本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は出かける用事もなくて、一日平穏に作業ができたのですが、土中にまたシロアリを発見して。シロアリが意味することはなんなのだろうか、と思って。それはもちろん土台の木の中に侵入して、家を駄目にすることを目的としているのだと思う。土中には大量の木が埋め込まれているし、わざと湿気るように外部の水が土台の下に誘導されているし、床下のコンクリートにはウェルカムな抜け穴がわざわざ開けてあるし。一方、近所に住んでいるシロアリは一般的に乾燥を嫌うものなわけだから-;。というわけで、白アリ予防の防腐剤を買って、塗らせることにしたわけで。もし、併用が可能なら素人が扱ってもあんまり問題なさそうな、ホウ酸系の防腐剤もあらかじめ自分で塗ったくろう、と思うわけで。唯一の救いは、栗や桧は、割とアリに嫌われる木材である、ということくらいなわけで-;。まあ、だから、昔の人は湿気にも強いそれらの木材を土台に使ったのでしょうけれども。一応、一筆啓上の価値はあることなので、FAXは送っておいたわけですが。

こういうことは作業中にふっと気が付いたので、昨日の嵐のDVDを見ておいて良かったな、と思って。週刊誌の表紙が、声の届きやすい大野君であって良かったな、とも思って。でも、そういえば、剛君が結成して、光一君と長瀬君が歌った「テレ東東京祭」も見たな、と思って。大量の石を掘り出して、有力な兄さん達が人海戦術で、やっとここまでの情報が来たよ、と思ったのですが-;。

でもって、作業中にふっと、「あのとき、手術を受けていれば死なずに済んだのだろうか?」と聞かれて。それで、そういえば、確か小林麻央さんは、手術とか「受けない」とかってそういう経過があったっけ? と思い出して。なんだか、いろんなメディアでは、「癌は早期発見が大事」であって、最初に受けた検査で「50%50%」と言ってないで、癌が発見できたら良かったのに、という論調が強いわけで、そういえば、自分でもなんだかそれに違和感を感じていたことに気が付いて。だって、「50%50%」では、「発見できなかった」とはいえないし、「半年後の再検査」を忘れた、といっても「しこり」をしっかり自覚したのが8ヶ月後なわけだから、発見が遅すぎた、とは言えない気がしていて。

でもって、最初の病院では、超音波検査で腫瘤が発見されたけれども、授乳中ということもあり、乳瘤と腫瘍の区別がはっきりしなかったので、生検を行わずに、「半年後の再検査」でいいでしょう、と言われた、とのことで、ここがまず問題点の一つであると思う。

で、その次は、癌と診断された時点で、腋窩リンパ節に転移のみられる状態であって、抗がん剤で癌を縮小した後に、乳房切除と広範囲リンパ節郭清を医師に勧められた、と思うわけですが(これが標準的な治療法であって)、それを拒否して温存の道を探っている内に、全身に転移し1年半後にはStageIVになっていた、ということで。ここで手術を拒否したことが二つめの問題点であると思う。

で、一つ目の問題に関しては、なんで担当医が「半年後の再検査」と言ったのか、ということになるわけですが、結局授乳中だからなー、ということで。授乳期間が終わった後に、きちんとした再検査を、と思ったか、半年経って腫瘤の大きさの変化等をみたかったのか、とかそういうことが考えられるわけですが。で、一方この時期に生検をしていたら、癌が発見できたか否か、ということになるわけですが、授乳中の乳腺細胞は活発になっていて、核の異形がけっこう強くなっているので、種類によっては癌との見分けがつきにくかった場合もあるかもしれない、とは思うわけで。

で、もう一つの問題点は、温存術を選んだことであって。聞かれたからには、自分でも勉強しなければ、と思って、リンパ節転移のあるい場合の予後を調べてみたわけですが、StageIIでは、5年生存率が低くても75%とあって。まだ若い人であるので、広範な郭清を行っても、転移が早くて間に合わなかった可能性も否定はできないと思う。でも、自分自身のことであれば、年齢のことも考えて、標準的な治療を選んだと思うし、更にそこにもう一方の乳房の切除も付け加えたかもしれないと思う(対になっている乳房への転移もけっこう多いから、予防的な意味で)。どうも、癌治療というものは、割と一般の人には偏見が多いものであるし(「免疫療法で良くなる」とか「抗がん剤は効かない」とか、根拠も無く言う人が多いので-;)、標準的でない治療法をこれみよがしに大声で唱える人も多いので、一般の人に「個人で治療法を選べ」というのは逆に酷であると思うわけ。こういうことは、なんでも「確率」の問題であって、免疫療法が効く人もいれば効かない人も居る、症例によって異なる、としか言えない。抗がん剤も、癌の種類や人によって、効果的なものもあれば、効果が薄いものもある、とそうなるわけで。でも、一般的に「標準的」と言われる治療法は、多くの症例の経験と、培った知識の上に定められているものだから、例え良い結果に繋がらなくても、「それがベストの治療法」だと言えるものだと思うわけです。

