本日の日誌

昨夜は「Mステ」を見て。弘中さんがなんだかあまりよろしくない色のワンピースを着ていて。何かな-、と思って見ていたわけですが。で、桐谷君のお歌を聴いていたら、良いお歌だと思ったし、誰でも聴けば分かるような歌詞であったので、親でも聴けば分かるであろうな、と思って。ふと見たら、親がいなくて。それで「あれ?」って思って。Mステは生放送だし、生放送での結縁は一番大切だから、それだけは見るようにって、もう何年もそうやってきたのに、なんで見てないんだろう? と思って。お風呂のある日は、まあお洗濯とかあるので、仕方ないし、と思って見逃してきた点はあるわけですが。でも、今日はお風呂もないし、他に用事があるわけではないし、みんなでMステを見れると思って帰ってきたのに、なんで? って聞かれるわけで。電気屋さんの子蛙クンに、「上に立つ者は下の者を困らせてはいけない、って注意されたばっかりだよね?」って怒られるわけで。でも、だって私だってずいぶん妥協して、眠かったら寝ててもいい、って言ってあるし、トイレに行っているわけでもないし、起きて動き回っているわけだから、なんでなんだろう? と思って。だから、その通りに親に聞いたら、怒り出して、「石を拾ってきて疲れたし、だったら石は拾わなくていいのか。」って言われて。

こういうことを言われると一番困るわけで、だいたいなんで1週間に1時間テレビを見たら、石が全然拾えなくなると親が思うのか、その理由が私には分からないから、何を言って良いのか分からないわけです。それは、拾えれば拾った方がいいものであることは私にも分かるけれども、丁寧に拾っていたら一日の間にたいして拾えないものであることは分かっているけれども、でも、1時間テレビを見てたら拾えないってことはないよね? 敵のアナウンサーがこれみよがしに出ているニュースは毎日欠かさずに見ていても、石を拾う時間はあるのにさ? と思うわけで。どういう思考回路で、そんなびっくりするようなことを言い出すのかもさっぱり分からないわけで。

で、結局突き詰めると、私の言い方が「お願い」してないから悪い、上に立つ人がそんなんでは誰も言うことを聞いてくれない、とかって言われたことと、あとは、芸能人なんてヤクザも同然なんだから見たくない、みたいなそういう点であって。だって、芸能人が麻薬をやっているとか強姦したっていう事件とか良く見るし、って言われるわけで。いろいろと話はして、来週から見て貰えることにはなったわけですが。

でも、上が「お願い」しないと下って動いてくれないものなの? 上がお願いしようが命令しようが、職場では「下」は動くものだし、そもそも業務「命令」って言うでしょうが?? という気がするわけで。でも、親としては、一人で養護の先生をやっていて、なんでも一つ一つ先生方にお願いして納得して貰わなければ人は動くものではない、と言うわけで。同じ職場で働いている同僚に、仕事でするべきことを何でもはいつくばって「お願い」しないと聞いて貰えないのもヘンな話なんじゃないの? と思ったわけですが。しかも、親の思考回路の中では「上に立つ人(=王様)」は「搾取する人」なんだよねえ? 搾取する人が、搾取される人達に搾取されて下さい、って頭下げてお願いするんだ?? と思うわけで。そもそも親の考えている「上に立つ人」というものがどういうものなのかもさっぱり掴めないわけで@@。

部屋に戻ったら、兄さんからは、「そもそも職場で、一人で独立的に働いていたら、部下もいないんだから、部下もいない人のことを「上」とは言わないよね。」って言われたわけで。「そりゃそうだ@@。」って思ったわけで。自分に任された責任の仕事を一人でやっていて、その限りで同僚にいろいろと指示を出しても、それは職務の範囲でやっていることで、立場が上だからやってることじゃないよね?? と思って。まあ、せいぜいその点の職権に対して、特殊な資格を持っている上での仕事だから、特殊な資格を持っているという点では、やや特殊というか特権的な立場かもしれないけれどもさあ?? と思うわけで。兄さんからは、「「上に立つ人」っていうのは、要するに究極の雑用係だよ。みんな、自分の好き勝手なことしか言ってこないから。」って同情されたわけでー;。でも、下にいる人達のことは守らなければいけないし、その代わりに支えて貰っているわけで、私も人から「なんで?」って聞かれたことをそのまま言ったら怒られたわけだから、そもそも人が神サマに言ってくることそのものが特にお願いなんかしてないんだー、まあ、そういえば「して下さい」なんて言われた覚えもないけどさ、と思ったわけで-;。

