昨日の日誌

ええと、昨日ですねえ、「お仕事」中心の一日だったということで。設備関連の「呪い」の内、昨日のものは1カ所、必要な「防蝕テープ」が巻いていなかったこと、とか、水抜栓を被っているビニールごと埋めようとしたこと、とかだったと思うのですが。防蝕テープを必要な部位に巻かなかったのなんて、絶対にわざとでは? って思ったわけですがー;。で、お昼も時間になってもわざと仕事を終わらせないで昼休みの時間を短くされて、手紙を出しに行くのを邪魔されそうになったりとか、帰りの時間もわざと遅らされた気がするわけで。「なんで?」って思いましたら、「今日は家に聖書が入る予定の日だから、署名をするのを遅らせようとしてる。」って言われた気がするわけで。この本に限っては、自分の名前を署名して、「自分のもの」にしてしまえ、って言われていた気がするわけで。

で、結束線に関しては、家に帰ってきてからも、いろいろと調べたのですが、ヘルマンタイトンという会社の製品でよろしいようで。だいたい、話を遡ると、「キングダム・オブ・ヘヴン」を買って見てくれれば、「国教会の頂点に君臨する神の真名を、敵の神の名からこちらに書き換えてやろう。」ってブリタニアのおばあちゃんに言われたわけで。で、それを見て「シンドラーのリスト」を見て、敵から「ウルリクムミ」という岩から生まれた巨人の悪神の名前を貰っている人が、リーアム・ニーソンという人だと言われた気がするわけですが。で、今日知ったのですが、この役者さんは、「キングダム・オブ・ヘヴン」にも出ていて、主人公の父親役をやっていて。エルサレムを守護していた、「敵の騎士」の父親役というのも「象徴的」だなあ、と思ったわけですが。で、おとといの晩に、X JAPANの新曲が試聴できるということで、イギリスのサイトに曲がアップされていて。これも、イギリスの会社の製品を取れ、ってことなのかなあ? と思ったわけで。で、現場では「ヘルマンタイトン」という会社の意味は? って蛇の兄さんからも聞かれた気がするわけで。それは、「ヘルマン」というのは、「ハーン」と同じ子音ですし、「タイトン」というのは造語っぽいですが「タイタン」に近い言葉、ということで。「巨人の神(首長)」とか、そういう意味? って思うわけで。「それは誰?」って聞かれたわけで。それは、やっぱり「ウルリクンミ」の名前を貰っている人? って思ったわけで。そうしたら、「それは、その人のことを見抜いて、勝負に勝ったことに対する『戦利品』だから、使っておくように。」って言われた気がするわけで@@。家に帰ってきていた調べたら、「ヘルマン・タイトン」というのは結束線では、トップシェアのメーカーで、イギリスにある会社らしくて。そこの会社の頂点に君臨する「十字の神」の名前が書き換わっているから、使っても良い、ということでもあるようなのですが。結束線6本分を安全に使うための勝負にいくら投資したんだろう? とは一瞬思ったわけですが。でも、得たものはそれ以上のものを得たでしょ、って言われる気がするわけで。

で、家に帰る途中で、なんとなくふっと、「嵐にしやがれ」の中の翔君の「お忍び旅」のコーナーのことを思い出して。この番組はバラエティーなので、このコーナーは翔君が日本国内でお忍びの小旅行をして、周囲の人に正体がばれて、声をかけられたら旅はそこで終わり、ということで。ばれない時は全然ばれないけれども、ばれる時はばれまくる、というコーナーなわけですが。で、もし私の身近に彼が現れたら、声をかけるべき? それとも知らんぷりしてるべき? とか、ふっとそういう他愛のないことを考えてしまったわけで。声をかけたら、その旅の企画は終了してしまうけれども、でも、もし私が気が付けば声をかけて欲しいって思うかも? ってふっと思ったわけで。で、家に帰ってから、ネット上をいろいろと検索していたら、ちょうどこの日に軽井沢に「お忍び旅行」のロケに来ていたらしくて、twitterとかで情報が拡散していたらしいのですが。ということは、ばれたのか? とか思ったのですが。でも、以前に黒部にも来てましたし、割と良く長野県に来てますよねえ? 私が行ったことがあるところにもけっこう来ているし、って思うわけで。先週の放送では、箱根に吉田沙保里選手と行って、箱根神社に行ってましたし、箱根神社って九頭竜を祀っているところなんですよねえ? と思うわけで。4番目の子も、できるだけ「間合いを詰める」ことができるように頑張ってますねえ、と思ったのですが。

