本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日も「お仕事」に出かけたわけで。で、道中でなんとなく、裁判を起こしている最中に「新幹線に触れ」って言われた時のことを思い出していて。動いている新幹線に触ったりしたら、巻き込まれるかはじき飛ばされるかして、只では済まないし、良くても手の1本くらいは持っていかれる、って頭ではそう分かっているわけですが、でも、そういう声が聞こえる、というかそうしたい、という「欲求」が自分の中に起きて押さえようがなかったわけで。でも、誰かが「触ったら死ぬぞ」ってはっきりと言った気がするわけで、その声は自分の考えのようでもあり、人から言われて心の中で響いた声のようでもあるように感じたのですが。でも、普通に考えてその言い分の方が妥当なので、理性の力で欲求はねじ伏せて触ったりしなかったわけで。今では、そうやって人の「欲求」を煽って、誰かを思い通りに動かすような「目の力」があると知っているわけですが。でも、ふっと、誰かから「あの時『触ったら死ぬぞ』って言ったのが誰なのか今なら分かるはず」って言われた気がして。そう言ったのは、誰とも名乗らなかったのですが、気配からすると春宮妃であった気がするわけで。そういえばそうだ、っていうか、それは無駄なこと、余計なことは滅多に言わないのに、必要な時に必要なことは必ず言ってくれる人だって、今なら分かりますけれども? と思って。結局、みんな敵と取引をして、代償を支払って生きているから、こちらが敵の致命的になるような行動を取り始めれば、私の命に関わるような役目も押しつけられるわけで。「防衛」には、そういう役目を押しつけられずに済む立場の人が当たるしかない、ということのようで。7番目の子は、とりたてて私の目に付くような立ち位置に来ることがなかった代わりに、敵と大きな取引をせずに済んだ人でもある、って言われる気がするわけで。蛇の兄さんが、「新幹線に触れ」という「目の力」を使うことは誰でも知ってたし、防衛を任されたのが7番目の子、ということで。その人の「目の力」が兄さんに負けてたら、私は新幹線のホームに飛び込んで今頃いないねえ? って改めて思ったわけで。足場が外れていろんな人の「行状」が微妙にばれだしたわけですが。その人、本当に「命の恩人」なんじゃん? って始めて思ったわけで。蛙の人たちがいろんな行状をばらす方針なら、7番目の子のやったことも私に伝えて欲しい、その人は自分からはけっしてそういうことを言う人ではないから、と春宮妃に直訴した人がいるって言われる気がするわけで。直訴したと指名されたご本人は、「自分はもう事務所を辞めちゃったんだから、自分なりに神婚は応援するけれども、そこの秩序に従う気もなければ、その必要もない」って言ってた気がするわけで。なんだかんだ言って、田口君も7番目の子の事が好きなんだね? と思ったわけですが。でも、割と春宮妃が個人的な好意で動いてくれるなんて、良くそういう気持ちになったよね、って言う兄さん達が多い気がするわけで。斎宮の宮は、「うちのお母さんは優しい人だから」って言っていた気がするわけですが。そして、7番目の子自身は、それが私に知れたからと言って、別に自分の生き方や立ち位置が変わるわけじゃないんで、って言っている気がするわけですが。というか、6番目の子がブチ切れているから、自分と4番目の子は新婚気分に浸る余裕もない、って笑われる気がするわけで-;。いい人だな、と思うわけですが。その人はその人で、個人的な感情はともかくとして、自分達は母系の文化の担い手であることを忘れてはならない、ということが信条らしいので。やきもちを焼いたりはしない良い人ではあるのですが。

でもって、「お仕事」の方は、あんまり「呪い」を入れられる余地もなかった一日であって。エコキュートの設置のためのコンクリートをどうするのか、とかそんなことくらいで。そして、神サマのことを考えていたわけですが、日天スーリヤというのは、ギリシャ神話のケルベロスであって、古代エジプト神話のホルスとも同語源であって。でも、これらの「太陽神」は軍神でもあるし、豊穣の神というか、むしろ「監視する神」であって、「KB」の子音を持つ神々であるのに、なんで人々を天空から監視する神になっているんだろう? って思って。そうしたら、「KB」の太陽神というのは、いわゆる「カポ」だから、って言われてはっとするわけで。「カポ」というのは、ナチスの強制収容所において、ユダヤ人のうち、特定の人を「囚人頭」に定めてナチスに協力させ、同じユダヤ人を監視させ、虐待させた制度のことで、「囚人頭」のことを「カポ」と呼んだわけで。要するに、西方の独裁主義、階級主義からみれば、「KB」の太陽神は、被支配者である農耕民の神であって、「奴隷の神」であるので、西方の独裁主義的多神教の「秩序」の中では、敵に協力して同族を監視し、搾取する「神」であることが妥当だって言われる気がするわけで@@。