火曜日は、家に帰ってきてから、福山君の「SONGS」の特集を見て。今回はアメリカ南部のニューオリンズにジャズの起源を求める旅、ということで。で、「聖者の行進」という、ジャズの起源的な有名な曲があって、この曲は元は黒人霊歌ということで、ジャズとしても演奏されるし、教会でも歌われるような曲で、内容は「自分死んだときに、天国へ向かう聖者の列の中に自分もいたい」という歌であって、ようするに「(現実とは辛いものだから)死んだら天国へ行きたい」と、そういう歌であるそうで。で、その歌は「喜ばしい歌」として歌われるし(何故なら「天国へ行く」歌だから)、お葬式でもよく使われる曲だそうで。でも、それは「死」への憧憬を煽る曲であって、良い曲ではないでしょう? と思うわけで。「聖者の行進」とはすなわち「死への行進」ということでしょ? と思うわけで。ジャズィーなおじさま達からは、「死への行進」とは、かつてアウシュビッツのような強制収容所でガス室に追い立てられていく人たちの行進と同じことなのではないのか、と言われた気がして@@。おじさま達の先祖は、アフリカ大陸から連れてこられて、「死ぬまで働け」と言われて、死へと追い立てられていただけで、それを拒否すれば殺された。だから、死ぬまでの時間がちょっとだけ長いか、短いか、それだけの違いしかなかったわけで。ガス室へ送られる人たちも同様で、そこへ向かわされることを表面的には当たり前のこと、喜ばしいことのふりをし続けるしかなかった。そうしなければ、残り5分しかない寿命が1分に縮められるだけだから。そして今、かつての奴隷は解放されて、人々は平等になった、と表向きは言われている。でも、「死への行進」を喜ばしいものとして表現し、歌い続けなければならない、なぜならそうしなければ80年あるはずの寿命が20年になるような目に合わされるから。こういう状況を真の「自由」と呼ぶのか? 自分たちの運命と、ガス室へ追い立てられた人々の運命とどこが違うのか。「聖者の行進」を「喜ばしいもの」として奏で続けなければならない限り、自分たちは先祖と同様に、死への行進を追い立てられているだけだし、分かっていても奏で続けなければならないことに、アメリカという国の真実の姿と現実と、我らの真の苦しみと悲しみがある、って言われた気がするわけで@@。だから、彼らが真に私に送りたい曲は「ジェリコ」である。それは私や蛇の兄さんにとってはご先祖のことを歌った歌であるし、自由のために戦う歌であるので、私たちに相応しかろうと思う、って言ってくれるわけで。そして、そういう自分たちの気持ちがちゃんと神に届くかどうか、通じるかどうか、とにかく昨今の神は「目がよく見えていないから」心配だ、って心配されていた気がするわけで。蛇の兄さんは「たとえ、その目が全く見えていなくても、神は愚かで何も分からない人ではない。」って言ってくれていた気がするのですが。ともかく、昨年末からの音源騒ぎでいろんなことがあったけれども、ヒップホップの兄さん達は頑張って良い仕事をしてくれたんだなー、と思って。みんな、この特番につながる一連の出来事だったんだな、と思って。
あとはもう、個人的なネタが多いというか、ジャズというのはアメリカのブラック・ミュージックの中では古典的なものに入るので、割とヒップホップな兄さん達のことを「北部の不良」とかって言っているおじさま達が多かった気がするわけで。兄さん達の方は逆におじさま達のことを「古くさい年寄り」とかって言ってた気がするのですが。でも、私には「ジャズもヒップホップも区別ついてないでしょ?」って突っ込みが来るわけでー;。どこがどう違うのかって言われたら、あんまり良く分かってません、すみません、って思うわけで;;。でもって、私の音楽の師匠が、ごくクラシック好きで、中世の舞踏曲なんかでお勉強させていることが知れ渡っていて、「なんで、そんなにクラシックが好きなのに、ドラマーなんかやっているんだろう?」って突っ込まれたりとか-;。あと、クラリネットの先生は、「東洋人だったら日系とか、コリアンとかチャイニーズとかって出身によって呼び方があるのに、自分たちだけ纏めてアフリカ系って言われても、アフリカは広すぎて馬鹿にされている気がする。とってつけたようにそんな呼び方をされるくらいなら、昔ながらにニグロって呼ばれた方がまだマシ。」って呟いていた気がするわけで。
悪意に満ちた「死への憧憬」を煽るような作業に協力しなければ、生きてもいけないような、そこは多くのアフリカ系の人々にとっては、未だに「故郷」と呼べるような場所ではないんだな、と思う。そして、こうやって回りくどく、手の込んだやり方で伝えようとしなければ、思っていることを伝えることすらも難しいほど厳しい状況にいるんだな、と思って。でも、他に戻る場所もなく、安心して暮らせる「故郷」というものを失ってしまった人々にとって、いつかその地で真に「故郷」と呼べるものを勝ち取れる日が来れば良いな、と思います。そして、おかしなことに協力しなくても、のびのびと生きていけるようになってくれれば、と思う。(でも、ジェリコに関しては、富の王家なんかは、「自分たちは元々遊牧民だから、決まった「故郷」なんてものはないよ。」って言う気がするわけで。そういうノリだから、移動を繰り返してこんな東の果ての島国まで来ちゃったんですね? っていうか、遊牧民にとっては住まう場所とは、常に「戦って勝ち取るもの」なのだろうか、とそんな気がするわけですが。)ともかく、見えない目、聞こえない耳でも、この程度には何とか見聞きできるようになりましたよ、ということで。