本日の日誌

「SONGLINE」を見る。でもって、親と話すとどうも誤解があるようなので、結局一番大事なのは、「敵(とみなした者)をけなすこと、そして味方を誉めること」って、もう1回良く話をしたわけで。だいたい、それが西洋の「魔術」というか、「言葉の使い方」の大原則なわけです。奴隷制だってそうだけれども、誰だって自分が奴隷にされてこき使われたら嫌だと思うと思う。それが当たり前だ、って思うわけで。でも、かつての西洋人の理論に寄れば、「白人は優れているのだし、黒人は劣っているのだし、優れている人が劣っている人を奴隷にするのは当たり前だし、そうやって優れている人が劣っている人を導くのは良いこと。」ってそんな感じであって。大まかに「白人=良い人(優れている行為)」、「黒人=劣っている人(けなす行為)」って決めつけて、奴隷制や人種差別を正当化するわけで。そういう作業の処理は「言葉」を使ってなされるわけで、事実はどうだ、とか、本当はこう思っている、とかと全然関係がなくて、ただ他人を奴隷にすることを正当化するために「言葉」を使っているわけで、それを「魔術」とか「魔法」と呼ぶわけです。でも、実際にそういう魔法がかかると、他人をただでこき使って、こき使う方が、誉められるようなことになるわけだから、それこそまさに「魔法」と呼ぶしかないわけで。西欧の人達はそういう「言葉の使い方」にたけていすぎるし、なにせ良くも悪くも、「そういう言葉の使い方ができて一人前」という社会であって、それが西欧人がこれほどまでに世界中にはびこって繁栄している理由であるわけで。もちろん西欧の人の中にも、そうやって他人をけなしたり、騙したりするようなことは良くない、と思う人はいるわけですが、自分自身を守るためにも、こういう言葉の「使い方」は誰でも心得ていないといけないし、そうやって言葉を「使う」訓練とか努力はしないといけない、ってそういうことなわけで。で、一方敵は、こういうろくでもない「言葉の使い方」をよくよく研究していて、どうやったら標的を陥れられるのか、どう言ったら自分達に有利に物事を運べるのか、ってそれしか考えていないし、研究してこなかったし、その結果中世の魔女狩りとか、ナチスドイツのユダヤ人虐殺とか、現実に「なんでそんなことが?」っていようなことを次々としでかしてきてるわけで。そういうことは、ある日突然起こったことではなくて、「言葉」というものをいろいろと駆使して、積み上げてその結果で起きていることなわけだから。その手法を学んで見抜いたり、かわしたりしていかないといけないわけです。でもって、出来得れば対抗していかなければならないわけですが、そこまで行かなくても、「敵を誉めるようなこと」は、その場しのぎの社交辞令ででも言うのでない限り、うかつに言ってはいけないわけです。何故なら、まず自分自身がそう言っている自分の「言霊」の魔法に巻き込まれちゃうし、そんなんでは負けてしまうので、敵に対しては、あら探ししても、落ち度が何もなくても、努力してけなすくらいでないと駄目、ということで。そうやって、敵をきちんと「敵」としてみなすように、まず自分自身に言葉の魔法をかけていかないといけないわけです。そうしないと必要な用心もできないから。

でも、そうやって、標的を言葉で陥れて、自分だけが勝ち残るような、そういう言葉の使い方ができる人、そういう「魔術師」でも、敵に敵対できる人なら期待を寄せる人が多い、ということで。だいたい、そもそもそういう「西洋魔術」を根本的に確立したのがアリストテレースという人なので。その言霊の使い方を、心得ている者で、かつ西欧人ではない私と6番目の子に期待を寄せる「外の人」は多いわけで。裏山の衆なんかは、「言っておくけど「魔術」というのは悪魔の所業だから。」って言って嫌がるわけですがー;。神サマが悪魔を倒すんじゃなくて、むしろ毒をもって毒を制す、ってそんな感じなんだよねえ? 現状はねえ? と思うわけで-;。