で、「ハウルの動く城」を見たわけですが。主人公の女の子はソフィーという名前であって、これはギリシャ語ではソピアー(知恵)という言葉なわけです。この言葉は、一応神格化された「女神」の名前としても使われることがあるのですが、神格化されるようになったのは比較的時代が新しい、ということで、古い時代からのギリシャの神々のようにはっきりと「独立した女神」として扱われることはほとんどないわけで。で、原始キリスト教の中では、「神」というか、「キリスト教的な叡智の精神」の象徴みたいなものの名前としても扱われるのが特徴、ということで。そもそも、原始キリスト教というのは、始めたのはイエス・キリストというユダヤ人であっても、それをワールド・ワイドに広める一番最初の段階で活躍したのは、イスラエルの外に住んでいて、ギリシャ語を話す、いわゆる「ヘレニスト」と呼ばれるユダヤ人たちであるわけで、彼らはギリシャ語を話していて、おそらくギリシャの文化にも造形が深かったと思われるわけです。で、聖書なんかも元はギリシャ語で書かれていたものが多いと言うことで。で、ソピアーというのは、元は一般名詞だったかもしれませんが、子音的には、アナトリアのキュベレー、ヒッタイトのヘバト、ヘブライのエヴァと同じ子音、ということで。で、古代のキリスト教の一派には、「ソピアーがこの世を生み出した」という考え方もあるわけで。で、古代世界の女神達というのは、その権威が高くなればなるほど、「死と再生の女神」という性質が強くなって、例えば死んだ夫のオシリスを蘇らせたとされる古代エジプトのイシスとか、夫でありかつ子神であるアッティスの再生に関わるキュベレーとか、その手の神話は各地にあるわけで。そうやって「死者を生き返らせる秘密を知る者」という概念が、古代世界の「叡智」であり「医業」でもあったわけです。まあ、死んだ人間を生き返らせる、というのは大げさかもしれませんけれども、死にそうな人間(ほっておいたら死んでしまうはずの人間)を助けることができる、程度の意味はあるのだと思うわけで。聖書なんかにも、イエスとその集団が「優れた医師であった」みたいな記述はたくさんあるわけで。古代ギリシャ的原始キリスト教においては、「イエス・キリストの叡智」とは「死と再生の女神が持っている叡智」、すなわち「ソピアーの叡智」であったわけです。で、そういう思想が各地に布教されたわけで。どこでも、奉ずる女神の名は異なっても似通った神話を持っているわけですから、そういうものを吸収して合併していったのが、一番当初期の原始キリスト教であった、といえるわけで。だから、原始キリスト教的「ソピアー」とは暗に、ヘブライ神話の「エヴァ」も兼ねているわけです。いずれも、同じ「死と再生の女神」ということで。で、「ハウルの動く城」のソフィアは結果的にハウルに心臓を取り戻させて再生させるわけで、同様にかかしのカブも再生されるわけで。そして、幼いマルクルに対しては母親のような存在になるわけで。このアニメそのものには、キリスト教的な要因は上辺では見られないわけですが。でも、「叡智のソフィアが人(特に親しい男性)の死と再生に関わる」というのは、丸っきりイシス・オシリスとか、キュベレー・アッティス、そしてエヴァとアダムの神話に通じる話であるわけで。これは西洋の「神話」の根源的な共通の概念を示した物語でもありますし、「ソフィア」の名を使っている限り、それは非常に当初期の「原始キリスト教の思想」であると述べて構わないものなんだな、と気が付いたわけで。それで、ブリタニアのおばあちゃんが、国教会の頂点に君臨する神の名前をどのように書き換えたいのかといえば、それは今までイエス・キリストの仮面を被ってその地位を乗っ取っていた「ユーピテル」の名前から「ソフィア」の名前に書き換えたいんだな、と気が付いたわけで。何故なら、それが本来の「原始キリスト教の神の名」であり、イエス・キリストの子孫の中に、ソフィアの名を持てるだけの「女神」がいるのであれば、遠い先祖の遺産は、良いものも、悪いものも含めて、子孫が相続すべきっていうことなわけだと思うわけで。少なくとも、思ってもいないことを平気で書ける才能は、誰に頼まれなくても受け継いでいるらしいですよ? ということで-;。だから、「キングダム・オブ・ヘブン」と「共訳聖書」と「ハウルの動く城」は、ユーピテルに乗っ取られる以前の、ごくごく当初期の原始キリスト教の思想を示すために必要な、それこそ「三位一体」の文物ということなんだな、と思うわけで。それで、3つ纏めて家に入れる必要があったんですねえ? と思ったわけで。

嵐の兄さん達は、「ハウルの登場人物の中には、ハウルとかかしのカブと、マルクルの3人の男の子が出てくるように、再生が必要とされている神は3人いることを忘れないように。」って言ってくる気がするわけで。でも、木村君の言霊は、「ソフィーのために外の世界で戦い続けるハウルとは、今であれば誰のことなのか分かるはず。その心臓も、頭も、今はその部屋の中にあることも知っているはず。」って言っている気がするわけで。それはもちろん誰のことなのかは、今ならよくよく分かる気がするわけですが。今朝方は夢を見て、目が覚めたら、白鳥の姿で登場した誰かさんに、「君の魅力で 君の魔力」とかって言われて突つきまくられた気がするわけで。毎日、いろんなことがあるな、と思ったわけですが。

本日の日誌

いろいろな騒ぎが起きてから、福山君の昔の動画とかもいろいろと探して見ていたわけですが。昔、見たもので、もう一度見たいものが一つあったのですけれども、それが今までどうしても見つからなくて。で、それは「龍馬伝」の頃、NHKでやっていたドキュメンタリーというか、特番みたいなもので。で、それはリアルタイムでも見ていて、番組の中で福山君が「自身の恋愛観」を語っていて、それが印象深くて覚えていたので、もう一度見て見たい、とずっと思っていたのですが、そもそも番組のタイトルも忘れてしまっていて、探しようがなくて。で、昨日なんとなく検索をかけていたら、タイトルが「トップランナー スペシャル」だということを発見して。動画を探してみたわけですが、2010年の番組で、「龍馬伝」の役作りのために髪を伸ばしている時期であって。やっぱり今よりもちょっと若い感じがするわけで。

