本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日も現場に出かけて。

で、要するに、西方の「牡牛の神様」というのは、主に2種類ある、ということで。1つは、当初の男系の残虐な神サマのモロクで、気にいらない人を次々と処刑するような専制君主の神サマであって。で、もう一つは様々な民族との同盟を目指した結果、ヒッタイトのように母系の女神を尊重するテシュブのような神サマ、ということで。後者の場合、雄牛の神様は、レディーファーストの精神をもって、妻や家族を守るために雄々しく戦う戦士なわけです。でも、起源はどちらも同じなので、名前も同じ、ということで。要するに「モーモー」と鳴く「モー様」の神様には邪悪な神様と、良い神様と2種類あって、どちらも「モレク等」というわけです。その違いは、信仰する民族の信念の違いにしかよらない、ということで。で、この神様は地中海周辺地域に固有の神サマのように見えて、実はそうではないわけです。ギリシャのモイラは北欧へ行くとノルンという名前になって、Mの子音とNの子音は交通があるので、どちらも同じ「モー様」起源の神なわけです。で、3人姉妹の彼らは、「運命(英語でfute)の女神」と呼ばれることが多く、印欧語では「運命」とは「BT」とか「UT」で現されることが多いのです。で、一方、古代メソポタミアの古い太陽神ウットゥ(Uttu)も「UT」で現される。また中東でメソポタミアの時代から使用されていた弦楽器はウード(Ud)というわけです。これはかつては「バルバット」といって、西方に伝播したものはリュートと呼ばれる楽器になり、東方に伝播したものは琵琶になったわけです。要するにウードは琵琶型の楽器で、琵琶の親戚です。で、古代メソポタミアの太陽神ウットゥは別名バッバルといったわけで、バッバルが短く省略されたものがウットゥなわけです。そして、太陽神バッバル・シャマシュ(ケルト名ベリサマ)は、古代メソポタミアにおける司法神でもあった。要するに、法律を守らせる神でもあるし、裁判官の神でもあるし、死後の世界の審判の神でもあります。だから、バッバル・シャマシュから派生した神々は、秩序を守る司法神であり、死後の世界の神であり、その延長として人の運命を司る神でもあるわけです。そして、その性質が、地中海周辺地域全域とヨーロッパに広められているのです。だから、元々は北欧の熊信仰の人々の太陽女神であった神、要するに東洋で述べるところの「婆神」(フィンランドにおけるポポヨラの魔女ロウヒ)であったものが、南下して地中海周辺地域に到達したものがバッバル・シャマシュなわけです。そして、古代メソポタミアにおいて、すでにその性質は男性形に変化していたし、牛トーテムが重要視されていて、「牡牛の神」として現されていました。だから、それから派生した神様達の名前は、本来は「バッバル」なわけです。でも、神様の名前を直接呼ぶのは失礼なので、太陽神(天候神)の性質のうち、雷神としての性質を強調したものが、タウロス、トール、テシュブ、デーヴァといった雷の音に由来する名前となります。また、「モーモー」と鳴く神様だから、モート、モレク、モイラ、マアトといういわゆる「モー様系」の名前で呼ばれるようにもなって、その名前も広くひろまっているわけです。だから、基本的にはバッバル、タウロス、モレクは、一見して名前が違うように見えても、みな「牛」をトーテムに持つ同じ神であって、彼らを象徴する楽器は彼らと同じ名前のウード(西洋におけるリュート)なわけです。

