本日の日誌

昨夜はなんだか自分がまだ学生で、卒業式シーズンみたいな感じで、自分の卒業式であるかないかははっきりしないのですが、学校の中をうろついたりとか、デパートに買い物に出かけたりとかうろうろしていて。で、エスカレーターに乗ってデパートの階を上っていくわけですが、そのエスカレーターが妙にボロボロで汚くて。目が覚めてから、「階段に気をつけろ」ってことなのかな? と思って。で、これ以上何を気をつけたらいいんだろう? と思いながら「お仕事」に出かけて。

で、今日は階段を取り付けたわけですが、大工さんが微妙に急いている気もして。そして、第一のポイント。階段をしっかり固定するために、踏み板の裏にくさびを打ち込む仕様だったのですが、使用前に印を入れていて。で、切るとかそういうことは聞いていなかったので、一番広いところに入れておいたのですが、そこは後で調整しながら切り落とす部分であって。大工さんが切り落としている所を見て、それに気が付いて。で、切り落とされた部分を見て見ると、印が切り取られているわけで@@。事前に聞いてないし、と思ったので、階段に固定された後に改めて印を入れ直して。そして、ポイントその2、階段の蹴込み板を固定するのに、上の方を4分割、下の方を6分割とかってして止めていて。そういう仕様なのかしら? と思って取り扱い説明書を見ると、そっちはそっちで10cmおきにビスを打て、みたいに書いてあるので、それはそれで面白くないのですが、でもその規定に比べたら、上の方は数が少なすぎますし、わざとやってるでしょ? と思うわけで。で、我が家的には、上の方の数が多い方がいいんだろうな、と思って、数を増やして欲しい、って言ったら、「そんなことやらない」というようなことを言われて。でも、「いいから、やって下さい」って言ったら、丁度ヘリコプターがわらわらと出て。だから、言い分で負けちゃ駄目、ってことなんだな、と思って、やって貰って。でもって、その後壁の合板を貼ったわけで。いつもであったら、何枚をどうやって貼るのかを聞くのに、何も聞かずにとっとと作業してしまうので、2枚で貼る予定だったところを1枚にされてしまって。これも、わざとでしょ、って思ったわけですが。どうも、特に最近は、大工さんの一人が「一杯ひっかけて」来る気がするわけで、酒くさかったり、耳のあたりが妙に赤かったりする気がするわけで。腕は悪い人ではないと思うのですが、お酒等で理性が弱まっている人は操るには格好の人、ということで。その人は、もっと「目の力」の強い人に操られている、と思うのですが、そちらの方は割と何食わぬ顔をしている、というかいかにも、下っ端のふりをして、こまめに何度もこちらの意向を確認したりしているわけで。(でも、その人の名前は、蝿の悪魔ベルゼブブって言われる気がするわけで@@。ベルゼブブというのは、旧約聖書に出てくるペリシテ人(ギリシャ人の一派)の神である、バアル・ゼブルを悪く言ったもの、なわけですが。そもそも、「バアル(気高き)・ゼブル(主)」って何のこと? って聞かれる気がするわけで。それは良く考えたら、ゼブルの部分は「ゼウス」なのでは、と思うわけで@@。敵が「ゼウス」の名前を与えているのがその人なんだ? ってふと気が付くわけで。どうりで、最初の頃は妙に怒ってばっかりだったんだ? 今はそうでもないけれども?? と思うわけで。その人が強力な「目の力」を使って味方も、そしてこちらも操ろうとしているのですねえ? って思ったわけですが。(そうやって、自らの「味方」が酒の力で人格が崩壊しても、情け容赦なく酷使するのが敵のやり方、って言われる気がするわけで。))

で、西方の人々は、羊頭の神を拝んでいようが、牛頭の神を拝んでいようが、ほぼ「熊」ということだけれども、例えばアフリカとかには、先祖代々アフリカから出たことがなくて、熊というものを知らない人達もいるわけで、そういう人達の「トーテム」は当然「熊」ではないわけです。例えば、口頭類人猿を人類の「兄弟」だと考えて、猿が食べられるものは人間も食べられる、って考える人達もいるわけですし。だから、世の中には「熊」とか「狼」がトーテムでない人達もいるわけで。で、神と悪魔、とか、天使と悪魔、とかって良く言うわけですが、神のことは「子羊のように穏やか」とかって言うわけで。要するに、穏やかで、善良で争い事を嫌う神サマのような人達、というか天使のような人達のことを表向きと、というか一般的には「神サマのような人」と呼ぶわけで。それは要するに、「羊の人達」のこと、って言われる気がするわけで@@。要するに、羊と兄弟で、羊の神サマの子孫で、羊のように穏やかな人達が、「良い神サマの子孫」とみなされるようで@@。でも、そういう人達は、自分達のことを「羊」だということは黙って隠しているって言われる気がするわけです。なぜなら、世の中には「羊の皮を被った熊」とか「羊の皮を被った狼」とか、そういうのがたくさんいて、本物の羊の人達の中に「仲間だ」って言って入ってきて、騙して食い物にしようとするから、ということで@@。で、そもそもそういう穏やかな人達は、戦うことにも向いていないので、密かに隠れて暮らしている方が性に合うわけです。でも、それだけでは敵に狩り出されて食べられてしまうので、王族とか上の方は、同盟を結べそうな同族外とは、むしろ積極的に痛恨して、一族を纏めて、敵と戦えるような強い「目の力」を持った子孫を残そうとしてきたわけで。だから、東洋的な「目上の者を敬う」という思想は、例え人を纏めるような才能を持っていなくても、王族であれば強い目の遺伝子を持っていて、子孫から強い目の子供が生まれる可能性があるから、大切にすべきっていう発想なんだって言われる気がするわけで。うまく、羊の子供で、かつ熊の軍神みたいな才能を兼ね備えている子供が生まれれば都合が良いわけですが、まるっきり「熊の目」を持っている子供だって生まれる可能性もあるわけで、そういう子は、今度は軍神としての才能があるのは良くても、穏やかな性質の同族とは気が合わなくて、当人が大変、とかそういうことがあるようで-;。で、羊の人達は、自分達の正体は隠しているわけですが、「羌族(羊の人)」って言うわけだから、羊の人なのは誰から見てもあからさまだし、本物の「羊の神サマ」というのは、その人達の神サマのことで、後は全部偽物の熊か狼って言われる気がするわけで-;。動物の時は羊で、水に関する生物の時は蛙なんだね? と思うわけですが-;。で、銅鐸を使った祭祀がなぜ放棄されたかといえば、銅鐸っていうのは元々「羊の首にかける鈴」が起源なので、銅鐸を使った祭祀というのは、子羊が鈴を鳴らして、親神サマの羊に自分の居場所を知らせて、いろいろとお願いしたり、助けて貰ったりする祭祀だから、それを続けている限り、やっぱり自分達の正体が知られてしまうから、ということらしくて@@。それで、日本の国にやってきた羌族の人々は、水稲耕作中心の人達ですし、日本に羊はいないし、羌族の名前も祭祀も封印して捨ててしまって、自分達の正体を隠している、ということのようで@@。でも、縄文系の人達には、水稲耕作を教えて上げたりして、仲良くやっていたようで。だから、隠れている羌族とその神サマを守っているのは、「良き牧人」たるゾロアスターの蛇の目の人達、と、そういうことらしいのですが@@。それはともかく、遺伝子の強化のために、あちこちと混血してるので、私みたいに、「蛙とか羊っていう方が詐欺」って言われてしまう熊娘がたまには生まれるということのようでーー;。

でもって、ゾロアスターにおける「アシャ・ワヒシュタ(最善なる天則)」は、仏教における「アヴァローキテーシュヴァラ(観音菩薩)」だから、って言われる気がするわけで@@。それは「智慧をもって世を救う」という神サマのことで、法隆寺に隠されていた「救世観音」とかがそうなんだよねえ? と思うわけで。チベット仏教の「ダライ・ラマ」は観音菩薩の化身とされているわけで。ローマのウェスタは、ゾロアスターでは「最善の聖なる火」とか「最善の天の智慧」みたいな意味の神サマになるわけですが、仏教に入ると、「火の神」としての性質が弱まって、「智慧をもって世を救う神」とされるようで。

そして、家に帰る直前に、工務店の人に「天井点検口」の位置を変えるように、って言われて。それは嫌、って言いましたら、それでは天井裏に登る予知がないから、形式的につけるだけだ、みたいな嫌みを言われまして@@。何言ってるのさ、この間、その程度の隙間から電気屋さんが中に潜ってましたけど? と思うわけで。「必要があればいつでも登ってもらいますけど?」と言っておいたわけですが。そういう妙なことを言い散らして、思い通りにならなければ、作業を終えて帰ってしまう、とそういうことのようで-;。

で、家に帰ってみたら、「そもそもユーノー女神っていうのは、ヒンドゥーにおけるドゥルガーのことなんだよ。」って言われる気がするわけで@@。ドゥルガーっていうのは、悪魔よりも凶悪な破壊性が強くて、悪魔を破壊し尽くすというおっかない女神では? って思うわけで@@。で、ドゥルガーというのはゾロアスターではドゥルジという疫病をまき散らす女悪魔(その意味するところは「虚偽」とか「不義」ということで、要は「嘘つき女」ってことらしいのですが@@。)ということで。インド・イラン系の神話では、インド方面ではデーヴァ信仰(雷神信仰)を否定しないけれども、イラン系のゾロアスターではデーヴァ信仰(熊の雷神信仰)を「悪魔」と称して非常に忌み嫌うわけで@@。そもそも、出鱈目なことを言う人間に対して、理論的に言葉を尽くして丸め込むのはギリシャ的な「弁論術」ということになるけれども、「黙れ」と言って黙らせるのは良いことであっても「力づく」という側面が強くなるので、そういうことが得意な人は「破壊神」としての性質が強い、って言われる気がするわけで。それで貰ったのがドゥルガーですか? っていうか、それが「ユーノー女神」の本来の姿なんだ? と思うわけで。それは、北欧の熊信仰の人達が述べるところの「狂戦士」の女神ですねえ? って思うわけで。だから、どんな時にも感情的な怒りに流されずに、冷静に対応して、渡ってきて欲しい、って言われる気がするわけで。

