本日の日誌

昨夜はなんだか夢を見て。夢の中で、サツマイモを食べさせられそうになって、それを止めようとして光一君と剛君が誰かと喧嘩をしているような、そんな夢であって、ちょこっと翔君も出て来た気がして。目が覚めて、何かいけないものが入ったのだろうか? それとも入れられそうになったのだろうか? と思って。

そんでもって、「中を越す」神社を、事実上誰のものとするのか、という点について、7番目の子のことを快く思わず、古くからの八束水臣津奴命を支持する人達は、こういうことを容認するようであれば、富の王家は長浜神社の主祭神(すなわち八束水臣津奴命)を誰だと考えているのか? って抗議をした人達が出て来たということらしくて@@。富の王家は王家で、蛇の兄さんは「不肖の息子」なんで、7番目の子が、王族の列に加わることを承知さえしてくれれば、その名前はそちらに授けても良い、って、ごく適当な返事をしたらしくて@@。それで、結局私に「どうするのか決めろ」って言ってくるわけででしてねえ??@@ でも、7番目の子は王族なんかにならずに庶民のままでいたい人でしょ? ということで、八束水臣津奴命の名前はそのまま蛇の兄さんが持っていて、祇園を牛耳るグノーシス主義者の人達に後見して貰えばいいんじゃないの? というか、だいたい今の現実がそういう状態なのでは? と思ったわけで-;。でもって、ご当地の皆さまからは、御柱の建て方が「なってない」って言われるとは思わなかった、って苦情が来るわけで@@。そもそも、善光寺平の人達は、狩猟採集をしたくてそこに来たのではなくて、田んぼを作りに来た農耕民であって、御柱祭をやるのは、諏訪神が王となる時に、諏訪の衆との取り決めで彼らの祭祀を守っていく、と約束したからで、そもそもそんな祭りは農耕民の祭りではないし、不吉なものなんだから、農耕民の女神としては、「そんな祭りは止めてしまえ」って言うくらいで丁度いいのに、って抗議されるわけでですねえ?@@ それで、適当に簡略化したり、中にはやらない神社もあるってことになってるんだ? と思ったわけですが。で、「伝統文化だって大事なんじゃないの?」と申し上げたら、「そういう自分は蛙の人達の伝統を守る気がないくせに。」って言われるわけでーー;。別にいいもん、兄さんと二人揃って、不肖で不良の神サマでも、って思ったわけですがー;。しかも、そこの神社は街道沿いにあって、外からの「気」が出入りしやすくなっているので、7番目の子の強力な「目の力」が流れ込んだり、例の「狛天伯社」から強力な力が直接流れ込んで来るようになって、近隣住民が気味悪がってる、とかって言われるわけで@@。しかも、近くにあった「庚辰塔」のことをさして、兄さんから「街道沿いの無縁仏ってどういう意味か分かるよね?」って言われる気がするわけで。そっかー、街道沿いってことは、普通に「身寄りがない人のお墓」ではなくて、旅人のお墓だし、昔は「老い先」というものを悟って、旅の空で死んでも良いから、一度善光寺参りに行きたい、とかそういう考えで旅をしていた人もいた、ということで。「心霊スポット」とかって言われちゃうのは、いろんな気が出入りする上に、そういう人達の気が微妙に吹きだまっているから、微妙な霊障が出てるせい、って言われる気がするわけで@@。でも、いいじゃん、どうせ私はそういうものは全く見えないし、聞こえないし、感じないタイプだから、関係ないでしょ、って言われる気がするわけでーー;。その手のものが、見えたためしはございません、って思うわけですが-;。でもって、兄さんからは、「自分も御柱の建っている神社はどうも苦手」って言われる気がするわけで@@。でも、諏訪大社って言ったら「御柱」なんじゃないの? と思うわけですが、そういえば長崎の諏訪神社は柱は建てないんだ? ってふと思って-;。諏訪の衆の兄さんの対する評価があまり宜しくないのは、そういうことも関係しているようで、私の方がその首を引っかける柱に対する相性が良いし、7番目の子もそうだし、そもそも柱に生贄の首を掲げるのは、東は御柱、西はクリスマスツリーということで、あからさまに北方の狩猟民の文化の賜であるのでー;。今日行った神社は、元「諏訪社」であったようなのですが、そこには御柱はなさそうであったので、むしろそういうところの方が兄さんとは相性が良いんだ? と思ったわけですが@@。

で、本日も「お仕事」であったので、出かけて。そして、まず割り付け図を貰うはずが、サイディングを貼る人が来ていて。作業をとっとと始めていたので、「どうするつもりなのだろう?」と思っていて。そうしたら、割り付け図が来る前に、どんどん工事を進めようとして、どうなっているの? という状況であって。しかも、工務店の人と二人して、「何が悪い?」っていう感じでぎゃーぎゃー騒ぐわけで。そういうことをした結果、何を企んでいるのだろう? ってむしろ、そういう不安に襲われるわけで。で、ともかく、割り付け図を描いてもらうことにはなったわけで。

でもって、その後、レンジフードの関連製品を持って来られたりしたのですが、持ち込まれた製品のメーカーが、フードの方は富士工業、パイプの方はフジモリ産業、ってあって。「フジ」のダブルで固める気だったんだ? と思って@@。どうりで、ヘリだの飛行機だのが出たわけで、って思ったわけで@@。

