本日の日誌

ええと、昨日からの続きで今日はけっこう疲れました、ということで。

昨夜は何だか夢を見て。まだ学生時代で、国家試験に合格するために問題集をやらなきゃ、と思って、問題集を探していて。で、目が覚めて、「そういえば、もう合格していたんだった。」と思ったという夢だったのですが。

本日はせっせと「戦場のピアニスト」を見たわけで。「シンドラーのリスト」が第二次世界大戦におけるポーランドのクラクフ・ゲットーの物語であれば、こちらはワルシャワ・ゲットーに入れられて、九死に一生を得たピアニストの物語、ということで。主人公は、当時からポーランドでは有名な音楽家であったシュピルマンという人で。演じている役者さんも、ポーランド系ユダヤ人ですし、監督のポランスキー監督もポーランド系ユダヤ人であって。で、どちらも純血的なユダヤ人ではなくて、ポーランド人との混血なわけですが。第二位次世界大戦の時のワルシャワの街というのも複雑な力関係の内にあって、ゲットーに閉じ込められたユダヤ人の内、もっと東部の強制収容所に送られなかった人達は最終的に武装蜂起するわけで。でも、蜂起はむなしくドイツ軍に鎮圧されて、ゲットーは壊滅状態に置かれるわけで。で、ワルシャワの街のレジスタンス達も終戦間際に武装蜂起するわけですが、その人達は共産党支持者ではなかったので、すぐ近くまで進軍していたソ連軍は彼らを援護せず、結果ワルシャワ市民による武装蜂起もドイツ軍によって鎮圧されてしまうわけで。結果、ドイツ軍が撤退する際に街の8割を破壊していった、ということで。(そして映画では語られませんが、ワルシャワ・ゲットーが武装蜂起する時に、彼らはポーランド人のレジスタンス達にも同時に蜂起するように呼びかけたのですが、結局断られた、という経緯があるわけで。この辺りの経緯は「ショアー」というドキュメンタリー映画の中で証言したゲットーのレジスタンスの証言が非常に心に残って覚えていたのですが、その際にもポーランド人からのユダヤ人に対する微妙な差別意識のようなものがあった? とレジスタンスの人は考えていたようで、証言していた人の口惜しそうな表情がなんだか忘れられなかったわけですが。戦後の共産主義政権の誕生とソ連邦の実質的な支配のことを考えれば、ポーランドは、そこに住むユダヤ人だけでなく、全体が戦後も苦難の道を辿った国であることは明白なわけですが。)で、そういう争乱と混乱が続く中で、シュピルマンは何とか戦争が終わるまで、ワルシャワの街の中で隠れたり、逃げ回ったりして生き延びるわけで。そして、最後には撤退直前のドイツ軍の将校に見つかってしまうわけですが、この将校が良い人であって、シュピルマンに食料を与えて助けてくれたわけで。(この人は他にも何人もユダヤ人を助けたりしていたらしくて、ポーランド人にも評判の良い人だったようで。)でも、この人は戦後ソ連に連行されて強制労働させられて亡くなってしまうわけで。そして、シュピルマン自身も自分の体験を回顧録という形で、戦後すぐに出版したらしいのですが、当時は「ナチスドイツは悪」みたいなイメージが重要視されたので、「ドイツ人に助けられた」という点が、主に政治的にウケが悪くて、けっこう出版が差し止められたりとか苦労したようで。(でも、本業の音楽家としては成功したようなのですが。)そういう点では、「シンドラーのリスト」のシンドラーもナチス党員のドイツ人ですし、「ドイツ人でも良い人はいたんだよ」的な主題が表向き漂うところは、この2つの映画は良く似ている気がするわけで。

