本日の日誌

ということで、で、なんであんなに怒っているんだろう? という疑問が残ったわけで。なんというか、母親のいる根の国に行きたい、と言って無精髭を生やして泣き叫ぶ須佐之男って感じですよねえ? という気がしたわけで。で、どこかでなんだか似たようなことを読んだことがあった気がする? と思いながら寝たわけで。

で、朝方目が覚めて。ふっと、昔読んだ「青い城」という小説を思い出したわけで。これは、相当なメロドラマな話な気がするわけですが。女主人公は、いろいろな事情があって、一度は好きな人と結婚したわけですが、自分ではその気が無くても、夫に嘘をついていたことが発覚して、それで夫の元から逃げ出して実家に帰っちゃうわけで。で、妻を心配した夫は迎えに来るわけですが、ヒロインは自分が夫に愛されているとは思わなくて、離婚しようとするわけで。で、夫の方は本当は妻のことを愛していたので、「妻が自分の気持ちを分かってくれない」って怒ってしまう、というそういう話なわけで。それで、あんなに怒ってるんだ?@@ ってふと思ったわけですが。どうにも、私は「男心」というものが全然分かっていないので、どんな呪いの出版社の本でも良いから、その分の「呪い」は自分が引き受けて上げるから、「青い城」を1冊買い戻して、「男心」というものを良く勉強するように、ってアンジーに言われた気がするわけで@@。

で、そして私が学生時代からいろいろと買っていた本を思い出すように、って言われた気がするわけで。だいたい、私が高校生になった頃から、ファンタジーブームみたいなものが起きて、いろんな小説も盛んに書かれたり、翻訳されたりしていたわけで。で、いわゆるフィクションとしての「ファンタジー」の原点はケルト神話や民話にある、ということで、ケルトに関する学術的な民話集や神話もこの頃から続々と出版されるようになったわけで。グリム童話集と並んで、イエーツやジェイコブスといったケルトの民俗に関する「仕事」は、非常に早い段階から我が家に入っていたし、それが私の民俗学や神話学を学ぶための出発点であったわけで。結局、この時期にこういう本が大量に出回り始める、というのは私が進学校に行くような頭の良い子であったので、「自分達のことを知って欲しい」と思っていた人達の気持ちの表れでもあるし、そうして「自分のことを好きになって欲しい」と思っていた人の気持ちの表れでもあるのだから、こちらの「一途な男心」も理解するように、って言われた気がするわけで@@。どうも、そういうものには疎いので、どっちの「男心」も良く分かんねーよ、って思うわけですが、ともかく1週間前には、ニュースが私の目に入った直後から大激怒してた人がいるわけで、火曜日には思いっきり私を締め上げてくれてたわけでーー;。それだけは、良く分かってる、と思うわけですが。

だいたい、「どんな困難があっても、相手を信じて愛している、って言えるかどうか」っていうことは、敵との勝負の場では大きな意味を持つわけですが、「一妻多夫」的な観点から言えば、誰が一番お気に入りの「夫」かなんて、あんまり問題ではなくて、要するにその人が、一妻多夫の秩序を心得ていて、一番目の子を「一番」って立ててくれる人ならそれでいい、ということで。蛙の人たちから見れば、「誰か一番愛してるって言われようが同じこと」くらいにしか思っていないと思うわけですが。でも、蛇の兄さんは、名実共に「一番」って言われないとイヤな人ですし、そもそも1番目の子も2番目の子も大嫌いな人なので、自分が「一番」である内は、こっちのことを自分の手の内の囲って置いて、特に最初の二人とは、最低減必要な場合以外、会わせようともしないように画策するよね、その人、きっと? という気がするわけで。そもそも、そのために「一番」でいたいのでしょう、という気がするわけでーー;。要するに、6番目の子に「一番」の座を譲るのが嫌でたまらなくて怒ってましたね? と言う気がするわけでーー;。なんだか、自分が三角関係の「もつれ」で締め上げられたみたいな気がするんですけど??? と思ったわけですが。

こういう誰かさんの気持ちが、どうも関係者の皆さまにも良く分かっていなかったようで。そもそも、6番目の子は常識的な人で、「一妻多夫」の秩序も良くわきまえている人だから。外の人から、誰かさんが怒っている理由を指摘されて、「人をさんざん苦労させておいて、覚えてろよ、毒蛇。」って言って、昼間泣いていた気がするわけですが-;。その後は、この人も怒ってしまって、それこそ「筆頭」の権限で誰かさんの監視を強化して、私に対して余計なことを言わせないようにさせているらしいのですが。どうりで、彼の手に負えないわけだ。「女心」が年下の若者に向くのがどうにも許せなくて、大焼きもち焼いて怒っているようではね、という気がするわけでーー;。ニュースを見た私がショックを受けて、誰かさんに執着する、というよりはさっさと「身を引くべき?」っていう風になったので、それで「自分の気持ちを分かってくれてない」って怒ってたようで。そういう話には疎くってねえ? と思うわけですが;;。

