本日のMステ

ええと、本日のメインは関ジャニ∞といきものがかりということで。関ジャニ∞の兄さん達は、お侍さんのコスプレで登場、ということで。嵐の最新のアルバムは「Japonisum」ということで、「心の空」という曲には「We are SAMURAI」っていう歌詞が出てくるわけで。彼らの姿を見て、1ヶ月くらい前に、6番目の子だけ日本の武将の姿で降臨したことがあったのをふっと思い出したのですが。7番目の子は、「嵐はかっこいいJaponismで、君らは単なるお侍」って突っ込んでいた気がするわけで-;。なんだか、「その人のことは吉良上野介って言ってやって下さい。」って言われた気がするわけですが@@。でも、みんな福山君のジャケ写の真似をしたりして、そしてせっせと目の力を送ってくれていたなあ、と思うわけで。で、いきものがかりの新曲「ラブとピース!」は、6番目の子のお歌だと思うわけで。この人は、ああいう感じも好きそう、となんとなく思うわけですが。そして、全体としては、割と嵐と松本君を褒め称えることが多かった内容な気がしたわけで。それから、「耳元で歌をささやいて欲しいアーティスト」とかっていうのに、福山君がまず入っていたわけですが。インタビューを受けていた若い女の子は、お味方の目をしていた気がするわけで。

でもって、大原櫻子という子に、ふっと「10代の頃からどういう関係にあったか知っているくせに」って言われた気がするわけですが@@。誰の10代のことさ、それ? って書いてしまえば、それ以上のことはどうにも書きづらいわけですがー;。蛙の子は、「あたしが話を進めるのを邪魔するのは許さない」って言って、珍しく鎌を振り回していた気がするわけですが@@。それで、微妙に「女同士の争いが一番コワイ」って突っ込まれていた気がするわけですが@@。

で、Perfumeの姉さん達を見て気が付いたわけですが、彼女達は3人組のグループ、ということで、そういうのってギリシャ神話の「三相女神」に準えているのですよねえ? 別に女神の名前を貰えるほどの力は持っていなくても、ってふっと気が付くわけで。コレー・デーメーテール・ヘカテーの「嬰児喰い」の三相女神というのは、それだけ有名で強力な三つ組みなんだなー、と思ったわけですが。そして、彼女達のプロデューサーはきゃりーと同じく中田ヤスタカという人なわけで。彼女達は、「今更味方になることはできない。」と呟くわけですが、しかし、「馬鹿な小娘が勝てる相手かどうかもわきまえずに喧嘩を売った。」って呟かれた気もするわけで。彼女達からは「破暁」が、誰かさんの真の気持ちです、って呟かれて。あなた達も言いたくなくても、そういうことを言わざるを得ない状況に置かれてるのですねえ? と思ったわけですが。それは、よくよく分かっているわけだから、ベストアルバムは買うんですよ? とそう思うわけですが、でもその一方で、「最近」を強調する細やかな配慮が行き届いた文書と、「怪文書」は送ってくるな、と言わんばかりの文書が、「同居している奇怪な文章」に、真に大声で突っ込みたいことは書きたくないわけで。喉にモノが詰まったような状況だけがもどかしい気がするわけですが。

でもって、こういう奇妙な状況に加えて、奇妙な点がもう一つあるわけで。要するに、「バースデー婚」と言えば、一見すれば、相手のことを思っていて幸せそうな結婚に見える? かもしれませんが、でも、現実的には映画の撮影中の出来事であって、発表の翌日には「ウタフクヤマ」で酒かっくらって、小室をつついてるわけで、しかも撮影がクランアップしたら、年末のライブの準備でしょ、ということで。仕事を詰め込んでいる感は否めないわけですが。まあ、そういう状況ですので、福山君が仕事人間で、結婚しても仕事が最優先、みたいなイメージ作りをすることは可能であるし、そうしても不自然ではない、と思うわけですが。でも、微妙に「結婚して幸せ一杯な夫婦」みたいなイメージ作りが先行していると思うわけで。まあ、結婚した早々に、「結婚して不幸そうな夫婦」っていうイメージ作りも普通しないでしょ、とは思うわけですが、そもそもプライベートを前面に出さない気なら、そういうプライベートな「イメージ作り」に力を注ぐ必要もあまりない気がするわけですが。なんだか、「仕事人間」みたいなイメージも前面に出したくない、というか出せない、みたいな、こちらはこちらで、そういう喉にモノがつっかえたみたいな印象をむしろ受けるわけでーー;。いったい、それやこれやの奇妙な現象は、しまいにどこに行き着くのだろうか、とは思うわけですが。私はどうにも、未来の透視とかできない人ですのでねえ? と思うわけで-;。