でも、例によって主人公を演じている役者さんは、ユダヤ系の人であっても、こちらの味方の人ではないですよねえ? という気がするわけで。何というか、本日の「勝負」のテーマは「蛇の兄さんはお前のことなんか何とも思っていないと思え」って感じの目の力をせっせと送られてきてた気はするわけですが。でも、それほど目の力の強くない人ですし、こちらには兄さんが取り憑くようにして張り付いているので、まあ無駄かな、ということで。でも、監督のポランスキー監督は印欧語族の目を持っている人ですし、シュピルマンを助けるドイツ人の将校の役の人はドイツ人ですが、やはり印欧語族の目を持っている人である気がして。そいう点では、表向きの映画の趣旨とはちょっと違うけれども、「ドイツ人であっても味方の目を持つ人はいます」というメッセージも込められていたと思うわけで。で、本編以外の特典映像も見たのですが、そもそもポランスキー監督自身が「シンドラーのリスト」の舞台となったクラクフ・ゲットーから逃亡した生き残り、ということで。「シンドラーのリスト」のリストは、最初ポランスキー監督に監督をするように要請されたらしいのですが、クラクフ・ゲットーのことは彼にとってあまりにもリアルなことであって、実際に生き残った人達のことも直接知っている、ということで、逆に映画化することは困難である、という理由で監督を断ったという経緯があったようで。ゲットーから逃亡した時、監督は5歳くらいの子供であって、どちらかというと見張りのドイツ兵が同情して逃がしてくれたんじゃないのか、という感じがするわけですが、彼はその足で郊外に逃げて、農家に匿われて生き延びたらしくて。結局お母さんは殺されて、戦後まで生き延びることができたのはお父さんだけだったということで、戦争が終わった後にお父さんと再会したらしいのですが。ともかく、ワルシャワ・ゲットーのことは、クラクフのことよりは客観的に描ける、ということで「戦場のピアニスト」を撮ったということのようなのですが。でも、この映画の大きな特徴は、混血の関係者が多くて、ドイツ人の役者さんも印欧語族の目を持っていて、おそらくドイツの中では少数派な人な気がするわけで。結局、混血している人というのは、両親の一族郎党と繋がりができるわけですから、例えばポーランド人とユダヤ人の仲が悪ければ、混血児達はどちらの一族郎党の仲にも居場所がなくなりかねない、ということのようで。で、「純血」に近い民族とか氏族であれば、一族郎党がみんな似たような「目」を持つようになって結束も固くなるけれども、混血が進めば子供は両親と同じ「目」を持って生まれてくるとは限らないわけで。そして、兄弟でも「異なる目」を持つ可能性が高くなる、ということで。どうも「目の力」というのは、「近い目の力」の間柄ほど「良く声が届く」ということのようですので。そうなってくると、兄弟とか親子でも、声が良く届く「集団」が異なる、ということになってくるようで。結局、その人の生き方が「声が良く届く「集団」」の声に大きく左右されるものであるならば、争乱に時代には家族がバラバラになって敵味方で戦うこともあり得るということのようで。だから、混血している人達は人達で、「平和」というものを強く求める傾向があるわけで、それは平和であればこそ、自分達の子孫がどんな目を持って生まれてきても、仲良く共存していけるから、ということらしいのですが。だいたい、そもそも、私も子供の頃から買う本は、聖書とか「アンネの日記」とか「ケルト民話」とか「ケルト神話」とかそういうものが多くて、良くも悪くも嗜好がそっちに偏るのは、私が南の人達や、ケルト・北欧の人達に近い目を持っていて、彼らの声の方が良く届くせい、って言われる気がするわけで。肝心の一族郎党の方は、総本家がすぐ近所にあっても、「目の性質」がかけ離れていすぎて、あんまり声が良く届かないらしいのですがー;。言われてみれば、日本古典文学全集も町史も私が買うと決めた訳ではないわけですし。そういう「声」は親の方に良く届いていたんですねえ? と思うわけですが。