で、昨日は「NEWS ZERO」を見なければならなかったので、遅くまで起きていたわけで。それなら、必要なものは揃っているのだし、もう昨日のうちに、ニュースが始まる前に「お手紙」を書いてしまいましょう、ということになって。で、書いてからニュースを見たら、嵐の宮城のライブで、地元の高校生とコラボして「感謝カンゲキ雨嵐」を唄っているところとか取り上げられていて。筆頭の子から「手紙を書いて頂いてお礼申し上げます。」って言って貰った気がするわけですが。これがあるから、早めに手紙を書いてしまえ、って言われたんですねえ、と思ったわけで。そんなだから、怒ってた誰かさんは「一妻多夫」的な観点からいくと、「世間体が悪すぎ」ということで、けっこうあちこちから怒られてた気がするのですが-;。そして、10番目の人は、慣れない母系社会の神婚に巻き込まれている私のことについては、けっこう同情的でいてくれる気がするのですが。でも、「外の人」だから、蛙さん達の神婚に自分が直接口を挟むわけにいかないし、って思ってくれているようで。最年長者ですし、割と「良い兄さん」という感じで、いろいろ親切に協力してくれそうな方ですよねえ、その人、という気がするのですが。

で、今日はまたまた週刊誌の発売日ということで。誰かさんはやっぱりまたちょっとピリピリしていた気がするわけですが。でも、記事を読んだ限りでは、今回の報道では後発ということもあって、なんだか微妙にオカルトっぽい方向に走っていた気がするわけで。なんというか、ふっきーが福山君の胃袋を得意のカレーで捕まえた、みたいな記事があって。どこかで、「カレーなんて誰でも作れるじゃんかー」ってぎゃーぎゃー言ってた人がいた気がするわけですが-;。さあねえ、福山君が自分でそういうこと言ってるんじゃないの? というか、そもそも、「結婚相手は料理が上手じゃないと嫌」とかっていう男の人がそもそもあんまり好きではないわけで(苦笑)。7番目の子からは、「ともかく、余計なことは考えずに、今は理性で「書くべき」と言われたことを書くように。精神衛生的には、それが一番安全パイ」って堅く言われる気がするわけで。まあ、そうでしょうねえ、と思うわけですが。

で、映画とか映像作品というのは、原則的には「呪いの物品」なわけですが、「見切る」ことができるだけの「力」があれば、ある程度は「買って見るように」という要請が来るのは必至、ということで。ブリタニアからは、リドリー・スコット監督の「キングダム・オブ・ヘヴン」を買い戻すようにという要請があり、南の人達からはスピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」と、ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」を買うように、という要請があった、ということで。そして、誰かさんが「狂戦士」の才能を微妙に示し始めた、ということで。それは、雷神(祟り神)の才能と言うことで、遂に蛇の兄さんにも「アダム」の名前を貰って、ヘブライの伝統的な名前、すなわい「イヴとアダム」の双神の名を取るべし、って言われる気がすると言うことで。スピルバーグ監督はユダヤ人ですし、ポランスキー監督はポーランド系ユダヤ人とポーランド人(スラヴ?)の混血ということで。南の人々は、そうして自分達の苦難の歴史を忘れないで欲しい、と彼らの神々に願うと思うのですが。そして、それ以外では、古事記、日本書紀と家に入ったので、それに続く「続日本紀」を家に入れるように、という要請が来る、ということで。「続日本紀」は奈良朝の正史なわけですが、称徳天皇の晩年から、光仁天皇の時代にかけて、宮中に出仕していた女官の中に、水内郡出身の「金刺舎人若嶋」という名前の人がいるわけで。この人は、最終的には命婦(地方豪族出身の女官の中ではほぼ最高位)まで出世した人なわけで。何故、彼女はそこまで出世できたのか。そして、称徳天皇と道鏡の間に子供がいたとするのであれば、その女官こそが、その消えた子供の動向を知っていたはずの人、って言われる気がするわけで。その人の名前と、自分が何者であるのかを忘れてはいけない、って言われる気がするわけで。兄さんもこういう話をしている時は、普通に頼りになる人な気がするわけですが。