で、なんでそもそも2010年当時に、「龍馬伝」も見ていなかった私が、この番組を見ようと思ったかというと、なんとなく興味があったというか、意識の上では「なんで、この人、この年でこんなに人気があるんだろう?」って不思議に思っていたというか。で、もう1回見直してみたら、福山君が最初に作ったラブソングである「Good night」を作った時に、「好きな人ができたら、相手にしてあげたいことが増える」って思っていて、そういうことを歌詞にしていって曲を作った、って言っていて。で、当時どう思ったかというと、「この人って『女癖がよろしくない』みたいな噂があるけど、こういうことを言う人なんだ?」って思ったわけで、それですごく印象に残っていたわけですがーー;。

で、今改めて見直してみると、「蛍」をリリースしてた頃? と思うわけで、「蛍」のMVがちょこっと流れていましたし、カレーを作るシーンがあって、誰かさんに「ね、だからカレーなんて誰でも作れるでしょ?」って言われたりするわけで。そりゃまあ、作り方に特に凝ったりしなければ、私にだってカレーくらい作れますよねえ? とは思うわけですが。でも、何となく、福山君の結婚のニュースを聞いて以来、私自身が将来誰かと結婚することがあったら、なんだか絶対に旦那に料理を作ってやりたくない気分、とかそういう気持ちになるわけで。蛙の子なんかは、「自分の食べる分だけは自分で作る」とか言っているわけですが(苦笑)。

で、インタビューを受けている福山君は、ときどき目の奥に情熱的な表情が見えて、当時から誰のことを思っていたのかは、今見れば分かる気がするわけで。そして、誰かさんは当時から「蛍」とか「Good night」を聴いて欲しいと思っていたんだろうな、とは思ったわけですが。「蛍」も当時から、心のどこかにちょっとだけ引っかかる歌ではあった気がするわけです。でも、けっこう直球ストレートなラブソングですよねえ? これ?? と思うわけで。「最愛」とか「はつ恋」とか、なんだか薄幸そうな歌の方は、だいたい聴いて「嫌がらせかも」と思った私も、「普通のラブソング」の方はあんまり自分に関係ない、と思っていたわけで。今にして思えば、この番組を見ようと思ったこと自体、誰かさんが「見て欲しい」という気をせっせと送ってきていたんだなあ、と思うわけですが。2010年と言えば、私はバリバリ裁判をやっていた頃ですし、確かにそのこと以外に興味を持ったことそのものも今から考えれば不思議だ、と思うわけで。

で、昨夜は久しぶりに夢を見て。ここのところ、「蛍」と「幸福論」と「東京にもあったんだ」しか聴いて寝ていないわけですが、なんだかちょっとゴタゴタとしたいろんな夢を見ていて、で、「幸福論」の中の「君が大好きで とても大事さ」というところばかり、夢の中でリピートしてかかっていた気がするので、もしかして何回か、そこがかかった時に集中して夢を送ってきた? って思ったわけで。で、最後に、なんだか自分がまだ学生で、長い間学校を休学していて、久しぶりに登校する、という夢を見て。で、自分でも「勉強についていけるだろうか」とか「受験勉強が間に合うかしら?」みたいにちょっと心配もしていて。で、学食みたいなところにご飯を食べに行ったら、席が一杯で。で、何故かそこに松本君がいて、彼の隣の席が空いていて、「ここに座っていいよ」っていう目線を送ってきていたので、そこに座ったら、彼の方が何も言わずにすっと立ち上がって離れたところに行ってしまって。きっと、まだそういう状態なんだろうな、と思ったわけで。

で、本日は昨日までの工事の資料の整理をしたり、買った曲の整理をしたりしていたわけで。で、「ハウル」も買い戻したので、一応せっせと見ていたわけで。で、誰かさんは、手紙を送ると、そこに書いてあることだけでなくて、行間に込められている書き手の気持ちも「読める」ということで。で、今回も「愛してる」とか、そういう類いのことを書いて欲しい、ってリクエストがあったので、書いて送ったわけですが。で、そういう人はけっこう多いようで、昨日は帰ってきたら、いろんな人から「心にもない言霊を書いて遅れる才能は、まさにギリシャ人」って突っ込まれたわけで-;。別に、「心にもない」っていうほど酷くはないですよ? 「心の底から」って言えるかどうかは自信がないけど、って思うわけで。誰かさんからは「『毒を食らえば皿まで』って気分で書いている。」って苦笑いされながらつつかれるわけで。しかも、何だか「同情され過ぎている気がする。」って言われたわけですが。そして、割と「同情が愛に変わるタイプかも。」って言われた気がするわけですが。そうなのかもねえ? という気もしないでもないわけですが。で、それ以外では5時前後にやたらといたずら電話がかかってきましたし、打ち合わせの連絡もないので。敵はけっこう怒っているんだな、と思うわけで。「ハウル」を見て片付けてしまったら、こちらから催促の電話をした方がいいかも? という気もちらっとしたのですが。アニメの登場人物の魂も感情も籠もっていない「目」というのは、確かに以前よりも見て気持ち悪く感じますし、なんだか気になるわけですが。まあ、最後まで支障なく見ることはできるでしょう、ということで。