だから、個人的には「手術をすべきであったか否か」と問われれば、「した方が良かったかもしれない」としか言えない。しても100%確実に助かったとはいえない。しかもリンパ節郭清を行うと、リンパ流の鬱滞から、腕が腫れたり、熱が出たり、見た目から半袖はとても着れない、とかわりと不具合も出てくるものなので。特に「梨園の妻」とか、見てくれも大切にしなければならない立場の人だと、いろいろとやりづらくなる、ということもあったかもしれないし。それに、ネット上では、できれば抗がん剤での治療は行わず、3人目の子供が欲しかったのではないか、という説も出ているし。でも、私も一応「病理屋」の端くれではあったので、手前味噌ではありますけれども、最初の検査の時に、マンモグラフィーまでやったのであれば、生検とか、せめて細胞診までやっておいたらなあ、とは思う。

というか、そこに誘導するために、人一人の命はかくの如くに失われるのか? と思う。この世を生きる、とは恐ろしいことだ、と、こういうことに直面する度に思う。しかし、残されたご家族は、医者めを訴えてとっちめる、という目的をお持ちでなければ、「あの時ああすれば良かった」とか「こうすれば良かった」とかあまり考えすぎずに、一日一日を、できるだけ丁寧に生きていかれることが良いことだと思う。そうしている内に、子供達は少しずつ大きくなって、いつか自分自身の頭で、お母さんが生きたことも、生きた意味も、考えて悟ることができるようになるであろうし。残された人々を慰める大きな力にもなってくれるであろうと思うので。まずは、生きている人達が、日々を大切に生きて下さい、と、そう思う。

だから、有名人で、マスコミにも良く登場する人で、誤診なんかあったら医者も叩かれた大変、というような人が、癌の疑いがあったときに、なんで細胞診も生検もやってないの? となったら、その理由は「その不備を私に発見させて「私が医者だったら」と思わせるため」としか言いようがない。世のろくでもない医者どもは、私の母親の前では「棒状桿菌」がなんだか知らないふりをして、「私が医者だったら」→「子供を医者にしよう」という方向に誘導しようとしたけれども、私はそういう手に引っかかるには、いろんなことを見過ぎてきている気がするので。しかも、マスゴミ共は、誘導しやすいように「早期発見が大事」と言いながら、「細胞診と生検の必要性」については一言も言わない。そこのところだけは、私が「自分で気が付け」と言わんばかりなので。しかも、中には「絶対に治ると信じてた」とかって言って、泣いてみせる人もいるわけで-;。そういうことまでしないと生きていけない世の中なの? 人の命までネタにして、それと引き替えなのがシロアリの情報なの? と思うわけで。この世は、本当に「修羅場」だと思うわけですが、でも私はそこに出て行きたいから、穴をせっせと掘っているわけです。

で、一昨日は紀香姉さんのお誕生日だったわけで。おめでとうございます<(_ _)>、と思うのですが。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日も現場に出かけて土台の下を掘って。木の太い枝も掘り出したいわけですが、奥の方の大きな石も気になって。で、昨日買った雑誌の表紙は大野君であって。お昼ご飯を食べた後、「効率を考えて、元気が出たら、バールを持って奥を掘ってみましょう。」と言われたので掘ってみたら、お目当ての大きな石の手前に引っかかっている小さめの石があって。更にその手前に石があって、と積み重なっていたので、一つずつ掘り出していたら、大きな石が出るまでに、なたけっこうな量の石が出てー;。で、掘っているときに、なんとはなしに、学生時代の同級生に耳鼻科に行った人がいて、その人のことを思い出して、耳鼻科に注意するように警告を受けるわけで。今更耳鼻科? というか、なんかちょっと変な気もしたわけですが。で、昼休みが終わって、外に出たら、隣の家のあたりで大声で話している人たちがいて、「変だな?」と思っていたら、穴の奥の方に、シロアリとか芋虫とか放り込まれていてー;。