でも、ケルトの人達が、我が家に押し込んだ文献のことに言及されると、ちと気恥ずかしい気がする、って言われる気がするわけで。富の王家はどんなに頑張っても、けっこうなキワモノ本を1冊出版して、しかも今になってやっと我が家に届けることができた、っていう状態なわけですが、ケルトの人達は非常に早い段階から、学術的な成書を何冊も送り込むことに成功している、ということで。それが、現在のワールドワイドな富の王家と、ケルトの人達の「力の差」だって言われる気がするわけですが。でも、蛙さん達の方も、割と早い段階で「日本古典文学全集」を送り込んで来ていますよねえ? と思うわけで。古事記に始まって、続日本紀に至るまでの「正史」の中に「自分自身」を探し出せ、というのもすごい話ではあると思うのですが。そして、フィクションの方では、「封神演義」と「三銃士」があるわけで。この2つを読み比べてくれば、「三銃士」は「封神演義」の西洋版焼き直し、という作品であって、殷とイエズス会が「同列」に扱われている、と分かるわけですが。殷を倒した太公望は、山東半島の辺りに「斉」という国家を興し、この国は後に秦に攻め滅ぼされるまで続くわけですが。でも、その秦も始皇帝一代で瓦解してしまうわけで。秦を頼って、アケメネス朝ペルシャから東アジアまで来ていた十支族の末裔達と、斉の残党は、更に北方の騎馬民族とも、中国東北部で同盟を結んで「扶余」を興すわけで。それが、高句麗、百済、出雲(弥生)へと繋がるわけなのですが。春秋戦国時代の斉っていうと、桓公とその軍師であった管仲とかが有名であるらしいのですが、中国の古代史っていうと私の方があんまり良く分かっていないものですから。ということで、文献的な資料も揃った、ということで、あとはせっせといろいろ読まないといけないらしいのですが。

本日の日誌

今日は、たいしたことはなかったのですが、所用がいろいろとあって「お仕事」に行ってきたわけですが。

ええと、昨日は福山君がラジオで結婚報告したということで、親切に発言内容の全文を載せてくれていたニュースサイトがあったので、読んでみたわけですが。まあ、全体としてはありがちな内容だった気がするわけで。で、いろんな所で報道されて、その内容が「虚実ないまぜ」である、みたいな発言があって。それが何だかちょっと引っかかったというか。だって、まあ、いろんなところがそれぞれ好き勝手なことを書くから、誇張した内容とかそういうことも多かれ少なかれあるのでしょうけれども、でも、大抵は「おめでたいムード」一色の内容であって、そういう感じではないところも、基本的には割と過去に出尽くしているような内容だった気がするわけで。今更、改めて「虚実ないまぜ」である、って言う必要があるの? とかふと思ったわけで。

で、いろんな動画を見ていたら、ふっと、誰かさんが何となく遺憾に感じているのは、だいたい一般的な報道内容が2010年頃から交際がスタートした、ということで、その後のラブソング、特に「家族になろうよ」が、結婚を意識しての歌、という様に書かれたことらしくて? ですねえ?? ということで、2009年発売の「残響」というアルバムから「東京にもあったんだ」という曲を引っ張り出してきて、「その曲をしっかり聴くように」って言われた気がするわけで。しっかり、リピートして聴かせて頂きますとも?? と思うわけですが。

だいたい、そろそろ、誰かさんもちょっとは落ち着いてきたのかな、と思うのですが。でも、ご当人は「手紙が来るまでは油断できねえ」って言って、ときどきピリピリしてるのが分かる気がするわけで。6番目の子がけっこう手を焼いている、ということで。「王はご乱心中ですねえ?」って呟いたら、「それ、是非、日記に書いて置いて下さい。」って言われた気がするわけですがーー;。7番目の子は、誰かさんが暴走したときに冷静にさせるためにハリセンを持って待機してる気がするわけで-;。昨夜、6番目の子に、「その人、何かに取り憑かれてるようにしか見えない。」って呟かれた気がするわけですが。それはきっと、「恋の病」ってものに取り憑かれてるのでは? と思ったわけですが。でも、まあ、お手紙が届きそうな気配になってきて、6番目の子が一番喜んでいてくれる気がするわけで。

で、昨夜、Twitterに書き込みがないことを指摘した日記をアップしたら、その後、宣伝の書き込みが久々にあって、「おや」と思ったわけで。こういう、いかにも「そっちのやっていることを知っている」みたいな印象を受ける事象にはある程度耐性があって、昔こういうやりとりを非常にしょっちゅう石井とやっていたわけで。私がファンクラブの掲示板に書き込みをしたり、メールを送ったりして、それに対して向こうが反応して書き込む、みたいなことはものすごくあったわけで。だから、石井が私のことを知っているということは、結局は疑っていなかったわけですし、そうやってネット上だけのちょっとヘンなやりとりを、どういう形に石井が帰着させたいのか、ということも何だか分からなくて謎に思っていたわけですが。でも、今、ここに「どういう形に帰着させたいのか」が何となく分かっている人が一人いて、かつて石井がやっていたことと何だか似通ったことをしているように見えて、確かにそういう行動は「気が付く」わけですが、でも、なんで石井の行動と似通っているんだろう? って、そう思うわけで。