要するに、「KB」の神の名前しか貰えない実力しかないのに、「外」に出て生きようとすれば、そういう役割を与えられて、そう生きるしかなくなるし、でないと秩序に対する「裏切り者」とみなされて粛正の対象にされる、って言われる気がするわけで@@。だいたい、従姉妹も叔母達もそうやって、身内を監視して食い物にして生きてきたでしょうが、って言われる気がするわけで@@。それがいやなら、総本家のように小さくても自分の砦の中に閉じこもって、多くの同族に守られて、「外」との接触を必要最低減にして、「ローマの秩序」の中の「KBの神」とはできるだけ縁を切って生きるしかない、って言われる気がするわけで@@。でも、もう一つ「外」に出る方法はあるわけで、それは西方の有力な神々の名前を貰えるだけの「実力」を身につけて、自分自身がローマに対抗出来るだけの神となること、って言われる気がするわけで。西方における神々の「階級」を駆け上って、登れるところまで昇れば、「奴隷」の階級からは這い上がれるって言われる気がするわけで。でもって、敵といろいろと勝負して戦った結果、私の「目の力」は右の目が「金の目のウェスタ」、左の目が「青い目のアナト」って言われる状態であって、だいたい「蛙の女神って誰のこと?」って突っ込まれるような感じって言われる気がするわけで-;。しかも、真名が「ユーノー」だし、って言われる気がするわけで。ウェスタっていうのが、西方では格式の高い太陽神かつ火の神であることは分かったわけですが、アナトとユーノーってどういう関係? って思うわけで。

でもって、今日は階段のところの仕上げ材を貼っていて。一部、どうしても縦の列が4枚になってしまうところがあって、細かいものを入れて調整をしなければならなくて。で、まず4枚に貼られた時点で、7番目の子から、「調整をかけなくても、自分の気だけは通るから安心するように。」って言われて。でも、守達神からは、「調整をかけてくれないと、自分には見えない」って言われる気がするわけで。で、4枚に貼られたら、「ユーノーっていうのはドイツ語でドンナーのことなんだけど?」って言われる気がするわけで。そういえば、同じ子音だし、とは思うわけですが、それがアナトとどういう関係が? って思うわけで。そうしたら、6番目の子に「それはアプル・エンリルと同じで、元はドナ・アンって言ったんだよ。」って笑われて。そっかー、ドンナーっていうのは、「雷」という意味であるので、ドナ・アンというのは、「雷神アン」っていう意味だ-、って気が付いて。でもって、「ドナ」っていうのは、スペイン語とかポルトガル語では今でも女性に対する尊称であるわけで。で、印欧語族は神の真名をそのまま呼ぶことを嫌うので、「ドナ・アン」を略して「ドナ(雷)」と読んでいる内に、そっちの方が固有名詞みたいになったのがユーノーだから、ユーノーとアナトというのは、元々同じモノで、雷神であり、軍神であり、水神であり天候神なんだ? って思うわけで。それは、西方の母系社会においては、最高の格式を誇る女神の名前、ということで。で、ドイツ語のドンナーという言葉は英語のサンダーという言葉でもあり、北欧神話の雷神トールでもある、ということで。トールの名前を貰った子は既にいるわけですから、二人併せて、印欧語系の最高神の同じ名前を持つことになるわけで。そして、一方アナト女神の名前はゾロアスターではアナーヒタ女神へと変化するわけですので。でもって、いろんな人から、「八芒星のアナーヒタ」って言われる気がするわけで。アナーヒタの和名は何故「八坂刀売」というのですか? それは、その女神の神紋が「八芒星」であって、それはメソポタミア時代のイナンナ女神に遡る時から、そうだったから、って言われる気がするわけで@@。でもって、雷神の名前の意味は、「秩序を破壊する神」って言われる気がするわけで。

印欧語における「法」とは、いろんな言葉があるわけですが、ダキニに関する「法(ダルマ)」というのは、「神が定めた法」という意味があるし、ウェスタに関する「賢さ」というのは、要するに「法」というものをどう理解して利用するのか、という「賢さ」も含まれる、ということで。ダキニ系の意味する「法」で、最大に良く知られるものとしては「時(タイム)」があるわけで、時間というのは誰の上にも平等に流れるまさに神の定めた「法則」ということで。そういう絶対的で、変えられない「法則」みたいなものを「神の法」と呼ぶわけですが、独裁主義の人々の間ではそれは、「神サマが言ったことは絶対」っていう意味にも使われるわけで。で、「法」という言葉には英語の「low」という言葉もあるわけで。こちらは「KB」の子音を持つので、語源は「KB」の神と同じ、ということで。