で、芸能人の犯罪とか、薬物問題とか親があげつらったわけですが。でも、別に普通の人だって、悪いこともするし、薬に手を出す人だっていくらでもいるよね、と思うわけで。そもそも、芸能人とかスポーツ選手とか、有名人が犯罪を起こしたりした場合に大々的に報道されるのは、それを面白おかしく報道すれば、誰でも知っている人のことだから、結果雑誌とかが売れてマスコミが儲かるからだって分かってるよね? それとも、それも分かってなくて、犯罪とは芸能人だけがするものだと思ってるんだ? それしかニュースにならないし、ニュースだけ見ていれば世の中の動きは全て分かるから、ニュースでやっていることしか世の中では起きていない、とそういう思考回路なんだ?? と思うわけで。それで、結局自分自身の反省点として、私には親の思考回路が、全然理解できてないんだ、ということにあからさまに気が付かされるわけで。だって、なんでMステを見たら、石を拾う時間がなくなると思うのか分からないんだもん、と思うわけで-;。助けて貰ってるし、できるだけ協力して貰っているのも分かるわけですが。私には、親の思考回路がそもそもどうなっているのか分からないので、理解できないのです。だから、相手にも分かるように上手く言えないわけ-;。もちろん、私にしか分かっていないこととか、聞こえていないこととかはあるわけですが。でも、芸能人だけが犯罪者ではない、ということは神サマとかそういうこと何の関係もなくても、一般常識として分かるものだよね? というか、それも一般的には理解しにくいものなん?? って困惑してしまうわけで-;。それこそ懇切丁寧に統計とかまで出さないと納得して理解して貰えないことなんだ? それ? って思うと目眩がするわけですがー;。

そういう点では、父親の方はものすごく簡単で、単純に「ご飯をくれる人」=「いい人」って、ものすごく動物的というか、「千と千尋」の中の豚にされちゃったお父さんみたいな人そのままであるので、そちらには何の期待もしていないし、思考回路もそこそこ理解できている自信があるわけですー;。

でも、エフライムの王家の言いぐさではないですけれども、「敵を倒すには頭を潰してすげ替えるか、配下を一つずつ丁寧に潰して上を孤立させるしかない。」ということで。上にいる人に行ってはいけない所に行くな、というのはその結果上が潰されなければ、下にいる誰かが代わりに潰される、ってそういうことなわけだから。自分が医者の免許を取れて、知識さえ得られて、それで個人的に某かの役に立つことがあったとしても、それで良かった、とは言えないわけで。そうやってた自分を守るために、何人の人が無駄に死んでいってもそれで良かった、なんて私には言えないし、私までそんなこと言ったら、それこそ猛非難をくらうのは私なんですけれども?? と思うわけで。芸能人だから、変死したり、薬物に溺れたり、そうやって私たちのために潰された人は、軽蔑すべき人だから見たくないの? って思うわけで。それは「知らなかった」ということを前提にして言ってるの? 知ってても、味方でも「芸能人」だったら軽蔑すべき存在だから、いくら敵に潰されてもいいの? ってそれも私には分からないわけで。