で、帰るときに消防車に3台も出会って。「何だろう?」と思ったのですが、家に帰って動画サイトを見たら、その日に放送された「テレ東音楽祭」の動画がとっととアップされていて。KinKi-Kidsが出演する予定だったのですが、剛君が突発性難聴で入院したとかで、光一君しか出演していなくて。剛君の代わりに、ピンチヒッターでTOKIOの長瀬君が、光一君と一緒に歌を歌っていて。大事をとって、1週間入院するということなので、じゃあ「THE MUSIC DAY」も光一君一人の出演ですねえ、と思って。最近は、病気の人とか、亡くなる人が多いですねえ、と思うわけでー;。音楽家の兄さんが手術して、海老蔵兄さんの奥さんが乳がんで亡くなられて、今度は剛君が入院かー。KinKi-Kidsは25周年記念で、ここのところ行事的なイベントが多かったから、お疲れになったのかしら、と思う。剛君、繊細そうですし。誰だって、病気になるし、いずれは亡くなるものだから、そういうことは日常生活の中での自然の流れということで、別に良いと思うのですけれども、ともかく、ニュースで目立つように大騒ぎすることが多いですよねえ? と思うわけで。そういうことの数々は一種の呪いであって、「医者の世界に戻ってこい」とか、「思い出せ」とか、そういうメッセージの一種であることは分かっているわけで。学生時代に勉強したことはけっこう今でも覚えているわけで。卒業した後は、逆に医学一般に関して勉強しなくなるから、学生時代に覚えずに済ませたことは全然わかっていないわけですが(苦笑)。でも、別に病気で困っている人がいるから、医者に戻って、困っている人を助けよう、とかそういう善意の塊のような人でもないわけでー;。

たとえば、どんな癌でもStageIV(4)で、それでも完治の望みを捨てずに、頑張っている人を見れば、「えらいな」とか「できることがあれば応援したいな」と思う、とそれは自分でもそう思う。でも、StageIVというのは、全身に転移が始まっているので、「医者」としてみれば、もう完治を求める、というよりは、生きている限り必ず来るであろう苦痛を、どうやわらげて、人生を心穏やかに全うしてもらうかに心を砕かなければならない時期である、としか言いようがないので。ごくごくたまには「癌が消えた」とか、そういう妙な症例もあるかもしれないけれども、99.99%は、「先は見えた」と言える時期であると思う。でも、ものすごく頑張って、「余命1か月」と宣告された人が1年もったとか、そういうことはいくらでもあり得ると思うので、自分が主治医であれば、「もうやりようがないから」とか、そういう冷たいことは言わないと思うけれども、心の中ではそう思うと思う。でも、癌は神経に転移すると激しい痛みをもたらすし、末期になると悪液質とか発熱とかも来るので、そういうものからくる苦痛を緩和する治療は、当然必要というか必須だし、大事だと思う。で、そういうことは患者さんの人格云々にかかわらず、癌になった人すべてに必要、と思うし、そう思うのが医者の免許を持ってる者の職業病的思考だとも思うわけですが。でも、自分ではそんなんだから、テレビとかで「あんなに頑張り屋の素晴らしい女性はいない」って亡くなった人をやたらとほめたたえたり、「絶対に治ると信じてた」って号泣している人を見ると、かなり違和感を感じるわけで。最後まで愛する家族と一緒に、心穏やかに過ごせたのなら、それがご当人のために一番よろしかったのでは、とそれしかないわけで。今はむしろ、残された人たちの心のケアの方が大切な時期な気がするわけで。ちなみに、一番違和感を感じたのは、「ZERO」で、「癌で死ぬ人が減るように、癌検診をちゃんと受けましょう」みたいなコメントを村尾さんが言って入た時でー;。だって、麻央さんは癌検診のチェック漏れで発見が遅れたのではないはず。そこまで、医者の業界に尻尾ふって、ほめたたえるようなことを言うの、人の不幸にかこつけて? って正直思ったし、まあ言って入る人たちが「自分たちの文言の騙されないように」って言ってくるわけですからー;。まあ、もし私が癌になったら、最後の最後は苦痛のないように、ふんだんにモルヒネを使ってくれればそれでよい、と思うわけで。そこまでいけば、もう普通の人間に復帰できる見込みもないわけだから、麻薬で脳機能が壊れても問題ないのでー;。