で、そういえばインドの神話には天神アンに相当する男性神はいないんだ? と思ったわけですが、それは雷神インドラでしょ、って言われる気がするわけで。それも、ゾロアスターではれっきとした「魔王」の一つな気がするわけですがー;。でも、仏教では帝釈天のことですねえ? と思うわけで。ということは、帝釈天の名前を貰えるのは7番目の子なんだ? と気がついて。そうやって、良い性質の神や悪い性質の神の「同じ名前」を横並びに貰えるような、オールマイティーの性質を持っているということは、戦うことには有利なんだよ、って7番目の子には言われる気がするわけで。そして、観音菩薩とドゥルガーの両方の名前を貰えると言うことは、「智慧をもって、敵(悪魔)を破壊できる」っていう意味だよね、って言われる気がするわけで。(そして、いつも必ずしも正直なわけではなくて、必要に応じて方便も使うし、怒らせるときついことも平気で言う、ということで。)そうやって、厚生労働省と裁判所の「秩序」を実力でぶち壊そうとしたでしょ? って言われるわけでーー;。おかげさまで破壊神の名前を貰えるようになったんだ? と思うわけですが-;。テスターもどうしましょうか? 使い方だけでも勉強してみる? ってふと思ったわけですが。

本日の日誌

夜はなんだか、家の近くに格安の温泉ができて、自転車で入りに行ったのですが、混浴みたいな感じで、しかも、お客さんが全員ガラス張りの部屋でお風呂に入っていて、外から裸の人達が丸見え、みたいであったので入るのをやめた、みたいな夢を見て。で、途中で何か食べたような、食べるのをやめた、ような? 曖昧な夢であって。

で、本日も「お仕事」であって。だいたいは、壁の合板を貼っていたので、割と暇であって。電気屋さんもちょっと来ましたが、お願いした品物しか持ってきませんでしたし、それほどせわしくもなかったかな、という感じで。そして、階段のささらの長さとか、調整をお願いして。でも、一日の作業が終わる頃になって、ちょっと忙しくなって階段を取り付け始めたりして。しかも、そういう時に工務店の人もやってきて、建具屋さんに見学に行く日取りの予定とか、言ってくるわけで。で、何故か水曜日にいろんな予定を詰め込みたがるわけで。そういう時にヘリが出たりするので、一応一日にいろんな予定を詰め込まないようにお願いしておいたのですが、なんで分かっていてそんなことするのかなあ? と思って。で、家に帰ってきてからふと気が付いたのですが、それもやっぱり、こちらを忙しくさせて、「お手紙」を出すのを邪魔しようとしてるのかも、って気が付いて。まあ、意地悪のやり方もだんだん緩くはなってきている気がするのですが。でも、まだまだ油断しちゃ駄目だな、と思って。

そして、6番目の子は、やっと私に釣り合う「名前」を手に入れた、って喜んでいた気がするわけですが。でも、ときどき、私が浮気してどこかに飛んで行ってしまわないようにしなきゃ、とか呟くわけで-;。7番目の子に、「お前、ちったあ自分の妻を信頼せえや」って突っ込まれてた気がしてーー;。そうしたら、何も言わずにパクチーの絵を送ってくるので、亀の子が「いやがらせだ」って呟いていた気がするのですが;;。

そして、なんだか富の王家の人達が、「蛙のアナーヒタちゃんがお嫁に来ることになった」って早手回しに喜んでいるとかで、総本家が噴火してる火山のように怒ってるって言われる気がするわけで@@。どうせ選ばれる確率が高いのは三強の内の誰かだし、その三人でなくても「蛇の目」の誰かだろうから、誰と結婚しても広い意味で「蛇の目」のお家にお嫁に来ることと同じでしょ? って言うのがそちらの言い分らしくてですねえ?@@ 私自身の事に関しては、神官長家がとりなしてくれて、「北方の狩猟民は分布範囲も広いし、部族の数も多いから、その中で代表の神サマに選ばれるくらいの「目の力」の強い子が生まれたら、もっと鼻を高くして、誇りに思うべき。」って言ってくれたらしくて。蛙の人たちは、神官長家一党とは伝統的に一番混血していて、仲良しということらしくて。私のことはそんなに怒っていないらしいのですが、その代わり怒りの矛先は「蛇の目」の人達に向いている、ということらしくてーー;。蛇の兄さんからも、「ローマ」は蛙の人たちから見れば、恐ろしい魔術を使う強敵の化け物だし、蛇の人達にとっても全力を尽くして戦わなければならない悪魔なんだけれども、北方の狩猟民の有力な神サマの名前を貰うことができれば、「同族内の争い」ということになって、戦いのきつさの程度がぐっと下がるんだよね、って言われる気がするわけで@@。で、兄さんは、誰にも負けたくないけれども、6番目の子が怖いし、6番目の子が怖いけれども、負けたくない、って言う気がするわけで@@。なんか兄さんも大変ですねえ? と思ったわけですが;;。7番目の子は、富の王家も放任主義なら放任主義で、憶測で余計なことを言い過ぎないように釘を刺しておく、って言う気がするわけで。

でも、なんだか思うに、富の王家は、「三強」の内でも蛇の兄さんにけっこう厳しい気がするわけで。なんで? って思いましたら、他の二人は庶民の出なんだから、王族ができるようなことができれば誉めるのは当たり前、蛇の兄さんは王族なんだから王族ができることをできるのは当たり前で、できなかったら出来損ない、って言う気がするわけで@@。そういうもの? って思うわけですが、西方の人達というのはそういう考え方が多いらしくて。王族には、人の上に立って纏めていくっていう才能とか、そういうものがあるから「王族」なのであって、そういう才能がなければ「王族」といえども、もっと才能のある人に王権を代わって貰った方が、当人のためでもあるし、誰もためでもある、ってそういう考え方らしくて。だから、西方では王権がどんどん交替するし、上流階級になればなるほど、良い意味でも「上流階級らしくあらねば」っていうことに必死になるもの、って言われる気がするわけで。東洋では、そういう階級制度の代わりに、「年長者」とか「目上の者」を尊重しなければいけない、っていう社会秩序があるので、才能がなくても「王族」は「王族」であるというだけで尊重しなければならない、っていう気風がものすごく強い、って言われる気がするわけで。

でもって、人身御供の話はともかくとしても、西方の人は牛とか馬とか羊とか豚とか、家畜も生贄に捧げるでしょ? って言われる気がするわけで。それは、結局神サマも「牛」だったりするので、神の「代理人」である「地上の牛」を犠牲に捧げて、神の国に返して、神サマと一体化させる、とか神サマへの使者にする、とかってそういう説明をされるわけで。でも、それって良く考えたら変じゃない? って言われる気がするわけで。神サマに力をつけて貰うためだったら、餌を与えなければだけど、草食動物は仲間を食べないよね? って言われるわけで。そういえば、そうだねえ? と思うわけで。要するに、古代エジプト神話の羊頭のクヌムとか、ローマの雄牛のユーピテルとか、みんな「草食動物」の仮面を被っているけれども、その本質は草食動物なんじゃないんだよ、って言われる気がするわけで。それ以外にも、獅子頭の女神のメヒトとかもいるけれども、それも「仮面」に過ぎない、って言われるわけで@@。じゃあ、彼らの「本質」は何? って思いましたら、「クヌム」なんだから「熊」なんだよ、って言われる気がするわけで@@。要するに、西方の神々の起源は、北方の狩猟民の神々にあるので、北方の人々の「熊信仰」が彼らの本質であって、後はそこに「狼信仰」も加わるって言われる気がするわけで。「熊」という日本語は、縄文系の人々の言葉なので、そのまま古い時代の北方の狩猟民の言葉でもあるらしくて。英語で熊は「bear」と言うわけですが、「b」で始まる子音は本来「輝けるモノ」という意味であるので、英語の「熊」という言葉そのものがその動物の「真名」を隠してるものなんだよ、って言われる気がするわけで。古代エジプトのクヌムとか、ヒッタイトのクマルビという神は、古い時代の神々であるので、まだ「真名」を隠そうという気風が弱い時代のものだから、そのまま名前が残っているんだよ、って言われる気がするわけで@@。だから、先祖が熊で、熊は自分の兄弟で、って思っているのはアイヌの人とか、北欧の少数民族とか、そういう人達だけだと思ってるでしょ? でも、そうじゃなくて、ローマも含めてヨーロッパの人達は、ほとんどが「熊」って言われる気がするわけで@@。だから、天神アンの名前も「熊」が変化したものだし、西方で「M」がつく神サマは「蛇」も意味するけど、全部「熊」だし、「悪魔」の「魔」も「クマ」の「マ」って言われる気がするわけで@@。で、一方日本語で「狼」という言葉は「大神」ということでもあるので、それは真名じゃない、って言われる気がするわけで@@。じゃあ、その動物の真名は何? って言うと、それは山に住む「婆」でしょ? って言われるわけで@@。ご機嫌が良ければ、人に親切にしてくれるけれども、悪いと人を食う「山姥」っていうのは「狼」のことなんだ? と思うわけで。英語で狼のことを「wolf」と言うわけですが、その子音は「BB」ですので、まさに「婆」ということで。要するに、「ローマ」っていうのは、熊の子が狼に育てられて、「獰猛な肉食獣」としての性質が二重に重ねがけされた倍増しの国、っていう意味の創世神話を持っているわけだから、それが彼らの「根本的思想」って言われる気がするわけで@@。要するに、草食動物を生贄に捧げるのは、神々に餌を与えているのですね? と思うわけで。でも、みんな他人に自分達の神の正体(すなわち自分達の正体)を知られたくないので、隠しているんだー、本当は「人間」じゃなくて「熊」なんだ、って思うわけで@@。アイヌの人達は、子熊を何年か飼って育てて、やがて殺して天に神として返す、という祭祀を続けているわけで、今でもそういう祭祀を続けていることについては、動物愛護という点からいろいろと言う人もいるけれども、彼らが今でもそれを続ける理由は、我が家に北方の「熊信仰」の本質を知って貰いたいから、って言われる気がするわけで@@。アイヌの人達も、縄文系の人達も、余所者に自分達の正体を知られないために、神の名前や正体を隠す、という伝統は、必要もなかったので、長い歴史の中で培われて来なかったので、北方の狩猟民に共通する根源的な神の「真名」というのは、実は日本語の中に当たり前のように残っているって言われる気がするわけでですねえ? そもそも「神」という言葉の起源も「熊」なんだ? と思うわけで。

