昨日は「東京ドライブ」と「あなたに逢いたくて」のCDが届いたわけで。「東京ドライブ」の歌詞には、「言いたかったことも今なら言える」というような部分があって、好きな人に対して「何も出来ない」っていう「恋の魔力」の歌詞と対になる歌詞だなあ、と思って。同じ言葉が2つ重なるとその意味も倍増しで強くなる、ということで。TOKIOの兄さん達が「東京」とつくお歌を唄うことに意味があるのだと思ったわけですが。で、もう一方の「あなたに逢いたくて」の方は、去年の紅白で見て以来ですから、家に入るまでけっこう遅れてしまったのですが。まあ、その間にいろいろとあったものですから;、ということで<(_ _)>。
で、夢の方は、なんだか自分がまだ学生で、お昼ご飯を食べなければいけないけれども、手近にパン屋さんしかなくて。で、仕方がないので、食べてもまだマシそうなパンをお昼ご飯に選ぶ、という夢を見て。
で、今日は間柱の数とか数え直していて、よくよく数えてみたら、どうも全部で100本になるようで。半柱の数を変えて間柱の数を調整するのもなんだかやな感じですし、細かな調整はしてもどうしましょうか? と思いましたら、「イアーソーンの呪いかあ。」って言われたわけで@@。イアーソーンってギリシャ神話の金羊毛のイアーソーン? って思うわけで。で、これはイアーソーンという若者が金羊毛の毛皮を取りに、余所の国に出かけて行く、という話で、大勢の仲間を募って船で出かけるわけですが、その船を造った人がアルゴスというので、この冒険者達のことを「アルゴナウタイ」って呼ぶわけで。それと100の数と何の関係が? って思いましたら、アルゴスって「百の目を持つアルゴス」のことだから、って言われるわけで。神話上では、百の目のアルゴスと、船大工のアルゴスは別人? ってなっている気がするのですが、でも名前が同じ、ということは本来は繋がりがあったもの、って言われる気がするわけで。で、古代のギリシャの船とかは、舳先に「目」がついていたわけで。それが、邪気払いでもあるし、敵を呪うための「目」でもある、ということで。「百の目」を持つ者が船を造る、というのは、それだけ強力な「見張り」がついている船で、常に見張りを怠らずに監視していることを意味する、ということで。要するに「百」という数は、敵の数としては「常に見張られている」ということになるわけで、逆に味方の数にできれば強力な守りになる、ということで。「ギリシャの人達は割と好意的だし、ギリシャ神話の本を1冊入れてみる?」って言われたわけで。で、「ギリシャ神話を入れるとなると、バイキングの血を引くおばあちゃんから北欧神話も入れろって言われるのは必定。」って呟かれますので、結局、それぞれ1冊ずつご購入、ということで。で、気が付いたのですが、アルゴナウタイというのは、神話的には英雄がたくさん集まって冒険する、という話ですけれども、要するにこれは「略奪」の物語なんだなー、と思ったわけで。面白おかしい冒険譚に仕立ててあっても、結局はよその土地のお宝を奪いに行く話であって。そのために、暴力や騙しも当然のようにあるということで。トロイア戦争に関する物語もそうですけれども、ギリシャ神話というのは、文芸的に見えて、「略奪主義」を美辞麗句で正統化する物語がものすごく多いんだ-、ということに気が付いたわけで。日本では、ギリシャ神話に関する本はとてもたくさん出版されているわけで。そういうのも、ギリシャ神話とほぼ一体化して習合しているローマの思想を広めるためのもの、って言われる気がするわけで。だから、数ある中から選ぶのも、一番適当と思われるモノを選ばなければならない、ということのようなのですが。
で、西欧においては「子殺し」の神話も多いのですけれども、そういえば兄弟同士で殺し合う話も多いわけで、特に双子の兄弟が殺し合う話も多くて。ローマを建国したと言われるロームルスとレムスの兄弟も互いに殺し合いますし、ギリシャ神話にも「テーバイ攻めの七将」の話が出て来ますし。これも結局、「兄弟」とはわりと近縁の「異民族」のことを指していて、戦って勝った方が権力を得て当然、みたいな思想が背景にあるんだなあ、と思ったわけで。こうやって、異民族を殺すことを正統化するような主張を暗にしているんだなあ、と思うわけで。ローマがギリシャの文化を協力に取り込んでいる、ということは、同様の主張をローマも持っているということも同然、ということで。