本日の日誌

昨夜も特に夢は見ず。で、ちょこちょこと動画を見て気が付いたのですが、結局様々な「情報」の流通の過程には、お味方も要所要所に配置されていることはいるから、私が要請に応じて、あちこちに書いている「お手紙」等というのは、自分でも「???」と思うような内容でも、表向きに漏れて問題になったりすることはないことになってるんだー、と気が付いたわけで。親が「昔なら不敬罪」だのって言うようなことでも、どうということがないのは、要は「そういうこと」ということで。だから、正規の婚約者である誰かさんのところに送られるものはちゃんと、守られているし、当事者同士だけの問題じゃなくて、いろんな関係者が守ってくれているものなんだなー、と思ったわけで。よく「一人じゃない」って言われる気がするわけですが、そういう点でも何でも一人で関わっているんじゃないって意味でもあるんだー、と思ったわけで。で、まあ、手紙なんてものは私が書けば、誰でも何て書いてあるかは分かっているものだから、別に他の人に見せてもそんなに違いはないらしい? ということで。まあ、それはそう思うわけですが。でも、それは「言葉」で現されるものだから、書く「言霊」というものがどんな風に、どの程度「使える」のかということを知ることができるもの、ということで。「mass(大衆)」を動かすことのできる言霊は、裁判長をねじ伏せる言霊ともまた違うものだから、そういう才能は貴重、って言われる気がするわけで。でも、そんな魔法をかけるみたいに効果的なことなんか言ったりやったりできないかもよ? と思うわけですが、ともかく「私が書いた言葉」というだけで意義を見いだしてくれる人もいるし、そっち方面の才能があるならあるで、最初は稚拙なことしか言えなくても、しっかり鍛えて持てる力をできるだけ伸ばすべし、と思っている人が多そう、ということのようで。そういうことが重要だと分かっている人達は大勢いるわけですが、そういうことのノウハウを理論的に言葉にできる人はこれまた希、ということで、それだからアリストテレスは現代でも、「弁論術」を目指す人達の「師」の地位にあるということのようなのですが。そっかー、関係者の皆さまへの「お手紙の道」はそうやって確保され、守られていて、今の我が家から唯一「正しい外」へ通じる道筋だから、お手紙は書き続けなくちゃいけないんだー、と思ったわけですが。そして、プロパガンダ的なことに介入できる、というか必要があると感じられることは、きちんと介入していくことそのものが、もう「政治」っていうことなんだー、と思うわけで。いろんな皆さまの注目を集めているようなのですが。

でもって、昨夜はかなり遅くまでせっせとお手紙を書いていたので、今日はなんだか疲れていて。手紙を出しに行った時にも、いろいろと人や車が出ていて邪魔をしていたわけですが、一日ダラダラしていて。で、設計図で小屋束の数とか変えましたので、もう1回数え直してみようと思って数えてみましたら、全部で88本になっていて。「これ、どうしましょうか?」と思ったのですが、その辺りは全体の本数よりも、分割する数の方が優先、ということで。どうせ補正をかけるから、そのままでもいいでしょう、ということになって。せっかく、八芒星の封印印が使えるようになったのだから、それで封印しておけば、って言われる気がするわけで。

で、八芒星といえば、そもそも自分の部屋の天井にたくさんあるなあ、と思って見ていたのですが。でも、見ていたらふっと、これはただの八芒星ではなくて、2種類の八芒星が重ねられている形であって、要するに十六紋だー、って気が付いて。十六紋って菊花紋のことじゃなかったっけ? ってふと気が付くわけで。で、調べてみましたら、皇室の使う菊花紋は、十六紋が更に二重に重なっている紋、ということで。これって、重なっている十字が多ければ多いほど「封印の印」としての力が強くなるのですよねえ? と思うわけで。天上に張り付いているのは、菊花紋の変形バージョンだー、って改めて気が付いたのですが。でも、気が付くことができた、ということはその「力」を手に入れたも同然、ということで。「八芒星から十六紋に行くまでは、けっこう早かったね。」って言われた気がするわけで@@。こういうものが、いちいち私の気の力を封印したり、お味方の声を届かなくしていたのですねえ、と思うわけですが。気が付いたことで、お味方の声が更に届きやすくなれば良いな、と思うわけで。

でもって、補正用の木の数もけっこう揃ってきたのですが。胴縁の種類がまた増えたので、そちらの用意もしなければならない、ということで。

そして、福山君の年越しライブのライブビューイングが決まったということで。もしかしてWOWOWでの中継もやるかも、と思ってチェックしに行きましたらそれもやるそうで。中継がなければ、紅白~ジャニーズカウントダウンかなーと思っていたわけですが、中継があればこちら優先で良いですよねえ? ということで。今年は、年越しライブの時間も例年よりも早まったのですよねえ、と思うわけで。それも、もしかして起きていられる時間に併せた? とふと思ってしまったのですが。

