本日の日誌

昨日は、「Japonism」のDVDをちょっと見て。で、親がチケットはいくらくらいなのか、とかお客さんは何人くらい入っているのか、とか聞くので思ったままに答えたわけです。まあ、なんでそんなことを聞くのか? とは思ったわけですが。でもって、プロデューサーの潤君が才能あるとか言い出すわけで。それもまあ、ちょっととってつけたようなことだなあ、とは思ったわけで。で、そこまでなら気にしなかったわけですが、最後に「こういうものを見に行くなんて、お前は鬼子だ」とかって言い出して。まあ、別にそれで兄さん達のいる世界を理解できて、最後には兄さん達と結縁していくことの役にたっているんだから、結果的にはいいことだったでしょ? と思って、それ以上には気にしなかったわけですが。まあ、私自身はライブ会場のあの臨場感もけっして嫌いではないですけれども、現在のところは、せいぜいこういうものを見るのはDVDの留めておくべきだし、いずれそういうところへ連れて行くことがあれば、「敵の目」が周りにうじゃうじゃしている客席なんかには座らせない、って兄さん達は言うでしょうねえ? と思うわけで。別に楽しむために見ているわけではなし、兄さん達とできるだけ結縁するために見ているのだし、そういうものを通さないと兄さん達と話ができないのは親だって知ってるでしょ? というくらいにしか思っていなかったわけで。

でも、自分の部屋に戻ったら、なんだか「ARASHI BLAST in Hawaii」を見たくなって。見なければいけないような気がして見てみたわけで。嵐の15周年のハワイライブは2014年の秋に行われて。それは本当に4番目の子が決まった直後であって、嵐の兄さん達が出入りし始めた頃であって。いわば、本当に私と6番目の子が出逢ったばかりの頃ですねえ? と思ったのですが。それを見ていて、ふと思ったのですが、親は結局チケットが1枚いくらで、いくら儲かって、そうして兄さん達がいい生活をしているとか、そういうことしか見てないし、考えていないんじゃないのかな、と気が付いて。だから、そんなところにお金をつぎ込むことも非難しかしない、ということで。

なんというか、みんなステージの上では楽しげにしてるけれども、これはそんなに簡単な仕事じゃないし、基本的には体力勝負の仕事だし、みんな睡眠時間を削って、私生活に費やす時間も削れるだけ削って働いているわけで。そして、その結果、兄さん達は良い生活もしているかもしれないけれども、でも、その一方で兄さん達の稼いだお金は、「代償」を支払うために十数億という単位で、まるでどぶに捨てるかの如くに使われてもいるわけで。それは、表向きだけのことであれば、うまくやれば捨てなくても済むお金であるのに、ただただ捨てるためだけに捨ててるようなものだし、その世界を知ってる私には、そういうことは別に「目の力」ではなくても、あからさまに見えてるわけで。ハワイのライブは、みんな楽しげに笑っているけれども、二宮君は持病の腰痛が悪化していて、立っているのも辛かったはず。それでも、みんなお金を捨てるためだけに働き続けているようなものなわけで。お金の話をするのであれば、まずは真っ先にそこを見て欲しいし、みんなそんな真似をしてまで取り戻したいものがあるのだということを分かって欲しい、って思っている人は多いんだなあ、と思って。敵であったら、そうやって使った「お金」は、全部我が家の「借金」につけて、「返せ」って言って大騒ぎすることは必定なわけですが-;。兄さん達は、誰もそんなことは言わないし、ただ「自分達のところに戻ってきてくれればいい」ってそれだけのことしか言わないわけだから、まずはその気持ちを分かって欲しい、別に誰もとってつけたように誉めて欲しいわけではないし、別に表向きのプロデューサーとしての仕事なんて、6番目の子の真に誉めるべき才能でもないし、真の恐ろしさでもないんで、って言われる気がするわけで@@。