そして、家に帰ってきて確認して見たら、雨樋の吊り具の長い方の型番が、360シリーズとかそういう感じであって@@。勾配のないものが360で、3寸だと363、5寸だと365ってなっていて。「本当にこれ使っていいの?」って思ったわけですがー;。でも、そうすると「10」の数字が入っている方がいや、って言われる気がするわけで@@。363と365の型番のものを使えば、悪い数字じゃないでしょ? って言われる気がするわけですが。本当にいいんだよね? っていうか、後でへんな夢を送って来ないで下さいねえ、って思うわけで;;。でも、短いのにするって言ったときに飛行機とかに散々出られたのでまた変える気になれないし、うちの屋根ならだいたい2.5~3寸の勾配のところが多いので、ほっといても3寸用のものがメインになるはずであって。360は縁起の悪い数字でも、365は「65」になるから縁起の良い数字でしょ、って説得される気がするわけで-;。

そして、疲労が大分たまってきましたので、微妙に尿道に違和感を感じる、というか尿道炎を起こしかかっている気がするわけで-;。暖かくなるとやはり、水分が不足する傾向になりますし、お水をしっかり飲んで、出すモノを出さなきゃなー、と思って。今日は、そんな一日だったわけです。

本日の日誌

夜は特に夢も見ず。で、古川と名の付くモノを入れても良いのか、と微妙にまだ悩みつつ出かけたわけで。

そして、蛇の兄さんからいろいろと解説を受けたわけですが、どうも西国の重要な古社というのは、「利権関係」が複雑、って言われる気がするわけで@@。そもそも、石上神宮の脇を流れる布留川の上流の山は「桃尾山」というらしくて。古代は「桃尾」と書いて「とび」と読んだらしくて。で、その山の中には諏訪神や九頭竜を祀る神社がいくつかあって、古代においては、布留川の主に対する信仰と、出雲から来た神々に対する信仰は習合していたらしいのですが。「とび」という言葉そのものが富の王家に通じる言葉なわけですし。で、同じ「石神」だから、縄文時代の東国の石神信仰と、西国の石神信仰では、神サマの名前も同じだし、同じものだと思うかも知れないけれども、でも、それは実は違うものなんだよ、って言われる気がするわけで@@。東国の大姥サマ信仰は、北方の狩猟民と共通した信仰であって、その西端は北欧まで続くわけですが(東へ進めばベーリング海峡を越えてアメリカ大陸まで進むわけで)。西国の竜蛇信仰というのは、要するに南海の漁労民の竜蛇信仰の北限みたいなもので、東国の人々の大姥サマ信仰よりは、アボリジニの人達の信仰に近いモノ、って言われる気がするわけで@@。要するに出雲系の人々がやって来た時に、東国の石神信仰も、西国の石神信仰も一つに纏めて、いずれも山の神信仰かつ、竜蛇信仰かつ出雲の神に対する信仰、ということで、それぞれを同列同格に定めて習合させてしまったので、今では区別が付きにくくなっているけれども、元々は東国の石神信仰は北方の狩猟民の大姥サマのもの、西国の石神信仰は南海の竜蛇信仰(要するに日本的には乙姫様ということで)のもので、それぞれ呼び方も異なるものだったらしくて。西国と東国の文化は中部地方では微妙に習合してる部分もあるけど、本来は異なるものだし、奈良は内陸だから、あんまり海洋系の漁労民の文化って感じがしないけど、布留主というのは、元は海洋系の竜蛇神ということらしくて。

で、思い出したのですが、海洋系の漁労民は太平洋、東南アジア、インド洋、中東と海沿いに拡がっているわけで、古代メソポタミア文明も、漁労民、北方から来た遊牧民、農耕民と3種類の異なる文化を持つ人々が形成したモノであることが分かっているわけで。中東の人々は、この3種類の民族が混血した末の人々であるわけなので、「蛇の目」の人達というのは、3種類の血は引いているけれども、どちらかといえば、南海の竜蛇信仰の人達と近い目を持っているということらしくて。で、そういう人々は東に分布して、太平洋周辺の島々に住まう人々ほど純血に近いし、彼らから見れば、海を越えてきた「青い目」の人々はローマであろうがなかろうが、略奪者であり、敵である、ということで。要するに、私は「青い目」を持っているし、彼らの理想の竜女って感じではないので、何回の人々にはあまり歓迎されないらしくてー;。それはしょうがない、日本人だからもっと中庸的な目の子が生まれるかと思ったけれども、私の目は北欧の人達の目に近すぎるので、そちらからは期待の目で見られるけれども、そうなればなるほど南海の人々から警戒されるのは、そういう力関係ができあがってしまっているから、どうしようもない、って言われる気がするわけで;。