でも、どうにも最近は、私が年をとって死んでしまったら、若い兄さんたちは「二君に仕えず」とか言っていないで、その気になったら結婚相手を見つけて子孫を残す努力でもするように、って遺言を残しておく必要があるかも、とそういう気がするわけでー;。だいたい、女王卑弥呼の例を上げて、「主人が亡くなれば、殉死して二君には仕えないもの。死ななくても、社会的に引退して表舞台から一切身を引けば、それが死んだのと同じこと。」って言われることが多い気がするわけで@@。それはですねえ、生まれ変わっても「気味を探す」という歌を送りつけてくる筆頭とか、私に先立たれたら「自分の胸は張り裂けてしまう」って言ってくる7番目の兄さんとかは、まあ、再婚しなくてもいいよ? っていうか、その人たちは絶対にしないでしょ。亀の子とかも、と思うわけですが。あんまり若い兄さんたちの人生をそうやって縛ることはしたくない。せめて、後進の指導とかでもしなされ、と思うわけでー;。で、家に帰ってきて嵐のDVDを見たわけですが。約1名、「妻神を誰にも渡さない。」っていう気持ちを抑える気もない人がいるわけで。7番目の兄さんに守ってもらわないと、その人にも締め上げられて頭痛がするわけでー;。みんな、気合の入り方が変だ、とそんな気がするのですがー;。で、嵐のDVDを見ていたら、父親がえらく不機嫌でびっくりしてしまって。こちらの敵意も強いのですけれども。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。朝寝をしていたら夢を見て。親を隣に乗せて車を運転していたら、なんだか途中でアクセルもブレーキもきかなくなって、車が勝手に空を飛び出して、で、周りに見える景色もどんどん妙になって、高層ビルの廃墟みたいなものが見えるようになって。で、周りに戦闘機とかミサイルが飛ぶようになったと思ったら、巨大な妖怪みたいなものに食べられてしまって。そこに、蛇の兄さんが迎えに来てくれる、という夢で。

作業は毎日変わらず、土台の下のゴミ掘りなのですが。金属の板をやっとほとんど掘り出し終わって。この板は、奥の通し柱の辺りから、廊下にかけてずっと入っていて、以前に守達神が「絶対に掘り出してみせる」って言っていたものであって。掘り出せて良かったな-、ととりあえず思って。まだその奥にも少しタール土とか石が残っているので、それも掘り出したいのですが、兄さん達からは、そこから東側に埋まっている木の板を次に優先して掘り出すように、って言われるわけで。だんだん、声は届きやすくなっているなー、と思ったのですが。昼間、隣家になんだかいちゃもんをつける、というか、怒鳴り込みに来た人がいて、男の人が「邪魔してるのは分かってるんだよ」とかって叫んでいて。で、家の人が「お帰り下さい」って大声で言ったら、騒ぎはすぐに収まってしまって。いいがかりをつけるにしては、あっさり終わりすぎだし、なんだかやらせっぽいなあ、と思っていて。

で、帰りに途中で交通事故があったらしくて渋滞していて。親の勧めで間道を抜けて、とっとと帰ることができたのですが、私たちが通る時間に同じような場所で事故があるのは、これで4度目くらいであって。これもなんだか、やらせっぽいなあ、と思ってしまうのですが。明日はお手紙を出す日ですし、今日は邪魔が大がかりだったと思った一日だったのでした。

本日の日誌

昨夜はなんだか夢を見て。なんだか夢の中で、無性に家を出たくなって、外出してうろうろしていたら、何人かの女の人が迎えに来て、強引に新幹線に乗せられて。「あれ? 親に一言言って行かなくていいの?」みたいな感じで。で、行った先で、ホテルみたいな場所で光ちゃんが迎えてくれて、「自分はとても忙しいから、普段面倒を見てくれる人を紹介する」って言われて、誰かを紹介されて。で、その後に、海の見えるところでいちゃいちゃしよう、って言われて。で、気が付いたけれども、誰も口では話していなくて、「目の力」で話していて、光ちゃんは口で話すのは苦手そうであって。目が覚めて、いずれ家を出て、自分たちのところへ来てほしい、というそういう夢なんだろうな、と思って。で、きっと割とみんな「目の力」で意思疎通しているので、普段はどんどん口を使って話をしなくなりそうな気がするわけで。口で話すのが苦手で、無口で、女の子が喜ぶような美辞麗句を言うのが苦手でもいいのでは、と思うわけですが。どうにも「Hをする」夢を送ろうとすると、私の方が拒否してじたばたもがくので、工夫して直前までの寸止めの夢を送ってくれるらしくてー;。