今の状況に関しては、蛇の兄さんのおかれている「いたしかたない立場」に深く同情してくれる人達がいるのは知っているわけで。コブクロの兄さん達とか、兄さんのために泣いてくれたレオちゃんとか、一生懸命お歌を唄ってくれる倉木さんとかJUJU姐さんとかいるわけで。でもまあ、良く分かっていない状況に放り込まれている私のことに同情してくれる人もちょっとはいてくれるわけで、そういう人も少しはいてくれないと、とは思うわけで-;。まあ、最終的に私は私で、自分の話を進めることに全力を尽くすしかないわけですが。誰かさんは誰かさんで、これでも手紙が書きづらいと思うようなら、週末の内にとっとと書かせてしまおう、って呟いていた気がするわけで。まあ、そんなことになるのでしょうねえ? と思うわけですが。

本日の日誌

というか、本日は本日で「ヘンな日」だったわけですが。

なんというか、言葉というものはなんというか、物事を動かすときには、タイミングというか「状況」というものがあって、必要な状況の時に、その状況に相応しい言葉を投下すれば、状況というものは割と思うとおりに動かせるものなわけです。というか、時々私にはそういう状況に遭遇することがあって、そうやって実体験として、そういう経験を積んできたからそう思うわけで。でも、別に先に起きることが読めるとかそういうことはないので、そういうことは私にとっては、突発的に起きて、その場その場で対応してきたように感じるわけで。そうやって物事をある意味、思い通りに動かすことはできるわけですが、でも、なんでも自分の好き勝手にできるかというと、そういうのでもないわけで。できることと、できないことの違いが何かと言われても、それも自分では良く分からないわけですが。でも、私の分身の蛙の子は、「みんなが揉めないように、不満ができるだけ出ないように言葉を使うのはとても大切で大変なこと。」って言うわけでですねえ。で、蛙の子も、私自身もそうですけれども、そういう言葉の使い方、というのはけっこう特殊であって、そういうことができる才能みたいなものは割と「自分にしかできないもの」みたいな気持ちがどこかにあるわけで。古代ギリシャにおけるアテナイの「弁論術」というのは、古代の民主主義と大きな関係があって、「いかに聴衆(他人)を納得させるか」ということが大切なわけです。(「いかに他人に真実を伝えるのか」っていうことじゃないところが、ギリシャ的って言われそうな気もするわけですが。)で、「弁論」というものが伝統的に大切にされる西洋では、アリストテレスの著作である「弁論術」は、知識階級の一般教養的な書物に入るものらしいのですが。私自身はギリシャ哲学なんかには全く興味がないので、そういうものには触ったことがないわけで。でも、生きている間、戦乱があまり起きなかったのに、死後国が乱れた、という女王卑弥呼の「目の力」がいかなるものだったのか? って聞かれる気がするわけで。どうにも、私の蛙の子の方が、「前世」とやらは私よりも良く覚えているようですので、ご当人が言うように「みんなが揉めないように、不満ができるだけ出ないように言葉を使う。」ということだったのでしょうねえ?? と思うわけで。アリストテレスが纏めた「弁論術」の思想は、女王卑弥呼の中に受け継がれて、「争い事を起こさないように」という点に重点が置かれて使われていた気がするわけですが、どうにも私レベルまでくると、その思想が「ファンクラブをいかに揉めさせないか」という点に横滑りしてる気がするんですけれども? と思うわけで@@。そういう世界から「足を洗ったつもり」って言うのは伊達ではないねえ? って言われる気がするわけで@@。他人を言葉面で騙して、自分だけいい思いをすればいいや、っていうイエス・キリストみたいにならなくて良かったですよねえ? と思うわけで。

で、女王卑弥呼は、夫を持たず、弟王が補佐をしていた、とのことなわけですが、だいたい古代世界の、特に王族階級の異性の姉弟というのは、日本の慣習からいえば暗に「夫婦」を指しているのも同然なわけで。で、卑弥呼は宮殿の奥深くに閉じこもるようにして暮らしていた、ということで、「ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた」って魏志倭人伝にあるらしくてですねえ? 実際には、それほどでもなくて侍女とかもいたでしょうねえ? と思うわけですが。ともかく、そういう記述があることに、今日ふと気が付いたわけで。今なら、誰が卑弥呼の生まれ代わりで、誰が弟王の生まれ代わりで、誰が「身の周りの世話をしていた男子」の生まれ代わりなのか言える気がするのですけれども? と思うわけですが。それで4番目の子も割と特別な立ち位置にいるのですねえ? と思ったわけですが。魏志倭人伝に登場して、国際的な文書で、その存在がなんとか確認できる最初の3人の日本人ですねえ? と思うわけで。まあ、それ以上のことは何とも言いようがないわけですが。