お願いしないと下が動かないとか、さっぱり実感としては持てないわけで。そもそも職場だったら、下の者が命令で動かなかったら懲戒処分でしょ? と思うわけですが。だいたい、「下」の人達は、自分がその人達のことに気が付いても付かなくても、役目に沿って動くし、それが嫌ならそもそも「下」になんかつかないわけで。それは職場だって、どこでだって同じだよ、大きな組織では、上につく人が部下の名前の全員を知っているわけではないところだっていくつもあると思うけど、って言われるわけで。でも、上が無能で職場を維持できないほどにいろんな面で軋轢が出てくれば、下の者が泥を被って犠牲になるようなことはいくらでもある、「上」とか「下」の関係ってそういうものじゃないの? って言われて。それで気が付いたわけですが、私も親も、職場全員(場合によってはそれこそ国家ぐるみというような広い範囲)が徒党を組んでなにがしかを仕掛けてくるような、それこそ普通じゃない職場しか知らないので。上が責任を持って仕事をして、部下の仕事を評価したり、フォローしたり、育てたりする、(そして時には保身のために部下を犠牲にしたりする)っていうそういう「普通の当たり前」の職場って全く知らないかも、って気が付いて@@。どうも「上に立つ人」の認識が妙なのは、そもそも「まともな職場」の「まともな上下関係」って知らないからかも、ってはたと気が付いたのですが。人を動かすのにどうの、ということではなくて、上に立つ人は上に立つ人でしなければならないことがあるし、週に1時間生放送のテレビを見ることは、「しなければならない」ことなのに、「しなくても良いニュースを見れて、しなければならないMステは見れないのは、どうしてなのか。」ってどちらかというと、そういう問題なわけですが。人を動かすのに、お願いするのか命令するのかではなくて、1週間に1時間って要請されていることですら、いつの間にかうやむやにして見なくなってる。自分達のために命を賭けている人達に、そんなことすらしてやれないのは、非難されてしかるべきことなんじゃないの? と、むしろ私にはそういう声の方が良く届くわけです。だから、私たちが「自分はいつ死んでもいい、どうでもいい」なんていうのは、自分達を命をかけて守ってくれている人達が「いつ死んでもいい、どうでもいい」って言ってるのと全く同じ事で、なんで他人のことを「いつ死んでもいい、どうでもいい」って言えるのさ? みんな敵じゃなくて、味方なのに、って思われるだけなわけで。NEWSだけ見て、なんで「味方は全部見た」って思ったのか、そうえいばその理由も私には分からないし、だいたい「服装が大事」っていうと、今度は服装の話ばっかりで、テレビの中の人達が話していることとか、やっていることも全然聞かないんだよね、まるっきり落ち着きがなくて授業が全然聞けない子供みたいになってさ;、って思うわけで。なんだか、それすらも自分では気持ち悪く感じるわけで。それこそ、できの悪い子供がやるんじゃなくて、家族がやっていることなわけだから;。学校でだって、そういう子は問題児の部類だよねえ? と思うわけで。でも、親の思考回路が私にも分からないので、私も何て言っていいのか分からないのです。親は「王様というものは搾取するもの」って思っているし、「人の命もどうでもいい」って結構口走るし、本当の本音で、自分自身が人の命をいくら搾取しても、自分達のために頑張っている人達は軽蔑すべき存在だから、見たくないって思って見るのを止めてしまったら私には説得する材料がないからです。

だから、何も分からなくてもいいから、1週間に1時間、ただ黙って見るだけ見て欲しい、ってそれしか言えない。でも、そこで命を賭けて頑張っている人達に対して、軽蔑するようなことも侮辱するようなことも言って欲しくないのなんか当たり前じゃん、あまりにも失礼すぎるんじゃないの? それこそ上も下もないでしょ、ってそれもうまく伝えられないんだあ。なんとしても、私には親の思考回路が、そもそもさっぱり理解できないのです。なんで、自分達のために命を賭けて守ってくれている人のことを非難して、その一方で自分が知識があったから生きてこれた、みたいなこと言うのだろう? 医学部に行って生き残れなかった大叔父は京大まで言っても、医学的知識はなかったんだ? って思うわけで。その人は、総本家にそれだけ頑張って守る価値のない人間、優先順位の低い人間、だと判断されたから守って貰えなくて死んだのだと思うわけです。「王族」ってそういうものなんだあ、と思うわけで。でも、いろんな隠れ蓑に隠れていて、こちらから正面切って乗り込んで言っても話にもならないし、できないようなところにちゃっかり隠れて指図だけ出してるんだあ、と思うわけで。だから、総本家の意向に従って動いていれば、それだけで守っては貰える、「太陽女神」の名前を貰えれば独自の家臣もつくから、その人達にも守って貰える、そうやって何でも「優先順位」で決められてるだけなんだよ、って思うわけで。優先順位の低い順から切り捨てられていくわけです。そして、最悪最低の場合、頭である「本家」そのものだけは残るように工夫が凝らされているわけで。

