と思うわけで。今夜、父親から例の従兄弟について、新しい話を聞いたわけです。従兄弟によれば、従兄弟の祖母は、父親の兄弟のお嫁さんであった、ということで。要するに、父から見ると「義理の叔母さん」だと従兄弟は言ったわけです。でも、父親が言うには、「実の叔母さん」であって、父親の父親の妹だって言うわけです。で、どちらにしても、その「叔母さん」には娘が一人居て、それが従兄弟のお母さんなわけですが、そのお母さんの「父親」が不明なわけです。要するに私生児ということで、子供が生まれたときにその叔母さんの夫はとっくに死んでいたわけ。で、いろいろな話を総合すると、その叔母さんは、山一つ越えたところの八幡神社の境内に店を出して生活していて、曾祖父が良く会いに行っていた、と従兄弟は言っていた気がするわけで。あれ? なんで、曾祖父は義理の娘というか、お嫁さんの所に会いに行ったの? あ、そっかー、私生児と言うことはそういうことなんだー、って思ったわけで。でも、父親の説によると、大叔母さんは曾祖父の実の娘ということになってしまうので。じゃあ、大叔母さんの娘の父親は誰? って父親に聞いたわけです。そしたら、「誰だか分からない」って言われたわけで。え? だって、あの山の中で? 近所に住んでいる男衆なんて限られているし、子供なんてほっておいても親に似るからすぐに分かるでしょ? と思って。だから誰が父親かなんて分からないわけないじゃん。でも、どちらが言ってることが本当なんだろう? って思って。
でもって、自分の部屋に戻って、ふと日テレのHPを見たら、小山君に「従兄弟はそういうことで嘘をつく人ではないですよ。騙されているか、嘘をついているのは父親の方。」って言われた気がして。なんか、えらくいろんな人の声が届くようになってるねえ? と思って。
そして、KAT-TUNの動画を見ていたら、ふと、「病院から出される薬というのは、副作用もあるけれども、しっかり飲ませておいて、その結果人が死んでも殺人とは言わないよね。検査も体にどんなに負担のかかる検査をして、その結果体が弱っても、傷害とは言わないし。」って言われた気がして。ああ、そういうことなんだー、兄さん達は「何年でも待つ」とは言ってくれるけれども、でも、一日も早く家族を安心できる状態に持って行きたいことは事実であるわけだから。
それで分かったわけですが、なんでいったん、全ての親戚付き合いを切らなければならないのか、ということです。要するに、「親戚」の中には総本家にとっては「いらない子」がゴロゴロいるわけで。亡くなった叔母の子達、叔父達の子供達、そういう者達まで連れてはいけないわけで。田舎にいるままであれば、付き合うべき身内がいるのに、そちらと付き合わずに、総本家とだけ付き合うというのも奇妙な話であって。そうやって、表だっての「田舎の秩序」を壊すようなことはできない、しかも鹿島の神を選んでいるままの太陽女神も受け入れられない。だから、いったん全てを切って、一件だけにならなければ、余計なしがらみをなくさなければ、総本家には受け入れられないし、繋がることもできないんだ、って気が付いて。だから、私に従って総本家を選ぶ人は、味方が守ってくれる。どんな理由があろうと鹿島の神を選ぶ人は、一族に仇なす「いらない子」でしかない、ってそれだけのことなんだ、って悟りを開いたわけで。「いらない子」の運命は、鹿島の神と八幡神に任せるしかない。すなわち、敵が牛耳っている病院の医者達に。彼らが、その子をどう扱おうと、それはその子が自分自身で選んだ道なわけだから、彼が望む通りに彼が愛して執着する神の元へ行かせなければいけない。だから、うまく引っ越しまで済んで、その後も予定通りに進めば、その子の人生に、医者として関わっても良いし、市民病院に連れて行ってもいい。でも、その目的が達せられずに、邪魔される場合には、それがなされている限り、赤十字病院へ連れて行かなければいけない。それが、その人が、自分で考えて判断した「道」で、自分で「十字」を選んだのだからです。ってそう言われて。リウマチになるまで食べ物を食べさせて何が悪いのですか? 自分自身が食べたがっているのに。リウマチになったら、病院へ連れて行けばいいのです。リウマチの薬は、腎臓に負担がかかるし、我が家の家系は腎臓が弱い。でも、薬はしっかり飲むべきでしょ? 病気を直すためなんだから、仕方の無いことでしょ? って言われる気がするわけで。まあ、うまく丸め込めれば、その選択はどうなの? という気もするわけですが。その人のことは、その人自身が選んだ神に任せなければいけない。と言われる気がするわけで。ああ、「親が子を殺すのか、子が親を殺すのか」ってこういうことなんだー、「いらない子」を自分が選んだ神に引き渡して、ついてくる人達、連れてこれる人達しか「親元」には連れて行けない。仕方がないんだ、どんなに真心を尽くしても、その人はその道を自分で選んだわけだから、それだけのこと、って言われる気がするわけで。叔母さんは、いずれこういう覚悟を持たなければならない日が、いつか来ることを知っていたのですねえ、って思って。
多くの兄さん達は、自分達が一番言いにくいことを、亀の子が言ってくれたことは忘れない、って言う。蛇の兄さんには、「そこまで何とかしてやれるだけの「目の力」を持ってなくてごめん」って言われた気がするわけで。でも、「神」となること、「王」となることってこういうことなんだー。誰かに助けて貰わなければならないのに、人に面倒を見て貰わなければならないのに、その自覚もなくて、助けても助けても、敵の神しか選ばない人には、そうさせてあげなければいけない。それが、同族と自分自身を守ること、って言われる気がするわけで。ともかく、引っ越しがなったからには、石拾いを一時中断してでも、人が住めないようにしてしまわなければいけない。やらなければいけないことの順番を間違えないように、って言われる気がするわけで。まあ、まず電気も水道も止めるしねえ? と思うわけで。引っ越しはやはり、なるべく冬にした方がいいよねえ? 畑をいじる気がなくなる時期にさ? と思うわけで。窓は、割れるものは全て割りましょう。自然にだって割れるモノだから、って言われる気がするわけで@@。それから、家の中の戸も、全部外すことが重要、って言われる気がするわけで。まあ、うまくことが運べばいいけどねえ?? と思うわけで。
亀の子は、親に言いたいことがあるそうで。「かっこいい」とか「かわいい」って言うのは、相手が芸能人だからそう言うんじゃないよ? 妻が夫に、「かっこいい」とか「かわいい」って言ってはいけないの? ということで。私は、そういうことを言って欲しいと思う「夫」にしかそれは言わない「貞淑?」な妻なのですけれどもね? まあ、味方の女の子に「かわいい」とかって言うのは社交辞令もあるっよね? あと小さい子とかもさ? と思うわけですが。それは普通に知り合いに言う「社交辞令」兼、「夫」に対してしか言わないです。「夫」がかっこいいのは「妻」なら、そう思って当たり前、ってそういうことなのではないかと。
自らの母親を片付けられる者でなければ選ばれないローマのディアーヌ、男とはどんな存在であっても、片付けるだけのものであるローマの母系のウェスタ。「神」となるとは、「名前を貰う」とは、そういうことなんだ、って思ったのですが。兄さんには、ひたすら「ごめん」としか言われない。いいんだ、兄さん、できるだけの手は尽くしたんだから、ってそう言うしかないのです<(_ _)>。