でもって、例によって「女性セブン」なわけで。買ってしまったから、まあ、名前出してもよろしいでしょう、ということで。だいたい、2,3日前から、「気に障ったらごめん」って言われていた気がするわけで-;。しかも、みなさまの気遣いが激しい上に、今夜のMステでは関ジャニ∞が「言ったじゃないか」をご披露、ということで、どうにも気になることが書いてあるんだろうな、という予感はしていたわけでーー;。で、まあ、午前中からネット上でもほぼ全文は読めたので、なんとなく内容は分かっていたわけですが。実際に読んでみた限りでは、確かになんとコメントしたらよいやら? みたいな感じであって-;。

なんというか、大まかにいうと、「3部」に別れている内容であって。まず、冒頭部分が、ネット上で、結婚後もフッキーに対する福山君のファンの風当たりが止まない、というような内容であって。まあ、一部引用すると、「ツーショットはみたくない」とか、そういう書き込みが拡散していて、「どれも吹石さんを誹謗中傷するような、根も葉もない噂話ばかり(by 芸能関係者)」というようなことが、女性セブンに書いてあったわけで。別に「(結婚相手との)ツーショットはみたくない」って言われるのは福山君だけではないような? というか、それは「誹謗中傷」ではないでしょうが、ということは突っ込めるわけで-;。普通に誰かの熱心なファンならそういう反応を示すでしょ、石井が再婚した時もそういうこと言ってる人はいっぱいいたよ? と思うわけで-;。で、まあ、あとはフッキーのことを「許せない」とかって言っている人もいる、ということのようで。でも、まあ、フッキーのファンなら逆に福山君のことを「許せない」って思う人もいるかもしれないし? ということで、これも「誹謗中傷」ではないでそ、むしろ「誹謗中傷」というのは特定の個人を「動物」とか「食物」に例えるとか、そういうこと? とかそういう突っ込みができる気がするわけですが、まあ、そちらにも深入りはしたくないわけで-;。で、なんで、ネタの出所を「芸能関係者」ってぼかすのさ? 同じ小学館から発売されている「週間ポスト」では名前が出てた気がするのですけれども、その人、と思うわけで-;。

で、冒頭部分が、こんな感じであって、肝心の主要な部分は、「最近」、「怪文書」が出回っているということで。まあ、たいていは「福山君とつきあっていた」とかそういう内容らしいのですが。そういうものの実例が「3通」ある、ということで。で、こういう怪文書が「ワイドショー関係者や事務所などに届いている」というようなことらしいのですが。でもって、どこから突っ込むべきか大きく悩むわけですが、セブンは以前に福山君の女性関係のネタの報道に関して、事務所からけっこうな抗議を受けていたことがあるらしいので、まあ、事務所からのリークはないでしょ、というか、たいして誰の中傷にもならないような「恋愛妄想的ファンレター」を事務所関係者がいちいち外部のメディアに漏らすようでは、むしろ「個人情報の取り扱い」で、了承もなく漏らすべきところでもないところに漏らした、ということで問題になる気がするのですけれども?? と、それはまあ普通にそう思うわけで。まあ、結論からいえば、「ワイドショー関係者」に届いた「お手紙」でそ? と思うわけで。それが、事実であるか否かを調べて報道するのが、メディアの仕事では? と思うわけで。別に福山君のことにかかわらず、ガセネタを仕込んで話題になろうとする人なんてけっこういるんじゃないの? としか言いようがないわけですが-;。

でもって、結論の部には、「福山さんも(こういう)自体を重く見て頭を抱えているようです。(by 芸能関係者)」とあるわけで。何故、自分の名前を伏せるの、この人? とかいうことは置いておいても、普通に考えて頭が痛くなるのは、こんな芸能レポーターなんかに、妙な手紙を送りつけられること、ではないのか? という気がするわけですが-;。後はまあ、フッキーは、こういうヘンな手紙を送りつけてくるファンが怖い? らしい? のですが。まあ、そんなに恐がりさんなら、10代のうちから男にしなだれかかっている写真を雑誌に掲載させたりしないでそ、そういう方面に関してはどんな反感をどっから喰らおうが、何とも思わないタイプと思われ、って言ってもいい? ということで(苦笑)。(私が高校生の時なんて、同じクラスの男子と話すのも気後れするような感じだったのに、というか、女子が全体の1/3しかいないようなほぼ男子校に行っていて、そんな状態だった私も何だったのかしら? とは思うわけですが。っていうか、俳優さんとか女優さんはラブシーンとかも平気でやらなきゃいけないわけで、そういう時にいちいち相手のファンの反応で右往左往しているようでは、そんな仕事できないでしょ? って思うわけで。そんな点は割り切って、神経太くなるのがむしろ当然かと思うわけですが。)