というわけで、石上神宮に話を戻すと、そこの「利権」とやらは、最古層に漁労民の竜蛇信仰があり、その上に出雲の神々に対する信仰が習合していて、更にその上位に君臨するのは一番最後にやってきた物部氏であって、物部氏は純然たるローマ人、ということで。そもそも、川の女神であった布留主に、経津主神という名前を与えて男性の軍神に変えてしまったのも物部氏、って言われる気がするわけで。で、東国における経津主神と建御雷神というのは、ほぼ一対かつ一体の神として、西国から攻め込んで来た神々として扱われるわけで。それは、いわゆる「東征」の歴史を示すものでもあるのですが、何故、経津主神と建御雷神の2神がいるのか、ということになると、それは物部氏が建御雷神よりも「目の力」の強い神を経津主神として得た際には、自分達が鹿島の神を擁する勢力よりも上に行こう、という野心のため、って言われる気がするわけで@@。彼らはローマ人だから、互いに協力もしあうけれども、力関係次第で下克上も平気、っていうことらしくて@@。だから、石上を巡る勢力はいろいろあるけれども、石上神宮の巫女が興した某勢力は、敵とか味方とかっていうことではなくて、彼らは「漁労民」なのです、って言われる気がするわけで@@。それで、町の名前にまでなってるのか-、漁労民の町なのですねえ? って思ったわけで。で、その人達は結局私の目が「青すぎる」というので、布留主の名前は授けたくない、と思っているらしくて。で、その次に古い勢力である出雲の人達は可も不可もない、私はそもそも八坂刀売なんだし、九頭竜でもあるんだから、って思っているらしくて。そして、石神で最大の勢力である人々は、ともかく私は物部氏の血も、藤原氏や皇室の血と同じくらい引いているんだから、鹿島の神の上を行く「目の力」を持っているのであれば、布留主の名前を与えて何が悪いのか、と思っているらしくて@@。弓削道鏡が物部氏の出であることを忘れないように、って言われる気がするわけで@@。結局、3者が協議の結果、石上の主祭神は「蛇の目」を持つ経津主神のままで、私は妻の雷神として夫を後見し、直接布留主とは名乗らないように、ってことになったらしくてですねえ@@。そういうことに、みんな拘りを持って生きているのですねえ? と思ったのですが。ということで、「古川」の名の付く製品は、いくら十字がベタベタついていても、夫神からの結納の品も同然なので、有り難く使わせて頂くように、って本家筋からは言われる気がするわけで@@。

でもって、「中を越す」神社にとっとと行ってこい、と言われて、「お仕事」の後に行ってきたわけですが。あの辺りの神社の特徴としては、まず、御柱を建てる位置が微妙に「なってない」と思うわけで-;。普通は、大きなところだと、4本の柱を建てて本殿を囲むわけで。で、小さなところだと2本の柱を社殿の前の左右に建てる、と思うわけですが。今日行ったところは、境内社の弥栄神社の前に、御柱が2本立てられていて、本殿は? っていう感じであって。で、もう一つの特徴は、諏訪神と弥栄の神との事実上の習合が著しいわけで。祇園の八坂神社を頂点とする各地の八坂(弥栄)社は、現在では祇園に倣って、須佐之男が祭神のことが多いのですが、祇園の祭神は元々は牛頭天皇であるところの武塔天神と頗梨采女であって。それは、朝鮮のムーダンの人々と同じ信仰で、本来はグノーシス主義の社としての性質が強かったわけで。でも、何故かあの辺りには弥栄神社に梶の葉の紋があったりして、何故か諏訪神と弥栄の神がほぼ「同一」に扱われているわけです。で、それは何故かというと、「弥栄(八坂)」という名前そのものが「八束水臣津奴命」という出雲の祖神に由来するからで、諏訪神の本来の名前は「八束水臣津奴命」であったと思うわけで。平ったくいうと、「八坂彦」と「八坂刀売」という1対の夫婦神が存在して、彼らの名前はいろいろに呼ばれるけれども、「八坂」とつく神社の最初の神々はその夫婦神であったと思われるわけで。別に道祖神の「八衢比古」「八衢比売」でもいいんだけどさあ? と思うわけで。だから、諏訪神と弥栄神は実は習合してもおかしくはないのですが、そうやって纏めてしまう人達は、そうしても構わない事情を「知っている」人達ということで。でも、石上神宮と同様、祇園の頂点に君臨するのは、現在ではグノーシス主義者ということで。皇室寄りのグノーシス主義者は、武塔天神の名前を貰った7番目の子と、頗梨采女の名を貰った私のことを、祇園の神と考えているらしいのですが。まあ、北信濃の人達はそういう現代的な事情は考慮せずに、昔ながらの信仰を保持している、ということで。

で、あのあたり、というか、そもそも古代においては、善光寺とその周辺地域の広い範囲(安茂里に至るくらいまで)は、昔「水内郡芋井郷」と呼ばれていたらしくて。だいたい、その「芋井」という地名は「妹井」という意味なんじゃないの? 「斎宮」という地名と同様「女神信仰」を強く伺わせる地名だ-、と思うわけで。でもって、調べていたらもうちょっと離れたところに、「芋井神社」というのもあるらしくて。で、そこの祭神は、南方止売命(みなかたとめのみこと)で、南方刀美命(みなかたとみのみこと)が配祀されているということで。元々はここも「諏訪社」と言ったらしいのですが。っていうか、「芋井」という地名は要するに「妻科」と同じ意味であって、そこは「八坂刀売の土地」っていう意味だし、その辺りの諏訪社の真の主祭神は「南方止売命」の方なんだ? って思って。そこにも行ってこいって言われる気がするわけで@@。そもそも諏訪の衆も大姥サマ信仰だし、芋井郷の「神」も女神の方が上位なんだ? って始めて気が付いたわけで。西国において、かつては「八坂刀売」「八坂彦」であったものが、「南方止売命」「南方刀美命」へと変化し、更に東北へ行くと「志波姫」「志波彦」(「諏訪姫」と「諏訪彦」)へと変化していく道筋がやっと掴めた気がするのですが。

