本日の日誌

ということで、でも、全体から考えると、両親のどちらもなんだかどこか「ヘン」ではある気がする。でも、両親だけではなくて、両親の兄弟達もどこか「ヘン」な気がする。ということは、そういう「ヘン」な人達を直接「育てた」その親たちも「ヘン」ということになる。

でも、母親よりも、父親の側の方が、余計にタチが悪いよねえ? どう見てもねえ? と思うわけで。今日、父親を病院へ連れて行った。昨日までは、ペコペコして「明日頼むな」とかって言っていたわけ。でも、今日はもう威張りくさって「早く寝ろ」みたいな感じで声を荒げて「おやすみ」って言って、戸を「バシッ」と音をたてて閉めていて。まあ、よたよたしているのは事実なわけですが、「油断もできるような」年寄りではない気がするわけで。掌を返すような態度も平気で取るわけですが。こんなのでもいずれは「できるだけのことはする」って言ってくれる兄さん達は寛大であると思う。っていうか、まあ私だって良識の範囲内ではできることは、それこそ「自分の良心の咎めない範囲」ではやるつもりだけどさあ? 威張られても、威張られなくても、って思うわけで-;。

そうすると、おっさん達に、そもそも父方の祖父は商売をやっていて、そこそこには成功していた人でしょ? 当人もかなりの年齢まで独身でいたけれども、評判が良かったとも思えない行き遅れのばあさんとなんで結婚したのさ? それは母方の祖父も同じ事。ばあさんは、二度も出戻りした人で、一応大地主の「お嬢様」だとはいえ、評判が良かったとも思えない。だいたい、「男女7歳にして席を同じくせず」っていう時代に、真面目なおつきあいでなかったにしても、付き合っていた女性が他にいたのに、なんで、そんなばあさんと結婚したのさ? って言われる気がするわけで。敵からも、味方からも「その女と結婚すれば、生涯暮らし向きに困らないようにしてやる。」って言われる。だから、どっちもそうする。それで、愛情に溢れた家庭を作る気があればまだしも、どちらもそんな気もないのに子供だけは作る。「神の親」となる子供を、他の兄弟が搾取して「当たり前」に育てる。父親の方は、露骨に兄弟が借金という名の、むしり取りをしてたし、祖母はそれを後押ししてた。母親の方は、スパイをして稼ぐ、ということで、兄弟はその見返りに会社で優遇されていろんな資格を取らせて貰えた上に、長く使って貰えたりした。姉の一人は、スパイの見返りに、ヒモ同然の婿まで養って出てた。だけど、不思議だ。両親のどちらも、「自分の兄弟はいい人」って言うんだあ。まあ、百歩譲って、彼らにとって「兄弟」というものがどれだけ「いい人」であったのかは知らない。でも、私が知っている限り、父親の兄弟は搾取大好きなろくでなしばっかりであったし、母方の叔母で忘れられないことがあって。高校生の時、祖母の看病をする、ということで、叔母の家に預けられたことがあって。夜寝るときに、叔母はやかんに水を入れて、何も言わずに渡した。だから、私はそれが喉が渇いた時に飲む水だと思って夜中にガブガブ飲んだ。そうしたら、お腹をはげしく壊して、新学期の一日目に登校できなくて先生に嫌みを言われた。母親からは「お前が悪い」ってののしられた。まあ、親の言うとおりに叔母さんちに行って、叔母さんの出した水をガブガブ飲んだ私がそれこそ悪かったんですとも? 誰が敵かも見抜けない間抜けだったからさあ? と思うわけで-;。叔母と私の間に何かあったら、「私が悪い」わけだ。私が未成年だった、とか預かったのは叔母だから責任は叔母にある、とか、そういう発想は全くなかったねえ? って今になってふいに思い出したりするわけで。でもまあ、そんな感じでどちらの親戚とも付き合ってきたので、私から見れば、父親の兄弟にも、母親の兄弟にも、「特に良くして貰った」という経験もないので、どちらに対しても、それこそ「いい人」なんて思う義理もなければ、経験もないよ、って思うわけで。母親の親にしてもそうだけれども、ただでさえ「目」がろくに見えていない娘に対して、「目の力」が弱まるようなタマネギだのリンゴだのを食べさせて、更に味方の声が届かないように邪魔をして、かつ「「目の力」をできるだけ強めるように、そういう食べ物を選んで食べるように。」って大切なことを教えて来なかったのも祖父母だ。みんなわざとやってたんだ? 自分だけが安穏とした生活ができればそれで良くて? って思うわけで。結局、どっちも「祖父母」の代から「裏切り者」なんだー、と思うわけで。それでも、両親は育てて貰った相手だし、学校も出して貰ったりしているから、彼らにとっては祖父母の存在は、デメリットだけであるだけではなかった。で、うちの父親はなにかあれば「人に聞いてみろ」って言うわけで。それは、昔はまだ父親の兄弟が生きていた頃は、叔母や叔父達のことだったのだと思う。一方の母親は「親がこう言った」とか「一緒に働いていた人がこう言った」とか私の受験先でたまたま会った人が「こう言った」とか、そういう言い方をするわけで。結局、どっちも「人の言うこと」が大好きで、私の人生なんかはそういうものにものすごく振り回されてきたわけですが、ともかくそう言うときに限って、私の言うことは「どう思う?」って聞いたこともないし、そういえば、と思うわけで-;。親は「自分の親が自分の進路を決めたから、子供の進路は自分が決める」って言って、行くべきではなかった医学部に子供を入れた。「自分の親が縁談相手のことなんか調べるべきではない、と言った」と言って、姉のろくでもない結婚相手のことを調べなかった。その結果、子供が、子供自身の人生の時間を無駄にしたことについては「良かったこと」くらいにしか思ってない気がするわけで、それもヘンなことの一つだと思う。なんで、私や姉の人生が、ろくに知りもしない、とっくの昔に死んでしまった人の言動で勝手に振り回されなければならないんだろう? って思った。生きている時代も生活も違うし、なによりも私たちの人生は祖父母の人生ではないのだから。でも、そういうのも敵の作戦のうち、計算の内なんだろうな、と思った。