でもって、テレビを見たら、またろうさんが出演していて。またろうさんは、福山君のファンの間でも人気のある方だと思いますし、米米のファンの間でも有名な方だと思うのですけれども、どちらかといえば「裏方」的な人であって、バラエティー番組とかには出ないよね、あんまり? って思ったわけで。でも、それで気が付いたわけですが、そういえばこの人は石井にも非常に近い位置にいる人であって、かつて、私と石井がどういうやりとりをしていたかを、私が思っている以上に「知る立場」にある人なんだな、ってふっと気が付いたわけで。そっかー、ネット上でどう行動すれば、兄さんが私のことを現実にも考えている、ということを「伝える」ことが、気づかせることができるのか、ということを進言出来る人が一人いたね、ってふと思ったわけで。この人はこの人で、私と石井のやりとりを良く知ってるし、蛇の兄さんも似たようなことをやれば、私が「気が付く」ということを知っている人なんだなあ、と思うわけで。またろうさんは、基本的にはこちらのお味方で、石井の動向等を直接教えてくれることができる人であるでしょうけれども、兄さんの動向も当然流すよね、向こうにね、ということで。

ということで、ふと石井がマリーザと再婚した時のことを思い出して。実のところ、この頃には相当愛想が尽きていたので、結婚が発表される前にもう「ファンやめる」みたいなことにはなってた気がするわけですが。でも、あの時、兄さんに書く予定のようなことを、あの男に言ってやっていたら、事態はどうなっていたのだろうか。私は、あの時、そう書けるほどあの男のことを好きだったのだろうか。それとも、もし好きであったとするならば、好きだった分、尚更そういうことは書けなかったのではないだろうか、とかいろいろと考えてしまって。「人が人を好きになる」というのは、本当はどういうことなのだろうか、とかふと思ってしまったのですが。でも、まあ、それはともかくとして、アナログ人間の福山君が公式Twitterを始めたのは、2014年くらいからなわけで。私がネット上にHPを構えて、神話の勉強をせっせとし始めた頃なわけで。いろんなことのヒントをそこから貰っていたわけで。誰のために始めたTwitterなのか、忘れないで欲しい、と「現実」に「目に見える」形で突きつけられた気がして。たったの数文字しか書かれていなくても、こういうことのインパクトはけっこう強くて、そこに込められた「言霊」というものは見逃さない「目の力」は持ってる気がするのですけれどもね、なんとなくね、と思ったわけなのですが。

ウタフクヤマ

えええええと、なんかやさぐれてますね;、っていう感じであってーー;。

歌を唄っている時は、表現力豊かに泣きそうな顔をしているし、それ以外の時は割と微妙にとんがってた気がするわけですが-;。そして、なんだか全体から「怨霊化」してるようなオーラが漂っている? ような?? 気がしたわけで。こういう姿も珍しいかも? とは思ったわけですが。TKとかにも、微妙に攻撃的な気をぶつけてる気がするわけで。私の見えない目にも、ちょっとはそういうことも分かるようになった気がするわけですが。

でも、こういう人だったっけ? というか、もしかして、どこかの誰かが鹿とか猪とか食べた結果、「狂戦士」としての力が発動してくると、そうなっちゃうんだ? って、いろんな動画を見ながら思っていたら、「そうなんだ。あんたには、まずそれを一番に分かって欲しいんだよ!;」って、その他大勢から大声で「苦情」が来た気がするんですけど???@@ ということで。言っておくけど、私はいろんな物事の苦情受付係ではありませんのでー;。もう牛の臓物まで食べちゃったんだよーん、ということで(苦笑)。ええと、来週も楽しみにしていますです。「何か一言、感想を書いてから寝て。」って言われたら、他に書くことなんてありません、ということで-;。

本日の日誌

ええと、アンジーのこの映画を買い戻すように、ということでDVDを買ったわけですが、何故か再生できません;。PCでもダメ、DVDプレイヤーでもダメ、ということで。結局家に入れるための「支払いは済ませた」ということで、某所にアップされていたものを見た気がするわけですがー;。これは、実際に実在の事件を元にした映画なわけですが、昔、ロスに住んでいたシングルマザーの母親の小さな息子が行方不明になって。数ヶ月後に警察が連れてきた子が、全然息子とは違う余所の子であったのに、警察は自分達の失態を認めたくなくて、その子を母親に押しつけた挙げ句に、異議を唱える母親を精神病院送りにしたりした、という話であって。「チェンジリング」というのは、アイルランドの伝承で「取り替え子」という意味であって、アイルランドの伝承では妖精が赤ん坊をさらって、別の子供(妖精であったり、単なる「石」であったりするもの)を置いていく、という話があって、それになぞらえたタイトルなわけで。で、母親が押しつけられた子供の事で手こずっているうちに、実の息子は犯罪者に殺されてしまった、とそういう話なわけで。で、母親は牧師や人権派の弁護士の助けを借りて、世論に訴えたりして警察の間違いを正させた、という話なわけですが。

で、非常に意味深なのが登場人物の名前であって。母親の名前がクリスティーン、行方不明になる息子の名前がウォルターというわけで。クリスティーンというのは、「クリスチャン」の女性形の名前であり、ウォルターというのは「水」という言葉に通じるので。登場人物の名前がそもそも非常に「キリスト教的」なのである。要するに、行方不明になった幼い子というのは、死んで死体が消えた「イエス・キリスト」になぞらえられているのであり、戻ってきた「偽物の子供」がローマのユーピテルとかケレースなんだよ、っていう意味なのだと思うわけですが。要するに、今「イエス・キリスト」のふりをしているのは実は「ユーピテル」とか「ケレース」ということで。