で、「熊」というのは、「太陽」で示すと、「日中の太陽」であり、「真夏の太陽」だって言われる気がするわけです。でもって、夜にも「夜明け方の夜」と「日暮れ時の夜」があるわけですが、夜にすると熊は「日暮れ時の夜」って言われる気がするわけで。でもって、なんで「真夏の太陽」かというと、冬に消え失せていて、夏しか見かけないから、ということらしくて@@。で、「夜」の属性の時は、おおぐま座であり、北極星になる、って言われる気がするわけで。西方では「おおぐま座」は「荷車」の星としても現されたわけですが、それは「太陽車輪」のこと、って言われる気がするわけで。不動の星である北極星は、夜間に活動するものにとっては、方向を見失わないための重要な星であるので、神である「熊」の星でもあり、不動の「王権」や「神権」の象徴でもある、ということで。富の王家が、7番目の子に「北極星」の名前を与えたのは、どんな時にも不動の信念を持っているその人が、西方の人々の述べる「天神アン」に相応しいだけの「目の力」を持っていると考えたから、って言われる気がするわけで。

そして、「狼」というのは、熊とは逆に「夜明けの夜」、「冬の太陽」を示すって言われる気がするわけで。何故かといえば、冬の次には夏が来ますし、「夜明け」の次には「昼間」が来るので、「盛んになる直前の太陽」が狼であって、彼らは冬季でも活動するので、冬の夜空に輝くおおいぬ座のシリウスが「狼の星」であって。だから、「狛天白」っていうのは、「狛(こま)」という言葉は「犬」という意味があるので、そちらを優先すればシリウスのことだし、「こま」という言葉を優先すれば熊のことで、北極星のこと、って言われる気がするわけで。縄文系の人々は伝統的に「星神」に対する信仰が弱いので、あんまり特定の星を強力に信仰せずに、有力な星々を纏めて「星神」としているので、どの星を信仰していたのか分かりにくいけれども、それはどちらの星もいっしょくたにした概念、って言われる気がするわけで。でも、そういう熊信仰と狼信仰をまぜこぜにした信仰そのものはどこでもはびこっていて、そもそものローマも「熊の子が狼に育てられて作った国」であって、「ローマ」という言葉も「熊」だから、ということらしくて@@。だいたい、私自身も戌年生まれで、「狼」の素質も持っているけれども、「目の力」は雷をどかどか落とすアン女神(すなわち熊)って言われる気がするわけで@@。

でもって、広範囲に信仰されている、「物事を測り尽くす神(「終わり」を司る神だから、彼が寿命を測り終わったらその命は「終わり」ということで)」であるミトラスは、「秤」の神サマでもあるので、商人の神ともされていて。ローマではそちらの性質が強くて、「メルクリウス」というわけです。他人の財産をローマのために測り尽くす神、ということで。で、ローマのミトラス、すなわちメルクリウスは誰? って聞かれる気がするわけで。東北大震災の時に、「原発が爆発するから、日本はもう終わり」ってわめいていた人がいたでしょうが、って言われる気がするわけで@@。そういえば、あのゲイのジャーナリストはなんて言ったっけ? って思って。アンダーソン・クーパーとかって言ってた気がするわけで。その人には、「黙れ。まだ終わってないし、人心を惑わすようなことを言うな。」って言ってやったら、イラクあたりに逃げて行ってしまった人じゃなかったっけ? って思うわけで。要するに、あの頃というのは、ローマは自分達が作り出した「秩序」を裁判という形で破壊しようとしていた「女神」を潰す機会を伺っていたし、地震を機会に女神を国ごと葬りさろうとしてたんだ? って思うわけで@@。でも、狩猟民の文化というのは、表向きは「公平さ」というものがあって、例えば死刑を宣告されるようなことをした者でも、形式的には「弁明」して戦う機会が与えられるわけで。ギリシャではそれを「法廷」と呼ぶし、ローマでは「闘技場」と呼ぶ、って言われる気がするわけで@@。西欧の裁判所というのは、基本的には、まず「有罪」か「無罪」かを問うものであって、更に「有罪」であればどのくらいの刑が妥当であるかを決めるものだから、被告人はまず「無罪」を主張する機会が与えられるわけですし、次には自分の刑がどの程度であれば「妥当」であるかを主張できるわけで。被告人の言い分の方が妥当であれば、例え有罪であっても刑の内容は、被告人の主張の通りに決定されるのが西洋の「法廷」なわけです。でも、一方のローマの方はもっと暴力的であって、闘技場で猛獣(すなわちローマにとっての「神」)と戦って、神に勝てれば、神の定めた法に従わなくても良い(すなわち死ななくても良い)ということになっているわけで。でも、罪人が素手であって、飢え死に寸前まで弱らされていれば、勝てるわけがないわけで。それが、ローマの述べるところの「神の思し召し」ということになるらしいのですが。

だから、あの地震の対応そのものが、ローマがこの国を滅ぼそうと画策して、私に挑んだ「戦い」であったので、ローマの主張に対して、私が彼らの主張よりも妥当な「対抗弁論」を行えば、こちらの「勝ち」となって、こちらの主張が通る、ということであったようで。ローマのメルクリウスの主張は、私自身を滅ぼすためのものだから、当然死刑宣告された「罪人」の私が自分自身で対抗弁論しなければならないものだった、ということのようで@@。でも、結局有事につまんないことを言う人間は「黙る」のが妥当なのだから、「黙れ」って言うのが正論なんじゃん? と思うわけで。そうしたら、4番目の子に「そういう図太さも自分は欲しい」って言われた気がするわけですが@@。でもって、クーパー氏のことを改めて調べてみるように、って言われて、家に戻って調べてみましたら、今現在アメリカのCNNで「アンダーソン・クーパー360°」というニュース番組を担当されているそうで。その人、自分から「36(弥勒)」って名乗ってるじゃん! って思ったのですが@@。要するに、私はローマが差し向けた「終末の神」との弁論合戦に勝ったので、その人よりも「格上」の神ということがグローバルに認められるようになったし、自らに下された「死刑宣告」の運命を変えることもでき得る人物とも見なされるようになった、ということのようで(しかも、私と一緒にそれこそ死ぬはずであった何万人もの人々の運命も変えたわけだから)。どうりで、わざわざその人のことをタレこんでくれた人がいたわけだ? と思ったわけですが。でもまあ、あの程度の人物の言霊をねじ伏せるなんて簡単なことでしょ? と6番目の子に言われる気がするわけで。っていうか、「ジャーナリスト」を名乗る人物が「たわごと」を言っちゃいかんでしょ? って普通に思うわけですが><。

そして、福山君のドラマの「ラヴソング」を見ていたら、なんだかヒロインのさくらちゃんが、声帯周辺に肉腫ができて、1ヶ月後に手術するとか、そういう「どこの世界の話?」みたいな展開になっていて。私の分身の蛙の子は、「その若さで肉腫になったら、あっという間に全身転移して1ヶ月後には死んでるから、早速抗癌剤治療を始めてハゲハゲにならなきゃ」って突っ込んでた気がするわけで-;。まあ、抗癌剤というのは、一般的には癌よりは肉腫に効くんだよね、効くモノはね? って思うわけで。そういうところはさすがに冷静さを失わないよね? っていろいろな兄さん達から言われた気がするわけですが。でも、4番目の子からは「抗癌剤がハゲになるもの、って思ってるってことは、基本的に治療するモノだって思ってないでしょ?」って突っ込まれたわけで@@。そりゃ病気の内容にもよるわけですが、抗癌剤というのは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」みたいなものなのでねえ? と思うわけで。運良く当たればいい、ってそういうものだ、という気が原則的にはするわけで。まあ、病気の内容にもよるから、一概には言えないのですけれども。

そして、蛙の王家も、富の王家も、基本的には好き勝手なことしか言わないわけですが。7番目の子がどちらもできるだけ黙らせるように暗躍しております、その人も「黙れ」って言うのは得意だから、って言われた気がするわけで@@。なんというか、そんな一日だったわけです。(でもジャーナリスト云々っていうと、どうもテレビの向こうから、そう言われると心が痛む、ジャーナリストというのはたわ言をたわ言じゃなく思わせるのが仕事だから、って言われる気がするわけで@@。それもローマ式なのですかねえ? って思ったのですが。まあ、でも天気予報くらいはないと困りますしね、ということで<(_ _)>。)

本日の日誌

一昨日の夜は、なんだか嵐の人達がフル出演する夢を見た気がするのですが、内容はさっぱり思い出せないような曖昧なものであって。家の裏の畑に桃色月見草とデイジーが一部群生するようになって、今花盛りでけっこう綺麗で。その写真を見てみたい、と6番目の子に言われた気がするので、写真を撮って兄さんへのお手紙に入れておいたわけで。昨日になってから、ちゃんと6番目の子に回しておいたから、って言われた気がするわけで。兄さんにはゼニアオイの写真を送ったのですが、その花は我が家に割とあってるから、そのままにしておくといいよ、て言われた気がするわけで。

