本日は、フェンスについて、特に隣家との境界についての打ち合わせ、ということでお出かけして。で、打ち合わせはお隣からは無理難題も言われず、割とスムーズに終わって、一筆を求められることもなくて。ともかく、土が移動することがないように、ということのようで、設計図もお渡しして終わって。一方の工務店さんの方はフェンスのサイズをわざと間違えて描いてくるわけで、嫌がらせなんだろうな、と思ったのですが。でもって、設計図をよく見ると、妙な部分もあるので、騙されないようにしっかり見ていかなければ、と思うわけで。
でもって、ブレーカーにつかう端子キャップにメーカー指定がある、とかって言い出して@@。だって、そもそもブレーカーそのものがいろいろなメーカーがあるもので、そこで使っているキャップのメーカーなんて、更に何を使っているのか普段は気にかけないものだから、何を使っているか分からないし、メーカーの指定なんてあるわけないでしょうが、って当たり前のように思うわけですが。でも、そう言い張るので、「証拠も下さい」と言っておいたわけで。だいたいそういうものは、メーカーの指定があるものではなくて、「規格」の指定があるだけのものなわけです。でも、電気工事って誰でも日常的にするものではないので、指定された「規格」に当てはまる品物を作っているメーカーそのものが1個しか無い、とかそういうことがあるだけなので。だいたい、あからさまにメーカーの指定なんてしないと思うわけで。で、いろいろと調べてみましたら、ブレーカーの業界団体が指定している規格があって、それを作っているメーカーが2個くらいしかない、ということが分かって。より良い方を取るしかないので、そちらにすることにしたのですが。
でもって、「誉田別命」というのがありますけれども、じゃあ、「本田」という名字は何? って思いましたら、それは特にその名前を受け継ぐための家系の名前だから、漠然と応神・仁徳朝の子孫というのではなくて、特にその中でも「誉田別命」と名乗った人の子孫、って言われる気がするわけで。で、古代のローマ系の豪族には、物部氏とか海部氏とか、役職名をそのまま名乗っていて、現在でも「自分達は天皇家よりも古い家系」って言っている人達がいるけれども、その人達の本当の名前もだいたいは「石井」って言われる気がするわけで@@。でも、なんでそういうことに? って思うわけですが、そもそも大抵は、始めは別に隠す気も無いし、特に悪意もない、って言われる気がするわけで。たとえて言えば、源氏から別れた足利氏が「足利」を名乗るけれども、それは地名であって、本家の源氏とは家系を区別するためにそう名乗っているわけで。でも、そこから将軍が立ったりすると、正式な公文書には「源氏」の名前で署名するわけで、元々一番中心となる家柄と区別するためにそう呼んでいたものだから、別の名前を名乗っていたとしても、元の名字は「石井」だって誰でも知っていたもの、って言われる気がするわけで@@。だから、そこまでいけば分かると思うけど、今の天皇家には「名字」というものはないとされているけれども、その人達が本来持っていて名乗るべき名前も「石井」だ、って言われる気がするわけで@@。応神・仁徳朝の大王達は、大和にいた出雲の王族(富の王家と蛙の王家の混血の王家)に婿入りして「大王」としての地位を確立していったから、代が下るにつれて混血の度合いも高くなるし、古い時代に枝分かれしていった傍系の家系の方が、ローマ人としては「純血」に近くなるわけです。だから、そういう人達の「神」は男神だし、雷神だし、突き詰めるとユーピテルということになるわけで。でも、混血して母系を採用した家系は、最終的に出雲の王家を外戚として持つ継体天皇の家系に落ち着くわけで、その人達は祖神に天照大神を採用しているわけで。それじゃ国譲り神話とかはどうなるのさ? って思うわけですが。そんなのつじつま合わせの方便に過ぎないでしょうが。だいたい、建御名方富神が東国に逃げ込んだって言っても、歴史的事実をちょっと調べれば、彼らは東国に移動してもせっせと前方後円墳を建設していて、相変わらず「王族」であったわけだし、大規模な軍隊レベルで移動していて「逃げ込んだ」というのとは違うし、せいぜいが徳川家康が豊臣秀吉に国替えをされた程度のレベルって、客観的に理解できるはずだし、そういうところで「何が事実なのか」を客観的に見ることができる子でなければ、跡取りなんてとても無理、って言われる気がするわけで@@。しかも、大和に残った出雲系の氏族は応神・仁徳朝の重臣として仕えているわけだから、そんな戦争でぼろ負けしたとかそんなことあったはずがないでしょ、って言われる気がするわけで@@。そして、本当の「戦い」っていうのは、戦争じゃ無くて政治だよ、って言われる気がするわけで@@。