で、誰かさんからは、新たに家に入った「栄花物語」がいい仕事してる、って言われる気がするわけで。なんで、こういうものを買わなければいけないのかというと、同祖同族の中で、成功した人に特に強く結縁して、その人にあやかろうとするのは、「良い呪術」だし、そうやって成功した人の良い所や悪い所を学ぶのも良いことだって紀香姐さんに言われる気がするわけで。そういうものなんだー、と思うわけですが。今、「封神演義」をせっせと読んでいるので、次はたぶん読みやすそうな「栄花物語」だろうな、と思うわけですが。で、お手紙が今後も定期的に届きそうな気配になってきたので、誰かさんもちょっと一安心、ということらしくて。今日はそんな感じの一日だったのでした。

本日の日誌

ええと、本日は昨日までのDVDラッシュで疲れて、午前中は割とボーッとしてしまっていたわけで。で、昨夜は「NEWS ZERO」を見て寝たわけですが、4番目の子は、蛇の兄さんがこちらに割と強力に取り憑いていることを割と心配している感じであって。今日は開いている時間には先週の、「嵐にしやがれスペシャル」もちょこちょこと見ていたわけですが、嵐の兄さん達もせっせと「目の力」を使ってくれている感じであって。宮城でのライブをやっている時に、中日でライブがお休みだった月曜日に翔君は「NEWS ZERO」に出るために東京に戻ってきていたわけですが、他の4人は、「しやがれ」のお仕事で東北各地にロケに出歩いていたとのことで。石巻も出たし、阿部という名字の人もけっこう出たし、応援してくれている人達もたくさんいるんだな、と思ったのですが。

で、昼間ネットニュースを見ていたら、某新婚カップルが食事をしている所を目撃した人がいる、とかっていう感じの記事があったわけで。確かに、そういうものを目にすれば、あまりうれしい気分はしないわけですが。でも、私に取り憑いている誰かさんは、私がそういうものを目にすると、目を真っ赤にして怒っているわけで-;。蛙の子はすっかり悟りを開いて「長いものには巻かれてる」って言うわけですが-;。まあ、でも、兄さんがせっせと「蛍」とか一生懸命送ってくれればくれるほど、こういうものを見た時には微妙な気持ちになるかも? ということで、4番目の子なんかは、私の精神衛生的なことをすごく心配してくれている気がするわけですが。でも、今日は火曜日なので、きっとこの先も、火曜日にはこういうネタが出回る可能性が高いのですよねえ、きっと、とそう思うわけで。(何故なら、水曜日はいつもお手紙を出す日だから。)その後しばらく、兄さんは怒ったり、蛙の子に泣きついたり、微妙に落ち込んだりしてた気がするわけで。落ち込んでる兄さんは確かに可哀想だな、と思うわけですが。

ということで、相変わらずJUJU姐さんは気合いを入れてお歌を送ってくれますし、あーやちゃんも「私が支えなければ」って言って一生懸命お歌を送ってくれるわけで。佳樹兄さんなんかは、蛇の兄さんに同情的な気がするわけですが。でも、嵐の兄さん達は、「自分達が責任持って、しっかり神婚を進めなければ」って思ってそうだな、と思うわけで。

で、後はX JAPANの新曲が24時間限定で視聴できるということで、視聴してみたりとか、あーやちゃんがNHKの歌謡コンサートに出演するということで、そのVTRをちょこちょこと見て見たりしたわけで。なんだか、音楽的にはハードロックから懐メロまで、というか、だんだんジャンルというものを問わなくなって、自分でも訳が分からなくなってきている気がするわけですが。でも、新曲は英語だし、ロスで私有のスタジオでレコーディングして、プロモーションで視聴できるサイトはイギリスの音楽雑誌のサイトだし、しかも50とは思えない力強いボーカルとドラムだし。ワールドワイドでの活躍っぷりが半端ないですねえ@@、ということで。10番目の人に、「自分は誰かさんに負けないくらいの資産家ですけど。」って言われて口説かれたことをふいに思い出したわけですが。ただただ、すげーーっていう感じがするというか。ここのところ、スキャンダルネタとか、芸能人の私生活ネタとか、気が滅入るような記事ばっかり読んでいた気がするので、ミュージシャンがミュージシャンらしい「お仕事」をしているニュースが非常に新鮮に感じられて良かったです。確かに、こういう気分の時にはハードロックもスカッとしていいかも、と思うわけで。(あーやちゃんにも「思っていたよりも元気そうで良かった」って言って貰えた気がするわけで。きっと、今日なんかは私よりも元気がないのは、誰かさんの方かも? という気もするのですが;。)