で、昨日は「お休み」であったのですが、朝出かける時に、なんだか家人の一人が朝早くから畑に出て、こちらに花のこととかいろいろ話しかけてきて。で、私が植えたひまわりの何本かが枯れてしまっていたので、「なんで枯れたのか?」みたいなことを言ってきて。だいたい、薄めの除草剤みたいなものを家に侵入されている人に蒔かれて、野菜とか花とか、どうにも成長が悪くて枯れっぽい(しかも通り道に面しているものほど被害がひどい)のは何度も言っているし、知っているくせに何を言うのだろう、と思って相手にしなかったわけです。そうしたら、母親にも同じ事を言って絡んでいて-;。だいたい、そうやって意図的に絡んでくる時は、何か目的があるわけで、しかも何を目的にしているのか良く分かっているので、しばらく警戒しないといけないわけで。さっさと、母親を連れて出かけたわけで。

休みの日に、改めて床下に潜って、念のため逆位になっている断熱材の印字を消す予定だったのですが、そもそもそういう品物自体に方向性がなくて印字でのみ方向性が決まっているような人工物は逆位でも「気」は通るからそれほど心配しなくてもいいよって言われていた気がするわけで。でも、1番目の子との「正式な結婚」とやらを白紙に戻したので、床下の断熱材にもタッカーを打ち込んで、ミトラスの「神印」を入れておくように、って言われる気がするわけで。要するに大乗仏教というのは、蛙の人たちの現在の中核となる宗教のようで、彼らは栗の木の土台のある床下には蛇の人達の「目の力」をあまり入れたくなかったらしいのですが、特にそこを「蛙の目の夫の場」とする必要性がなくなれば、蛇の人達の「目の力」もどんどん入れた方が良い、よいということのようで。で、床下の接着剤にはセメダイン製の製品なのですけれども、650の数字が入っていない物を使用したので、それをあちこちに形式的に塗って歩くことにして。3時間くらい床下を這いずり回って作業をして。作業が終わったら、床下もだいぶ明るくなって、良く見えるようになった、って守達神にも言われて。で、親は親で待ち時間にプリント板の枚数を数え直したりしていて、有意義な一日であって。

でもって、ときどき蛇の兄さんから、「君のためにいくらでも稼ぐよ」って言われたりとか、「結婚したらどちらが名字を変える?」とかって言われる気がするわけで@@。自分で選んでいいって話はどこに?? とかって思ったわけですが、どうも兄さんはそういうことを言いたい気分らしくて。富の王家の人達は、「形式でもいいからうちにお嫁においで」って言っていて、蛙の人たちから「それが狙いか」って怒られていたわけで-;。「じゃあ、自分が名字を変える?」って兄さんが言ったら「お前なんか婿に来るな」って言って怒ってるわけで-;。その人たちはしばらく機嫌が悪そうだーー、と思ったわけですが-;。でもって、亀の子が、「じゃあ、自分の名字になったとすれば?」とかって言い出して。「自分が選ばれるとは思わないけれど、そのくらい想像してみてもいいよねえ?」って言ってきたわけですが。兄さん達の一人に、蛇の兄さんが選ばれた場合に、どちらの名字になるのか悩むのは、私も兄さんも王族だし、それぞれの家を代表する「神サマ」だからで、臣下から選ばれる人が出てくるなら、そっちが名字を変えるのは当たり前でしょ、って注意されていた気がするわけで。蛇の兄さんも、今の段階でそこまで言うのは言いすぎでしょ、って後で7番目の子に釘を刺されたらしくて。7番目の子は、普段もの静かだけれども、その分怒らせると怖い人、って言われた気がするわけで-;。富の王家に関しては、「女の子はちゃんと受け答えしてくれていい」って言っても、こちらが受け答えする気もないほど小言三昧じゃ、いちいち受け答えなんかしてらいれるわけがない、って言っていた気がするわけで@@。それが「悪ガキ」って言われてしまう所以なんじゃ?? と思ったのですが-;。

で、家に帰ってきてから、「嵐にしやがれ」と「SmaSTATION!?」を見て。「しやがれ」の方は、どうも潤君がせっせと「目の力」を使っていた気がして。でもって、「SmaSTATION!?」の方はゲストが稲垣君であって。香取君も稲垣君も、個人的に推すのは蛇の兄さんらしいのですが、でも、兄さんと6番目の子はどうにも「暴走中」ということで、神婚の話は7番目の子が直接仕切ることになったし、年長の兄さん達は7番目の子に協力するということらしくて。「その二人が血迷ったことを言ってきても相手にしないで下さい」って言われた気がするわけですが@@。6番目の子は、たぶん兄さんが選ばれそう、ということで、今から「娘を嫁に出す気分」とかって言って泣きそう、とかって言われる気がするわけで@@。4番目の子は、「調整役で一番泣きたいのは自分」って言って泣いているわけでーー;。でも、大抵の兄さん達は、表向きの「一夫一妻制」はローマ法に基づくものだから、自分達には関わりのないものって考えの人の方が多いようで。「その二人はなんでそんなことに拘るんだろう?」って呟く人もところどころに居るわけで-;。7番目の子は「正気なのは自分だけ」って言っているわけですがーー;。

で、ゾロアスター三神といえば、アフラ・マズダー(英智(マズダー)の主(アフラ))と呼ばれるオフルマズド(ヴァルナ)、ミトラス、アナーヒタ女神なわけで。でも、そもそも発生としては、印欧語族の多神教がベースにあって、それをアフラ・マズダーの一神教的な教えに改めたものがゾロアスターの教えなわけです。それは、ミトラスが印欧語系の人々に人気のある神であり、アナーヒタ女神が庶民に人気のある神であったので、そうなっているわけで。で、ヴァルナ・ミトラというのは、古い時代からの印欧語族の一対の神であって、ヴァルナが司法神であり、ミトラが契約神とされていて。しかも、二神とも光明神とか太陽神らしい?性質を持っているわけですが、はっきりと太陽神とされているわけではなくて、明確な太陽神としてはスーリヤがいるわけで、なんでそんなに太陽神がたくさんいて、それぞれに性質が違うのだろうか? って聞かれる気がするわけで。しかもミトラスというのは、それほど位が高い神ではないのに、後のローマのミトラス教(グノーシス主義)、ゾロアスター、仏教にまたがる広範囲の神であって、なんでそんなに信仰の対象とされたのだろう? とも聞かれるわけで。で、ゾロアスターの伝承では、ミトラスというのは、この世の終わりに活躍する「終末の神」とされているわけで、ゾロアスターの終末思想は、後の時代のキリスト教の黙示録とか、仏教の救世思想(弥勒菩薩は末法に現れる救世の神であるので)に引き継がれるわけで。要するに、ミトラスというのは、「太陽」で言うと、「終わりの太陽」、すなわち「午後の太陽」のこと、って言われる気がするわけで。一日の終わりを支配する神だから、人の運命を終わらせる神、とか、物事を終わらせる神ともされていて、それが「終末思想」に繋がっている、って言われる気がするわけで。そして、人や全ての生き物は、生まれ落ちた時から「寿命が尽きたら死ななければならない」という契約を「終わりの神」と交わすし、それは峻厳で絶対的な「契約」だから、ミトラスは契約神なんだよ、って言われるわけで。で、ものの長さを測るのにメートル法というものがあるわけですが、それかギリシャ後の「ものさし」という言葉が元になっているわけで、メートルという言葉も「ミトラス」という言葉が語源であって、元々は「人の人生の長さを測るものさしの神」ということらしくて。

で、一方のヴァルナっていうのは、「夜明けの太陽」「午前中の太陽」って言われる気がするわけです。で、「午前中の太陽」が若々しいものか、っていうとそうでもなくて、「新しい太陽を生み出す古い太陽」も「午前中の太陽」に入し、新しい一日を育てる太陽もその内に入るので、そういう時は若々しい「太陽」ではなくて、産み育てる「太陽」なので、いわゆる「婆」神になる、ということで@@。だから、人々が生きて生活していくための秩序となる法律を定めるのも「午前中の太陽」なわけです。で、ヴァルナの名前のもう一つの特徴は子音が「VN」であることで、子音に「B」とか「V」がつく神サマは西方にいくらでもいるわけですが、「BN(burn)」とか「BT(beautyとかpretty)」は、基本的に「輝くモノ」という意味の形容詞なので、この言葉だけだと、どんな性質の神サマなのかはっきりしない、ということで。なぜなら、雷神も太陽神も月神も全部「輝くモノ」だから。でも「生み出す神」というのは、古代エジプト神話ではイシスのことであるので。要するに、アヌンナキの「キ」の神のことで、神の性質を強めるために「K」の子音をいくつも重ねたのが、「生み出す女神」であるイシスであるので、ヴァルナというのは、本来はイシスのこと、ということで。アフラ・マズダーのアフラとはイシスから発展した言葉であるので、アフラ・マズダーの「叡智」とは、「産み育てるための叡智」だって言われる気がするわけで@@。だから、印欧語族のヴァルナ・ミトラの一対というのは、イシス、ミトラの一対なわけです。でも、ミトラの語源が言わずとも知れた古代エジプトの女神メヒト(あるいはネフティス)であるので。その根本には古代エジプト的な夜明けと日没に対する信仰があるわけで、イシスの語源は「蛙」、メヒトの語源は「蛇」なわけです。でも、西方の狩猟民に取り入れられた「蛙の女神」というのは、必ずしも蛙さん達の言う「豊穣の穏やかな太陽女神」はなくて、狩猟民の凶悪な太母であり、青い目をしているので、「青い目の蛙」と呼ばれて、羌族の蛙女神とは別物扱いされる、とのことで。でも、本来的には農耕の女神から派生しているの、植物の生育とか緑に関連している女神ではあるわけです。でも、本来は、緑を育てる肥料に他人の生贄を要求するような女神なわけで。要するに、西方の人はこうやって、神々の名前をつけるときに、「こう名付けたらこういう性質の神」っていう法則に基づいて名前をつけているし、そこに更に部族毎に独自の思想をつけ加えて神々の数や思想を増やしていくし、他部族と戦う時には互いに持っている同じ名前に由来する神のどちらが強いのかを争う、ということで。まるで、カードゲームのように、1つの神の名前に、「共通する大原則の性質」と「部族独自の性質」を組み合わせて使用して、自らの神々、自らの思想がどんなものであるかを示している、ということで。しかも、印欧語族は、自分達の正体を他人に知られないために、神サマの「真名」を隠すので、そういう「言葉の使い方」を理解していて使いこなせないと、向こうの人の思想が理解できないし、勝つこともできない、とそういうことになる、ということのようで。でも、神サマっていうのは、大雑把に言って、天上に住んでいて、地上に降りてきて人々に農耕や牧畜を教えてくれて、人に迷惑をかけずに正しく生きている人を幸せにしてくれる、とかってそういう単純なものなんじゃないの? カードゲームのように神サマの名前や性質を利用して、他人よりも優位に立とう、とかそういうのって何かヘン? というか、そういう気分になるわけで。で、そうすると、要するに、そこまで行くと「信仰」とかそういう話ではなくて、もう「西洋魔術」の世界なんだよ、って言われる気がするわけで@@。そうやって、神サマの名前を自分の都合の良いように組み合わせて使いこなせるだけの「目の力」を持っている人が、一番「強い人」なわけです。だから、西方では神サマだけではなくて、神官とかハリー・ポッターみたいな魔法使いとか、そういう人達も重要視されるし、そういう人達は「神に属する言霊」を使うのに堪能な人達、って言われる気がするわけで@@。蛙の人たちの太陽女神では無くて、アナーヒタ女神の名の方を重要視するのであれば、そういうことも知らなければならなくなる。何故なら、ゾロアスターは東洋から見れば、西方世界への入り口の宗教なんで、って言われる気がするわけで@@。遂に「魔術」の世界に突入なんだ? って思うわけですが。