んじゃ、あの「謎のなんとか帝国」っていうキワモノ本はなんなのですかねえ? って言ったら、「書かれたものをそのまま鵜呑みにしちゃだめ」って書いてあるでしょ、って言われた気がするわけで@@。その人達は、そうやって人の気を引くために「話を盛る」のが好きだから、って言われる気がするわけで@@。いろいろあって、出雲大社の神権を敵に渡さなければならなくなっても、その人達は力の全てを失ったわけではないし、だいたい、そんな一日や二日で滅びるようなやわな王家じゃないでしょ、って言われる気がするわけで@@。私の分身の蛙の子は「嘘つきの王家だ!」って言っているわけですがー;。そのくらいしたたかじゃないと、家なんかとっても守っていけないよ、って言われる気がするわけで@@。だいたい、天皇が譲位したいって言ったって、すぐに好きに出来るわけでは無い、法律の改正だのなんだのっていって、最終的にいつ誰に位を継がせて、誰にどんな役目を任せるのかは政治家の側が決めることだし、今の総理は富の王家の譜代の家臣でしょ、だから、そういうことの采配を振るっているのは、今でも富の王家そのものだし、春宮妃の後見は富の王家と蛙の王家の共同でしていることだし、それが目に見える客観的な「現実」でしょ? って言われる気がするわけで@@。
だから、応神・仁徳朝の家系は全て敵で、出雲系の氏族は全て味方で被害者とか、そういうステレオタイプな見方はしてはいけない。長い間の努力と妥協を重ねて、敵の頭をこちらの側に取り込んでしまえば、それはもう「敵」ではなくなるし、それが「勝った」ってことなんじゃないのか? それが出雲の王家の戦い方、って言われる気がするわけで@@。でも、そうやって政略結婚とかで敵を取り込むということは、同族の誰かを手駒に使うっていうことで、利用することになるじゃん、私はそういうやり方は好きじゃないかも? っていう気がするわけで。そうすると、「良くも悪くも、根っから自分が直接戦うのが好きな軍神気質だねえ。」って言われる気がするわけで@@。うへえ、って思うわけですが-;。というわけで、「真名」っていうのは、本当は足利氏の例のように、自分の「立場」によって名乗るべきものだから、立場が増えればそれもいくつもあって良いモノ、って言われる気がするわけで@@。表向きの名字が何であれ、純粋に蛙の人達の太陽女神である時には「金刺」、富の王家の八坂刀売である時には「富」、継体天皇の家系の神(すなわち「天皇」)を名乗る時には「石井」と名乗るべき、それが私の「真名」だし、自力で自分の真名を見つけ出すことのできない者には、それは名乗ることを許されないもの、って言われる気がするわけで@@。継体天皇の家系は、ローマ人であることを捨てて、富の王家と蛙の王家と応神・仁徳朝の家系の合同の王家だけれども、表向きは整合性を保つために応神・仁徳朝の後継者、ということになっているから、表向きに名乗るべき真名も「石井」なんだよ、って言われる気がするわけで@@。
でも、FNS歌謡祭で、KinKi-Kidsを見て、石井の妨害を乗り越えて、宗像氏の正体を送り込むことができたので、7番目の子はただ者ではない、と評判になっているようで@@。だいたい、そういうことは「自分で見つけなければならない」っていうことにはなっているけれども、そこそこ「目の力」が使えれば、誰かどうかから「気の力」教えて貰えることになっているようで。「目」も見えなければ、「耳」も聞こえない子は普通「能力がない子」って見なされるらしいのですが。でも、ヘレン・ケラーみたいに、目が見えなくて耳が聞こえなくても、有能で役に立つ人はいる、ということのようで-;。まあ、他の人よりは声が届きにくくて、不利ではあったけどね、って言われる気がするわけで-;。
でもって、今日は「VS嵐」を見ていたわけですが、なんだか潤君が元気がない気がして。そして、「目の力」を使いにくそうにしている気がするわけで。そして、その分、二宮君の方がせっせと「目の力」を使ってくれている気がするわけで。なんだか、6番目の子からは「言いたいことが言えなくてつまらない」って言われる気がするわけで;。未だ「絶賛黙らされ中」らしいのですが;。なんだか、可哀想だな、とは思うわけですが、「その人はそのくらいの方が周りに迷惑かけなくて丁度良いので、甘やかさないように」っていろんな人に言われる気がするわけで-;。可哀想だな、とは思うわけですが、蛇の兄さんとか亀の子に意地悪しまくられても困るしなー、と思うわけで-;。なんだか、何を言ったら良いのか、良く分からないわけですがー;。