それからちょっとだけ気になったわけですが、「SONGLINE」を見ていて、南部の地主の大邸宅と奴隷小屋が出て来たわけです。当然地主の大邸宅は豪華であって、奴隷小屋は粗末な隙間だらけの板壁を貼ってあって、暖炉しかなくて。姉は、まあ単純な人であるので、そういうところは「可哀想に」みたいなことしか言わない。親は、「南部は暖かいところなんだし。」というようなことを言っていたわけで。みんなは、それが気になる、と言ってくるわけで。姉の単純な言葉はともかくとして、親の言葉は、どういう観点から言っているのか、自分が住むのなら、その小屋で充分だ、南部は暖かいのだから、とそういう意味で言っているのか? と確認が来るわけで。まあ、そうなんじゃないの? そこよりももっと酷いところで生まれ育ったのが自慢? みたいな人だし、と思うわけで。まあ、自分がそんなとこに住むのは嫌だけれども、他人が住むなら暖かいところなんだし、それで充分なんて、いくらうちの親でもそんなことは思わないでしょ、と思うわけで。日本の家屋も、昔はあんな感じで隙間だらけだったんだろうなー、と思うわけで。(というか、雨戸?を開けると外だから、普段は、隙間風どころではなくて、そもそも家の外と内の区別なんてないよね? 昔の日本のボロい家はねえ? って私が思うのは間違っているのでしょうか??)
じゃあ、私は何て言うのか? って考えてみたわけですが、でも、そもそも私には見たままの感想なんか言わせないじゃん? と思うわけで。私には、「奴隷小屋に暖炉がついていれば、それはマシな方。」としか、みなさん言って来なかったじゃないの、と思うわけで。領主の大邸宅はともかくとして、奴隷小屋の方はもっと雨漏りのする掘っ立て小屋のようなものとか、暖炉なんかないようなものの方がむしろスタンダードであって、そういう真に悲惨なものは取り壊されてしまってないし、「保存するのに値するのは中でも一番マシなもの」とされてしまっているし、そうして事実ではあるのだけれども、必ずしも事実とは言えないものを「事実」のようなことにしてわざわざ保存しているところに「欺瞞」がある、って言われる気がしたわけで。そうやって、どんなことでも、ちょっとでも敵に都合の良いことばかり、目に付くところに示したがるのが敵のやり方であるし、敵は常にそういう相手であることを忘れないように、っていろんな人に言われる気がするわけで。結局は、私自身の感想もそういうものになってしまうのですが。