昨夜は特に夢も見ず。本日も現場に出かけたわけですが、どうにも楔の石が取れないのが気になって。しかも、進んでいないわけではないけれども、あまりにも作業の進行が遅いのも気になって。ともかく、奥の方から次々と大きな石が出てくる上に、その下や周囲から有刺鉄線とか、ビニールのごみとかがたくさん出てくるので、石を取って、きれいにするためにごみを取るとまた新たな石が出てくる、の繰り返してなかなか一カ所から動けないわけです。しかも、楔の石が、だいぶ周りを掘ったのに動かなくて。で、親と話しているうちに、新しいバールを買いに行こう、ということになって、長くて軽めのバールを買ったわけです。で、現場について、早速それでこじってみたら、動かなかった楔の石が、動いてごろっと取れてきて。続いて、その上にあった石も取れて。奥にあるほど大きな石なわけです。で、次にその下に埋まっている有刺鉄線を掘るぞ-、と思ったのですが、なかなか全体がつかめなくて。で、強く掘ると途中で切れてしまうわけで、石の下にも敷いてあるわけですが、もっと長く横にまっすぐ埋められていて。で、それを掘っていたら、その向こうにナンテンの太めの幹が出て来て、有刺鉄線と十字になるように埋められていて。奥に行くほど、気合いが入っておかしなゴミが埋められている、と思うわけで。
で、音源を漁っているうちに、アメリカンでヒップホップな兄さん達と仲良くなったわけですが、でも私はヒップホップとかやらないし、この先も音楽の趣味的にあんまり縁のなさそうな世界、ということで。だったら、自分達の品物は買わなくてもいい、自分達は乞食じゃないんだから、用のないものに無理してお金を使ってくれる必要はない、って言う気がするわけで。でも、応援してくれるお礼に、黒人霊歌を一つ打ち込みで作って欲しい、って言われる気がするわけで。ヒップホップにもご縁がないけれども、そちらにもあんまりご縁がないぞ? と思ったのですが、一応ネットで調べてみて、どの曲がよろしいですか? と検討して。その結果、「ジェリコの戦い」という曲にしよう、ということになって。楽譜もネット上で検索して、只で見つけることができたのですが、この曲は元々誰が作詞作曲したのかははっきりしなくて、伝統的に「黒人霊歌」と呼ばれていたり、アフリカ系アメリカンの音楽であるジャズの曲であったり、合唱曲として有名な曲ということらしくて。メロディを聴いてみて、確かにサックスとかで演奏したら似合いそうな曲だと思ったわけですが。で、ダウンロードした楽譜を打ち込んで、で、その楽譜を見たら「Negro Spiritual」って書いてあって。日本語の「黒人霊歌」というのは、単純にこの「Negro Spiritual」という言葉を日本語にしただけなのだろう、と思うわけですが、でも「Negro」という言葉は差別用語だよねえ? と思って。この曲の別の楽譜をダウンロードしてみたら、「African American Spiritual」ってあって、そのまま訳せば「アフリカ系アメリカ人霊歌」ということになるのだろうと思うのですが、こちらの方が適切な表現なんだろうな、と思って。なんというか、伝統的な彼らの曲を扱って、いろいろにアレンジしていても、差別意識を持ってそういう作業をしている人もいるし、そういう意識は一言二言の「言葉」の上にはっきり現れてくるんだなあ、と思って。「Negro」という言葉は露骨な差別用語だけれども、でも伝統的な音楽のジャンルとしてそう呼ぶから、そう呼んだだけ、って言い逃れできる問題といえばそうでもあるわけで。みんな、そういうささいな言葉遣いにまで、良くも悪くも「自分の考え」というものを主張してくるし、それを読み取らなければならないのが欧米社会でもあるんだなあ、と思って。
でもって、「ジェリコの戦い」というのは、旧約聖書に題材を取った歌であって、古代エジプトから抜け出した古代イスラエルの人々が、カナンの地にたどり着いて、人々を導いていたモーセが亡くなり、後継者であったヨシュアがカナンの地の攻略のために最初に攻め落としたのがエリコ(英語では「ジェリコ」)の町であったので、その戦いのことを歌った歌なのですが。でも、それって客観的に見て「侵略戦争」なんでないの? と思うわけで。かつてのアメリカで奴隷として苦しんで来たアフリカ系の人々は、この曲にいったいどんな思いを込めて、歌い継いで来たのだろう? と思うわけで。