で、本日も土台の下を掘って。金属も残りあと少し、とは思うのですが、周囲に思ったよりもたくさん石が詰まっていてたいへんであって。

家に帰ってきてからは「少年倶楽部」を見て。金曜日の余波を受けて、WESTの兄さんたちからは「大変だった」って愚痴られる。B少年の若い兄さんたちからは「筆頭の「目の力」を抑えるだけの実力がなくて残念」って言われる。6番目の子が好きなABC-Zの兄さんたちはうれしそう、というそんな感じであって。筆頭の攻撃的な「目の力」のあんまり反応しない流星君は、「それも一種の才能」と言われて褒められたらしくてー;。廉君は、あの修羅場のさなかに、妻神に「少年倶楽部」の情報を押し込むことができたので、その冷静さが褒められたらしくて。

その他に7月のKinKi-Kidsのドラマの番宣の動画を見て光ちゃんが、終始かなりの「目の力」を使っているのを見て。「ZERO」では「THE MUSIC DAY」の嵐のコーナーを少し紹介していたのですが、潤君もけっこうな「目の力」を使っていて。みんな頑張っているな、と思ったのですが。

で、昨日はKis-My-Ft2の藤ヶ谷さんちの太ちゃんのお誕生日だったわけです。どうも、おめでとうございます、と思うわけで。ちょうど30歳かー、まだまだ人生これからなお年頃だー、と思ったのですが。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。オートライトが点灯しないので、車屋さんに行って貰ったら、まず「スイッチがオンになっていない」と言われて。スイッチを入れて、ライトを手動でオンにして、「これで大丈夫です」と言われて。昼間に手動でライトを点灯して、ライトが点いても、それは「オートライト」とは言わないのでは? と思って、技術屋さんに少し見て貰ったら、スイッチを入れても、切っても同じ反応、ということが分かって、「あれ?」ということになって。で、「見て見ます」と言われて、しばらく待たされたら、次には「直りました」って言われて。元々、ケーブルをおかしくつないでたのでしょ、わざと、と思ったわけですが。