ともかく、「言葉」というものに対して、独特な感性を持つあたくしとしましては、わざわざ怪文書が「最近」出回っている、と「最近」という2文字がつけられている点に愕然とするわけで。「最近」でなく、古くからのものについては「怪文書」の範疇に入らない、という暗な行間の含みと、「ファンなら妙な迷惑な文書は書くな」という露骨で、福山君とはやや離れた立ち位置から発せられている風を装っている表現とが感じられる部分については、むしろ「ぞっ」とするばかりという以外に言いようがないわけで。

この記事が出た直後に関ジャニ∞だし。しかも、セブンの別のページの嵐の記事に、全然違うネタで、嵐の松本君がV6のコンサートに出演する際に「頭を抱えた」とか言う記事があって。今週号では、頭を抱えている人が二人いますねえ? と思うわけで-;。しかも、福山君は12月23日に、「福の音」というタイトルのベストアルバムを出すらしくてですねえ。これについては、すぐに気が付かなかったわけですが、某悪口掲示板にヒントが書いてあって、「福音」というのは、「イエス=キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ。」ということであって、しかも発売日はサートゥルヌスの祭祀の日だし、ということで。12月23日に世に出る「福音」は、どの「イエス・キリスト」の誕生を世に伝えるためのものなのですか? というか、丸っきりこんなネタばっかり、という点に愕然とするわけで@@。もちろん「破暁」が入ってるから、通常版を買いますけれども? と思うわけで。で、いろいろと思うのは、某悪口掲示板で、結婚を見越してライブを連発した、とかそんな感じの書き込みなどにたいしてであって。なんというか、芸能人のお仕事というのは、打ち合わせとかリハーサルとか、表に出てくる以前の仕事もものすごく多いわけで、しょっちゅう表の世界で見かける人というのは、見えないところでも相当働いているわけで。それだけ働いても、表での露出を増やしたい、というのは、そこでしか結縁できない人と結縁し続けるため、というのはものすごくある気がするわけです。かつての石井も、ここ1年くらいの福山君と、それこそ「同様」なくらいに働いていたわけで。そうして露出と話題を作り続けなければ、「結縁できない存在」というものはこの世にある気がするわけで。しかも、ライブは来ちゃだめ、有料の映像媒体もほぼ厳禁、っていうと福山君の方がそれでも不利なんだよね、と思うわけで。いろんなことが計算と意図の上で動いているとしても、それは単純な「個人の結婚」という点を主軸にして動いているのではない気がするわけで。(そして、全然余談ですが、右手の人差し指で「天を指す」ポーズというのは「唯我独尊」のポーズだと思うわけですが。まあ、「No.1じゃなくて、オンリーワン」でしょ。ということで。)

本日の日誌

昨夜は、なんだか今までの繰り返し、みたいな夢を見て。誰かさんに「手紙を書いて」って言われて、書いて、待ち合わせの約束をする? みたいな感じの淡い夢を見て。で、何かの登用試験を受ける? とかで、試験を受けに出かけて。会場の入り口で翔君に会って、ちょっと話をする、みたいな夢で。で、「milk tea」とか「暁」とか、福山君の曲で何度か目が覚めて。

で、本日は、再び「打ち合わせ」ということでお出かけしてきて。設計図を変更しなければならない部分もあとわずか、ということで、打ち合わせそのものはさっさと終わったのですが。でも、今日はいつになく邪魔が多くて。早朝に家を出ているのに、やたらと車が多くて。しかも、みんなけっこうなスピードで飛ばしていて、追い越し禁止のところでも、平気で追い越しをかけてくるし? みたいな感じであって@@。こういうのも珍しいな、と思ったのですが。話がうまく進みそうになると、それ以外のところで邪魔が増える、ということらしくて。