でもって、本日行ったところは、どう見ても本殿の建御名方富神よりも、摂社の弥栄神の方が大切にされていそうであって、重要な神社でもあるし、7番目の子がそこの弥栄神社を欲しがった、ということのようで。蛇の兄さんは、重要な神社なんだから、2人で共同統治した方が楽、って言うらしいのですが、氏子の人達は、そもそも諏訪神と弥栄神を同じものとして扱ってるんだから、新興の武塔天神の力が入り込んで来ることには反対したらしくて、微妙に揉めたらしくてですねえ??@@ 結局、7番目の子が、そこを支配することは認めたけれども、その後見は蛇の兄さんがしっかり務めるってことになったらしくて。「なんで、自分よりも「目の力」の強い人の後見をしなきゃならないのさ?」って呟かれた気がするのですが。世襲の神サマは、それはそれで大変ね? って思ったわけで。きっと明日もいろいろな勝負がある日なんだろうな、と思ったのです。

本日の日誌

というか、昨日から大忙しだった気がするわけで。事前にあまりに大人数の職人さんをよこさないでくれ、とは言っていたわけですが。雨樋の吊り具が、どう見ても純正品ではないので、変えてくれ、とおとといFAXしたわけです。そうしたら、朝一番に屋根屋さん登場、ということで。普段9時を過ぎなければ来ない人達が早々に到着して、雨樋をつける、とかって言い出すわけで。「吊り具が純正品ではないので、止めて下さいって言ったのですけれども、連絡はいっていませんか?」って尋ねましたら、「知らないし、吊り具のメーカーも業者さんに聞いてくれ。」って言われるわけで。知っていて、言っているんだろうな、とは思ったわけですが、こういうときに工事を止めるのにも、もう慣れっこということで-;。こちらは、前日の夜に、持ち込まれた金具のメーカーも調べて確認しているわけですから、純正品では無い証拠もはっきりしているわけで。

で、社長さんがその後来て、打ち合わせをしたわけですが、純正品の中でも、こちらが使用して欲しいものは、「駄目」とかって言うわけで-;。駄目だ、と言われればそういうものなのかな? とも思ったのですが、その後ヘリが飛んだり、飛行機が飛んだりして、けっこう騒がしくて。そして、帰り際に屋根近くに昇ってみて気が付いたのですが、実際に測ってみれば、こちらが望んだのもでいけそうな気がするわけで。結局、駄目だと言われたものも、サンプルを取って貰って、試してみることにしたのでした。

で、「お仕事」が終わった後に、産土の神社へ行ってみることにして。ちょっと奥まったところにあったので、探すのに苦労して、いかにも「道を教えてやるぞ」と言わんばかりに庭仕事をしていたおじいさんに道を教えて貰って。着いた先の神社では、境内内に由緒書きもなく、隣に地蔵堂だかがあって。諏訪社の屋根には1枚梶の葉、地蔵堂の屋根には仏教の八方輪があって。そこへ行って、昔東京にあった小さな諏訪神社に毎週通っていたことを思い出して。蛇の兄さんとのご縁は、その辺りから強まり始めて、そしてここまで来たんだなあ、と思ったのですが。仏教の「八方宝輪」とは、伝承上の聖王の持つ武器というか、宝物であって、聖王の象徴そのものでもある、ということらしくて。そういう王の統治する時代は良い時代である、みたいなそういう思想らしいのですが、仏教に取り入れられて仏教の紋みたいにもなっているようで。なんというか、理想の世の中を目指す? みたいなそういう思想なのかもしれませんが。ということで、蛇の兄さんからは「隣の大乗の八方輪が邪魔」って言われる気がするわけで@@。仏教関連の施設なので、悪いモノではないらしい、というかそもそも仏教をこの国に持ってきたのが遠いご先祖様であるので。どちらかというと、「大乗仏教=蛙の人たち」っていう感じらしいのですが。兄さんは、「良いものとか悪いものとか関係ない。ただ単純にそれが邪魔。」って言う気がして@@。要するに、その辺りからして蛙の人たちとは「気が合わない」兄さんらしいのですが;。地蔵菩薩というのは、六地蔵というものがありますけれども、「六道」を守護する菩薩ということで、「道を守る神霊」から転じて、日本では道祖神とも習合しているとのことで。いわゆる御左口神も道祖神とみなされているそうなので、要するに諏訪神と並んで祀られている地蔵菩薩はミサクチ信仰が転じたものなんじゃないかと思うわけで。石に降り立つ御左口神とは、要するに「大姥サマ」のことなので。その八方輪は私の八芒星のことなんじゃないの? と思ったのですが。どうも、「気」というか「目の力」という点からすると、私と兄さんとの相性はあんまり良くないらしくて(一番相性が良いのは、7番目の子だって言われる気がするわけで)。7番目の子は、「そういうことが分かってるんだから、無理して「長く一緒にいたい」とかって言わずに、大人しく3番目に甘んじていればいいのに。」って呟いていた気がするのですが@@。でも、兄さんは「自分が一番相性がいいからって、それは酷いぞ。」って言っていた気がするわけで@@。善光寺もあるし、私もいるしで、どうも兄さんの気を圧迫しちゃって済みませんねえ;、って思うわけで-;。まあ、「目の力」の相性だけを中心に話をされると、割と困ってしまう人が多いらしくて、6番目の子もあまり何も言わないわけで-;。この点では、7番目の子の一人勝ちらしいのですのが。