本日の日誌

昨夜は「NEWS ZERO」を見てから寝たわけで。パリで大きな事件があった、ということでニュースでも大きく取り上げられていたわけで。パリ市民が事件現場で追悼の意を示している映像とか流れていたわけですが。そこに集まった人達の呟きには大きく2種類があった気がして。一つは、「ローマを裏切れば明日は我が身だ。」とおののく声だった気がするわけで。フランスといえば、イタリアとは地理的にもうんと近いですよねえ、って改めて思うわけで。ガリアの地は、古代からローマが常に支配と抑圧を望んでいた近隣地域、ということで、そこはローマが「何事かを起こそうと画策する場合」には、非常に使い勝手の良い土地になっているんだ? ってふと思うわけですが。それで舞台がパリなんだー@@、って気もしないでもないわけですが。そして、もう一つの声は、「(キリストの名を持つ)フィン・マックールの妻に報復する力を求めるべきだ。」って言っていた気がするわけで@@。そっかー、ギリシャ神話の神々も、「神」という強力な立場の割には寛容性に乏しく、その怒りに触れた人には狂気を送ったり、不幸な目に合わせたりする報復心の強い神話が多いわけで。それは、要するに「神」というと、雲の上の神々しい存在を普通イメージしそうな感じがするわけですが、そうではなくて西洋の「神」というのは、庶民にとっては「権力者から不当な扱いを受けた時に報復してくれる正義の神」なんだなー、ということなんだ、と気が付いたわけで。力のない庶民が、権力者に不当な目に合わされたら、司法とか道徳とかそういうものは何の役にも立たないことはままあるわけで、最後の「神頼み」の頼みの綱で正義の名の元に味方になってくれる者こそが「神」なんだー、と思うわけで。結局、「報復」というのは単純に暴力には暴力をもってやり返す、ということではなくて、「不当な行い」の根源的な場所に対して、「目の力」で対抗したり、弁論の力で適切にやり返すことができたりすること、ということで。信奉する「神」がそのような力を持っていれば、人々は神からその力を分け与えて貰うことができる、ということらしいのですが。要するに、それで「モンテ・クリスト伯かー」って思うわけで。モンテ・クリスト伯の作者は、フランスの大衆文学の文豪デュマなので。「キリスト」なんてタイトルのつく本は、原則的には我が家にとっては「呪いの本」になるわけですが、多くの西洋のキリスト教徒にとって「報復の神」の名のつく本を家に入れるということは、単純にその名を取る「力」があることを示すだけではなくて、自ら「報復の神」として名乗りを上げるも同然、ということで。「正しい報復」を求める人々は、その本を家に入れてくれれば、宗旨にかかわらず、「個人の主義」として、私のことを「報復の神」と認めて、私から力を得ようとするし、逆に力も貸してくれるであろう、ということで。要するに、具体的には新しい家に、勝手に強硬になにがしかの「呪い」を入れられたときには、「八芒星」の神印を使える力をやろう、って言われる気がするわけでですねえ? 「八芒星(オクタグラム)」の呪いは、常々、「私が弱い」って言われてきたものですし、結局八芒星というのは、十字が2つ重なったものだから、「封印印」としては十字よりも倍増しで強いものって言われる気がするわけで。そういう「力」はいざという時のために欲しいよねえ? と思うわけですが。それは、元々「マルドゥクの封印印」って言われる気がするわけで。名前と共に、その「力」も得ることができるのは良いことだと思うわけで。でも、一方、私の実家方の蛙さんたちと神官長家は「そんな西方のもめ事に首を突っ込んで、豊穣の蛙の太陽女神らしからぬことに名前を貸すだけじゃなくて、実質的にも手を出すなら、その分については後見もしてやらないし、助けてもやらないから、何でも自己責任でやれ。」って言ってるらしくてですねえ? どうしましょうかねえ? ということで、4番目の子に聞きましたら、「この話は受けるべき。」って言いますし、蛇の兄さんも「取り戻せる力があれば、それを得る努力はすべき。」って言いますし、これはもう政治的な思惑とかそういうことではなくて、庶民的なレベルから自発的に出て来た話、ということで、筆頭の子からは「義を見てせざるは勇なきなり」って言われましたので。そういう考え方は、好き、って思いましたので、本はとっとと買う手続きをしたわけですが。(でも、オクタグラムはそもそもアフラ・マズダの印でもあるので、富の王家は、「その印の力を取り戻すにあたり、できる手助けはする。」と言ってくれているらしいのですが。)でも、何でも実力主義の西方世界では、やっぱり「フィン・マックールの妻」っていうところにウケが良いんだ? と思うわけで。向こうの人の価値観からいえば、どういう配偶者を捕まえるのか、ということも評価の対象になるらしくて。だいたい、「マックール」って言ったら、「M」系の名前だかた、その名前を貰える人は、「神」ではなくても、「M」系の神々と同格といえるような「目の力」を持ってるんだなー、と思ったのですが。

でもって、特に夢は見ず。「NEWS ZERO」はスーパードライのCMとかやることが多いので、福山君のCMも見れて、良かったな、と思って寝てしまったわけで。で、朝になると、微妙に、「ヒトラーに対するエバ・ブラウンの影響を再考する動きが出ている。」って言われる気がするわけで@@。私が、「イメージ戦略」云々って言ってるのは良いけれども、それはれっきとした「プロパガンダ」の手法ということで。プロパガンダの力で権力を得て、やりたい放題やった人と言えばヒトラーがその代表格ということで。それを私生活から支えたのがエバ・ブラウンということなのですが、そういやその別世界にいっちゃってるような女の人も前世云々って言われた記憶がありますねえ?? ということで@@。アリストテレスがまとめ上げた「弁論術」の手法と、エバ・ブラウンがパートナーをトップに押し上げるために使った「プロパガンダ」の手法を知っている「魂」ですか? って思うわけですが。そういう人達を引き合いに出されても個人的にはあんまり嬉しくないわけでー;。で、「プロパガンダ」という言葉を調べてみるように、って言われて調べてみましたら、それは「1622年に設置されたカトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide、現在の福音宣教省) の名称である。ラテン語の propagare(繁殖させる、種をまく)に由来する。(Wikipedia)」ってあったわけで。そういえば、キリスト教の神父とか牧師っていうのは、日曜日に必ず「説教」というものをするわけで。そういうのが上手でないと、信者も増えないし、お布施も増えない、っていうのは有名な話なわけで。「プロパガンダ」っていうのは、そもそも「弁論術」を駆使して、自分達に都合の良い情報を流通させて、信者を増やすためのれっきとした「カトリックの手法」のことなんだー、と思ったわけですが。だから、こういう手法をあからさまに使うことは、そもそも「ローマが背景にいる」って言っているのと西方世界では「同じ意味」なんですねえ? ってふっと思うわけで。私自身は、ローマと目指すところは全く違うのに、そこに至る過程については、独自に「プロパガンダ」の手法を使えるし、使って当然とも思っているし、そこが「普通」ではない、と要はそういうことのようで@@。一般の人が、そういう手法を使うのは、ちゃんと然るべきところに「教えを請うて」使ってるし、そういう手法の大家がローマ、ということで。要するに、選挙の演説で、大衆の心を捉えるようなことを言えたり、そういうことを練習したり、っていうことを一手に引き受けているのが「ローマ」ってことなんだ??? って思うわけですが。で、そういう「プロパガンダ」のために情報をばらまく「場」としては、新聞、テレビ、映画等などの「マスメディア」は非常に重要なものであるわけで。重要なニュースから、どうでも良いようなゴシップまで、毎日大量の情報が意図を持って、「流通」しているわけで。そして、「プロパガンダ」と、それに伴う「マスメディア」いうものそのものが、専門の部署まで揃えて敵が独占的に牛耳っているものだから、それを利用する際には敵と取引しなければならないけれども、自分の思うとおりに物事を持っていきたいと思って、取引をして、自分が書かせたいと思っていることを書かせる権利を手に入れたとしても、有効なことを書かせる「内容」というものを自分が独自で持てなければ、有効なこともできない、とそういうことのようで。書かせない方がマシだったっていうようなことを書かせてしまっても意味がないしね? と思うわけで。