で、映画の中で、最後には正義の人権派弁護士が登場して、母親を助けてくれるわけですが。この弁護士の名前が「ハーン」っていうわけで。で、この映画が出回った頃には、裁判を起こそうかどうしようかという時期であって。裁判を起こしたことには、この映画の影響もあったのではないか、とそれは自分でも思うわけで。「ハーン」というのは、原則としては「敵の神サマの名前」なので、「敵に頼って裁判を起こせ」みたいな暗示的意味がこの映画にはあったんだな、と思うわけで。物語の前半部分が「世の仕組み」のヒントであれば、後半部分には「裁判を起こせ」っていう呪いがかかっていたんですねえ? と思うわけで。そして、映画を見ていると、「エポナ」って呼ばれるわけで。このケルトの馬の女神の子音は「KBN」ですから、これは「ホルン(角)」という言葉の語源でもあるし、「カーン」「ハーン」「キアン」という言葉の語源でもある、ということで。おそらく、これらの言葉の全ては「エポナ」という名前を省略したものだと思うのです。

で、うちの親なんかは、今になっても蛇の兄さんが、私に直接あれこれ言ってくることを「そうなんだ?」みたいなことを言っているわけでー;。別に兄さんに限らず、誰でも彼でも、程度の差こそあれそうなんだけれども? って思うわけで。私の場合も、なんとかちょっと聞こえることはできるようになったわけですが、動画とか写真の力を借りるとますますよく聞こえるようになる、ということで。なんで、我が家だけそういう「力」が弱いのかといえば、代々近親婚が続いて力が衰えている上に、そういう「力」が「無い」相手とばかり結婚を繰り返すように仕組まれている、ということで。親は脳天気に、自分達は恋愛結婚だと思っているかもしれないけれども、全部仕組まれていることなんだあ、と思うわけで。どちらもそういう「力」が弱い人達だから、弱い子供しか生まれないだろう、って思われてる結果なわけで。だから、私の「正規の夫」が「力が弱い人」なのも、それだからなんだと思うわけですが。そういう相手じゃないと敵が「婚約者」だって許してくれない、とそういうわけで。

だから、何かあると近所が総出でうろうろしたり、車が待ち構えていたかのようにじゃんじゃん出るのも、そうやってみんな「気の力」でお話したりして臨機応変に相談したりしてるから出来ることなわけで。そして、この家には、多くの人の「監視の目」が張り付いているので、誰が何を言ってるのかはみんな知ってるんだあ、と思うわけで。今になってもまだ「盗聴器」なんて言っている方がおかしい、ってそろそろ気が付いても良いくらいだと思うわけですが-;。

ということで、アンジーからは、私は「不具」も同然であって、その目の力はとても強いのに、きっと自分の「力」をちゃんと使いこなせる日は一生来ないだろう、って言われた気がするわけで。「それが惜しい」と言われた気がするわけですが、7番目の子が対応に出て「その目の力を共有して、使いこなせる夫がいれば、それで充分」って言っていた気がするわけで。

で、今日は「牛の臓物」も食べて、チェンジリングも見て。で、この映画の主役はアンジーですが、監督はクリント・イーストウッドなわけですが。この監督はアイルランド系ということで、ケルトの人なんだ、って今になって気が付いたわけで。だから、「裁判を起こせ」というような呪いもかけてくるけれども、真には敵ではなかったんだな、と思うわけで、ヒントもけっこう一杯くれていたわけです。

そして、結局、「一番愛されている夫」に決められた人には、そこから「1年」の期間しか与えられなくて、そしてルールとしては、最後に「裏切り」とか「別れ」みたいなものが待ち構えているわけで。で、だから「定められた人」は、その時に欲しい言葉が貰えるかどうか試されなければならない、ということになっているのだと思うわけで。で、もし貰えなかった時のために、次に「一番」になる人に引き継ぎをするまでの「ルール」が定められていたわけで。大学時代、2番目の子は欲しい言葉も貰えず、1番目の子に「引き継ぎ」をうまくすることもできなかったわけで。それで「ゲーム」は非常に久しく、長らく頓挫していたわけで。で、1番目の子が何故失敗したかといえば、それは声もうまく届かないし、表向き「彼女がいる」ということになっていたので、最初っから私が「そういう人は恋愛の対象としては見ない」ということで。私は、彼女がいるのに、他の人に乗り換えたりとか、妻がいるのに浮気するような男は「大嫌い」なんだあ、というところに誰かさんの最大の不安と恐怖がある気がするのですが。

