本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。何日か前に、ウィーンの音源屋さんから「トム(TOM)」という種類の太古の音源が良いものだから買うように、と言われたわけです。だから買ったわけで。打楽器系の楽器もいろいろとあるわけですが、最近では日常的に目にするのは、やっぱりバンドで使っていることの多いドラムセットだと思うわけで。で、個人的には太鼓が何種類もあって、使い方も意味合いも「よく分からない」という感じだったのですがー;。でも、お勉強の成果で、おおまかにはドラム(太鼓)とシンバルからなっていて、太鼓の種類は小さいものからスネア(小太鼓)、トム(中太鼓)、ドラム(大太鼓)で、あとはシンバルがいくつかあるって覚えておけば(ほかにも細かいものはあるらしいのですが)、今の私にはそれで充分だし、それ以上使いこなせないでしょ、って言われるわけで。で、なぜか「TOM」という楽器が良い楽器、と言われるわけで。で、買ってみたら、「TOMとはどういう意味か?」と聞かれるわけで。それは子音からいって、「ユーノー(Juno)」と同じもの、そして大太鼓の「DRUM」も同じもの、と思うわけで。で、「ユーノーというのは、北欧神話の巨人ユミル、インド神話のヤーマ(あるいはヤミー)と同じもの。」って言われるわけで@@。どちらも男じゃん、と思うわけですが。そして、ヤーマというのは、いわゆる「閻魔大王」のことであって、インドの神話によればヤーマとヤミーの兄妹(であり夫婦でもある)は、人類の太祖であって、彼らが最初の人間であり、最初に死んだ人間でもあるので、死した後は冥界の神となった、と言われているわけで。印欧語族におけるユミル系の神は、純粋な神々というよりは、一段と格下の半神半人として現されるわけです。それはなんでだろう? と思うわけで。

そうすると、それはトーテムと関係している。西欧の人々は、農耕も行うけれども古くは狩猟民であり、それが発展した牧畜民族であって、主食は肉です。で、世界で一番古く、食肉用、乳用などに家畜化された動物は「山羊」であって、それゆえに西欧では「山羊トーテム」の神が一番古いわけです。要するに母系の女神である「天のアン女王」がそれです。「アン女王」は「天全体の女神」であるので、太陽、月、星、雲、天候などを内包する神であって、「太陽女神」ではありません。西欧では、太陽の女神も月の神も、「アン女王の子供」とされることが多いわけです。で、後に牛が重要なトーテムとなって、「牛に子供を育てさせればいい」という思想から男系中心の牡牛信仰が台頭したから、必ずしも、というわけではなくても、大雑把にいって「母系の人々=山羊がトーテム」、「男系の人々=牡牛がトーテム」となっているらしくて。でも、社会というのは極端な母系社会は、どうしても近親結婚が多くなって血筋が衰退するわけです。だから、純血な山羊トーテムの人たちは、今はあまり残っていないし、そういう人たちは独特の狂気を内包していて、個性の強い人は多いけれども、集団生活にはなじまない人が多い、ということで。彼らの狂気の最たるものは、「怒りに我を忘れると見境がなくなる」ということらしくて。要するに、戦いの際に、戦いの怒りのエネルギーに巻き込まれて人を殺し始めると、殺すことそのものが楽しくなってしまって、敵でも味方でも、自分の気が済むまで殺しまくる、というそういうやつなわけです。だから、集団生活に向くわけがないわけでー;。彼らの最大の課題は、そういう怒りの狂気をどのように抑えて社会生活に順応していくか、ということであって。そういう気質が尊重された時代には、そういう見境のない性質は戦いの際に役に立つので、大目に見てもらえたし、尊重もして貰えたわけです。でも、牡牛トーテムが優勢になってくると、山羊トーテムの激しい気質は「一番の敵」なので、そういう気性を持っている人たちは「狂人」と定義されて弾圧されるし、徹底して排除されるわけです。だから、現代社会ではそういう気質の人たちの行先は、刑務所かでなければ精神病院ということになって、「神」とか「戦士」としてあがめられた時代とは、社会的な対応が全然異なるわけです。だから、そういう人たちには、いかに正気を保って社会生活を維持するのか、ということが自分の身を守るために最大に必要とされることだし、敵はそこに付け込んでそういう人たちを潰したり、利用したりしようとするわけです。要するに、西欧的には「ローマ的父系の文化が、母系の文化を「狂気」と決めつけて弾圧する」ということになります。