ということで、本日の重要事項は2点。「女性自身」には福山君の次回の映画についての記事が掲載されていたわけですが、要するにそこはかとなく、現在の福山君は、「家庭よりも仕事第一」という印象を与える内容なわけで。その点もかなり嫌みがなく、良くまとまっている記事だと思うわけで。誰の進言を受けて、そのような記事が書かれるに至ったかは分かるはず、って言われる気がするわけで。まあ、でも、最初から関わっている話ではないので、どれだけの効果があるのかは何ともはや? という気がするわけですが。しかし、要するに敵の「プロパガンダ」的言霊が押し流そうとする「流れ」に対抗して、同様の「プロパガンダ」的な言霊を具体的に出すことのできる人材っていないんだ? ってそういうことになるわけで@@。その辺りの事業は、ほぼ敵の専売特許なんですねえ? って思ったわけですが。ということで、要するに「報復する力を持つ神」の力とは、敵の不当なプロパガンダに対して、それが押し流そうとする流れを断ち切って、味方に有利なプロパガンダを展開できる言霊を持つ「力」ってことになるのですねえ? ということで。どうも、そんな神頼みで良いのか? という気はするわけですが、何でも言えないよりは言える方がマシ、ということのようで。

でもって、雑誌を買いに行きましたら、珍しくお店で「家族になろうよ」がかかっていて。だいたい、そこは歌詞付きの曲を流すようなことは滅多にないのに? と思ってびっくりしたわけで。そして、家に帰ってきて、記事を読んでいましたら、なんでも映画に「濃厚ラブシーン」がありそう、とか書いてあって。でも、福山君だって若い頃はドラマとかでけっこう普通にラブシーンかやってましたよねえ? と思いながら読んでいたわけで。(まあ、最近はあまりなかったらしいのですが。)で、読んでいたら、誰かさんが強力に降臨してきて、「なんで焼きもちを焼いてくれないのさ!」って言ってくる気がするわけでですねえ?@@ っていうか、なんで私がお仕事のことでいちいち焼きもちを焼かなきゃいけないのですかね? って言いたいけど、締め上げられるから言えない? みたいな??; ということで、その点についても、「焼きもちこそが愛の証」ということで、一言でも二言でも書かなきゃいけないらしいのですがーー;。

でもって、ネットニュースを見ていると、妙な記事を見つけたわけで。それは、まあたわいもない感じの記事ではあるのですが、今の状況で、年末に出す予定の福山君のベストアルバムの売り上げはどうなるのだろうか? みたいな記事で。で、「いっそのことツーショット写真を出せばいいのに。ファンが激減しても。」みたいなことで締めくくってあって。その点に微妙な「悪意」を感じるのが気になったわけです。

でもって、更に数時間後に、同じニュースの配信元から今度は、松本君が井上真央ちゃんと結婚間近であるかも、みたいな記事が出されたわけで。だいたい、福山君の結婚に関するネタと、松本君の結婚に関するネタがほぼ同時に出る時には、何かある、ということで。だいたい、配信元の会社はどういうところなんだろう、と思ってちょっと調べてみましたら、「News Cafe」という軽そうな名前の会社だったのですが、この会社の元になる会社は1970年に設立されて「「日本国民に政府広報を知らしめるにはどうしたら良いのか」という第63代内閣総理大臣・佐藤栄作の諮問を受け、
政財界のパイプ役であった新日鉄副社長、参議院議員の藤井丙午を初代社長を迎え政界、財界の肝入りで始まりました。資本金は国が40%拠出し、朝日、毎日、読売、産経の各新聞社と電通、博報堂が60%等分負担し、人は当時の電電公社(現NTT)から出向させてのスタートでした。(by 株式会社ニュース・サービス・センター)」ということのようで。今は完全に民間の会社といえども、国と電通と博報堂が牛耳ってる会社かー、と思ったわけで。そういえば、博報堂っていう大手の広告代理店もありましたよねえ? って思い出したわけですが。大手の新聞社なんかは、表向きは芸能人のスキャンダル的なネタなんて扱いませんので、そうやって自分のところでは扱えない「情報」を意図的に子会社みたいなところで扱わせるための会社で、しかも国と広告代理店の肝が入ってる会社なんだ、それ? って思うわけで。だから、芸能事務所とかが出したくないような、噂的なスキャンダルネタも、そちら側から「出せ」って言われたら出さざるを得ない、事務所の力ではそれは抑えられない、って言われる気がするわけで。で、結局そういう方面の「圧力」というのは、単なる「噂話」の域を超えて、誰かさんみたいに実際に結婚しなければならないこともあるし、もっといけば実際に子供も作らなければならないこともあるかもしれないし、しかも、そうやってリスクになりそうなことを要求された結果、背負い込んだリスクについては、「自分で何とかしろ」って言われるということのようで@@。じゃ、結婚してファンが減るって分かっていても、それは自分で何とかしなきゃいけないんだ? って思うわけで。「悪魔」との取引は大変だー、という気がしたわけですが。で、そういえば思い出したわけですが、4番目の子のお父さんは、総務省の事務次官だったよ、ということで。そこは、情報通信を管轄するところで、マスメディアに対しても影響力を行使できる部署なわけだから。蛙の王家には、その部署に自分の手駒を送り込むだけの力は持っている、って言われる気がするわけで。そうなんだー、あんな山の中に住んでいてさ? ってヒキガエルの女神は毒を吐くわけですが-;。そっかー、それで4番目の子は、なんだかんだ言って、自分の身を売り飛ばさないとやっていけないようなえげつない情報戦に身を投じなくても、なんとかその1歩手前くらいのところに踏みとどまっていられるように、特に守られていることができるのですねえ? って思うわけで。でもって、こういう世界のからくりを私に教えてくれる代わりに、何かあったら味方を守るような、「プロパガンダ的言霊」をできる範囲で良いから吐き出して欲しい、というご意向の方もどこかにはいそう、ということで。