でもって、本日は「お手紙」を出す日、ということで。午前中に大勢の人が来て。で、お昼になってもなかなか作業を止めようとしないので、家人に手紙を出しに行って貰ったら、家人が出かけた途端に、みんな仕事を辞めてしまうわけで@@。しかも、午後になって割り付けがどうのってずいぶん絡まれて-;。毎度のことながら、そんなに手紙を出すのを邪魔したいんだなー、と思って。しかも、帰り際に、「変える時に違う道を通っている」みたいなことをふいに言われて。昨日、私達がどこに行ったのかもみんな知ってるんだ-、と思って。

でもって、電線の接続の機材がどういうものを使うのか良く分からなくて、聞いてみたわけです。そうしたら、「古川電機製作所」というところの製品を使う、って言われて。それが、電力会社指定の製品でもあるらしくて。で、家に帰ってきてそこの会社を調べてきたわけです。で、名古屋の会社で、HPは微妙に青いし、十字もけっこう散見されて、そこの品物を本当に使っても良いの? という感じであって。しかも「古い川」というのも良い意味なのかなあ? って思って悩んでしまって。いろいろな動画を見ながら悩んでいたら、ふいに「古川」って「布留川」のことでしょ? って言われた気がして@@。布留側の布留主とは香取の神のこと、って思うわけで。「香取の神の名前がついたものを家に入れてみませんか?」って言われた気がして。「そういうことなんだー、でも十字もけっこうあるし?」ってまだちょっと悩んでしまって。そうしたら、兄さんから「まだ分からないのか。石上神宮の意味が?」って言われて。「石上(いそのかみ)」って布留主のことでもあると思うのですが。そういえば、石神(しゃくじ)って読むなあ? って思い出して。要するに「石神」って、「しゃくじ」って読むのが東国なまりで、西国では「いそのかみ」なの、って言われる気がして。じゃあ、布留川の主の石神というのも、「大姥サマ」のことなんだ? って思って。そういえば、あの辺りの山奥には九頭竜を祀る神社もちょこちょこあったかも、って思い出して。いろいろな改変が加わって、香取の神である経津主神は軍神であり男神ですけれども、その本来の姿は単純に布留川の主で、女神なんだー、って始めて気が付いて。石上神宮に行ったときのことを思いだしたのですが。当時はただ行きたいと思って行っただけだったのに、こういう意味があったのですねえ、布留主もまた私だから、その名前を持っている人達は必ずしも敵ではないんだ?? と思って。木村君のお勧めとあらば、そこの製品は使わせて頂きましょう、と思ったのですが。

そして、今日は大勢の人が来たのに、明日はまた少人数ということで、木曜日だとそういう扱いなんだ? 態度が露骨過ぎる、と思ったのですが-;。でもって、KAT-TUNを抜けて、事務所も辞めてしまった田口君は、早速彼女との同棲を再開して、彼女の実家関係のお仕事を手伝う予定ってどこぞの週刊誌とかに書かれていたらしくて。まあ、そういう展開になるのかも? と思っていたので、まあ、それもまた佳きかな、と思うわけですが。

そして、家人とも郵便局の名前について、いろいろと話していたのですが、今はまあ忙しいからどこからでも出せるところから出さなければいけないわけですが。一番良いのは、「中越」というところにある郵便局だから、そこを探すように、って筆頭の子から言われる気がするわけで。「中央」を越しちゃうっていう意味ですねえ、って思うわけで。で、そこを地図で探していたら、その近所にも元諏訪大明神の神社を見つけて。でも、なんだか写真で見ても妙な神社で、かつ「心霊スポット」とか噂があって。お化けが出るんだ、そこ? 神社なのに?? とかって思って-;。産土神へのご挨拶が住んだ後には、そこにも行って「邪気を払ってこい」って言われる気がするわけで@@。いろいろとあちこちでこき使われる私なわけです。暇ができたら駒形駒弓にも挨拶に来いって言われているわけですしー;。

本日の日誌

昨夜はちょっとヘンな夢を見て。自分が、どこか今の家でない家に帰ろうとしていて。で、そこへ行ったら、入り組んだ妙な建物で、お店の入り口から家の中へ入って、階段を昇ったところにドアがあって、そのドアを開けると、その隣にもう一つドアと階段があって、次のドアを開けた先に自分の部屋があって。そこに入ったら、なんだか妙に汚い部屋な気がして目が覚めて。また、何かあるのかなあ? と思ったのですが。