だから、誰でも彼でも基本的には「怒り」で動いているだけなわけです。総本家に切り捨てられた大叔父の残された家族は、そのおかげで「しなくても良い苦労をした」って言って怒ってる。だから、その子孫は、敵に協力して、敵の神の名前を貰い、我が家を潰そうとしてる。なぜならば、私が、総本家にとっては自分達の次に「優先順位」の高い駒だからです。「優先順位」の高い駒を潰せば潰すほど、総本家は弱まるからです。それで従兄弟は、常に「怒って」いるわけだ。なんで、怒っているのかと言えば、端的に復讐を望んで怒っているわけです。まあ、従兄弟じゃなくて、誰が工事したとしても石だらけにはされるんだけれどもね? と思うわけで。その人には、こちらに顔向けできないようになっててくれれば、それでいい、と思うわけですが-;。

本日の日誌

昨日は、「Japonism」のDVDをちょっと見て。で、親がチケットはいくらくらいなのか、とかお客さんは何人くらい入っているのか、とか聞くので思ったままに答えたわけです。まあ、なんでそんなことを聞くのか? とは思ったわけですが。でもって、プロデューサーの潤君が才能あるとか言い出すわけで。それもまあ、ちょっととってつけたようなことだなあ、とは思ったわけで。で、そこまでなら気にしなかったわけですが、最後に「こういうものを見に行くなんて、お前は鬼子だ」とかって言い出して。まあ、別にそれで兄さん達のいる世界を理解できて、最後には兄さん達と結縁していくことの役にたっているんだから、結果的にはいいことだったでしょ? と思って、それ以上には気にしなかったわけですが。まあ、私自身はライブ会場のあの臨場感もけっして嫌いではないですけれども、現在のところは、せいぜいこういうものを見るのはDVDの留めておくべきだし、いずれそういうところへ連れて行くことがあれば、「敵の目」が周りにうじゃうじゃしている客席なんかには座らせない、って兄さん達は言うでしょうねえ? と思うわけで。別に楽しむために見ているわけではなし、兄さん達とできるだけ結縁するために見ているのだし、そういうものを通さないと兄さん達と話ができないのは親だって知ってるでしょ? というくらいにしか思っていなかったわけで。

でも、自分の部屋に戻ったら、なんだか「ARASHI BLAST in Hawaii」を見たくなって。見なければいけないような気がして見てみたわけで。嵐の15周年のハワイライブは2014年の秋に行われて。それは本当に4番目の子が決まった直後であって、嵐の兄さん達が出入りし始めた頃であって。いわば、本当に私と6番目の子が出逢ったばかりの頃ですねえ? と思ったのですが。それを見ていて、ふと思ったのですが、親は結局チケットが1枚いくらで、いくら儲かって、そうして兄さん達がいい生活をしているとか、そういうことしか見てないし、考えていないんじゃないのかな、と気が付いて。だから、そんなところにお金をつぎ込むことも非難しかしない、ということで。

なんというか、みんなステージの上では楽しげにしてるけれども、これはそんなに簡単な仕事じゃないし、基本的には体力勝負の仕事だし、みんな睡眠時間を削って、私生活に費やす時間も削れるだけ削って働いているわけで。そして、その結果、兄さん達は良い生活もしているかもしれないけれども、でも、その一方で兄さん達の稼いだお金は、「代償」を支払うために十数億という単位で、まるでどぶに捨てるかの如くに使われてもいるわけで。それは、表向きだけのことであれば、うまくやれば捨てなくても済むお金であるのに、ただただ捨てるためだけに捨ててるようなものだし、その世界を知ってる私には、そういうことは別に「目の力」ではなくても、あからさまに見えてるわけで。ハワイのライブは、みんな楽しげに笑っているけれども、二宮君は持病の腰痛が悪化していて、立っているのも辛かったはず。それでも、みんなお金を捨てるためだけに働き続けているようなものなわけで。お金の話をするのであれば、まずは真っ先にそこを見て欲しいし、みんなそんな真似をしてまで取り戻したいものがあるのだということを分かって欲しい、って思っている人は多いんだなあ、と思って。敵であったら、そうやって使った「お金」は、全部我が家の「借金」につけて、「返せ」って言って大騒ぎすることは必定なわけですが-;。兄さん達は、誰もそんなことは言わないし、ただ「自分達のところに戻ってきてくれればいい」ってそれだけのことしか言わないわけだから、まずはその気持ちを分かって欲しい、別に誰もとってつけたように誉めて欲しいわけではないし、別に表向きのプロデューサーとしての仕事なんて、6番目の子の真に誉めるべき才能でもないし、真の恐ろしさでもないんで、って言われる気がするわけで@@。