でもって、私がおむすびに拘っている、とかそういう誤解がまだあるわけですが-;。拘っているのは私ではなくて、兄さん達の方であって、兄さん達の方が、「気」を強める「良い食べ物」を、一番敵と向き合って戦わなければならない私に与えないことを嫌がるわけで。でも、お昼に普通のご飯は食べられないのですよ-、食べるには1時間はかかるし、その後休まないといけないし、とても作業する時間が削られてしまうし、職人が来るときには彼らに合わせた早いペースでは、どうしてもご飯が食べられないわけで。普通にお弁当でも、もうちょっとなんとか食べやすい形にしてくれれば、ご飯でもいけると思うけれども、今のままでは食べる時間が取れない。とても無理、と思うわけで。おむすびで何とかベストの形を保ってきてこれてただけに、兄さん達が無念に感じるのも仕方のないことだとは思うわけですが。まあ、職人が来るときだけでも何とかして貰う? って思うのがせいぜいであって。パンはまずいです。そして、胃もたれがします。家で、食べ過ぎて具合が悪くなっているようなところに、食事のしわよせが行かないで、私にしわよせが来ることは、とても兄さん達は納得できないであろうと思うけれども。まあ、おむすびくらい自分で作ってみる? としか言えないわけで-;。まあ、親に対しては、兄さん達のことを無視してくれても構わないわけですが、でも私が言っていることは、私が言っていることではなくて、兄さん達が言っていることで、物事はなんでも兄さん達に相談して決めなければならないし、それが「人様に迷惑をかけないこと」だということを、認識してくれれば、それで良いだけなわけです。今までそうやってここまでやってこれたのだし、そこのところで、妙な誤解をしさえしてくれなければ良いだけだから。そして、私たちを何とか助けようと命を削って努力しているのは、兄さん達なのだと、それを分かってくれていれば良いだけだから、ってそれだけのことなわけです。兄さんたちがそうやって、自分の貞節や評判を投げ打って犠牲にした結果である「スキャンダル」を批判の対象にするような、そういう幼い真似を私たちはしてはならない、ってそれだけのことなわけです。何故なら、自分勝手な妄想の中に生きていても、人に迷惑をかけるだけだし、そうしないためには、現実というものをもっと客観的に、ありのままに見れるようになる以外にないし、それができないおかしな例が身近によくよくあるわけだから、そんな風になってはいけない、ってそういうことなわけで。

で、今日昼寝をしていて、なんだか夢を見て。自分が男の子で、なんだか4人兄弟の3番目で(上から兄、姉、自分、弟であって)、新しい家を建てて引っ越しをして、他の兄弟が何をしているのか見に行ったら、一番上の兄は部屋にお風呂があって、緑色のゼリーみたいな入浴剤をお風呂に入れて入っていて、弟の様子を見に行ったらいなくて?、親に聞いたら「親戚の家に泊まりに行った」って言われる、っていうちょっと脈絡のない夢で。目が覚めたら、ふっと「現場にお父さんとお母さんと3人で来て、お父さんとお母さんで病院へ行けばいいんだよ。」って言われて。そっかー、それが兄さん達の答えなんだー、って思って。兄さん達には、いずれ私がそこを離れればそうなるんだから、今のうちからそういうことに慣れておくべき、って言われる気がするわけで。親に一応、「私が東京に行ってしまえば、そうするしかないんだし。」とは言っておいて、言った瞬間に7番目の兄さんから「良く出来ました」って言われた気がするわけで。私自身も兄さん達のことを信じる言霊を使っていかなければいけないんだな、とは思うわけですが、でもそういう自分自身が半信半疑なわけで-;。本当に自分が東京に行く日が来るのだろうか? と思う。で、そう思ったら、蛇の兄さんが降臨してきて、私の頭を引っぱたいて「今日は誰の誕生日なのか忘れないように。」って言うわけで@@。それで、今日が兄さんの誕生日だって思い出して、「お誕生日、おめでとうございます。」と思ったわけですが。

