昨夜は特に夢も見ず。で、結局、また3個ほど、音源を追加して買わなければならなくなった、とー;。いろんな意味でもう嫌気がさしてはいるわけですが、でもこの一件で分かったことは、西欧の人達はなんでも「ギブアンドテイク」という精神であるので、ともかく「無償で誰かを助ける」ということは非常に嫌いであるらしくて-;。自分が誰かに対して、なにがしかの犠牲を払って相手を助けたのであれば、その返礼に相手も支払いをするのが当たり前だし、そういう相手でなければいざというときに、お互いに身銭を切って助け合う「仲間」にはなれない、って思っていそうである。だから、西欧の王侯が誰かを助けるために、100万円支払ったなら、相手にもそれに見合うお礼はよこせ、たとえ相手にとって支払えるものが100円でしかなくても、ってそういうことらしくて。彼らにとって「対等」とか「平等」というのは、そういうことであるので、西欧の人達と付き合うときには、そういう相手だって分かってないと駄目なんだよね-、ということくらいしか言われないわけで-;。でも、ともかく「これで卒業」って言われる気がするわけで-;。明日には言ってくることが変わらないといいけど? と思うわけですが-;。でも、割といろんな人から、「お金はかかったかもしれないけれども、その代わりに家の中がだいぶ静かになったわけだし。」って言われる気がするわけで。家族の中に波風が立ちにくくなったのも、こうやって外の「呪物」をせっせと金を払って家にいるからだし、そのことに対する「感謝の気持ち」も忘れないようにね、ってこと? と思うわけで。ただし、その証拠に金品を要求するのは西欧人だけ、ということで-;。それに見合ったことはしてくれているようなわけなのですが。
それから、「ニノさん」でなんだか、私生活を取り繕ってインスタにアップすることばっかり好きな若い女性のことをやっていて。親が「やらせ」だと思う、とか「人は働かないと食べていけない」とか、まだ言っているわけで-;。だから、働かなくても食べていける人は、家の近所にもたくさんいるでないの、人は「働かなければ食べてはいけない」のではなくて、「与えられた役目を果たさないと生きていけない」ってそういうことなのである。その「役目」というのが、直接その人の収入の結びつくかどうかはなんとも言えない。例えば、あのお嬢さんのように、直接自分の収入にはならなくても、親の収入の方に結びつくようになっていて、だから親はそれを知っていて、娘に好き放題させてるのかもしれないし。
インスタとかに自分の写真をアップすることが大流行していることについても何と言って良いのやら。自分の顔を公にさらす、ということは、それを通して自分の「目の力」を行使することでもあるし、その逆に見知らぬ人の「目の力」にも晒されることになるので。基本的には、それを承知でやっている人がほとんどで、残りは「流行に踊らされている人」とか、そういうことになるのだと思う。だいたい、女子高生とか若い女の人の間でインスタが大流行しているっていうのは、もうあちこちのメディアで言っていることであるし、「ニノさん」の特集にしても、それを大前提とした上で、見つけてきた「奇人変人」という扱いだから。インスタの流行については、それを通して、画面の向こうの誰かを「呪いたい人達」がまず流行らせていて、女子高生とかがそれに乗っかっている、という構図が正しいのだと思う。ともかく、学生っていうのは大人の社会よりも融通が利かないので。学校の先生をやっていたら分かると思うけど、学校の規則に従わない子供はまず罰を受ける、とか嫌な思いをさせられることになる。例えば昔だったら「髪を染めてはいけない」とか「征服のスカートの長さがどうの」とか。でも、大人の社会では頭の色が何色だろうが、スカートの丈がどのくらいだろうが、誰も人のことに文句など言わないので。子供の社会の方が融通が利かないし、しかも閉鎖された社会なので「仲間はずれ」にされたときの孤立感は半端ないので。勉強そする、とかそういうことと関係なく、クラス全員が乗っかっている流行には、とりあえず自分も乗っておかないと、学校でしゃべる相手を見つけるのも難しい、ってそうなるわけで。昔は、それが流行のテレビドラマだったり、流行歌だったりして、そういうものもある程度は知らないと学校で友達と話すこともなくなる、そうすると必要な連絡事項も回して貰えなくなるかもしれない、ってそういうことだったのが、今はそれがインスタとかTwitterになっただけなので。だから、テレビの視聴率は盛り上がらない、CDも売れない、ってそうなるわけで。大人の世界だったら、別に必ずしも流行に乗らなくても、誰も気にしない。流行たって、グルメとか、コンサートとか、観劇とか、映画とか宝塚とか娯楽だっていくつも種類があるわけだから、みんな結局は自分の好きなものを楽しんでいるだけであるし。「あの人だけ違うよねー」ということにはなりにくい。で、誰も彼もが「今日食べたもの」をインスタに上げたがるわけだけれども、いもしない友達を、さもいるかのようにアップし続けるのは「さすがにヘン」と思うから、テレビで取り上げられることになるわけで。