で、最近はセイタカアワダチソウが咲き出して、蜜蜂なんかを見かけるようになって。この花も蜜源としては有名らしいのですが、味が美味しくないらしくて養蜂家には嫌われる花のようで。でも、野生の子達には大事な冬の食料源ですよねえ、と思うわけで。明日は私も頑張らなければ、と思ったのですが。

本日の日誌

ええと、昨日からの続きで今日はけっこう疲れました、ということで。

昨夜は何だか夢を見て。まだ学生時代で、国家試験に合格するために問題集をやらなきゃ、と思って、問題集を探していて。で、目が覚めて、「そういえば、もう合格していたんだった。」と思ったという夢だったのですが。

本日はせっせと「戦場のピアニスト」を見たわけで。「シンドラーのリスト」が第二次世界大戦におけるポーランドのクラクフ・ゲットーの物語であれば、こちらはワルシャワ・ゲットーに入れられて、九死に一生を得たピアニストの物語、ということで。主人公は、当時からポーランドでは有名な音楽家であったシュピルマンという人で。演じている役者さんも、ポーランド系ユダヤ人ですし、監督のポランスキー監督もポーランド系ユダヤ人であって。で、どちらも純血的なユダヤ人ではなくて、ポーランド人との混血なわけですが。第二位次世界大戦の時のワルシャワの街というのも複雑な力関係の内にあって、ゲットーに閉じ込められたユダヤ人の内、もっと東部の強制収容所に送られなかった人達は最終的に武装蜂起するわけで。でも、蜂起はむなしくドイツ軍に鎮圧されて、ゲットーは壊滅状態に置かれるわけで。で、ワルシャワの街のレジスタンス達も終戦間際に武装蜂起するわけですが、その人達は共産党支持者ではなかったので、すぐ近くまで進軍していたソ連軍は彼らを援護せず、結果ワルシャワ市民による武装蜂起もドイツ軍によって鎮圧されてしまうわけで。結果、ドイツ軍が撤退する際に街の8割を破壊していった、ということで。(そして映画では語られませんが、ワルシャワ・ゲットーが武装蜂起する時に、彼らはポーランド人のレジスタンス達にも同時に蜂起するように呼びかけたのですが、結局断られた、という経緯があるわけで。この辺りの経緯は「ショアー」というドキュメンタリー映画の中で証言したゲットーのレジスタンスの証言が非常に心に残って覚えていたのですが、その際にもポーランド人からのユダヤ人に対する微妙な差別意識のようなものがあった? とレジスタンスの人は考えていたようで、証言していた人の口惜しそうな表情がなんだか忘れられなかったわけですが。戦後の共産主義政権の誕生とソ連邦の実質的な支配のことを考えれば、ポーランドは、そこに住むユダヤ人だけでなく、全体が戦後も苦難の道を辿った国であることは明白なわけですが。)で、そういう争乱と混乱が続く中で、シュピルマンは何とか戦争が終わるまで、ワルシャワの街の中で隠れたり、逃げ回ったりして生き延びるわけで。そして、最後には撤退直前のドイツ軍の将校に見つかってしまうわけですが、この将校が良い人であって、シュピルマンに食料を与えて助けてくれたわけで。(この人は他にも何人もユダヤ人を助けたりしていたらしくて、ポーランド人にも評判の良い人だったようで。)でも、この人は戦後ソ連に連行されて強制労働させられて亡くなってしまうわけで。そして、シュピルマン自身も自分の体験を回顧録という形で、戦後すぐに出版したらしいのですが、当時は「ナチスドイツは悪」みたいなイメージが重要視されたので、「ドイツ人に助けられた」という点が、主に政治的にウケが悪くて、けっこう出版が差し止められたりとか苦労したようで。(でも、本業の音楽家としては成功したようなのですが。)そういう点では、「シンドラーのリスト」のシンドラーもナチス党員のドイツ人ですし、「ドイツ人でも良い人はいたんだよ」的な主題が表向き漂うところは、この2つの映画は良く似ている気がするわけで。

