昨夜は特に夢も見ず。本日は雪が降っていたのですが、現場に出かけて。でも、作業ができそうな状態ではなかったので、お休みになって。土台の下の石をできるだけ掘っておこうと思って掘っていたら、またまた石と針金が詰まっている場所を見つけて、そこを掘ったらわずかな時間にかなりの石が出てきて。
それにしても、今になって何故ハプスブルグの人たちが接触してくる気になったのだろう? と思って。そうしたら、ふっと、それは君主として家臣を守る、ということを知っているから、って言われて@@。結局、何も言わなくても、兄さんたちは私たちを守るために力を尽くしてくれるし、守ってくれようとしている。でも、その代わりに、最低限の礼儀と感謝の気持ちくらい持って当然、というのが私の考えであって、それはむしろ、お互いに対等な人間なんだから、という意識が強かったわけですが。西欧の人から見れば、家臣は君主に仕えて守るのが仕事、君主は家臣を守り庇うのが仕事、ということで。
親が度重なる非常識な言動で、兄さんたちのことをいろいろと言っていた時に、私としては、最低限の感謝の気持ちくらい示すべき、最低限の礼儀くらい守るべき、って言い続けてきた。だいたい、最初から「そんなつもりはなかった」みたいに言っていたから、反省してそういうことは言わなくなるだろう、と私も最初は甘く見ていたわけですが、なんというか、「そんなつもりはなかった」とか「自分が自分のことで精いっぱいだからそんなことしてる余裕がない」とか私がわがままだ、とかそんなことしか言われてこなかったわけで。誰だって自分のことでいっぱいいっぱいなんだから、そのことを理由にして、他人に対する最低限の感謝の気持ちを忘れていいってこたないでしょ? って思うけど、そうすればますます兄さんたちに敵意を示すだけなんだろうな、と思って。でも、結局私の「役目」は、部下である兄さんたちが誰かに不当な中傷や批判をされたときに、守り庇うことでもあるわけだから、「外」では、たとえ相手が親であっても、家臣のために、間違ってることを諌めることのできる人物かどうかずっと観察していた人たちがいたんだな、って気が付いて。今まで兄さんたちからは、ただただ「何があっても自分たちを信じてついてきてほしい」としか言われていなかったので、それ以上のことなんて期待されているとは思っていなかったわけですが、広く世間一般からみれば、それだけでは「君主」として足りない、対等に取引できる相手ではない、って思われていただけなんだなあ、と思って@@。みんな、人の言動をよくよく見ていて値踏みしてくれてるよ、と思うわけですが。
で、結局、親が何故生まれ以上に裕福になれたのか。それは広くアジア一般に展開する「生神」の家族に求められるのと同じこと、って言われる気がするわけで。「神」を出した家は、尊重され周囲よりも裕福になりえる。でも、その代わりに「神」に何かあったときには、「神」を守り支える最後の砦としての役割を期待される。親は、私が貧しい生活を知らない、と言って非難するけれども、誰だって自分が生まれ育った環境しか知らないのだから、それで他者を非難すること自体がそもそも間違っている。親が貧しさから抜け出して、高等教育を受け、裕福になれたのは、「神」にも高等教育を受けさせ、いろんな人と平等かつ対等に接して、それぞれの立場や言い分を公平に聞き分け、「神」として役割を果たせるような人物に育てるためのものなのだから、そうやって子供が最終的に「神様」としての役割を果たせるように、部下たちと合流させるまで守り育てていくことを期待されて、裕福にして貰っている、ってそういうことらしくて。そうするためには、まず両親を「見識のある人格者」に育てろよ、そういう躾をしてこなかったのは裏山に住んでいる連中のせい、って思うわけでー;。それが4番目の子のパパの「育ちがあまりにも悪すぎる」発言につながっているわけなんだー、と思うわけでー;。7番目の子からは「薄荷キャンデー」を送られて、「かわいい顔して芯がある」ってふっと言われたのですが。ここにきて、兄さんたちからの人気が高くなってるのもそのせいなのかー、と思ったのですが。いろいろとたいへんなんだよ?; ってただただそう思うのですけれども。