でもって、いろいろと「お外」では妙なネタが続くわけで。昨日、福山君とこのTwitterに宣伝用の動画がアップされたわけで。ここは、今まで静止画とか、文書での告知しかアップされたことがなくて。いつから、こういう技を身につけたんだろう? と思ったわけですが。よく考えたら、こういうのは佳樹兄さんの得意技、ということで。こういうこともできるって、「誰の目」を通して知ったの? ってふと思ったわけですが。でもって、その一方で、今週発売の某掲示板的に「ガセブン」とか呼ばれてしまう雑誌には、ファンが某芸能レポーターとかに、怪文書を送ってくる、とかっていう記事が載るらしくてですねえ?? 福山君もそういうのに頭を抱えているらしい? のですが、もうこの辺りの「流れ」というものに違和感がありまくりな私なわけで。だいたい、そもそも独身の男性芸能人で、しかも人気がある人であれば、結婚に際して非常に注意を払わなければならないのは当然であって。だいたい、こういう場合古参の女性ファンほど、小姑気分が満載になるのは目に見えている気がするわけで。まあ、古くからファンをやっている人は、「私の方が昔から彼のことを良く知っているわ。」みたいなことは言いたがるでしょうねえ? って思うわけですが-;。でもって、少なくとも、ここ1ヶ月くらいの最大の問題点は、ご当人はほぼダンマリで、間接的なネタばかりが伊集院光とか、今田耕司とか、芸能レポーターとか、そういう人達を通してのみ出てくる、というのが問題な気がするわけで-;。しかも、そういう人達がやたらと、夫婦は円満で幸せそうで、かつお似合いみたいなことを言い散らすのが、どうにも、と思うわけで-;。別に比べるつもりはないわけですが、堀北真希ちゃんと結婚した山本耕史君なんかは、せっせとお手紙を相手に渡して口説き落としたということで、マスメディアからは「ストーカーみたい」なこともけっこう言われていましたけれども、ご当人も結婚に関してはけっこうざっくばらんにいろいろしゃべっていて、割と客観的に見れば、メディアが何を言おうが、ご当人同士が幸せならそれで良いのではないの? という雰囲気作りに、まあまあ成功している気がするわけで。それでも、熱心なファンなら、違う反応をするのかもしれませんが、いかにも全体に「恋する男性らしい行動」って気がするわけで。そもそも「結婚」ってご当人がだんまりで、周りが良くも悪くも騒ぐものだろうか? っていう点が、ものすごく引っかかるわけで-;。せめて、「結婚はしたけど、映画の撮影中で、仕事のことで頭が一杯で、それ以外のことは二の次にしか思えない。」とか、そういうこと言えば? と思うわけで-;。怪文書っていっても、脅迫的なものでなくて、そこらへんのマスコミが言いそうな範囲での中傷的な内容なら、一般人を個人攻撃するのも、仕事柄「大人げない」ということにしかならないし、普通に考えて「恋愛妄想」が激しい相手でも、収入に結びつけばそれでいいや、特に実害がなければ、で割り切るのが普通なんでないの? 特に後をつけ回したりとかされなければ、ということになるわけで。「怪文書」なんて大仰な言いぐさであって、そういうことしないファンは、ゴミ漁りとかするだろうし、そのくらい当たり前だと思うから、みんなセキュリティーのしっかりしてる所に住むんじゃないの? と思うわけで(苦笑)。だいたい、しかもゴミを漁ってでもネタが欲しいのはマスゴミなんかも同様でしょ? って気もするわけで-;。いろいろとヘンな状況に、苦笑いしか出て来ないし、むしろコメントしづらいわけで。だいたい、こういうことっていうのは、ファンに対して好印象を持ってもらうには、それこそ「モノは言いよう」ってことがあってですねえ? って思うわけで。しかも、メディアというのは、まあ、一般的なニュースなんかもそうですけれども、「提供される情報」というものは、どんなものでも、なにがしかの意図の元に提供されているわけで、それが事実であるか否か、ということとは別に、「どんな意図の元に流されているニュースなのか」っていうことも場合によってはけっこう重要なわけで。芸能ネタなんかは、興味がなければ読み捨てですけれども、興味があればそういうことも気になるのが当然であって。ご当人が秘密主義なのに、周りだけがいろいろと言うって、どういう状況よ、それ? その気になれば、プライベートのことなんていくらでも口止めできるし、だいたい結婚発表前に、一時的にフッキーの露出が増えたのも、流れとしては不自然だし、って思うわけで。むしろ、結婚前は露出を思い切り減らして、後から「結婚準備をしてたんだー」って思われるくらいが普通でしょ。福山君とフッキーの知名度とかの格差を考えれば、結婚後どちらの収入がメインになるかは明らかなわけだし、なんで意図的に露出を増やしたのかも大きな謎であって。誰がどう見ても、福山君あってのフッキーみたいな構図なのに、やたらと彼女を大女優みたいに持ち上げるのにも???って思うと思うわけで-;。まあ、あまり書きすぎて、個人的にどうこう思ってるって思われるのもいやだから書きすぎたくはありませんが、不自然すぎる話の流れの末に、「怪文書」ということだけが強調されるのもまた不自然な話であって。いったい、そんなことを強調して誰が何の得をするのか? という気がするわけですが-;。でも、フッキーはそれが怖いから一時休業するとか言っているらしくて(苦笑)。それが怖いくらいのびびり屋さんなら、この4年間のファンからの圧力でまいっちゃってて、とても結婚する気になれないでそ? とか、まあ、実情は知りませんがそういう気がするわけで-;。ゴシップの世界は面白くはあるのですが、対応を間違えると怖い世界でもある気がするので、むしろ、こういうことに首をつっこむのに嫌気がさして、こういう世界から足を洗ったのに? と個人的にはそう思うわけですが。