そして、「シンドラーのリスト」と比べると、こちらの方がより「純血」に近い人達の思想を反映していて、結局南の「純血」に近い人ほど、良くも悪くも「神」という名の「エルサレム」の街に拘りを持たずにいられないし、その思いを神サマに聞いてもらわずにもいられない、ということのようで。だから、南の血を引く人達の気持ちを知る上で、「シンドラーのリスト」はより純血に近い人達の考えを反映していて、「戦場のピアニスト」は混血の人達の考えを反映しているんだな、と思うわけで。だから、同時期の歴史を元にした映画であっても、この2つを選んで「見る」必要があったんだな、と思うわけですが。でも、「シンドラーのリスト」の方には、南の人達からの強力な「応援の気」を貰えるかわりに、「ウルリクムミの目」と勝負しなければならないので、こちらの力が弱ければ危険なシロモノって言われる気がするわけで。なんとか、その名前まで見抜くことができたので、割といろんなところで「スピルバーグ監督は賭に勝った」って言われる気がするわけで。彼もこちらが勝つと信じて、この映画を作ってくれたのですねえ、と思うわけなのですが。で、もう一方の「戦場のピアニスト」の方は、もう一つ「勝負」があって。主人公のシュピルマンの生前の写真も見ましたし、その息子さんのインタビューも見たのですが。彼らもまた「味方の目」の人には見えないわけで。そもそも、歌詞のないクラシックなんて我が家にとっては不吉なものですし、何故彼は生き残ることができて、かつその後の人生で成功を収めることができたのか? とふと聞かれる気がするわけで。だいたい、ピアニストっていうのは、毎日ある程度の時間をとって、鍛錬を積まないと、その腕前も維持できないものなんじゃないの? って思うわけで。「人が生きるも死ぬも『神の思し召し』であるならば、彼が生き残ったのは、いずれの神の『思し召し』か?」ってふいに言われた気がするわけで。それもまた現実であることを、ポランスキー監督は私に知って欲しかったのではないのか、と思ったわけですが。

で、話はちと変わるわけですが、翔君が結婚した? みたいなガセネタが2,3日前にインターネットの怪しげな掲示板に出回ったわけで。「NEWS ZERO」を見ていた時に、ふとそのことを思い出して、「大変なことがあったねえ」って思いましたら、「でしょでしょ」って4番目の子から言われた気がするわけで。誰かさんが、「そっちはそっちでそういうことを気にしてるんだ?」って突っ込んだら、「自分は妻帯者になるにはまだ早い」って言って言い返されていた気がするわけですが??@@ 誰かさんは「ぎゃー」って言って、怒って火を噴いていた気がするわけでーー;。蛇の子は、蛙の子に「自分のことを妻帯者だなんて思ってないよね?」って泣きつくわけで、蛙の子は「『はい』って言わないと締め上げられるから『はい』って言う」って言ってるわけですがー;。元気出していろいろと頑張るので、喧嘩しないでくださいよう、と思うわけで-;。結果的に締め上げられるのは私だから、と思うわけですがーー;。

あとは、ニュースが始まる前に、「SMAPxSMAP」をちらっと見て。歌のコーナーで、ゲストにゆずが出ていましたので、こちらは本当に元気を出して貰いたくて、歌を送ってくれてるんだな、と思ったわけですが。いろんな人がいろんな考えを持っていて、いろいろと応援してくれるわけで。とりあえず、蛇の兄さんからは「蛍」ばっかり聴かされているわけです。まあ、それも今の段階では悪いことではない、ということで-;。

本日の日誌

ええと、昨夜21:30頃に、夕ご飯を食べていたら、私の分身の蛙の子が、ぎゅーっと締め上げられる感じがして、何というか誰かさんが「ただいま」って言っていて、「おかえり」って言わされていた気がするわけですが。なんというか、兄さんも割と絶好調というか、けっこうご機嫌さんであった気がするわけで。で、夜は「SmaSTATION!?」があって、香取君に「元気出して貰わなきゃ」って言って貰った気がするわけで。みんな、私が落ち込まないように気を遣ってくれてるんだな、と思って。で、設備の工事が一段落すれば、次はまた土間のコンクリート張りなので、その打ち合わせをちゃんとするようにFAXしておいた方がいいよ、って言われた気がするわけで。で、全体としては香取君も割とうれしそうであったし、良かったのかな、と思って。

