昨日の日誌

ええと、昨日ですねえ、「お仕事」中心の一日だったということで。設備関連の「呪い」の内、昨日のものは1カ所、必要な「防蝕テープ」が巻いていなかったこと、とか、水抜栓を被っているビニールごと埋めようとしたこと、とかだったと思うのですが。防蝕テープを必要な部位に巻かなかったのなんて、絶対にわざとでは? って思ったわけですがー;。で、お昼も時間になってもわざと仕事を終わらせないで昼休みの時間を短くされて、手紙を出しに行くのを邪魔されそうになったりとか、帰りの時間もわざと遅らされた気がするわけで。「なんで?」って思いましたら、「今日は家に聖書が入る予定の日だから、署名をするのを遅らせようとしてる。」って言われた気がするわけで。この本に限っては、自分の名前を署名して、「自分のもの」にしてしまえ、って言われていた気がするわけで。

で、結束線に関しては、家に帰ってきてからも、いろいろと調べたのですが、ヘルマンタイトンという会社の製品でよろしいようで。だいたい、話を遡ると、「キングダム・オブ・ヘヴン」を買って見てくれれば、「国教会の頂点に君臨する神の真名を、敵の神の名からこちらに書き換えてやろう。」ってブリタニアのおばあちゃんに言われたわけで。で、それを見て「シンドラーのリスト」を見て、敵から「ウルリクムミ」という岩から生まれた巨人の悪神の名前を貰っている人が、リーアム・ニーソンという人だと言われた気がするわけですが。で、今日知ったのですが、この役者さんは、「キングダム・オブ・ヘヴン」にも出ていて、主人公の父親役をやっていて。エルサレムを守護していた、「敵の騎士」の父親役というのも「象徴的」だなあ、と思ったわけですが。で、おとといの晩に、X JAPANの新曲が試聴できるということで、イギリスのサイトに曲がアップされていて。これも、イギリスの会社の製品を取れ、ってことなのかなあ? と思ったわけで。で、現場では「ヘルマンタイトン」という会社の意味は? って蛇の兄さんからも聞かれた気がするわけで。それは、「ヘルマン」というのは、「ハーン」と同じ子音ですし、「タイトン」というのは造語っぽいですが「タイタン」に近い言葉、ということで。「巨人の神(首長)」とか、そういう意味? って思うわけで。「それは誰?」って聞かれたわけで。それは、やっぱり「ウルリクンミ」の名前を貰っている人? って思ったわけで。そうしたら、「それは、その人のことを見抜いて、勝負に勝ったことに対する『戦利品』だから、使っておくように。」って言われた気がするわけで@@。家に帰ってきていた調べたら、「ヘルマン・タイトン」というのは結束線では、トップシェアのメーカーで、イギリスにある会社らしくて。そこの会社の頂点に君臨する「十字の神」の名前が書き換わっているから、使っても良い、ということでもあるようなのですが。結束線6本分を安全に使うための勝負にいくら投資したんだろう? とは一瞬思ったわけですが。でも、得たものはそれ以上のものを得たでしょ、って言われる気がするわけで。

で、家に帰る途中で、なんとなくふっと、「嵐にしやがれ」の中の翔君の「お忍び旅」のコーナーのことを思い出して。この番組はバラエティーなので、このコーナーは翔君が日本国内でお忍びの小旅行をして、周囲の人に正体がばれて、声をかけられたら旅はそこで終わり、ということで。ばれない時は全然ばれないけれども、ばれる時はばれまくる、というコーナーなわけですが。で、もし私の身近に彼が現れたら、声をかけるべき? それとも知らんぷりしてるべき? とか、ふっとそういう他愛のないことを考えてしまったわけで。声をかけたら、その旅の企画は終了してしまうけれども、でも、もし私が気が付けば声をかけて欲しいって思うかも? ってふっと思ったわけで。で、家に帰ってから、ネット上をいろいろと検索していたら、ちょうどこの日に軽井沢に「お忍び旅行」のロケに来ていたらしくて、twitterとかで情報が拡散していたらしいのですが。ということは、ばれたのか? とか思ったのですが。でも、以前に黒部にも来てましたし、割と良く長野県に来てますよねえ? 私が行ったことがあるところにもけっこう来ているし、って思うわけで。先週の放送では、箱根に吉田沙保里選手と行って、箱根神社に行ってましたし、箱根神社って九頭竜を祀っているところなんですよねえ? と思うわけで。4番目の子も、できるだけ「間合いを詰める」ことができるように頑張ってますねえ、と思ったのですが。