それにしても、今週は「お手紙」の勝負もありますし、それにプレカットの設計図もいよいよ佳境ということで。ネットニュースにもいろいろなネタが出回りますねえ、と思ったわけですが。敵の作り上げたプロパガンダの網の中に、それを引っかき回すようなきちんとした理論を持って、言霊を実力行使で放り込むことができる人ってあんまりいないのですねえ? と思うわけで。でも、それこそが具体的な「報復する力」だといろんな人が思っているようなのですが。

本日の日誌

本日は、打ち合わせ等、ということで「お仕事」に出かけたわけですが。なんだか、結果的には、こちらが頼んでもいないのに、「軒の出」の長さを勝手に書き換えられていたりとか。梁・桁の太さに、180mmを入れない予定でやってきていたのに、いつの間にか入っていたりとか、細かい部分で「あれ?」と思うことが多くて-;。しかも、屋根には野地板以外の板は敷かない予定でしたし、垂木等のサイズも決めてあったのに、いろいろと微妙に変えられていて;。結局、前回よりも直しが多いことになってしまったわけでーー;。

で、お昼頃から飛行機がバンバン出て、×もけっこういっぱい描かれましたので、何に気をつけなければいけないんだろうか? とずっと気になっていて。それはきっと、床の合板の「十字」と、ソフトテックとかいう製品を入れないように、ということがメインだった気がするわけで。数字のサイズとかは、変えられるものだけ変えて、どうしても変えられないものは、さんざん人を振り回してくれた誰かさんに押しつければいい、ってそう言われる気がするわけですが@@。

でもって、「封神演義」をやっと読み終わったので、次に「ギリシャ神話」に入ったわけですが。ギリシャ神話というのは、一見華やかな世界に見えて、人が死ぬ話がけっこう多いわけで。人々は復讐のため等に殺し合ったり、神の怒りに触れて殺されたり、事故で誰かに殺されてしまったり、ってしょっちゅう死んでいるわけで。で、中には、兄弟のほとんどが神の怒りに触れて殺されてしまったけれども、生き残った者は、死んだ人達の持っていた寿命の分まで与えて貰って長生きした、みたいな話もあって。神話における「兄弟」というのは、現実世界では近隣に住む異民族のことを指すことが多いわけで。例え同族であっても、異なる家系毎に争うこともあったでしょうし、そうやって他人の命や財産を奪って、生き残った者だけが肥え太ることを「神の恩寵」みたいに述べる思想があったことも覗えるわけで。で、最初の方に、ボイオーティアの始祖とも言えるようなアタマースという王の話が出てくるわけで。この王様も神々の怒りに触れて、身内に良いこともあんまりなかったし、自分自身も発狂してしまう、という人なのですが。でも、「富み栄えていた者が、神の怒りに触れて不幸な結末を迎える」というテーマは、ヘブライの神話の「アダムとイヴ」に通じるテーマですし、「アタマース」という名前も「アダム」と同じ子音の名前ですよね? それ? と思うわけで。本当にギリシャと旧約っていうのは、同系統の神話を持っているのですねえ? と思ったのですが。しかも、アタマース、アダム、アテーナー、アテン、アトムって、この辺りの神々はみな同系統の子音を持っているわけですから、全部、サタナ・サタンから派生した一連の名前、ということで。本来は、悪魔の属性が強い雷神(とその起源となる太陽神)の名前なんだろうな、と思うわけで。どちらかというと、不吉な名前であって、不幸をもたらすような神の名であると思うのですが。でもって、ふっと「モンテ・クリスト伯」の本名はエドモン・ダンテスであったことを思い出して。エドモンっていうのも、アダム系の名前ですねえ? とふと気が付いたわけですが。というわけで、アダムの名前を貰って、しかも「モンテ・クリスト伯」をさんざん利用した子のために、その本を買い戻して、古きメルセデスではなく、エデの名前を手にいれなさい、って言われる気がするわけでですねえ? そういえば、エデという名前も蛙系の名前ですし、いいの? そんなんで? と思うわけですが。でも、エデというのはギリシャ人の設定ですし、心が優しくて状況に流されて不幸になるメルセデスではなくて、意思の力が強く、父親の復讐を果たす女性ですので、そっちの名前を貰う方がギリシャ的には「縁起がいい」って言われる気がするわけで@@。だいたい、なんで、「ギリシャ神話」を読んでいるだけで、こういう話になるんだろう、と思うわけですが、結局それは我が家のための「本」であるので、名前の意味を読み解ければ、読み解いた力の分だけ、助けが得られる魔力を持っている本らしいのですが。まあ、ではせっせと読ませて頂きましょう、ということで@@。

で、「36」の数字が入ってしまう分についてはどうしましょうか? ということになったのですが、結局それは「弥勒」の数字ということで、その辺りの神々の整理をしましょう、ということになって。「M」系の神々は西方の神々の格付けからいうと、それほどは高くないらしいのですが、「弥勒」とか「ミトラス」というのは、原始キリスト教と強く結びついているので、ちょっと特殊な名前って言われる気がするわけで。で、「弥勒」の名前を欲する人達は、女神よりも男神が欲しいと言うらしいですし、グノーシス系の社で最有力なものは、宇佐八幡宮なわけで。宇佐は、神功皇后、八幡神、比売大神の3つを女神が兼ねるのであれば、神宮寺の弥勒の方は、守護も兼ねて男神の方がよかろう、というご意見らしくて? ですねえ? 「弥勒」の名前はそのまま蛇の兄さんが横滑りすべき、って言われる気がするわけで。で、「ミトラス」の方は、時代が下ると男神になりますが、古い時代にはヴァルナと対になる女神であったわけで、そのことを覚えている人も大勢いるので、女神でも構わないと思う人が多い、ということで。そちらの名前を私が貰って、やむを得ない「36」の数字は、二人で力を併せて喰いきっていくべき、って言われる気がするわけで。「M」系の名前を取れる女神は複数いるので、彼女達にも補佐して貰えば良い、って言われる気がするので、まあ、そうなるのでしょうねえ? と思うわけで。

