昨日は「お仕事」があって、年寄りのじいさんの職人さんたちが来て、一日もたもたと仕事をして、遅くになって暗くなってから帰ったわけで。
で、なんだか医学部時代のことが、ものすごく思い出されて気になるわけで。あったことを、ありのままに日記に書いたら、親に怒られるわけで。で、しかも「お前は親を恨んでいる。」とか「姉の方は構ってやれなくてかわいそうな子だけど、お前はそうでなかったのに。」とか言われたわけで。ありのままのことを書いて「恨んでる」って言われても、困るわけですが、だいたい自分だって自分の親のことを嫌っているくせに、なんで自分が親にやられたことを、自分の子供にやっていい、って思うのですかね? 子供の将来を勝手に決めるような親を恨んでいるなら、自分は親と同じことをして、親に対する復讐を子供に果たしていただけなんじゃないの? って思う。私が、自分の将来に対して、破綻しか見えなくて、穏やかに真面目に話し合おうとしていた10年の間に、私が言ったこと、私にとっては100回も1000回も言ったように思えることを「何も覚えていない」って言われて、恨むとかっていうよりもただただ「虚しい」10年だったな、って思うわけで。そういうのを「無視」と言わずして、なんて言うの? と思うわけで。そうして、10年の間、無視され続けて、しまいに自殺願望が出て、もはや穏やかなやり方では破綻しかない、って分かったから「辞める」って、それこそ妥当な「医者」の判断でそうしたわけですが、そういう当たり前のことを言える自分でいるために医師免許を持っていて良かった、自分を助けるために医師免許を持っていることが役にたって良かった、なんて思ったことはないです。だから、応援って、何を応援? っていうか、助けてくれたことは「ありがたいこと」と思うべきなのかもしれないけれども、それでその前の10年にあったことは、何もかも「なかったこと」でいいんだ? 自分が覚えていないから、ってそれだけで済ませるの? って、それが釈然としないだけで。そんな10年は、できうればなかった方が、どちらにとっても良かったのだと思うだけだ。
あとは、もう姉のことは、私にとっては、その人は「手のかかる子供」だったので。結婚する時も、別れる時も、私は巻き込まれて、振り回されて、家族のために尽くしすぎて、体を壊して勉強にも集中できず、結局留年してしまった。その時も「留年して良かった」みたいなことしか言われなかったし、家族のためにボロボロになるまで尽くしてくれて、ありがとう、とかそんなこと言われたこともなかったし。それに、当時は「家族とはそうやって尽くしあうもの」って思っていたし、自分が家族を守らなきゃ、って思っていたので、家族とは、死ぬまで相手に尽くしても感謝なんかひとかけらもしなくて良いもの、だってそう思っていたし、それを実行して生きていた。いつも、何をやっても、感謝なんかされたこともなかったし、そういうものだと思っていた。居候していた叔母のこともそうだし、追い出すために母親にずいぶん協力は私なりにしてきたつもりだったんだけど、なんだかそれもいつの間にか親が一人でやったことになっていそうだし、っていう気がするわけで。だいたい、家の駐車場に断りもなく車を止めていた図々しい従姉妹をクラクション一発で追い出したのは誰だと思ってるの? そういうことの積み重ねで、あの疫病神を追い出せたんじゃないの? って、まあ、そのことももう覚えていないか、自分がやったことだと思ってるのかもしれないけれどもさ? と思うわけで。別に感謝なんかしてくれなくていいです、どんなに常識の範囲を超えて家族に尽くしても、お礼なんか言われることは期待しないのなんか当たり前のことだし、「頭がおかしいと思った」って言って済ませればそれでいい、ってそういうのが常識な「家」で自分は育ってきたのだと思うわけで。普通、姉の結婚の問題で、なんで妹が自分の体を壊すまで心身疲弊するまで尽くすのが当たり前、なんて一般常識的に誰も思わないと思うし、そういうことは子供も同然の年齢の者に押しつけるような問題であってはむしろいけない問題だと思うわけで。歪んだ家の歪んだ価値観で、自分が死ぬまで家族に尽くして感謝されないのが当たり前、だと思っていたころは、確かにその点では「頭がおかしかった」のかもしれませんが。そんな様をたけておいて、姉のことは「構ってやれなかった」って言うんだ? 私には体を壊すまで「構わせてた」あげくに感謝の言葉の一つもなかったくせに? と思うわけで。