そして、彼らの中でも、モレクやタウロス系の神の一部は人身御供を要求し、人々を処刑するための神、としての性質が強調され、その名前が東洋に伝播して、あまりの行状の出鱈目さにもはや「神様」の範疇にも入らない、ということで、「悪魔」とされるようになったのです。だから、同じ名前の神でも、部族によって神であったり、悪魔であったりします。そして、特にモレク系、タウロス系の神々を信仰する人々のことを「魔族」と呼ぶようになった。人々を守り助けてくれる「神」を先祖とする神族とは、反対の位置にいる魔族です。でも、時代が下って他民族国家が形成される時代になると、ヒッタイトのように魔族と神族が協力して作り上げる国も出現するようになった。そうすると、悪魔の性質も本来の神の方に戻って、雄々しい軍神の姿に揺れ戻るわけです。だから、マリウス君のような子は、レディーファーストを尊重して、妻を守るために頑張れる雄々しい男性に育つように、という願いを込めて名前をつけられているのです。でも、「紅の豚」のポルコ・ロッソは、好きな人のことも守れないで、相手を悲しませるし、好き勝手なことだけをやる自分勝手な人物だから、もはや「雄々しい牡牛の神」ともいえない「豚野郎」という意味で、「豚」なわけです。でも、どっかのくにもの将軍サマも、丸々と太った豚とこれみよがしに並んで写っているわけだから、「自分達のモー様は、意地汚い豚」だって知ってるし、思ってるんだよね? 結局ね? と思うわけで。

では、何故本来軍神でもあるけれども、司法神であったものが、残酷な方法で生贄を求めたり、処刑を好む神であって、「悪魔」なのか? というと、結局、文章化された法律というものは、余所から攻めて来た征服者が、被征服者を征服するために定めたものに、その起源があるからなのです。そもそも、村落とか部族とか少数の構成員の共同体で、もめ事があれば、彼らの内々での慣習法でもめ事を解決すれば良いだけなので、文章化された法律なんて必要ないのです。だから、暴君が勝手に作って、人々に押しつけて、「これを守らない奴は悪者だから死刑」って勝手に言ったのが、「文章化された法律」の始めであって、公平とか平等である必要性は全く無く、やりたければ「庶民の中で食事をした者は死刑」とかそういう出鱈目なものも平気で作れたし、作った以上、守らない者は悪人であり罪人なわけだから。だから、最初の「司法神」というのは、そういうろくでもない行為を擁護するための「神」であったので、出鱈目すぎるから「悪魔」なわけです。だから、モー様系の神の名は、「悪魔の羽根を持つ魔族の神」でないと貰えないわけ。

で、10日ほど前に、よく音源を買っている北欧系の音源屋さんから、半額セールのお知らせが来たので見に行って。見に行ったら、蛇の兄さんから、「そこのリュートは買っておいた方がいいよ」って言われた。「なんで?」とは思ったけれども、兄さんが言うなら、セール期間中の内には買おうと思った、ってそこが始まりなわけです。そうしたら、次々といろんなことが起こって、イタリア製の古民族楽器の音源を買え、ということになった。そこの音源屋さんの名前の子音は「BB」なので、そこは元々バッバル信仰の音源屋さんなわけです。でも、イタリアの「バッバル」というのは、「豚のモロク」のことだから、彼らが信仰してるのはいずれのバッバルなのか、ということになる。それはともかくとして、古民族楽器の音源のマスコットキャラクターは、「リュートを弾く女の子」なわけです。そして、そこはリュートの音源にけっこう力を入れている。前に書いたように、リュートとはバッバルの神の象徴だから、リュートをつまびく女の子、とは「女神であるバッバル」のことです。すなわち、私のこと、となる。だから、そこの音源は、司法神であるバッバル女神のご用達のために作られたものだけれども、イタリア製のもので「呪い」がそうしても強すぎるので、まず北欧初のリュートの音源を家に入れて、呪いの効果をできるだけ弱めてから、買いに行くように、と言われる。「そういうことなんだー」と思うわけで、それで今日に至るわけです。