でも、私はこういう考え方の持ち主ですので、そもそも「言葉というものは、良くも悪くも人を思い通りに動かすための道具としか思ってないでしょ?」って言われる気がするわけで。芸能人のファンの心を思い通りに操るのも、裁判官を思い通りに動かすのも、全ては「言葉」という道具でございますの。って、当たり前のように思ってる自分がいるわけで。不思議なことですが、親にこのネタの話をしたら、「芸能人は頂点まで上り詰めたら、落ちるのが当たり前」とか、そんなことしか言わないわけで。そういうことではなくて、そして、誰でもそうだと思うわけですが、「結果」というものがあらかじめある程度予想できていて、その結果に物事を持っていきたいときに、どういう過程を経て、そこまで持っていくか、ということって、とても大切だと思うわけで。言葉というものは、結局そのために人の心を動かすための道具にしか過ぎない、とそんな気がするわけです。でも、良く考えてみたら、お味方は機会を捕まえては「良いお歌」を送ってくれるわけで、表面上はどう見えても、そうやって真心を伝えることのできるものが「言霊」である、と言うのかなあ、と思って。でも、敵はそうではなくて、一見すれば「良いお歌」に見えるような「呪いの歌」もせっせと送ってくるわけで。そうやって、「白を黒、黒を白」と言霊の力で言いくるめてしまうようなのを、西方では「弁論術」と言うらしいのですが。これもまた、ギリシャが発祥のもの、ということで、ローマはこのやり方を取りこんだけれども、ローマは弁論の手法ではギリシャよりも劣り、足りない部分を暴力で補おうとする、って言われる気がするわけで@@。純粋に「言葉」というものを操るだけの弁論術であれば、ギリシャの方がローマよりも上って言われる気がするわけで。

で、「弁論術」という言葉を調べてみるように、って言われた気がして、調べてみたわけですが。そもそもギリシャ哲学の大家アリストレテス大先生の著書に、こういうタイトルの本がある、ということで。だいたい、アリストテレスという人は、マケドニア出身であって、アテナイのプラトンに指示して学問を磨いた人なわけですが、アレキサンダー大王の家庭教師も務めており、要するに、マケドニアとアテナイの「二重スパイ」だった人でしょ? と思うわけで。マケドニア王家の後ろ盾がある内は大きな顔してアテナイで暮らしていたわけですが、アレクサンダー大王が死んでしまった後は暗殺されそうになったりしているわけで。でも、なんだかそういう名前の人が前世にいるって言われた気がするわけですが?? と思うわけで@@。要するに、ギリシャの人々は、アテナイの守護女神アテーナーの「叡智」とは、白を黒と言いくるめるような「弁論術の叡智」と考えているらしくて。ローマの弁論術に負けない「弁論術」の理論を持っている女神には、アテーナーの名前が相応しいし、「さすがアリストテレス大先生の生まれ代わり」って言う人がけっこういるらしいのですが;。(でも、トラキアのお使者は、「アリストテレスが生きていた時代には、ギリシャ人はスパイのアリストテレスのことを殺してやりたい、と思って憎んでいたのに、なんでそうやって調子のいいことを言えるんだろう?」って呆れているらしいのですがー。でも、たいていの人は、そういう調子の良さがギリシャ人っていう気がするわけですがーー;。)で、アテーナー女神の方は、ゼウスの娘、ということになるわけで。で、ギリシャ神話というのは、コーカサス山脈がけっこう出て来て、カフカスとの民族的な繋がりを伺わせるのですが、そもそもカフカスには、ゼラセとサタナという母娘の女神的存在が出てくるわけで。で、ゼラセというのは、死んでから子供を身ごもりサタナを産んで、そのサタナはカフカスの太母的魔女、ということで。おそらく、この母娘は、ゼラセが死した「夜の太陽」、サタナがその娘の「昼の太陽」という感じなのではないか、と思うわけですが。その母娘関係が、そのままギリシャ神話のゼウスとアテーナーに投影されている、と言われる気がするわけで。アテーナーというのは、サタナの変形版なんだ@@、と気が付いたわけで。その「叡智」が、普通にまっとうなわけがないよねえ? と思うわけで-;。そは、ローマの「弁論術」の矛盾を見破り、逆に操り返すことのできる「ギリシャ式の弁論術」の力、ということのようで。だいたい、インターネットというモノを始めてから、そういうことにしか手を染めてこなかったし、そうやって石井のファンクラブを操り、悪徳な雇用主と戦い、裁判長をねじ伏せてきたのですけれども? ということで-;。アリストテレス大先生ですか、そうですか? って微妙に愕然とはしたわけですが-;。