でもって、「SONGLINE」。アフリカ系の人達からは、最後に「We see you again.」って言われて。「今度は現実の世界で会いましょう。」って言われた気がするわけで。そもそも、古代イスラエルの人々はエジプトから出て来たのだし、エジプトはアフリカにあるので、アフリカ系の人達の声は良く届く人が多いんだよ、って言われる気がするわけで@@。現実の世界で会えるかどうかは、兄さん達次第でしょう? 交通費は当然その人達が出すのだし、と思うわけで。そして、朝方なんとなく、長崎の特集で、長崎の境界で「残響」を歌う福山君の画像を見ていたわけで。福山君のバックには、カトリックの祭壇があったわけで、祭壇の中央には「X」と「P」を組み合わせたローマンカトリック特有の紋章が描いてあって。そして、その両側に「α」と「Ω」の文字があって。それは「始め」と「終わり」という意味、というか、その3つの組み合わせは、古代エジプトのネイト信仰そのものじゃん、いったいどこが「イエス・キリスト」なのさ? って思ったわけで。だいたい、英語で「夜(night)」の名前を持つネイト女神とは何者? って改めて思って。そうしたら、ネイトの「N」はメソポタミアで「女神」という意味、「T」は古代エジプトで「女神」という意味、すなわちその神はメソポタミアとエジプトの両方にまたがって「女神」としか呼ばれない神なわけですが、夜の太母ネイトというのは、深夜帯の神ソルのこと、すなわちメソポタミアのヘバト、北欧のソルと同じモノ、って言われる気がするわけで@@。古代エジプトにおいて、「一日」というのは、日の出に始まって、日の入りに終わるものであったわけです。だから、「夜」というものは時間的には存在するものなわけだけれども、それは「人の一日」には属さない「人外の時間」であって、人々は夜の闇の中で狩りをするネイト女神の矢に当たらないように、屋内に籠もっていなければならなかった、って言われる気がするわけで。「女神の矢」って何? って思いましたら、それは「流れ星」のこと、すなわち地上まで到達すれば「隕石」のこと、って言われる気がするわけで@@。だから、ネイト女神というのは、夜の闇の中で、相手が人でも狩りをする悪魔の女神であって、そうやって力を得て、次の日の「夜明け」を生み出す存在であった、ということのようで。だから、特別な祭りの時には、人々は一晩中子飼いに明かりをともして、「今は夜ではない」って示していたわけで。だいたい、最初の製鉄というのは、鉄の含有量の多い「隕鉄」を使って始まったんだから、「隕鉄の女神」であるヘバト(エジプト的にはネイト)が、主神とした崇められるようになった、って言われる気がするわけで。それはそもそも深夜帯の人外の時間の狩人の神だったんだ? と思うわけで。まさに「熊神」なのかも、と思ったわけですがー;。だいたい、その祭壇を見ただけでローマン・カトリックの本性なんて見て取れるわけですが、それとは別に蛇の兄さんが守りたいものは「ネイト」の名を持つ女神である、とそう言われた気がして。そういうことなんだな、と思ったわけですが-;。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。どうもお天気の方も、雨模様であって、雪が降る、という予報でもあって、作業の効率は期待できないわけですが。でも、行かなかったら、敵は雨が降ろうが、雪が降ろうが嬉々としてやりたいことをやりに来るだろうな、と思いながら出かけて。出かける直前まで、いろんな動画を見たり、音符をいじくっていたりして。私だって忙しい時に、なんでこんなことをしなければいけないんだろう? と思うわけですが、音楽家の兄さんに「自分のために少しずつでも良いから続けて欲しい。」って言われたらそうせざるを得ないわけで。30年以上も片恋の人のために戦い続けた兄さんであるのに、その末に待っているのは最善であっても、7番目の兄さんと同様、「好きな人とは一生結婚できない運命」であるので、それが分かっているから兄さんのためにできることがあれば、できるだけのことはしなければいけない、と思うわけで。でも、その兄さんもけっこう個性の強い人でしょ? と思うわけで-;。そして、バンドのメンバーの中に、最近加入した人で「蛙の目」の人が1人いますよねえ? と思うわけで。裏山からは、その人は「音楽家の兄さんの監視役だから。そのくらいさせて貰わないと、とてもその人たちは怖くて、大事な娘の婿には迎えられない。」って言われる気がするわけで-;。

そして、西方の人たちからは、「言葉というものは、魔法をかけるためのものなんだから、敵には「悪い言霊」を、味方には「良い言霊」を与えるように意識して使わなければならない。敵を褒めるようなことを言うのは、「そういうつもりがあった」とか「なかった」とかそういう問題ではなくて、「敵を褒めるようなこと」を言っているのだから、言葉の使い方が間違っているし、間違った使い方をしておいて「そういうつもりがなかった」と言い訳をするのは、ホグワーツの新入生が、自分の手に余る魔法の呪文を使っておいて、それが引き起こした結果に対して「そういうつもりがなかった」って言い訳するのと同じこと。」って言われる気がするわけで@@。でも、そうしたら本当に思っていることはどうするの? と思いましたら、それは「目の力」で言うんだよ、兄さん達だって「目の力」で言いたい放題言い合っても、表向きは仲良しそうにお互いに良い言霊しか使い合わない。「言葉」というものはそういう使い方をしなければならないもの、って言われる気がするわけで。東洋人もアフリカ系の人々も、「言葉というものは神や仲間と交流するためのものだから、ちゃんと使わなければいけないもの」とは言ってくるけれども、割と感情論的というかそんな感じであって、あからさまに自分が思っていることとは関係なく、「良い言霊」と「悪い言霊」を意識して使い分けるように、とかそこまでドライなことは言わないわけで。「西洋魔術」という言葉があるし、それを操っている人々が、敵であっても味方であっても、世界中を席巻して世界を振り回しているのは、理由のないことではない、みんな「魔術」というものを研究し尽くした魔術の大家であって、それに関しては西洋人の右にでるものなし、って感じなんだな-、と思って。西洋人は、ローマ人も含めて、みんな「悪魔信仰」の人たち、すなわち略すと「悪魔信仰」なんだけれども、略さないと「歩く熊信仰」の人たちだからー;。言霊を使って、凶悪な呪いをかけたり、味方だけを祝福するようなやり方はよくよく研究して心得ているわけで。敵の中に好きな人がいる、とか味方の中に嫌いな人がいる、とかそういうことは関係なくて、ドライに「言霊」は「言霊」として使っているだけなんだなー、と思って。それが「西洋魔術」の基本中の基本だし、一番恐ろしいところ、ってそれは言われるわけですが。ともかく、味方に対して、感謝の気持ちを言葉で表したくないのであれば、それはそれで「個性」としてそれで良いけれども、だったら尚更、敵に対して「そう受け取れるような言霊」は意識して使わないようにしなければいけないものだ、ってそれは言われるわけで。礼儀知らずであるなら、言葉の上では、誰に対しても礼儀知らずでいるように努力しなければいけない、それが「最低限の礼儀」ってそうなることのようなのですが。だいたい、父親がそもそも「食べ物をくれる人が良い人」という主義で、くれるものが「呪いの食べ物」であるかどうかなんて考えたこともないし、その結果人格が変わるほど「気」を弱らされても、全く何の自覚も持てないような人間なんで。母親の方は、それに比べればよっぽどまし、なわけですが、自分や家族を守るために「気」が弱らないものを食べよう、とか「良い言霊」を意識して使おう、とかそういう気持ちが薄くて、敵の目に巻き込まれると、100個の石を入れた連中が1個の石を掘ってくれた、って褒めるようなことをすぐ言い出すようになるわけで-;。残りの99個を、小砂利まで掘り出して、しかも無料でやって、余計な時間をかけたことに対する損害金まで支払って、そこまでやって初めて「まともな態度といえるもの」という考えの私とかとは全然違うわけで。ともかく、敵に操られやすいことは事実なわけです-;。