でも、かくの如くな「ルール」がある以上、蛇の兄さんが失敗したら、次に「血祭り」に上げられる予定なのは、誰なのかもう分かっているでしょ、って言われる気がするわけで。それで、失敗した時のために「後釜要員」が二桁に達するほどいるし、蛙さん達が、彼らの「希望の星」の4番目の子を敢えて「一番」にしようとしないのは、彼の貞操を守るためだし、7番目の子が持てる力の割に「一番」を敢えて狙わないのは、自分の順番を遅らせようとしてるのですよねえ? と思うわけで。この人はこの人で、非常に私と性格が似ていて、冷静なところがある人で。「いくら私が鈍くて今『ルール』に気が付かなくても、もう2,3人犠牲者を出せば、その冷静さで気が付くでしょ?」って言われた気がするわけですがーー;。それって、人が良くて、愛情深い夫ほど、早くに犠牲になる可能性が高くなるってことですよねえ? と思うわけですが(苦笑)。まあ、でも、これだけの頭数が揃っていれば、こちらも時間を稼いでいる内に新しい家が建つって誰でも思ってるでしょ? と思うことで。

誰かさんもご多分に漏れず、6番目の子に後を引き継いで行こうとしたわけですが、そうして「ゲーム」が続いたら、自分が私の中での「一番」になる機会は永遠に失われてしまうことになるし、それには「我慢がならない」ということで。結果、1日と持たずに大激怒して、私を思いきり締め上げてくれた、と思うわけですが-;。そこまで分かれば、失敗した場合に、「次に誰が血祭りに上げられるのか分かってるでしょ?」って7番目の子に言われた気がするわけで。こちらは、情報を与える機会を逃さず、冷静至極。これが「牛のモツ」と「チェンジリング」を見切った報酬、ということで。私が誰を一番に好きになるかは、私が決めることで、女心はそんなモノみたいに、順番に誰かに渡されるものではないぞ? と思うわけですが。(でもまあ、次の予定は、どう見ても「若きアドーニス」って評判の人ですよねえ? と思うわけで。どこもかしこも予定調和な世界かい、って思うわけですが;。)

ということで、本日は「Talking FM」(福山君のラジオのレギュラー放送)で、ご当人から正式に結婚の報告がリスナーに向けてあった、ということで。そのニュースの記事を私が読んでいると、これで次の手紙を出す予定日までに、私が目にしそうな主な記事は「女性自信」くらい、って6番目の子と、7番目の子が指折り数えているのが分かるわけで。福山君もねー、先々週くらいまではテレビ出演の前とか、ラジオの放送の前にはご当人が公式Twitterに降臨して宣伝してたわけですが、入籍直前くらいから顔を出さなくなったよね、と思うわけで。別に、仕事くらい「通常営業」的でも良いのではないのか、と思ったわけですが。まあ、あの無精髭とやつれた感じはねえーー;、ということで。今夜は深夜帯まで起きていて、「ウタフクヤマ」を見ませんとね、と思うわけです。だって、トラキアのお使者からも「ちゃんと見ろ」って言われた気がするわけですし-;。

本日の日誌

というか、昨夜も動画を見つつ、ネットニュースとか見ていたわけで、月曜日の夕方ぐらいから、ずっと誰か三位振り回されっぱなしだったのが、本来の生活のペースに戻ってきた、という感じであって。で、ゆずの兄さん達の動画を見ていたら、不意に彼らの目の力が強くなって、もし6番目の子が、蛇の兄さんみたいな立場にあったら、彼の後見も同然な自分達のことを忘れないで欲しい、って言われた気がするわけで。まあ、そういう時には、確かにご当人の言よりもあなた達のような第三者の応援の方が、冷静に受け止められるということはありますよねえ、と思うわけで。で、そう思いながらネットニュースを見ていたら、「松本君と井上真央ちゃんは夫婦も同然」とか「結婚も秒読み」みたいなニュースが載っていて。まあ、ゴシップ系の雑誌の記事なわけで、信憑性については「当たるも八卦」みたいなレベルなわけですが、でも、兄さん達の目が強力に光ったのはこのせいですねえ、と思うわけで。だいたい、この時期にこういうネタが出回るのも陽動だねえ、とは思うわけですが。6番目の子はどうしても頑張りすぎてしまうので、こういうことになるわけで。布団に潜り込んで来たら、アンジーが降臨してきて、「彼はあなたと結縁して「神」となったのだから、神としては子神も同然なのだし、年の若い夫なのだから、何があっても見放さないで、神としても夫としてもしっかり育てなければ。」って言われた気がするわけで。そっかー、この人も実子、養子とたくさんの子供を抱えている人だし、「お母さん」なんだなー、と思って。で、朝方には2番目の子が降臨してきて、6番目の子にも幸せになって欲しいし、彼に大学時代の自分のような思いはさせたくない、って頼まれるわけで。どうもですねえ、男女関係の話なると、私は冷静なのはいいのですけれども、割と淡白な反応しか示さないということが広く知れ渡ったようでしてーー;。外の人達は、応援する人達も含めて、その傾向と対策をしっかりやってますよねえ? という気がするわけで。当人同士に任せて置いたら、ダメになっちゃいそうなことは、「周りで何とかしろ」みたいなことになっている気がするわけで。ちょっと前に、ふっと、6番目の子に「自分も『愛してる』って言って欲しい。」って呟かれたことがある気がするわけで。その言葉がそんなに大切なものならば、お手紙に書いてあげれば良かったな、と思ったわけで。次には絶対に書いてあげましょうとも、外の世界がどんなことになっていようとも、って思ったのですが。