で、いろいろなことがあったので、床下は少ししか掘れず。それでも、少しずつは進むわけで。

そして、家に帰ってきて、いろんなサイトを見ていたら、今日が「Bros.TV」の日だってあって。でも、今月は、なのかこの後ずっとなのかは分からないわけですが、「サンプル福山」がなくて、お金を払わないと見れない仕様になっていたので、何も見れなくて。そういえば、最近、兄さんが降臨してくる時に、メソメソ泣いていることが多かったな-、と思って。話がうまく進めば進むほど、兄さんの方に風当たりが強くなるので、「サンプル福山」も流せなくなったんだろうな、と思ったのですが。で、だいたい兄さんが、ちょっと遠ざかるような動きをする時には、他の人がフォローに動いてくれることが多いので。それもあって、音楽家の兄さんが安室ちゃんと組んで、お歌を送ってきたのね、と思って。でも、「好きな人と愛しあえなければ、自分の明日に意味はない」とか、そんな内容の歌詞じゃなかったっけ? と思うわけで。あんまり、フォローのお歌ではないでしょ、それ、と思うわけで。それ以外に「奪い去る」とか言ってる人もいるけど、これもどう見てもフォローのお歌ではないでしょ、と思うわけで-;。で、亀梨君のドラマも終わってしまったしなー、と思って。お手紙を書いていたら、ふとドラマの登場人物の名前を思い返して。「運命の恋人がいる」と信じて、頑張る主人公は「正木君」と言うわけで。これは名字であって。で、対するヒロインは、これまでの男性経験があんまり好調ではなくて、男性不信に陥っている、ちょっとニブイ女の子であって、「晴子ちゃん」という名前であって。それぞれの頭をとれば、「まさはる」ですねえ、ドラマのタイトルは「ボク、運命の人です」なわけだから、たぶん、そういう名前の「運命の人」がいる、って伝えたい人がいるのだろうし、主題歌の「背中越しのチャンス」は、「まさはる」という人のお歌なんだろうな、とそれは分かってはいるわけです。でもって、来週のMステのゲストのJUMPが歌う歌も、兄さんのお歌であることは分かっているわけですが。でも、嵐とゆずの新譜を買って、KinKi-KidsのDVDを買うと、蛇の兄さんのお歌を買う経済的余裕がない、私は貧乏人だから、ということをしっかり心得て、計算している「筆頭」がいるわけで-;。「奪い去られる」というか、もうすでに「振り回されている」わけで、分かっていてもどうしようもないわけで-;。町で、自民党のポスターを見かけると首相から「6番目の子に手を焼いています」って直訴されるわけで-;。音楽家の兄さんも、「ささいなことの一つや二つで、女心をつなぎ止めておけないようなら、それは蛇の兄さん自身の男としての問題。」と言って、兄さんには割と冷たい、というか、隙があれば割って入る気は満々なわけだしー;。嵐の「つなぐ」は、もう撮影している最中から、大野君が直々に「忍者の役をやるから注目!」って夢で言ってくるくらいに気合いの入ってる曲なので-;。分かっていても、6番目の子には踊らされるわけで-;。7番目の兄さんは、「「目の力」で女心を操るようなやり方は好きじゃない。」と言う人で、自ら積極的に攻勢をかけてくることもあまりないわけですが。でも、6番目の子が好きな人達は、「ドラマの正木君ではないけれども、好きな人のためになりふり構わず頑張れてこそ、本気で「好き」ってことなんじゃないのか。」と言ってくるわけで-;。でも、最近の嵐の番組を見て思うことですが、最近の6番目の子はけっこう明るいよね、亀梨君のドラマが終わったからね、と思うわけで-;。だいたい、出川が友達のことを述べる部分でパッヘルベルの「カノン」が使われていたし、「お前なんか一生「友達」で終わってしまえ」っていう呪いだよね、それはねえ? と思うわけで-;。

で、そういえば気が付いたことがあって。従兄弟にとある兄弟がいて、確か兄が「はるみ」という名前で、弟が「まさき」という名前であって。「正木君」と「晴子ちゃん」ではないけれども、その二人も「まさはる」だー、年の順じの並びじゃないけれども、と思って。そこんちの叔父さんは、飲んだくれで身内にお金をせびるようなどうしようもない人であったわけで、母親は「半年分の給料を貸して、結局返して貰えなかった」と嘆くわけですが。蛇の兄さんに関するネタは単価が高いからなー、借りたお金を返さなかったかわりに、叔父が残した「ヒント」に、今始めて気が付いて。なにせ、近しい身内に「味方」って一人もいないので。「ヒント」なんぞ、くれる人も皆無であったわけで。ただ一つ残された「ヒント」がそれなら、あんな叔父でも0.01%くらいは、身内を思う気持ちがあったのだろうか、と今更ながら思うわけで。そのヒントに対する情報の対価が「半年分の給料」なら、それは情報量としては高いものだろうか、それとも安いものなのだろうか? と思ったわけですが。まあ、それは私ではなくて、親に聞いてみなければなんとも言えない、と思うわけですが。でも、別の見方をすれば、叔父はそのヒントを残すかわりに、飲んだくれて、出世も同期に比べれば大概は遅れて、亡くなる時には家族に見放されているような状態であった。叔父程度の「目の力」では、一生かかっても、それだけのヒントを残すのが精一杯であって、その結果、彼の人生は、「落伍者」ではなくても、「成功者」とも言えなかったわけで。「目の力」が弱い、というのはそういうことだし、この世の中というのは「そういうところ」だって言われるわけで。だから、誰もが強い「目の力」か、あるいはそれに代わりうるだけの「才能」を求めるし、重要視する、と言われるわけで。

とにもかくにも、「世の中」というのはたいへんなところなんだな、と改めて思ったのですが-;。叔父は叔父で、婿には蛇の兄さんを推していたわけだ。今になって、情報は押し込まれてきてるわけで、亀の子は明るくて素直で、蛇の兄さんが好きで、良い人だなと思う。でも女心は「奪い去る」と言っている人に、振り回されているわけですー;。