で、「ハウルの動く城」を見たわけですが。主人公の女の子はソフィーという名前であって、これはギリシャ語ではソピアー(知恵)という言葉なわけです。この言葉は、一応神格化された「女神」の名前としても使われることがあるのですが、神格化されるようになったのは比較的時代が新しい、ということで、古い時代からのギリシャの神々のようにはっきりと「独立した女神」として扱われることはほとんどないわけで。で、原始キリスト教の中では、「神」というか、「キリスト教的な叡智の精神」の象徴みたいなものの名前としても扱われるのが特徴、ということで。そもそも、原始キリスト教というのは、始めたのはイエス・キリストというユダヤ人であっても、それをワールド・ワイドに広める一番最初の段階で活躍したのは、イスラエルの外に住んでいて、ギリシャ語を話す、いわゆる「ヘレニスト」と呼ばれるユダヤ人たちであるわけで、彼らはギリシャ語を話していて、おそらくギリシャの文化にも造形が深かったと思われるわけです。で、聖書なんかも元はギリシャ語で書かれていたものが多いと言うことで。で、ソピアーというのは、元は一般名詞だったかもしれませんが、子音的には、アナトリアのキュベレー、ヒッタイトのヘバト、ヘブライのエヴァと同じ子音、ということで。で、古代のキリスト教の一派には、「ソピアーがこの世を生み出した」という考え方もあるわけで。で、古代世界の女神達というのは、その権威が高くなればなるほど、「死と再生の女神」という性質が強くなって、例えば死んだ夫のオシリスを蘇らせたとされる古代エジプトのイシスとか、夫でありかつ子神であるアッティスの再生に関わるキュベレーとか、その手の神話は各地にあるわけで。そうやって「死者を生き返らせる秘密を知る者」という概念が、古代世界の「叡智」であり「医業」でもあったわけです。まあ、死んだ人間を生き返らせる、というのは大げさかもしれませんけれども、死にそうな人間(ほっておいたら死んでしまうはずの人間)を助けることができる、程度の意味はあるのだと思うわけで。聖書なんかにも、イエスとその集団が「優れた医師であった」みたいな記述はたくさんあるわけで。古代ギリシャ的原始キリスト教においては、「イエス・キリストの叡智」とは「死と再生の女神が持っている叡智」、すなわち「ソピアーの叡智」であったわけです。で、そういう思想が各地に布教されたわけで。どこでも、奉ずる女神の名は異なっても似通った神話を持っているわけですから、そういうものを吸収して合併していったのが、一番当初期の原始キリスト教であった、といえるわけで。だから、原始キリスト教的「ソピアー」とは暗に、ヘブライ神話の「エヴァ」も兼ねているわけです。いずれも、同じ「死と再生の女神」ということで。で、「ハウルの動く城」のソフィアは結果的にハウルに心臓を取り戻させて再生させるわけで、同様にかかしのカブも再生されるわけで。そして、幼いマルクルに対しては母親のような存在になるわけで。このアニメそのものには、キリスト教的な要因は上辺では見られないわけですが。でも、「叡智のソフィアが人(特に親しい男性)の死と再生に関わる」というのは、丸っきりイシス・オシリスとか、キュベレー・アッティス、そしてエヴァとアダムの神話に通じる話であるわけで。これは西洋の「神話」の根源的な共通の概念を示した物語でもありますし、「ソフィア」の名を使っている限り、それは非常に当初期の「原始キリスト教の思想」であると述べて構わないものなんだな、と気が付いたわけで。それで、ブリタニアのおばあちゃんが、国教会の頂点に君臨する神の名前をどのように書き換えたいのかといえば、それは今までイエス・キリストの仮面を被ってその地位を乗っ取っていた「ユーピテル」の名前から「ソフィア」の名前に書き換えたいんだな、と気が付いたわけで。何故なら、それが本来の「原始キリスト教の神の名」であり、イエス・キリストの子孫の中に、ソフィアの名を持てるだけの「女神」がいるのであれば、遠い先祖の遺産は、良いものも、悪いものも含めて、子孫が相続すべきっていうことなわけだと思うわけで。少なくとも、思ってもいないことを平気で書ける才能は、誰に頼まれなくても受け継いでいるらしいですよ? ということで-;。だから、「キングダム・オブ・ヘブン」と「共訳聖書」と「ハウルの動く城」は、ユーピテルに乗っ取られる以前の、ごくごく当初期の原始キリスト教の思想を示すために必要な、それこそ「三位一体」の文物ということなんだな、と思うわけで。それで、3つ纏めて家に入れる必要があったんですねえ? と思ったわけで。