でもって、6番目の子の気持ちは、いったいどこでそれほどに信頼できるのか? って聞かれる気がするわけで。それは、昨年末のMステスペで嵐が出て来たときに、6番目の子から「香取慎吾には絶対に負けたくない。」って言われて、大びっくりしたこと、って思うわけで。その時は、そんな若い人からそんなこと言われるとは思っていなくて、その言葉の真意は本当に測りかねたわけですが、数ヶ月後には測れるようになったわけで、そうなってから蛇の兄さんと毎晩交替で夢を送って、設計図のまずい所とか教えてくれてたのが分かっているので。

でもって、もう一人の主役の方なのですが。今朝になっていろいろな動画を見ていたら、昨日のような魔法は若干弱まっていて、中には「自分の歌を蛇の兄さんの歌として貸してやるのは昨日一日だけ。」って言っている人達もいて。そういう人達から、誰かさんは「歌を貸してやった一日の間に女心を掴み戻せなければ、夫としても男としてもダメでしょ。」って言われたらしくて。

そして、巷で出回っている福山君のネタについではですねえ、公式には数年前からお付き合いが始まって、2012年の1月に、フライデーに微妙な形で「付き合っているかも?」みたいな感じで記事が書かれていて、この時も決定的な2ショットとかは無かったわけです。で、なんで私がこのことを知っていたかというと、それが2012年の1月であって、まだネットをやっていた頃だったからで。裁判で大忙しの頃だから、人様のゴシップネタなんかに全く興味なんてなかったよ、ということで。まあ、知ってはいたけど、それだけ、みたいな感じであって。で、12年の4月に「いろんな騒ぎ」が始まって、その後1年はネットもやらなければ、テレビも見ていないので、福山君といえば、2012年4月にMステで彼が「生きてる生きてく」を唄った頃が大騒ぎの始まり、という認識しかなくて、それ以外のことなど考えたこともなかったわけで。で、福山君の方はどうかといえば、フライデーの記事以来、そっち系のネタは丸っきり「なしのつぶて」ということで、「破局したんじゃないか」とか「元々付き合っていなかったんじゃないか」とか、そういう憶測だけがたまに出回る、というような状況であったわけで。2013年の3月にMステに「HUMAN」のプロモーションで出演した時にも、私自身、そっち系のことはさっぱり気にもしていなければ、思い出しもしなかったわけで。その時ですら、福山君のプライベートに興味を持ったりしていなかったわけですが-;。で、その後もそっち系に関しては、公式には「なしのつぶて」という状況が続いて、月曜日に唐突な入籍発表と相成ったわけで。

福山君も「いいお年頃」であって、誰も結婚するには若すぎる、なんて思わないであろうと思うので、数年前に本気で好きになって、結婚しようと思ってお付き合いしている人がいたのであれば、すぐに結婚とはいかなくても、「交際宣言」くらいしてもおかしくないでしょ、と思うわけで。そうやって、お付き合いしてる人がいるって、公然の事実であっても、表向きは独身の芸能人だって大勢いる気がするわけで。でも、現実には、2012年1月と2015年9月の間に、長い「空白期間」があったわけで。まあ、そうなっていた事情については、憶測でモノは言いませんけれども。でも、もしその空白期間がなければ、新婚夫婦の仲がこの間、誰もが知っているような「公認」のものであったのであれば、その空白期間の間に、蛇の兄さんには、周りの人達がどんなに応援してくれようとも、絶対に捕まえることができなかった「女心」が確実に1つあることは、兄さんも私もよくよく分かっていることな気がするわけで。ごく不自然な「空白期間」が何のためにあったのか、ということは、まあ言わずもがななわけですが。

でもって、福山君の歌番組である「ウタフクヤマ」の宣伝がめざましテレビであって、その動画がアップされていたので見て見たわけですが。そのどう見ても無精ひげなのは何故? というのは、まあ置いておくとしても;。微妙に落ち着きがなくて、どこか不安げで、そして微妙に心ここにあらずといった風情であって、目の力は使っているけれども、その目はどこか別の場所を見ている、という感じがしたわけで。私だけにそう見えるのかも? とも思ったので、念のため親にも見て貰ったわけですが。その、収録は火曜日にあったわけで、火曜日には私は「お仕事」で石を拾ったり、パイプに切り込みを入れたりしていたわけで。この日は、ブチ切れた誰かさんに、朝から強力に取り憑かれて、かつ散々泣かれたり、怒られたりしていたわけで。(しかも、仕事に来てた職人さん達には「王の気持ちを察してくれない冷血漢」って言って泣かれたわけですしーー;。)6番目の子は、そういう誰かさんを鎮めるのに大苦労で、彼の方が泣きたかったくらいならしいのですが-;。そして、こういう修羅場な状況に対して、7番目の子は「憎らしいくらいに冷静であった」って言われる気がするわけですが、誰か一人くらい冷静でいてくれないと本当に私が道成寺の安珍みたいになっちゃうでしょうがーーー、という気がするわけで-;。(道成寺の安珍というのは、蛇女に執着されて、逃げようとして焼き殺されてしまうお坊さんなわけですが。)手紙に書いて貰いたいことを伝えようとして、兄さんも必死ではあったのだな、と思うわけですが。