結局、エルサレムの街が何故、特別な街なのかと言えば、その街の名前そのものが「神」という意味なので、実際にそこに君臨する「神の真名」こそが重要だ、ということなのだと思うのですが。「KINGDOM OF HEAVEN」を見て、敵の目に巻き込まれずにその意味を見抜けることができれば、勝負はこちらの「勝ち」ということで。結局、エルサレムは地中海東岸にあるので、ここで述べられる「神」とは、天の神イルとその妻のアーシラトということで。アーシラトとは、古代においてはその辺りの最高位の女神であって、かつ海辺に住んでいて「海の貴婦人」と呼ばれていた、ということで。「天の王国」と呼ばれたエルサレムの最高位の女神とは、アーシラトのこと、と言われる気がするわけで。アーシラトとは、古代エジプトではイシスのことですし、アラビアでは月の女神アッラートになるわけで。「海の目」という名前のついた会社が崇めている神の名は、「海の貴婦人」と呼ばれるアーシラトのことって言われる気がするわけで。そうやって、敵の正体を見抜くことが大切、って言われる気がするわけで。穢れた街であるエルサレムの頂点に君臨していた敵のハーンを食べてしまって、新しいハーンが立つには、「自分が誰であるのかを知る必要がある」と言われる気がするわけですが。要するに、映画の中でエルサレムの女王を演じていたフランス人のエヴァ・グリーンという女優さんが、敵から「アーシラト」の名前を授けられていた人なんですよねえ? ということで。その名も「常緑樹のエヴァ」(アーシラトの依り代は常緑樹というこよで)ということのようで。やっぱり、名前にはみんな意味があるのですねえ? と思うわけですが。

で、今日は「シンドラーのリスト」を見ていたわけで。これはホロコーストに関わる話で、第二次世界大戦中のポーランドのクラクフという町で実際にあったことを元にして映画化したものらしいのですが。シンドラーというのは、ドイツ人の実業家なのですが、安い労働力を求めてユダヤ人を自分の工場で働かせている内に、ナチスの非人道的なやり方に嫌気がさして、自分の工場で働いていた人達の命を救った、ということで。実際のシンドラーの写真も見てみましたが、この人は印欧語族の目をしている人だな、と思うわけで。

で、映画の方は、見出してから気が付いたのですが、この映画はシンドラーに助けられた人達の子孫が大勢エキストラとして参加しているはずで。江南でロケを行ったレッド・クリフト同じで、南の人達の「目」がたくさん入っていて、その人達の応援の気もきっと届くことになっているのだろう、と思ったわけで。でも、その代わりに、主役のシンドラーを演じている人は、とても冷たくて、感情のない目をしている人な気がして。

で、なんというか、不思議なことに映画を見ていると、家の基礎の下に石が一杯埋まっているから、基礎も壊して掘り返した方がいいんじゃないか、みたいな気分になるわけです。この件に関しては「できるだけやればいい」ということになっているわけですし、残った分の「呪い」については引き受けてくれる、という申し出もけっこうあるわけで。(紀香姐さんなんかは、そんなに心配なら「自分達がその呪いを請け負って上げる」って言いたいくらいだけれども、そういう余計な心配をする余地もないくらい、って言ってくれるわけで。(そして、彼女は私が『紀香姐さん』って言うと、割と喜んでくれる? らしいのですが??))それなのに、なんで、急にこういう気分になったんだろう、と思ったわけですが、結局それが「敵の目の力」ということで。それに巻き込まれたりすると、いつまでたっても家が完成しない、とそういうことになるんだな、と思うわけで。で、嵐の動画とか見ていると、あそこの土地の守護神は守達神なのだから、「自分の力を見くびらないように」って8番目の子も言ってくれるわけで。おそらく、主役の人が、こちらがそう思うような「目の力」を送ってきたと思うのですが。それだから、「呪いの映画」とかうかつに見ちゃいけないんだなー、と思うわけで。で、長い映画ですし、一度に見ると疲れてしまうので、途中にいろんな動画を挟んで見ながら、ぶつ切りにして見ていたわけで。で、映画も終盤にさしかかった頃に、丁度KinKi-Kidsの動画を見ていて。で、そうしたら、その主役のシンドラーを演じている人の「隠れた名前は?」って聞かれた気がするわけで。で、それは「ウルリクムミ(Ullikummi)」って言われた気がするわけで。それって、ヒッタイトの神話に登場する、岩から生まれた巨人であって、要するに「悪い神サマ」ですし、前半のウル(Ull)というのは、ベス(Bk)に通じる子音ですし、後半のクムミ(Kummi)というのは、カーンとかハーンとか古代エジプトの月の神クヌム(Khnum)に通じる名前ですよねえ? ということで。要するに「首長ベス」とか、そういう意味の名前ですよねえ、ウルリクムミって? と思うわけで。で、一方シンドラー役の役者さんは、リーアム・ニーソンという人でアイルランド系の人で、ヒッタイトとかとそれほど近縁性の高い人でもなさそうですし、なんでウルリクムミ? って思いましたら、その人の名前を良く見るように、って言われた気がするわけで。リーアム・ニーソンというのは芸名で、本名はウィリアム・ジョン・ニーソン (William John Neeson)というそうで。ウィリアム(William)っていうのはウルリクムミ(Ullikummi)の英語名なんだけど、って言われたわけで。そういえば、その2つはほぼ「同じ子音」ですねえ、ということで。7番目の子は、こういう情報を「押し込む力」だけは強いですよねえ? と思うわけで。そして、タルムードには「一人の人間を救う者は、全世界を救う。」という言葉があるけれども、その言葉の通りに蛇の兄さんを救ってあげなさい、って言われた気がするわけで。ギリシャとか、東欧とか、地中海東岸地域、そして中東とかそのあたりでは、やっぱり蛇の兄さんと私の1対に期待する人が多いのですねえ、と思ったわけですが。でも、その点に強い期待を寄せられると、蛇の人達もけっこう困っている気がするわけで。十二支族の血を引くと言っても、あくまでも私の「親元」は蛙さん達と縄文系の人々ということで、彼らの決めた1番目と2番目の子を差し置いて、蛇の兄さんとだけそんなに期待されても? みたいなことは割と近しい人達は思っているようで。