でも、例によって主人公を演じている役者さんは、ユダヤ系の人であっても、こちらの味方の人ではないですよねえ? という気がするわけで。何というか、本日の「勝負」のテーマは「蛇の兄さんはお前のことなんか何とも思っていないと思え」って感じの目の力をせっせと送られてきてた気はするわけですが。でも、それほど目の力の強くない人ですし、こちらには兄さんが取り憑くようにして張り付いているので、まあ無駄かな、ということで。でも、監督のポランスキー監督は印欧語族の目を持っている人ですし、シュピルマンを助けるドイツ人の将校の役の人はドイツ人ですが、やはり印欧語族の目を持っている人である気がして。そいう点では、表向きの映画の趣旨とはちょっと違うけれども、「ドイツ人であっても味方の目を持つ人はいます」というメッセージも込められていたと思うわけで。で、本編以外の特典映像も見たのですが、そもそもポランスキー監督自身が「シンドラーのリスト」の舞台となったクラクフ・ゲットーから逃亡した生き残り、ということで。「シンドラーのリスト」のリストは、最初ポランスキー監督に監督をするように要請されたらしいのですが、クラクフ・ゲットーのことは彼にとってあまりにもリアルなことであって、実際に生き残った人達のことも直接知っている、ということで、逆に映画化することは困難である、という理由で監督を断ったという経緯があったようで。ゲットーから逃亡した時、監督は5歳くらいの子供であって、どちらかというと見張りのドイツ兵が同情して逃がしてくれたんじゃないのか、という感じがするわけですが、彼はその足で郊外に逃げて、農家に匿われて生き延びたらしくて。結局お母さんは殺されて、戦後まで生き延びることができたのはお父さんだけだったということで、戦争が終わった後にお父さんと再会したらしいのですが。ともかく、ワルシャワ・ゲットーのことは、クラクフのことよりは客観的に描ける、ということで「戦場のピアニスト」を撮ったということのようなのですが。でも、この映画の大きな特徴は、混血の関係者が多くて、ドイツ人の役者さんも印欧語族の目を持っていて、おそらくドイツの中では少数派な人な気がするわけで。結局、混血している人というのは、両親の一族郎党と繋がりができるわけですから、例えばポーランド人とユダヤ人の仲が悪ければ、混血児達はどちらの一族郎党の仲にも居場所がなくなりかねない、ということのようで。で、「純血」に近い民族とか氏族であれば、一族郎党がみんな似たような「目」を持つようになって結束も固くなるけれども、混血が進めば子供は両親と同じ「目」を持って生まれてくるとは限らないわけで。そして、兄弟でも「異なる目」を持つ可能性が高くなる、ということで。どうも「目の力」というのは、「近い目の力」の間柄ほど「良く声が届く」ということのようですので。そうなってくると、兄弟とか親子でも、声が良く届く「集団」が異なる、ということになってくるようで。結局、その人の生き方が「声が良く届く「集団」」の声に大きく左右されるものであるならば、争乱に時代には家族がバラバラになって敵味方で戦うこともあり得るということのようで。だから、混血している人達は人達で、「平和」というものを強く求める傾向があるわけで、それは平和であればこそ、自分達の子孫がどんな目を持って生まれてきても、仲良く共存していけるから、ということらしいのですが。だいたい、そもそも、私も子供の頃から買う本は、聖書とか「アンネの日記」とか「ケルト民話」とか「ケルト神話」とかそういうものが多くて、良くも悪くも嗜好がそっちに偏るのは、私が南の人達や、ケルト・北欧の人達に近い目を持っていて、彼らの声の方が良く届くせい、って言われる気がするわけで。肝心の一族郎党の方は、総本家がすぐ近所にあっても、「目の性質」がかけ離れていすぎて、あんまり声が良く届かないらしいのですがー;。言われてみれば、日本古典文学全集も町史も私が買うと決めた訳ではないわけですし。そういう「声」は親の方に良く届いていたんですねえ? と思うわけですが。

そして、「シンドラーのリスト」と比べると、こちらの方がより「純血」に近い人達の思想を反映していて、結局南の「純血」に近い人ほど、良くも悪くも「神」という名の「エルサレム」の街に拘りを持たずにいられないし、その思いを神サマに聞いてもらわずにもいられない、ということのようで。だから、南の血を引く人達の気持ちを知る上で、「シンドラーのリスト」はより純血に近い人達の考えを反映していて、「戦場のピアニスト」は混血の人達の考えを反映しているんだな、と思うわけで。だから、同時期の歴史を元にした映画であっても、この2つを選んで「見る」必要があったんだな、と思うわけですが。でも、「シンドラーのリスト」の方には、南の人達からの強力な「応援の気」を貰えるかわりに、「ウルリクムミの目」と勝負しなければならないので、こちらの力が弱ければ危険なシロモノって言われる気がするわけで。なんとか、その名前まで見抜くことができたので、割といろんなところで「スピルバーグ監督は賭に勝った」って言われる気がするわけで。彼もこちらが勝つと信じて、この映画を作ってくれたのですねえ、と思うわけなのですが。で、もう一方の「戦場のピアニスト」の方は、もう一つ「勝負」があって。主人公のシュピルマンの生前の写真も見ましたし、その息子さんのインタビューも見たのですが。彼らもまた「味方の目」の人には見えないわけで。そもそも、歌詞のないクラシックなんて我が家にとっては不吉なものですし、何故彼は生き残ることができて、かつその後の人生で成功を収めることができたのか? とふと聞かれる気がするわけで。だいたい、ピアニストっていうのは、毎日ある程度の時間をとって、鍛錬を積まないと、その腕前も維持できないものなんじゃないの? って思うわけで。「人が生きるも死ぬも『神の思し召し』であるならば、彼が生き残ったのは、いずれの神の『思し召し』か?」ってふいに言われた気がするわけで。それもまた現実であることを、ポランスキー監督は私に知って欲しかったのではないのか、と思ったわけですが。

で、話はちと変わるわけですが、翔君が結婚した? みたいなガセネタが2,3日前にインターネットの怪しげな掲示板に出回ったわけで。「NEWS ZERO」を見ていた時に、ふとそのことを思い出して、「大変なことがあったねえ」って思いましたら、「でしょでしょ」って4番目の子から言われた気がするわけで。誰かさんが、「そっちはそっちでそういうことを気にしてるんだ?」って突っ込んだら、「自分は妻帯者になるにはまだ早い」って言って言い返されていた気がするわけですが??@@ 誰かさんは「ぎゃー」って言って、怒って火を噴いていた気がするわけでーー;。蛇の子は、蛙の子に「自分のことを妻帯者だなんて思ってないよね?」って泣きつくわけで、蛙の子は「『はい』って言わないと締め上げられるから『はい』って言う」って言ってるわけですがー;。元気出していろいろと頑張るので、喧嘩しないでくださいよう、と思うわけで-;。結果的に締め上げられるのは私だから、と思うわけですがーー;。