嵐の兄さん達は、「ハウルの登場人物の中には、ハウルとかかしのカブと、マルクルの3人の男の子が出てくるように、再生が必要とされている神は3人いることを忘れないように。」って言ってくる気がするわけで。でも、木村君の言霊は、「ソフィーのために外の世界で戦い続けるハウルとは、今であれば誰のことなのか分かるはず。その心臓も、頭も、今はその部屋の中にあることも知っているはず。」って言っている気がするわけで。それはもちろん誰のことなのかは、今ならよくよく分かる気がするわけですが。今朝方は夢を見て、目が覚めたら、白鳥の姿で登場した誰かさんに、「君の魅力で 君の魔力」とかって言われて突つきまくられた気がするわけで。毎日、いろんなことがあるな、と思ったわけですが。

本日の日誌

いろいろな騒ぎが起きてから、福山君の昔の動画とかもいろいろと探して見ていたわけですが。昔、見たもので、もう一度見たいものが一つあったのですけれども、それが今までどうしても見つからなくて。で、それは「龍馬伝」の頃、NHKでやっていたドキュメンタリーというか、特番みたいなもので。で、それはリアルタイムでも見ていて、番組の中で福山君が「自身の恋愛観」を語っていて、それが印象深くて覚えていたので、もう一度見て見たい、とずっと思っていたのですが、そもそも番組のタイトルも忘れてしまっていて、探しようがなくて。で、昨日なんとなく検索をかけていたら、タイトルが「トップランナー スペシャル」だということを発見して。動画を探してみたわけですが、2010年の番組で、「龍馬伝」の役作りのために髪を伸ばしている時期であって。やっぱり今よりもちょっと若い感じがするわけで。

で、なんでそもそも2010年当時に、「龍馬伝」も見ていなかった私が、この番組を見ようと思ったかというと、なんとなく興味があったというか、意識の上では「なんで、この人、この年でこんなに人気があるんだろう?」って不思議に思っていたというか。で、もう1回見直してみたら、福山君が最初に作ったラブソングである「Good night」を作った時に、「好きな人ができたら、相手にしてあげたいことが増える」って思っていて、そういうことを歌詞にしていって曲を作った、って言っていて。で、当時どう思ったかというと、「この人って『女癖がよろしくない』みたいな噂があるけど、こういうことを言う人なんだ?」って思ったわけで、それですごく印象に残っていたわけですがーー;。

で、今改めて見直してみると、「蛍」をリリースしてた頃? と思うわけで、「蛍」のMVがちょこっと流れていましたし、カレーを作るシーンがあって、誰かさんに「ね、だからカレーなんて誰でも作れるでしょ?」って言われたりするわけで。そりゃまあ、作り方に特に凝ったりしなければ、私にだってカレーくらい作れますよねえ? とは思うわけですが。でも、何となく、福山君の結婚のニュースを聞いて以来、私自身が将来誰かと結婚することがあったら、なんだか絶対に旦那に料理を作ってやりたくない気分、とかそういう気持ちになるわけで。蛙の子なんかは、「自分の食べる分だけは自分で作る」とか言っているわけですが(苦笑)。