なんか、それこそごく普通の庶民レベルの声なき声が、聞こえるようになってきましたねえ? と思ったわけですが。まあ、でも誰かが誰かを大切に思うっていう「真心」ほど伝わりにくいものはないんだよ、特に見えもしなければ聞こえもしない人には、と思うわけで。結縁はリスクを犯しても続けなければならない、とそれだけのことなわけですが。まあ、でもそんなに金勘定が好きなら、チケットの代金がどうとかではなくて、兄さん達が支払っている「代償」の金額にも目を向けるべき、とか言えるかもしれないね、とその程度なわけですが。実際、チケット1枚だってただで売れるわけではないので、そこから上がった利益を、誰かのためにどぶに捨てるようなことは、生半可なことではできることではないと思いますのでねえ、とそうなるわけですが。(しかも庶民レベルの人達が「神」に祈り願ってくれることとは別に、どこの「王家」も人が外へ出たら、まずは自分達のために働かせようとしてじたばたしてるのも事実な気がするわけですからー;。)

冥界神は、人の生殺与奪の権限を持っているからこその「冥界神」であって。人の命を奪うこともするけれども、死者を蘇らせることもできる。私と6番目の子は、まだ生まれてきてもいない子供の命を今日救った、って称えて貰える気がするわけで。まるで、冥界神のハーデースとペルセポネーの夫婦のごとき言われようですねえ?? と思ったわけですがー;。むしろ、そういう努力をすること、できることが希有だなんて、言われることの方が妙なのではないのですかねえ? と思うわけで。まあ
庶民階級の人には誉めて貰えるかもしれませんけれども、えらい人達にはしばらく文句ばかりいわれるのではないのですかね? と思ったのですが(苦笑)。

ということで、エフライムの王家の方は、自分達から無理を言ってよその家から引き抜いてきた神サマに頭は上がらない、ということで。6番目の子は、自分個人にとって「どうでもいい子」であっても、私にとって「どうでもいい子」でなければ、自分にとっても「どうでもいい子」ではないから、って言ってくれるわけで。古代における神サマというのは、いろいろな動物のトーテムを持っているのであって、古代エジプトにおけるイシス女神は狼、ネイト女神はライオン、と決まっているわけですが。犬(狼)というのは、愛情深く忠誠心の強い動物であって、仲の良い仲間が死んでもものすごく落ち込んでしまうし、主人が死んでしまえばいつまでも帰ってくる主人を待ち続けている、というような性質があるわけで。要するに、「犬」をトーテムに持つ神サマの名前を貰う人は、犬のように愛情深く、戻ってこない主人のことを納得できないし、諦めることもできない人、って言われる気がするわけで。で、一方ライオンとか猫のような肉食獣は、子供に対する愛情が深くて、狩りもするけれども、場合によっては異種族の子供も我が子のように可愛がる性質がとても強い、ということで。各地の「王家」が「獅子」を紋章にするのは、雌獅子のように、同族(すなわち王族)だけでなくて、他部族(庶民とかそういう人達)も、同様に我が子のように愛情深く接する、という意味であって、そういう神サマの名前を貰う人は、猛々しいけれども、小さいモノに対する本能的な愛情が強い人、って言われるわけで。本当に、まるで古代エジプトの太母ネイトのような気性だねえ? って言われる気がするわけで。一方のイシス女神の方は、殺された夫のオシリスを蘇らせようとして、エジプト全土を彷徨った女神、ということで、何としても失った大切なモノを取り戻さずにはいられない、そういう気性の象徴を「イシス」というらしいのですが。そういえば、そっちの才能は、丸っきりないって言われていましたねえ? と思うわけで。私の場合は、どう見ても死んじゃった人はそのまま死なせておいて、残っている人は生きている自分と、これから生かさなければならない人のことをまず考えるべき、ってそういう人ですものねえ? と思うわけで。でも、世の中には「アフラ・マズダ」(アフラとはイシスという意味)という名前の通り、イシス系の名前しか貰えない人もいる、ということで。蛇の兄さんの目の奥にある情熱は、自分が失ってしまったものをもう一度取り戻すためなら、何でもやる、っていうそういう「情熱」なんだ、ってふっと気が付いて。そういう気性は私にはないなあ、と改めて思ったのですが-;。