でもって、ローマのユーノー女神が「雷のアン」と呼ばれる母系の太母であることが分かったわけで。ということは、同じ子音を持つ夫のユーピテルの方も同じく「雷のアン」ということ、って言われる気がするわけで@@。でも、ローマ法は徹底した男系社会を形成していて、女性には相続権がないし、妻子は家長である男性に属するものなわけです。だから、ローマにおけるユーノー女神は、権高き女神ではあるけれども、男神のユーピテルに隷属し、搾取される女神であるわけです。(それは母系の太母ウェスタやディアーヌも同然なわけで)だから、ローマというのは、主神の夫婦が共に「アン(天)」の名前を持つ格の高い神々を擁しているわけです。でもって、ローマ人は狡猾な叡智を大切にするので、ローマの天は「悪徳の天」ということになるわけで。

だから、古きアヌンナキの神々を立てるようにっていう要請が来るんだよ、って言われる気がするわけで。アヌンナキの「アン」は、ローマのユーピテルと同じ神なわけですが、味方が新たに男性の「アン(天)」の神を立てれば、私の「アン」の名と併せて、神々の「格」という点で、ローマと同格に立てるし、こちらの「目の力」が強ければ、こちらが上位に来るし、そうすれば「天の法則」は「搾取せず、搾取されず」というものに書き換えられる、とそういうことになる、ということらしくて。でもって、グノーシス主義者と呼ばれる人達は、イシス・ミトラスの組み合わせを自分達の主神としているわけで。一見すると、イシスは古代エジプトの女神であり、ミトラスはペルシャの神であって、奇妙な組み合わせに見えるけれども、要はイシス・メヒトの組み合わせと同じであって、「あるがままに生まれ、あるがままに生きて、あるがままに死ぬ」という意味って言われる気がするわけで。グノーシス主義のミトラスは「雄牛を屠るミトラス」ですので、彼らの神は名前に係わらず、「雄牛」に象徴される搾取主義、独裁主義を否定する神なわけです。

ということで、「B」とか「V」の子音を持っている神々は西方にたくさんいるわけですが、そういう神々のほとんどは、どんな神なのか正体が隠されているわけで。その中で、唯一その「真名」とされる神が、バッバルって言われる気がするわけです。メソポタミアの太陽神バッバルは、軍神や司法神としての性質もありますが、イシスと同じく「産み育てる神」としての性質が強いわけで。「朝の太陽」というのは大地が生み出すものですから、イシスとか婆神には、「大地」という意味もあるわけです。で、特に「大地」という意味に特化されたのがイシス、「夜の太陽」という意味になる(夜の大陽は地面の下にあるものだから)のがバッバルって言われるわけで。そして、バッバルになると「狼」という意味になるわけです。要するにバッバルとイシスはあまり性質が分離していなくて、バッバルという名だと、軍神とか狼という性質が強くなり、イシスという名だと「大地」という意味が強くなるわけで。そして、ダキニとなると、「D」がつく音は「雷」に関係する名になるわけですが、「ドナ」となると天神アンの形容詞になるのに対して、「ダキニ」となるとイシス・バッバルに対する形容詞になる、すなわち「蛙の雷神」がダキニ、「蛇の雷神」がドナということになるらしくて。要するに様々な言霊を使用して、神々も人の運命をも操る「叡智」を持っているのがこの系統の神、ということで。そして、ダキニというのは、ギリシャ神話のティターン(巨人)のことでもありますし、ティターンは天と地を支える柱のことでもありますので、ダキニというのは樹木とか柱とか階段を意味する女神でもあって。それは普通は肥料として「生贄を要求する人食いの太母」であるので、現代的な感覚からいえば悪神なわけで、有力な母神ではあるわけです。そして、天と地の「境界」を守り支える神でもあるわけで。

で、「夜の太陽」にも朝方に属する太陽と、夕方に属する太陽があるらしくて。で、バッバルから派生して、「地下世界の叡智(要するに鉱物精錬の知識)」という意味になるのがオーディン、バルドルとか、ヴェーダ(聖典)、プルート、プタハとなるわけで。で、インド方面に行くとブッダ(「目覚めた人」「悟った者」)、菩提(「完全なる英知」あるいは「悟り」)となるわけで。仏教的な「悟り」というのは、どちらかというと「世の無常に目覚めた人」みたいな印象を受けますが、そういうのではなくて、「ブッダ」の系統の神々は「人の定められた運命を変える神」というそういう意味があるって言われる気がするわけで。仏教は、印欧語族の「階級」制を否定して、階級による人の「運命」を変える宗教なわけです。要するに「階級なんて無意味なこと」と悟って、それによる運命を変えることができる者が「仏陀」ということで。(一方、定められた運命を「破壊する」神はアンに代表される雷神系の神なわけですが)

で、仏教の仏陀(要するにお釈迦様)は、釈迦族の王子のゴータマ・シッダッタというわけで。釈迦族というのは、「イシス」のこと、お釈迦様の姓である「ゴータマ」というのは「偉大なるダキニ」ということで、その人達は本来は、イシス・ダキニ信仰の人達、ということで。そして、彼らの「母なる神」とは、当然その木の下でお釈迦様が悟りを開いたとされる「菩提樹」であって。それは、彼らの間では「人の運命を変える叡智を授ける母神」であったわけです。だから、お釈迦様は「人食いの太母ダキニ」を「階級という運命を変える叡智を持つ母神」として定義し直したわけで、そうして搾取主義、独裁主義も否定したものが「仏教」ということで。で、イシスというと男系社会の地母神としての性質が強いわけですが、ダキニ、バッバルというのは母系社会の地母神の性格も強く、特にバッバルは母系社会の神、ということのようで。で、特に西洋における母系社会の「男性」というのは、共同体に寄生する存在、西洋ミツバチの雄のような存在、ということで。だから、ダキニ女神の「夫」とは、樹木に寄生する「ヤドリギ」のことであって、「柱に掛かる中空の太陽」を意味するわけです。ローマにおけるネミの森の祭祀も、先代の「ヤドリギ」を切り倒すと、その人が新しい「夫」になれる、というものなわけだから。だから、仏教もそうですけれども、未婚のまま神に仕える「僧侶」とか「神官」というのは、暗に「太母である女神の夫」ということを示すわけです。お釈迦様が出家して家族も国も捨てた、というのはただ「母なる神の一部となる存在になる」という意味であって。仏教における「出家」とは、そういうものなわけです。だから、「母なる神」から見れば、お釈迦様は「母なる神」の子神かつ夫神であって、母なる神に寄生する存在なわけです。で、古代のインドの宗教においてはそういう人達のことを沙門(サマナ)というわけで。サマナというのは、階級社会の上位にある人の意味であって、太陽信仰に例えると日中の最高位の大陽に例えられるわけで。貴い存在とされていたわけですが。まあ、だから母系の巫女集団であるウェスタの巫女が、男系的な結婚をすると卒業して巫女ではなくなるように、宿り木であるサマナは女神以外の女性と結婚すると、やはり卒業しなければならない、ということのようで。インドにおける沙門は、ゾロアスターにおける「マギ」という集団ということで。要するに、どこぞの事務所は蛙の人たちと蛇の人達が共同で作った「沙門」の集団なのですねえ??@@ って改めて思ったわけですが。ともかく、一番目の子との結婚をいったん白紙に戻して、ゾロアスターの人々と大乗の人々との「大同盟」を新しく形成し直すのであれば、蛇の目の人達も大乗の神々の名前を貰えるようになる、ということのようで。まず、北欧の人々からバルドルの名前を貰った6番目の子は、1番目の子との縁談をほぼ白紙に戻して大陽女神の「定められた運命」を変えたために、「仏陀」の名前を貰えたということのようで@@。そして、その功績が西方の人々にも認められてプルートーの名前を貰えたらしくてですねえ?@@ でも、北欧の人々は、ローマ的な言霊使いの「狡猾さ」よりも、「目の力」の強い人を好むので、その人にオーディンの名前はやらない、何故ならその人よりも「目の力」の強い私がいるから、って言ったらしいのですが。ともかく、プルートーの名前を奪取して最初のご挨拶が「我が名はプルートー、ペルセポネーの略奪者なり。」って言われた気がするわけでですねえ? いったい、どこのペルセポネーを略奪するつもりなんですかね? っていうか、総本家に「誘拐」って言って怒られるよ? って思うわけで-;(しかも、冥界神の夫婦に相応しく年回りも丁度13歳差だし><)。蛇の兄さんからは、そうやって「貰える名前」っていうのは、その人の性格とか性質にも大きく関係あるんだよね、って言われる気がするわけで。