でもって、それ以外では、「いろんなことが良くあれだけのヒントで分かったね。」って言われる気がするわけで。でも、蛇の兄さんは私が悪口掲示板を見ても嫌がりませんでしたし、兄さんも私の目を通して見ていることは私には分かっていますし、それに私が日記に「動物」云々って書いたとたんに、いっせいにその手の書き込みがなりを潜めましたので。一見して、何が書いてあったとしても、そこは誰かさんがかなり強力に統制を取れる世界、というかそういう印象を受けたわけで。だから、そこで、週刊誌の記事が「全てフッキーの側から出たもの」みたいに仄めかされる、というのは、それもまた誰かさんの「統制下」での書き込み、と思えるわけで。なんで、そう仄めかす必要があるの? というか、それは、「妻を思いやる夫」が仄めかす文言じゃないよね? ってそういう気がしてならないわけで。本当に思いやってたら、「芸能レポーターと週刊誌が組んで勝手にやったことで、当事者はそういう記事に迷惑してる」みたいに仄めかすよねえ?? と思うわけで。で、しかも、福山君自身は、結婚後もプライベートは出さない方針である、という記事も繰り返しあちこちで見かけるわけで。それとこれを合わせたら、福山君自身はプライベートを出さない方針であるので、漏れた分については全てフッキーの側から漏れたもの、って言っているも同然な気がするわけですが、普通、仲むつまじい夫婦? のはずが、対外的、特に対マスコミ相手に、意見を異にしてそれぞれに真逆に好き勝手やってるってことあるの? って思うわけで-;。でも、マスコミに出てくる情報源の頭が2つあって、一つは、私に対して、「二人は仲むつまじい幸せな新婚カップル」とアピールしたい「頭」であって、もう一つの頭が「プライベートを出すなんて真っ平」ってアピールしたい「頭」であって、しかも、前者の「頭」から出てるネタを私が読むと嫌がってギャーギャー言うわけで-;。要するに、アピールしたい「頭」っていうのは、単純に配偶者とかそういう問題ではなくて、もっと「抑えの効かない権力」そのもの、って言われれば納得がいくわけで。

なんていうか、今、火曜日発売の週刊誌では江利チエミをモデルとしたと思われる漫画を連載していて、そこに出てくる雑誌記者の女の子が「スターは庶民にとって、雲の上の人であって欲しい」みたいなことを言うわけですが、私はそういうことを思ったことは全くなくて。芸能界というのは、何もかもが虚構でできている「イメージの塊」の世界だけれども、そこを作っている人達は他の人達と同じ人々、って思っていて。芸能人をしている人は、「イメージ」を売る仕事をしているし、そうでない人はそれを状況や立場に応じて買っているだけ、ってそう思っていたわけで。だからこそ、イメージ戦略って超重要なんだよ、って、長年のおっかけの結果はそういう結論にしかならなかったわけですが(苦笑)。だいたい、収入に格差があることも、芸能界だって一般社会だってピンからキリまであるわけで、芸能界にいる人だけが特別なんではないの、って思うわけですが-;。

でもって、悪口掲示板にはMステの構成作家の中には、福山君にわりと近しい人物がいる、ってわざわざ書いてあって。で、Mステといえば、まあ大まかには流行の歌を紹介する番組なわけですが、Mr.Childrenの「365日」とか、スピッツの「チェリー」とか、必ずしもその時点のヒット曲でなくても、誰かさんが私に贈りたい歌もけっこう良く登場するわけで。現実に、具体的に、そういうことに関われる立場の人がいるんだねええ? ってふっとかなり生々しく思うわけで。いろいろとゴタゴタがあった結果、誰かさんと私の距離は、どちらかというと前よりも現実感が増して、近くなったな、とは思うわけですが。この書き込みも、わざわざ読ませるためのものですよねえ? と思うわけで。次は、月末の日テレ系列の「歌の祭典」だと思うわけで、こっちはこっちでけっこう6番目の子の好みが反映されそうな気がするわけですが。でも、それまでにプレカットの発注ができるだろうか? って本当に思うわけで-;。こちらが頼んでもいないところまで勝手に直して書き換えるのはやめてーーー、って思うわけですが。これも、きっとわざとやっているのだろう、としか言えないわけで-;。それでもちょっとずつ前進できれば良いな、とは思うのですが。

でも、全体として、誰かさんのとの仲は以前みたいに戻ってしまいましたよねえ? と思うわけで。蛙の子は、蛇の子と仲良くしているわけですが。でも、「夢」というものは不思議なもので、6番目の子は、妻神にHする夢を送ろうとしても、うまく送れなくて、普通に布団を並べて寝ているだけの夢になってしまうようで@@。ご当人も「なんでだろう?」って思っているらしいのですが@@。誰かさんは、そういうところはとっても器用ですよねえ? って思うわけで、まあ、そういうところがシャイで真面目なのも好感度大、って思うわけですが、そうすると微妙に誰かさんの方からブーイングが出る気がするわけで-;。なんで逆に兄さんは、そういうこと上手なんですかねえ? って、それこそ私にもそれは分からないわけですがーー;。