「お仕事」の現場へ出かけると、本日は合板貼りと、玄関周りの整備、というかそんな感じであって。で、玄関先に微妙な十字というか145mmのものを入れられそうになったり、上がり框は無垢で、と言っておいたのに節があるものを入れられそうになったり、貼り框の角の始末をお願いしたのとは違う風にされそうになったり。ともかく、今日来た人は細かいいやがらせが大得意であって-;。

で、今日は朝から割と機嫌が悪い感じであって。機嫌が悪いと、表面上は普通に仕事をしていても、材木をわざと音を立てて投げつけたりするので、「今日は敵意が強いなー」と思っていたのですが。で、今日はサイディングをする人が来る、という話だったのですが来ず。まあ、どうでもいいや、と思いつつ一日の大部分を過ごしていて。

で、雨樋の工事も始まるらしいのですが、なんだかいきなり工事を始める、とかって言われて業者さんが測量に来て。雨樋と縦樋のメーカーとか種類は指定してあったわけで、細かい部品も当然純正品が来るものと思っていて。何故なら、今までずっとそういうやり方でやってきたからで。でも、樋の位置とかどこで分割するのか、とか、こちらもあまり準備はしていませんでしたし、業者さんも聞いてもこなかったので、詳しい打ち合わせが必要、と思って、打ち合わせをして下さい、とお願いしたのが昨日、ということで。でもって、夕方突然業者さんがやってきて、工事に必要な品物を持ってきて。で、その場で処理をして、また持ち帰りたい、という風情だったので、それはさすがにちょっと、と思って、「明日から工事を始めるのであれば、とりあえず置いていって下さい。」とお願いしたわけで。なんだかその辺りからヘンだな、と思って。そこのメーカーの純正品の吊り具は、確か金物ではなかったはず? という気がして。一応「純正品ですか?」と聞いてみたら、「純正品です」って言われたわけですが、メーカーの名前も入っていないし、カタログにも載っていない製品な気がして、怪しいわけで。家に帰ったら、調べて見よう、と思っていたのですが。そうしたら、その後に、大工さんから急に天井のこととか持ち出されて、なんだか「わざと忙しくさせられている?」という気がして。雨樋のことに集中させないようにしているんだなー、とは思ったのですが。

でもって、家に帰ってきて調べて見たら、やはり「クロ」であって。持ち込まれた吊り具は、純正品ではなくて、タカヤマ金属工業とかっていうところの製品であって。そんな会社の品物をわざわざ家に入れるわけないでしょうがーーー、ということで、対処をしていたわけで-;。最近、やることがどんどん露骨になってきている気がするわけで。でも、これで明日の工事が中止になればこちらの作業もちょっと軽減される気がするわけで-;。どうりで、ここのところ横縞の服を着ている人が多かったわけだ、と思って。