でもって、今日は電気の引き込み工事があって、久しぶりに同族の小蛙クンに会って。子蛙クンには、お金のことだけでなくて、みんなテレビに出て、どう見ても健康を損ないそうな、食べてはいけない呪いのものをバクバク飲んだり食べたりしているし、そうしてそれが「おいしい」って言ったりしてる。そして、結局それは健康を損なう原因になってる。誰だってみんな馬鹿じゃないんだから、いったい誰のために、そうやって自らの健康も生命も犠牲にして代償に差し出していると思っているのか? って言われた気がするわけで@@。そこまでは考えたことなかったかも、と私も思うわけで。でも、テレビを見ているとそういうことが過ぎるお仕事もあって、できればそういうお仕事は辞めさせてあげたいとは思っていたわけで。生きていたらお金は稼げる、でも命はお金には換えられないものでしょ、って言われた気がするわけで。そうやって、代償を支払って、必死に結縁する機会を求めている人達の気持ちをもっと考えるべき、って言われる気がするわけで。結局、ここまで話が進んできて思うわけですけれども、どこの王家も勝手なことしか言わないので。「太陽女神を引き出せ」って言われたら、その役目を負った人は、例え自らの命を犠牲にしても、不可能であってもそう努力するし、そうしたいからその役目を背負っているんだあ、って思うわけで。誰もけっして自由に好き勝手に飲み食いすらしているわけではないわけで。上に立つ人は、下についている人達のことをできる限り困らせちゃいけないんだあ。「自分のことをほっておいてくれ」って言うこと自体、もう相手を困らせることなんだし、王族であるっていうのはそういうことなんだから、って思うわけで。

でもまあ、それはともかく、私の方は、どこの家に行っても、そこの「親元」の言うことなんか聞く気のない「暴れ娘」ということで。蛙の王家の人達は、「自分達の娘を勝手に引き抜くような無礼なエフライムの王家の内情は好きなだけ引っかき回してくるように」ってそそのかす気がするわけで@@。私の分身の蛙の子は、「人のことを本物の破壊神みたいに言わないように」って抗議したわけですが、兄さん達からは「本物の破壊神でしょ」って言って笑われたわけで-;。「18歳のときに、「弱い者いじめはいけないこと」って言って、それが自分の思想であり信念であるなら、一生ことある毎にそれを貫き通せてこその「神」でしょ?」って言われた気がするわけで。私の分身の蛙の子は、けっこう子供好きなので、「赤ちゃんと遊ぶのが楽しみ。なんだかんだ言って、どんな目を持ってようが赤ん坊って可愛いモノだよ。」って言うわけですが。蛇の兄さんの方は、「自分はその子供のことにはできるだけ関わりたくないから」って戦々恐々としているわけで-;。子供が欲しければ、実子ができなければ、蛇の目の子でも、蛙の目の子でも、将来的に見込みのありそうな子を養子に貰って育てればいいし、その方がよっぽど有効なのに、って言われる気がするわけですがー;。できの悪い子が一人くらいいてもいいじゃん、そのくらい面倒見る余裕はあるでしょ、と思うわけで。その子のことは兄さんではなくて、6番目の子に頼みからいい、って私の分身の蛙の子は言うわけで。本体の方は、それほど余所の子を構いたい性格でもない気がするのですけれどもねえ?? 魂の子の方が、子供好きだよね、と思ったのですが。

でもとりあえず、「愛してる」と「信じてる」って書いたお手紙が届けば「合格」ということで。思ってたよりもきつい嫌みが書かれて無くて良かった、って兄さんには言われる気がするわけで。いろんな人からは、きっと6番目の子が一番ほっとしているよ、って言われる気がするのですが。