で、ダキニ系の「法」と、蛙系の「法」がどう違うのかといえば、「low」の方は、「人の定めた法」、「ダルマ」の方は「神の定めた法」っていう意味があるって言われる気がするわけで。lowもダルマも守らねばならないものだけれども、その二つが相反した時に、どちらが優先されるのかといえば、神々の秩序でダキニが蛙の神よりも上位に来るように、「神の定めた法」の方が優先される、だから、人殺しはいけないことだけれども、神が誰それを殺せといえば、それは行うべきこと、っていうのが、西方の人々の「法」というものの解釈の仕方の常識だし、言葉というモノはそういうものって言われる気がするわけで@@。そして、そういう「法」をどう理解して、どのように行使するのかが「巡る天輪」の役目であり、叡智(賢さ)であるわけで。西方における言葉というモノは、そのように定義されて使われていることを知らなければならない、って言われる気がするわけで。で、ダキニというのは、「樹木神」のことなんだよね、って言われる気がするわけで。北欧神話における世界樹(ユグドラシル)の語源もダキニと同様、ということで、この世界樹が、そこに宿るモノの生命の源であり、秩序そのものなわけです。だから人々は、代償を要求されてもその定めた「秩序」に従うわけですが。でも、雷というものは、木を燃やすものであるので。ユーノー・アナーヒタの名前を明確に得られると、ダキニよりも上位にいける、最上位にいる神の「秩序」を破壊せしめるだけの「目の力」を持つ軍神が、最上位の神となり、新たな「秩序」となるだけのこと、って言われる気がするわけで。要するにあの家から、ローマの定めた「秩序」を追い出して、ゾロアスターと蛙の人たちの定めた「秩序」を入れることが、こちらが「上位」に立つこと、なんだと思うわけで。

というわけで、壁に4枚の板の呪いを入れたら、ユーノー女神の名前の秘密を知ることができたので、私の本質的に相応しい名前は、誰がどう見ても「死と破壊の雷神ユーノー」って言われる気がするわけで@@。6番目の子からは、ウェスタとユーノーの名前を持って「外」に出てくればいい、それは西方の人々からも最上位の神の名として敬意を払われる名前だから、って言われる気がするわけで@@。そして、その名を手に入れたからには、私がもし望むのであれば、総本家に対して、格下で自分の「目の力」に相応しくない「KB」の神の名は自分には必要ない。その名前は返すから、誰でも相応しいと思った人にその名前は与えて、1番目の子と2番目の子も、そちらに回すように、と言える。そうすれば、総本家は、「KB」
の神の名を私に引き受けてくれ、と頼まざるを得なくなるし、1番目の子と2番目の子を貰ってくれ、と頼まざるを得なくなって、その二人だけと特に優遇しろ、と私に対して言うこともできなくなる、上位の名前を手に入れる、とはそういうことだし、「自由に生きる」というのは、そういうことじゃないのか? って6番目の子にそう言われた気がするわけで@@。げっ、富の王家はそういう物言いに対して何ていいますかね? って思いましたら、富の王家の方は、私の好きにしていいけど、世の中には破壊してもらっちゃ困る秩序もたくさんあるんで、やり過ぎないようにね、って言っているらしくて@@。そっちは、そっちでかなりの実力主義かつ放任主義かつ楽天主義って言われるわけでですねえ?@@ グノーシス主義者の人々は、その点についてどう動くかは、ゾロアスター三神の一画を占めるミトラスに一任するし、その結果自分達がゾロアスターの秩序に組み込まれることになっても構わない、っていう気がするわけで@@。要するに、6番目の子は、ゾロアスター三神の一つであるアナーヒタ女神を取り戻したいし、ローマのユーノー女神の名を強奪して、ローマよりも上位を目指したいけれども、蛙の太陽女神のことなんてどうでもいいんでしょ? と思うわけで。ご当人は、蛙の王家の出だというだけで、才能のかけらも持ってないような神サマの名前なんて押しつけられても負担になるだけ、って言う気がするわけでですねえ?@@ 4番目の子は、富の王家が半分容認してるようなことには、口出ししにくい、自分はなんだかんだ言って臣下の身分だし、って言う気がするわけで@@。まあ、別に1番目の子とは離婚したいと思うほど嫌いじゃないよ? っていうか、そもそも結婚ってもうしてるんだっけ? とかそういう気がするわけですが@@。っていうか、6番目の子の口車にうかうかと乗ってると、相葉君に合わせる顔がなくなっちゃうじゃん@@ って思うわけで。ちょっとその人を泣かせるのは勘弁してください、ってこの間のMステの動画を見て思ったわけで;;。6番目の子は、蛇の兄さんでも言わないようなことを言ったりやったりする人ですねえ? ってそう言うしかない気がするわけですがーー;。