なんか、それこそごく普通の庶民レベルの声なき声が、聞こえるようになってきましたねえ? と思ったわけですが。まあ、でも誰かが誰かを大切に思うっていう「真心」ほど伝わりにくいものはないんだよ、特に見えもしなければ聞こえもしない人には、と思うわけで。結縁はリスクを犯しても続けなければならない、とそれだけのことなわけですが。まあ、でもそんなに金勘定が好きなら、チケットの代金がどうとかではなくて、兄さん達が支払っている「代償」の金額にも目を向けるべき、とか言えるかもしれないね、とその程度なわけですが。実際、チケット1枚だってただで売れるわけではないので、そこから上がった利益を、誰かのためにどぶに捨てるようなことは、生半可なことではできることではないと思いますのでねえ、とそうなるわけですが。(しかも庶民レベルの人達が「神」に祈り願ってくれることとは別に、どこの「王家」も人が外へ出たら、まずは自分達のために働かせようとしてじたばたしてるのも事実な気がするわけですからー;。)

冥界神は、人の生殺与奪の権限を持っているからこその「冥界神」であって。人の命を奪うこともするけれども、死者を蘇らせることもできる。私と6番目の子は、まだ生まれてきてもいない子供の命を今日救った、って称えて貰える気がするわけで。まるで、冥界神のハーデースとペルセポネーの夫婦のごとき言われようですねえ?? と思ったわけですがー;。むしろ、そういう努力をすること、できることが希有だなんて、言われることの方が妙なのではないのですかねえ? と思うわけで。まあ
庶民階級の人には誉めて貰えるかもしれませんけれども、えらい人達にはしばらく文句ばかりいわれるのではないのですかね? と思ったのですが(苦笑)。

ということで、エフライムの王家の方は、自分達から無理を言ってよその家から引き抜いてきた神サマに頭は上がらない、ということで。6番目の子は、自分個人にとって「どうでもいい子」であっても、私にとって「どうでもいい子」でなければ、自分にとっても「どうでもいい子」ではないから、って言ってくれるわけで。古代における神サマというのは、いろいろな動物のトーテムを持っているのであって、古代エジプトにおけるイシス女神は狼、ネイト女神はライオン、と決まっているわけですが。犬(狼)というのは、愛情深く忠誠心の強い動物であって、仲の良い仲間が死んでもものすごく落ち込んでしまうし、主人が死んでしまえばいつまでも帰ってくる主人を待ち続けている、というような性質があるわけで。要するに、「犬」をトーテムに持つ神サマの名前を貰う人は、犬のように愛情深く、戻ってこない主人のことを納得できないし、諦めることもできない人、って言われる気がするわけで。で、一方ライオンとか猫のような肉食獣は、子供に対する愛情が深くて、狩りもするけれども、場合によっては異種族の子供も我が子のように可愛がる性質がとても強い、ということで。各地の「王家」が「獅子」を紋章にするのは、雌獅子のように、同族(すなわち王族)だけでなくて、他部族(庶民とかそういう人達)も、同様に我が子のように愛情深く接する、という意味であって、そういう神サマの名前を貰う人は、猛々しいけれども、小さいモノに対する本能的な愛情が強い人、って言われるわけで。本当に、まるで古代エジプトの太母ネイトのような気性だねえ? って言われる気がするわけで。一方のイシス女神の方は、殺された夫のオシリスを蘇らせようとして、エジプト全土を彷徨った女神、ということで、何としても失った大切なモノを取り戻さずにはいられない、そういう気性の象徴を「イシス」というらしいのですが。そういえば、そっちの才能は、丸っきりないって言われていましたねえ? と思うわけで。私の場合は、どう見ても死んじゃった人はそのまま死なせておいて、残っている人は生きている自分と、これから生かさなければならない人のことをまず考えるべき、ってそういう人ですものねえ? と思うわけで。でも、世の中には「アフラ・マズダ」(アフラとはイシスという意味)という名前の通り、イシス系の名前しか貰えない人もいる、ということで。蛇の兄さんの目の奥にある情熱は、自分が失ってしまったものをもう一度取り戻すためなら、何でもやる、っていうそういう「情熱」なんだ、ってふっと気が付いて。そういう気性は私にはないなあ、と改めて思ったのですが-;。