で、今日も親は一輪車のことをものすごく言っていたし、それは確かに気をつけなければいけないことだと思う。でも、親は「自分で気が付いた」みたいに思ってる。それは、家がだいぶ片付いてきて、親戚のおっさん達の「目の力」が届きやすくなってきてるから、彼らが「気が付くように」っていう「目の力」を送ってくれてるから、気が付けるんだよ? って思う。でも、親の心は気が緩むとすぐに「自分の親がこう言った」とか、そんなことばかりに流れて不安になる。どうにも「目の力」が弱いので、昔親切にしてくれた婦長さんとか、「直接親切にしてくれた人」のことしか「味方」って思えないんだよね。でも、敵だって目的があって親切にすることもあるわけだから、そんな判断だけでは判断を誤る方が多くなるの、と思うわけで。それも心配になる。みんな誰でも「目の力」で助け合って、支え合って生きているんだあ。でないと人は正気を失ってまともな判断ができなくなる。よく知らない人達のことは何とも言えないけれども、父親の兄弟の中で唯一の味方であった一番上の叔父は、ろくでもない親、ろくでもない兄弟姉妹、ろくでもない妻のトリプルパンチで潰されてしまった。母方の曾祖父は、婿入り先の田畑を売り飛ばす、っていうそれこそろくでなしの所業をした。そんな風に正気を失わないように、敵の「目の力」に巻き込まれないように、お互いに助け合っているのです。だいたい、家を建てる過程で敵に振り回されっぱなしで、今になっていろいろ気が付けてこれていることこそが、「味方の声が届きやすくなっている」証拠なのです。なんでも、自分一人の力だなんて思ったらいけないんだあ、そういう自分だって「死者の言ったこと」ばっかりに今も振り回されて、「死者がかつて持っていた力」に巻き込まれている程度の「力」しか元々ないんだよ? って思うのですけれども。