でもって、パンは良くもないけれども、悪くもないものだから、食べるときにはそれを忘れないように、って言われる気がするわけで。でも、自分のご飯を自分で用意している暇もないし、余裕もないしー;。焼きそばよりもパンの方がましなら、それで頑張るしかない-、と思うわけで。パンというものは、西洋の食べ物であるので、音楽家の兄さん達の声は微妙に届きやすくなるかもねえ? と微妙に言われる気がするわけで。だいたい、善光寺平にゴロゴロしているはずの「味方の声」がそもそもどうにも届きにくいので、家に入れられている「呪い」もそういうものが多いのでしょうけれども、裏山からはそのことを嘆かれる気がするわけで。音楽家の兄さんとか、「異形の人」たちとはすぐ仲良くなっちゃうくせに、って言われる気がするわけでー;。だいたい、そもそも人を「見た目」で判断しちゃダメでしょー、そもそもIKKOの言いぐさではないけれども、メイクの流行なんて毎年少しずつ変わるものだし、それに合わせて世に出回る化粧品も少しずつ変わっていくものだし、化粧品会社なんて、そうやって新製品を出して儲けを出しているものなんじゃん? 製薬会社なんかも儲けは大きいとは聞いたことがあるわけですが、化粧品も、実際にお肌に良い材料を適度に混ぜ込んでおけば、「美容にいい」って大げさに言っても嘘にはならないし、それで新しいメイク法と合わせて毎年売り出していれば、永遠に儲け放題だよ、って思うわけで-;。メイク法が変われば、見た目も少しずつ変わる。たいていの人はそうやって「化けの皮」を被って生きているものなんだからー、と思うわけで。

でもって、最近は6番目の子が落ち込み気味なことが多いので、その代わりに守達神が頑張って、「目の力」を使って筆頭を支えることが多い気がするわけで。最近頑張って「ニノさん」とか見てるしなー、なんというか深夜番組のあのゆるいアングラなノリと、ゆるいダークなノリは、別に好きと言うほどでもないけれども、嫌いというわけでもない、と思うわけで-;。そして、ババ嵐のババ抜きのジョーカーの札のように、いつどこに現れて何を言い出すのか良く分からない、その名も「トランプ」という人がいるようなのですが。どうも、先週くらいから、自分が指定した国の人はアメリカに入国できないようにしたとかで物議を醸していて。でもって、その大統領令をどっかの裁判所が無効の判決を下した、とかで航空会社は該当する国の人が、アメリカに入国できるようにしなかったり、したり対応に忙しいらしくて。そもそもアメリカは「移民の保護」を名目に、底辺のブルーカラーの労働力を移民に頼っているような国であるので、そのあたりをつつくだけで国内に微妙な混乱ができることは必至なわけですが、なんでそんな「ジョーカーの札」みたいな人を大統領にしたの? と思うわけで。そうすると「操りやすいから」って言われる気がするわけで-;。敵側の人間であれば、敵の勢力が強いときには敵に有利な「操り人形」であるけれども、味方が強くなってくれば味方が操りやすくもなる、ということのようで。秩序が強固で、監視が厳しい国は、逆に上の方でそうやって些細な混乱が起きただけでも、その対応でけっこう混乱して、監視の目は緩くなるもの。そうなれば、「目の力」が届きにくい人たちの声も届きやすくなるもの、って言われる気がするわけで@@。だいたい、妙な大統領令が発布されたのが先週の月曜日であって、福山君の「SONGLINE」が放送されたのもその日であるので、その二つはけっして無関係のものではないでしょ? と思うわけで。それに合わせて、アフリカ系の人々の声ができるだけ届きやすくなるように操作している人物がいる。そもそも、6番目の子は自分が代償を支払わされて、報復をしない人ではない、って4番目の子からは警告されたりする気がするわけですが。まあ、世の中なんてそんなものでしょ、赤ん坊の件以来、大野君が割と6番目の子や守達神に協力的であって、相葉君と4番目の子は微妙に立場がないよね? と思うわけで-;。このままでは、「富の王家の一人勝ち(あとはケルトやゲルマンの兄さん達も)」って呟く声が良く聞こえる気がするのですが。だって、しょうがないじゃん、その人たちの声が一番届きやすいんだもの-、と思うわけで-;。同族からは「浮気者の不良娘」とかって言われる気がするのですがー;。まあ、世の中なんてそんなもの、ということで-;。