でもって、今日は電気の引き込み工事があって、久しぶりに同族の小蛙クンに会って。子蛙クンには、お金のことだけでなくて、みんなテレビに出て、どう見ても健康を損ないそうな、食べてはいけない呪いのものをバクバク飲んだり食べたりしているし、そうしてそれが「おいしい」って言ったりしてる。そして、結局それは健康を損なう原因になってる。誰だってみんな馬鹿じゃないんだから、いったい誰のために、そうやって自らの健康も生命も犠牲にして代償に差し出していると思っているのか? って言われた気がするわけで@@。そこまでは考えたことなかったかも、と私も思うわけで。でも、テレビを見ているとそういうことが過ぎるお仕事もあって、できればそういうお仕事は辞めさせてあげたいとは思っていたわけで。生きていたらお金は稼げる、でも命はお金には換えられないものでしょ、って言われた気がするわけで。そうやって、代償を支払って、必死に結縁する機会を求めている人達の気持ちをもっと考えるべき、って言われる気がするわけで。結局、ここまで話が進んできて思うわけですけれども、どこの王家も勝手なことしか言わないので。「太陽女神を引き出せ」って言われたら、その役目を負った人は、例え自らの命を犠牲にしても、不可能であってもそう努力するし、そうしたいからその役目を背負っているんだあ、って思うわけで。誰もけっして自由に好き勝手に飲み食いすらしているわけではないわけで。上に立つ人は、下についている人達のことをできる限り困らせちゃいけないんだあ。「自分のことをほっておいてくれ」って言うこと自体、もう相手を困らせることなんだし、王族であるっていうのはそういうことなんだから、って思うわけで。

でもまあ、それはともかく、私の方は、どこの家に行っても、そこの「親元」の言うことなんか聞く気のない「暴れ娘」ということで。蛙の王家の人達は、「自分達の娘を勝手に引き抜くような無礼なエフライムの王家の内情は好きなだけ引っかき回してくるように」ってそそのかす気がするわけで@@。私の分身の蛙の子は、「人のことを本物の破壊神みたいに言わないように」って抗議したわけですが、兄さん達からは「本物の破壊神でしょ」って言って笑われたわけで-;。「18歳のときに、「弱い者いじめはいけないこと」って言って、それが自分の思想であり信念であるなら、一生ことある毎にそれを貫き通せてこその「神」でしょ?」って言われた気がするわけで。私の分身の蛙の子は、けっこう子供好きなので、「赤ちゃんと遊ぶのが楽しみ。なんだかんだ言って、どんな目を持ってようが赤ん坊って可愛いモノだよ。」って言うわけですが。蛇の兄さんの方は、「自分はその子供のことにはできるだけ関わりたくないから」って戦々恐々としているわけで-;。子供が欲しければ、実子ができなければ、蛇の目の子でも、蛙の目の子でも、将来的に見込みのありそうな子を養子に貰って育てればいいし、その方がよっぽど有効なのに、って言われる気がするわけですがー;。できの悪い子が一人くらいいてもいいじゃん、そのくらい面倒見る余裕はあるでしょ、と思うわけで。その子のことは兄さんではなくて、6番目の子に頼みからいい、って私の分身の蛙の子は言うわけで。本体の方は、それほど余所の子を構いたい性格でもない気がするのですけれどもねえ?? 魂の子の方が、子供好きだよね、と思ったのですが。

でもとりあえず、「愛してる」と「信じてる」って書いたお手紙が届けば「合格」ということで。思ってたよりもきつい嫌みが書かれて無くて良かった、って兄さんには言われる気がするわけで。いろんな人からは、きっと6番目の子が一番ほっとしているよ、って言われる気がするのですが。