昨夜は特に夢も見ず。本日は午前中の天気が雨の予報ということで、暖かいのは良いけれども作業ができそうな気がしなくて。案の定現場に出かけると、絶え間なく雨が降っているので、このままだと土を掘れば、掘ったはじから泥まみれになっていくだろうな、と思って。ということで、今日の作業はお休みにして。工事の人は、「明日は休み」と言っていましたので、思っている以上にこちらがしっかり掘ってしまって困っているんだな、と思って。だいたい、こちらがあたふたして振り回されている時には、ものすごく急いで作業しようとするくせに、こちらの方が順調だと、すぐに休みなってしまうので。
午前中はなんだか寒いので、毛布にくるまっていたらうとうとしてしまって。どうも、蛇の兄さんと私とでは、子供に対するお互いの態度が、相手の予想の斜め上を行くらしくて、「なんでそんなに子供好きなのさ?」って言われる気がするわけでー;。そんなこと言われましても、赤ちゃんにちゅーするかしないかで、半世紀も年下の赤ん坊と喧嘩することないでしょうがーー、と思うわけで;;。私に直接突き当たってこなくても、機嫌が悪くて仏頂面してる人と一緒に暮らすのもどうなの? と思うわけで。そうすると、男らしくて豪快な7番目の子のことがなんとなく浮かんで来て、なんだか同情されている気がして。うとうとしていると、KinKi-Kidsの「フラワー」とか「薄荷キャンデー」がかかると目が覚めるわけで、7番目の子に「自分の歌だし、自分がついているから。」って言って貰える気がするわけで。で、作業がお休みなので、一日これ幸いと寝だめしておいたわけです。
でもって、嵐の動画とか見ていると、兄さん達から「親子だっていっても、お互いに気に入らなければ喧嘩くらいしたってどうってことないでしょ。そこんちはちょっとハードだけど、どこの家でも多かれ少なかれ似たようなことはやってる。」って言われる気がするわけで@@。そして「困るのは大人の悪知恵で、いろいろと策略を練られることで、そういうことは負けないで押さえていかなきゃいけない。」って6番目の子に言われる気がするわけでー;。子育ても大変だー、と思ったのですが。どうもなんとなく思うことですが、古代から続く「母系制」とは、「女族長とその家臣集団」が一族の頂点に立つこと、であって、「女族長の夫」は「家臣」でない限り、「よそ者」扱いだよね? と思うわけで。女主人にとって重要なのは、「夫」ではなくて自分を守り支えてくれる「家臣」なんだ? と思うわけで。(もちろん多夫制なら家臣の中にも夫がいてもおかしくないわけですが。)6番目の子は、政治的には典型的な古典的集団を作るつもりですねえ? と思うわけで。蛙の王家の婿も、蛇の王家の婿も、基本的には「よそ者」であって、太陽女神が誰を養子にして、何に重点をおいてやっていくかは、女神と自分たちで決めていくつもりなんだなあ、と思うわけで。でも、女神のやらなければいけないこと、とは結局のところ、「公務」よろしく「会いに来て欲しい」って要請が来るところに会いにいくこと、それから「こういう曲を作って欲しい」という要請が来たら、求められたものを求められた音源を作ること、ということで。音楽とか楽器というのは、元々「神に属するもの」と考える文化が多いわけですし、そうして、誰の要請でどんな音楽を作るのか、ということが「神の意向を示すこと」になるし、それが「祭祀」ということなんだな、と思うわけで。でもって、週刊誌にも書いてありましたけれども、皇室というところは、「天皇」中心のところであって、上皇や皇太后でも、公の場では天皇・皇后の下座につかなければいけないところで、そういう身分の順番はものすごくしっかりしているところらしいので。時代は、年末か来年早々の新帝即位に向けて動いているわけですが。上皇や皇太后は、退位したら新帝と新皇后に遠慮して、公の場にはあまり出てこないだろう、と言われているわけで。言い方を変えれば、新帝と新皇后の下座につきたくなければ、そうするしかない、って言われる気がするわけで。蛇の目を持つ新帝と、蛙の一族から立った新皇后の後見をするのは、両家を代表する武蔵守ということになっている、って言われている気がするわけで。言い換えれば、その頃までには家は建っているだろう、ってみんな思っているのですよねえ? と思うわけで。なんだか不思議な気はするわけですが、世の中はそんな風に進んでいるわけです。