でもって、本日から福山君主演のドラマ「ラヴソング」が始まった、ということで。蛇の兄さんから「見てね」って言われて見て見たわけで。でも、最初から微妙なラブシーンというかベッドシーンがあって、兄さんに「そこは見ちゃ駄目」って言われた蛙の子は、「邪魔だ、どけっ」って言って兄さんを蹴飛ばしていた気がするわけで@@。何やってるんだろう、自分? というか、自分でもちょっとびっくりしたわけで@@。兄さんもちょっとびっくりしたらしいですが、でも、「ちょっとでも「目の力」の使い方のコツを掴んで貰えれば、その方がいいかも。」って言って貰った気がするわけで;。でも、ドラマの方は、どうだったんだろう? というか、相変わらずそういうものを真面目に見るのは辛いし、疲れているので、ただテレビをつけているだけ、という感じなので-;。なんというか、福山君が元ミュージシャンの企業カウンセラーで、その企業で働いていて、ちょっと吃音があって人前で話すのが苦手な子がさくらちゃんということらしくて。別に、しゃべりたくなければ、特にしゃべらなくてもいいじゃん、という主義の私なので、内容になんだか感情移入できそうもない、というか、さくらちゃん演じるヒロインをなんとかしてあげよう、とする周りの方が、大きなお世話の塊に見えるわけですがー;。だいたい、カウンセラーというのは、広く精神医療業界の中では、精神科医の下部に位置するわけで。精神科医業界というのは、要するに「赤い」人達が占めていて。元々精神科医をやりたがる人もあんまりいない上に、そういう人達が占めているから、ますます関わりたくない科な気がするわけで-;。で、普通に投薬とか入院治療が必要な人だけを地道に治療しているだけでは、末拡がりではない、ということで、カウンセラーみたいな資格を新設したような気がするわけで。特に企業カウンセラーというのは、働き過ぎとか職場のトラブルで、鬱状態になった人を早期発見する、とかそういう位置づけの人だと思うので、要はそうやって新規患者を発見・発掘しては上位の精神科医に送り込む人だよねえ? って気がするわけで-;。そうしたら、精神科医が儲かるもんねえ? って思うわけで-;。しかも、カウンセラーなら医学部に受からないような人でもなれるから、その業界を占めている「赤い」人達には新たな収入源の開拓にもなるよねえ? とかそんな風にしか思えないわけで-;。昔、カウンセラーの資格を持っているという人に、粘着気質むき出して妙に専門家ぶって絡まれたことがあったので、その業種にもあんまり関わりたくないわけでー;。旦那に殴られて困っているなら病院に行けば? 近所の人が子供を虐待してるのなら警察や児童相談所へ通報すれば? と思うのに、そういうのは、みんな専門家な自分の言うことを聞かない相手が悪い、みたいなことを何故か私に言ってくる人であって-;。それは、微妙に広く精神科業界をヨイショする「呪いのドラマ」って気が微妙にしたのですがー;。まあ、でも、兄さんのお顔を見たいから毎週見ますねえ、って思うわけで。さくらちゃんにも「見てね」って言われる気がするわけで。ドラマを見終わったら、いろんな人から、「その人(さくらちゃん)も押しが強い人でしょ。」って言われた気がするわけで。それから、今日家の近くで、とある神社の御柱祭ののぼり旗を見たわけで。で、区民総出で奉祭しろ、みたいなことが書いてあって。ちょっと「今時、そんなこと言う?」という感じがしないでもなかったのですが、今まで、そんなもの見たことなかった、と思って。家に帰ってきて調べたら、そこが新しい家の土地の「産土神」であるらしくて。由緒書きによると、「昔から諏訪社と称し、西和田の産土神として崇敬されていた。慶応2年(1866)和田神社と称した。神社の東隣には延命地蔵尊を祭る地蔵庵がある。」とのことで。祭神は建御名方富神ということで。家の近くに旗が立ったということは、「会いに来い」とそういうことですねえ? と思うわけで。今まで、その神社が産土神であることも知らなかったわけで。その神社の氏子の人達も基本的には大田田井の末裔だと思うのですが。遂に産土神とご対面、ということで。呼び出した方が産土神なのか、呼び出された方が産土神なのか? とふと思ったのですが。まあ、早めに出向いて御柱祭に密かに華を添えられれば、と思ったのですが。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は現場に出向いて、細かい作業をしたり、買い物をしたりしていて。日曜日なのに、帰りの道は対向車線がラッシュ時みたいに大混雑していて、いったいいつからこの道はこんなに車が通るようになったんだろう? って改めて思うわけで。昔は田舎の閑散としていてい、車なんか通るんだか通らないだか、という道が今は来るまで目白押しなわけです。しかもフォルクスワーゲンとかしょっちゅう通るし-;。