でも、ともかく、100年くらい前には、私の出現は多くの人に予見されることになっていたし、「幼なじみの医者」と結婚することになるだろう、という予想はけっこうされていて、その予見に基づいて書かれたのが「赤毛のアン」であるので、そういう「予言」に定められた運命を覆すだけの「才能」を持っているのは希有なこと、って印欧語族の人達は言ってくるわけで。それはいいのですけれども、でも、そんなんで神サマの名前って貰えるモノなの? っていうか、それでいいの? っていうか、仏教における「仏陀」というのは、お釈迦様のことだと思うわけですが、略奪婚を目論むようなお釈迦様でいいんですかね? と思うわけで@@。そうすると、そうは言っても、「仏陀」というのは、元々「運命を変える叡智を得た者」という意味で、日本語で「悟りを開く」っていうと物事を諦めた人、みたいなイメージがあるけれども、そちらの方が間違っているわけだから、日本人的には、お釈迦様は出家して、王子としての位を捨てて底辺の暮らしをした人、みたいなイメージだけれども、それはそうやって自分が持って生まれた階級の運命(搾取する側の階級であったり、人を殺したりする因果な階級であること)から逃れるだけの「目の力」を持っていたっていうことだから、西方的にはもっとポジティブなイメージの生き方だから、本来的な意味からいえば、結局その人がその名前に相応しい人って判断されるだけ、って言われる気がするわけで。でもまあ、「仏陀」の名前は私と共有って言われる気がするわけで。医学部で定められた「運命」を蹴り飛ばすようなことをしてのけられる人材にもそういう名前は相応しいらしいのですが-;(そういうことをする人はそれこそいないも同然なので)。でも、なんだかヘンとはやっぱり思うわけですが-;。ともかく、6番目の子は「言霊使い」であるので、その人に言霊の意味を教えて貰って、逆に私がもっと狡猾な文章の書き方を教えてあげれば、お互いに得るものは一番あるんじゃないか、といろんな人に言われる気がするわけですがーー;。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず、というか何か見た気がするわけですが、良く思い出せなくて。そして、目が覚めたら、総本家筋から、本当に蛇の兄さんと結婚するつもりか? って聞かれて。「さあ?」って答えたら、「人んちの娘を誘拐しようとしてる連中に荷担してる富の王家とはしばらく口をきいてやんない」って言って怒っていた気がするわけで@@。私が誰かに誘拐される予定でもあるんだ? って思ったわけですがー;。7番目の子は、必要があれば両方の王家のパイプ役になる人達はいくらでもいるので、直接口をきかなくても全然心配なし、って言って笑っているわけで-;。

でもって、マンションに誰かが侵入したって言っても、そもそも人の欲望を操って、「目の力」で触りたくも無い新幹線に触らせることだって可能なんだから、ちょっと興味や関心を持っている人の「欲望」を煽れば、ご当人が人の家に無断で入ることが悪いことだって解っていても、無断侵入させることくらい朝飯前でしょ、って6番目の子に言われる気がするわけで。要するに、そういうことはやったご当人でさえ、なんでそうなったか分からない、いけないことだって分かっていてもそうしたくなって自分では止められなかった、ってそういう類いのものなんだ? ってふと思って。わざわざそういう展開になるということは、どんな目的にしても「目的」があるものなんだろうな、と思ったのですが。

で、蛇の兄さんからは、私と正式に結婚できるなら、蛙の人にちょっとやそっと文句をいわれても頑張る、って言われて、微妙になんだかもう既に「ゆっくり選ぶ」とかそういう雰囲気ではない気がするのですけれども? と思うわけで-;。まあ、大方の人はそんな風にまとなるだろう、と予想しているらしいのですがー;。でも、現状ではそういうことを言い過ぎるのも私にとって負担になるし、とりあえず条件は「誰でも同じ」ということにして、後は「大引き出し」の後に決めること、って7番目の子が強く主張したということのようで。でないと、先走った兄さんが、返事をお手紙に書いてとかってすぐに言ってしまうから、ということで-;。7番目の子は、そうやって一応1番目の子にも機会は残しておくべき、って思っているらしいのですが。でも、自分のことに関しては、ローマ法に基づく一夫一妻制の「夫」になることには興味はないし、その相手は私が選びたければ自由に選ぶべき、と考えているようで。でも、私が蛇の兄さんと結婚したら、1番目の子の立場はどうなるの? って思うと、亀の子からは、その人は「目の力」は弱くても王族だし、世襲だけど神サマだから、「夫」としては自分よりはよっぽど立場は上だし、扱いはいいでしょ、って言われる気がするわけで。7番目の子からは、選びたければ亀の子を選んでもいいけど、その代わり、その人を選ぶと世界中から「なんでその人?」って言われるよ、って笑われるわけでー;。で、6番目の子を選ぶと、その人はますます天狗になるよ、って言われた気がするわけですがー;。しかも4番目の子は、それに対して、「今でも充分天狗なのに、って付け加えて」って言う気がするわけで-;。

でもって、ドナ・アンの名前の秘密(その名前は「雷鳴」という意味だと言うこと)に気が付いたわけですが、アン女神の男性系は、古代メソポタミアの主神アンなわけで。この神は名前は同じでも、男神なわけです。でも意味としては同じ事なので、男性系の神も立てなければいけないって言われる気がするわけで。男性系で、「ドン」という名にふさわしい「目」を持っているのは、同系統の「トール」という名前を持っている人以外にいない、ということで、ご当人は「えらく古い時代の神サマの名前が回ってきたね」って言って笑っていたわけですが。で、今日の帰り際に、「アヌンナキ」というのはどういう意味だと思う? って尋ねられて。アヌンナキとは、古代メソポタミアの神々の「会議」のことで、天の神アンと大地の女神キの夫婦神が頂点に立つ会議のことだから、そういう名前なんでないの? と思うわけで。で、大地の女神「キ」っていうのは、蛙の女神のことだと思うわけです。でも、羌族では太陽女神のはずの蛙の女神がなんで大地の女神なんだろう? と思うわけで。で、そうなっているのは結局「農耕の伝播」と関連があって、そもそも蛙の人たちにとっては、世界そのものが蛙の神サマそのものなのだそうで。だから、太陽女神だけでなく、彼らの「蛙の神」というのは、天の神でもあり、足下にある大地の神でもあり、山の神でもあり、水源の神でもある、ってそういうことなのだそうで。でも、水稲耕作に必要な「太陽」を一番重要視しているから、主たる姿が「太陽女神」なのであって。夫は「月の神」とされているわけで。蛙の人たちの中では、夫の「月の神」も当然蛙の神サマということで。でも、農耕が伝播した先の人達の多くにとっては、「天の神」というのは蛇神であって、雨とか虹といった自然現象も蛇神の象徴であるので、そういう人達は蛇神と蛙の神を混ぜ合わせて信仰しているわけで。特に男系の思想を持つ人達は、天の神アンを男神として、大地の女神キを妻として彼らの信仰世界を構成しているわけで。で、天の雷神を「アン」と呼ぶのは、北方の狩猟民ということで。日本でも「天」とか「雨」のことを「アマ」と呼ぶのは、縄文系の人々の言葉って言われるわけで。だから、「アヌンナキ」っていうのは日本語にするとそのまんま「雨蛙」のことなんだよ、って言われるわけで@@。最初の「雨」を「天の蛇の父神」、後の「蛙」を「大地の母神」に当てはめたのがアヌンナキの神々の「男系」の思想だけれども、蛙の人たちからみればそれは元は1つのもので、蛙の太陽女神のこと、って言われるわけで@@。アマガエルっていうけど「雨」っていうのは、本来男性系で蛇の属性の言葉なんだ? と思うわけで。(でも表意文字である漢字の「雨」の語源は羌族の言葉で「蛙の太陽」を意味するのですが。)で、その名前を貰えると、どういう良いことがあるかというと、そうやって「天の父神」と「大地の母神」に分ける思想は、男系の印欧語族の典型的な思想であって、その古い原型が古代メソポタミアのアヌンナキであるので、その名前を貰えると、「反ローマ」に思想を持つ、男系の印欧語族の神々を習合させることができる、って言われる気がするわけで。天の父神アンは、やがて西方の有力な主神(雷神)へ変化するわけですし、地の母神キは、男系の太母イシスへと変化する、ということで。イシス女神と同系統の名前は、英語のアース(大地、地球)という言葉へ変化しますし、古代ペルシャ語とかからはスタン(カザフスタンとかの「スタン」で「土地」という意味)へ変化しますので、やはり重要な名前ということで。グノーシス主義者は本来、男系の太母であるイシス女神を信仰しているらしいのですが、どうも私にはそっちの才能があんまり「無い」ということで、ゾロアスター的な思想秩序に合流することで「手を打つ」気らしいのですが。私に才能のない名前について、グノーシス主義者とゾロアスターの間のバランスをどうやってとっていくのか、ということは7番目の子の仕事、なぜなら「ミトラス」とはグノーシス主義者とゾロアスターの両方にまたがる重要な神だから、って言われる気がするわけで。