でもって、今回一番心に残ったのは、兄さんの気を鎮めようとして、「私たちは同祖同族なんだから、例え何があってもお互いを見捨てたりしません。」って言ってくれていた人達がいたことで。むしろ、それを聞いて、「そっかー、私たちは夫婦でもあるし、兄妹でもあるし、同祖同族でもあるのだから、そういう意味で何があってもお互いを見捨てたりしてはいけないし、それは蛇の兄さんも、6番目の子も、その他の人も同じ事なんだな。」って妙にすっと納得できたわけで。きっと6番目の子になら「愛してる」って言っても兄さんも許してくれると思ったのですが。そして、7番目の子は、自分自身では男女関係的なことで代償を支払わずに済むような、あまり深入りしない位置にいる代わりに、こういう状況になったら、私が道を間違えないように冷静にアドバイスしてくれるつもりでいるんだな、とも思うわけで。それぞれにそれぞれの役割があるんだな、と思ったのですが。

で、今回蛇の兄さんの他に、もうお一方、お手紙をお出しした人がいるということで。それこそ、どういう人なのかさっぱり知らなかったわけなのですが、1日様子を見た結果、Twitterをけっこうこまめに更新する人だということを発見したわけで。で、アップされたお写真とか拝見させて頂いたわけですが、こちらはこちらで、いかにも「アーティスト」といった風情であって、割と繊細な人、というか今までの記憶にある限りでは、どことなく落ち着きのない人、というか何をしていても、どこかに焦燥感を感じさせる人、というかそんな印象を受けていたわけですが。でも、今日アップされた写真を見たら、なんというか、かなり落ち着いた風情を醸し出していて。人は手紙1通で、こんなにも変わるものなんだ? ってはっとさせられたわけで。今まで垣間見えていた焦燥の中に、この人が焦がれて焦がれてたまらなかったものは何だったのだろう? って思うと、蛇の兄さんの一件以上に不思議な気がするわけですが。まあ、でも今は「同祖同族」の問題が最優先ということで。いろいろなことを考えさせられた一日だったのですが。

で、今日はようやく「HUMAN」のCDが届いて。「恋の魔力」もウォークマンに入れましたし、6番目の子も、蛇の兄さんもこれでちょっと安心してくれればいいな、と思うわけで。その他には、ダルタニャン物語の最終巻と、「謎の出雲帝国」が入ったわけで。この「謎の出雲帝国」は、「書いてあることの7~8割は嘘っぱち」って言われる気がするわけですが-;。でも、最後の最後に、信濃国の「沢」がつく姓の由来が明確に書いてあって。それこそが、出雲の総本家が「自分のところから出た家は、今でもちゃんと知っているから」って言っているメッセージということで。富の王家はそうやって、蛇の兄さんの後見人である立場を強めたいらしいのですが。それに対して、蛙の人たちは「日本書紀」を家に入れて、信濃国造家である金刺氏の業績を知れ、ということで。何故なら、金刺氏の本来の名前は、大田田井とか、太田とかそういうものであったから、ということで。それが、本来の蛙の王家の人達の名前だったわけです。でも、出雲神族と混血習合して「沢」のつく名字を1つとって、彼らは山奥に隠れ住むようになって、そして今に至るので。これで出雲の総本家に繋がる道筋と、羌族の蛙の王家に繋がる道筋が明らかになった、ということで。それから、「建礼門院右京大夫集」も買ったわけで。建礼門院右京大夫とは、平安末期に建礼門院に使えた女房であって、建礼門院の弟の平資盛(すけもり)の恋人であった女性なわけですが。だいたい、騒ぎが始まった直前に、この辺りの歴史にはまっていて、ドラマにするなら「平資盛は誰がいい?」って聞かれて、「櫻井翔」って答えていた記憶があるわけで。だいたい、この頃から自分も巻き込まれ始めていたぞ、と今なら思うわけで。「自分の名前を神婚に利用したのだから、この本を買い戻させろ。」って平資盛の「生まれ変わり」という人から要請が来たらしくて。「買い戻してくれたら、味方になってやる。」って言われたと言うことで。読まなきゃいけない文献もけっこう増えたかも、と思うわけですが。