それ以外では、YoshikiのTwitterで、彼の後ろ姿の写真を見かけたりして。この人も良い人ですし、頑張らなければ、とは思うのですが。

本日の日誌

「世の中」というものに出回っている「情報」というものは、すべからく「意図的」なものなわけです。例えば、芸能人の噂話とか悪口を匿名で書き込む掲示板が、ネット上の某所にあったりするわけで、そこには好き勝手なことが書かれているように、一見すると見えるわけ。私がまだ若くて、石井のファンをやっている頃には、「メガBBS」というのがあったわけ。で、そういうところは、表面的にはどういう人達のためにあるのかというと、「悪口を言いたい」人達のためにあるわけです。誰かのファンで、その人が好きで応援したい、と思っている人は、応援している人の言動に対しては、普通肯定的なことしか言わないわけで。まあ、かつての私の身の周りでありそうなことを例えれば、「石井さんのアーティストとしての活動を手放しで応援したい」と思っている人は、普通、石井の悪口なんて書きたくない、と思うし、悪口を言う人達のことは嫌悪する傾向にあるわけで。まあ、ありがちですが、「彼の活動に不満があるならファンは辞めれば」みたいなことを言うと思うわけです。でも、「ファン」と呼ばれる人達の中には、「昔は良かった」とか「もっとこうして欲しい」みたいなことを思う人達もいるわけで、そういう気持ちが昂じると、「普段は悪口とか不満を言いながらも、ダラダラとファンを続けてしまう」みたいな人達も出てくるわけです。要するに、私が「悪口掲示板」と述べるところは、「ファンを辞めたいほどではないけれども、不満はいろいろとある人達」が主に書き込む場所、という認識が私にはあったわけで。だいたい、人というものは、興味も関心もない相手に対しては、悪口を言いたい、と思うこともないわけです。表向きはね。

で、こういったものの「立ち位置」に関しての、私の個人的な認識なわけですが。かつて、メガBBSがあった時に、石井関連の掲示板にはいろんなことが書き込まれていましたし、事務所の関係者がその書き込みに対して、事実かどうかも分からない内容のことなんか、相手にしなければ良いのに、「削除依頼」をしたりしたこともあったりしたわけです。だから、まあ、事務所関係者も、そこに書かれていた内容は把握していたと思われるわけで。で、こういうところの「特殊性」というのは、事実かどうかも分からない悪口みたいなことも散々書かれているわけですが、その一方で「事実」も当然書いてあるわけです。私の記憶に今でも残っているのは、石井がまだ現妻と不倫関係にあって、子供までいたのに、その存在がファンクラブや世間に対して公になっていなかった頃に、「赤ん坊を連れた彼女をハワイで見かけた」とか「石井の個展に彼女がお忍びで出かけていた」とかっていう書き込みがそこにあったわけです。それが、事実であったか否かということは別にして、というか普通「事実」でないとそういう具体的なことはさすがに書かないでしょ、と思うわけですが。そういう細かいことまでチェックしてるっていうのは、「普通のファン」じゃないよね? と思うわけで。そうとう普段からおっかけとかして、鵜の目鷹の目でファンをやってる人でないと、気が付かない人が書いたのだろう、と思われるわけで。でも、そういうことが「公」にされていないことであるならば、そういう細かいところであろうと、「ファンに知れてしまう」ことは、アーティストにとってはリスクがあると思うわけです。要するに「隠し愛人と隠し子がいるも同然」みたいな「事実」ですので、何もかも公にして平然としてられる図太い神経の持ち主ならともかく、ファンの顔色が大切で、隠しておくべきものを隠しておきたいのであれば、「もっとしっかり誰にも見られないように隠しておかなきゃ」って思うわけです。少なくとも、書き込みがあった時点では、そういう状況だったわけで。でも、その後の時間の流れを見ていると、結局石井は、前妻との離婚、現妻との出来婚かつ再婚、みたいな道を選ぶわけで。で、メガBBSに不穏な「目撃情報」が出回る前から、現妻と愛人関係にある、みたいな噂は「コアなファン」の間ではあったわけです。だから、再婚が発表された時には、驚いた人もいたと思いますが、「さもありなん」と思った人もけっこういたと思うわけで。個人的には、経過から見て、メガBBSに書き込まれた「目撃情報」とは、何というか、「悪口」とか「噂話」みたいに見せかけながら、事務所側が意図的にリークしたんじゃないのか、という気がしたわけです。愛人と子供がいつハワイにいて、いつ石井の個展をお忍びで見に行ったのか、ということは、ファンで知ることができる人はよっぽど強力かつ強烈な「おっかけ」でないと無理ですけれども、事務所関係者なら容易に知ることができますし、そうやって非公式に情報を流すことで、将来に向けての「根回し」を暗にしていたのか、とそんな気がしたわけです。要するに、事実を公にした時に、噂話レベルでファンがそういうことを知っていれば、ショックの大きさが、いきなり事実をつきつけられた場合よりは、弱まることを意図していたのかと思って。で、当時から「それじゃダメでしょ」と思ったわけです。なぜなら、真面目にそしてかつ真剣に応援している人は、公の情報にしか耳を貸さないし、噂話とか不確定な情報でいろいろモノを言うことはむしろ嫌うからです。で、その後私は、いろいろあって石井のファンを辞めちゃいましたので、「悪口掲示板とは、不満のあるファンを装って、その芸能人の関係者が書き込みをすることもあるもの」っていう強力な印象だけが残ったわけです。でもって、それ以外にも、全国医師連盟というところにちょっと関わった時に、そこの関係者に送ったメールが、その組織に関わる掲示板で、私の書いた原文を引用して叩かれたりしたことがあったので。そういうところは、場合によっては、当事者が、漏らしてはならない個人情報まで、勝手に漏らすモノ、っていう認識も更に加わったわけで。