で、小雨が降る中、なんとなく上に散らばっている小石だけでもできるだけ拾っておこう、と思ったら、門の近くに妙に小石が散らばっているところが目について。で、いくつか大きめの石も土の中から顔を覗かせていて。親は、そのあたりはいずれしっかり掘り返させたいし、その口実の大きめの石があることを使いたいから、敢えて石は掘らないでおいてある、って言っていたので、大きめの石を1個だけ残しておいて、あとは掘っていたら、数々の石の下から、杉の木の枝と思われるようなものが2本出てきて@@。1本はもう腐ってボロボロだったわけですが。家の門のところに、出入りを邪魔するように「呪いの杉の木」が埋まってるんだ? と思って。しかも、気になってたまあたまピンポイントでそこを掘ったら、杉の枝とか出てくるわけだからー;。こういうのを「結縁の効果」って言うんだろうな、ってそれしか言えないわけで。毎日、そんな感じなわけなのですが。

本日の日誌

そして、夜更かしをしているわけでー;。早く寝なければならない、とは分かっているのですが、でも私と話をしたがっている人がいるうちは、眠れないわけで。音楽家の兄さんには、話をここに進めてくるまでに、犠牲になった人もいるけれども、自分が関わったことについては、自分の問題なのだから、そのことまで私が気にする必要なない、って言われる気がするわけで。あるのは鎮魂の気持ちと、そうせざるを得なかったからそうしただけであって、ほとんどの人がそうして生きているのだし、6番目の子のように生きられる才能を誰もが持っているわけではないから、って言われる気がするわけで;。私も気に病みすぎてはいない、と思うわけですが。でも、そうやって犠牲になっていった人達のことを忘れてはいけないし、自分がそこにおいやったことも忘れてはいけない、って思うのです。それだけのことであって。それが重いのか軽いのかは、自分でも良く分からないのですが。

そして、安室ちゃんからは、あのろくでもない二人組がやっていったことも良く考えてみるように、って言われる気がするわけで。で、思い出してみたわけですが、あの二人が来る前は、親は「石を片付けなきゃ」ってものすごく熱心であったし、むしろ最初は私よりも親の方が熱心であって、休みの日も私が「こんなに早く行くの?」っていうくらい早く出かけていたわけです。でも、あの二人が来るようになってから、親は変わったわけで。休みの日は「職人が来ないから」とか「起きれないから」とか「年だから」って言って、どんどん出かける時間を遅らせるようになっていって。で、あのろくでなしの二人組がこちらを這いつくばらせて石を拾わせるような真似をしているにも関わらず、何故かあの二人には不用心であって、おかしなポンプも持ちこませようとするし、あの二人のことは私が「え?」って思うくらい誉めることしか言ってないわけで。それで、あの二人が来なくなりそうで、やっとほっとして、元に戻るかと思えば、また今日手抜きをして現場に遅れて行ったわけで。あの二人組が来る前に持っていた「現場を守らなければ」という気持ちが失せているわけです。こんなに苦労してやっとここまで綺麗にした現場なのに。しかも、未だに叔父のことなんかを懐かしそうに話すわけで。口先でどう言おうが、その人が妹を売り飛ばして、会社で優遇して貰って長くお給料を貰ってたのは事実であって。「働かなければ生きていけない、なんて幻想だ。その人は妹を売り飛ばして生きていただけだ。」ってそう言われる気がするわけで。あの二人組が来ている間、親はどんどん現実が見えなくなって、いろいろと口実を作って、現場に行く時間を削ろうとしてきた。そして、あの二人組が来なくなったからって、すぐに元に戻るわけではないわけで。母親は陶芸教室とそれが父親に与えた変化とか影響とかは分かっているわけですが、結局そういうのは薬とか煙草とかのせいに、何故か無理矢理したがるわけで。自分自身があの二人組の「目の力」から受けた「手抜き癖」の自覚をどこまで持てるかは私には良く分からないわけですが。私が現実になんとか目を向けさせようとして言われた「わがまま」という言葉は、全く妥当ではない、ということを忘れないように、って安室ちゃんには言われる気がするわけで。