で、インタビューを受けている福山君は、ときどき目の奥に情熱的な表情が見えて、当時から誰のことを思っていたのかは、今見れば分かる気がするわけで。そして、誰かさんは当時から「蛍」とか「Good night」を聴いて欲しいと思っていたんだろうな、とは思ったわけですが。「蛍」も当時から、心のどこかにちょっとだけ引っかかる歌ではあった気がするわけです。でも、けっこう直球ストレートなラブソングですよねえ? これ?? と思うわけで。「最愛」とか「はつ恋」とか、なんだか薄幸そうな歌の方は、だいたい聴いて「嫌がらせかも」と思った私も、「普通のラブソング」の方はあんまり自分に関係ない、と思っていたわけで。今にして思えば、この番組を見ようと思ったこと自体、誰かさんが「見て欲しい」という気をせっせと送ってきていたんだなあ、と思うわけですが。2010年と言えば、私はバリバリ裁判をやっていた頃ですし、確かにそのこと以外に興味を持ったことそのものも今から考えれば不思議だ、と思うわけで。

で、昨夜は久しぶりに夢を見て。ここのところ、「蛍」と「幸福論」と「東京にもあったんだ」しか聴いて寝ていないわけですが、なんだかちょっとゴタゴタとしたいろんな夢を見ていて、で、「幸福論」の中の「君が大好きで とても大事さ」というところばかり、夢の中でリピートしてかかっていた気がするので、もしかして何回か、そこがかかった時に集中して夢を送ってきた? って思ったわけで。で、最後に、なんだか自分がまだ学生で、長い間学校を休学していて、久しぶりに登校する、という夢を見て。で、自分でも「勉強についていけるだろうか」とか「受験勉強が間に合うかしら?」みたいにちょっと心配もしていて。で、学食みたいなところにご飯を食べに行ったら、席が一杯で。で、何故かそこに松本君がいて、彼の隣の席が空いていて、「ここに座っていいよ」っていう目線を送ってきていたので、そこに座ったら、彼の方が何も言わずにすっと立ち上がって離れたところに行ってしまって。きっと、まだそういう状態なんだろうな、と思ったわけで。

で、本日は昨日までの工事の資料の整理をしたり、買った曲の整理をしたりしていたわけで。で、「ハウル」も買い戻したので、一応せっせと見ていたわけで。で、誰かさんは、手紙を送ると、そこに書いてあることだけでなくて、行間に込められている書き手の気持ちも「読める」ということで。で、今回も「愛してる」とか、そういう類いのことを書いて欲しい、ってリクエストがあったので、書いて送ったわけですが。で、そういう人はけっこう多いようで、昨日は帰ってきたら、いろんな人から「心にもない言霊を書いて遅れる才能は、まさにギリシャ人」って突っ込まれたわけで-;。別に、「心にもない」っていうほど酷くはないですよ? 「心の底から」って言えるかどうかは自信がないけど、って思うわけで。誰かさんからは「『毒を食らえば皿まで』って気分で書いている。」って苦笑いされながらつつかれるわけで。しかも、何だか「同情され過ぎている気がする。」って言われたわけですが。そして、割と「同情が愛に変わるタイプかも。」って言われた気がするわけですが。そうなのかもねえ? という気もしないでもないわけですが。で、それ以外では5時前後にやたらといたずら電話がかかってきましたし、打ち合わせの連絡もないので。敵はけっこう怒っているんだな、と思うわけで。「ハウル」を見て片付けてしまったら、こちらから催促の電話をした方がいいかも? という気もちらっとしたのですが。アニメの登場人物の魂も感情も籠もっていない「目」というのは、確かに以前よりも見て気持ち悪く感じますし、なんだか気になるわけですが。まあ、最後まで支障なく見ることはできるでしょう、ということで。

で、誰かさんからは、新たに家に入った「栄花物語」がいい仕事してる、って言われる気がするわけで。なんで、こういうものを買わなければいけないのかというと、同祖同族の中で、成功した人に特に強く結縁して、その人にあやかろうとするのは、「良い呪術」だし、そうやって成功した人の良い所や悪い所を学ぶのも良いことだって紀香姐さんに言われる気がするわけで。そういうものなんだー、と思うわけですが。今、「封神演義」をせっせと読んでいるので、次はたぶん読みやすそうな「栄花物語」だろうな、と思うわけですが。で、お手紙が今後も定期的に届きそうな気配になってきたので、誰かさんもちょっと一安心、ということらしくて。今日はそんな感じの一日だったのでした。