でもって、今回の「女性セブン」の記事なわけで。だいたい、私が「個人を動物に例えるようなことを書くと、そういうのが誹謗中傷」みたいなことを日記に書き込みましたら、一時的にそういう書き込みが某悪口掲示板から、なりを潜めた気がするわけで。それが「何を意味しているのか」がすごく気になっていたわけです。だいたい、そこの掲示板を私が見ている、ということは、私の目を通して見ている人もまた見ているでしょ? と思うわけで。そもそも、当事者は誰? っていう気がするわけで。で「女性セブン」には、「怪文書がワイドショー関係者や事務所などに届いている」とあったわけで。で、某所には、それを補填するかのように、フッキーがそのワイドショー関係者と年賀状のやりとりをするような親しい間柄である、というようなことや、セブンに書かれている「事務所」というのは、フッキーの事務所であろう、みたいなことが書き込みされていて。なんで、わざわざそういう書き込みが出回るのか、ということにもふと疑問を感じるわけですが。要するに、悪口掲示板的には、セブンの記事は「フッキー側と彼らが親しい芸能レポーター側」が書かせたモノ、という印象操作がなされているわけで。まあ、そこに福山君の側がどれだけ嚙んでいるかということは未知数なわけですが、でも、福山君のところは、外部と出入りする「情報」に関しては、その過程に福山君自身の意思がものすごく反映されているわけで。それは客観的に見ても、割と良く分かるわけで。で、セブンには福山君は「自分に攻撃が向かうのはいいが吹石さんが晒されるのは耐えがたい」って書いてあったわけで。まあ、妻思いな文書? というか、フッキーに対して、「私は福山さんと付き合っていました」っていう手紙が送りつけられたとしても、別にそれは攻撃とは言えないんじゃ? というか、当事者同士で事実無根だと確認できれば良い問題では? というか微妙にヘンな気はするわけですが。でも、セブンの記事が、「フッキー側から出たもの」という方向に情報が誘導されれば、福山君の反応に関するコメントまでフッキーの側から出されたことになって、それもヘンな気がするわけで。福山君の思いであれば、福山君の側から出て然るべきなのに、なんで? と思うわけで。そうしても、別に世間的に問題がある行動とも思えないわけで。要するに、なんで、某悪口掲示板の書き込みが、「全て妻の側から出たネタ」という方向に誘導されるのですか? いったい、その結末として「どんな結果」を望んでいるのだろうか? と思いながら、昨夜は寝たわけで。で、まあ、寝る前に当然「SmaSTATION!?」も見たのですが、総集編ぽい感じで、「家族になろうよ」が2回も使われていましたねえ、と思うわけで。

でもって、昨夜は夢を見たわけですが。夢に美智子って名前のばあさんと、性悪そうな目を持ったこの女の二人の孫娘が出て来て、この私が思い通りに動かないって言って嘆いていたわけで。何この夢?@@ って思ったわけで。だいたい、この人「夢」とかを送りつけてきて、相手の行動を左右させられるような「目の力」を持ってるわけ? と思ったわけですが。その「力」で、押さえ込まれてしまって、一番苦労させられてきたのが、身近にいる東宮妃でしょ、って言われる気がするわけでですねえ? 何それ? と思うわけで。

で、今日も例によって、いろんな動画を見ていたわけで。昨日の「嵐にしやがれ」と、おとといの「古畑任三郎 vs SMAP」を見ていたわけです。「古畑任三郎」の方は田村正和主演のミステリードラマということで、私が20代の頃とかに、けっこうな人気があった気がするわけで。で、「古畑任三郎 vs SMAP」というのは、1999年のお正月に特番で放送されたものが、再放送されたもの、ということで。で、なんで今になって再放送されるかというと、このドラマはいわゆる三谷幸喜の代表作の一つ、ということで、今現在、香取君主演の三谷映画が大絶賛公開中であるので、そのプロモーションのために再放送、ということに表向きはなっているのだと思うわけですが。見て見れば、何というか、時代を感じる、というか。SMAPの兄さん達もみな若いですけれども、演出とか「??」と思うことも多くて。主演の田村正和という人は、よろしくない目の人であると思うけれども、目の力が強い人だなあ、とは思うわけで。で、かつてけっこうな人気があったドラマシリーズではあったと思うのですが、当時も見たことはなかったし、今見ても「それほど面白いかしら?」という気はするわけで。でもって、主役の田村正和は終始黒づくめの衣装ですし、オープニングタイトルとかに、「十字」が溢れてますねえ、今見返してみますとねえ?@@ って思ったわけで。まあ、「今」でなければ、見るべきモノではない、とそう思ったわけですが。でもって、見ていてやはりいろいろと考えてしまうわけですが、某悪口掲示板なんかには、メディアの一般的な情報操作源として「電通」という名前も良く出てくるわけで。ここは、要するに広告代理店で、CMとか作る会社ですよねえ? と思うわけで。どの企業のどの製品のCMに、どのタレントを使う、とかそういうことに大きな決定権を持つのではないの? と漠然とそういう気がするわけで。だから、要するにタレントを使って欲しい芸能事務所とも、スポンサーとなる企業とも強い繋がりがあるわけで。でもって、ここで、金曜日から持っていたもう一つの謎にふと行き着いたわけです。それは、Mステで、「耳元で囁くように唄って欲しいアーティスト」のコーナーで、嵐の名前が出た時に、松本君の名前が出たときに、かつて出演したドラマにかこつけて井上真央ちゃんの名前が出ていたわけで。松本君は「花より男子」で共演して以来、真央ちゃんと付き合っているという「噂」なわけです。で、ワイドショーではあるまいし、こういう番組でその名前を出すのは得策なのか否か? ってそういう気がするわけで。出さないで済まそうと思えば、編集でいくらでもそうできるところを敢えて出した意図は何? と思うわけで。嵐と言えば、ちょっと前に大野君の件でもけっこうちょっとした騒ぎがあったばかりですし、福山君のことは余所の事務所のことで「対岸の火事」的問題であっても、「女性人気で持っている男性タレントの立ち位置」というのはけっこうデリケートな問題なのに、なんで、って思うわけです。しかも、ジャニーズ事務所っていうと、割とタレントの私生活の管理にも厳しい、というかそういうイメージがあるわけで。事務所的にOKな映像なの、それ? って、大きなお世話ですが、微妙な気がするわけで。で、気が付いたわけですが、Mステのスポンサーの中には、日清食品というのが、ありますねえ? って思ったわけで。誰の実家だっけ、それ? ってふと思ったわけで。そっかー、それ、「某かしこき所→実家→電通→芸能界」って、情報が筒抜けじゃんーー、って思うわけで。メディアに対する操作なんて、電通ならお手のものだし。だから、身の周りに近寄れない「関係者」は芸能界に集中して集められてるんだーー、私がそちら方面に「接触」をはかれば、それが敵であろうと味方であろうと、情報は網の目のように張り巡らされた電通の情報網を通して、スポンサーである実家を経由して、行くべき所にいくようにできてるんだ、へー、って思ったわけで。逆にいえば、そちらが流したい意図的な情報も逆のコースを辿って、メディアを通して私のところへ流れてくるようにできているわけで。そういえば、かつてパソコン関係の専門学校に行ったときに、同じクラスに「電通を独立した」っていうわりと年をとったおじさんが来ていて、それもちょっと違和感を感じていたわけですが。独立しても、元の会社から仕事を貰い続けるのと引き替えに、スパイに来てたのかしら? その人?? と思うわけで。要するに、以前から思っていたことですが、職場で思い切り酷い嫌がらせを受けた時に、メディアを動かそうとしても、動かないのは何故なのか、ということを疑問に思っていたわけですが。それは、要するに「マスメディア」に多大な影響力を与える「電通」が「情報の流通」を牛耳っているからで、その「電通」というところは、「白壁王」というものと関係があるところと、某会社を通して、ずぶずぶだからでそ? ってそうなるんだ、へええええ? っていう気がするわけですが。でも、これでおかげさまで、私が長い間、「何故こうなるんだろう?」って思っていたことの一画が理解できた気がするわけですが。Mステにお味方が出たら、良いお歌や目の力を送ってくれることもできるけれども、その一方で、別のところの意図したこととして、福山君が結婚したことを強調したり、わざわざ嵐のコーナーに井上真央ちゃんの名前を出したりもしなければならない、と、そうなってるんですねえ? ということで。