で、結局その結果、「今度」は私の昼食が犠牲になった、って言われる気がするわけで-;。前に何かあったっけ? って思ったら、私は夜遅くまで兄さん達と必要な話をしなければならないわけで、それで寝るのがどうしても遅くなるので、いつも作業の人が来ない時には現場で朝寝していたわけですが。でも、それを親に文句をいわれたので、できなくなって-;。で、だからといって、兄さん達との話をやめるわけないもいかないので、結局、毎日寝不足で、朝居眠り運転せざるを得ないような感じになっているわけで-;。だって、しょうがないじゃん? 親は自分だけが働いていると思ってるし、何か言うと、すぐにテレビのこととか、日記を読まない、とか、どうやったら兄さん達に背を向けられるか? って、そんなような出鱈目なことしか言わないんだし? 黙って、自分が我慢するしかないんじゃん? と思うわけで。で、結局頑張って、親を正気に戻した結果、犠牲になったのが私のお昼ご飯、というわけで。ご飯は食べられないからおむすびにして貰ったわけで。まあ、食べられなきゃ柿の種ででも我慢してるよ、って言ったら、兄さん達に「せめてパンにするように」って言われたわけで-;。あの二人組が来る前の生活に戻すのに、家にいて居眠り運転する心配もない人達は何も犠牲を払わず、私の食生活だけが犠牲になったのに、その犠牲は大きいと思うのか、小さいと思うのか? ってJUMPの兄さん達に警告を受けるわけで。まあ、ご飯の支度がたいへんなら、しばらく家中パン食にすれば? と思うわけで-;。敵は敵で、そうやって「目の力」で親を扱って、結果的に私にだけ負担が重くなるように、ってそれしか考えてないんだな-、って思って。まあ、なんとか頑張ってしのいでいくしかないわけです。親と兄さん達との結縁の機会もできるだけ増やしていかなければいけないし、それだけのことだから。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。「嵐にしやがれ」と「SmaSTATION!?」を見てから寝て。「スマステ」はいつもよりも15分遅くて、どちらも半分眠りながら見ていたのですが、最後に頭領から「遅くまでお疲れ様でした」って言って貰って、「兄さん達もこんなに遅くまで働いていますのにー。」と思いながら寝て。

で、なんだかんだ言って、日曜日なので1時間くらい遅くなるかなー、と思ったらなぜか2時間も出かけるのが遅くなってしまってー;。で、現地に着いて、作業の支度をしていたら10時くらいになってしまっていて、親が「日曜日だしいいよね。」って言ったら、「いいわけないでしょ」って大ブーイングが来るわけで-;。でも、いちいち注意すると、すぐに結縁のためのテレビを見るから寝られない、とかそんなことしか言わなくて、優先してやらなければいけないことから削ろうとするし、その一方で作業が早く進むから、「今作業に来ている人達は良くやってくれた」みたいなことを平気で言うわけで。私たちのために身を削ってくれている兄さん達のことは、一言だって感謝の言葉すら言ったことがないくせに、私たちに石を拾わせて、自分達は突っ立ってるような屑のどこに誉めるべき点があるのか、例えお世辞でもそんなこと私には考えつかないわけで。だいたい、そいつらが余計な石やゴミを入れなければ掘らせるようなこともしないで済んだのだから、そいつらが後始末で掘るのは「当たり前」のことであって、小石一つでも私たちに拾わせるような真似をするなら、「屑」って、それ以外に言うことはないし、ともかくおかしなことをしないように見張っていなければ、そのことに心血を注がなければ、ってそれだけのことなわけで。えらそうに相手の評価なんかしている場合ではない、ってそれだけのことなんだと思うわけで。(でも、仕事ぶりが一番マシなのは、一人で来ている無愛想な人であって、その次がその二人組であって、一番マシでないのはトイレばかり行っていた人です。こちらの意向通りにきちんと仕事をさせられさえすれば。親がいったい何を基準にして「マシ」とか、そうでないかを言っているのかも私には良く分からないわけで。今来ている連中は早かろうが何だろうが、「屑」の部類。親にそれが見えていないのは、単純にその二人組の「目の力」に巻き込まれているからなんだと思うわけで。ポンプの件も、親がそこに置いておくことに、ずいぶん固執していましたし-;。)職人が来たら、しっかり見張っていなければいけないし、疲れているなら尚更余計なことはしないで体力を温存していなければいけないのに、その連中が来ると違う場所へ行って余計なことをしたがって、私が何度も注意してもきちんと見張っていてくれないし;。そして、そのくせ、私が「しっかり見張って居てくれないと何をするか分からない。」って聞こえよがしに言ったことがいい、とかそんなことを言うわけです。そんなこと考えている余裕なんてないし、相手に聞こえようが聞こえまいが、どうだっていいでしょ、自分自身がそれに必死になってできるだけきちんとできていれば、って思うわけで。