でも、ホロコーストを経験した人達は、ポーランド人とユダヤ人が互いに憎しみ合わされる羽目になったのは、敵の策略のせい、って言う気がするわけで。互いに和解したくても、個人的な憎しみの気持ちも恐怖も心の底から消すことはできないし、自分達の気持ちも、思いも聞いて欲しい、と言ってくる気がするわけで。そして、今も南の人達は、パレスチナの人々と憎しみ合い、殺し合わなければならない運命にさらされていて、彼らの運命は未だにローマに翻弄されたまま、と言われる気がするわけで。そして、いつか喜びも悲しみも、正義も悪も飲み尽くした時に、エルサレムに尋ねて来て欲しい。何故なら、「神」の名を持つあの街はあなたそのものだから、って言われた気がするわけですが。まあ、でもそれを実現できるのは蛇の兄さんだけでしょうねえ? ということで。敵の有力な「偽物の神」の名前をまた一つ見破ったので、その分敵の力は弱まるはずって言われる気がするわけで。そして、大抵の南の人達は「デーヴァの目」を持っている気がするわけで。でも、そういう人達からも、「なんで、あなたの見えない目は北欧の太母の目に似ているのか? ヨーロッパの人達と混血している自分達の中にもそういう目の人は滅多にいないのに。」って言われる気がするわけで-;。それは、なんだか偶然にもそうなっているだけの気もするのですがーー;。で、映画を見て私の力が増したので、アンジーにも「神の羽根」が生えてきたって言われる気がするわけで@@。

で、蛇の兄さんもようやく落ち着いてきてくれたかな、と思うわけで。今夜も「ウタフクヤマ」を見なければ、とは思ったわけですが。でも、ときどき大蛇の姿の兄さんに巻き付かれて「若い男と浮気しちゃダメ」って言われる気がするわけで。なんとなーくですけれども、文章の行間を読む限り、まだ怒っていそうな気がするわけでーー;。「おでこにキッス」は、気持ちは分かるわけですが。どうも、今回の方が酒が(しかもあんまり良くない酒が)回っている気がするわけでーー;。この日は、誰かさんに泣かれたり、怒られたりして私も大変でしたけれども、けっこう酔ってやってましたね? とも思うわけで-;。誰かさんのことは愛しく思いますけれども、私にもまだ慣れないことがたくさんあって。毎日、いろんなことがあるな、と思ったわけですが。