でもって、「天の女王アン」は、歴史的にメソポタミア地方に入ると、アマウドゥダ(Amaududa、生命を産み出す母)という名前になります。これはニンフルサグ(Ninhursag)の別名であって、「偉大なる山の女神」という意味になります。「nin」が「女神」という意味で、最後の「g」が「偉大なる」という意味なので、残る「Hursa」が「山」ということになります。この「山」という意味の言葉の最初の「h」音が外れると、「ursa」となって、これがウェスタ(westa)の語源になります。一方最初のアマウドゥダというのは、「D」音が「雷」という意味だから「雷神アン」ということになります。「D」音が語尾ではなくて、頭の方に来たものが、「donner(印欧語の雷)」という言葉でもあり「juno」という言葉にもなります。だから、「天の女王アン」から「雷神アン(juno)」が派生し、「山の女神(たいていは火山の女神)」の時はニンフルサグという名前になり、ニンフルサグという名前からウェスタという名前が派生しているので、これらの女神群はみな同じ神で、かつ「山羊がトーテム」ということになります。そして、月の女神の時にディアーヌになる、ということで。で、ローマにおけるユーノー女神は、最初「カピトリウムの丘」というところに祀られていて、そこに神殿があったわけです。でも、ローマが形成される過程で、ユーノー女神はユーピテルの配偶神とされて、カピトリウムの丘にはユーピテルの神殿が建てられるようになって。だいたい、「山羊」のことを西欧ではカプリと呼ぶので、「カピトリウムの丘」とは、誰も何も言わなくても「山羊女神の丘」という意味、と言われるわけで。そこは、今でもローマの中心地であって、ローマ市庁舎なんかが建っていて、かつての神殿は基礎くらいしか残っていないようなのですが。ユーノーがユーピテルの「配偶神」となることは一見すると神として尊重されているように見えるわけですが、でも、ローマとは、要するに「男しか構成員がいない男系社会で、女はみな家畜も同然」な社会なので。ユーノーがユーピテルの妻、だというのは、「ユーノーはユーピテルの奴隷だ」と言っているも同然なわけです。そして、「母神」の地位にいるウェスタは、いざというときにローマのための生贄になる神なわけですし。だから、ローマ的な「多神教社会」というのは、牡牛トーテムが最上位にきて、山羊トーテムはその下位になるように定められた階級社会であり、差別社会なわけです。で、そういう差別社会はローマでは非常に顕著なわけですが、ほかの牡牛トーテムを擁する印欧語族の社会でも似たりよったりだから、山羊トーテムが下位に置かれるところでは、かつての「神」は、半神半人、という一段と低い地位に落とされるわけです。神々の地位の差別が、そのまま現実の社会の階級、差別につながっているということで。でも、ローマ的ではないヒッタイト的な多神教社会では、母系の太母アリンナ(ヘバト)が、牡牛トーテムのテシュブよりも上位に来るわけで、それは牡牛トーテムと山羊トーテムが平等な社会を目指した国家であることを示しているわけです。そして、それがそのまま西欧のレディーファーストという思想につながるわけで。

で、山羊トーテムの人々の「狂気」とは、神話的にはアナト女神やカーリー女神の神話として現されるわけで、その性質は何の理由もなく「殺したくなったら、飽きるまで人を殺しまくる」というものなので。現実にそのどうしようもない性格がどう発現するかといえば、「自分を怒らせた相手を、どちらが正しいとかそういうことではなくて、ただ怒らせた、という理由だけで殺してしまう」ということになるわけで。だいたい、そういう激情を制御できなくて自滅した身内が二人もいるし、敵の強力な「目の力」にさらされれば、家族ですら平気で殺そうとするのが身近にいるでしょ、ただ自分が「買い食いしたい」っていうそういう理由だけで、って言われるわけでー;。「山羊トーテムの持つ狂気」ってそういうことかー、自分が結局何者かも見いだせないほど欲望に溺れ、それが満たされないとなると、損得勘定抜きで、当たり前のように人を殺そうとするし、そこまでいかなくても毎日のように細かい嫌がらせの連発、ということでー;。ともかく、自らの欲望も激情も、理性とか知性で、頭でものを考えて制御することがてんで「できない」ということでー;。人を集団で潰そうとするときに、どうやって潰すかというと、まずは強力なストレスをかけてうつ状態に追い込んで自殺に追い込むわけで。で、それができそうもない相手なら、欲望をあおって、自滅の方向に追い込む。特に山羊トーテムの気性の顕著な人は、自傷ではなく、他傷の方向に追い込む、ということで。だから、最初の職場ではともかく、ストレスをかけて自殺させようとしていたわけですが、ともかくそこからは多くの犠牲を払って兄さんたちに引きずり出してもらったわけで。でも、自分が何者であるのかを見出すことはできなかったので、世間をあちこちうろつきまわることになったわけですが。その結果性格的にはすっかり図太くなったので、最後の職場では、ストレスで潰されるようなことはなかったわけで。そのかわり、そこでは「怒れ」っていうようなことはものすごくやられて、腹の立つことはいくらでもあったわけで。でも、自分のこととしてはできる限り我慢していたわけで。結局、どうしても、戦って裁判を起こしてでも事の次第をできるだけ明らかにしなければならない、と決意したのは、泉水ちゃんの死であって、そこまでのことをやるのはあまりにもひどい、と思ったからで。(しかも、微妙な問題ではあるけれども、この時期に某労働組合の顧問弁護士的な存在の人のハワイで死んでいるわけで。ともかく、私の一件は、どういうわけか、かなり「血なまぐさい問題」であるとは、この頃から認識しだしたわけで。)それに、医療業界のおかしな部分を是正させたりすることは、自分のことだけでなく、社会全体にとっても役に立つことだと思っていたし、自分のためにも腹を立てて戦ったけれども、いつでも自分以外の人のことがなければ戦ったりはしなかったわけで。例の地震のときにも、一人でも多くの人を助けられればと思っていろいろやったけれども、それも当然「自分だけのため」ではなかったわけで。そして、裁判とか正当な戦うべき場所で戦いはしたけれども、他傷行為とかそういうことはなかったわけで。結局評価されたのは、山羊トーテムの人が持つ激情があって、それをてこに戦えるけれども、激情に流されることなく、理性で目的をもって、自分のためにも、人のためにも戦える、そういう性質、ということで。そういう気性の人であれば、別に山羊トーテムの目を持っていなくてもかまわなかったらしいのですが、蓋を開けてみたら周りが思っていた以上に「山羊の目の魔女」だったということのようでー;。富の王家の人々は「アナーヒトちゃんの目を持った子」と言って喜んでくれるわけですが、蛙の王家の方は「凶悪なメソポタミアの蛇女神イナンナそのまんま」と言って嫌がるわけでー;。