で、こういうことは過去のことなので、自分でも普段は気にしていないし、木にもしていないわけですが、なぜか一昨日、昨日あたりはものすごく気になっていて。工事が再開されそうなので、敵が「目の力」を使って、家の中をひっかき回そうとしてるから、気になるのかなあ? と思っていて。で、2,3日前に、母親の同級生、とかって名乗る人から家に電話がかかってきたそうで、しかもこちらが邪険にしているのに、2回もかけてきたそうで。で、母親の方が「○○さんかも。」みたいなことを言っていて、それがなんだか懐かしそうな口ぶりだったのが、なんだか引っかかっていて。この時期に唐突に接触をはかってくる相手なんて警戒しなければいけないのが当然なのに、なんだか懐かしそうな口ぶりであって。なんで? って思っていて。だから、親が昔のことをいろいろと言うことも理不尽だと思うけれども、昔のことが気になりすぎる自分自身も理不尽だと思うわけで。何もかも理不尽過ぎて、釈然としない気がして。でも、今日は「お休み」だから、録りためた録画を見ていて。昨日「しやがれ」も見ないで済ませてしまったし、と思うわけで。兄さんたちから、ピリピリしすぎるのは「マリッジブルー」ってやつなんじゃないの? って慰めてもらったわけで、「マリッジブルー?」っていうか、言いたいことはそれだけ?? と思って-;。で、その後に涼介君主演の「カインとアベル」を見ていて。基本的に、ドラマというものは結縁の流しているだけで、内容はあんまり見ないわけです。だいたい、タイトルからいって明るい内容のドラマでもなさげですし。でも、途中で「私の大学の同級生と同じ名前の登場人物」が出てきて、そこのところだけ「えっ?」って思ったわけで。偶然なわけがないよねえ? ということで。それで分かった、というか、電話の相手が本物なのか、偽物なのか、ということはどうでも良くて、敵は親に対して、その世界のことを思い出させるように、仕掛けてくるし、親にとっては悪いことだけではなかった世界であって、「行って、役に立って良かったと思っている」世界のことだから、まず親にその世界のことを思い出させて、「良いところもある」みたいなことでも良いから、何か巻き込もうと、敵が必死になっているんだな、と気がついて。そうやって、しまいには私を呼び戻そうとあからさまに画策しているから、そこでどんな風に殺されそうになったのか絶対に忘れないように、という強い警告が味方からも来てるんだな、と気がついて。これが、自分でも釈然としない「理不尽さ」の原因だ、と分かったわけです。医師免許があるんだから、それに相応しい「医者としての良心」はあると思う。そこから逃げだすために、そこで得た知識は最大限に利用したわけだから、別にそこで得た知識が自分の人生の役に立っていない、とも思わない。でも、そんな程度のことではおつりにも間に合わないくらい「行って、自分の首を絞めるのに役に立ちすぎて、相手が今でも首を絞めたくて追いかけ回してくれているところ」なわけだから、現実的には「行って、役に立って良かったと思っている」って言われることすらも私は苦痛だし、それだけでも味方から見れば警告が出るくらい危険な状況であるのだな、と気がついて。でも、兄さんたちの「警告」はけっこう荒療治でこちらも振り回されちゃうからなー、と思うわけで-;。私にとっては、そこは「行って、役に立って良かったと思っている」と、言えるような場所には一生ならないので、それも言わないでいてもらいたい、ってそれだけのことなんだなあ、と思って。だいたい、医療を「仕事」とするから資格が必要なのであって、知識が欲しいと思えば、資格とは関係なく自分が勉強すれば良いだけであるので、そこは「知識が得られて良かった」などと言える場所ではない、と言われる気がするわけで。なんだか知らないけれども、親にはそういう場所に「良い印象」を与えるように、ってそういう印象操作も念を入れて、何十年もやられてきたんだなあ、と思うわけで。だから、「子供を産婆に」とか云々っていう話も「敵が吹き込んだ」ものなんだなー、とようやく今更ながらに気がつくわけで。なんで、敵が「医者に」って吹き込まなかったのかが、今になって分かるわけで。だいたい、母親の実家がどんなに貧乏であろうが、大学に行くには学費が必要で看護学校にはそれがないから、とか、女の子だから、とかそういう理由があろうが、実の親にその気があって、当人にその気があったら、医者にだってなれたんじゃないのか? と言われる気がするわけで。でも、敵はそういう風には吹き込まなかったし、物事をそういう風には運ばなかった。なぜなら、母親を医者にしてしまえば、その世界のことを詳しく知ることになるだろうし、直接いろいろな業界内の人物に「コネ」ができるから、そういう状況では私を医学部に引き込んでも、追い込みをかけることが難しくなるから、ということで。だから、そういう「状況」は作らない。作れば医学部に行ってしまいそうだから。でも、その代わりに、「看護婦」にすることで、その世界に好意とか憧れとか持たせて、なおかつ直接関われないようにすることができたわけで。なにもかもが「罠」だったんだなー、と思って。
で、「しやがれ」の方ですが、二宮君のコーナーで、「子供」がどしどし出てきた気がするわけで。なんだか、最近、やけに兄さんたちと「子供」が絡むことが多くないですか? と思って。引っ越しをした先に、何があるのかは、私にも本当は良く分かっていないわけですが。でも、それとは関係なく、兄さんたちは、「手紙読んでる」とかそういうアプローチをせっせとしてくるわけで。「マリッジブルー」って言われればそうかも? というか、何それ? というか、そんな感じなわけですが。でも、涼介君のドラマから、敵の「必死さ」を感じ取って、「うーむ」と思った一日だったのでした。