あとは、ニュースが始まる前に、「SMAPxSMAP」をちらっと見て。歌のコーナーで、ゲストにゆずが出ていましたので、こちらは本当に元気を出して貰いたくて、歌を送ってくれてるんだな、と思ったわけですが。いろんな人がいろんな考えを持っていて、いろいろと応援してくれるわけで。とりあえず、蛇の兄さんからは「蛍」ばっかり聴かされているわけです。まあ、それも今の段階では悪いことではない、ということで-;。

本日の日誌

ええと、昨夜21:30頃に、夕ご飯を食べていたら、私の分身の蛙の子が、ぎゅーっと締め上げられる感じがして、何というか誰かさんが「ただいま」って言っていて、「おかえり」って言わされていた気がするわけですが。なんというか、兄さんも割と絶好調というか、けっこうご機嫌さんであった気がするわけで。で、夜は「SmaSTATION!?」があって、香取君に「元気出して貰わなきゃ」って言って貰った気がするわけで。みんな、私が落ち込まないように気を遣ってくれてるんだな、と思って。で、設備の工事が一段落すれば、次はまた土間のコンクリート張りなので、その打ち合わせをちゃんとするようにFAXしておいた方がいいよ、って言われた気がするわけで。で、全体としては香取君も割とうれしそうであったし、良かったのかな、と思って。

結局、エルサレムの街が何故、特別な街なのかと言えば、その街の名前そのものが「神」という意味なので、実際にそこに君臨する「神の真名」こそが重要だ、ということなのだと思うのですが。「KINGDOM OF HEAVEN」を見て、敵の目に巻き込まれずにその意味を見抜けることができれば、勝負はこちらの「勝ち」ということで。結局、エルサレムは地中海東岸にあるので、ここで述べられる「神」とは、天の神イルとその妻のアーシラトということで。アーシラトとは、古代においてはその辺りの最高位の女神であって、かつ海辺に住んでいて「海の貴婦人」と呼ばれていた、ということで。「天の王国」と呼ばれたエルサレムの最高位の女神とは、アーシラトのこと、と言われる気がするわけで。アーシラトとは、古代エジプトではイシスのことですし、アラビアでは月の女神アッラートになるわけで。「海の目」という名前のついた会社が崇めている神の名は、「海の貴婦人」と呼ばれるアーシラトのことって言われる気がするわけで。そうやって、敵の正体を見抜くことが大切、って言われる気がするわけで。穢れた街であるエルサレムの頂点に君臨していた敵のハーンを食べてしまって、新しいハーンが立つには、「自分が誰であるのかを知る必要がある」と言われる気がするわけですが。要するに、映画の中でエルサレムの女王を演じていたフランス人のエヴァ・グリーンという女優さんが、敵から「アーシラト」の名前を授けられていた人なんですよねえ? ということで。その名も「常緑樹のエヴァ」(アーシラトの依り代は常緑樹というこよで)ということのようで。やっぱり、名前にはみんな意味があるのですねえ? と思うわけですが。

で、今日は「シンドラーのリスト」を見ていたわけで。これはホロコーストに関わる話で、第二次世界大戦中のポーランドのクラクフという町で実際にあったことを元にして映画化したものらしいのですが。シンドラーというのは、ドイツ人の実業家なのですが、安い労働力を求めてユダヤ人を自分の工場で働かせている内に、ナチスの非人道的なやり方に嫌気がさして、自分の工場で働いていた人達の命を救った、ということで。実際のシンドラーの写真も見てみましたが、この人は印欧語族の目をしている人だな、と思うわけで。

で、映画の方は、見出してから気が付いたのですが、この映画はシンドラーに助けられた人達の子孫が大勢エキストラとして参加しているはずで。江南でロケを行ったレッド・クリフト同じで、南の人達の「目」がたくさん入っていて、その人達の応援の気もきっと届くことになっているのだろう、と思ったわけで。でも、その代わりに、主役のシンドラーを演じている人は、とても冷たくて、感情のない目をしている人な気がして。