で、けっこう長い間、ダラダラと呼んでいたロシア神話を読み終わったわけで。ロシアというのは東西に非常に広い国であって、西は北欧に接していますし、東はモンゴルとか中国に接しているわけで。そして、いろんな感想を持つわけですが、一般的に「神話」と関する本というのは、まずは神話そのものを書く傾向がある、というそういう気がするわけで。ギリシャ神話とか、トロイア戦争の話とか、物語としても読んで面白いものも中には含まれるわけで。日本の古事記も、物語風に読んでも面白いと思われるエピソードはいくつかあるわけで。でも、そういうのは単なる物語として存在しているだけではなくて、現実の祭祀と大きな関わりを持つはずのものなわけです。だけど、この神サマはこういう神サマだから、こういう祭祀がある、とかそういう説明というものはない場合が非常に多いわけで。神話は神話で、物語みたいなものであって、祭祀は祭祀で伝統文化、みたいに分けられていることが多い気がして。でも、北欧の神話と伝統を見ると、あちらのシャーマニズムというのは、シャーマンが鳥の扮装をして、太鼓を叩いて祭祀をする、ということがあるようで。そして、「言霊」というものをものすごく大切にしていて。祭祀の際に、祭司者が神をその身に降ろす(神がかりになる)のか、祭司者の精神が神々と同じ世界に上がるのか、っていうことがあるわけで、トランス状態に陥ってしまえば、いずれにしてもシャーマンが神と同一になることに変わりはないと思うので、要するに、北欧の「神」というのは、鳥の羽を持っていて空を飛び、太鼓を叩く存在(要するに雷神)であることが分かるわけで。で、彼らは神が降りる木(要するに雷が落ちる木)も信仰の対象であって、依り代となる木も神と同一視しているわけです。要するに、木に対する樹木信仰というのは、そこに降りてくる雷神に対する信仰と同じものということで。「カレヴァラ」を要するフィンランドの人々の異教時代の最高神は雷神であるユマラという神であったらしくて。そして時代が下るとウッコという雷神が登場するわけで。そして、彼らの太陽神はパイヴァというらしくて。そして、黄泉の国の神はトゥオニというようで。カレヴァラという民間伝承の中に登場する半神半人の人々は、本来は更に上位に存在する神々となんらかの連続性(親子とか)があったと思われるわけですが、そういう伝承は巧妙に消され、隠されているわけで。雷神「ユマラ」というのは、ymという子音から成ると名前だと思うので、それは元々dmという子音、すなわちインドで述べるところのダキニと同じ子音なわけで。北欧の雷神の名前は、ローマでは月の女神ディアーヌ、インドでは鬼女ダキニへと変化するわけで。で、雷神というのは樹木神でもあるので、ユマラは樹木神でもあるわけで。そして、北欧の人々の間には「熊信仰」もあって、彼らは熊を兄弟のようなものだと思う一方で、食料にもするし、犠牲にも捧げる、ということで。なんだか不思議な気もするのですが、ユーラシア大陸の北に住まう人々は、ロシアを挟んで西側は金髪碧眼の人々、東側の人はアジアのモンゴロイドの人々で、人種や民族は異なるはずなのに、彼らの文化やシャーマニズムは非常に似通っていて、祭祀に太鼓を用いるし、熊は神々と人の世界を繋ぐ重要な動物であって。アイヌにはチキサニ姫というハルニレの木の女神が存在するわけですが、要するに、その女神もまた雷神なのですよねえ? と気が付くわけで。ダキニ信仰のふるさとは、それこそ北方の熊を信仰する狩猟民にあるし、遠くフィンランドに住まう人々と、アイヌの文化の中には共通点がたくさんある、ということで。そして、彼らの雷神信仰は、ヨーロッパの体系だった神話の源流となっているわけで。太陽神パイヴァの名は「BB」という子音からなるわけですから、それはメソポタミアの太陽神バッバルと同じ名でもあるし、縄文系の人々の大姥サマ信仰とも同じものであって。そして、トゥオニというのは「TB」という子音からなる言葉ですので、それはユーピテルと同じ子音であって。要するに、北方の狩猟民が考える至高神である「雷神」とは、2種類あって、一つは雨をもたらし恵みをもたらし、人々を助けてくれる雷神であって、もう一つは人々から命を奪う黄泉の国の雷神なわけで。どちらも好戦的で恐ろしい「雷神」であっても、人々にもたらす作用は対照的であって、そしてその2つのバランスが取れていないと、世界はうまく回っていかないのだと思うわけで。獲物の命を奪って生きる狩猟民にとっては、どちらの神と「同一」となっても、誰かの命を奪わなければならないことに変わりはないわけですが。豊穣の雷神は、狩りの獲物をみなに分け与えて生命と豊かさをもたらしてくれるものであって。一方の死神の雷神は生者から命を奪い、財産を奪って豊かになる存在、ということで。同じ狩猟民であっても、どちらの雷神を信仰するかで、狩りの目的も意味も違うものになるということで。後者の場合は、家族ですらも喰らい尽くして、礼をわきまえず、ただ自分のみが肥え太るだけ、ということらしくて。「dv」という子音の「神」を信仰するということは、そういうことなんだー、って始めて思ったわけで。ディアーヌは家族のために狩りをするけれども、ユーピテルは自分自身のためのみに狩りをするということのようで。今、「dn」の名前を名乗るに相応しい神が2柱いる、ということで、北方の狩猟民の視線はその二神に注がれているし、それを知っている6番目の子は、彼らとの結縁を積極的に進めているということで。それで、神官長家の覚えがめでたくなってるのですね? って思うわけですが-;。

今日、道にちょっと迷って、御柱祭と思われるお祭りをちらっと見かけて。そこの神社も行ったけれども、その地域は大田田井の末裔が多く住まう地域であるけれども、彼らもまた豊穣の神の復活を願ってくれているのだろうか? と思って。

それから、家に帰ってきて「FNS歌の春まつり」をちょっと見て。ももクロが、島根県のど田舎の生徒が5人しかいない廃校寸前の学校に行く、という企画があって。ももクロのライブの時に、子供達が二本の棒みたいなものを手に持っていたのにふと気が付いて。それも、「太鼓のばち」を模したものであって、雷神信仰の象徴も同然であって、非常に祭祀的ですねえ? と思って。名前の通り「根の国」になるようにと呪いをかけられている出雲の地で、信仰されている雷神とは何者か? と問われれば、それは建御雷神であり、ユーピテルである者、と述べるしかないわけで。「生者を殺して、その財産を奪う死に神こそが、この世で一番裕福な者」って言われる気がするわけですがー;。

しかし、身内の話とかしていると、総本家の方からは、私の気性は死んだ祖父そっくりだし、だいたい直接会ったことのない人物になんでそんなに似ているのさ? って言われる気がするわけで-;。そのじいさんは、気にいらない相手は無視して威嚇するような人だったんだ? って思ったら、「その通り」って言われた気がするわけで-;。だいたい、私が親を押さえきれないのは、じいさんのようなやり方をするからで、祖母とか叔母がやるようなやり方でやったら、もっとマザコンだかシスコンだかのじいさんをきっちり押さえられただろうに、とかって言われる気がするわけで@@。大きなお世話というか、その祖母とか叔母のろくでもない態度は良く知ってるし、私にはあんな真似はできない気がするんだけれども? と思うわけで-;。だいたい、人は先祖の誰かには似るものははずで、私が誰に似ようが大きなお世話って気がするわけで-;。じいさんに似てるって言っても、男じゃなくて女の子で良かったって言ってくれるお婿さん達が何人も居てくれて良かったよ、って思ったわけですがー;。家にいても、毎日大変なわけです-;。(そういや仕事に来る大工さんの一人が、電話の着信音に福山君の曲(あまりよろしくない曲)を使っていて。毎日のように、聞こえよがしに聞かされるわけで。それも何かのいやがらせなんですかね? って思うわけですが??)