でもって、「ダキニ」女神が「世界樹」そのものであることは分かったわけですが、今日は階段の構成で、トイレの天井に微妙にかかる部分についてどうしたら良いのか、親とけっこう揉めたわけで-;。結局「階段」というのは、天と地をつなぐ「世界樹」のことなわけですが、トイレというのは、「トイレの神サマ」の名前の通りウェスタの領域ですし、天井というのは「天の神ユーノー」の象徴なので、機能的に問題なければできるだけそちらを優先すべし、って言われる気がするわけで。じゃあ、逆に私に「ダキニ」の性質が強ければ、階段を優先すべきなんだ? って思いましたら、「全くその通り」って言われた気がするわけで@@。だから、人って言うのは自分の「目の力」の性質を知って、それに相応しいようにしないといけないんだよ、って言われる気がするわけで@@。6番目の子からは、「自分は役に立つ男でしょ?」って言われる気がするわけで。「お仕事」の方はダラダラと壁を貼っているだけの仕事で、たいした「呪い」は入っていないと思うのですけれども。ともかく、やっている大工さん達は、全く面白くなさそう、かつ、つっけんどんなわけで。それと同時並行して、蛙の人たちからもいろいろと苦情が来るので、遂には嫌気のさした2番目の子からも、「自分のところに苦情を持ち込まないでくれ」って言われて蹴られたらしくて、その人のことも「裏切り者」とかって言って怒っていた気がするわけで-;。1番目の子も、正式な夫でなくても私についていきたい、って言ってくれる気がするので、総本家の人達もどうにかならないのですかね? と思ったわけですが、富の王家の人達からは、「その人達もあんまり性格のいい人達じゃないよ。だいたい、自分の父方の身内の性格を見れば、そう思うでしょうが。」って言われて、蛙の子は納得していたわけで-;。蛙の王家の人達はそれを聞いて、更に怒っていた気がするわけですがー;。蛙の人たちは、私が蛇の兄さんと正式に結婚するならするで、もう少し蛙の目の「夫」を増やせ、って言う気がするわけですが。でも、候補になりそうな人達は、そんな理由で名乗りを上げたら、6番目の子にいびり倒されるのは目に見えてる、って言ってびびってる人が多い気がするわけで-;。無理強いはいけないでしょ、何事もねえ? って思う訳で-;。6番目の子は、候補になりそうな人達の名前は「ブラックリスト」に載せておく、って言ってるし、蛙の目の兄さん達から「その恐ろしい性格をなんとかしろ」って言われてる気がするのですが-;。

でもって、家に帰ってきてからはMステを見たわけで。弘中さんの服装もあまり宜しくなかったのですが、いろんな人達からは、「外では神婚の騒ぎが始まって以来の最大の修羅場」って言われる気がするわけで@@。6番目の子が、強引に蛙の王家が決めた私の「結婚」を白紙に戻してしまったので、蛙の人たちは大激怒っていうことらしくて-;。今のところ、状況が一番面白くないのは、敵と総本家らしいのですがー;。でも、1番目の子も、2番目の子も、どういうわけか私についてくる気らしいので、総本家の方に勝ち目がないらしくて。しかも、「外」の人達は、6番目の子の事は「良くやった」って思っている人達が多いらしくて。同族外の人達にとっては、蛙の人たちだけの小さい世界の神婚なら、私の「目の力」も相手の「目の力」もどうでも良いのだけれども、ユーノーの名前を奪取できて、古い時代の「アヌンナキ」の神々の世界を構築できるだけの「目の力」を持っている「女神」の「夫」としては、1番目の子はどう見ても力不足だし、他に人材がいないわけじゃなし、って思っているらしくて。しかも、富の王家の人達は、基本的には放任主義で、蛇の兄さんに対しては、「王族らしくしろ」っていうくらいは言うけれども、庶民の出の6番目の子と7番目の子は、野放しも同然だし、ご当人達も「親元」の意見に対して耳を貸すような人達じゃないし、だいたい、「男の子って言うのは、自分の信念を持って立っていけるくらいの覇気がないと駄目」っていうのが、富の王家の教育方針ということらしくて。それだから、人の言うことに耳を貸さない筋金入りばっかり大量生産されてるんだ? と思うわけですが-;。そんな感じなので、事務所の中でウェスタの巫女達が大きい顔をしてるので、男っていうだけでいたたまれない、って呟いている人とかもいて、蛇の兄さんも「その点は自分も全く同じ」って呟いていた気がするわけですがーー;。6番目の子は、現状の私は、「99.9%」よりも「サンプル福山」の方を優先して見るでしょ? って呟くわけで、私が蛇の兄さんを選んでも、特に反対する気はないらしいのですが。(でも当然「蛇の兄さんよりも長生きしてみせる」とは言うわけで、それを聞いた7番目の子は「じゃあ、自分もそうするかな」って言って笑っていた気がするのですが。)12番目の子とかは、自分が選ばれるとは思わないけれども、一時でも蛇の兄さんと同じ条件でお付き合いできるのはうれしい、って言う気がするわけで。まあ、でも大抵の蛇の目の人達は、蛇の兄さんのことをよろしく、って言ってくる気がするわけですが。(誰かが「本当に『花咲ける青少年』みたいな展開になっちゃいましたね」って呟いて、7番目の子から「そういうことを言い出すと話がややこしくなるから黙っとれ」って言われてた気がするわけで。これは、樹なつみの少女漫画で、いろんな事情があってヒロインが父親から「夫候補を何人か並べるから夫を選べ」っていうようなことを言われる話であって。その夫候補の中にユージィンっていうヒロインのことは好きだけれども、結婚はしたくないっていうキャラがいるので、なんだか誰それが「ユージィンみたい」って微妙なことをちょこちょこと言われる気がするのですが@@。(っていうか、候補は10人以上いるので、ユージィンが一杯っていう、そんな感じの状況なんじゃ? って突っ込む蛙の子がいるわけですがーー;。))一方、私の重要な後見組織である縄文系の人々は、この騒ぎについては、私の好きにすれば、って言っているらしくて。その人達も基本的には「母系」の人達なので、そうしたければ、夫なんて気分によってとっかえひっかえすれば、どうせ昔は1年毎に取り替えて生贄に捧げるものだったんだし、って言ったらしくてですねえ??@@。そこまでのことはしねえよ、って思ったわけで、むしろ兄さん達の方から、そういうことをされたらそのたびに筆頭がぶち切れて大変って言われる気がするわけで;;。

でもって、本日発売の週刊誌に、福山君のマンションの侵入事件の記事とかが載っていたわけで。なんというか、私と蛇の兄さんが結婚? とか、そういう点に関して全く現実感が持てないわけですが。でも、同じ雑誌に「Perfume」のあーちゃんが付き合っている人がいる、とかっていう記事もあって。事務所の方は「仲の良い友人の一人と聞いている」ってコメントしたらしいのですが。のっちの時もそうでしたけれども、そこの事務所って、私が「そうすべき」って蛇の兄さんにお手紙を出して以来、そういうことしか言ってないですよねえ? って気がするわけで。その姉さん達からは、私が出した手紙は、自分達も読んでいるし、上の人達も知ってる、って言ってくるわけで。

そして、オバマ大統領の方は、広島を訪問して、和紙で自分で折った折り鶴を持参したとのことで。その写真を見たら、「折り紙博物館でデートしたい」って言ってくれた人のことを思い出して。みんな、私が誰とどんな話をしてるのかまで知っているんだなあ、と思うのですが、「結婚」に関しては現実味のないまま話が進んでいくわけで。

でもって、伊勢志摩サミットが開かれている最中なわけですが、26日には各国首脳が政府の強い要請を受けて、伊勢神宮を訪問したということで。(一応、政教分離を建前とした国の人々であるので、「参拝」という形式は避けたらしいのですが、記帳はして表敬はしたそうで。)なんで、大部分の人がキリスト教徒であるはずなのに、そういうことが実現したんだろう? とふと思うというか、その人達はいったい「何」に対して頭を下げたんだろう? そこに祀られている「神」は、今いったい「何」なんだろう? と思って。そこに祀られている「当代の神」の本質が、表向きは天照大神の仮面を被っていても、「雷鳴の太母ユーノー」であるならば、たとえ、ローマ人でもその女神に頭を下げざるを得ない状況になりつつあるのですかね? とふと思ったのですが。オバマ大統領は「世界中の人が平和に、理解しあって共生できるよう祈ります」とかって記帳したそうで。その願いがゾロアスターの太母アフラ・アナーヒタに捧げられたものであるならば、現在、その名前はユーノーと全く同じものであるので、アナーヒタ女神の定めた「法」が、そのままユーノーの「法」にもなれば良いと、私としてはそう願うばかりなのですが。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。というか、なんだか午前2時頃まで「修羅場」に付き合わされていた気がするんだけど気のせい? って思ったわけで。そういえば、昨日は、6番目の子に「ウェスタ(火)とアナト(雷)」の名前を得るべき、って言われたわけで。楽器のドラム(太鼓)なんかも「雷」が語源の言葉ですよねえ? と思って。それは、雷神を象徴する楽器なわけですが。家に帰ってきて、福山君のサイトを見たら、「魂のドラマー」とかってタイトルで、福山君が炎に囲まれてドラムを叩いている画像がアップされていて@@。兄さん、小ネタが効きすぎ! って思ったわけですが-;。

