接合金物とかは、専門的になってくればくるほど、必要な場所以外に入れる場所がなくなってくるものでもあるので、使用する数はそれほど問題にせず、「補正」には、例のタッカーの「針」を使いなさい。力関係としては、藤原>タナカだから、って言われる気がするわけですが@@。要するに、それぞれの部屋の柱とかどこかに、あれを打っとけばそれでおkとか、そういうこと? って思ったわけで。
そういえば、今日釘を打ち直していて思ったのですが、あのタッカーの刃って相当重厚な「呪物」ですし、10mmの針を入れると清冽な気が流れるのに、あれを入れると「魔の力」を押さえるような気が流れる気がするわけで。グノーシス系の人々が使う「目の力」ってすごいな、と思ったのですが。なんだか、あれをたくさん入れると、自分の額に「十字型の目」が開く気がするわけで。で、帰りに紀香姉さんが降臨してきて、「ケルトの神官階級はドルイドと言いますが、グノーシス主義では何て言うか分かりますか?」って聞かれたわけで。「ええと、カトリックとかだとそれは神父とか、枢機卿とか法王とかって言いますけれどもねえ?」って思いましたら、「『使徒教父』って言葉があるでしょう?」って言われたわけで。それは、イエス・キリストの直接の弟子が「使徒」で、「教父」というのはその次の世代の弟子のこと、って思ったわけですが。だから、グノーシス主義では、「教父」とか「教母」って言うんですよ、って言われた気がするわけで@@。藤原氏というのは、「教父」とか「教母」を大勢排出する家系なのだと思うのですが。でもって、姉さんは家までついてきて、「法王の厳重な結界の中に、始めて『見る力』を送り込むことができた」って言って喜んでいた気がするわけで。金属に紛れていた「呪い」を見抜くことができたのは、また新たな「力」を得たせい? と思ったのですが。
まあ、ともかく何でも、これで悪夢を見る回数が減ってくれればいいな、と思うわけで。何かをやってしまった後に、悪夢にうなされるのは、私もとっても嫌なわけですので;;。そして、いろんな動画を見ていて、嵐の動画を見たときに、最近の翔君はちょっと「目の力」を使いすぎてる気がしたのを思い出したわけで。無理しちゃ駄目ですよう、と思うのですが。でも、ご当人は「今頑張らないで、いつ頑張るの?」って本当に言いそうな気がして。毎日、いろんなことは思うわけです。これからもいろいろと気は抜けないな-、と思うわけで。また、工務店さんの従業員のおじさんとかに思い切り嫌みを言われそうな気がするのですが-;。