でも、そうなってくると、神官長家の「守矢の神」というものがとても気になってくるわけで。彼らは、今では縄文系の「大姥様」を擁する日本古来の「婆神」を信仰する人達のとりまとめをする立場です。古代の日本に牛は存在しないので、「婆神様」は、トーテムにヒキガエルとか、あとはせいぜい熊くらいしか持ってない。それが起源は同じでも、西方のバッバルとは異なる点です。でも、「モリヤ」という名前は、子音からみると「モー様系」の名前ですよねえ? そもそも「丸に十字」の家紋を持つ守矢氏とは何者なのです? と思うわけで。そうしたら、「旧約聖書に「イサクの燔祭」の話があるでしょ? イサクが父親のアブラハムに生贄にされそうになったのを、神が止めた、というのは、古代イスラエルという国が、生贄を禁じた国である、ということを示す一大特徴の話です。で、イサクが生贄に捧げられそうになった山の名前をモリヤというでしょ。それは、モー様系の神の名(正確にはウガリットの死に神であるモートから派生した名)です。ということは、アブラハムが生贄を捧げようとした神はモートです。焼き殺そうとした性質からみれば、モレクと同じと考えて良い。古代イスラエルにおいては、その神が、司法神として生贄を禁じたのです。法律とは神の名において神官の手によって発布されたものだから、モリヤの神の名において、祭祀集団が生贄の儀式を禁止したことを示しています。それに古代イスラエルにおいては、実際にエルサレムのモリヤ山に神殿が置かれていた。だから、古代イスラエルにおいては、モリヤの神が祭祀集団の祖神であったのです。要するに、モリヤの神は祭祀集団であるレビ人の祖神であった。すなわち、神官長家守矢氏とは、古代イスラエルの時代から、祭祀を担当していたレビ人の末裔であり、諏訪の地は特別に彼らに割り当てられた領地です。だから、大和の王家が東国に移動してきた時に、諏訪に拠点を置いたのは、そこは一族にとって一番重要な聖地であり、最後の砦であったからです。神体山を擁する上社は、未だ出雲の王家の取り分であって、敵の手には落ちていない。しかし、敵の神に対抗するだけのモリヤの名前の取れる子供がなかなか産まれない。縄文系の婆神様は、凶暴な牛のトーテムが取れず、西方の魔王の名前が貰えない。だから、その魔王の名が取れる神が出現することは、神官長家の悲願です。」と言われるわけで。それで何度も上社に呼びつけられたんだ? と思うわけで。どうも、まずは自分の足下の神体山の名前を名実ともに自分のものにしなければならない、ということのようで。

でもって、富の王家にはまた別の事情があるわけで。そもそも富の王家には、大国主命と須佐之男の2種類の主要な男神が存在するわけで、その意味を探らないといけないわけです。大国主命は、西方における悪い太陽神ソールの傾向がだいぶ強く混じっていますが、基本的にはアケメネス朝の主神アフラ・マズダがその起源であって、「神」です。で、須佐之男の起源はアケメネス朝の首都の一つであったスーサの都市神であって、その名をインシュシナクといいます。インシュシナクとは、「イン」は「天の神アン」のことであり、「ナク」は「モレク」のことです。だからインシュシナクとは、「天のモー様」という意味になるし、実際に出土したレリーフでは牡牛の耳と下半身を持つ神です。だから、「魔王」ということになります。アケメネス朝は多民族国家だから、国内には神族もいるし、魔族もいます。その両方にとって、公平かつ平等な国でないとならないから、両方の代表の神様が共に並立して重要視されている。それがアケメネス朝の信念であり、出雲の王朝の精神であるわけです。だから、例によって「魔王」の名前が取れる子供が滅多に産まれない。そういう場合は「世襲の神様」を立てて、形式的に名前だけを受け継ぐことが多いわけですが、そういう「世襲の神様」は同族の中では認められても、外国の人には、実力不足ということで認めて貰えない。だから、その名に相応しい子供が生まれれば、その人にその名前を貰ってもらった方が良いわけです。そして、「魔王」の要件を満たす子供であれば、その名前が貰える。だから、インシュシナクの取り分は、私が1/3,蛇の兄さんが1/3,7番目の兄さんが1/3と言われるわけで。私は「魔王」の名前を貰えるけれども、牛の肉が苦手、蛇の兄さんも牛は苦手、7番目の兄さんは神様なのだけれども、タウロスの名前が貰えるくらい牛肉には強い、ということで。そういう割合で、須佐之男の名前を分けるのが、一番最適そう、と言われるわけです。私が「モー様系」の神の名を積極的に取る意味はそこにある。ということで、今日に至るわけで。なんだか、そんなことになっているわけです。