本日の日誌

昨夜は「日本アカデミー賞」の授賞式の様子がテレビで放送されるということで、二宮君と涼介君と准一君が出る、ということで見て見たわけで。二宮君が最優秀主演男優賞を獲得していて。3人の中でもやっぱり二宮君の「目の力」は強いな-、と思って見ていたのですが。で、スピーチで「嵐のメンバーも見ていると思います」とか、去年受賞した准一君のことに触れたりとかしていて。で、テレビは録画だったので、編集されていたようなのですが、実際にはジャニーさんとかメリーさんに対する感謝の言葉も述べていたらしくて、なんだか「そういう場所で事務所について触れるのはどうなのか?」みたいなことを書いていたメディアがあった気がして。まあ、別にいいんじゃないの? というか、昨年のV6の20周年の時にも思いましたけれども、最近のジャニーズ事務所は、タレントが個々に活動しても、その原点にはグループ活動があるし、「V6の誰々」とか「嵐の誰々」みたいな感じを前面に出している気がして。まあ、そうすると個人の名前も覚えて貰えますし、グループの知名度も上がりますし。それに、基盤に「グループ」というものがあると、なんだかイメージだけの問題かも知れませんけれども、微妙に「その人には帰るべき場所がある」みたいに見える、というか存在に安定感がある気もするのですが。それはともかく、個人にはグループという原点があり、その原点のグループは「ジャニーズ」という巨大な「家族」の一員である、みたいなそういうイメージづくりをせっせとしているし、やはりそういう点で先鋒として頑張ってるのは嵐の兄さん達とか、そのすぐ上のV6の兄さん達な気がするわけで。先輩と後輩が仲良くしている図は、理想の兄弟像であるようなそんな風にも見えるわけで(まあ、中にはソロで頑張っている人もいるわけですけれども。)。嵐の兄さん達が頑張っていると言うことは、誰がそういうイメージ戦略を練っているのかということも分かる気がするわけで。まあ、でも、事務所とタレントが、ビジネスライクなお付き合いというだけではなくて、誰もが互いに家族のように助け合い支え合っている、という図は別によろしいのではないでしょうかね、と思うわけで。誰でも一人で生きているわけではないのですから。そういう印象そのものが、見ている人には安定感を与える要素でもありますし。

でも、ジャニーズ事務所といえば、ちょっと前までは先輩のことを「君」付けで呼ぶのが伝統とかそんな感じであった気がするわけで。(後輩でも東山さんのことを「東山君」って呼ぶ、みたいな感じだと思うわけで。)でも、最近は後輩が先輩のことを「兄さん」って呼ぶことが増えましたよね、テレビとかでね? って思うわけで。誰かが日記にそう書くようになってからねえ? って思うわけですが。(でも、私もそう言われるので書いてるだけの気もするのですが。)

でもって、特に夢は見ず。でも、朝になったらコンセントのことがものすごく気になって。もうちょっと数え直さなければ、って思って。で、結局居間の西面を、2×4+1×1で、全部で9個の口がつくようにしようと思って。そうしたら、「それが一番いい」って言われる気がするわけで。

で、軒天ボードの下地の板の釘を打つ方向がものすごく気になって。直した方が良いものかどうか、ものすごく悩んだのですが、親にも相談して、結局直して貰うことにして。で、直して貰ったら、自分でも思っていた以上に酷い状況だったわけで。東とか北の方向から、余計な釘は打ってあるわけですし。それに、「余計な継ぎ手」も取って貰うように、って言われる気がするわけで。でも、大工さんもけっこう抵抗して、油断しているとビスを打つようにお願いしたところにも打たなかったり、下地の板に余計なものを勝手につけようとかしていて。で、そういうことを大工さんがやろうとすると、飛行機とか消防自動車が出るわけで@@。直して貰って良かったな、とも思いましたが、お味方もすごい気合いだ-、と思ったわけで。余計なものがあったら、1個でも直しておけばその方がいいから頑張れ、って言われる気がするわけで@@。月曜日も勝負はまだ続くわけですが。

で、今日は土曜日ですので、「山猫」「しやがれ」「SmaSTATION!?」と続くわけで。いろいろと気になって気が付いたのは、二宮君と涼介君と准一君のおかげ? と思うので見ているわけで。最近「夜会」とかMステで潤君を見ましたけれども、割とちょっと朴訥でシャイなところがある人だな、と思って。好感度は高いのですが。そして、「山猫」はそんなに気合いを入れて見ているわけではないのですが。時々、亀梨君が映るときだけ見て、「かっこいいでしょ?」って聞かれて、「うんうん」って答えながらのんびりとご飯を食べて。蛙の子が亀の子をつり上げる図とか送ってくる人もいるわけで、だいたい、そもそも、亀梨君の顔を見て泣きそうになったのも、軒天に関してすごい意地悪なことをされた日のことであって。敵は、そこにずいぶん賭けていたんだな、って今日になって思ったのでした。