。そうすることができることそのものが「特権的な贅沢」だって言われても、それが分不相応であっても、納得できないことには戦うしかできない。だって、家族がいて、お金があるのに、自分自身に醜い腫瘍ができて、自分の肉体が腐っていくことをただ見続けているしかできないなんて、許されないなんて、とても、我慢できることではない。そんな気持ちは、私には理解できない。敵とか味方とか関係ないじゃん、とそう思うから。だから、どこまで穴を掘るのか迷う理由は、そうやって「命」というものが、あまりにも軽く扱われている世界にいる兄さん達に大きな負担をかけたくない、と思うからなわけですが、でもこちらも女と年寄りだけなので、自分達の命も大切なわけで-;。まあ、様子を見つつ、半年くらい粘るというのは妥当な案であるかもしれないと思う。でもまあ、私自身はお偉いお上品な「王族様」を夫に選ぶほど、男性の趣味はよろしくないタイプだと思うけれどもねえ? ということで-;。身分なんか、知らんがな、ふざけんな、と特に裏山に対して思うわけですが。