でもって、お昼ご飯を食べて休んでいたら、夢を見て。なんだか自分が受験生なのですが、どうもなんだかんだ言って、勉強をしてなくて受験に失敗してしまって。で、父親とかが勉強の邪魔をしていて。で「来年もう1回頑張ればいい」みたいなことを言われて目が覚めて。目が覚めて、要するに「学習能力がない」って言われてるのね、って思って-;。どんな工事もそうですけれども、現場をしっかり見張っていないから今までゴミや石をさんざん入れられてきたわけで。それでも、大規模に敷地を掘り返させてここまで来たのに、あと少し、というところでまた手を抜いて、「職人が来ない」とかってことを口実にして来るのを遅くしようとするしー;。だいたい、職人が来るときには、一緒に作業もしなければいけないし、見張りもしなければいけないから大変だけれども、来ないときは疲れてるなら休んでいれば良いのだし、来ないときの方が楽なはずなのに、なんで現場にきちんと来れないのか、その理由がさっぱり私にも分からないわけで。家事がたいへんなら、洗濯はコインランドリーで済ませても、現場にはしっかり行くべき、って兄さん達にはそう言われる気がするわけで-;。しかも、親は洗濯を姉にやらせることは、姉がテレビを見るのを楽しみにしてるから、させたくないって言うわけですが、兄さん達には「結縁のためにテレビを見て貰っているのに、姉に見せる方が有用なのか、それとも親に見て貰った方が良いのか、どちらだと思うのか?」って言われる気がするわけで-;。兄さん達なら、姉に洗濯をさせて、親にテレビを見て貰う方がマシ、って言いそうな気がするわけで。別に楽しみでも、遊びで見ているわけでもないわけだし、みんなそれで必死になっているわけだから。

で、テレビなんかもある程度は見なければならないし、早くも寝たければ、ある程度は逆算して早く帰らなければならないわけで、いつも帰る時間になったから「帰る?」って聞くと、まだ明るいし、「早く現場に行け」とか「早く帰れ」とかって言う私がわがままだって言うわけで。でも、確かになんで「早く行く」ことに兄さん達がそれほど執着するのかは私にもよく分からないわけで。「なんで?」って思ったら、いつも早朝に来ていた大工さんの図とか、早朝にコンビニで待機していた職人さんの図とか送ってこられるわけで。それで、「そっかー、おかしなことは早朝にやっているんだー」って気が付いて。気をつけて現地に行っていても、どうしても空けなければいけない日は出てくるし、一日とか二日そういう日があるのは、仕方がないこと、って兄さん達も思っているのでしょうけれども、それでもできるだけ行った方が良いし、「塵も積もれば山となる」のことわざの通り、毎日、毎朝入れられるゴミや石が積もり積もることをとても心配されているし、朝、長時間現地を空けることは、余計なゴミや石を入れられる確率が高くなる、ってみんな分かっているんだな-、と思って。どうやら、敵も「いかにも仕事をするのに不自然」という状況では、あんまり動き回らないらしくて。朝はちょっと早めに行って一作業、夜はちょっと遅めに残って一作業、みたいにしてやってるんだな、と思って。もちろん工事現場を放置していれば石を入れたい放題なのでしょうけれども、そうでなければそうやって余計なちょこまか作業をしている、ということで。そういえば、家のフェンスの工事をしている時にも、庭にコンクリートを埋められたのは私たちが出かけているときとかであったし、わざと遅くまで残って暗がりで妙な作業をしている時とかあったし、そういう時が危険なんだな、と思って。現場を空けなければならない時には、空けた前後で変化がないかどうかチェックするしかないし、それと、細かいちょこまかな作業をできるだけ封じていかなければいけないんだな、と思って。

あとはもう、両親揃っていうことですけれども、「仕事で苦労するのは当たり前」みたいな紋きりの発言とか。母親の方は、わりと7番目の子がお気に入りであるらしいのですが、その理由を聞いたら、「真面目そうなところ」とか「女性スキャンダルがないところ」って言うわけで。やっぱり、まだ何も分かってないんだな-、っていうか、そもそも兄さん達の「スキャンダル」というのは、ほぼほぼ「代償行為」であるので、申し訳ない、と思うのが妥当であって、そういったものがあるから「好意を持たない」なんていうのは、あり得ない話だと感じるわけで。(でも、そうならないように、兄さん達が非常に神経を使って気を遣いあっているのも事実なわけですが。)私も長い間、仕事でいやがらせされて、ネットニュースでも見るしかやることがない、とかそんな感じが続いて、ともかくゴシップでも真面目なネタでも、いろんなものは見てきているし、そういうものの中には、「あからさまな嘘」と分かるものもあるし、そうじゃないものもあるし、ということで。まあ、誰でもネタの一つや二つはあるというか、あったというか、そのどちらかなわけですが。そんなことで人を判断するのは、出鱈目の極み、ってっそれだけのことだと思うわけです。