で、「少クラプレミア」を見て。前に「NEWS」を見た時に、彼らの方向性ってなんだろう? と思って。KinKi-Kidsは親も好きな感じの正統派王子様、という感じだし、嵐はもうちょっとワイルドな感じであって。KAT-TUNは不良っぽいかっこ良さを追求しているという感じだし、JUMPは特に最近スタイリッシュな感じを目指しているよねえ? と思って。でも、「NEWS」の方向性は? って思ったら「方向性なんて別にないよ。応援するための「目の力」が送れるためにテレビとかに出られればいいだけだから、NEWSはほぼほぼ一番「目の力」が強い手越君の趣味」って言われる気がするわけで。手越君は、その気になれば名乗りを上げられるくらい「目の力」は強いらしいのですが。でも、ご当人にその気がなくて、遊び人でいたいらしくて。そういう人もいていいんじゃない? というか、いてくれないと困るかも、とか思うわけで-;。で、兄さん達に「うちの親はどっちもヘンな気がする。」って言ったら、兄さん達から「そう言う自分もヘンだって自覚した方が良い。」って言われる気がするわけで@@。ともかく、「生まれや育ちからしたら、西欧の文化や習慣になじんでるし、理解があり過ぎる。(普通は理解はしても、なじむというのは難しいことなはずなのに。)」って言われる気がするわけで。「なんで?」って思うわけですが、それは結局、私の「目」が両親のどちらにも似ていなくて、成長の過程で思想的に両親の「声」というものがあまり届いていないから、そうなっている。届いたのは代わりに別の人達の「声」であって、私がかつて興味を持って買った本のことを思い出してみるように、って言われる気がするわけで。それは、ナルニア、指輪、ギリシャ神話、北欧神話、そしてケルトの伝承、神話、民話等など、西欧のものばっかり。特に「ケルト」というものに関しては、現代的なフィクションから、神話・伝承に至るまで造詣が「深すぎる」って言われる気がするわけで@@。そこからして、成長の過程で一族郎党の声よりも、誰の声が一番良く届いていたのかは明白、今も音楽家の兄さんがその気になれば、その影響力は絶大、って言われる気がするわけで。だから、思想的には、東洋的ではなく、あくまで西洋的な思想が板につきすぎている。だから、親の言動や思想にもあまりなじまないし、裏山の蛙の王家の言動や思想にもなじんでいない。今は蛇の兄さん達の人海戦術で、7番目の兄さんの「声」が一番良く届くけれども、素のままであったら、一番良く届いているのは音楽家の兄さんの声であるはず、って言われる気がするわけで@@。だいたい、「働きに応じてその人を評価するべき」という思想は西欧に根強いものであって、蛙の人たちは「目の力が弱くても共同で助け合うべき」って思想が強いから、よほど強力な人でなければ、個人を評価したりしない。私がどちらの思想を持っているかは明白だし、そうやって育ちに全くそぐわない思想を持っている自分はもっと自覚するように、って言われる気がするわけで@@。でもって、田舎のおっさん達の「声」は親の方には比較的届きやすいので、東京の方でいったんとりまとめてから、改めてそちらに送っているし、その役目は主にまっすーとNEWSの他の蛙の目の二人って言われる気がするわけで。4番目の子は? って思いましたら、その人は交渉とかを担当する人だから、それは無理って言われる気がして。でも、「死者の声に耳を傾けすぎる」っていうのは、うちの親のようなことを言うんだなあ、と思って。昔の人の生き方や考え方を客観的に「昔はこうだった」って勉強するのはよいけれども、「死者の声に耳を傾けすぎてはいけない」、今は彼らの生きていた時代とは違う時代なのだし、今生きている人はもっと先の未来へ生きて行かなければならないのだから、「今」という現実を見て、「今」に対応していかなければいけない、ってそういうことなのだと思うのです。(っていうか、その文言を聞かされること自体が、今となってはきつい。「親がこう言ったから」っていう文言で、今までの私自身の人生は、ものすごく迷惑ばかりかけられてきたんだあ。親がどうのこうのではなくて、自分の「目」で現実を見なよ。あなたは、あなたの親なんかよりもよっぽど頭が良くて、教育も受けてるし、教養もあるはずなんだよ? なんで、頭が悪くて、教育もなければ、教養もない人達の言動で、自分の子供の人生に迷惑をかけ続けるの? ってそう思うわけで。それは私自身が、誰に言われるでもなく、とても辛く感じるわけです。)