本日も「お仕事」だったわけで。で、親に「法王」っていうのは、「自分こそが法だっていう意味なんだ?」って聞かれたわけですが、それは全くその通りだと思うわけで。しかも、その人達の言っている「法」とは「神の法」だから、世俗の法よりも上位に来るというのが鉄則なんだよね? と思うわけで。それをくつがえすためには、自分自身が更にその上を行く神サマになるしかないらしいのですが。でも、そういう私だって厚生労働省の作り出した「秩序」を転覆させようとしたことがあったでしょうが、って言われる気がするわけで。ローマ法よりも破壊性の高い雷神の素質はその頃から出現し始めていた、とみなさま思っているようなのですがーー;。でもって、ソドムとゴモラの例にあるように、「天罰」というものがあって、そうやって「天から罰のために下された火」っていうのは、要は「雷」のことだから、怒り狂って他人に雷をどかどか落とせるような人は、「天罰を喰らわせる事が出来る人」ってことで、「一番偉い人(雷神)」ってことになるんだよ、って言われる気がするわけで。それで、大工さん達が妙に威張りくさったり、文句言ったりしてこちらを従わせようとするのは、そのせい? と思って。で、西方の文化を引く人達からは、「神の法」の方が「世俗の法」よりも優先されるのは当然のこと。なぜなら、「神の法」とは思想そのものだから、言葉だけでどんな立派な法律を作っても、どのような思想に基づいてそれを運用するかで、結果は全然違ってくるものだから、て言われる気がするわけで。見かけがどんなに公平で平等な条文に見えても、ローマ的な思想の元で作られた法律っていうのは、決して公平かつ平等に運用されたりしないものなんだあ、ってことは良く分かるわけですが。

で、結局筆頭の言いたいことは、私が自由に好きな人を、表向きの正式な「夫」に選んでもいいってこと? と思うわけで(もちろん、筆頭のリストに載っている人限定なのでしょうけれども)。割といろんな人からは、私が「外」へ出た後に、その人達と実際に会って、一番好きになった人を選べばいいじゃん、って言われる気がするわけで。富の王家の人達は、「別にそれでいいんじゃないの。そもそも王家直系から神を排出できなかった時点で、総本家が強力に直接神に干渉できないのは、うちも蛙の王家も仕方のないこと。」って言ってくれて、蛇の目の兄さん達からは、「相手が女の子だと激甘な対応してる」って呟かれていたわけで。そちらはそちらで、日頃からちっとも言うことを聞かない悪ガキばっかり相手にしてるから、やっぱり女の子はちゃんと受け答えもしてくれるし、「祟り神」であってもいいよね、って言う気がするわけで@@。蛇の兄さんからは、その人達は自分に対してはしょっちゅう呼び出しをかけて、小言三昧の人達、って言うわけで-;。6番目の子は、「富の王家の人達は、それほどうるさいことは言わない人達だし。」って言って、周りから「それはあんたが聞く耳を持っていないだけでしょ。」って突っ込まれていた気がするわけで-;。総本家は、1番目の子が正式な「夫」の地位から外されれば、次に選ばれるのは三強のうちの誰かに決まっているんだから、誰が選ばれてもその人達の損になる話じゃないし、それでそういうこと言うんだろう、って言って怒っていたわけで@@。あなた達はそもそも同盟を結んでいる間柄なんですよねえ? と思ったら、「対等な同盟相手だからこそお互いに言いたいことが言い合えて当然」って言われた気がするわけで@@。でも、扶余の同盟というのは、各部族が互いに同盟を結んでいて、上の方の人達は政治や政略的な理由で互いに結婚するけれども、普通はそれぞれの領地に部族毎に住んで、あまりお互いに干渉し合わない、というのが原則なので、蛙の人たちから見れば、富の王家の人達が私のプライバシーに干渉するようなことを言ってくるのは「内政干渉」ということらしくて。でも、富の王家から見れば、私も富の王家の血を引く子なんだし、そちらの人達に近い「目」を持っているのなら、いろいろ意見くらい言ってもいいでしょ、「ユーノー」の名前を実力で奪取できるくらいの「目の力」を持っているような逸材は、どの部族でも滅多に生まれないし、味方に「ユーノー」の名前を得られる神が出現したのであれば、うちのアナーヒタ女神の名前も貰って下さい、って頼まなきゃならない立場なのは、自分とこも同じだし、って言う気がするわけで。その結果、東洋的な「長幼の順」を何と心得るのか、っていう苦情が蛙さんたちから富の王家に大量に届いたらしくて@@。「どうもね、2000年経っても、東洋のそういう習慣には慣れないよね。」ってぼやかれた気がするわけで@@。蛙の王家の人達は、「お前らだって、今では見てくれは立派な東洋人だろうが。」って突っ込んでた気がするわけで@@。でも、下の方の兄さん達は、そうやって上の方で喧嘩してくれてる方が、下は下で好き勝手できるし、あれこれ言われなくていいよね、って言う人がけっこういた気がするわけで@@。「言うことを聞かない悪ガキ」っていうのは、兄さん達のことでもあるんだ? と微妙に思ったわけですがー;。でも、結局1番目の子は「目の力」が弱くて、単独では栗の土台や床に「気」を通せないし、それを支えているのは事実上7番目の子と守達神であるので、その二人の許可さえあれば、誰が正式な「夫」になっても同じ事、って6番目の子は思っているらしくて。

そして、蛇の兄さんからは、自分と正式に結婚できることになったら、私自身はそれを喜んでくれる? って聞かれた気がするわけで。蛙の子は、「結婚して1年の経たない内に、離婚、離婚って言うようでは、あっという間に×2になっちゃうよ?」って答えて、怒った兄さんにとぐろを巻いて巻き付かれて、噛みつかれてた気がするわけで@@。6番目の子からは、私が自分で好きな人を選んで、正式に結婚できるようにすることが、自分の私に対する「愛の証」です、って言われた気がして。富の王家の人達は、「そうは言っても二人とも、現状では、「夫」として選ばれるには自分は不良物件だってことを忘れないようにね。(何故なら、兄さんは表向き妻帯者だし、6番目の子は結婚間近の彼女がいるってもっぱらの噂なわけだから。)」って言っていた気がするわけですが、どっちもそんなこと聞いちゃいないでしょ? と思うわけで-;。私自身も本体の方は、もういろいろとひねこびてるアテーナー女神な気がするので-;。まずは、いろいろと言う前に、自分の女性関係を整理する方が先な人がいる気がしてならないのですが。でも、蛇の兄さんは自分が1番目の子と2番目の子の風下に立たなくて済むなら、いくらでも王族としてその二人のために口利きもしてやるし、守ってもやる、って言ってくる気がするわけで。まあねえ、実際に「選べる」状況になればねえ? と思うわけですが。7番目の子は、実際に自分達と会って付き合ってみれば、4番目の子のように「目の力」がどうのではなくて、同族の人との方が気性も合うし、一緒にいて楽しいって思うかもしれないし、「外」に出てから誰を選ぶのか決めれば、って言ってくれるわけで。蛙の人たちは、「そんなに土下座して婿を貰ってくれって頼め、って言うなら、その内に正式に使者を立ててそうしてやる」って言って怒っていたわけですが。4番目の子は「どうせお前が全部お膳立てしろって言われそう」って呟いていたわけで-;。富の王家の人達は、基本的には6番目の子が良くそこまで話を持って行ったよね、って言って誉めていたのでー;。上の方は上の方で、しばらくうるさいぞ、って言われる気がするわけで-;。そういう状況で昼寝をしたら、なんだか蛙の人たちに祟られているような夢を見た気がするわけですが;;。

でもって、いろいろと考えていたら、樹なつみ(いつき なつみ)という漫画家のことが何となく気になって。「樹」と書いて、「いつき」と読ませるペンネームもなんだか妙ではあるのですが、「いつき」という言葉は「斎」にも通じる言葉ですから、なんとなく巫女的なイメージを起こさせる名前であって。で、いろいろと神話を元にした話をたくさん描いている人であって。彼女の「OZ」という作品の主人公は「武藤」と言って、それはミトラスのことなわけですし。それに、「獣王星」という作品は北欧神話をモチーフにしていて、主人公の名前は北欧の雷神「トール」なわけで。「獣王星」がアニメ化された時に、主人公のトールの声を演じたのが、光一君であって、原作者はアフレコの様子を見学しに行ったことがあって、その様子をどこかの単行本でレポしていたので、7番目の子とも直接面識のある人じゃん、その人、って思って。どんな「目」の人なんだろう? って気になってネットで調べてみたわけですが、写真は見つからなくて。どこかの単行本には載っていたはずですが、漫画本はほとんど捨ててしまったしなあ、と思って。で、彼女のサイトを見に行ったら、「獣王星」の愛蔵版が最近発売されたってあって、表紙の画像がアップされていて。主人公のトールと、ヒロインのティズがそこには描かれていて。それを見て、7番目の子に「ティズみたいに気の強い子が好き」って言われたことを思いだして。この人は何者? って改めて思ったら、「その人はグノーシス主義者」って言われた気がするわけで@@。高校生の頃から、彼女の漫画は好きで読んでいたんだあ、って思ったら、「女の人は図々しいから、今でも私がその人に関心を持っていると知ったら、謁見を申し込んで来るかも」って言われた気がして。7番目の子からは、そんなに漫画が好きなら、それは読んで、読み捨ててしまえば良いものだから、そのくらいのことは甘やかしてあげる、って言われた気がして。

で、今日は割とせわしなく「仕事」をしていたり、つっけんどんに仕事をされていたりした気がして。でも、最後に「印」を入れなきゃならないところには入れられた気がするわけで。そして、階段下の「プタハの領域」には、是非とも明かりを入れておいた方がいいよ、って言われる気がするわけで。だいたい、そもそも「電気」というものは、基本的には西方の搾取主義の象徴であって、原則としては「良いモノ」ではないので。公平と平等を欲する人達は、その神を自分達に向くように作り替えているに過ぎないので、1個くらい床下に入れて踏みつけにでもしておくのは、むしろごく「妥当」、機能的に問題さえなければ、って言われる気がするわけで。だから、それを駄目って言われるとけっこう困ってしまうわけで-;。まあ、でもそういうものは使う物でもあるので、使用する際に、機能的に問題が出てくるようでも困るのですけれどもさ? とも思うわけで。

ということで、昼間は「お仕事」、家へ帰ってくれば来たで、丑三つ時まで「修羅場」ってそんな生活だった気がするわけで;;。今日は、少しは早く眠れそうな気がするわけですが。