で、なんというか、不思議なことに映画を見ていると、家の基礎の下に石が一杯埋まっているから、基礎も壊して掘り返した方がいいんじゃないか、みたいな気分になるわけです。この件に関しては「できるだけやればいい」ということになっているわけですし、残った分の「呪い」については引き受けてくれる、という申し出もけっこうあるわけで。(紀香姐さんなんかは、そんなに心配なら「自分達がその呪いを請け負って上げる」って言いたいくらいだけれども、そういう余計な心配をする余地もないくらい、って言ってくれるわけで。(そして、彼女は私が『紀香姐さん』って言うと、割と喜んでくれる? らしいのですが??))それなのに、なんで、急にこういう気分になったんだろう、と思ったわけですが、結局それが「敵の目の力」ということで。それに巻き込まれたりすると、いつまでたっても家が完成しない、とそういうことになるんだな、と思うわけで。で、嵐の動画とか見ていると、あそこの土地の守護神は守達神なのだから、「自分の力を見くびらないように」って8番目の子も言ってくれるわけで。おそらく、主役の人が、こちらがそう思うような「目の力」を送ってきたと思うのですが。それだから、「呪いの映画」とかうかつに見ちゃいけないんだなー、と思うわけで。で、長い映画ですし、一度に見ると疲れてしまうので、途中にいろんな動画を挟んで見ながら、ぶつ切りにして見ていたわけで。で、映画も終盤にさしかかった頃に、丁度KinKi-Kidsの動画を見ていて。で、そうしたら、その主役のシンドラーを演じている人の「隠れた名前は?」って聞かれた気がするわけで。で、それは「ウルリクムミ(Ullikummi)」って言われた気がするわけで。それって、ヒッタイトの神話に登場する、岩から生まれた巨人であって、要するに「悪い神サマ」ですし、前半のウル(Ull)というのは、ベス(Bk)に通じる子音ですし、後半のクムミ(Kummi)というのは、カーンとかハーンとか古代エジプトの月の神クヌム(Khnum)に通じる名前ですよねえ? ということで。要するに「首長ベス」とか、そういう意味の名前ですよねえ、ウルリクムミって? と思うわけで。で、一方シンドラー役の役者さんは、リーアム・ニーソンという人でアイルランド系の人で、ヒッタイトとかとそれほど近縁性の高い人でもなさそうですし、なんでウルリクムミ? って思いましたら、その人の名前を良く見るように、って言われた気がするわけで。リーアム・ニーソンというのは芸名で、本名はウィリアム・ジョン・ニーソン (William John Neeson)というそうで。ウィリアム(William)っていうのはウルリクムミ(Ullikummi)の英語名なんだけど、って言われたわけで。そういえば、その2つはほぼ「同じ子音」ですねえ、ということで。7番目の子は、こういう情報を「押し込む力」だけは強いですよねえ? と思うわけで。そして、タルムードには「一人の人間を救う者は、全世界を救う。」という言葉があるけれども、その言葉の通りに蛇の兄さんを救ってあげなさい、って言われた気がするわけで。ギリシャとか、東欧とか、地中海東岸地域、そして中東とかそのあたりでは、やっぱり蛇の兄さんと私の1対に期待する人が多いのですねえ、と思ったわけですが。でも、その点に強い期待を寄せられると、蛇の人達もけっこう困っている気がするわけで。十二支族の血を引くと言っても、あくまでも私の「親元」は蛙さん達と縄文系の人々ということで、彼らの決めた1番目と2番目の子を差し置いて、蛇の兄さんとだけそんなに期待されても? みたいなことは割と近しい人達は思っているようで。

でも、ホロコーストを経験した人達は、ポーランド人とユダヤ人が互いに憎しみ合わされる羽目になったのは、敵の策略のせい、って言う気がするわけで。互いに和解したくても、個人的な憎しみの気持ちも恐怖も心の底から消すことはできないし、自分達の気持ちも、思いも聞いて欲しい、と言ってくる気がするわけで。そして、今も南の人達は、パレスチナの人々と憎しみ合い、殺し合わなければならない運命にさらされていて、彼らの運命は未だにローマに翻弄されたまま、と言われる気がするわけで。そして、いつか喜びも悲しみも、正義も悪も飲み尽くした時に、エルサレムに尋ねて来て欲しい。何故なら、「神」の名を持つあの街はあなたそのものだから、って言われた気がするわけですが。まあ、でもそれを実現できるのは蛇の兄さんだけでしょうねえ? ということで。敵の有力な「偽物の神」の名前をまた一つ見破ったので、その分敵の力は弱まるはずって言われる気がするわけで。そして、大抵の南の人達は「デーヴァの目」を持っている気がするわけで。でも、そういう人達からも、「なんで、あなたの見えない目は北欧の太母の目に似ているのか? ヨーロッパの人達と混血している自分達の中にもそういう目の人は滅多にいないのに。」って言われる気がするわけで-;。それは、なんだか偶然にもそうなっているだけの気もするのですがーー;。で、映画を見て私の力が増したので、アンジーにも「神の羽根」が生えてきたって言われる気がするわけで@@。

で、蛇の兄さんもようやく落ち着いてきてくれたかな、と思うわけで。今夜も「ウタフクヤマ」を見なければ、とは思ったわけですが。でも、ときどき大蛇の姿の兄さんに巻き付かれて「若い男と浮気しちゃダメ」って言われる気がするわけで。なんとなーくですけれども、文章の行間を読む限り、まだ怒っていそうな気がするわけでーー;。「おでこにキッス」は、気持ちは分かるわけですが。どうも、今回の方が酒が(しかもあんまり良くない酒が)回っている気がするわけでーー;。この日は、誰かさんに泣かれたり、怒られたりして私も大変でしたけれども、けっこう酔ってやってましたね? とも思うわけで-;。誰かさんのことは愛しく思いますけれども、私にもまだ慣れないことがたくさんあって。毎日、いろんなことがあるな、と思ったわけですが。