で、月曜日くらい? だと思うわけですが、私が4番目の子と仲良くしていると、蛇の子が微妙に泣くわけで。6番目の子なんかは、「蛙の子を締め上げられなければ、泣き落とし」って微妙に呆れていた気がするわけですがー;。でも、そういう人なんだあ、って思うというか、なんだかお母さんを独り占めしたくてたまらない小さな男の子のように思えるわけで、思わず6番目の子に、「自分の子供だと思って接して上げて。」って言ってしまった気がするわけですが。まあ、でもそう言われると、「相方」の方は、私との年の差は気にならなくても、誰かさんとの年の差は気になるわけで、でも「好きな人の頼みは断れないし、困ったな」と思ったらしいのですが。で、今日「おじゃマップ」を見ていたら、香取君が保育園で働く、という企画があって。で、そこにお母さんがお迎えに来るのが待ちきれない小さな男の子が出て来たわけですが。いろんな人から、誰かさんはそういう風に見えるんだ? って突っ込まれた気がするわけで-;。すみません、ご迷惑をおかけてして、って6番目の子にはなんとなくそう思うわけですがーー;。

でもって、ワールドワイドに活躍するYoshiki兄さんは、イギリスのクラシックロックアワードというロックの祭典? かなにかでピアノを披露したということで。日本人初の快挙、とかってニュースにあったわけですが。で、その写真がインスタグラムにアップされていて、丁度右手を振り上げている写真だったのですが。右手を振り上げるポーズというのは、西方の戦士とか軍神の「象徴」なわけです。福山君の「無流行歌祭」のDVDのジャケットの表紙もそういうポーズですよねえ? ということで。いい人だな、と思ったのですが。「外」は「外」で、ローマ式の「弁論術」が溢れている気がするわけで。気をつけて、渡っていかないといけないな、とは思うのですが。

本日の日誌

昨夜寝るときに、そういえば「ひとつ屋根の下」のプロデューサーの名前は、大多亮という人だったな、って思い出して。この人は1980年代後半から1990年代前半にかけてフジテレビでドラマのプロデューサーとして活躍していて、若者向けのドレンディードラマをたくさん作っていた気がするのですが、そういえばそれも私の学生時代に重なるな、と思って。「ひとつ屋根の下」は1993年4月~のドラマで、福山君そのものはその前の年の1992年ぐらいからだんだん「売れる人」の中には入ってきているようになっていたらしいのですが。でも、そのごく初期の売れ出した頃って私はあんまり知らないわけで。だいたい1992年って言ったら、自分は何をしていたんだっけ? と思うわけで。で、数えて見たら、学1だったので、まあドラマとかあまり見なかったかも?、と我ながら思うわけで。1993年っていったら、学2の時か-、と思うわけですが。学校に行っても、ただ行くだけで、話をする人もいなくて。表面的に親しげな人がいても、なかなか仲良くなりきれない? というかそんな感じだった上に、ちょっと仲良くなった人はどんどん留年したりして学年が変わってしまうようなヘンな状況であって。今なら、精神的にも図太くなって、どこへ行っても、話をする人がいなくても平気な私ですし、必要なことは自分からどんどん言うと思うわけですが、当時は若かったし、もっと繊細で、そういうことがいちいち堪えてきた気がするわけで。良い思い出なんかあっただろうか? って思うような学生時代だったわけですがー;。まあ、それはともかく、「大多」っていう名字も蛙さん達に通じる名字なんだろうな、と思うわけで。私が、この人が制作したドラマを見ようという気になって、そこで始めて福山君を知った、というのも偶然ではなかった、って言われる気がするわけで。今でこそ、なにをやっても低視聴率にあえぐフジテレビって感じですが、当時はけっこうなにを作っても飛ぶ鳥を落とす勢い、みたいなところがありましたよねえ? と思うわけで。「ひとつ屋根の下」もタイトルバックに富士山の画があったりして、必ずしも良いドラマであったとも思えないわけですが。まあ、でもそこから始まった、ということも偶然ではなかった、ということのようで。