例のお嬢さんは、「友達」を親の金で買ってる、みたいな感じであったので、だいたいテレビを三手の正解の感想は「なぜそんなことをするのか? 友達が欲しければ作れば?」とか、そういう感じなのであると思う。で、そういう世界で「目立ちたい」というのは、基本的には、というか、会社の社長さんとか、本気の芸能人で、自分の仕事を宣伝したい、とかそういう明確な目的がある人もいるけれども、一般の人がそういうことをするのは、「自己顕示欲」の現れであるので。誰かに「自分を認めて貰いたい」という気持ちの現れなのである。そのために「嘘までつく必要がある?」とはなるけれども。だから、そういう人は、親がお金持ちで、でも結局仕事とかを口実にして、親はお金はあって、子供にお金は上げるけれども、本心から子供の気持ちに向き合って、相手に寄り添ったり、理解しようってしてこなかった人なのだと思う。インスタに虚構の自分をアップし続けるのは、同情されたいのではなくて、むしろそういう自分を褒め称えて貰いたい、という顕示欲の現れだし、親に余計なお金を平気でせびるのも、親に対して「構って欲しい」という気持ちの表れなのだと思う。
で、ここで思うことは、敵もそうだし、味方もある程度のことはやるけれども、誰かを「操る」時というのは、相手のやりたがらないことをやらせる、というのは骨の折れることであるわけで。その反対に、相手がやりたがっていることをやらせるのは、非常に楽なわけだから。だから、敵が(あるいは味方が)ああいう「虚構の世界」をインスタにアップし続ける、という、そういうことを誰かにやらせたかったら、そういうことをしたがらない人ではなくて、やりたがりそうな人を見つけ出してやらせる、ってそういうことなのだと思う。それをわざわざテレビで取り上げる、となればそれは取り上げる方には、取り上げる方の思惑もある、とそういうことなのだろう、と思うわけで。まあ、「自分が」「自分が」ってそればっかりで、自分の思い込みばかりを最重要にして、現実の世界での自分の立ち位置が良く分かっていなくて、ってそういう人もまたどこにでもいるよね? 6番目の子の「底意地の悪さ」がけっこう出てたよね、その人も「どS」だから、って思ったわけですがー;。(しかも2番目の方の奇人変人は、私のことをディスってるわけだしなー。もうね、そういうことをやらせたら、「天下一品」だから、その人、って思うわけで-;。)
でもって、家に帰って昨日の「ブンブブーン」を見て。キャイーンの二人がゲストで、ウドちゃんがなんだかんだでお酒を飲み過ぎて、最後はスナックで好き勝手にカラオケをしながらぐだぐだで終わってしまった、と。しかも酔っ払ったウドちゃんは「つよちゃん、光ちゃん」って、ちゃん付けでKinKiの二人を呼びまくるし。それを見て、7番目の子に「そう呼んで欲しい」って言われたことを思いだして。最近では、心の中ではそう呼んでますとも? と思うわけで。しかも、キャイーンの二人がカラオケで歌ったのは尾崎豊の「I Love You」とKinKi-Kidsの「薄荷キャンデー」だったので。最初の方は、2番目の子のお歌であるし、後の方は7番目の子自身のお歌であるので。そういうところで気遣いを忘れないのが、7番目の兄さんの良いところだし、6番目の子に比べれば強烈な「癖」というか「個性」はなくて、ただただ良い人だなー、と思うわけで。だいたい、この番組にしても「やらせ」ではないわけで。そもそも、相手が正気でないと「やらせ」もやらせられないので、酔っ払いはただ酔っ払っているだけだから。酔っ払った相手を、「目の力」で操って、歌いたい歌を唄わせている人はいるし、自分のことを呼ばせたいように呼ばせている人はいる、とそういうことだけなわけで。7番目の子は「目の力」でウドちゃんと天野君を操って、自分のやらせたいように動かしていたし、逆に敵はああやって私たちを思い通りに動かそうとしているわけだから。そうさせないように努力するしか無い、ってそういうことなわけです。
だから、「ニノさん」の特番で、何が「やらせ」なのかといえば、番組そのものが「やらせ」なのではなく、取り上げられたお嬢さんの生活そのものが「やらせ」なのである。だいたい、うちの近所の衆の生活だって、みんなあのお嬢さんと同じレベルで「やらせ」の塊でしょうが、と思うわけで。世の中ってこういうことが当たり前のようにあるところ、ってそれだけのことなわけです。