そうしたら、それは古代エジプトで奴隷として苦しんでいた、と書かれている古代イスラエルの民に自分達を準えて、戦いを経ても安住の地を得たい、という思いが込められているし、我が家に送りたいと思う気持ちの中には、敵と戦って安住の地を得て欲しい、という思いや、攻略されて穢れた死の町と化したエリコの町の上でも古代イスラエルの人々が安住を得たように、床下に穢れが詰め込まれていても、その上に住まう人達が安住できますように、っていう祈りや願いが込められているもの、って言われる気がするわけで@@。それでその曲なんだー、ちゃんと意味があって送ってくれているし、意味があるから作って欲しい、って言われるんだ、と思って。でも、私もまだまだ全然駆け出しの初心者なので、音楽家の兄さんからは簡単な曲でコード(和音)の勉強をするように、って言われるし、蛇の兄さんからもコード進行を覚えてしまえば楽、って言われる気がするわけで。コードとかそういうものにも今までの人生の中ではあんまりご縁がなくてですねえ?? って思うわけで、Cのコードがドミソということと、あとはそれを基準にして音階が動くごとに名前がついているっていうことくらいしか知らないわけなのですがー;。ともかく、ピアノの伴奏がついている楽譜とインターネット上の解説サイトを見ながら、少しずつやっているわけで-;。ピアノをかじったことがあるのなら、コードのことをもっと知っていてもおかしくないかもなのですが、あんまり習ったことはないわけで。ギターを弾く人にとっては、基本的なことなので、蛇の兄さんなら良く知ってるんだろうな-、とは思う訳なのですが。
で、もう一方、おドイツの音源屋さんから、古いドイツの民族楽器の音源を買ってみたわけなのですが。こちらのお店はお店で、かなり独特であって、お金を払っても品物が来ないので、わざわざ督促をしないと手に入らない-;。しかも、ものすごくお威張りになってらして、「うちの音源を買うなら、楽器の教則本くらい買え。ちゃんと勉強しろ。」とかって「目の力」で言ってくる気がするわけで@@。そのかわり、そこんちのお品に込められている「魔力」は超一流って言われる気がするわけで@@。お客に対する態度が図々しい上に、図がものすごく高いのですけれども? と思うわけで。ヒップホップな兄さん達が、「古楽器の勉強よりも、自分達が先に曲を打ち込んで貰う約束をしてる。」って言ったら、「黙れ、小僧。」って言われたとかで、プライドが高くて図々しい西欧人の典型、って兄さん達が言ってた気がするのですが@@。で、出かける前にちょっとだけその音源を聴いたら、なんだか「乾いた音がしてる」という気がして。そうしたら、「日本と違って湿度が違うんだから、乾いた音がするのは当たり前」って言われた気がして@@。機械で人工的に作っている音ではないし、石油系の合成素材を使わないで、昔ながらの素材で作って再現した楽器を作ったら、湿度というモノにものすごく左右される「音」がするのは当たり前、私は湿度の高い環境で「音」を聴くのに慣れているから、大陸の乾燥した空気の中で演奏する楽器の音が「乾いて」聞こえるのは当たり前、って言われて@@。そういうものなんだーー、と思ったのですが。でも、そういう古くて素朴な楽器の「音」を我が家に送る意味は? と思って。そうしたら、西欧社会はキリスト教が長い間弾圧されていた日本と違って、キリスト教が好きであろうが嫌いであろうが、キリスト教に改宗しないと生きてけないような時代が長く続いてきたし、それはアフリカ系アメリカ人の兄さん達の歴史も同様であって。だから、日本の「隠れキリシタン」はいかに、日本の伝統の中に紛れ込んで「キリスト教徒」であることを隠れて表現しようとしてきたかに心を砕いてきたけれども、西欧はその逆で、人々は言いたいことがあっても言えないし、そういう思いや気持ちを表現するときには、わざと聖書を題材にして述べたり、言葉にできないことはただ音楽のメロディによって表現してきたから、古くて表現の自由がない時代の楽器ほど、心の内の言葉や思いを自在に表現できるように、という「魔力」が込められている、って言われる気がするわけで@@。だから、人々は自分達の素朴な楽器で音楽を表現しながら、言葉も出さずに戦ってきた、ってそう言われる気がするわけで。古い楽器にはそういう人々の言外の祈りや願いが込められているんだなあ、と思って。で、とあるお店に行ったら、商品のポスターが貼ってあって、そこに映っている人が、ヒスパニック系だと思うのですけれども、急に「目の力」を使って話しかけてきたわけで@@。今までこんなことなかったのに、これも音源の「魔力」のせい? と思って。それが、今日一日、一番びっくりしたことであって。
で、家に帰ってからは、「VS嵐」の続きを見て。6番目の子を見ていると、やはり私の分身の蛙の子がぐてぐてとしてしまうわけで。その人もいつも一生懸命「目の力」を送ってくれているなあ、と思ったのですが。