でも、「しやがれ」の方はどうかなー? と思う。ゲストが高畑充希ちゃんであったわけですが、なんだか「外へ出れば最大の名前はウェスタ」って言われる気がするわけで。金のウェスタと銀のディアーヌはローマの双璧をなす女神なわけですが、そういう女神群を従えて押さえて、ユーピテルは神々の頂点に君臨し、世界に大きな影響を与えている、ということで。だいたい、ウェスタというのは、他の地域ではどういう神なの? と思うわけですが、それは下エジプトのウアジェト、メソポタミアのウットゥって言われる気がするわけで。確かに、それは古くて権威ある「太陽女神」の名前だ-、と思って。ローマ人は、だいたい「ローマは一日してならず」とかしか言わないわけで、出雲神族がどんなに頑張って敵と対抗しても、それは世界的に見れば一地方の一勢力にすぎないところがあるわけですが、ウェスタの人々、ディアーヌの人たちは、世界中のどこにでも根を張って広がっている、って言われる気がするわけで。ウェスタの巫女集団の本体がこちらに合流すれば、最大の支持勢力は誰がどう見ても、「ウェスタ」って言われる気がするわけで。
で、親には「薬学部に行った方が良かったのか?」と言われるわけで。それを兄さんたちに聞いてみたら、その点については、「仮定の話には答えは出せない。結局そこへ行くことで、どれだけ敵に振り回されるか、どこまで自分自身を守れるのか、ってそれだけのことだから、評価は後からでなければできない。」って言われる気がするわけで。でも、医学部については、医学部に行って、家庭はグチャグチャ、私の身の回りはゴダゴタ続きで、一番弱いところにしわ寄せがいって、現実に「自殺企図」が出るまで追い込まれて、しかもそうなった点について、未だに「そこまで追い込んで悪かった」っていう言葉が一言もでてきていないのに、それを「良い結果」って客観的に言えると思うか? って言われる気がするわけで。なんというか、そのとき家が「どういう気持ちであったか」「どういう状況であったか」ということはものすごく言われた気がするけれども、その結果一番弱いところに、家の中のごたごたの解決とかが非常に大きく押しつけられたあげくに、「頭のおかしい人」呼ばわりだけされたというか、されてることは、少なくとも私にとって全部纏めて、「良いこと」とは言えないと言うしかないわけで。別に言葉に出して謝ってくれなくてもいいのだけれども、「医者をやれ」とか「その世界に行って役にたって良かった」とか、そういう私にとっては、途方もないことを何かにつけて言わないでいてくれればいいだけなのに、って個人的にはそれだけのことなわけですが。なんで、それを未だに言われ続けるのだろう? とは思うわけです。それはとても不思議なわけで。でも、こちらが思い切り振り回されてしまうような、「強力」な警告を出してくる人、出せる人は一人しかいない、という気がするわけで。その人は、兄さんたちの中で、誰よりも「精神医学」というものに精通している人、って言われる気がするわけで。異常な状況、奇妙な現象があったら、それが「何」であるのかを徹底して追求しなければならない、というのは、それは精神医学だけでなく、普通の医学でも同じことなわけですが、特に精神医学は一人一人が抱えている環境とか状況が、それこそ千差万別なので、そういう分析が非常に重要とされる分野であって。医者としてのそういう手法は、その人に教わった気がする、というか、だいたい「知識のみが欲しければ自分で勉強すればそれで済むこと」ってばっさりと言うような気性の人は一人しかいませんやん、と思うわけで。だいたい、KinKi-Kidsというのは、CDデビューする前から、割と露出の多い場所に出まくっていて、当然歌番組にも出ていたから、割とデビュー前から知っていた、といえば言える、と思うわけで。彼らのプロモーションは1996年から盛んになって、CDデビューは1997年かー、だいたいその頃はいろんな歌番組だけは見てたよねえ? と思うわけで。だいたい、親なんか何を言おうが、利用できるだけ利用して、蹴飛ばして出てこい、だいたい、自分自身が自殺企図を起こすようなところまで追い込まれているのに、躊躇するような要素が何か一つでもあるのか? 穏やかな物言いで10年も心身を削って、助けて欲しいと伝えようと努力してきたのに、何の成果もでなかったのに? ってそこまでのことを強力に言ってくる激しい気性の人も、一人しかいないでしょ? と思うわけで。それでも、それだけの「目の力」を持っている人でも、石井と手を切らせるのには、何年もかかったし、苦戦してましたねえ? と思うわけで。意外なところで、意外な人が深く関わっていてびっくり、というか、でも、そういうことができる人は今にして思えば、一人しかいないわけですし。多くの若手の兄さんたちから「尊敬する人」と言われるのが分かる人ですが。でも、その人は人の「弱さ」に対して厳しい人であるので、本気出されると私も相当振り回される気がするのですが-;。