でも、ギリシャの方が先住民の文化が強く残っていて、ギリシャ先住民の文化というのは、エジプトとか地中海東岸地域とほぼ共通の文化なので、ギリシャの方がローマよりもマシ、と思っている人は多いようで。そして、ローマとギリシャというのは、ロームルスとレムスの双子の如く、ギリシャの方が下位におかれて、ローマに喰われてしまっているも同然なので、ごくごく近縁にもかかわらずギリシャの方はローマが嫌いな人が多いようで。しかも、「ギリシャ人っていうのは、けっこう目新しいモノ好きで、ノリも軽くて、ゴシップが好きだから。」って言われる気がするわけで@@。なんかゴシップなんかありましたっけ? と思ったら、「東洋の女神が同族の婚約者をほっといて駆け落ち婚したり、婚姻関係のなかったケルトから婿を取ったり、生まれながらの婚約者よりも年の若いアドーニスの方がお気に入り、とか神々の世界では、充分なゴシップでしょ。」って言われた気がするわけで@@。そんなんでウケが良くなるんだ?? と思ったわけですがー;。でもって、「SMAPxSMAP」を見ていたら、歌のコーナーで、「WORLD OVER」という7人組みのパフォーマンス集団がゲストに出ていて。で、なんというか、敵意は感じないわけですが、味方の目をしている人達のような気もしなくて。衣装も、背景も白黒ですし。で、なんだか、あんまり見慣れないような「異質」な感じを受けたわけで。「この人達は?」って思いましたら、「その人達はギリシャだと思う。」って言われた気がするわけで@@。「正教徒も似た感じだけど、その人達はギリシャ。」って感じだったのですが。一応応援してくれている人達なんですよねえ? と思ったわけで。で、ギリシャ神話、北欧神話を買ったらスラヴの神話も家に入れるように、と言われて。こちらは2冊くらい買ったわけで。「言っておくけど、ルーシっていうのは割と最近まで生贄の儀式をやっていたところって知っているよね?」って言われた気がするわけで。その辺りは、そもそもキリスト教化されたのが遅いですからねえ? と思うわけで。スラヴの熊の太父ペールーンの名前を確か貰ってましたよねえ? と思うわけで。取れる力があれば、神話まで取らないといけないらしい、ということで。これで、ヨーロッパ系の神話はほぼ網羅した? と思うわけで。他の地域の神話は入れなくて良いの? と思いましたら、中国の神話概念を理解するには「封神演義」があれば足りるし、むしろ、いわゆる第3世界と呼ばれるところの神話の方が、「生贄とは当たり前のもの」みたいな文化が強力に残っているから危険、って言われるわけで。そういうところは、それ故にローマに取り込まれやすいけれども、でも、いくらローマが嫌いでも、「生贄とは良くないモノ」って、感情や本能で理解できなくても、理性で理解できるだけの状態になってくれなくては、対等な同盟は結べないから、ということのようで。そういう人達は、ローマが嫌い、ということで応援して貰える部分があれば、個別に応援して貰うしかないし、こちらも彼らの文化を尊重して上げられる部分は尊重して、できる庇護をして上げるしかないもの、って言われる気がするわけで。
で、今日はお手紙を出しに行く日だったので、出しに行って。で、手紙を出して、なんとなく後ろを見たら、窓に年賀状の販促のための嵐のポスターが貼ってあって。ちょっとうれしかったのですが。いろいろと話が進んだので、誰かさんは、今日はちょっとご機嫌であって。で、「焼きもち焼いてくれるくらいでないと、愛されてる気がしない。」とかって言われた気がして@@。果たして、自分ってそういうタイプだっただろうか? と、つい自問自答してしまうわけですがー;。でもって、ネットニュースでは、今田耕司という人が、2,3日前に、新幹線の中で福山君に会って、で、「幸せそうだった」って言っていたということで。(なんでも、いろんな情報を総合すると、名古屋で撮影していたらしい、というか、名古屋っていうと例のヘンなドラマをどうしても思い出してしまう私なわけですが。)某悪口掲示板ではいろんな書き込みがありましたけれども、「今になって、このネタが出回る」ということに一番の意味があるのだろうな、と思うわけで。まあ、話はそこそこは良い方向に進んでいるのかな? と思ったわけですが。そして、今日の夢の意味は、小麦の文化というものは、すべからく生贄を伴う危険なものなのですけれども、その中から自分に合ったモノ(要するに味方をしてくれる人達)を選ばなければいけない、ってことなのかなあ、と思ったのでした。