本日の日誌その2

でもって、モレクやマールスというのは、ヨーロッパにおける「メフィストフェレス」のこと、って言われる気がするわけで。そういや、同じ子音だし、って思うわけですが。それは完全に悪魔の名前じゃん、って思うわけで。一般的な伝承では、人々は死後悪魔に自分の魂を渡す代わりに、現世での分不相応なくらいの利益を手にいれようとするわけです。で、自分の魂を引き替えにするのが嫌な人は、子供の魂と引き替えにしようとしたりするわけで。そういう場合は、子供が○歳になったら迎えに来る、とかって悪魔が言うわけで。(それは要するに、働ける年になったら、ということだと思うのですが。)悪魔はそのようにして人々と「契約」を交わすわけですが、でも、その「契約」は必ずしもフェアなものではなくて、悪魔は契約を交わした相手がわざと自滅したくなるような方向に追いやって、相手の魂をできるだけ早く手に入れようとする、ということで。

要するに、正常な状態であれば、牛というのは重要な食料であったり、荷物を運ぶような労働力であったわけで。で、牧畜をする人達というのはどこでもそうですが、家畜が財産でもあるので、際限なく毎日肉を食べたりはしていないわけで。乳を飲んだりとか、普段はそういうこともままあるわけで。肉と言うのは、必要に応じて食べたり、特別なお祭りの時のご馳走になったりするわけです。お酒も同様で、祭祀の時に使用するようなそういう聖なるものであった気がするわけで。元々の狩猟民の文化では、首領をしたり、そこから発展した牧畜で生活をまかなったり、財産である家畜を殖やしたり、ってことは1年の季節のサイクルの中で当たり前であり、重要なことでもあって。でも、そういう地道な作業や努力が嫌で、ただ肉を食べて、酒を飲んで、毎日遊んでいたい人々も中にはいた、ということで。そういう人達の発生源は「戦士階級」にあったわけです。何故なら、その階級の人々は、共同体を守るために何かあったら戦って死ななければならない人達であるので、普段の生活はとても優遇されていたからです。だから、逆に「戦いさえなければ、一生遊んで暮らせる」となるわけで。そうするためにはどうしたら良いのか、ってことばかりが彼らの重要事項となったわけで。そういう人々に、安穏に飲み食いだけをさせてくれることを保証する「神」がユーピテルであり、マールスであるんだ? と思うわけで。彼らと契約を交わせば、分不相応な待遇で一生遊んで暮らせる。ただし、死ななければならない時には率先して死ななければならない、という思想が民間伝承化したものがメフィストフェレスの伝承なわけで。いざという時に代償(命)さえ支払えば、好き勝手に他人の財産を奪いたい放題、やり放題を保証してくれる、というところまでねじ曲がってしまったのが、ローマ式の神々なんだなー、と思って。それは、本来印欧語族的な「戦士階級を優遇するための措置」であって、その代わり恩恵を受ける側にも相応の心構えが必要なものであったのに、ということになるようなのです。近東のモレクがどこまで腐っていた「神」であったのかは良く分からないのですが、古代エジプトにおいては、そういう男系の思想は土着の母系の思想と次第に習合して、「王家とは独裁者であるだけでなく、人民を保護するものでもある」という折衷的な思想へと変化していくのですが、ローマではその真逆にあって、独裁者は独裁者のままであれ、神々はそのためのものであれ、っていう思想に染まりきっている、ということのようで。だから、みんな小銭のために汚いことも平気でするし、その結果妙なものを飲んだり、食べたりが過ぎて、自分が早死にしても文句は言わない。「死ね」と言われたら死ななきゃならないのが、神との「契約」だから、ということのようで。自らが、メフィストフェレス(悪魔)たれ、人々が知らず知らずの内に自分と「契約」するように仕向けて、好きなだけ利用したあげくに、片付けたいときに片付けてしまう、自分は悪魔の(神)の代理人に選ばれているのだから、そうする権利がある、と、それがローマ式の理屈であり主張なんだなー、と思うわけで。丸っきりの詭弁の塊だから、純粋に素直に、人々が生き残るために、間引かねばならない命を間引くことを許してくれる神サマの方が、まだマシってそういうことが狩猟民の人々のご意見であるのだな、と思うわけですが。