ということで、「女性セブン」の記事に戻るわけですが、一見して誰の得にもならなさそうな記事が、なんでわざわざ「フッキーの側から出された」と言わんばかりの形で出されたのか、ということになるわけで。そして、ご当人が2ショットも出さない、私生活についてのコメントもほぼ皆無、な方針にもかかわらず、第三者から「幸せ一杯な夫婦」みたいなネタがマスコミに出されるのか、という点について。それらは、全て、メディアと芸能界を牛耳っている「電通」の意図するところなんでそ?、ということで。要するに、某悪口掲示板の、とある書き込みは、それは、「某かしこき所→電通→どっかの妻側の芸能事務所&ワイドショー関係者→ガセブン」って流れてるネタって示唆したい人達がいる気がしてならないわけですが@@。私が思い通りに動かないとかって嘆かれるのはお門違い、というか、妙な「宮廷政治」に私を巻き込むのはやーめーてーー、って思うわけですが。当事者のストライクゾーンのど真ん中にはまっていて抜けられない気がするわけで-;。要するに、妲己云々とかそういう問題よりも、れっきとした然るべき所からのスパイなんだ? そうなんだ?? みたいな気がするわけで@@。

ということで、電通と、そのあたりがズブズブの関係なら、っていうか、そもそもそれを見越して、そういうところから嫁を貰ってるんでしょ、っていうか、そういうことでもし仮にあるとするならば、私が「芸能界関係」にせっせとばらまいている「お手紙」とやらは、当然ほぼ原文のままで流通して流れるところまで流れてるよね? って思うわけで。我ながら、「あんな途方もないこと」とかって思ってる手紙がそうやって流れ流れて「傾向と対策」に使われてるんですねえ? と思うわけで。結局、誰も彼もが「二重スパイ」をして、自分の「立ち位置」を確保しているわけで、実際そうお尋ねしても、「敵地の真っ只中で、そうして生きていく以外に、どうやって自分の欲しい位置を維持して生きていくことができるのか? かつて、アリストテレスであった者なら、現実とはそういうものだと知っているだろう?」って言われる気がするわけでですねえ?? もちろんそうしなければ、芸能界関係の関係者の皆さまはテレビを通して私と結縁するような位置になんかいけないでしょうともさ? っていう気はするわけですが。私が、あちこちに書き散らしている手紙の内容を見て、どうやって動かすのか「傾向と対策」をたてたって無駄である。だいたい、書いている本人が「途方もない」って思って書いているわけで、それでも書き続ける意図は、正しく外へ出るための助けとヒントが必要で、かつ書かないと「締め上げられる」し、いろんな「合い言葉」を復唱させられるし、ってそういうことが主目的だから、ということで-;。どうせ、私を「安全圏」に引き出すまでは、外の人達はそういう取引をして、私たちを守り続けることしかできないということで。私が悪口掲示板とか見ても、あんまり動じないタイプですし、メディアというものに対しては独特な見方をするタイプということで、セブンの記事と、某掲示板のネタと、Mステと「しやがれ」と「古畑任三郎」と、関係者の「目の力」を総動員して、けっこうな「情報」を送り込んでくれましたねえ? っていう気がするわけで。6番目の子は、自分達がどうやって敵と繋がっているのかも全部ぶちまけても、それでも尚その上で、「夫婦というものは信頼と愛情が大切」って言ってくれる人である気がするわけで。そういう主義で頑張って成し遂げてくれるところは、すごいと思うし、褒め称える人達がいても妥当な評価だと思うわけですが。だいたい、現代社会においても、言葉で人の心を動かし惑わず術、要するに「弁論術」というものはみなアリストテレスの著作に学ぶわけで、アリストテレス以降、その道に関して彼を越えるだけの「力」を持つ者はなく、その道の頂点に君臨する者は、今も昔もただその魂を受け継ぐ者のみ、って言われる気がするし、6番目の子はその点に賭けましたね? って思うわけですが。でも、私の分身の蛙の子は「そんな親父は知らん」って言ってますけども? ということでーー;。裁判の書面を見ても分かるけど、ローマの「弁論術」とやらがダメ過ぎなんですの、っていうか、それも私がそう思うだけ? って思うわけですが-;。

本日の日誌

今日は比較的平和な日で、動画を見たりしていたのですが。本もいろいろ買ったので、それもできるだけ読まなければいけないわけで。

誰かさんも割と落ち着いていて、蛙の子と仲良くしていた気がするわけで。あまり事件のない一日だったのでした。