でもって、ちょっと前まで親が言っていたことですが、なんというか、まず「働かなければ生きていけない」とか当たり前のように言うわけで。でも、それが大きな間違いであって、だいたい自分の知り合いとか近所の人とか見ていて分かるように、重要な誰かを見張るような役目、を非公式に請け負っている人っていうのは、「働かなくても生きていける」し、けっこうみんなそれないりにいい生活してるよね? すぐ向かいの家とか?? って思うわけで。世の中には、働かなくて生きている人もいっぱいいるし、そういう人が生活保護とか社会的保護を受けたりとか全然していなくても、どういうわけかちゃんと生きているんだし、そういう人はきっと私たちが思うよりもずっと多いのだろう、と思うし、そういう人たちにとっては「仕事」なんてあってもせいぜい「してるふり」をするくらいのものであるのだろう、と思うわけで。そういう人たちから見れば、「生きていく」ためには「おいしいネタ」があるかどうか、ということが問題なのであって、仕事の有無なんて問題ではないでしょう、と思うわけで。兄さん達には、うちの親は、「目の前の人を殺すのか、自分が死ぬのか選択しろ」と言われて葛藤した経験がないでしょ? って言われる気がするわけで。たぶん、そういう経験はしたことがないし、したことがないことが「守られていること」だっていう自覚も乏しいんだろうな、と思うわけで。世の中には、親を売り飛ばしたり、子供を売り飛ばしたり、家族を売り飛ばしたり、そうやって生きている人は大勢いるわけで、あるのは、そういうことを当たり前にして喜んでやっている人と、そういうことに苦しみ葛藤しつつもせざるを得ない選択をして生きている人と、2種類の人がいる、とそれだけなんだろうな、と思うわけで。私自身も何も知らずに、多くの人を死に追いやってしまったことは何度もあったと思う。でも、自らがそういう要求を突きつけられた時に「是」と言ったことはなかった気がする。命というものは、どんな時も尊いものだと思うから。でも、兄さん達の中には切り捨てざるを得ないと判断したものを、分かってて切り捨ててきた人たちもいるであろう、と思う。人々が生きるためにしてこなかればならなかった「葛藤」や「苦しみ」というものをもっと私たちは理解するべき、とアフリカ系アメリカンの人々は言ってくる気がするわけで。誰かが生きるために自分が死ぬのも苦しみだし、自分が生きるために誰かを殺すような真似をしなければならないのも苦しみだし、「地獄」というのはそういうことなのだ、と彼らは言う気がするわけで。私自身も何も知らずとも、戦って生きてきたし、たとえ楽な道ではなくても、腕がつたなくても医者としての良心に恥じない仕事はしてきたつもりだし。そういう点では敢えて楽な道は選んではこなかったわけで。そういう「太陽女神」の背中を見て育ってきて、ほぼほぼ「スキャンダル」という手段のみで乗り切ってきて、自分の周囲からは死者を出さずにここまで来た人もいる、と言われる気がするわけで。本当に尊いのは、「死者」という犠牲者を出さずに来たことであって、「スキャンダル」のみ、というその手腕をもっときちんと評価するべき、って言われる気がするし、その人との結縁を大切にするべき、って言われる気がするわけで。そういえば、二股騒動で年末はなにかと騒がしかった潤君は、某AV女優に井上真央ちゃんのことを聞かれて、「その人のことを言ったら殺すよ」って言ったとかなんとかってどっかに書いてあった気がするわけですが。そういや、何かあると「絞め殺してやる」って口癖の兄さんもどっかにいましたねえ、スキャンダルっていうよりも、「ネタを仕込みすぎてるでしょ-;」と思ったわけですがー;。そして、「しやがれ」を見ていると、なんとなく6番目の子が「妻神の心を独占できるだけの「目の力」を持っていなくて残念」って思っている気がするし、守達神と二人して「やりたい放題の二人」って言われる気がするわけですがー;。蛇の兄さんは、私の赤ん坊へのこだわりを見ていると6番目の子が私の背中を見て育ってきたことを思い出すようで、私と6番目の子は言霊の使い方も生き方も似ている、って言われる気がするわけで。そうなのかもしれない、と思うわけですが、でも「孝謙天皇と道鏡」って言われちゃうのは困る、と思うわけで-;。7番目の子は、自分が私と結婚したい、って言い出したら、下の人たちも「上へ倣え」って、同じこと言い出すだろうし、「自分はそういうことを言うわけにはいかない」って言ってくる気がするわけで、それはその人のとても良いところだと思う。というか、「少年倶楽部」もけっこう特殊な番組であって、Jr.の中の野心家の兄さん達からナンパされたりする気がするわけで-;。その人たちもいずれ、6番目の子や7番目の子の了解を得られる日が来れば、正式に名乗りを上げてくるんだろうなー、と思うわけですが、とにかく「下へいくほど言ってくることが図々しいから」って年配の兄さん達は言うわけで-;。「しやがれ」では翔君が地獄谷へ行こうとして行けなかったわけですが、その日はさすがに私も作業をしないで、家の中で寝ていた日、と思い出して-;。だいたい、真冬に飯山あたりに行こうということ自体、ホワイトアウトにクビを突っ込んでるも同然、と思ったのですが-;。鍛えている肩甲骨や腹筋は、サービスショットといえば言えるのかもしれかせんが、鍛えているマッチョな兄さん達もたくさんいるしなー、と思うわけで-;。なんだか、本当に引きが弱くてかわいそうな4番目の子な気がするわけで-;。石やゴミについては、あと少し頑張るしかないんだろうな、と思います。でも、その始末がほぼほぼつけば、後は行っても休みたければ、それこそ休んでられるのだし-、ってそういうことなのだと思うわけですが。