で、結局西欧の母系社会の女神、山岳地帯の住民の太母といったら、一番有力な女神は「ウェスタ」であるので、西欧の人々は母系のウェスタの台頭を願うわけですが。でも、ウェスタ、ユーノー、アン女王は厳密にいうと「太陽女神」ではない上に「蛙」をトーテムに持たない、山羊トーテムは西欧社会ではそれだけで差別の対象になりかねない、とかそういう理由がいくつも重なるので、側近の蛇の目の兄さんたちはウェスタの名前が私の持つ「名前」の中で最上位に来ることを望まない。だから、東洋発の「太陽女神」であって、ヒキガエルをトーテムに持つ「バッバル・シャマシュ」の名前が最上位に来るように調整がかけられているわけですが、そうすると「司法神」としての性質が突出してくる、って言われるわけで。要するにユーノーにつらなる名前はたいていのところで、男性の名前であって、それは扶余では「朱蒙(チュモン)」、すなわち出雲の大国主の名前になるので。大国主の名前をとれるものには、男性系の名前も取れる、すなわちヤーマとヤミーの両方の名の総取りができる。でも、どう調整をかけても、牛トーテムに弱くて、牛トーテムの有力な神の名が取れない、って言われるわけで。結局、西欧の人々のウェスタに対する期待は、直接の受け皿の窓口になっている音楽家の兄さんと利兄さんに寄せられる。音楽家の兄さんの資産家っぷりはその期待の大きさの現れであるということらしくて。だいたい、その他大勢の蛇の目のお婿さんたちをあわせたよりも資産家、ということは、蛇の目の兄さんたちがよほど気合を入れてかからない限り、ウェスタ・ユーノーの名前と、山羊トーテムの性質に引きずられる、ということらしくて。互いに協力しあいながらも、微妙な緊張関係が生じるのは、そういう事情だかららしいのですが。

でも、「TOM」を家に入れたら、これだけのことが分かるようになった、ということで。なんだか、もし兄さんたちの言うとおりに事が運べば、外へ出て西欧の人たちに何を期待されるのかといえば、直接自ら「カピトリウムの丘」に出向いて、ユーピテルに占拠されたユーノー神殿を取り戻すことを期待されそうな気がするわけで。そこが、まさに文字通り「ローマの中心」でもあるわけなのですが。あとは、大物主とは、直接的には敵が作り上げた神であっても、三輪山そのものは縄文古来からの聖地であるので、本来そこに座すべき味方の神様もいるのではないの? と思って。そうしたら、「X JapanのメンバーにSUGIZOという人がいるので、いずれその人と一緒に三輪山に参詣して貰うから。世襲の神様は、強力な後見なくして、その地位は維持できないから。」って言われる気がするわけで@@。その人も音楽家の兄さんと同様、親からはクラシックの道に進むことを期待されながら、ロックの方向に転がってきてしまった人なわけですが。そうなったことにもちゃんと意味があるんだなあ、と思って。だいたい、「トム(TOM)」っていうのは、西欧ではれっきとした男の人の名前だもんね、と思ったわけで、そういうことが分かった一日だったわけです。