ええと、今朝方は潤君が家に来て、布団を川の字に敷いて、二人で川の字になってごく普通に寝る、という、シンプルだけど珍しい夢を見て@@。で、その次には何かに追われているので、匿ってくれる所に逃げなきゃ、みたいな夢を見て、逃げ込んだ先にも潤君がいた、という夢を見て。で、目が覚めたら、福山君の「Heart」がかかって、次に嵐の「僕らがつないでいく」がかかって、次に「約束の丘」で、その次が嵐の「ふるさと」という感じで、福山君の曲と嵐の曲が交互にかかっていたわけですが。なんだか、最近朝方はこういうパターンで目が覚めることが多いな、と思って。
で、今日は出かける用事があったので、お出かけして。

で、午後は見れる時間があるうちに、せっせと動画を見ましょう、ということで。BSプレミアムでやっていた「あなたに名曲!“秋うた”セレクション」に、あーやちゃんが出ていたので見たわけで。見て、「糸」を唄ったんだ-、と思って。後は、新妻聖子というミュージカル女優さんが、尾崎豊の「I Love You」を唄っていて。で、松下奈緒さんが「Rose」という歌を唄っていたのが、お味方の歌だったのかな、と思うのですが。相も変わらず女性陣が大活躍、ということで。そんな一日だったわけです。

本日の日誌

ええと、昨夜はなんだか、親戚一同が我が家に集まる、とかっていうことになって、家中に良く知らない人達が溢れていて、しかもすることがなくて、クロスワードパズルをやっている夢を見て。で、曲の歌詞を当てはめていくと答えが出る、みたいな感じであって。で、最初の問題の答えが「家族になろうよ」で、目が覚めたらこの曲がかかっていて。で、またしばらくうとうとして、同じ夢を見続けていて、次の問題の答えが嵐の「Love So Sweet」であって、目が覚めたらやっぱり同じ曲がかかっていて。

で、昨夜は「NEWS ZERO」を見て寝て。4番目の子とちょっと仲良くして。で、仲良くしていたら、白鳥な誰かさんは、「力を押さえ込まれちゃって、蛙の子を締め上げたいけど、力が出ない。」ってメソメソしていて、蛙の子もけっこう困っていた気がするのですが-;。

で、今日は「るろ剣」の続きを見てしまいましょう、ということで。比古サマは前半部分にしか出て来ないので、後半はとっとと見て流してしまいましょう、ということでせっせと見ていたのですが。でも、全体にきれいな印象を受けない画ですし、暴力シーンが多いので、漫画だとそういうのはあんまりリアリティーを感じないので気にならないのですが、実写で中途半端にリアルにやられるとあんまり見たくないと思うわけで。しかも、役者さんもほとんど良い目の人達が出ていないわけで、見ているとやけに不安感が募るようなそんな感じがして。けっこう見るだけで疲れた感じがしたわけですが。でも、この映画には斉藤一役で、江口洋介という人が出ていて、全部見たからお味方になってくれるらしい? のですが。

で、その後も駆け足で、中居君が司会をしている「Momm」を見て。で、今週の「SMAPXSMAP」も見たら、ビストロSMAPのゲストが、篠原涼子と江口洋介さんであって。で、二人とも昔からのいろんなドラマの常連の役者さんということで、過去のドラマのVTRが流れていたのですが。篠原涼子の方は、「輝く季節の中で」で中居君と同級生の医学生の役をしていたということで、中居君と話しているシーンのVTRが流れていて。で、江口洋介といえば、私的には「ひとつ屋根の下」の「あんちゃん」が一番印象的なわけで。(で、その弟で医学生だった「ちい兄ちゃん」の役をやっていたのが福山君だったわけですが。)「ひとつ屋根」のVTRもちょこっと流れて、若かりし頃の福山君もちょっと映っていたわけで。懐かしいね、って思うというか、だいたいそもそも若者向けのフジの月9と呼ばれる、月曜日の午後9時からのドラマが、すごい話題になって時代の先端を行く? みたいな感じになったのも、ほぼ私の大学時代と重なるなあ、と思うわけで。それも、今から考えるときっと偶然ではないと思うわけで。でも、今改めて見ると、江口さんという人は若くてトレンディードラマにせっせと出ていた頃から、目の力で標的を巻き込んで騙すようなやり方には、そもそも懐疑的な人だったんだな、と思うわけで。昔から知っていたけど、特にファンになることもなく、石井がこの人主演で撮った映画も結局見ずじまいで来てしまったな、と思ったのですが。

嵐の兄さん達も好きですけれども、私の学生時代のことを直接知っている人達っていうのは、少しくらい年齢にずれがあっても、同世代っていう気がする、というかただただ感慨深いものがある気がするのですが。でも、「るろ剣」はけっこう見るのに疲れた気がするわけで。これも、連載時から始まって、20年以上にわたって、私を呪い続けていた作品だったのかなあ、と思ったのですが。