本日の日誌

本日は「お仕事」でしたので、お出かけして。家の中の大きなモノ(風呂桶)とかがまだ入荷しないので、大工さんの仕事があまりない気がして。で、外装の業者さんも最後の仕上げに来て、コーキング剤を充填していって。途中で、ドアと壁のちょっと大きめの隙間のところに、細長い発砲ポリエチレンを入れたい、って言われてセキスイ製の製品を持ち出してきて。それは駄目でしょう、ということで、親に相談して桧の板を入れて貰うことにして。2本にしようか3本にしようか迷ったのですが、戸の枠とかと併せても5本とかになるし、2本増やした方が「呪いの数」にならない気がする、って言われた気がして。これが本日の敵のメインの「呪い」だった気がして。で、後はフローリングを貼る作業をして、せっせと数を数えたりしていて。いろいろと監督していたので、大工さんも好き勝手に呪いを入れられず、しまいにはため息を割とついていた気がするわけで。

で、帰る間際になって、引き戸の戸枠を一つつけつことになったのですが、大工さんが出してきた枠が戸にはまらなくて。大工さんが左右が逆で、工務店さんの方で発注を間違えたかも? と言っていたのですが、よく見たら枠の幅が長くて、別のところの戸枠であることが判明して。それを指摘したら、正しい枠を出してきて取り付けていたのですが、これもわざとやって、工務店さんに悪印象を持たせようとした? という感じであって。たいした仕事が無い割には、工務店さんの人が3度も現場に来たりして、妙な一日だったのでした。

でもって、「お仕事」をしていると、「仏教における火天の役割は?」って聞かれる気がするわけで。それはトイレ掃除の神サマ? という気がするわけで。で、ヒンドゥーの火の神アグニは古代では「ウッチュシュマ」とも呼ばれたそうで。その子音は「BTSM」ですので、それはケルトの「夏の火の女神」であるベリサマと、ほぼ同じ子音構成であると気が付いて。で、ケルトのベレヌス&ベリサマの夫婦の「火」は、浄化の火であって、医薬の神、みたいな性質も持っている一方で、ローマのウェスタと同様に、生贄を焼き殺すための火でもあるわけで。古い時代の印欧語族の「生贄を焼き殺すための火」の神は、インド方面に展開してヒンドゥー教と仏教に大別されるようになったわけで、仏教における「火」とは死体を焼くための火でもあるわけで、ヒンドゥー教や仏教では、死体は不浄のものであるから焼き清めなければならない、と考えられているわけです。要するに「火葬の火」の起源は、西欧の「生贄を焼き殺す火」から出た派生版ということで。仏教は不殺生の宗教ですから、生きた生贄(特に人間)を焼き殺したりしないわけですが、「死者を焼く火」の起源はそこにあるんだなー、って思って。で、死体を焼くということは衛生的でもあるわけで、死体をそのまま置いておくと伝染病とかの原因になりますので、だから「火の神」には医薬の神的な性質もあるんだー、と思って。現代的に言うと「伝染病予防の神サマ」なのですねえ? と思うわけで。そうすると、ペストのラテン語名を調べてみるようにっていわれる気がするわけで。ペストっていうと、「BST」の子音ですよねえ? って思うわけで。ラテン語では「Pestis」って言うらしいのですが。よく考えたら、それはウェスタと同じ子音ですねえ? って思って。ペストとウェスタって同じものなんだ? ペストの感染予防のために死体を焼く神サマだから? って気が付いて。で、西欧的な思想においては、流行病を予防できる神サマ、というのは流行病を流行らせることができる神サマでもあるので。要するに、ローマっていうのは、特定の誰かとか国家を弱体化させたいと思えば、相手に毒をもったり、特定の国に伝染病を流行らせたり、革命を起こして争乱を起こしたりするわけで。要するに、毒をもったり治療したりできる神はウェスタ、伝染病を流行らせることもできれば収束させることもできる神もウェスタ、ということで。それがローマのウェスタ信仰であり、彼らの思想の根底にあるんだーーー、って気が付いて。単なる「火の女神」とか「竈の女神」じゃないじゃん、と思って。でも、母系のウェスタ信仰の人達が味方につくと、そういう悪魔的な力を、同じ系統の文化を持つ印欧語族の人達の思想を通して、仏教の火天の「力」に変換できる、って言われる気がするわけで@@。いろんな物品を入れて、仏教的な力を強くする一方で、ウェスタの姉さんたちと仲良くしたら、日天ではなくて、火天の力の方が強まった、って言われる気がするわけで@@。ローマの思想と、大乗仏教の思想は両極に見えても、どちらも印欧語族から派生した思想であるので、それ以外の印欧語族の文化はだいたいその二つの中庸にある、って言われる気がするわけで。

で、新しい家の外装が完成したら、仏教的な「気」が強くなって、蛙の人たちの「気」が良く通るようになったらしくて、小さい蛙さん達が泣きながら、「都会育ちの恐ろしい婿に言い寄られても、丸め込まれないで1番目の子と仲良くするように」って言ってくるわけでーー;。私の蛙の子は、「その人とは長い間別居してるから、どうやって仲良くしたらいいのか分からないんだけど?」って言っていた気がするのですが-;。ともかく、その人は帰るの人達のお気に入りの秘蔵っ子なのですねえ? って思うわけで。同族でも、私の目はあんまり蛙の人たちに似ていないので、私の方は神官長家の秘蔵っ子って言われる気がするわけで-;。で、家に帰ると、蛙の人たちの声はあんまり聞こえなくなるわけで、「それはこの家では「敵の気」が強いから、強い「目の力」を持っている味方の声しか届かないから」って兄さんから言われる気がするわけで。

でもって、最近は、福山君は宣伝することがある日は、Twitterに良く書き込みをするのですが。兄さんは、私が家に帰るのを見届けて、一安心してから書き込むことがなんだか多い気がして。まあ、今日もそんな一日だったわけです。